■砂ぼこりなど、王墓保存の難題を解決した修復チームが次に心配することは?

ツタンカーメンの墓が発掘されたのは1922年。以後、この少年王のミイラや黄金の副葬品を納め、鮮やかな壁画に彩られた3300年前の玄室は、人々の想像力を刺激し、魅了してきた。発掘から100年近くたち、10年がかりで慎重に進められた科学者や修復家からなる保存プロジェクトがこのほど完了した。誰もが知る古代の王墓について、これまで多くの謎が解き明かされてきたが、王墓の保存に関しては新たな課題が浮かび上がっている。

 今回の修復は、エジプト考古学博物館と米国のゲティ保存研究所が共同で進めてきたもので、2019年1月下旬にルクソールで開催されたシンポジウムでその成果が発表された。棺を収める玄室の広さは約110平方メートルで、一度に12人前後で修復作業にあたった。

 修復は2009年に始まり当初は2014年に完了する予定だったが、2011年のエジプト革命と2013年のクーデターで、予定よりも遅れての完了となった。 (参考記事:「当局発表:ツタンカーメンの隠し部屋はなかった」)

 ゲティ保存研究所の主席科学者で、修復家としてプロジェクトに携わったネヴィル・アグニュー氏は、「王家の谷を訪れる人は、ツタンカーメンの墓に行きたがります」と言う。未来に向けた保存計画を立てるために、王墓の状態を徹底的に記録・分析して、今後の経過を予想する必要がある。

「何もしなかったら、王墓は将来どうなってしまうでしょう? 私たちは、過去、現在、未来にわたる抗菌スペクトル(抗菌薬が作用する範囲)に興味をもちました。包括的に対処できる方法がないかを探ったのです」とアグニュー氏。

■茶色い斑点の謎が解明

 実際に、壁画についたしみの成分を調べてみると、リンゴ酸の濃度が高いことが分かった。リンゴ酸は、ある種の菌類や細菌の代謝副産物だ。つまり、しみは微生物に由来するものと考えられた。ところが玄室の壁から拭いとった物質をDNA分析してみると、バシラス属やコクリア属などの微生物が認められたものの、壁画のしみを作った生物の痕跡は、電子顕微鏡画像でも見つからなかった。

修復家は、ツタンカーメンが不慮の死を遂げ、墓が突貫工事で造営されたことが原因ではないかと考えている。つまり、こういうことだ。墓は漆喰や顔料を塗ってすぐに封印された。そのため、しばらくは湿気が残り、暗く暖かい環境で微生物が繁茂したが、その後、微生物は死に絶えた――。しみが発掘後にできたものでないことは、発掘直後に撮影された写真と比べれば確認できる。しみが、今後大きくなるおそれはない。

「しみも墓の歴史の一部」と考えられるので、上から塗り直したり除去したりはしなかったとアグニュー氏は言う。しかし、このように考えるように至ったのは科学的な調査があってのことだ。過去には、しみがさらに広がるのではないかと殺菌剤で処理していた時代もあったという。

 ツタンカーメンの墓に関する問題で、一番解決しなくてはならいものが砂ぼこりだった。毎日500〜1000人が王墓を訪れる。人と一緒に墓に持ち込まれる砂漠の砂は、粒子が細かいだけでなく水分を吸収しやすい。運ばれた砂は墓の表面全体に付着し、人の息に含まれる湿気を取り込んでべったりと貼り付いてしまうのだ。

 ツタンカーメンが埋葬されていた石棺は、ガラスのカバーに入れられ玄室の中央に置かれている。カバーに積もったほこりは警備員が簡単に拭きとれる。 ところが、繊細な壁画にすじ状に付着してしまった砂ぼこりは、そうはいかない。

 長年の懸案だった「砂ぼこり問題」を解決するため高性能の換気装置を設置し、壁画を科学的に調査して修復・クリーニングを実施した。こうして、悩みの種だった砂ぼこりを墓から追い出し、大気中に漂う微粒子も取り除くことに成功した。定期的に換気することで、かつては大きく変動していた墓の中の温度と湿度も安定した。

 修復では「ツタンカーメンの新たな呪い」も見つかった。空気穴を設置するために、玄室を上から見られる古い足場を取り外すと、大量のリント布やゴミと一緒に紙片が見つかった。その紙には「ツタンカーメンには祝福が、そのほかの人々にはファラオの呪いがあらんことを」と記されていた。


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