【発明学/自転車】「なぜ自転車が発明される時期はこんなにも遅かったのか」をエンジニアが考察[07/21]
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「なぜ自転車が発明される時期はこんなにも遅かったのか」をエンジニアが考察
https://gigazine.net/news/20190717-bicycle-invention/
2019/7/17 19時00分
GIGAZINE
(記事全文は、ソースをご覧ください。)
【科学(学問)ニュース+】
■■略
乗り物の歴史において現代の自転車は1800年代後半、蒸気自動車の発明後に生まれました。「自動車に比べて単純な仕組みの自転車は、もっと早い時期に生まれていてもよかったのでは?」という疑問についてエンジニアのJason Crawfordさんが考察しています。
Why did we wait so long for the bicycle?
https://rootsofprogress.org/why-did-we-wait-so-long-for-the-bicycle
Crawfordさんは上記の疑問をTwitterにつぶやいたところ、周囲の人々からさまざまな仮説を受け取ることになりました。
■■略
Crawfordさんが受け取った仮説は大きく分けて以下の通りです。
・チェーン、ギア、玉軸受といったパーツは作り出すのに高度な技術とコストを必要とするものであり、技術が追いついていなかった。
・最初に作られた自転車はペダルさえないものであり、車輪の大きさが大きく異なるデザインも存在する。自転車が最終的なデザインにたどり着くためにはトライ&エラーが必要だった。
・1800年代以前の道路はゴミや馬車からの落下物であふれており、雨が降れば泥だらけになり、舗装道路とはほど遠い状態だったため、自転車に向かなかった。
・重い荷物を運ぶことができる「馬」が一般的な移動・運送手段だったので、自転車が必要とされなかった。食糧危機が起き、人間だけでなく馬が飢餓状態になったことで自転車の需要が生まれた。
・自転車を必要とするのはいわば「中流階級」であり、裕福な貴族と貧しい農民だけでは自転車の市場はほとんど生まれない。経済の成長とともに自転車を必要とする人々が生まれ、娯楽として使われるようになることによって、さらにニーズが大きくなった。
・歴史のある時点までは「役立つ発明」自体への関心があまりなかった。
自転車の発明が遅くなった理由を見いだすため、Crawfordさんは自転車の歴史を掘り下げました。
Crawfordさんが調べたところ「人力で動く乗り物」というアイデアは1400年代にヴェネチアのエンジニアであるGiovanni Fontana氏が発表しています。これは四輪駆動の乗り物で、ロープを使ってギアを動かし、タイヤを回転させて進むというものでした。
■■略
また17世紀に活躍した数学者のJacques Ozana氏も「馬なしの人力で動く乗り物」が風や蒸気のようなリソースを必要とせず、どこにでも行け、かつ運動もできて健康的だとつづっています。実際に馬車をモデルとして人力駆動の乗り物を作ろうとした人も存在し、1774年のロンドンジャーナルには時速6マイル(約10km)の乗り物が作られた記録があるほか、フランス人発明家のJean-Pierre Blanchard氏もパリからベルサイユまでの数十kmを走る乗り物について記録しています。
自転車発明の歴史が大きく動いたのは、Karl von Drais氏が「馬車をまねる」というこれまでの方向性を大きく変えた時です。Drais氏は貴族であり、森林の管理人という地位を持った人物であり、発明に情熱を注ぐだけの十分な時間を持っていました。1813年までDrais氏はそれまでの発明者と同じく四輪駆動の乗り物を作っていましたが、1817年に鉄のタイヤと木のフレームでできた「Laufmaschine(ドライジーネ)」という自転車の原型を作りだします。
(写真)by Gun Powder Ma
https://i.gzn.jp/img/2019/07/17/bicycle-invention/002.jpg
ドライジーネはペダルやギアがないので、現代の自転車のようなスピードや効率性を達成することができません。どちらかというと現代のスクーターのような感じの使い方で、時速20kmまで出すことが可能だったことが人々に受け、1818〜1819年のヨーロッパで大流行しました。ただし、ケガが多数発生したことと歩行者の邪魔になったことから、すぐに姿を消していきました。
1860年代までに複数の発明家が自転車にペダルをつけたことで自転車は大きく効率性を上げます。ただし、この時点ではギアやチェーンがなかったので、前に進むには足を多く動かす必要がありました。この問題を解決するため1870年代に前輪が異様に大きい自転車が開発されましたが、バランスを取るのが難しいことと、停止時にケガをしがちという問題を抱えていました。
■■略
GIGAZINE
https://gigazine.net/ >>346
“progress isn’t natural”
progress isn’t humane.
evolution is mitochondrial. >>348
理由を人為的に造り出すのなら、戦争、犯罪、貧困。
死にかければ進化する。進化しないものは残らないのだから。 リカチョン そんな事など殆どどうでも良く
郷里田舎小樽で海沿いのガタガタ坂道を子供の頃から
駆け下りて自転車の振動で覚醒早熟。そして早終 今は上がって落ち着くも
たまにやると阿曽湖再稼働のヨカーン 舗装道路が完備して初めて快適な
乗り物になるからだろ 船とか古代では人が漕いでたけど帆船に
とって代わられたし、馬や牛がいるのに
人間を使って車輪を動かすと考えられ
なかったんでは無いかな
まぁ、日本みたいに意図的に馬車の導入を
見送った国だともしかしたら人が漕ぐ
人車を発明できたかも 複雑な構造の大きなグライダーが良く飛ぶことが分かった
↓
折り紙飛行機でも良く飛ぶことが分かった
この流れだもんな マヤ・アステカのような大きな湖の中で高度に発達した水上都市なら、ボートで間に合うし物資の運搬も楽
チャリどころか車輪のメンテも要らない
なお生ゴミし尿も水で流せばそのまま農水産物の栄養源になる
アステカなら長く伸びた一本道の片側なら綺麗な水で、もう片側は広大な水田(トウモロコシ畑)
イースター島の住民は縄の反動でモアイを歩かせた
絶海の孤島なのにタロイモと魚だけで島民1万人を超えてもモアイを作りまくるゆとり石器文化、なのである クランク構造が発明されて一般化して
あれこれ足でもできるんじゃね→自転車 >>347
西洋だけが進歩した理由は「ほどよい一神教」でしょ
中国は唯一神の考え=科学法則に関心がないので科学が発展しない
イスラムは唯一神の考え=経典に忠実すぎて科学が発展させられなかった
西洋が進歩しなかった時期はイスラム同様、経典に忠実すぎた時期だったから >>358
イスラムの方が先に科学を発展させて、その成果で産業革命がヨーロッパで起こったんだけど 徳川慶喜は、サイクリングマニアだったらしい。
最先端だったんだな。 理由は
サドルを発明するのに
1800年かかったから。 車輪を倒さないでおこうと慎重に立てて置いても右か左に倒れてしまう
ところが車輪を転がすと倒れずに転がってゆく
これを見て一輪車や二輪車の可能性を考え付く人はなかなかいない
転がる車輪を見たことがあって、自転車の現物を知っているこのスレの住人でも自転車は乗っている者が無意識に微妙にバランスを取っているから倒れないのかなぁ、不思議だなと思っている
‥自転車の原理はそうそう思いつくものではないな >>359
イスラム科学が先進的だったのは↓によると
・古代ギリシア・ローマの遺産を受け継いでいたこと
・初期イスラムは戒律がゆるかったために科学が発展できた
だかららしい
イスラムも「ほどよい一神教」の時期だったからで良いらしい
https://book.asahi.com/article/11637394
>イスラム圏の科学はひどい状況にある。
>中世には、停滞するヨーロッパを尻目に世界最先端だった。
>でも宗教がそこに介入し、物理法則なども神の意志にすぎないとされ、
>科学を研究するより、神の意志をコーラン解釈から読み取ることが優先された。
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/b047d1df1a955f5f347e46349a999b2c
>ヨーロッパ文明は、イスラーム文明から古代ギリシャの哲学や先端的な科学や医学を学び取った。 >>358
ロンドンがまだ草むらだった昔、アラビア半島にはガス灯が灯っていた >>248
ローマの道といっても地中海をぐりるとめぐる全域でそういう状態じゃないだろう。
主要な都市の街中、主要な都市間を結ぶ幹線道路だけったんじゃないのか?
それがいつまで良好な状態で保たれていたのかも不明だが。
岩波文庫の『オウエン自叙伝』(五島 茂 訳)なんて読むと18世紀後半のイギリスの
国内移動は馬の乗って、そして山岳地帯は馬を返して徒歩で移動したことが書かれてる。 細くて軽い車輪や耐久性のあるペダルやらベアリングといった
軽くて小さくて耐久力のある部品を作れなかったとか、じゃね。携帯電話の実用化みたいな >>373
一輪車よりは安定性が高いんだろうけど、構造ははるかに複雑になるよね いや、>>373はチェーンもベアリングもな〜んにも無い時代のだ
大きな車輪の中心部にクランク・ペダルを直付けしているだけ
下り坂でペダルは回転をやめないので足を止めていられない 軽く摩擦も少なく動く衝撃も少ない車輪を作るのに
馬車や自動車が発展しておく必要があったって事か いまのローマ街道は画像検索するとガタピシの凸凹道だらけだな
作られてからの路面の変遷が知りたいところ ローマが滅んでからは修復がなされないまま敷石は摩耗した ローマ軍団はローマ街道を徒歩で移動した
一方、南部仏印進駐から太平洋戦争緒戦の南方作戦で日本軍は歩兵の移動に急造の自転車部隊を編成した
新聞名づけるところの「銀輪部隊」である >>379
おれんとこ東京郊外の貧乏市だが、自転車通行可の歩道がまるで石畳 銀輪部隊と言うが、自転車に乗れない兵隊はつらかっただろう
主計兵を仰せつかってもソロバンできなかったらつらいし‥
鉄砲撃てと言われて左利きは矯正されたんだろうか‥ タイヤの量産が間に合わなくて
鉄の輪っかのままの自転車も多かったんだっけ?
ただ、そのおかげで数が多いと戦車部隊の音のように聞こえたため
敵さんがパニックになったという話を聞いたことがあるがw 日本製の人力車や自転車は質がよいというので東南アジアを席捲していた
それで日本軍はその自転車を現地で徴発して自転車部隊を編成した 緒戦では大した敵の抵抗も受けなかったのだろう
とにかく歩兵を急いで移動させればよいというのでマレー半島やフィリピン、インドネシアなどで日本製の極く普通の自転車を利用した
そうして落としたシンガポール
戦死者の骨壺は戦友の胸に抱かれてシンガポールへ入城した
♪遺骨を抱いて今入る シンガポールの 街の朝〜
後に戦況逼迫して密林に遺体が朽ち果てるのとはエラい違いだ 車輪は円の造形以外にも摩擦を攻略しないといけないから見た目だけ以上に難易度高いだろ 馬や牛や像がいるのに人間が車輪を引くって
発想するってのもなかなか難しいだろうな 牛馬+車輪は平地で土の道限定
坂の多い道は荷物を背負わせるしかない
しかも高ランニングコストで、蹄鉄なしで車を引かせれば蹄が擦り減るんだが 騎乗中に足を安定させるあぶみも簡単な構造なのにできたのは11世紀
発想できない限りは意外と思いつかないもんだ 発想できても、かっこ悪いの壁というものもあるんだ
その二つの壁を乗り越えないと普及しない >>396
紀元前3000年頃のインダス文明の都市遺跡から二輪の荷車の土器が発掘されている
紀元前1500年頃のインドの聖典リグ・ヴェーダいは「男と女は荷車のふたつの車輪のようなものだ」との記述がある
人力の荷車は世界中で使われてきた
19世紀アメリカのモルモン教徒開拓者は人力の荷車を引いて西部の平原を移動した >>308
昭和30年代はコンクリート舗装が多かったような気がする 直列2輪でも速度出ているなら姿勢制御出来る事に気付くのが遅れたんだろ
他の車両はどうあっても左右2輪か支柱が必要なんだし >>373
「ペニー ファージング」って、そういう意味だったのか。
現代日本語に意訳すると、「五百一円」みたいな感じかねw >>402
物を動かすのに有利な形状が円形という発想から始まった。
お金が円形なのは、昔はそれを動かすのが大変だったから。
>他の車両はどうあっても左右2輪か支柱が必要なんだし
これはその通りで
>直列2輪でも速度出ているなら姿勢制御出来る事に気付くのが遅れたんだろ
ここは不正解。たぶん、理解はしていたが、直列2輪にする動機がわからなかった。
ただし、並列にしやすいのはあって、これは人間の脚の形状がそうだから。
1、つまり制止状態の安定が基礎にあるんだな。これが直列2輪にする動機の妨げ。走り続けなければならなくなりはしなかったんだな。
次に馬でも、荷車でも、基本的に「他人」にひかせることを中心に考えている(荷物からみると人がひいても荷物自身がひくものでない)
2、自分がやってみる、までいくの動機、モチベーションが必要だったんだな。報償があればわかりやすい。
アルキメデススクリューの形状でも前進できる。ここは前進の意図かな。
イカロスが飛ぼうとしてから、やはり何千年と時間がかかっているのと同様なのかもしれん。
他の代替品があり十分であったこと、ソクラテスのように実利性のあるものが求められたこと。これが停滞の理由。
進化の理由は、ペスト大流行による欧州への大打撃。戦争でも疫病でも東アジアにはここまでの被害状況はなかった。
または縄文や中南米文化のように、変化して生き残るより旧来(伝統)を守って死にゆくことを選択した。 真空下における着陸船の噴射制御は、今でも超高度な難易度があり、当時の技術では不可能。
https://www.voynich.com/moon/index.html
>>406
>(月面接触時の音声)
宇宙船:「OK、着陸したぜー」
(この間リアルタイム
地上:「ラジャー(拍手が聞こえる)」
地球と月の間の距離は38万km余り。光は1秒間に30万km進みますから、片道1.3秒、
往復で2.5秒の通信ずれがありそうなもんですがねぇ・・・
全文読んでないが、この論理ミスはいただけない。IQは間違いなく低い。110以下。
だいたいこういうものは、論理ミスから始まるよな。
ただ、現実世界でも明らかな論理ミスと思われるものが通用してたりするが
自然科学の分野じゃなく、社会学的側面の方だな。
なんで、そんなもの書いたのか知らないが。 車輪付きの鞄も、もっと早く出現してよかったと思う。
史実では1970年代の発明だが、紀元前でも不自然じゃない。
https://forbesjapan.com/articles/detail/27045?n=1&e=26607 考えてみると平安時代とかに自転車あってもおかしくないな。
違和感はすごいけど。 自転車のように高価な物を所有して自分の体力で走るのが変な話って人類文化的な理由だろ
車輪はあった、馬車の貨車、大八車みたいなものもあった、
しかしそれらは摩擦が大きく牽引をやめるとすぐ止まった。
惰性でそこそこ進む乗り物と言った瞬間、ものすごくハードルは高くなる。
昔は輸送手段としては馬車より運河、それは損失の小さい車輪が無かったからだ。
いま発明したとしても絶対お前らに馬鹿にされるからな >>412
それ結構重要で、馬の鐙も多分古代から何回も発明されては、かっこ悪いという理由で
不採用→消滅を繰り返したはず
現代人が自転車の補助輪ダッサと思うのと同じ理由で
見た目の壁は相当高い >>414
物理的な意味の道、というならきみは愚かな日本人代表。
心理的な意味の道なら正解だが、動機やモチベーションに置き換えた方が伝わりやすい。
もちろん、それだけでは道は切り開けないが、人類史は道なき道をゆくもの。
日本人的な文化ではないな。あくまで西洋、中国、インドのような大陸的民族の精神。
日本人に似合うのは、やはり島嶼化。しかし、地球規模でみたら一つの惑星で限りある資源の奪い合いするのは持続性に欠ける。
日本は進歩的文化ではないが、ディストピア的持続型文明なんだろう。
局所で、人種、民族、宗教、文化の交代が起きている。 >>413
既成概念の強さ。たぶん、それだけ。
日本にしても、西洋の中世暗黒期にしても。
既成概念を打ち破る動機は、そのままでは既成概念が回らなくなった場合、かな。 >>411
問題は直列2輪。馬だろうが牛だろうが、この形態にするのに時間がかかってる。
最初の自転車は、ただのキッキングだからキックボードと変わらない。
>昔は輸送手段としては馬車より運河、それは損失の小さい車輪が無かったからだ。
これは半分あたり、だが日本のように街道が整備されても車輪が発展しなかった国もある。
しかし、ここでの問題は街道が整備されても、自転車の発展が「遅れたこと」。
ここも代替論が妥当する、というのがおれの見解。
直列2輪そのものは、水車の歯車構造や、4輪馬車から直列化の発想には難しくない。
やはり静止状態を通常の状態と考える既成概念が、強く影響したのだろうな。 >>411
問題は直列2輪。馬だろうが牛だろうが、この形態にするのに時間がかかってる。
最初の自転車は、ただのキッキングだからキックボードと変わらない。
>昔は輸送手段としては馬車より運河、それは損失の小さい車輪が無かったからだ。
これは半分あたり、だが日本のように街道が整備されても車輪が発展しなかった国もある。
しかし、ここでの問題は街道が整備されても、自転車の発展が「遅れたこと」。
ここも代替論が妥当する、というのがおれの見解。
直列2輪そのものは、水車の歯車構造や、4輪馬車から直列化の発想には難しくない。
やはり静止状態を通常の状態と考える既成概念が、強く影響したのだろうな。 >>417
軍用には三輪形態 結構あったね。
今のバイクを単車と言うのも、側車(サイドカー)がないという意味だったりする。
まあしかし、高貴な人は汗かかないという伝統が強かったんだろうな。 人間にジェットエンジンと尾翼みたいなもん付ければ自由に飛べたのになぜ遅くなったのかと、後世の科学者が考察する時代もやってくるんだろうか 需要がなかったからだろ
ビンの牛乳のフタのツマミもしばらく無かったと聞く 実用的な重量・強度・抵抗の少なさを機構上実現出来なかったのだろう。 カンキリなど、一度使えば必要性が身に染みて分かるのに
長い間発明されなかったものが多いね、実際 そもそも文明の発展が人類史の中で比較的新しい出来事。
それまでの人類は、発明とかイノベーションとはほとんど無縁に暮らし、
祖先の文化をただただ忠実に継承することだけで満足していた。
変化は微々たるものだった。
何かを発明してやろうというインセンティブが人々の暮らしに起こったのは
資本主義市場経済システムが普及してからのこと。 軸受の問題じゃねえか
1740年代中頃時計職人のジョン・ハリソンが実用的なころ軸受を発明
1818年ドイツで森の管理をしていたドライス男爵が自転車を発明し、特許を取得
1869年8月3日玉軸受に関する最初の特許をフランスの首都パリの自転車職人 Jules Suriray が取得
この軸受は、1869年11月に行われた世界初の自転車ロードレース(Paris-Rouen)で優勝した James Moore が乗っていた自転車に使われた 道路の舗装整備の問題だよ。
車輪を前後2輪に並べるってのはありそうな考え方だが、
道が凸凹すぎてまともに走れなかった。
馬車の交通量が増えて曲がりなりにも舗装が進んだ
それでも十分ではなく、空気入りタイヤが最初は自転車用として発明された。
逆に言うと、空気入りタイヤがもっと早く発明されてれば、自転車も早く発明されてた。 んでも四輪だろうと道路の舗装は必要だよ
木材だけじゃ部品が作れなかったんでしょ
自転車が生まれた時期と鉄の生産量が増えた時期はほぼ同じ 悪路が多いから自転車のニッチは乗馬が占めていた
これで終わり リカチョン、凸凹だらけな郷里田舎小樽の海へと下る
坂道を自転車で下降。激しいサドル上下動で、みるみる赤く上気した
顔に。でもドライな冷涼環境 自動車が作れるような文明じゃないと、大量生産の自転車は作れないような気がするな 天皇陛下がご自身の研究で、"牛車は牛が暴れたりするので危険だった"って
述べられてたが、陰に"インスタ蠅向けに自分達を乗せたりするなよw"って
お伝えしたかったのだと思うww 17世紀の学者がすでに運動が健康にいいと考えていたことに驚くわひきこもり? 現代でも大半の人は日々の暮らしの中で現在の世の中にない新しいものを
何か発明してやろうなんて考えない。ただ祖先の真似をして生きているだけ。 >>314
70年代は未舗装の国道なんてのは残ってたな。舗装がデフォになったのは80年代以降がデフォ
日本中の隅々が似たような道路環境になったのは田中角栄の影響がでかいだろう
彼がいなければ地方中核都市と都市間交通という2000年以降のモデルが早くに採用されたかもしれんが 日本人がチョンマゲし続けた方が謎だ
はやり庶民から変えるこができない民族性なんだろう >>439
ハゲをごまかせるという非常に有益な実利があったからしゃーない 誰かが始めないと始まらないし、今の世界も、今の科学技術、文化で必然な物が揃ってるわけではなく、
どんなものでも、何もないところから誰かが始めたきっかけで広まったものだし、
誰も始めてないから、それが存在するパラレルワールドからすれば、あって当然の物が存在してないのが、この現実世界なのかも。 摩擦をある程度大きめの面積で分散するグリース潤滑のプレーン軸受なら
割と早めに実用的な自転車を作れたかもなと思ったり 簡単に堅い座席にすればズボンが傷むし、スカートでは乗れない。
乗馬ズボンが居るとしたら大げさ過ぎる。 >>308
少しも調べたことないくせに知ったかしてるってだけなの丸わかり 砂利道や砂地やぬかるみを走る前提で考えると、自転車の有用性は現代ほどではなかっただろう。 実際に木だけで作ったら重量も凄いし人力では効率的に動かせないだろうからな
真円の車輪を作るだけでも大変そう。あと技術的に可能な時期でも
それを所有する人はかなりの経済力があるから、人力車みたいなものを作らせたのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています