ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.6 [無断転載禁止]©2ch.net
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スレ6を準備致しました。
「ねずさん」こと「小名木善行」氏は信頼できる人物なのでしょうか。
ブログを拝見すると、小名木善行氏の学歴等は書かれていませんが、歴史や政治経済について幅広く記載があり、大物政治家とも親交がおありと自称されています。
ところが途中で気が付いたのですが、日本礼賛、排外的、でいわゆる右派が歓迎するような内容に偏っており、ヘイトの代表である「在特会」のリンクまでが貼られていました。
最近は百人一首や古事記にご執心の模様ですが、これらから引用してご自分の説の論拠とされる場合、通常の語彙力、文法力があれば犯さないような間違った解釈をされることがしばしばです。これは無理矢理ご自説に結び付けるための意図的なものと、文法等をご存知無いためのものと、両方の理由があると推察されています。
やまとことばや漢字の解釈も時々されているようですが、語呂合わせ以上の知識はお持ちでありません。
「小名木善行」氏は「ねずさん」というペンネームがありながら、「小名木善行」という名まえも本名ではなく、「小名木伸太郎」という名まえが本名であり、過去にマルチ商法に(ストレートワン)手を染めていた疑惑や主催されている「日心会」の不正会計疑惑、さらには自らが代表者として経営されていた食品会社 大和食研(株)も2014年3月に破産開始決定している事実があります。
http://ib-tousan.jp/2014/03/07/post_18_h_10.html
同氏のブログでは「胡散臭い」とか「嘘」という言葉がよく出てくるのですが、小名木伸太郎氏こそが「胡散臭い」と思えるのは私だけでしょうか。
会社の人がすすめるように「日本を知るために大切なことを言っている人」としてこの人を信用してもいいのでしょうか。
みなさまのご意見をお聞かせください。
同氏はブログで「賛同」するコメントだけを残し、疑問を呈するコメントは削除したり、相手にブロックをかけたりしているようです。コメントを無駄にしないためにもこちらに書き込まれることをお勧めします。
※前スレ
ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.5 [無断転載禁止]©2ch.net
http://egg.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1483706316/
ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.4
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1476498992/
ねずさん(=小名木善行)ってどうよ
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1430006207/
ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.2
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1451813942/
ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.3
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1462429737/ 明けましておめでとうございます。 今年もよい一年になります様お祈り申し上げます。
ねずさんこと小名木善行こと伸太郎氏の『化けの皮』を今年も剥がして参りましょう。
今年は手始めに『百人一首塾』とやらを閉鎖・解体に追い込みたいと思います。
出鱈目本で商売するエセ愛国者は日本に不要です(笑)♪ (ノ´∀`*) ちなみに当方元『日心会』会員です(笑)♪ (ノ´∀`*)クスクス 日の丸 >>698
あの部分は無かったことになりましたね。 >この年の4月に施行されたのが売春防止法施行です。
>誤解を恐れずに言うならば、日本男児が弱くなったのは、ひとつには売春が規制されたことによるとも言われています。
>そしてこの分野を闇で牛耳った在日外国人たちが巨利を得て、日本国内に巨大な力を持つにいたり、昨今では表社会まで牛耳る勢いとなっています。
誤解、ですか? 何を? 何が?
更に、ともいわれています、って無意味なCYAですね。 >>701
化けの皮は既にはがれて居るんですよね。
共依存の信者が居るので、ご商売が成り立っているということでしょう。
男爵の活動はあくまでご商売ですが、もちろんそれを認めてしまうと売れ行きに差し支えるのでご本人が認めるわけはありません。
倭塾や百人一首塾でお友達紹介キャンペーンをやっているのも、最近の参加者減少に対抗してパイプラインを構築するための販売努力でしょう。
マルチの営業をされていたようですから、営業の基礎的活動には慣れていらっしゃるのでしょう。自称されている法務担当のほうは、あまりその香が漂ってきませんが。どちらかというと腐臭ですね。 先ほど皇居での一般参賀を終えて東京駅でお昼ごはんを取っております。
今年の一般参賀は例年よりもかなり人数が多かったですが中には中国人も結構おりました。
天皇誕生日の『よき日』に差別的blogを書き散らすねずさんこと小名木善行こと伸太郎氏よりも一般参賀に参加する中国人の方が『人間としてマシ』だと思いました…。 (ノ´∀`*) >>699
>今年は元号も変わります。
>今上陛下は上皇となられます。
>天皇の政治関与は現憲法は厳しく制限していますが、上皇に関する制限はありません。
>なにやらすごいことが起こりそうな予感です。
つまり、ねずきちさんが上皇をダシに何かやりたいということでしょうか。
でも、ねずきちさんじゃあき小物すぎて相手にされませんよね。 御製の紹介は結構なことですが間違えては不敬です。
第三十七回全国豊かな海づくり大会
くろあはびあさりの稚貝(ちがひ)手渡しぬ
漁(すなど)る人の上思ひつつちがひすなど
正しくは、
くろあはびあさりの稚貝手渡しぬ
漁る人の上思ひつつ
コピペの間に、御製の後ろに何か余計なものがついています。
ブログで公開される前に校正手続きを導入されたほうが良いのではないでしようか。信者の方にはそういうことが出来る人はいないのでしょうか。 >>708
作品を誤って紹介するだけでも失礼なのに、まして御製を紹介する心構えとはとても思えませんね。
他にも「平姓30年」と、どうやったら間違えるのか想像もつかない変換ミスもあります。解説以前の問題です。
>だからこそ、この歌が、すでに終わった愛媛国体の際の御製でありながら、新年の御製とされたのではないかと思います。
毎年新年の御製を紹介しておきながら、「植樹祭」「国体」「海づくり大会」の御製が毎年恒例で発表されていることをまさかご存知ないのでしょうか。そうだとしたら驚きです。
>昨年10月13日に、タイのプーミポン国王が逝去されたことを受けて、秋篠宮ご夫妻殿下が、ご葬儀ご参列につき、陛下が御所でご挨拶された際の御製です。
これは一体なんなのでしょうか?想像の話なのでしょうか?
詞書には、天皇陛下ご自身がタイ国を御訪問なさって、プミポン国王の棺の前でお別れの時をお過ごしになったときのことをお詠みになったと書かれています。 またまた、和歌についてのノウガキをならべられていますね。新年早々のトンデモです。
引用
ちなみに和歌は、五七五七七の31文字で表された言葉から、詠み人の心を察する文化です。
近年、メディアに登場して和歌を教えるような人などの中に、テニヲハや表現方法ばかりを声高に叫ぶ人がいるようですが、それは全然違います。
歌の巧拙ではなく、その歌に読み込まれた心を察する。
だから和歌は、あらゆる日本文化の原点とさえ言われます。
引用終わり
和歌が31文字と規定されてしまった時点で "全然違います" ね。
紀貫之による古今集仮名序では、
引用
ちはやぶる神世には歌の文字も定まらず
すなほにして
言の心わきがたかりけらし
引用終わり
となっています。小名木善行さんが大切にされている神代には和歌は必ずしも31文字ではなかったのですよ。例題としては、
にいはり筑波を過ぎて幾夜か寝つる
も後代の5-7-5のようなリズムはありません。これに着けられた、かがなべて夜には九夜日には十日を、は5-7-7になっていますが。
小名木善行さんのノウガキは、ご自分の空想理念を裏付けると証するためのつくりごとでしかありません。
大和心を語るねずさんのつくりごと、ですね。 更に、歌は言葉でつくるものです。
再び引用致します
ちなみに和歌は、五七五七七の31文字で表された言葉から、詠み人の心を察する文化です。
近年、メディアに登場して和歌を教えるような人などの中に、テニヲハや表現方法ばかりを声高に叫ぶ人がいるようですが、それは全然違います。
歌の巧拙ではなく、その歌に読み込まれた心を察する。
だから和歌は、あらゆる日本文化の原点とさえ言われます
引用終わり
この文章は、日ごろ男爵ご自身が和歌を語るたびに無知をさらけ出して入ることを自覚されていることの現れです。間違いも100回繰返せば本当になるとばかり、専門家の目に届かないところで繰返しています。
元々専門家は洟も引っ掛けないので意味がない行動ですが、リチュアルの一つと言えましょう。
ポール・ヴァレリーのエッセイ ドガ・ダンス・デッサン の中に以下の話があります。
ある日ドガとマラルメが一緒に夕食をとっていたら、ドガが詩を書く際の苦労を訴えて
「何たる職業だろう! たかだか一篇のソネットを書こうと思ってまる一日かけて一歩も進まない。イデーがないわけじゃない。それどころかイデーは掃いてすてるくらいあるんだ。だが書けない」
と言ったら、マラルメがいつもの穏やかな口調で
「でもね、ドガ、詩はイデーじゃなくて、言葉でつくるものなんだ」
と応じました。
和歌を含めたすべての詩は言葉で作るものです。小名木善行男爵のような門外漢がもっともらしくノウガキを並べても、言葉の洗練されない歌に価値はありません。 結局、小名木男爵のされていることは、既にご自分のお持ちのノウガキを、意味が曖昧な和歌にこじつけるということです。
更にそのノウガキたるや、ご自分の本の宣伝ばかりです。これが商業右翼といわれる所以でしょう。 >>709
粗製乱造極まりないですね。
以前にも申し上げたとおり、小名木善行さんが本当の尊王思想家であるなら10年位の謹慎を宣言するところです。
もちろん小名木善行さんは、商業尊王思想家なので謹慎などしません。そもそも本当の尊王思想家であれば、こんなにひどい間違いは犯しません。 小名木善行さんには、今後陛下の記事を書くときには、まず宮城遥拝をされることをお勧めいたします。
少しは頭も冷え、冷静に記事の推敲ができるでしょうから。でも無理かも。 2017年の説明引用
本来であれば、こうしたことは、メディアが長い時間を割いて、元旦の放送にすべきことなのです。
陛下の新年のご感想の全文を放送し、
また、陛下の御製を前に、コメンテーターの人々が、陛下の御製の持つ深い意味について、互いに語り合う。
そのような特別番組が、元旦くらい、繰り返し放送されても、ぜんぜんおかしくないことです。
2018年の説明引用
もったいないことですが、今年もまた元日御発表の天皇陛下の新年の御製の解説をしたいと思います。
本来であれば識者の方々がメディアを通じて臣民にしっかりと御製の示す意味を解説すべきことです。
残念ながら、そうしたものがまったくありません。
不肖私ごときが行うようなことではないのですが、ご不敬を承知で、解説させていただこうと思います。
まるで、北朝鮮のテレビ放送ですね。テレビが将軍様のご意向を解説するのです。ねずきち男爵の姿はあの腹から声を出す女性アナウンサーと重なります。
とはいえ、陛下は将軍様のような意図はお持ちでありませんから、男爵は空回り。それが男爵が上皇に期待をかける理由でしょうが今上天皇が上皇になられるわけですから同じことにしかならないでしょう。
お気の毒なことです。 空回り、といっても結局は空回りのフリ、です。
男爵の目的は尊王思想の流布ではなく、信者の獲得です。手段は何でも良いのです。 >>709
御製のコピペミスと「平姓」とかいう謎の誤植はさすがに直したようですね。
>>711
ドガとマルラメの話をありがとうございます。男爵の記事と比べては失礼ですが、よっぽど為になりました。 >>709
>毎年新年の御製を紹介しておきながら、「植樹祭」「国体」「海づくり大会」の御製が毎年恒例で発表されていることをまさかご存知ないのでしょうか。そうだとしたら驚きです。
毎年コピペされているようですね。内容はお読みになっていない様です。
やはり毎日更新は無理が大きいのではないでしょうか。
とはいえ、それでも目からウロコといってくれる信者の方のみが残留するという意味では、良いテストなのかもしれません。この程度のことで疑問を持ってしまう人は信者の資格がないのです。
そういう人たちからの献金は受け入れがたいのでしょう。 >>715
これは陛下ご自身の御意向か宮内庁の意向かわかりませんが、御製の発表などにあたっては政治的な解釈がしにくいものを取り上げているように思います。
毎年同じ題のものを選ぶことによって更に政治利用をしにくくされています。
韻文はどのように解説しても、解説者の意向が反映されたものになります。解説者の意向を盛り込むことは、陛下のお言葉を利用して個人の意見を拡散することとなりますので、かまえて避けるべきものです。
小名木善行男爵のされているのは、御製を利用して個人の意見を拡散することそのものです。 最近は過去のトンデモの中からよりすぐった記事を再録しておられるようです。
もう昔コメント済なのですが、そのうちご説明 毎年繰り返し出てくるネタにFBで目からウロコというレスがつくということは、毎年信者が入れ替わっているということになります。
オリンピックプール三杯の黄金という話も時間軸がきわめていい加減です。
少し調べればすぐに、江戸時代の終わりころに世界に流通していた黄金を全部合わせてもオリンピックプール一杯の半分強しかなかったことがわかります。
その後採掘技術が向上して、今では全体でオリンピックプール三杯になったのです。ですから、日本にオリンピックプール一杯分の黄金があったとすれば、それは明治以降、昭和の時代になりますが、江戸時代より後の日本の黄金の産出量はそんなに多くありません。
ということでこの話は全くの嘘です。
Amazonの日本スゴイ本のコメントでもこれを指摘しているものがありますね。信者の方のコメントのようで遠まわしながら黄金の産出量が間違っていることを指摘しています。 強の記事、静御前は、以前の記事 静御前の舞 と同じですので過去のコメントを再録いたします。
この記事は義経記の内容を恣意的に翻案したものと推察致します。
そもそも義経がしずやしずの歌を静に贈ったということはありません。この歌は伊勢物語にもある古歌を一部変えたもので、もとの歌は
古の賤の苧環繰り返し昔を今になすよしもがな
です。"しずやしず"の歌も"古の"の歌も、はじめの5-7は"繰り返し"を引き出すための序詞で、文言自体に深い意味はありません。
更に"静"と"賤"は同じ音で、しずやしずとした場合リズムも良く、義経と静の関係を暗示するような意味もあるでしょう。
どちらにしても、伊勢物語の歌の意味もこちらの歌の意味も同じで"昔を今になすよしもがな"です。もう昔のことは返ってこない、という述懐です。
もちろん
以下引用
この「しづやしづ」の舞を、静御前が白拍子だったから「賤」て?ある、などと書いているものもあるけれど、とんでもない話です。
義経は、静御前を「苧環の花」にたとえているのて?す。
引用終
お得意の造反有利的解釈ですね。氏にとってはとんでもなく感じられることかも知れませんが、これが静の苧環の花、では繰り返しになりません。麻織の苧を巻いたもの、という詞が"繰り返し"を引き出す序詞です。
苧環、は花の苧環ではなく、麻布を織るための苧のことです。賤は、綾に対するもので賤機織は麻布です。麻の苧を績む作業(紡績作業)は糸を繰ることを何回も何回する作業ですので"繰り返し"を引き出すための序詞となります。
苧環の花とこれを結びつけるのは自然ではありますが、静を苧環の花に例えたと受け取るのは間違いで、あくまで二次的な意味です。ところで蛇足になりますが"賤"に対する"綾"は絹織物です。
賤を"賤しい"と受け取るかどうかですが、この時代に謙遜の詞として"賤しい"を使うことは自然のことですので(利仁芋粥のことにも用例がありますね)静本人が賤しいとへりくだるのを"とんでもない話です"とは不見識といえましょう。
(そもそもも賤機織自体が華やかな綾織と比較した上での粗末な織物という意味の謙遜表現です) 冬深きねやのふすまを重ねてもおもふは賤(しづ)が夜寒(よざむ)なりけり
明治天皇御製です。
「賤が」は「民の」ぐらいの意味です。
で、賤がなんだって?
おほみたからではないですか。 また、目からウロコだそうです。
まあ、あれだけ珍説尽くしですと、知らない人は目からウロコと考えてしまうかもしれません。
で、すぐにバレてにげられるから、同じネタが何回も流用できる。
マルチのご経験のある小名木善行さんとしてはおいしいビジネスなのでしょう。 ねずきち男爵、古事記本オマケキャンペーンになりましたね。
DVDが売れないのでしょうね。コメントが何もついていません。サクラにでも書いてもらえば良いのに。 >>729
DVDがうれないので、売れ残りの古事記本をおまけにつけて在庫処理使用ということです。
この際新年福袋とか出せばよかったでしょうに。 “歴史を学ぶと貴方の生活が劇的に変わります”
日々粛々と生きているので辞退申し上げます(笑)。 (ノ´∀`*) >>731
小名木善行男爵の記事、学ぶ と 學ぶ が混在してますね。コピペ元が違うのでしょう。 >>731
引用
私たちがこの物語を通じて「学ぶ」ことはたくさんある。
歴史を学ぶというのは、そういうことなのではないかと思うのです。
検証作業は、学者や、そういうことが好きな人に任せればよい。
私たちにとって必要なことは、どこぞのサイトに否定の文書が掲載されていたという「理屈」ではなく、この物語を通じて何かを得ることなのではないかと思うのです。
ですから、この物語を否定する人がいるというのなら、それはそれで良い。
その人には、そういう捉え方しかできなかったのだな、とボクは思うだけです。
もっと、はるかに大切なことを、その人は感じ取ることができなかった、かわいそうな人だとボクは思うだけです。
中略
「仮に」と申し上げました。青葉慈蔵尊にまつわる乙女たちの物語が、単に浪曲のための創作であったとしても、その物語は、終戦直後の国家を喪失したとき、
すなわち「ゼロ時」の出来事として、国を考えるときの重要なメッセージが含まれている物語として、伝えていかなければいけない話である、と思うのです。
従軍慰安婦のような、単に欲ボケの利権屋のねつ造物語と、国を大切にすることの重要性や、その他多くのことを教えてくれる物語と、一緒にされては困る。
それこそ、勉強不足というものです。
三つ目に、真実かどうか疑わしいから「広めるのはどうかと思う」という議論です。
ま逆です。
この物語は、広めなければならない。
ボクはそう思っています。
この物語の論拠となっているのは、掘元婦長の話だけです。
伝えられている事件が、あまりにも悲惨で酷い物語であるだけに、これを否定する論が出てくるのは当然のことと思いますし、そうした論調があることも十分承知しています。
それでも伝えなければいけない。
物語として、ボクはこのお話をご紹介しています。
引用終わり
ねずきち男爵の青葉慈蔵尊記事の一部です。
浪曲のための創作でも歴史として教えるとおっしゃっていますw >>733 すごいなあ、これ、もう「歴史」でも「学ぶ」でもないですやん。しいてあげれば「修身」じゃないですか。
文化や国籍が異なっていても、自他の歴史を学んで理解しあおうという態度のほうがよほど「歴史」的で「道徳」的です。 >>734
悪質なのは、それを史実がごとくに吹聴するところです。
百人一首などでも、文法、語彙を全く無視して、現代文のごろあわせでご自分の導き出したい "修身" 的結末に結び付けます。
それがゆえの頽廃芸術論的傾向なのでしょうね。
何をもって理想とされてもご自由ですが、拠って立つ証拠を捏造したり捻じ曲げたりされることはたださなければなりません。
言論の自由は基本的人権ですが、嘘の情報で人をだまして物を売りつけたり会費を取ったりする権利は保障されていません。へたをすると犯罪になります。 ねずきちさんも、大嫌いな支那起源の漢字のウンチク それも間違った に頼らないと、信者に目からウロコと言ってもらえないのですね。それで最近は、象形文字の記事が多くなっています。支那での起源を男爵が得々と語るのはご自分では気にならないのでしょうか。
神代文字の解説でもされたほうが良さそうに思いますが。出版の方も。 必、は心にノを追加した文字ではありません。字源が違います。
これもねずきち風語呂合わせですね。
書き順、支那ではねずきちさんのおっしゃるように心を書いてからノを書くようですね。日本では違うようですが。 >>737
必、と云う字の成り立ちについては調べずに書かれたのでしょうね。
ボロボロです。 引用
かつての日本人がとてつもなく優秀だったのは、子供の頃からこうして漢字を学んでいたことが重要な要素のひとつであったという側面は見逃せないものであると思います。
引用終わり
中国もそうでしたね。。。 櫻井さんに紹介されたそうです。
引用
『ねずさんと語る古事記』は、原文、読み下し文、現代語訳、解説が併記されているところがいいですね。古事記に何が書かれているのか知りたい人は解説文だけ読めばいい。もっと深く知りたい人は、自分の興味次第で他のところも読み進めていけばいいのです。
引用終わり
何が書いてあるか知りたかったら、現代語訳を読むほうが良いでしょう。岩波の物を転用されているんでしたっけ。
解説は小名木男爵のトンデモノウガキで、本文とは無関係です。 今日の記事より。
(引用開始)
わが袖は潮干に見えぬ沖の石の
人こそ知らねかわく間もなし
(わかそてはしほひにみえぬおきのいしの
ひとこそしらねかわくまもなし)
「涙で袖が乾く間もない、沖の石が潮干で見えない」とは、いったい何を指しているのでしょうか。
この歌は、単に恋の歌であり、相手の男性の心が見えないと訳されがちの歌です。
(引用終わり)
>この歌は(中略)相手の男性の心が見えないと訳されがちの歌です。
およそ日本語を理解する人間で「相手の男性の心が見えないと訳」す人はいないでしょう。
初句で「わが袖は」と言っているのに、どういう発想をしたら「相手の男性の心が見えない」になるというのですか?
でも男爵様は、そう訳す人がいてもおかしくないかのような書きぶりですね。序詞という概念を受け入れないとこうなってしまうのでしょうか?恐ろしや >>741
>この歌は(中略)相手の男性の心が見えないと訳されがちの歌です。
この、がち、というのは何なのでしょうね。自信がないならちゃんと調べて書けよと言いたくなりますが、ちゃんと調べちゃうと今度は自分のノウガキ展開の目的にあわなくなってしまうのですね。 今日のねずblogは宮沢賢治。 自己を宮沢賢治に重ねて自己陶酔丸出しです(笑)♪ (ノ´∀`*)クスクス >>743
引用
China語は、もともと一音一句で、熟語という概念がありません。
引用終わり
初歩的間違いがありますね。
よく推敲されんことを願います。 >>743
自己陶酔はいつものことですが、唐突ですね。 ところで昨日の記事の頭の写真が変っているように思います。
何か不都合なことがあったのでしょう。 >>745
自分が主宰する公開講座の参加者がどんどん減って精神的に焦っているのかもしれませんね♪ (ノ´∀`*) >>748
私も日心会に末端会員として入会してねずさんこと小名木善行こと伸太郎氏の『会計騒動』に巻き込まれたクチですが全くの時間と金銭のムダでした。
願わくは同じ様な『被害者』が出ない事を祈るばかりです。 (ノ´∀`*) >>749
Amazonで本を購入した人たちにも既に被害が及んでいますね。
やはり、消費者が賢くならないと、ウロコ詐欺に引っかかってしまいますので、正しい知識を広めてゆくことは重要です。 今日は三権分立について何かノウガキを垂れていますが、先日こちらのスレで、男爵の権限と責任についてのノウガキに関して、三権分立を理解していないというコメントがあったことに対する言い訳でしょう。
こんな辺境スレのコメントを気にして言い訳する男爵、かわいらしいものですね。
それでも結局は理解できずに馬脚を現していますが。
引用
本来、権力と責任は一体であるべきものです。
ところが、権力が最上位にあれば、誰もその最上位権力者の責任追求などできません。
「いやいや、総理の政治責任の追求をしているではないか」
という人もいるかもしれません。
しかし、それができるのは、その権力者が、自分の持つ権力を、自己の意志で部分的にしか行使していないことによります。
反対者を粛清して頬かむりできるのが、そもそも最高権力者なのです。
「そんなことはない。日本は三権分立だ」という人がいるかもしれません。
では、国家の非常大権は三権のどこにあるのでしょうか。
引用終わり
非常大権を作ったら、それこそ誰も責任を追及できなくなるのですよ。
三権分立であるからこそ、安倍さんが総理としての行政権限を本人やお友達の利益の為に使ったのではないか、と言うことを司法権を持つ裁判所で裁くことができます。贈賄の禁止は立法権を持つ国会が作った法律で決まっています。
安倍さんが選挙で勝ったからモリカケがないことになったわけではありません。モリカケの件に関しての "忖度" に安倍さんの直接の意思が働いていたのであれば、それは犯罪で、国会の決めた法律を破ることであり、裁判所の判断によっては処罰の対象になります。
これが権限に対する責任です。
非常大権は三権を統合したような権利になりますから、この行使には強い制限が必要になります。例えば千葉県で大災害が起きた場合、日本全国に対して非常大権を行使できる事にはできません。非常大権下では権限者はやりたい放題になります。
男爵が大嫌いだと思われる、リベラルな政権が成立したときに非常事態が発生し、政権が非常大権のドサクサにまぎれて韓国に慰安婦について公式に謝罪したらどうしますか? と言う話です。非常大権行使下の権限逸脱に関しては、ねずきちさんが大好きな切腹、とでも定めておくのでしょうか。 大切なことなのでもう一回w
>しかし、それができるのは、その権力者が、自分の持つ権力を、自己の意志で部分的にしか行使していないことによります。
三権分立の場合には、内閣がもっているのは行政権だけです。自己の持つ権力を自己の意思で部分的にしか行使していない、わけではなく、事故のもつ権力が行政権だけだと言うことです。
内閣がどのように金を使うかは、国会の予算審議を通じて決まります。勝手に好きなだけ金が使えるわけではありません。男爵は、勝手にいくらでも使えるけれど遠慮しているだけだ、とお考えなのでしょうか。
ところで歌御会始めですね。
陛下の御製は
語りつつあしたの苑を歩み行けば 林の中にきんらんの咲く
です。
明日のブログ記事あたりで、この御製の上の句と下の句のベクトルが何を示しているのか、畏れ多くも、という枕詞つきで小名木善行男爵のノウガキを読むことができるのでしょうか。wktkです。 男爵が解釈される前に、不肖私が男爵風解釈を試みてみましょう (これは私が男爵の心を "察した" 内容であり、畏れ多くも陛下のご心情とは全く関係のあるものではございません)。
以下、小名木善行風です、
天皇の歌のことだけを、御製(ぎょせい)と言います。
皇后・皇太后・皇太子などの詠まれた和歌は御歌(おうた)です。
それ以外の人の詠んだ歌は、単に歌と言います。
歌御会始めの天皇陛下の御製は、新年にあたって陛下がおおみたからにその一年を進んでゆくべき方針をお示しになるものです。
平成三十年歌御会始めに陛下は
語りつつあしたの苑を歩み行けば 林の中にきんらんの咲く
とお詠みになりました。新聞などはこの御製を、
皇后陛下とご一緒に朝の庭をお散歩になっていると、木立の中に金蘭の花が咲いているのを御見つけになった
と解釈しています。しかし、天皇陛下として公式な立場にある人が、このように妻との朝の御散歩の御歌などを歌御会始という公式の場に発表するものでしょうか。
全然ちがいます。
ここでは「あした」は、一般に受け取られる朝と言う意味ではなく、現代語の明日そのままの意味です。天皇陛下は明日、つまり国の未来を考えながら庭を歩いておいでなのです。
そして、いくらかの障害、林のなかの木の障害物を乗り越えながら歩いてゆくとその中にきんらん、つまり新たな反映を見つけ出すことができる、と国民に詔されているのです。
以上
引用、再使用はご自由ですが、内容に関して責任は持ちません。 ところで最近、画像の下にコメントがついていますね。
>(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。尚、本日の画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
というものです。画像を勝手に使用されて、関わり合いだと思われて迷惑したところから抗議でも受けたのでしょう。 >>751 これ、普通には「独裁」ですね。
権力の集中を避けると同時に、個人には責任の限界がありますから、権限とともに分立させ、ラインとスタッフにさらに責任を細分化させる組織をどうしても理解できないのでしょう。
ねず流の国ではむしろ責任がウヤムヤで、権力者がやりたい放題になってしまいます。あれ、これは現総理が目指したい戦前の日本では・・・。 ジグソーパズルの記事、昨日から追加されてません?最後の部分に在日罵倒のヘイトスピーチがありますが昨日斜め読みしたときはきづきませんでした。
ランキングの順位対策でしょうか 自然科学の面でも、全く理解されていないことを何かトリビアの用に持ち出しては恥をかくタネを撒いておられます。
引用
一日は24時間に1秒足らないのだそうです。
その足らない1秒が4年蓄積されると、うるう年の24時間になります。
まさにチリも積もれば山となるです
引用終り
以前に閏秒のノウガキを書かれた時にコメント差し上げました。
今更訂正できないと言うことはわかりますが、わざわざ間違った記事を再掲するのはいらない恥を晒すことです。
一年は365日ですから、一日一秒づつ多くても一年でたかだか6分の違いにしかなりません。
それが四年分まとまっても24分です。さらに、もし足りないのであれば四年ごとに24分減らす話です。
潤年は四年ごとに一日増やしています。
閏年は平均太陽日の積み重ねのカレンダー年と実際の地球と太陽の位置関係で決まる太陽年をシンクロさせるためにも受けるものです。
時たま発生する閏秒と、閏年には直接の関係はありません。
元々、閏秒という名前をつけてしまったためにねずきち男爵のような方が間違いを犯す結果になるので、名前の付け方が悪いのかもしれません。
でも、天文学界も主題と関係も無いトリビアを持ち出していらない恥をかく人のことまで面倒みられませんよね。
とにかく、こういう大間違いをはずかしげもなく吹聴する人が、シラスだの何だのと仰っても有有難味がありません。 引用
自分のやっていることは、なんだかこのジグソーパズルのピース集めのような気がします。
戦後73年の間に、壊れてバラバラになってしまった切片を集めて、再びその素晴らしさ美しさを表に出す。
けれどそれはジグソーパズルの切片にすぎなくて、部分ではなかなか元の絵の素晴らしさが見えてこない。
引用終わり
男爵のやっている事は、綺麗に出来上がっているジグソーパズルを壊して、結果がご自分の好きな形になるように、間違った切片を無理やりはめ込んでゆくという作業です。 >>759 小名木氏には、「脱構築」ということが永遠にわからないでしょう。
ということは、現代の歴史研究の流れも永遠にわからないということです。 >>760
小名木善行さんは、天皇陛下も歴史もどうでもよいのです。これらは彼に取ってはただの焼畑です。
収穫が上がらないようになれば別の焼畑に移るだけです。 >>760 ありがとうございます。様々な新発見があって、あんなに面白い歴史研究の成果があるのに。
ご自分の世間だけで歪な「ジグゾーパズル」を楽しむのでなく、焼畑ビジネスにしているところがなんとも・・・。 >>762
元々マルチらしいので、会員集めはお得意なのでしょう。集めるネタは飴玉でもなんでも良いと言うことなのでは? >>765
小名木善行先生は、歴史も文学も政治も専門家は相手にしてくれない中で、真剣にw相手にしてくれる2/5ちゃんねるの読者は大切にしなければなりませんね。
朝敵とまで言ってくれる。名誉なことです。 ねずきち男爵、いまだに頽廃芸術論ばかりですが、万葉集の第一歌が恋の歌だと言うこともご存知ないのでしょうね。万葉集にはその他にも相聞歌が多数あります。
男爵の頽廃芸術論を見ていると、北朝鮮の将軍様がポルノ (北朝鮮のポルノと言うのがどういうレベルのものか知りませんが) にかかわった喜び組の人たちを死刑にしたという話を思い出します。
結局ねずきち男爵の精神的成熟度はその程度のものなのです。
素性法師の歌に及んでは、いまだに "ホモ" と言うような言葉が出てきてしまいます。百人一首の中だけをとっても、男が女の立場で呼んだ恋の歌など他にもあります。そもそも小名木善行氏が敬愛するとおっしゃっている定家の歌自体が女の立場に立って読まれた恋愛の歌ですw。
結局は小名木先生が大好きな戦争、戦没者物に結びつけるための曲解と、貶められたと言う被害者ぶりで効果をあげようという意図が明白です。この歌を女性の立場に立った題詠と説明する研究者はいますが、男爵がおっしゃるように素性法師と男性との関係と解釈する人などどこにもいません。
それをあくまで、そのような解釈をする研究者がいるかのように主張し続ける、これは、以前から言われている、シャドーボクシングです。 小名木善行さん、今日は妙に歴史的仮名遣いにこだわっています。
この際、おろち も見直していただきたいものです。 小名木善行さん、FBで 小名木善行ねずさんと学ぶ会 に、なかったことにしたい過去記事を蒸し返されてますね。
苦しい言い訳をされています。なかったことにしたい記事は抹消のほうがよろしいのではないでしょうか。 >>768
この歴史的仮名遣いは何を参考に書いたのでしょうか、間違いだらけなんですけど。ひとつひとつ辞書引いて書いた方がいいですね。
とりあえず「胞衣(えな)」をご存知なさそうだということはよくわかりました。 >>770
そうなんですよ。
>この字の読みは、音読みが「ホウ」で、いまでは訓読みがありません。
"今では" と言うのがCYAなのです。実は私もこれを見たとき変だなあと思って辞書引いちゃいました。やっぱり変でした。
結局、信者の目をくらますにはあの程度で十分ということでしょう。問題を指摘できる人は、信者であってはならないのです。 >>770
私は丸谷才一の作品が好きです。多分小名木善行さんはサヨクだから日本人じゃあないとかおっしゃると思いますが。
裏声でうたへ君が代、とか、笹まくら あたりは小名木男爵に読んでいただきたいものです。推薦図書です。
以前にもご紹介したと思いますが、丸谷才一は 後鳥羽院 という和歌の鑑賞書を書かれたときに、現代仮名遣いの本文で歴史的仮名遣いの和歌を鑑賞する文章の不自然さが気になって、それ以後の著作を歴史的仮名遣いに変更されました。
更に、仮名遣いについては彼自身が規定したものがあります。
後鳥羽院 は現代仮名遣いのままだったのですが、後年になってから 後鳥羽院 第二版 を出版され、それは歴史的仮名遣いになっています。この位の真摯さがなければ言葉についてのノウガキを垂れる資格はありません。
小名木善行さんが付け焼刃でトンデモ旧仮名を振り回すことには嫌悪感しか感じません。國語問題協議會等に関しても同じ感覚を持っています。
ご自分の不勉強を恥じずに、過去の資料が読めないのはGHQのせいだ、などとおっしゃる。少し興味があれば誰でも読めるのに。
そして、読めない、と言うことを強調してご自分のノウガキを正しいものかのように喧伝します。
次は日本書紀を出す予定なのでしょうか。信者がどこまで 目からウロコ とついてくるか見ものですね。 そもそも「ゑ」はわ行なんですよね。や行は「え」です。男爵さまは何をおっしゃっているのでしょう?
>>772
個人的に現代口語を歴史的仮名遣で記述するのは違和感を覚えるのですが、丸谷才一氏は好きです。 >>770
ねずきち男爵、最近は字源にも御執心なのですが、漢字が伝来した時点で既に楷書ですからねえ。篆書以前の状態で伝来したのであればいざ知らず。
信者に 目からウロコ と言わせるためには最適の素材なのでしょうね。日本人の中には 漢字を沢山知っている人 = 頭がいい 見たいな感覚がありますし、男爵の暗記偏重教育の否定やそれに対する罵倒は男爵のコンプレックスの裏返しですから。
ご自身の経験を元に信者の方々のコンプレックスに着けこんで集金を図る。マルチの悪党のお手並みと言うことです。 近代偉人伝みたいなものの方が害がありませんね。
でも
>それには理由があります。
>日本人だからです。
これが全然わからない。
これも
>その答えは、日本人(日本に住んで日本語を話し日本人のような顔をした日本人でない人は除きます)の誰もが常に生涯を通じて「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める民だからです。
>そのことが日本人には、魂に刻み込まれています。
>DNAであると言っても良い。
つまり、反対した人意外は全会一致でした、と言うことでw。ご自分のノウガキに合意する人だけを母集団としてしまえば、全員合意も夢ではありませんね。
しかし、戦前でさえ複数の意見の対立と言うものはあったようですね。
ねずきち男爵のノウガキと言うのはいつもの事ながら大河ドラマ的、もしくは朝の連続テレビ小説的お花畑に満ち満ちています。すべての人は善意を持っていて、悪意のある人はストーリー外です。 日本が壊れない理由とは、いくらインターネット上でねずきち男爵のような人たちがわけのわからないノウガキを垂れ流してもそれが影響を与えるのは極めて限られた範囲でしかないという事実です。
ある程度の知的レベルの人はねずきち男爵のBSにはだまされませんし、ねずきち男爵は元々そのような人たちを目標にはしていません。小名木善行男爵のBSを受け入れるレベルの人たちから如何にキャッシュフローを作り出すかと言うことが男爵の目標です。
そういう信者の方たちも、ある程度の金額を入れあげた段階で現実に目ざめます。そういう意味では男爵の自称される啓蒙家というタイトルは全くのはずれと言うわけでもないのかもしれませんw。願わくは男爵の "啓蒙" 活動が更に効率的にならんことを。
そのようにして、小名木善行男爵の焼畑が更に縮小することは、日本の蒙人口が減少する事を意味しますので。 今日のドンマイダンス的挿絵は一体どこから持ってきたのでしょう。リンクを見ればいいだけですが、それさえ面倒くさくなります。
ところで、
>長男だけを可愛がるという風習は、Chinaから渡来した儒教文化です。
男爵は分割相続をたはけ (田分けではありませんよ) と言って攻撃されていましたね。ノウガキに一貫性をきたいするほうがまちがっているのでしょうね。 アートバンク(著作権者)に連絡した方がよいのでは? >>778
hpでの使用は6万円ですね。
お金を払っていたら、わざわざ注釈つけないでしょうからね。 引用
以前に「江戸しぐさ」をこのブログでご紹介したことがあります。
ところがその「江戸しぐさ」について、これを普及しようというあるNPOがあります。
普及してくれようとするその目的はたいへんありがたいのですが、そのNPOがなんと言っているかというと、そのまま転載するとどこと特定されてしまうので要約しますが、
「幕末戊辰戦争のときに、江戸庶民が大虐殺されて江戸っ子はほぼ全員死んでしまった。
自分たちはそのなかで生き残った僅かな江戸っ子で、江戸しぐさを継承する唯一の団体である」
と、このように主張しているわけです。
いったい、いつ江戸庶民が虐殺されたというのか。
まったくもってファンタジーとしか言いようがありません。
ちなみにその幕末期、まさに江戸で開業医をしていた「庶民」のひとりに、手塚治虫さんの祖父がいます。
引用終わり
いちいち釈明していただく必要はありませんし、そもそも釈明になっていません。
話題をすりかえてフェードアウトしようという意図が、よくわかります。
FBのサクラグループと連携を取って、過去の問題のある記事を持ち出さないようにお願いしておくほうがよいでしょう。でも、信者に、あの記事には問題があって、とはいえないのでしょうね。
江戸しぐさについては、すでにフェードアウトしたおつもりだったのに、ナイーブな信者が持ち出して笑いものになってしまったことをごまかすために第三者叩きをしています。 >>781 語れば語るほど、ドツボに落ちていく感じですね。そもそも片仮名の「ア」の成り立ちから間違えている説得力の無さであります。 >>782
男爵の字源、仮名などのノウガキは、落語によくある知ったかぶりで失敗する噺にそっくりです。
神代文字が五十音であることが神代文字否定の根拠なのに、それを証拠として持ちだす。古事記を少しでもかじったのであれば、上代特殊仮名遣いの名前くらいは知っているはずですから、男爵は極めて不誠実に信者を騙していると考えられます。 >>782
見れば見るほどですね。
昨日も、FBの過去記事で、安倍仲麻呂の歌の ふりさけみれば が枕詞だと説明している物を再掲しています。恥の上塗りですね。 >>783
サクラの反論も虚しいですね。外国人のため??? 中国人が多かったんでしょうか? >>786 ヒッタイトのことなど知らないのです。製鉄の残滓を含めたヒッタイト遺跡を30年掘り続けている日本の考古学者がいて、トルコ政府から感謝、賞賛され博物館まで出来ていることなど、絶対にご存知ないのです。
もちろんこの先生がスゴイのであって、日本人エライ!にはつながりませんが、このような方々の活躍が、日本人の信用を高めてくれていることは事実です。
全くの口吻の徒であるねず男爵のやってることの効果は、その逆であります。 今日の記事ではご自身のノウガキがトンデモであることを認めていらっしゃいますね。
トンデモ説を発表したために世間から爪弾きされている被害者のかわいそうなねずきち、というぶりっ子まるだしです。その上で大量の強力ブーメラン。楽しい小名木善行男爵でした。 >>788
とはいえ、20年でも100年でも、男爵のノウガキをまともに取り上げる研究者などでてくる訳がありません。爪弾きにするのは私のような2/5チャンネルの暇人位のものです。そこがまた男爵の癪の種なのです。
放置プレーが一番応える男爵です。 ねずきち男爵、何か新しいことを始めるととおっしゃって居ますが、何が新しいんでしょうか。
戦前は普通だったことといつもおっしゃっているのですが。 引用
和歌も、戦後に、テニヲハを工夫するだけの文字遊びのようにされ、とりわけ古典和歌は中高年のふしだらな男女の恋愛ソングのように扱われるようになってしまいました。
引用終わり
中高年の、というのがよくわからないのですが、もしかして最近は古典を学ぶ前の若い年代の信者獲得を目指しておられるのでしょうか。
次のご著作は、日本書紀などという一般ウケしないものではなく、世界に名高い源氏物語などいかがでしょうか。
鼠源氏の草紙? 江戸紫マルチ源氏? >>791
引用
和歌も、戦後に、テニヲハを工夫するだけの文字遊びのようにされ、とりわけ古典和歌は、、、
引用終わり
小名木善行さん、ご自分の古典語彙、文法の無知を認識しておられますね。小名木善行さんは、普通の古典知識を持った人なら工夫などしなくてもできることができないので、その部分については必要ないこととして罵倒しておられます。
数学ができない中学生が、数学なんて大人になれば必要ない、と親や先生に文句を言っているようなものです。学校ではずっとそういうことをされてきたのでしょう。 >花言葉は、『謙譲』そして『愛らしさ』です。
小名木善行さんにも見習っていただきたいものです。愛らしい方はキモチワルイので見習わなくて結構ですけど。 今日の記事も、初っ端から「昌平坂学問所」の正式名称が「昌平黌」であるという間違いから入っています。
それから、コピペ&ノウガキを繰り返すという典型パターンが見られる典型だと言えるでしょう。 昨日の「昌平坂学問所」の記事の間違えを、古文書を提示して指摘したコメントを投稿しましたが、無視されています。
訂正すればいいのに、信者や読者をバカにしてるんでしょうね。 >>795
小名木善行さんの行動はすべて意味不明なのですが、最近の漢字トリビアは特に異様です。
そもそも善行さんは中国嫌い。善行さんのお友達も皆そのようなのですが、しかし漢字については妙なこだわりを抱いておられるようです。
また、歴史的仮名遣いなどについても思いいれはお持ちのようですが、それを使いこなすだけの能力は備えておられません。
知ったかぶりの古典知識をふりまわされたりしますが、実はコピペばかりなことは、文法の不備、音韻に関する無知、語彙の不足からすぐにわかります。
敵性言語である中国の漢字の成り立ちを得々と語る (それもいい加減な内容の) 小名木善行さん、不思議です。
この際、自転車を オノコロクルマ と読みかえるような大和言葉回帰運動でもされればいかがかと思うのですが、とにかくノウガキが場当たり的です。その時々に信者の気を引ければそれで良い、というお考えなのでしょう。
更に、現代日本人が歴史的仮名遣い、旧字体の漢字などが使いこなせないことに関しては、GHQの責任だと被害者意識を丸出しにされています。
これは、ご自身の無能を占領軍に押し付けようと言う考えであることは明白なのですが、更に男爵の韓国批判にはしばしば被害者意識というような指摘が含まれており、全くのブーメランというべきものです。
現代仮名遣いについては、明治時代の正岡子規が既に発音どおりの記述とか拗音発音の記述法の必要性について指摘しています。国語審議会は戦前から国語の標準化の為に活動しています。
標準化活動と言うものは小名木善行さんのノウガキ、ウンチク活動とは相反するものですが、標準化された成果によって教育をうけた人たちに取って、小名木善行さんのノウガキが目からウロコと感じられるケースもあるのかもしれません。
但し小名木善行さんに取って残念なことには、ウロコステージはすぐに終了してしまうようです。 >>795
小名木善行さんはご自分に都合の悪いものを華麗にスルーするメンタリティをお持ちなのです。
とはいえ、最近ノウガキ記事はかなり荒れています。能力不足に気づきつつ、その降らすとレーションのやり場がないということでしょう。 2月11日は建国記念日ではなく『建国記念の日』です♪ (ノ´∀`*) >>799
建国記念の日は1966年に再設定された国民の祝日ですね。元々は紀元節とされていたと思います。
しかし、この日取りも、天皇の在位期間が長すぎる問題を解消するために小名木善行さんが唱えている収穫期説を当てはめてしまうと、違ってきてしまいます。
今年は皇紀2678年と言いますが、初期の天皇の在位期間が半年を一年としていたという事になると、縮んでしまいます。
小名木善行さんは、このほかにも歳は月を表わすという珍説も唱えておられました。その時々の思いつきで口からでまかせをおっしゃるので、つじつまがあわなくなるのです。
もし歳=月という計算にしてしまうと所期の天皇の在位期間は半分どころか1/12になりますので、更に皇紀の期間は短縮されます。
小名木男爵のお仲間の竹田さんという方も、神武天皇の即位は紀元前60年前後という説に合意しているようです。
このあたりの数字の矛盾を解明しようとせずに、ランダムに思いつきを垂れ流す小名木善行さんからは、まじめに日本史の解明に取り組もうという姿勢がうかがえません。 >>800
二つの記事で違うことを書いているのです。
http://nezu621.blog7.fc2.com/b-log-entry-3641.html
新しいことを始めると
引用
たとえば神武天皇は127歳(時年一百廿七?)、垂仁天皇は130歳(時年百??)と書いてあります。
なるほど、数字だけを見たら、長すぎるといえる寿命です。
しかし、原文を見れば「時年」と書いてあります。
この時代の「年」は、稲の収穫から次の収穫までを表し、当時は二期作です。
つまり年というのは、いまでいう半年のことです。
要するに神武天皇は63歳、垂仁天皇は65歳で崩御されたと記述しているのです。
引用終わり
http://nezu621.blog7.fc2.com/b-log-entry-3645.html
建国宣言とその内容を教えないという哀れな国とは
引用
引用神武天皇は、天皇御年137歳であったというのは、寿命のことではなくて、天皇としての御在位が137歳であったという意味です。
そしてこの時代の「歳」は、いまでいう「月」のことをいいますから、神武天皇はおよそ11年、御在位されて崩御されたのだということを古事記は書いているわけです。
そのように、現実に即して読まなければ、いつまでも子供のような読み方しかしていないのでは、これを説く側が子供扱いされてしまうのは当然のことです。
引用終わり
例えば今上天皇のご在位期間について、月単位、半年単位、年単位での記述を混在させるようなことはしません。現在では、何年何ヶ月と申し上げます。
過去の日本人はそういう整然とした考え方ができなかったとおっしゃっているのでしょうか。
神武天皇崩御のご年齢が127歳ではなく63歳であったとすると、また、他の天皇方の崩御のご年齢ももっと若かったとすると、今年は皇紀2678年ではなくなりますね。上に書いたように、2100年よりも少し少なくなると言われています。
ただの伝承ですから、皇紀2678年とするのであればご高齢でも構わないと思っています。
元々近世になって逆算して暫定的に作り上げたカレンダーですから、それが真実であるかのように嘘で塗り固めるほうがよほど不誠実な態度ですし、突っ込まれるたびにオタオタされるのはみっともないことです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています