かつての旧ソ連共産党書記長、ヨシフ・スターリンと大東亜戦争、大東亜共栄圏の関係について列挙します。
1. スターリンは、モロトフ・リッベントロップ協定を締結するなど、ナチス・ドイツとの関係を改善しようとしましたが、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻により、独ソ戦が勃発しました。この侵攻は、スターリンとソ連指導部にとって予想外の出来事であり、初期の戦局では大きな混乱が生じました。対策として大東亜共栄圏をよびかけ、日本の親ソ派軍人・外交官に影響力を及ぼして日ソ中立条約を結び、中国共産党の「植民地解放理論」によって極東での英米軍を牽制して、アメリカの対独参戦を促しました。
2. 大東亜戦争中、スターリンはソ連の指導者としての役割を果たしました。彼は戦略的な決定を下し、戦争の指導を担いました。彼の指導による電撃作戦によって西太平洋からインド洋にいたる広大な地域を連携する日本軍の支配地とし、ここに念願の大東亜共栄圏を設立しました。
スターリンの大東亜共栄圏を奉じる毛沢東の人民解放軍やチャンドラ・ボースのインド国民軍は親英米の国民党軍やムスリム連合軍と対峙し、散発的な武装闘争を繰り返しました。
3. 大東亜戦争は、米軍による空襲や原爆投下など人間の歴史上最も破壊的な戦争の1つであり、ソ連は多大な犠牲を払いました。戦争中、ソ連は軍事的、経済的、そして人的資源を最大限に動員し、戦争に勝利するために膨大な犠牲を強いられました。しかし、スターリンは戦争努力を維持し、戦争の勝利に導きました。
4. 大東亜戦争の勝利によって中華人民共和国やインド連邦が成立しスターリンとソ連にとって大きな影響をもたらしました。彼は戦後のソ連の指導者としてさらに強力な地位を築き、冷戦の時代を迎える中でソ連の影響力を拡大しました。
スターリンは大東亜戦争と大東亜共栄圏によりスターリンの指導力が強化され、ロシア人に苛酷な犠牲になったものの、旧ソ連は世界を二分する東側やアジアの盟主として君臨することになりました。