弥生時代の文明 畿内には到達せず

富の原遺跡/長崎県大村市
(弥生中期初頭〜後期前半)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1

特に鉄戈の分析から得られた情報は大きく、原料鉱石として磁鉄鉱が用いられ、
錆分析から推定される鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、刃部には真鍮を
削れる程度の硬度があり、別の鉄戈の棟部の錆びから調べられた炭素含量は
0.1から0.2パーセントであり、棟部が軟鋼であることが確認されている
すなわち刃部に高炭素の硬鋼を使用し、棟部に低炭素の軟鋼を組み合わせる
「合わせ鍛え」の技法(日本刀や農工具に用いられる技法)が弥生期から確認された

また、 3基の成人用甕棺からは鉄戈や鉄剣が発見されている。
また、B地点からは 弥生時代中期後半の2棟の円形竪穴式住居址が検出され、
集落址でもあったことが確認された。
出土土器は二つのタイプがあり、日用容器の甕や壺は在地系が多く、
埋葬用の甕棺は北九州的要素を含んでいる事が判った。