日本人としては、第1回から北里柴三郎や野口英世などが候補としてエントリーされていたが、
受賞はしなかった。北里にいたっては、共同研究者であったベーリングが受賞したにも関わらず、
抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。
山極勝三郎と市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の
人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫起源説のヨハネス・フィビゲルに授与された。
世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が
誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃した。

1970年に大澤映二・豊橋技術科学大学教授はフラーレン (fullerene C60) の存在を理論的に
予言したものの、英語論文にせず邦文でのみ発表したため、1996年のノーベル賞を逃し、
この顛末は当時のネイチャー(第384号、96年12月26日発売)にも掲載された。
1998年、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量が
ゼロでないことを世界で初めて示した戸塚洋二も有力なノーベル賞候補と目されていたが、2008年に死去した。