獅子心王ことイングランド王リチャード1世(在位1189〜1199)が自身の剣に伝説のアーサー王の愛剣と同じエクスカリバー” Excalibur ”と名付けていたという説が広く知られている(注1)。本当だろうか?結論から言うとリチャードが持っていた剣はエクスカリバーではなくカリバーンであった。以下まとめ。

■アーサー王の剣

中世ウェールズの伝承を集めた「マビノギオン」に収録されている「キルッフとオルウェン(キルフーフがオルウェンを手に入れたる次第)」(1100年頃成立、注2)に、アルスル(アーサー)の剣として「カレトヴルッフ(カレドヴルフ、ウェールズ語”Caledfwlch”または”Caletuwlch / Kaletvwlch”)」(注3)という剣が登場する。

ウェールズ伝承を元に、アーサー王物語を描いた「ブリタニア列王史」(1136頃)を著したジェフリー・オブ・モンマスは「カリブヌス(ラテン語” Caliburnus ”)」をアーサー王の剣の名とした(注4)。同著を元に詩人ヴァースが著した「ブリュ物語」(1155頃)では「カリバーヌ(” Caliburne ”英語読みでカリバーン)」の名で登場する。

続く、十二世紀の詩人クレティアン・ド・トロワの「ペルスヴァルまたは聖杯の物語」(1182〜83頃)では「エスカリボール(フランス語” Escalibor”)」の名でガウェインの剣として登場した。エスカリボールの名は『アイルランド語名カラドボルグ(Caladbolg)に由来する』(注5)と見られており、ウェールズ伝承のカレトヴルッフも同様にカラドボルグとの語形の類似から『アイルランド語からの借用の可能性』(注6)があると考えられており、ともに同じ語源とみられる。

以後、「カレトヴルッフ」「カリブヌス」「カリバーン」に代わって「エスカリボール」がアーサー王の剣の名として、また「カレトヴルッフ」「カリブヌス」「カリバーン」と同じ剣として理解されるようになり、後にエスカリボールの英語型「エクスカリバー” Excalibur ”」が定着することになった。

■リチャード1世の剣はエクスカリバーではなかった

リチャード1世のアーサー王伝承由来の剣についてのエピソードは、リチャード1世が十字軍遠征に向かう途中、妹ジャンヌの亡夫シチリア王グリエルモ2世死後の継承を巡ってジャンヌを脅かしていたシチリア王タンクレーディと和解した際のエピソードに基づいている。

“according to Roger, Richard gave King Arthur’s sword Caliburn (Excalibur) to Tancred on 6 March 1191.”(ロジャーによると、1191年3月6日、リチャードはタンクレーディへアーサー王の剣カリバーン(エクスカリバー)を与えた、注7)

このロジャーとは同時代の政治家・歴史家ロジャー・オブ・ハウデン(”Roger of Howden”ハウデンのロジャー、生没年不明、活動期間:1174〜1201)である。ロジャーはヘンリ2世、リチャード1世、ジョン王の三代に仕え、第三回十字軍にもリチャード1世配下で従軍した。政治家・軍人であると同時に年代記作家として知られ、彼が著した” Gesta Regis Henrici Secundi et Gesta Regis Ricardi Benedicti abbatis”,” Chronica”などは同時代史料として非常に重視されている。

ハウデンの主な著作は全てデジタル化されており、Internet Archiveで公開されている”Chronica”( 1868–71年翻刻版(原文ラテン語、英語注釈))第三巻97頁(注8)に以下の記述がある。

https://call-of-history.com/wp-content/uploads/2020/05/Richard_sword.jpg
“Brittones Caliburne Vocant, qui fuerat gradius Arturi,quodam nobilis regis Angliæ”(高貴なイングランド王アーサーの大剣ブリトンのカリバーヌ)

と“Caliburne”の文字が見える。どうやら、リチャード1世がタンクレーディ王へ与えたのはエクスカリバーではなくカリバーンという名の剣であったようである。

この、リチャード1世がタンクレーディ王に与えた剣の由来について、ハウデンは、1127年、イングランド王ヘンリ1世(リチャード1世の曽祖父)が娘婿になるアンジュー伯ジョフロワ5世(リチャード1世の祖父)の騎士叙任式に際して与え、以後ジョフロワ5世伯の子ヘンリ2世、その子リチャード1世と伝えられたものであるという(注9)。

リチャード1世からタンクレーディ王へカリバーンという剣が贈られたのであって、リチャード1世がカリバーンと名付けていたかどうかは定かでない。カリバーンの名の初出が1155年頃成立のヴァース「ブリュ物語」だとすると、この剣がカリバーンと名付けられたのは少なくともヘンリ2世の即位(1154年)以後のことになるだろう。

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