【考古学】前代未聞の遺体の数、269人もの子どもたちはなぜ殺されたのか 南米ペルーに栄えたチムー王国の謎[01/31]
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■生け贄か? チムー王国の謎
考古学専攻の2人の大学生が墓の両側で腹ばいになり、移植ごてを使って掘り始めた。最初に現れたのは、黒い髪の毛の付いた子どもの頭頂部だった。学生たちがブラシで砂を丹念に払い取っていくと、頭骨の残りの部分と粗い木綿の埋葬布から突き出た肩の骨が露出した。そして最後には、子どもの傍らで身をかがめる、金色の毛で覆われた小さなリャマの亡きがらが姿を現した。
ペルー国立トルヒーヨ大学の考古学教授ガブリエル・プリエトは墓をのぞき込むと、「95番」と言った。2011年にこの墓地の調査を始めて以来、彼は犠牲者の数を記録していて、これが95番目に出土した遺体だったのだ。プリエトたちの発掘調査により、最終的に、この墓地からは137人の子どもの遺体が見つかった。いずれも500年以上前の生け贄の儀式で命を奪われたとみられる。世界の歴史をひもといても、これほど多くの子どもが生け贄として殺されたのは前代未聞だろう。
「予想もしていなかった発見です」とプリエトは当惑した様子で言った。自らも子どもをもつ彼は、「ウアンチャキト=ラス・リャマス」と呼ばれる集団墓地から子どもたちの遺体が見つかるたびに、その意味を懸命に見つけようとするが、結局は見つけられずにいる。一体、どのような切迫した事情が引き金となって、多くの子どもたちを生け贄として殺したのだろうか?
■エルニーニョ現象がきっかけか
ウアンチャキトで執り行われた儀式の謎を解く手がかりの一つが、生け贄の犠牲者たちが埋められていた地層だ。それは厚い泥の層で、大量の雨が降ったことを示している。乾燥した気候のペルー北部で「これだけの雨をもたらすものといえば、エルニーニョ現象しかないでしょう」とプリエトは説明する。
王国の都だったチャン・チャンの住民は、管理された灌漑システムと沿岸漁業に頼って暮らしていた。そのいずれもが、海水温の上昇とエルニーニョで生じた豪雨で壊滅的な被害を受けた可能性があり、チムー王国の政治と経済の安定を揺るがしたのではないかと、研究者たちは考えている。王国の神官と為政者たちは豪雨と混乱を鎮めてもらうために、神々に大量の生け贄をささげたのかもしれない。
神々の怒りを鎮め、豪雨を止めることは一刻の猶予もない問題だっただろうが、大量の生け贄をささげる儀式そのものは周到に計画されたものだったようだ。子どもに劣らず貴重な資源だった幼いリャマは、王国が飼育していた群れのなかから特別に選ばれたと考えられる。
生け贄の犠牲者たちを弔うため、ウアンチャキトには記念碑が建てられた。1人の少年と1頭のリャマをかたどった彫像を取り囲むように、ヤシの木が植えられている。ヤシの本数は犠牲になった少年と少女の数を表している。
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/012900067/ph_thumb.jpg
ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/012900067/ 子供の時、皮膚をつねる事をチムチムって言ってたけど方言だったのかな >>1
彫像の画像かと思ったら骨見ちゃったじゃない!
リャマも一緒に殺されたのかな?可哀想だよ
子供たちは疫病の可能性はないんだろうか 幼児死亡率が半端ない時代だから
ホントに生贄かどうか? ? 毎年1人か数人生贄にされるのは
風習として死んだ子供の事なんか考えないのに
いっぺんに大量だと途端に可哀想みたいな言い方って
なんなん? トルヒーヨってハイチの独裁者にいたよねwwラテン系の人名なのかなww 子供の死亡率が極端に高い時代と環境で、こんなに子供を殺していたら、社会の衰退はかえって免れないだろうにな。人間は愚かだ。魂に平安がありますよう。 当時の風習を勝手に今の倫理で裁こうとするなよ…
野蛮人なんか? そもそも生け贄って発想はどこから生まれたの? 人間を食べる宇宙からの種族が居た証拠では? >>10
多産多死の時代の倫理観は今の常識からすれば異常だ
個人主義こそ人類の英知の結晶だね >>11
> 野蛮人なんか?
定義としては当然そうだろうな
人間ってのは本質的に冷酷なんだよ、特にそういう環境で育つといくらでも残虐になる
それを知っておいた方が良い 大昔の日本でも人柱の風習があった、
とある工事で人柱をしようという話が出たが、平清盛はバカげてると言ってやらなかった
彼は迷信を否定する合理主義者だったのだろう。いずれにせよ、俺は清盛を尊敬している。
勿論、それが無くても優れた人物であったろうが、こういうエピソードは他では中々聞かないからね このぐらい新しいと、疾病なら何らかの痕跡が残るんじゃね? 灌漑設備にダメージなら食糧不足で餓死か口減らしと思った 理由無くやった可能性は?
大量殺人鬼なんて現在でもいるじゃん。 >>11
当時の人間を断罪する必要はない
しかし、同じ行いを繰り返さないための反省は必要だよ
文明ってのはそうやって進歩していってるわけで 拉致問題も被害者が亡くなれば途端に歴史問題になってしまうな。
この文明の人たちは子供を生贄に捧げることになんの心の痛みも感じなかったのか、
そこが知りたいなあ。そこに悲劇的な葛藤やドラマがあったのかどうか。 家族を除いて殆どなかったと思う
所詮他人の痛みは自分の痛みではない
どうかすると、神のもとへ行くとか天国に行けるみたいに素晴らしい事、
喜ばしい事、とか認識されたり、言ってる可能性すらある >>11
幼い子供が泣き叫びながら息の根を止められるのって
時代や人種関係なくヒト科には耐え難い事実のはずなんだが。
あくまで「その時代の大人の都合」に合わせた発言するんだろうけど かつては日本でも間引きと言って生まれたばかりの泣き叫ぶ赤子を窒息死させてたよ
今でもアマゾンのヤノマミ族など未開の村では赤子を必要としない場合は殺して白アリに食わせて
燃やすという、現代日本人からみたらおぞましいやり方で殺してるよ いじめというのは一種の集団主義・全体主義なんだよね。
集団の画一化・純化をすすめてメンバーが一体感を強めようとするときに、
誰か共通の攻撃目標をみつけて排除したり生贄として神に捧げようとする。
この場合の「神」というのがその集団の暗黙の最高理念になっている。
社会学者が指摘していることだったかな。 南米は生贄のあるよな
中東や中国は王が死んだら一緒に墓で死ねやだが >>29
引きこもりの息子とかが生贄に選ばれたのだとすると少しは人道的に見えるから不思議だ。 >>27
日本のは産婆の経験で障害もった赤子を締めてたやつだから一緒にするのはどうかと。
障害もった人間は穀潰しといって働くこともできないのに飯だけ減らす存在だった時代だし >>32
産婆が父親に「お返しするか?」と訊くのがデフォルトだった時節もあったようだよ >>32
> 日本のは産婆の経験で障害もった赤子を締めてたやつだから一緒にするのはどうかと。
違います、間引きってのは食えないからやってたの
それにこういっちゃなんだが中世以前の感覚だと赤子をそうやって殺すのはさはど
罪悪感はなかったろうよ、みなやってることだしね、面倒だから殺す、ってことも
あったろう、現代でもそういうクズ親が結構いるようにね 生贄だよ
インカの宗教観に基づいて国家レベルで儀式化されてた
王の永遠の命のために国内各地から子供が集められる
生きたまま心臓をえぐりだし神の化身であるコンドルに差し出す >>38
王ではなく、太陽(神)の再生のためだったかと 科学が発達する前は、超自然的なものを本気で信じていたからな
「縁起をかつぐ」なんてもんじゃなくて、本気で信じて畏れていた
恐怖に怯えていたといってもいいかも
だから、不作とか飢饉が続くと、神に「最も大切なもの」を捧げるという行為に自然と及ぶことになる >>40
最も大切なもの
それを判断する奴の自分の命じゃないところが笑える ユダヤ教も生贄を愚かな邪教の習慣だと否定した。
そして唯一の神が邪教崇拝の多神教を裁くのだと。 悪魔の子デイミアンに洗脳され率いられた狂気の殺人子供テロ組織を一網打尽に始末するしかなかった
狂犬病なりの物凄いそれに罹って凶器持って暴れ回る子供の一団をそうするしかなかった
強度のハシカなりの物凄い重篤伝染病に罹った子供らを、感染源絶ちと、苦しみを減らすためにも涙をのんで一気にあの世に送ってやるしかなかった
なんで生贄だと決めつけるんだよ
まあね、こういうのはね、
要するにね、
善悪の基準ってのはその時代時代で変化するってこと。
今なら非科学的な理由で大量に人を殺す行為は悪とされるが、
大昔は悪でもなく、仕方がないと応じることもあるし、
生贄になることが名誉の場合すらある。
ってこと。
明治以降は法や行政は科学をベースにした合理的判断に基づくもの、と
少なくとも表向きはなっているからなあ 日帝が日本国民7000万を沖縄10万の犠牲で救ったのと何も変わらない
「沖縄玉砕戦により英米に大規模出血を強いることで本土上陸を断念させ有条件降伏に持ち込む」
「神に生贄を捧げる事で怒りを鎮め国民国土の厄災を取り去る」
宗教が科学、法律、軍略に変わっただけで人間の本質は何も変わっていない 沖縄戦で本土を救った日本兵は英霊として祀られている
誰もそれを非道だとか倫理が欠落してるなんて言わない
生贄だって当時はそう言う扱いだったはず
神の元に行き国を救った英霊 子供が育ちにくい世の中だったはずじゃないかな?
そんな時代に生贄に使うかな 飢饉が起きて餓死寸前の状態になって、10人中7人しか生き残れないとなったらどうするって話だろ。
みんな仲良く餓死する文化もあれば、3人殺して生き残る文化もある。
基本的に現代以前は人類は死と隣り合わせだったから後者を選ぶ。みんな死んでたら人類は絶滅してたからな。
で、飢饉を超えて生き残るなら、殺す対象は体が弱くて飢饉に弱く労働力にならないものからするのが合理的。あとは神に祈るしかない。 戦国時代とか平気でキッズを処刑したりしてるから
現在でいう親の愛って当時はなかったのだと思ってたが
娘を処刑されて激しく恨みに思う武将もいたりして
基本的には泣く泣くの選択だったのでは思う面もある
これも生き残る為に泣く泣くだったのかな 労働力になる大人を選ばずに子供を生け贄にして淡だろ 生まれ過ぎても育てられないので間引く意味もあったんじゃね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています