【考古学】富雄丸山古墳、木棺から「三角縁神獣鏡」発見か 被葬者は巫女の可能性 [すらいむ★]
富雄丸山古墳、木棺から「三角縁神獣鏡」発見か 被葬者は巫女の可能性
国内最大の蛇行(だこう)剣や盾形銅鏡が見つかった奈良市の富雄丸山古墳(直径109メートル、4世紀後半)で、墳丘から張り出した「造り出し」の木棺から、青銅鏡や漆塗りの竪櫛(たてぐし)が見つかり、市教育委員会が13日、発表した。
いずれも邪を払う意味があるとされ、被葬者は呪術性を帯びた特別な巫女(みこ)の可能性も浮上し、当時の葬送儀礼やヤマト王権との関係を考える上で重要な資料になりそうだ。
(以下略、続きはソースでご確認ください)
産経新聞 2024/3/13 18:15
https://www.sankei.com/article/20240313-2JP3RRBYPJLIXIRSHQMSYPNUMA 日本人 : 日の巫女です (太陽の巫女です)
中国人 : 何が太陽の巫女だ! 何が日巫女だ! 卑巫女で十分だ 卑弥呼だ 卑弥呼は百済の奴婢って何度もいってるやろジャップ
朝鮮奴婢だってことを隠すな豚足チョッパリは >>3
>>6
二世紀に没した卑弥呼が、四世紀後半に作られた古墳に葬られているの? 当時の日本人の発音を当時の魏国の人間が耳で聞いてわざわざ悪い意味で書いた名前が卑弥呼
実際の意味は日巫女とかだと思ってる >>10
時代は下るが、「卑」も「弥」も「呼」も中国では類書の親字になっている。
つまりそれだけその音を表すのに頻用される文字だった、ということ。
だから倭語「日巫女」を表記するのに「卑弥呼」で何の不自然もない。
それから、「姫」は時代が下ると「ひめ」と表記されるが、記紀万葉や神名など、時代を遡るほど「比弥」と表記される率が高まる。
よって「卑弥呼」は「姫子」だった可能性も否定できない。 取りあえず天皇陵全部発掘しようよメンドクサイ
そしたらもっと時系列整理出来るだろ? 卑弥呼も壱与も国書を奉じているので聞き取り説は成り立たない 卑弥呼とトヨとが天皇家の大祖先だが、皇室は代々これを隠ぺい
中国王に朝貢した祖先の存在を消したかった >邪を払う意味があるとされ、被葬者は呪術性を帯びた
鏡と櫛だろ。 ただの女性用化粧道具にしか見えないけど。 卑弥呼とか神武とか言ってるヤツって何を根拠にそう思ってるんだ?
歴史音痴どころの話じゃないぞ、国籍すら疑うレベル >>22
何を根拠って、卑弥呼は魏志倭人伝、神武は古事記、日本書紀だろ。
そんな事も知らんのか、日本人か疑うレベル。 ああ、これで下らないお墓の規格化説もお終わりだね
円墳だから彼らの言う「古墳」じゃないもんね
4世紀になっても統一されてませんと >>23
倭国は2世紀から7世紀まで
女帝と男帝が並立してた可能性が極めて高いからな >>25
>>22は当該古墳が卑弥呼や神武と関係するってはしゃいでる連中を腐してるんだろ >>19
鏡は木棺を覆うように鏡面を内向きに張り巡らされてるのが見つかってる >>27
卑弥呼はともかく神武は実在すら怪しいからな
もしいたなら空白の4世紀にしかあり得ん >>31
>もしいたなら空白の4世紀にしかあり得ん
それでは、計算が合わな過ぎ。
稲荷山古墳鉄剣銘に、辛亥の年(471年)に記すからはじまって、
オワケノオミまでの8代の系譜が書かれていて、上祖は、オホヒコとなっている。
記紀にあるオオヒコのミコトは、第8代孝元天皇の第1皇子で四道将軍の1人
だから、オオヒコは、一代25年として、175年は前の人物。
そうすると、神武天皇はその8代前の人物だから、2世紀後半から3世紀の人物となる。
つまり、卑弥呼の弟王あたりが、神武天皇になる。 卑弥呼は、倭迹迹日百襲姫命だから、弟王と記されているのは、崇神天皇のことでしょ 欠史八代をでっち上げだとすると、崇神天皇すなわち
「はつくにしらす」が初代の大王という可能性も高い。
倭迹迹姫命とオオヒコは、同母の兄妹だから、そのあたりまでは
実在したのだろう。
倭迹迹姫命が、倭迹迹日百襲姫命と同一女性なのか
トヨとヒミコの事なのかもしれない。 鏡が出たら即呪術とか意味不明。
日本の考古学者はオカルトポンコツ学者 邪馬台国=ヤマト国=大和国=大和は奈良で決まりなんですか。 崇神天皇の皇女が、豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)だから、
トヨなんだろうね。 >>13
>よって「卑弥呼」は「姫子」だった可能性も否定できない。
コはどうなんだろうな
大陸の史書ではヒミコという記録だが
日本語の古層では
ヒコ ヲトコ ムスコ ムコ
ヒメ ヲトメ ムスメ ヨメ
というコ=若い男、メ=乙女の対比だから
コは男の方に付く接尾辞だ
なのにヒメ+ヒコみたいな名前になってる
ミコトと関係あるのだろうか
ヒコミコがいるのだから
ヒメミコがいても不思議はない でもさ―、富雄じゃさー、なんかカッコつかねえじゃん?って奈良県民なら思うよな >>41
うちには畑から掘り出した金印がある
公開すると国に取られてしまうから隠している 日本書紀や古事記よりもよっぽど魏志倭人伝のほうが信頼度が高い
書いてある内容は正確度に難があるとしても後の政権の意思が入っていない 今回の富雄丸山古墳は4世紀中頃とされているから3世紀中頃の魏志倭人伝よりは後の時代
一方、応神天皇陵などの巨大古墳は5世紀前半、なので富雄丸山古墳は魏志倭人伝と倭の
5王の間の時代という中国史の空白期ということになる?
前方後円墳の箸墓古墳と違って「作り出し」付円墳だから、皇族に対する外戚のような有力豪族の墓かも
葛城氏よりも7前に「外戚」の概念があるかだが・・・。中国の鮮卑には妃を出す一族が居たようだが。 今回、粘土槨の中の木棺はコウヤマキでしかも発掘調査時の公表写真では外皮付きに見えたたから、
材木切り出し時期(古墳のメインの埋葬者ではなく作り出し部の埋葬者だが)は確定するだろう。 一丈蛇行剣を作製した集団の技術は中国や朝鮮の製鉄技術を再現する政治的に重要なアピールになっただろうとニュースでやっていたけど、
肝心の中国は五胡十六国時代だったんで時期が悪かっただろうな このスレの住人的には卑弥呼=張琪瑛説はどう反論する? >>48
中国や朝鮮に対してってこと?
誰がそんな事言ってるんだ
渡来人がやっただけで大したアピールになってないだろ 製鉄って簡単に言うが鉄の製錬は当時はできてないからな 長い刀や呪術具と一緒に埋葬か
復活したときのために備えられたのかな 卑弥呼から以降200年間くらいの実際の歴史は想像されていることと随分違うんだろうな
タイムマシンが欲しい >>53
推古の時でさえ
昼は男王が夜は女王が
って言われてるからな >>32
471年の剣の主がオワケノオミ、その上祖オオヒコが7代前で175年前
オオヒコが八代目天皇の子だから神武は8代前でその200年前
つまり神武は471-175-200=96年くらい、1世紀後半か2世紀前半なんじゃね?
あんたの説の通り計算してみたらそうなりそうなんだけど >>36
普通に考えたら、日(太陽)の巫女(ひのみこ)みたいな感じでしょ 「卑弥呼」が役職名ならば「台与」は何なのか?
「台与」を役職名もしくは個人名だとして
「卑弥呼」と「台与」の間にいたという男王の
役職名か個人名が伝わっていないのは何故か? 伊勢神宮外苑には豊受姫が祭られている
アマテラスと豊受姫
卑弥呼とトヨ
より
アマテラスと卑弥呼 、豊受姫とトヨ
見事に一対一対応している >>64
ところが、それだと、倭迹迹日百襲姫命が浮いちゃうんだよ。 >>64
それに、日本書紀の編纂者たちは、魏志倭人伝を参照しながら書いていて、
卑弥呼を、神功皇后のことだと勘違いしている。
それで、いろいろと歪められてしまっているんで、神功皇后も浮き気味。 >>60
狗奴国に卑弥弓呼(ヒミココ/ヒミクコ)もいる
男だということになってる >>40
オス オジカ
メス メジカ
という対比もあって
これは生活に根ざした言葉だから
更に古い日本語の層だろう
オ=雄、メ=雌
コ=若人、メ=乙女
は家族制度や首長制と関係があって新しいのかもしれない
メは共通しているから
コにオ/メとは違う特殊な意味があるのだろう
ヒミコ、ヒミココ >>67
固有名詞が伝えられた人と
そうでない人の違いは
重要な理由があるんでしょうか アマテラス=卑弥呼、これで大体神話と歴史が説明つくだろ。公然の秘密。 >>70
>大体神話と歴史が説明つく
いやそれが全くつかないんだよ。
卑弥呼の没年は西暦248年だから、もっともっと昔の人じゃないと年数的に説明が付かないんだよ。 記紀の年代はかなり誇張創作されているから卑弥呼とアマテラスの実年代は同時期と考えても成り立つのでは? はい。第十代の崇神天皇を、卑弥呼の弟王と考え、かつ神武天皇と同一人物と考えれば、
第七代孝霊天皇皇女とされる倭迹迹日百襲姫が卑弥呼であると考えることもできますね。
しかもその年代から、纒向遺跡を邪馬台国と考えればよいことになる。
しかし、畿内には池上曽根遺跡という2300〜1800年前まで営まれた巨大な環濠集落がある。
池上曽根遺跡の大型建物のヒノキの柱が紀元前52年に伐切されたと確定している。
こうした弥生時代の王や巫女の伝承が、アマテラスや神武天皇の神話になったと考えた方が
年代的には無理がなくなる。 >>60
>>69
台与なんて個人名じゃないと思うけどね
上にも「豊」だって書いてる人いるけど
豊かだって意味で敬称名でしょ
白日別、豐日別の対比からいくと
太陽が高いことを意味している可能性もある >>72
そもそも日本書紀は、卑弥呼を第14代仲哀天皇の皇后である神功皇后のことだとしている。
しかし現代では、神功皇后は、広開土王碑・三国史記・七支刀などの史料から370年頃の人物であると考えられている。
そして神功皇后は、応神天皇の母親であり、応神天皇は4世紀後半から5世紀初頭ごろの天皇と推定されている。
だから、神功皇后より前の
第7代孝霊天皇皇女とされる倭迹迹日百襲姫
第8代孝元天皇皇女とされる倭迹迹姫命
第10代崇神天皇の皇女とされる豊鍬入姫
をヒミコ・トヨと考える方が年代は合う。 応神朝末期には飯豊青皇女が天皇に即位している
様々な女帝、皇女のエピソードから
夫婦、兄妹、姉弟が共同で王になり
双方死ぬまで王位に付いていた可能性が高い 今夜9時からNHKスペシャル古代史ミステリー「邪馬台国の謎に迫る」を放送します
是非ご覧くだはい 熊本県の前原長溝遺跡、松坂古墳出土の人骨は
幼児から醜い顔に変形された巫女が、最期に無惨に殺されている。
卑弥呼もそんな風貌だったかもしれない。 やまとは国のまほろば
たてつく悪ガキ
関西人を倒して平和な日本を築こう NHKは邪馬台国の首都は纒向でほぼ確定とやってたな
九州説は虫の息か 前方後円墳の歴史的分布研究から
NHKも卑弥呼は天皇家の前身又は始祖という見解に見えた
始祖=アマテラス
邪馬台=ヤマトだろう アマテラスは記紀上の名前だから
卑弥呼と比定するには記紀の編年を提示しないといけない
一般的な編年ではずっと昔の人だから
アマテラスタイプの巫女王女が
卑弥呼の時代まで続いていたということは充分あり得ることだし
実際はもっと下る時代まで続いていたんじゃないのかと思ってるが
巫女王女は朝鮮半島から九州に来て纏向や伊勢にたどり着いた風習だろう
>>82にあるように隼人とも共通する広い範囲の極東文化だ 記紀に記された年代は初期天皇の各年代の非合理的なスパンから考えて
一年が今の半年程度だったかもしれない
何も記録がなかった時代だから、100年前でも数百年前のように伝承
されている可能性もある
だから卑弥呼の時代とアマテラス神話の時代が同一の可能性はあり得る NHKSP古代史ミステリー
・箸墓古墳
=前方後円墳で卑弥呼の墓?
・前方後円墳
=ヤマト王権の象徴
ということは
卑弥呼はヤマト王権の最初の王?
って説 >>88
纏向はしんどいと思うがなぁ
調べれば調べるほど違ってきたやん >>91
なぜ非合理になったのかは理由がある。
日本書紀が、720年に成立したときにすでに辛酉紀元が考慮されていた。
つまり神武天皇の即位年を紀元前660年と決めてから書かれたものだから。
しかし、中国で干支紀年法が確立したのが紀元前104年頃のこと。
だから、紀元前660年の日本で干支紀元の記録があったとするのは無理である。
まったくあり得ない。
しかし、日本書紀は、安康天皇記からの記録はかなり正確である。
おそらく編纂時に安康天皇以降の史料は残っていたためであると考えられる。 日本書紀には、欽明天皇15年(554年)に百済を通じて、元嘉暦が伝えられたと記述されている。
しかし、戦時中の小川清彦氏の研究によって、安康3年(456年)8月1日の記録が元嘉暦であると明らかになった。
南朝の宋で、元嘉暦が制定されたのが元嘉22年(445年)のことである。
倭(日本)で元嘉暦が使われ出したのは445年から456年(安康3年)の間ということになる。
450年に百済が宋に遣使しているので、この時に元嘉暦が百済に伝わり日本に伝わったとも考えられる。
もしくは、451年に倭王済が宋から安東大将軍に任命されているので、この際に、直接日本に伝えられたとも考えられる。
従って、我国で元嘉暦が使用されるようになったのは450−456年の間である。
おそらく、西暦370年前後の人物である神功皇后の事績については、日本書紀が書かれた時点では年代不明だった。
そのために、248年に没した卑弥呼を、神功皇后と混同したのであろう。 天皇家も母系でいい
愛子さんが継いで女王になればよい 卑弥呼は九州のある地域の王だよ。
近畿の大和政権とは関係ない。 >>95
おいおい混同なんて言い方は不味いだろ
卑弥呼は魏志倭人伝で神宮皇后は百済三書で
どちらも年代確定して百年以上差があるのは
日本書紀書いてる奴らも知ってたんだから
ほぼ捏造に近い
三世紀中頃に女王の記録がないもんで
神宮皇后を当て嵌めて捏造だろ
やや子供っぽい捏造 だいたい邪馬台国が日本を統一してたなんて勘違いがおかしな解釈を生む。
せいぜい九州地方の統一。しかもなんで魏の使者が本州や四国をくまなく探索できるんだ。
邪馬台国への道も途中まではいろんな国が詳しく書いてあるのに、急に水行20日とか陸行1カ月とかいい加減もいいとこ。
わかってたのは九州の北部の小さな国々にの事だけだろ。
そして中国の知らない日本本土ですでに大和政権の芽は育っていたということだろ。