【理系教育】「立方体の2本の対角線、どちらが長い?」中学生の正答率に衝撃…算数・数学の間違いを直せない子どもたち [すらいむ★]
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【立方体の2本の対角線、どちらが長い?】中学生の正答率に衝撃…算数・数学の間違いを直せない子どもたち
本稿では、最近の子どもたちは算数・数学の間違いを直せない傾向が顕著であることを公的な大規模試験結果などから紹介し、その背景と対策を考えたい。
様々な科学の発展の歴史を振り返ると、間違った仮説や失敗した実験がきっかけとなって画期的な発見や発明に繋がった例は数多くある。
要するに、人間は神様でないので間違いは必ず起こる。
その間違いを見付け、間違いを正すことが大切なのだ。
それは、子どもの頃から育むべき重要な課題である。
しかし、「理解」を疎かにして「暗記」だけの学びが浸透した結果、そのような学びがまったく育まれないまま大学生になってしまう者が相当多くいる。
(以下略、続きはソースでご確認ください)
現代ビジネス 2022/12/30(金) 8:03
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc1cb3b931c987c3b88f63c3984a60346d1d5eb6?page=1 >>264
だからそれは統語的構造なの
「夜」を修飾してるでしょ?
で、なんで>>254で対義語の並列構造の二字熟語だけを書いたかというと>>253で反対の云々って言っていたから
悪足掻きはやめなさい
みっともない >>260
たしかに「昼」とか「日中」は解釈が広い
「日中」は活動時間全体を指すこともあるし
「昼間(ちゅうかん)」だと「夜間」と対になるが「昼間(ひるま)」だと対義語はありますか?ご存知でしたら教えて >>265
読解力がないと学習できないってとこは基本的にその通り
しかし、児童/生徒の読解力・論理的思考能力が成熟しておらず成長段階にあるとすれば、経験的/体感的な理解が重要だってことに>>38は言及していて、読解力に振り切っちゃうってのもどうなんでしょう? 普通に教師の給料下げたらええやん
この程度の事も教えられないなら 読解力?対角線の意味聞いてるだけじゃんw
今知ればもう終わりの話
わずか1秒 >>274
>>231で示した通り、問題文に齟齬を発見した
同じ算数の問題で併置の書き方が違う
つい先日の科挙といい、問題文作成・推敲に力が入ってない可能性の方が高い >>270
なら「昼は明るい」で良いだろ
俺はあくまで昼夜という二字熟語化に疑問を感じたから付け加えただけだ
確かに性格が悪いかもしれんが足掻いてるのはそちらだと思う >>272
読解するには前提知識が必要になるから、漢字などの組み合わせで連想する概念もその制約に縛られる事になるからなぁ
つまり本来義務教育でカバー、フォローすべき問題
自らの教育の質の差を理由に子供を篩分けるのは俺もどうかと思う
子供の自習や親の教育に依存してしまう環境下では学習が興味や趣向に偏りがちで総体的には個体差は大きくなる
コロナ下で心配な点だよね お受験の中学入試の過去問。
すごい文章量だったな。 日本語が糞
「聞き方が悪かった」って発言が往々にして会議や打ち合わせで出てくる 言葉というのは時代とともに変化するものであるぐらい曖昧なものだからね。
リアルタイムなやり取りなら曖昧な部分は確認しながら話を進められるけど、文書だとそうはいかない。
だから言葉の意味は正しく使わなくてはいけないし、誤解の無い表現を選ばなくてはいけない。
小説なんかで重要なシーンは表現を少しずつ変えて何度も重ねて書くって手法が用いられたりするけど、
大事なことだから何度も書くという理由はもちろんあるけど、正しく伝えるための手法でもあるよね。 問題がダメすぎるね。
「夜は明るい」だって正解になる。田舎の夜は暗い、東京の夜は明るい、と考えれば充分に反対の意味になるだろう。
昼夜、朝夕という言葉を教えて対義語の組み合わせになっていることを教えるのはいいけど、漫然と反対の言葉や文章を答えさせる問題は総じて穴だらけのものが多い。
紳士の反対語は淑女って言うけど、反対語は悪漢だとも言えるし、淑女は紳士の類義語だと考えることもできるだろう。
日常的に使う語は多義的なので、これが反対語と一意的に決めることはできない場合が多いのだから、問題として出すこと自体にムリのあるケースがおおいと思う。 >>281
多分それは違うな。
日本では思ったことをストレートに言う訓練をしてない。
それどころか日本の悪文志向だと悪文を小学校のころから延々と訓練されて刷り込まされてしまっている。
すると、本当に言いたいことと言葉になっていることが往々にして乖離する。
悪文忖度能力だけが増えるから、情報伝達能力は向上しない。
例えば、「窓開いてるね」という発言は「窓を閉めろ」という意味になる。
そのような悪文構築能力が質問の場でも瞬間的に「正しく」発揮される。
「正しい」というのは、教育課程で延々と悪文構築力や悪文忖度力を磨いているからだ。
「聞き方が悪かった」というのは上(>>240)の方で話題にした「変換」のことだろう。
悪文をとっさに思いつき、それが悪いと直観して直ちに「変換」し、より伝達に向いた表現にしているハズだ。
ここで「より伝達に向いた表現」が構築可能なのだから、言語そのものが悪いとは言い切れない。 『悪文を思いついて、おかしいと察して「変換」して、より意味の通じる文にする』、
このプロセスを眺めるともう一つの「正しさ」も出てくる。
「変換」を行うところまでも含めて、現行のテスト制度に合致したプロセスになっているからだ。
言い換えると、「変換」行為を行うこと自体も「正しい」、という意味だ。 >>133
図形の問題では、あえて正しい図形から歪めた形で描くことがあるよ問題にある図形をそのまま見て答えを導くという誤った方法をとらせないように >>287
そもそも目盛りが付いた定規は試験で使えない
端的に言えば>>133が透視図法を覚えたてでこのタイミングでは投影法を知らなかっただけ
>>135で終わってる話 >>279
いわゆる未明ですか?その後に黎明
で合ってる? >>276
あ~…拳と挙はひどかったね
と、一息ついてたら「勾配」で匂と勾もらしいぞwww
もう、出版関係者なのか、ゲラ読んでGO判定した出稿関係者なのか…クビだろ
受験者は人生かけてんのに可哀想 >>277
今回だけだよ?
>>255で呼ばれてもいないのに勝手に絡んできて、
>>256でゆるめてもらったのにも気付かず、>>264で同じ誤解を繰り返したあげく、>>277で根拠も示さず「昼でいい」と喚く…
せめて、「朝も正解」と主張した根拠を崩してあげなよ
根拠もなく朝!昼!言い合うってうまとしかですか? >>283
「紳士」とか2次元ベクトルに置けるものはそうなるね
ハイソサエティも取り出せるしマンも取り出せるから
有名なのは
ロンドン−イギリス+フランス=パリ
ロンドン−イギリス=首都
なので
首都+フランス=パリ
になる
これ、2次元だけでなくヒルベルト空間で計算しても、人間が違和感なく読める なので>>257は「夜」って1次元に値を取って線対称の「昼」を期待してる
出題者も可能な限り厳密さを取ろうと苦心してるだろね 100mmを1mと暗記したオバカは
いつも10倍間違える.. 子供の読解力を測る前に問題文の悪文具合を測るのが先
じゃないと日本特有のマウンティング構文で読解すらもままならなくなる
ねじれてひねくれた文が矢鱈と多いのが特徴だからな
物事をストレートに表現する技法すらも教えてない 塾で教えてるのは学問の本質とは関係なく出題者の意図を理解するだものね。テレパシーかよ。
世界でみ類を見ないハイコンテクスト文化である日本社会への順応訓練と考えれば納得が行く。
これで鍛えられて、忖度できる人間になりなさい! 立方体=正六面体と言う定義そのものが記憶勝負じゃね?
ソコから直さないと記憶力勝負から脱却は無理だろ >>257の問題、単独で出されてたのなら突っ込みようもあるし
大体同じ回答して保護者がモンペアタックするもんだけど
どうせ文章読ませて回答させる問題の一つじゃなかったの?
昼は明るい、夜は暗いってのが文章中に提起されてて
それに対する回答が「朝は明るい」なら当然間違いになるよ >>300
読解力の低下とは言うが、それは本当に日本独自に進化した異質な読解力で、
世界標準のPISA型とはズレていたわけだ
なので延々と間違った教育を施されてきた
日本での読解力はヘンにこねくり回した悪文を忖度する能力だ
基本的な読解能力を付ける前に、教師の側が基本的・標準的な作文作法とか文章作法を身に付ける必要がある、
もしくは、分かりやすい文章作法の統一だ
文章標準を作れば、堂々巡りだがそれは分かりやすい文なので、ヘンに忖度することなく、
書かれた通りに読んで理解することが出来る
日本人のガキの読解力を下げてるのは悪文だ 日本でいう読解力と世界でいう読解力、その測り方(ものさし)が違ったわけだ
その根底は測るために使う文の書き方や作法にまで及ぶ
一つが「曖昧な『が』」だ
やめろやめろと昔から言われてるのにまるでやめようとしない。
例のアレックスの愛称の問題文やアミラーゼの問題文でも『が』が平然と登場している
この、無駄に話をつなげようとして文の構造を分かりにくくしている「曖昧な『が』」の排除すらも、当の読解力テストからすら進んでいない
先にも書いたが、日本には文へのメトリクスが必要。
悪文であるかどうかの指標の方を先につくるべき。
ガキへのテストはそれから、になる。 >>303
馬鹿は無理して長文書くなよ
「が」の扱いが難しいのはそのとおりだが、他言語なら関係代名詞のかかり先の解釈が難しいのと同程度
文脈(コンテクスト)で絞る能力も広義の読解力 >>298
お前には高等教育しても意味がないことはよくわかった
先に行けば行くほど「〇〇の第一人者だが□□言語の素人」みたいな書籍しか読めないのに >>304
「広義の読解力(忖度能力)」なんかではなく、文章構造や論理を明示してしまうのが、今後は正しい
曖昧なガについては、「しかし」「そして」(逆接/順接)のどちらかに当てはまるのが大半だ
だから文をブッた切って、明示されていて分かりやすい接続詞でつなげばいい
「広義の読解力」を問う前に、論理的かつ分かりやすい文を教える方が先だ
というのも、「広義の読解力」はいくらでも派生できてしまう、
つまりは文を果てなく難しくできてしまうからだ
そうなる前に悪文度数(=分かりやすい文)を測る指標を作文標準として定めた方がいい
意地の悪い拗れた悪文でガキを育成してもいいことは無い
なら、かんたんで論理的な文の作文授業を設けるのが早い
つまり、読解と作文が不可分の授業だ
一応は「読み書き」を標榜してるんだから、両方やらせないと意味が無い >>306
たいして難しくない
これでガタガタ言うようでは数学どころか現国でダメ そもそもがこの対角線の問題、証明しろとは書いてはいないが証明できるかもしれないような問題だろ
それにこのテスト後半にはちゃんと証明問題も出てくる
この問題だけが単体で存在してるんじゃなくて問題が配置された流れの中での誤答になる
「どちらとも言えない」がなんでここまで多いのか、おそらくは文科省のやつらも深くは考えてないな
文章の書き方や調子でそれがいかにもお堅い証明問題であるかのように見えるとき、
中学生のガキだって「これは証明してから答えを言うべきだ」と考えてるんだよ。
だから対角線とかの用語は出てこないで線分BDとかのいかめしい単語だ。
この問題は暗黙の裡に「三次元の立方体の対角線が等しいことを証明せよ」という圧力を掛けてるに等しい。
そこで三次元図形の証明のお作法なんてのは中学生は習ってないだろうし、
証明するには手間がかかるもしくは本当に証明できないから
「証明できない」=「どちらとも言えない」、という、本当の回答になる
つまりこの問題をテスト中に初めて見たときに証明問題であるかどうかを判定して、
もしも証明問題だと思い込んだなら、それを証明できるかどうか、その答えを選べ、という問題の構造になっている。 直感と常識でモノを言っていいのか、
それともこれがカッチリとした証明問題なのか、
数学の問題の一つという文脈として出題されるととても見分けが付きにくい出題方法なんだよ。 国語力云々っていうけど
世界共通テストで一番問題なのは、日本語版の問題を通した
文科省役人の国語力が低下してて問題が読みにくいったらありゃしないことだ
これこそゆとり教育の弊害。今の文科省役人の実務主力メンバーもろゆとりだろ
翻訳やった連中も下っ端が大体実務やると考えたらゆとりだろうし 悪文まみれのテストに正当に突破したのだから正しく悪文忖度能力を行使して悪文を再生産している可能性がある。
文字通りに悪文エリートだ。
悪文を使って選抜された人間は悪文を再生産するようになるからだ。
なので旧来のメトリクスによれば国語能力が下がってるわけではない。
むしろ上がってる。
旧来のメトリクス=日本の伝統的なテスト でいい点数取ったなら、国語能力も上がってることになるからだ。
大卒役人の悪文忖度能力が限界を突破すると同時に、常人には読解不可能な悪文の再生産に見事に成功してる。
これが古典的文書作法でのペーパーテストによる選良の大いなる結果だ。
選抜方法に合致した能力を伸ばしてるんだからそれが悪いわけがない、ということになる。
でも、>>225や>>239でも言う通りに、悪文を排除する機構や文章標準が日本には無い。
何が正統で何がダメかの白黒を決めた規格が無い。 大学入試テストで用いるような能力を使わないと読解すらままならない文章だ。
多数の引っ掛けとか、もってまわった言い回しとか、誤解を招く表現とか、
そういう、他人に忖度させる箇所がちりばめられた文章が良いとされる空間だからだ
なので言いたいことはストレートには伝えずに、読解なる作業を施して初めて情報を得ることが出来る仕組みになっている。 >>1
立方体の2本の対角線とはどれのこと?
平面の対角線√2と立体の対角線√3の2つのこと?
それなら長さは違うでいいのかな >>314
見取り図付きの問題だからそこで迷う必要は無いよ。
https://gendai.media/articles/-/104139
これは単に立方体とはどんな形状なのかが理解できているかを問われている問題だよ。 「正解は何か?」
より
「問題を出した人の求めてるものは何か?」
を答えるのが重要だからな、現実社会では。
人の相談事に正論でしか答えられないのは発達障害者というレッテル貼られて社会の落ちこぼれになるからな、気を付けろ 何度も書いてるが、ただただノリで「対角線だから等しい」と答えればいいのか、
それともれっきとした証明問題なのか、全く意図が読めない文章になってるのが最大の疑問。
根本的に問題文の造りが悪いのも先に書いた通り。
そして出題意図を察するための問題文なら、
数学の文章題の形式ではあるものの、
実際は文章の行間から「この問題は『出題者の意図を察しろ』という方面の問題である」ということを察せねばならない。
だからこの問題は証明することなく「対角線だから等しい」という理由付けだけで回答可能になる。
そこまでのハイコンテクストを求める文章であり、それをこの問題文から察することの出来る人間だけが空気を読み取って正解することができる。
なので当の問題文からは「この問題文からは対角線うんぬんを言うだけでよいですよ」という裏の情報を読み取らねばならない。
証明問題かのように見えるが証明してはいけない。
だからこれは文章読解問題、しかもかなりハイコンテクストの読解問題になる。
証明問題ではないことが一切書かれてない。
ただただ対角線の長さを察するだけの問題文であることを察する必要がある。
文章の表現様式があまりにも異様なので正答率が悪すぎる。
余りにも正答率の悪い文章は、文章そのものの欠陥を疑った方がよいからだ。
だから学力テストは逆に言えば教師へのテストでありテスト文章のクオリティへのテストだ。
異常な低得点の問題は、生徒が悪いのではなく文章や表現が悪い。
大学入試で、満点のいない国語のテストなども同様に異常だ。
万人に等しく間違えさせるために設計されているからだ。 証明問題のわけないだろ、証明せよなんて書かれていないんだから。
そもそも中学生向けの問題だぞ?深読みし過ぎや。 仄めかしがあるからこそ正答率は下がる。
この問題は後に出てくる普通の二次元の証明問題よりも正答率が低いからだ。
多少低いどころではなくて表題にもある通りかなり低い。
なら生徒じゃなく問題の方がおかしいと疑うのは当然になる。
いかにも三次元証明問題っぽいようなしっかりした図とABCDなどの記号、
そして線分AB……などという証明問題であるかのような言い回しが目立つ問題だ。
こういう文章の調子だと「この問題は実は証明問題ではなかろうか?」という疑念を抱くのは当然だ。
>>1にあるようなオモチャみたいな言い回しなんてしていない、
実際のテストではもっとカッチリした言い回しになっている。
そういう中で「証明問題ではない」と断定する証拠が一切ないからだ。 つまり、メタ問題として「この文章は数学の証明問題であるかどうか、答えよ」という文章(行間)を形成してしまっている。
そうは文章では一切言ってはいないのは当然だが、問題文全体の造りと流れからして、そのような『問いかけ』が出来上がってしまったからだ。
そして、このメタ問題に答えられなければ、そもそも問題を「解く」という行為すら無理だからだ。
何が問題にされているかどうかすら定かではない言い回しがこの立方体対角線の問題文だ。
この箇所の文章の調子を含め、問題文全体(テスト全体)の作文技法に問題がある。
だからこの箇所に疑団が噴出して異様なまでに正答率が低くなる。
この失敗率はマトモな問題じゃないことを示唆する、
だからその裏側の方の理由を考えねばならない。
ガキがどのように間違ったかの理由であり、問題文がどのようにおかしいのかの理由だ。
『証明問題のわけない』というのは、文章の調子や書き方で、「この文はいかにも証明問題かのように見える」という点が大切だからだ。
その問題文があたかも証明問題かのように「見えれ」ば、それは証明問題だと判断するしかないわけだ。
これが文芸的な「文の調子」であり、それは数学にも存在している。
そして証明問題において典型的な書き方をなされている文を「これは証明問題の文ではない」と判断可能なまでの訓練は中学生はしていない。
だから出来ないので「正答率」とやらは下がる。
文章のフォルムからその内容まで判定できないのは周知の事実だからだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています