・銅矛圏が卑弥呼の居た邪馬台国連合
・銅鐸圏が壹与の居た狗奴国連合
・卑弥呼の死後に男王を立てたが再び荒れたので今度は狗奴国の壹与を女王として共立し、ようやく平和になった

畿内を狗奴国と見た方がしっくりくるよな
■箸墓古墳
『白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの可能性は低い、というよりは証明しがたい。」
と述べるのに対し、石野博信は3世紀後半とすれば台与の墓、また、箸墓を寿陵と考える寺沢薫
は壹与の墓説やミマキイリヒコ(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。

2018年4月、奈良県立橿原考古学研究所が前方部出土の壺形土器と壺形埴輪26点、後円部頂上から
出土した葬送儀礼用の土器の破片54点を調査した結果、前方部の土器は地元の土であるのに対し、
後円部は吉備地方の土の特徴と酷似していることが分かった。
このことから吉備地方で製造された完成品を後円部に並べたこと、吉備地方の勢力が大きな力を
持っており、箸墓古墳の造営に重要な役割を果たしたことが推測される。』