【歴史】CGで完全再現したらわかった! 元寇で押し寄せた蒙古軍船の弱点 なぜ蒙古軍は一夜にして撤退したのか [すらいむ★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
CGで完全再現したらわかった! 元寇で押し寄せた蒙古軍船の弱点
----------
ときは13世紀後半、の第五代皇帝フビライは、高麗を配下に収めると、その先の海上にある島国・日本に狙いを定め、1274年の「文永の役」、1281年の「弘安の役」と、2度にわたって侵攻してきました。
1度目の文永の役では、博多湾に上陸した蒙古軍は、伝統にのっとり一騎討ちで立ち向かう日本の武士たちを、集団騎馬戦術と新兵器の「てつはう」でさんざんに打ち破ったといわれています。
博多市街も焼かれ九州は陥落寸前となるも、なぜか蒙古軍はその夜、全軍が撤退して船に兵を引き揚げ、そこへ暴風雨が直撃して壊滅し、日本は救われた――これが歴史の教科書にも書かれているストーリーで、日本にはいざとなったら神風が吹くという「神国思想」が生まれるきっかけともなりました。
しかし、なぜ蒙古軍が一夜にして撤退したのかは、じつはいまだに謎のままなのです。
さまざまな説が唱えられてきましたが、科学的に考えると現実離れしたものばかりだと、映画『アルキメデスの大戦』で製図監修を依頼され、戦艦大和などの設計図をすべて描いた播田安弘氏は指摘します。
船舶設計のプロフェッショナルが蒙古軍船の性能を緻密に検証し、CG上で再現して迫った文永の役の意外な真実とは? 人気のPS4ゲーム「Ghost of Tsushima」で再び脚光を浴びている"蒙古襲来"の、新しいかたちが見えてきます。
----------
■宗主元帝の無茶ぶり命令
1274年、フビライはついに日本侵攻の号令を発し、元は高麗に対して、6ヵ月以内に大型軍船300隻、小型上陸艇300隻、水み艇300隻を建造するよう厳命しました。
さらには大工や工夫として3万人以上を徴発させました。
しかし、これだけの軍船をつくるのは、大型軍船だけに限ってみても、必要な木材の量、建造期間、船大工や人夫の人数を検討してみると、とても難しいことがわかります。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
現代ビジネス 9/17(木) 10:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7114b4698770f02d6267af47e013e5ce680a07c >>1
「完全再現」ここで気が付け!
あとは読む必要なし Ghost of Tsushima面白かったなぁ チョン殺しまくった。 >>1
軍勢の中にチョンがいたからだろ
第二次世界大戦の日本の敗戦も同じ理由だぞ >>166
国家としてはないとしても倭寇を代表するように東シナ海を股にかけた海賊はいたのでは >>185
北海やドーバー海峡って穏やかな海なの? ネトウヨ「元寇はチョンが勝手にやったことで、モンゴルは全く関係無いよ!チョンを殺せぇ!」
↑これ見てチョンに激怒しつつモンゴルさんを愛してるけど、合ってるよね?(´・ω・`) >>196
少なくとも台風は無いw
北海には北大西洋海流が流れこんでるから比較的温暖
穏やかな気候だよ。バイキングが活躍出来たのもそれが一因 船に乗ったら騎馬軍団も糞もない
大平原でなきゃ、モンゴルはただの烏合の衆 >>33
欧州の方では降りて戦闘してナントカ騎士団の出鼻を挫いて壊滅させてるっつーが ちなみにフビライはこの後ジャワ島にも元寇して失敗し敗退してる
日本みたいに一方的に負けたわけじゃなくて、もう経緯は少し複雑だけど 遅れた蛮族の住む島だし余裕と思ったら
重装騎馬長弓兵とかいうわけのわからない兵種がウジャウジャいて
悪魔のような戦法使ってきまくるし話通じないし皆殺しにしてくるし
蛮族すぎてもうマヂ無理。。。撤退しょ。。。 >>206
どう見てもモンゴルの方が蛮族やろ(笑) 仮に九州北部を蒙古軍が占領に成功したとして、
それから後はどうなっただろうか?
九州全土が蒙古のものになっただろうか?
それとも、鎌倉武士が奪還すべく戦闘を
継続し続けたかな?そうして蒙古軍は
九州の次には四国を侵攻するだろうか? >>207
四夷っつってな
日本が古来から中国って読んだり、中華と対比して東方に在るから日ノ本と称したりな、位置関係は中国王朝基準なんよ
で、南蛮は南方な
他には北は北狄、東は東夷、西は西戎な
だからモンゴルみたいな北方遊牧部族は北狄
匈奴とかキッタイとかスキタイとか月氏とか烏孫とか時代と民族とですげー多い
フン族とかモンゴルみたいに欧州を大混乱に陥れたりするしな >>4
今度はヘイト大国韓国は日本の手で殺してやるかな
くたばれ糞チョン >>17
毎日死を目撃してたら情けを掛けたら自分だけじゃなく皆やられるって心理的に認識しそうなもんだよな
ただのキチガイ、蛮族が日本を守ったというのは語弊があって、因果関係が逆なんだと思う
最初から統制取れてた説明にならないしな >>208
蒙古の後続が来ないと鎌倉からの援軍で負けてたんじゃないかな
補給路が海しか無いし船だから馬で運んでた大陸と違って物資が届かず継続は難しい
対して補給路が安定してる鎌倉軍は周辺から戦力の補給も出来るから強い
蒙古軍は渡海する船の確保や騎馬も載せられるサイズの船の調達となると継続が無理かもね チョン猿半島の山々を剥げ山にして突貫で作ったチョン猿船だもの >>198
そんなこと言ってる人なんているの?
元寇は間違いなくクビライの命令で行われていて、
それは元史など元の史料でも疑う余地がないんだから
モンゴル関係ないわけがないよ
日本にきた軍にモンゴル人がいなかったって言ってる人よくいるけど、
それはそういう説を唱えている学者がいるってだけで確定したものではないし、
しかもその説だってあくまで実戦に投入された人員の話をしているだけで
元寇がクビライの命令で行われたことまで否定しているわけじゃない >>155
日本軍も元軍にも両方に戦闘による死者が出てるのに何もしてないわけがない
元軍の副司令官は日本の武士に射落とされて負傷までしてる >>198
この頭の悪さがウンコリアン土人国がずっと属国だった理由なんだろうな(笑) >>49
ウェストファリア体制で戦争が国同士の決闘になったのに、第一次世界大戦の総力戦でその流れが崩れ、第二次大戦ではお互いの正しさを掛けて宗教戦争に先祖返りしたからね。 >>4
他力本願=阿弥陀如来の本願の働き→神風
とすると、「他力本願」本来の意味とも言えるな >>45
江戸時代250年で、今の日本人や国の基礎ができたと思ってる >>46
占領どころか、博多湾も維持できない。何回やっても無駄。秀吉の朝鮮出兵と比べて雑魚過ぎる >>54
水城城はもともと元寇にさかのぼること600年前、「白村江の戦い」における唐・新羅連合軍の侵略に対する防備として、天智天皇によって建築された防壁です。
それが元寇における元・高麗連合軍の侵略の際にも再び威力を発揮することになります。
もし、天智帝が水城を築いていなければ、恐らく文永の役の段階で大宰府はモンゴル・高麗軍の前に陥落していたでしょう。 >>73
秀吉軍ほどの物量、経済力、優秀な官僚がいないと長期占領は出来ない。
日本軍は朝鮮に城を複数作ってる
2メートルの石塁作ると突破できない
矢の在庫が無くなったから退却程度のお粗末さ >>87 アイヌに関しては、侵略してきたアイヌを負かして服従させた
まず、樺太は、ウィルタ・擦文・ニヴフらの先住民族がいた処
そこに
13世紀ごろ新登場したアイヌ(北方オホーツク系と交雑)が、他の先住民を駆逐し拡大したが
その拡大過程で、アイヌ(加害者)が樺太・大陸のニヴフ(被害者)を渡海侵略
→ アイヌに害された地元民が元に訴え
→ 訴えを聞き、元軍がアイヌ(侵略者)に何度も防衛出動
→ 負けたアイヌが元に服属
→ 以降、アイヌは歴代中国王朝に朝貢 (アイヌの山丹交易は、歴代中国への朝貢交易)
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83%82%83%93%83S%83%8B%82%CC%8A%92%91%BE%90N%8DU/5/
> 日本では鷲羽は、アイヌ交易の代表品として捉えられており[25]、
> アイヌは鷹羽・鷲羽流通の掌握を狙っていたと思われる[26]。
アイヌの侵略に対して、船やソリ(犬やトナカイなど)で防衛出動したレベルの争いで
結局アイヌも服従した
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/hakubutukan/education/d061522_d/fil/tatakai.pdf
「アイヌはサハリンに侵入するだけでなく、
大陸に渡って村々を襲い、略奪をおこなって. 元軍の手を焼かせていました」 >>71
年単位で準備してるんだから、兵士を沿岸部で水練させるぐらいやれそうなもんだが
そこまで必要性考えてなかったんかな >>160
ベトナムは一度植民地化してる。日本が14万人殺した後に、ベトナムに使者を送って独立するように励ました >>208
城を拠点にして、海外輸送で武器と食料を、半年分備蓄するする必要がある。
経済的な負担が重すぎる。現場の兵隊は馬鹿馬鹿しいと思ってるよ。 >>215
東路軍4万の内、3割以上はモンゴル人
最前線が朝鮮兵で使い捨て、モンゴル兵は後ろから弓矢で攻撃 >>6
嵐の中を露営できる基地が無かったから、暴風雨を凌げる船に戻った
陸上でも海上でも壊滅する運命だった 海戦の経験のない司令官が、これまでの成功体験の延長で傲慢になり、
机上のみの作戦で輸送や補給(ロジスティックス)を考えずに船で
兵隊を送って戦えば勝てて日本側はすぐに敗退降参すると考えたのだろか。
元軍は最新兵器として火薬を持っていたりしたから。
ところで、元は大陸から半島を経由して日本に入り込んだときに、
天然痘などの病気を持ち込んで日本人たちを感染させてやろう
という生物兵器作戦は併用しなかったのだろうか? >>8
で、すぐ亡くなってダメダメ野郎じゃないか! >>233
元寇の時の王は弘安の役の後まで生きてるよ >>232
弘安の役の時の元軍では病気が発生して病死者も出てる
日本を病気に感染させるどころか自分たちが病死しそうな状態 >>236
関東武士行ってたか?
ほぼ九州武士じゃない? >>238
戦地が九州だと見越した幕府の命令で
東国武士も事前に九州に移動してる
そのまま土着して九州武士になった人もいた >>212
蒙古の後続は送られたとしてもそれが台風や暴風雨で沈没する可能性もうるしなあ
無事に援軍を送るのも難しいんだよね渡海戦は
戦況の把握や連絡も難しいし >>224
水城も太宰府も、海からかなり離れてる
あの近くまで元軍が来たとすれば、それは誘い込んだんだろうな
間延びした元軍を、横から襲ったのでは?
戦なれしてる鎌倉武士だもの 最初の兵力4万を退けたのも凄いけど2回目の兵力15万を退けたのは確かに神かかってるね
まあ騎馬が無いとモンゴルは実力が発揮できないと思うけど
光栄がこの手のSLG出せば面白いのにね
PS4のゲームも世界的に売れたし今がチャンス しかも逃げる元を長崎の島まで追いかけて討っている
とことん敗北を味合わせたんだろうな、2度と来ないように 小学校の教師が朝鮮の造船工がサボタージュしたおかげで
元寇に辛くも勝てたとせつめいしてたな >>232
>>237
元軍は船の中に3か月閉じ込めた状態で、牛豚の死骸、糞尿を船に投げ込む 城を観光客誘致にしようとしてるけど、韓国の場合は、秀吉の朝鮮出兵で日本軍が城を作ったけど、
姫路城を参考に韓国内に日本風の城を再建して、城の中を博物館にして観光客を増やそうと狙ってる。
やり方がせこすぎる。自分の城でアピールしろよ 普通に、日本の順当勝ち
「攻者3倍の法則」・「上陸作戦5倍則」のとおり戦略的に日本が圧倒的有利
ノルマンディーでも徹底した空撮や詳細な地図など入念に作戦練ったのに
元寇は、ろくな海図も地図もなく、無線も無いし、季節も進軍路も予想できるし
道案内に使えそうな松浦党を虐殺して怒らせる、という下策
>>247
動物の死骸投込み、はともかく、し尿についてはそのネタ主張する学者も最近出た、てだけ
その道具や容器すら確認されないし、小船からの軽装切り込みでそのネタは非現実的
>>87
「元文類」だと、骨嵬(アイヌ)は盗賊集団扱いでの「捕盗」だし
略奪集団アイヌ排除のため出動
日本や安南の場合は、ガチ軍隊を動員した「征討」に分類されるそうな 地元の言い伝えや郷土史を知らなくていいから
元寇を語るなら最低でも元寇史料館の予習をしてからにしろ
ファンタジーが過ぎて恥ずかしい
そのうち快勝したことになってんじゃねーか?
おまエラ、それでも日本人か? >>250
資料館はすげーしょぼいぞ
元の皮鎧の記憶しかねぇわw
ばーか 日本をそこまでして屈服させて手に入れたかった理由はなんだろうか?
既に銀が大量に産出していたのだろうか? >>244
チンギスハーン蒼き狼と白き牝鹿って昔のSLGに一応元寇あったな
フビライや時宗を選択できる ・刀伊の入冦(1019)の略奪軍:約50隻(約3,000名)相手に劣勢
・平将門の乱(939)の合戦:、兵は多くても両軍合わせて数千名程度
いくら、上陸戦5倍の法則で日本が有利だろうと
平安時代中期レベルの動員力の状態で、数万〜十万以上で攻められると困るが
当時の日本は、源平や承久の戦乱を経た軍事政権
>>8
半島は、日本を襲う海賊船作りには長けてるし、刀伊の入寇でも高麗人が混じってた
「防人」廃止、外国勢から襲撃される九州…今にも通じる“平和ボケ”
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140504/lif14050413000007-n1.html
すると、
対馬、壱岐、九州各地の沿岸に新羅や高麗などの外国の海賊がたびたび出没し、
襲撃や略奪を繰り返すようになった。
歴史の表舞台にはあまり登場しないが、記録に残るだけでも数十回にのぼる。
防人制度が崩壊したことによって「力の空白」が生まれ、
外国の海賊の跋扈(ばっこ)を許す結果となった日本は、平安時代最大の対外的危機に直面することになる。
■突如対馬を襲った正体不明の外敵 黒色火薬ってなぜ硫黄がいるのだろうね。
酸化剤と還元剤の組み合わせなら、
硝石と木炭だけじゃなぜだめなのだろう? >>258
今は石油から作れるから、硫黄は不要だって >>252
金は平安時代からもう奥州とかの貿易で使ってた
まだ手のついてない鉱山も多かっただろうけど >>250
神風のおかげじゃなくね?ってのはむしろ史料研究からも言われてる
高麗史だと文永の役で暴風雨にあったのは撤退後だとか
徹底はその前の軍議で不利になるのを察知して行われたとかね 73
日本は山岳都市だからね
山の麓に都市みたいなんがあっちこっち散在していただ
拠点は山⛰の上 山の尾根沿いに城や砦を築いた
敵が攻めるなら山の頭上から騎馬で降りながらの突貫攻撃
低地を取るより高地を陣に取る方が有利なんだな >>260
元寇の時期に東方へ旅に出ていたマルコポーロの東方見聞録にも黄金の国ジパングと元寇のことが書かれているしな >>132
一応、船上ではなく陸では
元の槍衾戦法vs当時の武士のナギナタ、で槍衾が日本側に印象を強く残した
集団運用に向き、刃筋気にせず素人を戦力化しやすい、「槍」の普及は
元軍の槍衾に「あんな使い方が」と触発された説があるし
元寇で奮戦した菊池一族が、後世「菊池千本槍」の槍衾やったのは何か関係あるかも
もちろん武士の主要武器は弓↓だけど
三井資長、蒙古兵を撃退する
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e03.htm >>227
水練なんてしたら脱走されるだろ
水兵はカナヅチに限る >>258
燃焼時にはまず硫黄が酸化されて気体の二酸化硫黄になるのかな
そして周囲の炭素を急速に酸化させる
硝酸カリウムだけでもそれを加熱したらある程度二酸化窒素が出て来るだろうけど
量が不十分で気化し難いか >>93
神風信仰については
・寺社勢力(西大寺など)が幕府に影響力があったから、の他にも
ほぼ西国武士のみでの圧勝で、幕府軍の出る幕が無く
・幕府(と寺社)が、西国勢(要注意の武装勢力)の軍功を称えたく無いから、の話もある
防衛戦に勝っても、十分な恩賞(てか土地)を幕府が用意できないが
神風のおかげとして、祈願した寺社にゼニ払えば終いにできる
さらに、東西で武士団の性格が違う
西国武士(瀬戸・九州の水軍など)は海戦が得意、東国武士らは騎馬戦が得意で
西国武士(東vs西で源平・承久など対立)は幕府の監視対象である武装勢力 倒幕のときは九州ではどちらが優勢だったんだ?
その後の足利尊氏が落ち延びたときは足利方が多かったのは知ってるが どこかSLG出してくれないかな?
元寇の部分を詳しく作ったの今なら売れるかもしれないし >>266
まあ東方見聞録のジパングと元寇のことは間違いまくりだけどな >>261
本当に神風ならもっと軍船やら物資が沈んでてもいいもんな。
現代でも大規模上陸作戦なんて困難極めるのに当時じゃかなり厳しい。 >>273
ユーチューブで、mongolで検索すると、英語の書き込みでゲームから歴史に興味を持ったと書き込み多い >>252
金は日宋貿易で使ってた
日本は宋銭など宋からの輸入品の需要が高かったから
宋から元に伝わってもおかしくない >>93
朝廷が怨敵退散の祈祷やって退けたと手柄を主張したんじゃないか 台風のおかげってのは室町時代からもう言われてるね
鎌倉幕府滅ぼした室町幕府にとっては不都合だったんだろう 軍馬が100頭じゃモンゴルの得意の戦法は使えないしなあ。
おまけに近海用の船で全員船酔いじゃ話にならんな。 恩賞に与える土地が足りないし
江戸幕府の敵を、薩摩藩と長州藩だけで片付けたようなものだし>>271
祈祷師の神風に金払って済ませたがる理由もわかりそうな >>98
この布鎧めっちゃバカにしてるけど日本軍正式装備だった時期だってあるんだからな?
しかも対弓の性能は悪くないんや
人を呪えば穴二つバカにするだけ全部自分に帰ってくるで 布鎧の効果は微妙だけどその時代の武器事態が切れ味悪そうだから意外と効果はあったかもね
布も何かで固めて厚くしたら結構硬そうだし致命傷は回避出来たかもしれない
何も付けないより竹とかで作った鎧でも良かったかもね
まあ竹鎧なんて聞いた事無いけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています