【脳科学】「機械の脳」が現実に? 現実味を帯びてきた脳の人工再現――東大研究者たちが講演 [すらいむ★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「機械の脳」が現実に? 現実味を帯びてきた脳の人工再現――東大研究者たちが講演
脳の機能を機械の身体に移植して、永遠の命を得る――サイエンス・フィクションの世界で夢見られてきたような未来が今、徐々に現実味を帯びつつある。
ライフサイエンス分野の事業に取り組む、LINK-Jは9月27日、「脳は人工的につくれるのか?〜脳の情報処理のフロンティアに挑む」と題したトークイベントをオンラインで開催。
東京大学から気鋭の科学者2人が参加し、最先端の脳研究を披露した。
登壇者は東京大学大学院工学系研究科の渡辺正峰准教授と、東京大学生産技術研究所の池内与志穂准教授。
渡辺氏は情報工学、池内氏は生物学の視点から脳の機能の解明を進めている。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
ITmedia 2021年10月19日 08時00分
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2110/19/news037.html https://youtu.be/1wj9nJZKlDk
線虫の脳神経はラズパイの計算力でシミュレート可能
なぜなら神経細胞が302個しかないから。
結合数は7000だけど クオリアをまったく理解できないやつがいるんだよな。
「認知に関わるある種の機能障害じゃないか」と言われている。
これを理解できないと唯物論的な神経還元主義者になって
クオリアを理解している人とは話が通じない。 ある条件で組み上げられたコネクトームの中で、
一定の神経活動が行われると、
そこに意識が発生します。
しかし、外から見ても、そのシステム内部で意識が発生しているかどうかは観測できません。
CPUの回路を顕微鏡で見ても、そこにソフトウェアは見えません。 >>68
線虫は人間のような高度な思考をしないと思われる
それは流石に言い過ぎ クオリアって要は感覚的体験そのものじゃん
なんか難しく考え過ぎ
つまり同じような意識体験するなら仕組みそっくり真似したり代用する手段探せば良くね
例えば巷のきゅうりとハチミツでメロンみたいな味覚的錯覚現象もクオリアなんだろ?これって感覚の合否に関わらず言葉で全て説明出来る問題じゃね
色を見ても視覚は細やかな要因(視神経の個人差、文化的背景とそれによって構築された世界観が定着した記憶、場末的な表現力)によってコロコロ変わるぞ
要は肉体刺激として受けたものに対する反応が揃うとしたら、それはもう機械的な統一性をもったクローンしか無いだろ
んなのどうでも良くて人の意識ってのは量子レベルでデータのシミュレーションで模倣したら、
あとはそれに付随する肉体的変化を電気信号のパルス等で代替ハード面に模倣すれば同じようなもんだろ
仕組みについてさえ言及すれば良い
そしてそのまま有機体である肉体をクローンして意識を移すという恐らく再生との比肩はおろか一番再現性の低い事をせず
普遍的な構造の代替手段を機械に変化付きでもたらせば実現可能なんでは?
個人の人間が別な形になったという完璧に同じものか、合ってるかどうかが問題なんだろ? クオリアなんて主観のうちでもコロコロ変わる可能性の高いものに惑わされてる奴大杉
こんなふわっとした言葉誰が広めたんだろう?
個人主観の感覚を一言で纏めるにしても機械の脳の追求を諦めてるだけの、分解して仕組みの理解をしようとしない言い訳なんだよ
本当の自分の事は自分にしか判らないとか当たり前の事言ってんじゃねえよ >>73
レベルが違うだけ
ってことを言いたいのでは
結局やってることは、繁殖、食事、危機の回避
線虫と同じ 人工「再現」の定義によるな
定義によっては、からくり人形でも再現したことになる >>77
再現というからには、
人間の14歳レベルのことが、汎用人工知能のような形で実現できればいいのでは?
そこに意識が宿ってなくても、同じことができれば、(少なくとも)知能はあると言える ただそれだと、
結局プログラムと同じになってしまうか >>79
人間はその場の環境によって反応が細かく変わるだろうし、その人間(個・集)の反応の特色を新たな環境下でも再現出来ればほぼ完璧と言えるかも知れない >>25
意識というものを科学のフィールドで扱うなら
(科学は再現性と観測性の上で成り立っているので)
記録可能な観測装置を使用した
観測者の判断で意識の有無を論じなくてはならない
考えられる限りに条件を変えて
観測装置経由で入力した情報に対し
出力結果を観測して対象が意識を持っていると判断出来るなら
それは観測者にとっての意識の存在証明に他ならない
逆に言えばいくら対象が「意識を持っている」と主張(するように見えても)観測可能な客観性がないと存在証明にはならない
クオリアの存在は第三者的に観測出来ない以上自明では無い >>75
科学はそこまで求めてなくても哲学が求めた
客観的真理の探究において主観に寄るとなると真理が無いことになるから >>75
科学はそこまで求めてなくても哲学が求めた
客観的真理の探究において主観に寄るとなると真理が無いことになるから >>69
有機物で起こっている科学的な変化を時間的な変化等を様々な恒常的要因絡めて別なもので全て代替出来るようになれば可能性はある
起こっているものは同じと言えるかは真にコピーを望む愛情を持った本人が判断しないと難しいかも
これってつまり出来上がった自分を自分で蔑ろにする前段階という倫理的な問題なのかね >>83
ということは自分を自分として他が理解する哲学の担保が必要か
信頼性の考慮を排するために知らない者達が匿名で行う事が望ましい
まず自分のクオリアは自分のものであることを理解してもらう事で客観的な真理を他が認める
これは相互に確認したものが違う理由が示されなければ達成されると思うしハードルは低いはず
材料はお互いのポジティブな考え、ネガティブなものそれぞれか 電気回路でニューロンモデル作っても
各種ホルモンや幻覚剤の薬理作用までは再現できんやろ… >>86
代用すれば良い
簡単に言っちゃうけど人間の肉体に関わる刺激をそのまま変数なり機械構造なりでハードソフトで再現するエンジニアリングが不可欠だと思う
分子がどんな働きをするかまだ調べてるような段階だけど、要は受容体が刺激を伝達してるんだよね
ホルモンや薬理作用は脳に作用するならほぼ間違いなく電気信号に変わる ここら辺の学習に新しい何かを生み出す目的のディープラーニングAIを、もっと全般的に精度が高まる時期まで待って持ってきて
それを使いこなせる奴出てくれば、刺激を生体により近付けるのと模倣学習効率アップの為に使えるのでは
というか機械化の前にもう更に一段階上の医療体制が敷けるんだろうな
意識の模倣よりも延命のほうがより現実味がある
限界は150年と言われてるけど遺伝学が人体工学に参入すればスーパーマンみたいな奴出来上がるな 意識の移動方法については既に候補がある
最初は移動もとの生体脳の機能を補わせるように機械脳を接続し、生体脳の破壊とリハビリによる機械脳側での機能回復を繰り返して少しずつ使用する領域を機械脳へシフトしていく
時間はかかるし人格への影響は少なからず出るが本人の自我と意識の連続性は保たれるし、少なくとも移動の際にはコピーができないので移動後のアイデンティティは保たれる >>85
客観的な真理など存在しない
客観的現象が存在するのみ
クオリアが科学的手法で観測出来れば同意するが >>63
先ずは電脳化だな。
記憶力そのものをコピー 意識の問題だけは「自分」が実験に参加するしかない
それ以外はどこまで行ってもナントカの部屋問題から抜け出せない >>90
客観も主観も含めてオープンな世界だね
>>91
具体的に社会的規範として存在する
クオリアもその構成成分の一部に過ぎない
科学的に当然観測出来るし、主観も客観も科学に関わっている
心理学全般に纏わる話題では?
>>93
なんかクオリア偏向派はそれを他人に確認してもらう必要があるらしいが >>66
確かにお前の脳は人類史上稀に見るほど単純なのだがそれすら再現できないよ >>89
ある程度機械化が進んだ時点で
意識障害が出るような気がするけどな 意識ある生物も単細胞から進化した
単細胞さえ判断するメカニズムがある
記憶媒体はウイルス
ここまで揃ってしまえば単細胞が意識を持っているのは疑いない
脳梁離断手術を行われた人の観察結果よりは意識は左脳、右脳別々にある
これよりも意識は単細胞意識のマージ体と言える クオリアについてはまだ判断を下せないでいる
以下、てんかん患者の記事だが、恐らく彼女のクオリアは左脳にあるのだろう
では右脳側にも別の意識があるがそのクオリアはどこにあるのか?
てんかん治療としての脳梁離断
Vickiは、脳外科手術を受けた後の数か月間、食料品の買い出しに行くたびに腹立たしい思いをした。スーパーマーケット内の通路に立ち、陳列棚にある商品に目をやり、それをショッピングカートに入れたいと思っても、それができないのだ。「欲しい物に右手を伸ばそうとすると、そこに左手が割り込んできて両手が争う形になりました。まるで反発し合う磁石のようにね」と彼女は話す。その週は、食品を買い込むのに2時間、時には3時間もかかり、ひどく難儀した。着替えるのも同様で、自分が着たいと思う服を、両手が実際に着せてくれなかったのである。時には、一度に3着の服を身につけてしまうこともあった。「服を全部ベッドの上に脱ぎ捨て、気を取り直して、もう一度始めねばならなかったわ」。 処理、計算、記録はできても記憶や錯覚ができない別物にはなるだろうね
機械の脳というものなら作れる eig35153は、リベット実験を根拠に人間の自由意志を否定する、唯物論者の論理破綻を指摘する
→ https://www.youtube.com/watch?v=wt0itCp99Nw
早速だが是非、自由意志のWikipedia英語版ページ神経科学の項目と、Wikipedia日本語版ページ自由意志の科学項目を
見比べて頂きたい。 英語版ではリベット実験以降に実施された追試実験や論評が掲載されており、そのいくつかは
リベット実験に疑義を持つ記事だ。 しかし日本語版ではリベット実験迄で、それ以降の追試実験や疑義を持つ記事は無い。
それは日本のインチキ唯物学者が自由意志否定に疑義の記事を、日本語版に掲載させぬよう影響を行使している。
リベットは自由意志を調べる実験もしたが、自制に相当する準備電位が脳から発振されないとして自由意志を否定。
リベットは被験者自らが決断し実行する行為に対して、被験者自らの判断でその行為を撤回できるのか、という脳の運動野が準備電位を
発振し始めたら、被験者はそれに対して撤回できるかの実験を行なった。 この時、制止あるいは自制に相当する脳からの準備電位は検出
されないとして、撤回は出来ぬと結論された。 それを根拠として唯物論者は、人間行動を決めるのは意識ではなく無意識の脳だと騒ぐ。
リベット実験の最大の問題点、人間行為の自制や制止の発現は、限定された脳部位や神経系だけで発現するだろうか
人間が自ら決断した行為準備を、自らが制止する自制や撤回の発現は、限定された脳部位や神経系だけで発現するだろうか。
この疑問は当然であり、なぜなら一度決断した行為準備の放棄と自らが制止する自制や制止する基準は、その時代や社会集団
の規則や道徳律に沿い変化するものだから、その自制基準は人間脳の一部分に、生来的に確固として存在しているとはとても
考えられない。 ましてやその生来的な自制衝動が準備電位として測定される筈もない。
eig35153は、唯物論者のリベット実験を根拠にした、人間の自由意志否定の論理破綻を指摘する。
リベット実験を支持する唯物論者は、人間の心で決定された行為意図より約0.5秒前に、脳から準備電位として発振されたその行為は、
人間には拒否あるいは撤回できないと説明するが、上の映像の中にある女子キックボクシングの打撃応酬シーンでは、打撃に熱が
入って夢中になっても、選手は終わりのゴングが鳴ればその都度打ち合いをピタリと止めてコーナーに帰る。 双方の脳の神経
励起は打撃を続行せよと指令を出していた筈だが、脳の神経励起よりもゴングの音を聞くだけで、拒否や自制が優先されるのか。
しかし人間の一般的な行動はこれが普通であり、リベット実験の解釈には大きな欠陥があるように思える。 >渡辺氏は「記憶の転送が済んだら、死というものを経ることなく、
>全くシームレスに意識を機械の身体に移行することができる」と予測している。
だとしてもどうやって確認するのさ 自我はどうやって移すの
これは自分だって思わなきゃ別の生き物 >>100
ここからじゃ映像は見れないがボクシングのルールとしてゴングに関するルールを教えていなければ殴るだろうから、実験素材とするには難しくないか >>8
意識がある者と同じように行動するなら
それは「意識がある」自律存在と言える。 脳は電気回路じゃなくて巨大なケミカルマシンなんだよ
意識の発生源は多種多様な神経伝達物質を介した化学反応だろうね
だから「電脳」には恐らく意識は宿らないよ
意識の根源を研究する人はAIだけやってても駄目で、生化学もちゃんと勉強しないといけないね 機械が完全に脳細胞の動きを再現して、置き換える事ができるならば
置き換えた脳を持った体は人なのか機械なのかあるいは両方なのか
もしも人ではなく機械であり、自我もなくプログラムに沿って動いてるだけの存在だとするならば
脳細胞を一つずつ置き換えていった時、その時点で人ではなく機械となるのか
↑好きな思考実験 脳といっても蚊程度の脳なら近い将来に再現できるのでは
蚊も自分を叩こうとした人間には近づかなくなったり意識らしきものは持ってるし
人間も蚊も脳の信号の伝達方法や物質は大体一緒 >>105
>>100は勘違いしているようだが、
ゴングが鳴ったら殴るのを止めるというのは、
殴る衝動を脳がインターラプトして止めたというだけだから
それ自体はベンジャミン・リベットが提唱した理論と何ら矛盾するものではない
身体が先に動き出すけど脳はそれを止める事が出来るとリベットは説明したんだよ
身体が先に動き出すという事実によって自由意志の存在は疑問視されてるわけ
リベットが説明したベースボールの例に例えるなら
ピッチャーが投げたボールを見てバッターはスウィングを自動的に開始するが
脳は後からこれを認識して球種がフォークボールなら脳がインターラプトして
スウィングを途中で止めることができる
ちゃんと本を読まなかったヤツが適当な事を言ってるのが笑える
これが低学歴のレベルなんだなw >>75
クオリアなんてのは落ちこぼれ文系が言い出したハッタリでしかないよ
理系は粛々とニューラルネットのモデルを代数計算でシミュレーションして
ディープラーニングしてるし、さらに今じゃシナプスの枝の剪定まで模倣出来る機能を
今のNVIDIAのグラボには搭載されている
ITの時代には数学の出来ないやつは淘汰されるだけだ
文系のお遊びは終わったのだよ >>18
自分を基準にするとコピーした意識は別人だよ
コピーした意識で得た情報は自分に届かないだろ
自分の代わりにスイーツを食べてもらっても嬉しくない
一方、家族を基準にするとお父さんのコピーでもお父さんとして動いてくれれば十分お父さんだ
オリジナルが亡くなってコピーが残ったとしてだな、
コピーは機械だとして壊されても家族からすると殺人レベルに悲惨なことだ 外部からのストレスで人格も変わるんだから
機械が出来てもストレスでバグリまくり
矛盾した要素を処理しきれなくて壊れるだけ
機械の肉体もってたら人類殺しまくるぞw >>113
>自分の代わりにスイーツを食べてもらっても嬉しくない
それはおまえの主観でしかない
スイーツを食べてどう感じるかは人それぞれだ
美味い!と感じる人もいれば、こんな甘い物食えるかオエッ!と吐き出す人もいる
また、自分の愛する人がスイーツを食べて幸せを感じているのをみて
自分も同じ幸せを感じられる近親者もいる
だから、文系には客観性がなく自分の思い込みでしか話を出来ないので
理系のように客観的に相対性や定量性を考えて科学を発達させられず
産業に貢献する事はできない >>97
それは言い過ぎかなぁ
単細胞が単細胞と繋がって直接やり取りする構造を持った事で初めて意識が出来るはず
これは直接的に神経に相当する器官で電気刺激によって接続され相互に協調するという事で、脳内で起こるような事に初めて似ることが出来ると思う
身体の部位は感覚があっても独立して悲しんだり喜んだりするのは見られない事から、なぜ意識は脳が主体なのかという理由を挙げる反証になる
臓器に記憶は宿っても意識まで行くほどの刺激がある、作られるとは思えん
臓器を作っている細胞間で随意的な意識が生まれるなら、生死や稼働形態の判断を脳にのみ委ねるような効率悪い事はしないんじゃないかと結果論ながら思う
知られている微生物が殆ど化合物や条件反射で動いていて、
集団で行動するような事はあっても刺激に対して記憶や思考をやり取りするようなものが単純な化合物由来の免疫以外に存在するとは言えない
ウィルスは明らかにエクソソームのような構造をし細胞の下位互換である以上、記憶媒体の可能性のあるもの以上の意味は無いと思う >>18
>>113
これなあ、コピー先にクオリアが移ることはあると思うんよ
プラナリアの実験で頭を真っ二つにして再生した場合にどうなるかと同じだと思う
恐らくは量子的には「波動関数が収束して」決まるんだと思う
つまり、確率的に移るということで、確定では分からない 渡辺氏は
「脳の片半球だけ機械に置き換えてスイッチオンで差し替えて違いを感じなければ
機械が意識を持ったと証明できる」と言うけど、
機械につないだ瞬間に本人の意識は消失して
「アー、何モ変ワリマセン…」と人間そっくりの反応を返すだけの
意識を乗っ取られた哲学的ゾンビになり下がってるかもしれないじゃん >>115
こういう(「どう感じるかは人それぞれ」とか)のが文系的視点なんだがな
>>98
クオリアって言葉は何か別な言葉によってより細分化し言い分ける事が出来る単語に過ぎないね
その場合脳梁離断による動作協調問題だからクオリア関係無い
再現する上でも再現性や相関関係にも関係無い
つうか当事者が腹立たしいって言ってるじゃん
どこがクオリアなのかと言ったらそこしか無いだろ >>119
「本人の意識」 は本人(の脳)が死ねば当然消える。
他人からみて本人と判別不能なレベルに再現できるかが肝心。 >>116
書いたの私だが
脳内での働きを意識と定義するのなら言い過ぎではある
ただ、脳はどうも各器官の判断結果を元に「再び判断している」ように見える
あくまでフラクタル的に判断機構が出来上がってるようにしか思えないんよ
そういう器官であって基本的仕組みは単細胞と変わらないように思える
心臓の神経系は脳を介せず独自に機能し脳には情報が届かないというのも必要ないから進化しなかっただけで脳は視神経を通じた社会的な判断(外敵の対応とか、後天的には群れのコミュニケーション)を司っているのでは >>111
身体が協調動作として覚える事やその条件反射と思考が同じ質のものだと思ってるなら包括的に取る態度が違うので話にならんのでは
ついでにそんな似非脳神経学的な実験と哲学に過ぎない狭義的意識の問題を一緒にするところが問題だと指摘する
既に動いていた身体が一連の動作をしてる間に止めてみろって言うんだろ?医学的な知識が乏しいと思う
脚気は自由意思なら止められるもんだと決め付けて言い張るキチガイに過ぎないよ >>114
んな個人によって変わる極端なものは完全にコピー出来てるなら関係無いんじゃないの >>103
コピー前のオリジナル意識がアンパンマンの顔の如くぞんざいに扱われるなw >>123
各器官の情報の統合装置・司令塔ではあるけど、それってつまり多細胞だよねって事よ
実は脳に意識が宿るっていう理由のソースは様々な臓器をそうやって動かしてるからなんだよね
恐らく意識を別に構築するにあたり臓器の情報は必ず必要になってくるけど、応答反応位を完全に模す位で丁度良いんじゃないかと >>122
けっきょく渡辺氏の実験で検証できるのは「脳の動きを本物と見分けのつかない精密さでエミュレートできているか」だけであって
脳をエミュレートしているシステムに意識が宿るかどうかという問題は検証不可能な疑似問題なんだよね
他人が見て意識を持っていると信じるか信じないかの問題でしかない >>112
色々無学な勘違いがあると思うが、クオリアの言い出しっぺはハーバード大学の哲学者
クオリア問題は哲学的な問題だけど、解決するには神経学といった医療分野と
ニューラルネットワークなどの情報工学が絡み合った分野になる
そもそも哲学は文系領域じゃねぇよw
哲学(と論理学)は全ての学術領域の根底にある分野だよ 哲学を「捉えようのないものを永遠に考えるだけの学問」と勘違いしてる奴って多いよね
そして自由意思とかいうクオリアに似た言葉もふわふわし過ぎていて適当では無い
「よって意識や意思は存在しない」、とかいう拡大解釈に繋がる意味がマジで解らない
なんでただの仕組みから現実に起きてる事象を無視してただの言葉遊びで全否定するのかね >>127
特に見解に相違は無いと思います
脳を多細胞よりなる判断機構として意識と定義している限りその通りとおもいます
こちらから提示したいのは「特別な脳、意識だけど仕組みは単細胞判断機構がフラクタル的に複雑化しただけじゃないか?実は構造は近いんではないか」ということだけです >>129
古典的だがチューリングテストが関の山だよな
まぁ日本人はAIBOの葬式で泣くぐらいだから人格の有る振る舞いをされれば
意識がある、生きていると思いやすかも >>133
>AIBOの葬式で泣く
そこら辺の話は万国共通ってか
サイバネティクスの人ってか
ヴァレンティノ ブライテンベルクの 「模型は心を持ちうるか?」とかでも言及されてるし
まぁ人間側の仕組みと言うか認知科学的にそう言う物なんだろう、と
3つの点がアレば顔に見える的に >>134
万国共通とは知らなかった
八百万文化だからモノに命が宿ると思いやすいのだと思ってた >>105
ここからじゃ映像は見れないがボクシングのルールとしてゴングに関するルールを
教えていなければ殴るだろうから、実験素材とするには難しくないか
*映像は見れないが、 見れると思うが設定の誤りではないか。
*ゴングに関するルールを教えていなければ、 一般常識を知った上でも話は成立する。
>>111
*ゴングが鳴ったら殴るのを止めるというのは、殴る衝動を脳が遮って止めたというだけだから
先に発振した脳の準備電位とその行為衝動を、後からそれを撤回するために脳の準備電位が発振して
行為した、などという話は聞いたことも読んだことも無い。 それが事実なら文献なり記事なりを
出してみろ。 先行する意図と、それを撤回する自制の双方を称して自由意志と呼ぶんだ。
*ピッチャーが投げたボールを見てバッターはスウィングを自動的に開始するが、脳は後からこれを
認識して球種がフォークボールなら脳が自制して、スウィングを途中で止めることができる。
とあるが、ピッチャーが投げた瞬間のボールは予測できない。 ある程度の距離で初めて、打つべきか
否かの判断が出来る。 脳が自制した場面はとこにも無い。
ちゃんと本を読まなかったヤツが適当な事を言ってるのが笑える、かこれが低学歴のレベルだな。 >>94
心理学はそもそも自然科学分野じゃない(心理学実験の再現性の低さは科学的実験としてお話にならない)
また社会規範も自然科学の対象じゃ無いので定量化出来ない
先ずはクオリアの存在を定量的客観的に観測出来ないと話にならない
BMIの発展が望まれるな
また君の言うように逆手法で人間っぽい機械を作製して人間の出力と比較した結果の差異が無ければ
それは人間と変わりないって事だ >>100
試験の方法がザル過ぎだろう
自由意志の定義さえ出来ないのに
脳のほんの一部分の電位を計測してジャッジなど出来ない
先進的試みである事は認めるが
脳のシナプスの全電位を観測する方法と
それをシミュレーション出来るモデルの確率を目指そう
脳のシナプスの全電位を測定する方法としては遺伝子操作でシナプスの増加と伴に増殖するようなモニタ用の微細な配線(生物学的な)を発生させと
信号を脳外の解析装置とI/Fする機構の開発しか無いと思う
fMRIの発展系(非侵襲測定)では分解能が低すぎる
そしてシミュレーションモデルが無いとシナプスモニタ系から出力される信号をどう評価すれば良いのか判断出来ない >>136
映像は音なったらダメなところだからなだけだ
一般常識を教えない前提だとやはり殴るんじゃないのか?
「逆にゴングがなっても殴っていい」というルールの人の比較実験したほうがいいんじゃないか? 機械化が出来たら、あっというまに非常に進化して、ヒトの脳の機能を遙かに凌駕
するものになっていくだろう。そうしてヒトは機械の脳からみたときにナメクジ程度
の取るに足らない存在になり、。。。。 クオリアを考えなくていい統合情報理論とかも流行ってるし
主観の謎に迫ってるのは間違いないな
意外な答えが出てくるかも >>142
経理とか会計はAIにとって変わられると散々言われてるようだけど
東芝の不正会計の影響で大手企業の経理会計税務関連の部署はクッソ忙しかった
経理の友人を飲みに誘ったら、早くAI来てくれ!ってヘルプしてたわ
万能AIができても、現実はそんなもんかもなw >>142
機械化(コードが記述)できる領域では既にそうなっているじゃないか。
将棋とか w >>36
AIには意識がないから無駄な計算を多くやる。
感も働かない。ただの脳筋任せの仕事ばっかやる。 >>121
ここで言いたいのは
・左脳の女性は明らかにクオリアを持っている
赤色を見たら何らかの感慨も持つことでしょう
・右脳の、左手で邪魔する意識、問題はこっちです
恐らくこっちも左目でものを見て、何らかの感慨も持てるはず
多分右脳側もクオリアを持っているんです
ですが明らかに女性の邪魔もしているし「別人格」と言ってもいいように見えます
また言語側を司っていないだけで、表には出てこないだけです
しかしほんとうに女性の「別人格」と言ってもいいのだろうか?とここで躊躇するわけです 精神病に多重人格もあるし一つの個体に別人格がある場合があるのはほぼ明らかです
表に出ない方を頃すことだってできるはずです
つまりクオリアが移動しているのです
では逆にクオリア側を頃して逆側が表層に出たとします
女性の例だと邪魔な右手側です
その場合は女性は哲学的ゾンビになってしまうのでしょうか?
女性は死んでしまったことになるのでしょうか?
これは仮に意識をコピーしたとして主観側が頃された時にも同じ疑問が発生するでしょう と、ここまでは自分の見解を述べていません
自分的には、「女性の例の右脳も左脳も別人格にも全てクオリアがある」と思います
なんだったら細胞一つ一つにクオリアがあると言っていい。勿論細胞には感受器官が無いために色を見て感慨にふけることはできないが。
そして自我を司れるのは常に1個。これはもう神様がサイコロを振って決めます
量子的に言えば波動関数の収束に任せるということです
そういう意味で意識には量子的な関係があると思うのです
その結果女性の例だと左脳側が死ぬ、あるいはコピーした自我があるほうの意識が死んだ場合にはもう私の死なのです、例え同じ作りの意識が他にあったとしても。 >>135
親近感と神性って言うほど同じ方向性なのかね >>137
現代の心理学はほぼ脳内の受容体を主にターゲットにしているので投薬治療が主流なんだけど、何か哲学的な問題だとお思いでは?
社会規範を定量化するのはデータが行う事で、定量化に関しても数学的な認知が社会経済学で既に取られているから反証にはならないと考える
クオリアの定量的客観化は脳内現象で判別するというのが、一定の立場が取られている以上定説であり、
またスレタイの人工再現であり心理学に通じるものでは
そして最後の「人間と変わらない」っていうのは、まさにその目的の為に動きつつあるからと見れる
アンドロイドとヒューマノイドが混在するのが、真に宇宙時代の、また機械生命の辿る過渡期を想像しているものになる >>149
脳梁離断前後の女性のどれが真の人格であるか、またどれが支配的であるか、そしてどれが支配的であるべきかなどを考慮するにあたり
ざっくりしていますが女性自身に委ねるしか無いでしょうね
脳梁離断前後のどちらを再現するべきかというと離断前になるかと思いますが、精巧に再現した機械ならまた癲癇が起こる可能性のほうが高く、
離断せず済むかどうかもまた機械脳の工学的可塑性によって変わるかと思われます
独立した神経系によってクオリアそのものの細分化が不可逆的にされる事の無い用、
本来なら脳活動の異常な電気信号が原因である癲癇のみを取り除くべきです
機械脳自体は脳を模倣する以上、発展のために先に遺伝子工学の熟成が待たれるはずのものですし、
もしかしたら彼女の場合離断せず癲癇が既に治る病気として認知されるような流れになっていればそのまま機械脳への補完がなされるものでしょう
ただ上に書いたように離断後に機械脳に移したとしても、統合する過程で脳の異常な電気信号まで模倣せず済むいわばフィルターを介し機械特有の技術的な代替手段が構築出来るのであれば、その時は晴れて無用な心配になる望ましいものになると
技術的に何か無責任な解釈になってしまいますがそう思います そもそも『私』という統一した意識は、たびたび完全に途切れて消失してるんだよ。
例えば寝た時、意識がまったくなくなった瞬間に。
カラダの脳・海馬あたり『私という意識』のバックアップがあるから、起きた瞬間にそれが再構築される。
自分では寝る前と連続していると思っているわけだが、連続しているのはカラダ〜脳なのであって、そこから立ち上がっている『私』はそのたび新規に立ち上がっているのだよ。 >>153
寝ている間も脳は機能し様々な情報処理をしている。休止しているのは意識の表層にすぎない。
君は意識の多層構造も知らずに議論に参加してるのか。幼稚過ぎてお話しにならないから、もうちょっと勉強してから出直しておいで >>153
>>157
これはどちらも正しいと思うのです
なぜなら自分以外の意識を考えるとき客観的に考えて前者の見解は確実に正しいのです
しかし自我(と少なくとも自分思い込んでるモノ)は確実に存在します
なぜ自分という個体に自我が宿っているのかということだけが量子的ランダムに頼るしかないという結論にならざるを得ません >>158
>しかし自我(と少なくとも自分思い込んでるモノ)は確実に存在します
確かに自我は確実に存在するから
後はこれをどうやって作り出すかだな >>157
意識の定義は?
自己すら認識できない意識は意識言うのか?
通常、無意識というのでは?
寝返り、寝言は意識下の行為?生理反射?
じゃあ夢は?明晰夢は? 脳活動レベルのどの部分を意識と呼ぶかってのは「最小限」って言葉が関わってくるらしいな
その中では単細胞も意識の最小構成単位だとされているけど、何かにつけてその繋がりに目を向けている所を見ると量子的な解釈がされない限りは、
というか量子的な解釈をもってしても「生体時」の情報のやり取りが化学的電気信号主体な事になるから
どうしても物体としては最低限細胞間という構成単位同士のやり取りがあって初めて起こるものが意識という事になってしまうのでは無いかなぁと思う
視覚っていう感覚刺激が恐らく大多数の人間が持つ主観に最も関わる要素として格好の研究対象になっているみたいね >>157
覚醒しているが「ここはどこ? 私は誰?」
という状態を経験したことがないみたいですね。 >>162
面白いのは別個の単細胞生物間でも情報の伝達をしていることが最近発表されてきたこと
電気だけでなくウイルスを介したり自分のDNAを情報装置としたり化学物質を利用したり
進化の過程で多細胞生物になるにつれ情報伝達方法も進歩してきたのかも 魚の性転換が顕著でメスとして産まれるがオスがいなくなると1番大きいメスがコルチゾールの影響を受け自分の生殖DNAを変化させることによりオス化する
これをどう理解すべきか
視覚情報でメスしか居らず自分が1番大きいメスと判断→コルチゾール濃度が増す→生殖DNAの書き換え
を行っている
これらは個体でありながら群れを単位とするように遺伝子がセットされている
単細胞生物時代からあらゆる手段で情報伝達を使って自分自身さえ変えてしまうように進化しているとしか解釈できない
人類の情報通信技術も進化の一環にすぎないのだろう 魚のことを書いていて思ったんだが人類の各組織、民族、国全て人格を持っているんじゃないか
自治体がクオリアを持っているとか書くと不自然だが
委員会は判断機構だし国家方針は欲求をまとめたもの
法律が決まれば従うし可能性によっては外敵と戦って死んだりもする
結局のところ遺伝子を介さないだけで進化の方向性は単細胞生物と変わらない >>166
アメリカは方針が州ごとにバラバラで頭の多いヒュドラだとよく言われるな 不快は快に先行する、快とは積極的なものにあらず、人間の原動力は不快にあり
ニーチェ 生命の原動力は不快にありと置き換えてもいいと思います >>18
通信で意識がリンクするならどうだ?
どちらの体も自分だと認識できれば片方死んでもまあいいかって気持ちにさえなれるかもよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています