「戦争放棄に関する条約」または「ケロッグ‐ブリアン条約」(いわゆる不戦条約)以来使われるようになったことばで、日本では日本国憲法第2章の表題「戦争の放棄」に用いられている。

[池田政章]

戦争放棄の史的背景目次を見る
人間の歴史は古くから戦争に明け暮れており、したがって戦争を抑制しようとする人間の努力も、その歴史とともに古い。すでにギリシアの都市国家時代には、一方で祖国防衛戦争を正当化する正戦(正義のための戦い)論を生み出しているが、他方、国家間の仲裁裁判制度がつくられ、戦争なき社会を志向する世界市民主義が提唱された。キリスト教は、ローマ帝国によって公認されると、その初期にもっていた絶対的非戦主義を捨てて、神学によって正戦論を基礎づけ、軍旗に十字架を掲げるに至った。中世のキリスト教は政治権力と結び付いて、非戦主義から遠く隔たるところにあった。

 平和思想がその後の歴史に登場するのは16世紀になってからである。この世紀最大の哲学者エラスムスは「平和の訴え」を書いて正戦論を批判した。17世紀には、国際法の父といわれるグロティウスが、


『戦争と平和の法』のなかで、正戦論を自然法によって消化し、戦争に対して初めて法的制限を加えた。啓蒙(けいもう)時代の平和思想家として逸することのできないのはサン・ピエールである。彼は『永久平和の草案』三巻を著し、正戦論に根本的批判を加えて、戦争放棄と軍備撤廃を内容とする国際恒久平和組織=ヨーロッパ連合を構想し、これを実現するための条約案をつくり、各国にその採択を提唱した。またカントは、「永遠の平和のために」と題して、永遠の平和のための哲学的草案を世に送った。フろ