日本書紀には、欽明天皇15年(554年)に百済を通じて、元嘉暦が伝えられたと記述されている。
しかし、戦時中の小川清彦氏の研究によって、安康3年(456年)8月1日の記録が元嘉暦であると明らかになった。
南朝の宋で、元嘉暦が制定されたのが元嘉22年(445年)のことである。
倭(日本)で元嘉暦が使われ出したのは445年から456年(安康3年)の間ということになる。
450年に百済が宋に遣使しているので、この時に元嘉暦が百済に伝わり日本に伝わったとも考えられる。
もしくは、451年に倭王済が宋から安東大将軍に任命されているので、この際に、直接日本に伝えられたとも考えられる。
従って、我国で元嘉暦が使用されるようになったのは450−456年の間である。
おそらく、西暦370年前後の人物である神功皇后の事績については、日本書紀が書かれた時点では年代不明だった。
そのために、248年に没した卑弥呼を、神功皇后と混同したのであろう。