物質という存在はなく、単なる認識にすぎないと考えると、物質の創生の根源は認識として突き詰めると環状になり堂々巡りになるのではないか。
感覚が閉じ何も感じなくなり、宇宙から全ての感覚が消えたら、もうそこに宇宙はないのとおなじ。
あるように感じているのは実は幻想ではないのか。
観測そのものが虚構であり、認識そのものなんてないのではないのか。

量子力学はミクロの世界の話でマクロには当てはまらないと言われているが、私たちも不確かな存在なのではないか。
私たちは、認識という世界でのみで生きており、認識から外れると無いと言うべき曖昧な存在なのではなかろうか。

人が死ぬと言うことは、認識者、:観測者としての機能が失せてしまったことと定義するなら、
死体はもう人では無いということになる。一般的な理解と一致する。

真実の姿は、多種多様でなんら定まりの無い何か。