陸上自衛隊に「機甲教導連隊」が誕生しました。隊内で教官を務める部隊なのですが、前身は「戦車教導隊」「偵察教導隊」など3つの部隊でした。ひとつになったのにはもちろん、人手不足とは異なる理由があります。

■陸上自衛隊史に残る大改革

 2018年度末を迎えた2019年3月25日(月)、静岡県小山町の陸上自衛隊富士駐屯地に所在する、ふたつの歴史ある部隊に幕が下ろされました。陸上自衛隊の機甲科職種である戦車教導隊と偵察教導隊の2個部隊です。戦車教導隊は57年間、偵察教導隊は58年間、それぞれ戦車部隊と偵察部隊の教育にあたってきた部隊です。

(中略)

■新編された「機甲教導連隊」とは?

この背景には、陸上自衛隊が同じく新編した「即応機動連隊」と「戦闘偵察大隊」という部隊が密接に関係しています。

「即応機動連隊」とは、これまで普通科(いわゆる歩兵)、特科(いわゆる砲兵)、機甲科(いわゆる戦車兵・偵察兵)の3つの職種ごとに編成されていた部隊を、統合しひとつの部隊として新編したものです。この連隊には、連隊本部、普通科部隊、機動戦闘車部隊、火力支援部隊が編成されています。これは高い機動力と輸送性をもった16式機動戦闘車の導入により実現した編成で、第8師団(熊本)と、第14旅団(香川)がすでに即応機動連隊を新編しています。

「戦闘偵察大隊」とは、「即応機動連隊」などの機動力を生かして運用される部隊が展開したあとの広大な地域における、部隊や隊員間の情報共有を可能にするために編成された部隊です。指揮通信システムなどを整備し、高い監視能力を持つ16式機動戦闘車を配備、強固なネットワークシステムを構築することが期待されています。

「機甲教導連隊」は、このふたつの部隊の教育訓練と調査研究を効率的に支援することを目的のひとつとして新編されました。

 具体的には「戦車教導隊、第1機甲教育隊、偵察教育隊が担ってきた教育訓練を機甲科として一元化することによって効率化を図る」「広域流動化する戦場において『戦略機動』『情報共有』『強硬手段による偵察』を可能にする」「より効果的な機甲戦力の運用を求められる、機動戦闘車中隊、偵察戦闘大隊などの16式機動戦闘車を装備する新たな部隊の指標部隊としての役割を持つ」という特徴が挙げられます。

■変わりゆく機甲科、変わらない規範

機甲教導連隊の発足にあたり実施された「新編行事」式典にて、東部方面総監である高田陸将はダーウィンの言葉を引用し「最も強い者が生き残るのではない。最もかしこい者が生き残るのでもない。唯一生き残こることができる者は、状況に応じ変化に対応できる者です」と、隊員たちを激励しました。

 機甲教導連隊は、敵を圧倒撃破できる戦車部隊の特性と、隠密裏に情報を収集する偵察部隊の特性を、単にひとつの部隊に保有するというわけではありません。高田方面総監は続けて「時代の変化を受け、積極果敢に敵の情報を解明しつつ、同時に衝撃的効果を発揮することができる新しい機甲部隊の戦い方を創造し、教え導いていくのが、この機甲教導連隊です」と述べました。

式典の最後には、機甲科出身の高田方面総監と機甲教導連隊の隊員が、旧陸軍時代の機甲兵たちも掲げた規範「機甲斯くあるべし」を唱和しました。

「機甲斯くあるべし」
一瞥克制機(いちべつ よく きをせいし)
万信必通達(ばんしん かならず つうたつ)
千車悉快走(せんしゃ ことごとく かいそう)
百発即百中(ひゃっぱつ すなわち ひゃくちゅう)
練武期必勝(れんぶ ひっしょうを きし)
陣頭誓報告(国)(じんとう ほうこくを ちかう)

 これは、旧陸軍の初代機甲本部長であった吉田 悳(しん)中将が発案したとされるもので、陸上自衛隊の機甲部隊に配置された隊員は、必ず一度は唱えるという言葉です。

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