■生け贄か? チムー王国の謎

考古学専攻の2人の大学生が墓の両側で腹ばいになり、移植ごてを使って掘り始めた。最初に現れたのは、黒い髪の毛の付いた子どもの頭頂部だった。学生たちがブラシで砂を丹念に払い取っていくと、頭骨の残りの部分と粗い木綿の埋葬布から突き出た肩の骨が露出した。そして最後には、子どもの傍らで身をかがめる、金色の毛で覆われた小さなリャマの亡きがらが姿を現した。

 ペルー国立トルヒーヨ大学の考古学教授ガブリエル・プリエトは墓をのぞき込むと、「95番」と言った。2011年にこの墓地の調査を始めて以来、彼は犠牲者の数を記録していて、これが95番目に出土した遺体だったのだ。プリエトたちの発掘調査により、最終的に、この墓地からは137人の子どもの遺体が見つかった。いずれも500年以上前の生け贄の儀式で命を奪われたとみられる。世界の歴史をひもといても、これほど多くの子どもが生け贄として殺されたのは前代未聞だろう。

「予想もしていなかった発見です」とプリエトは当惑した様子で言った。自らも子どもをもつ彼は、「ウアンチャキト=ラス・リャマス」と呼ばれる集団墓地から子どもたちの遺体が見つかるたびに、その意味を懸命に見つけようとするが、結局は見つけられずにいる。一体、どのような切迫した事情が引き金となって、多くの子どもたちを生け贄として殺したのだろうか?

■エルニーニョ現象がきっかけか

 ウアンチャキトで執り行われた儀式の謎を解く手がかりの一つが、生け贄の犠牲者たちが埋められていた地層だ。それは厚い泥の層で、大量の雨が降ったことを示している。乾燥した気候のペルー北部で「これだけの雨をもたらすものといえば、エルニーニョ現象しかないでしょう」とプリエトは説明する。

 王国の都だったチャン・チャンの住民は、管理された灌漑システムと沿岸漁業に頼って暮らしていた。そのいずれもが、海水温の上昇とエルニーニョで生じた豪雨で壊滅的な被害を受けた可能性があり、チムー王国の政治と経済の安定を揺るがしたのではないかと、研究者たちは考えている。王国の神官と為政者たちは豪雨と混乱を鎮めてもらうために、神々に大量の生け贄をささげたのかもしれない。

 神々の怒りを鎮め、豪雨を止めることは一刻の猶予もない問題だっただろうが、大量の生け贄をささげる儀式そのものは周到に計画されたものだったようだ。子どもに劣らず貴重な資源だった幼いリャマは、王国が飼育していた群れのなかから特別に選ばれたと考えられる。

 生け贄の犠牲者たちを弔うため、ウアンチャキトには記念碑が建てられた。1人の少年と1頭のリャマをかたどった彫像を取り囲むように、ヤシの木が植えられている。ヤシの本数は犠牲になった少年と少女の数を表している。

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