11/20(水) 17:28配信
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 弥生時代前期後半(約2500〜2400年前)の水田跡が確認されていた奈良県御所(ごせ)市の中西遺跡で、新たに約3500平方メートルの水田跡がみつかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が20日発表した。水田跡は延べ約4万3千平方メートルに及び、これまでに確認された弥生前期の水田跡では全国最大規模とみられる。弥生時代初めに稲作が朝鮮半島から日本列島に伝わったとされるころからまもなく、奈良盆地で灌漑(かんがい)施設をそなえた大規模な稲作が営まれていたことが明らかになった。

【写真】奈良県御所市の中西遺跡で出土した弥生時代前期後半の水田跡。あぜに沿って白線が引かれている=2019年11月20日、田中祐也撮影
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 橿考研によると、京奈和自動車道の建設工事に伴い、今年4月から約6千平方メートルを発掘調査した。出土した水田跡の数は410区画、1区画あたりの面積は平均約9平方メートル。小さなあぜで区画され、表面には人の足跡も残っていた。足跡の長さは約15〜26センチで、土を軟らかくするために踏んでいたとみられるという。川のような跡もみつかり、両側に田んぼがつくられていた。弥生前期末(約2400年前)に洪水の土砂で埋まったとみられ、一帯の水田の広さは約10万平方メートルを超えていたと推定される。

 弥生時代の水田に詳しい大阪府立狭山池博物館の工楽善通(くらくよしゆき)館長(考古学)は「稲作が最初に伝わったとされる北部九州でも、これほど大規模な水田跡はみつかっておらず貴重な成果だった。今後は稲作を営んだ人が暮らした集落跡や墓地の発見に期待したい」と話す。

 現地説明会は23日午前10時〜午後3時。小雨決行。駐車場あり。問い合わせは橿考研(0744・24・1101)へ。(田中祐也)