>攻めてくる恐れのある他国に、自国の地理情報を正確に伝えるはずがない

だから、梯儁や張政などの中国側に使者が、邪馬台国まで行っている。
自らの目で国情を確かめるだけでなく、現地の住民からも情報を集めるためだ。
また「南北市糴」という有名な文言から、民間の交易を通じた情報収集もある程度できたはず。

この教授は、梯儁や張政らの使者、あるいは劉夏や弓遵らの中国側の出先の外交の担当者が、倭国側の外交・軍事を担当する者たちだけと接したと考えているらしいが、想像力が貧困すぎる。