【邪馬台国九州説】は「99・9%」福岡県にあった!ビッグデータが解いた「卑弥呼の墓」の謎
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■『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』、日本神話、考古学資料などを、総合的に統計学的手法で分析すれば、99.9%の確率で、邪馬台国は福岡県にあったことが言える。
■和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」
白鳥庫吉(1865〜1942年)は、明治期の東京帝国大学(現在の東京大学)を代表する東洋史学者であった。白鳥は1910年に発表した論文「倭女王卑弥呼考」のなかで、『魏志倭人伝』の「卑弥呼(ひみこ)」に関する記事内容と、『古事記』『日本書紀』の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に関する記事内容とを比較している。そして、この二つの記事内容について「その状態の酷似すること、何人もこれを否認するあたわざるべし」と述べている。
白鳥庫吉の見解を受け継ぎ、それを「邪馬台国東遷説」という形で大きく発展させたのは、東京大学の哲学者・和辻哲郎(1889〜1960年)であった。和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」は『日本古代文化』(岩波書店、1920年刊)のなかに見える。「邪馬台国東遷説」というのは、邪馬台国は九州に存在し、のちにその勢力を受け継ぐものが東遷して「大和朝廷(やまとちょうてい)」になったとする説である。
和辻哲郎氏(1889−1960年)
和辻哲郎や、その説を受け継ぐ人たちの「邪馬台国東遷説」の要点をまとめれば、次のようになる。
(1) 卑弥呼のことが神話化し、伝承化したものが天照大御神である。
(2) 九州にあった邪馬台国が、本州の大和に移動した。神武天皇の東征伝承は、その間の事情を伝えるものとみられる。
和辻哲郎は述べる。『古事記』『日本書紀』の伝える「神武東征」の物語の「国家を統一する力が九州から来た」という中核は、否定しがたい伝説に基づくものであろう、と。
(3) 九州から大和へ移動した時期は、3世紀の後半から、西暦300年前後にかけてのころであろう。
■年代論的根拠
和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」にはその後、年代的根拠がさらに詳しく与えられるようになってきている。
(中略)
■天照大御神のいた場所
「卑弥呼=天照大御神」とすれば、天照大御神のいた場所が、邪馬台国であることになる。邪馬台国についての手掛かりを『古事記』『日本書紀』のなかに、たどることができることになる。
『古事記』『日本書紀』は天照大御神のいた場所を「高天の原(たかまのはら)」と記す。「高天の原」は、どこだろう。
いま『古事記』の上巻、いわゆる神話の巻を取り上げる。『古事記』上巻には「筑紫(つくし)」「日向(ひむか)」「胸形(むなかた)」など、現実的に場所の特定できる地名が現れる。その地名の統計をとる。
その結果を図示すれば、図3のようになる。圧倒的に多いのが、「九州地方」と「山陰地方」の地名である。『古事記』の主要なテーマは「九州地方」の勢力と、大国主(おおくにぬし)の命(みよ)が治める出雲を中心とする「山陰地方」の勢力との対立図式といえる。いわゆる「出雲の国譲(くにゆず)り」伝承が中心的なテーマといえる。「高天の原」と重なり合うのは、この「九州地方」、特に北九州地方である。
http://tawayama.net/wp-content/uploads/7f0beb52698951740bca688fe0647a4c.jpg
■「平塚川添遺跡」の出現
『古事記』『日本書紀』によれば、高天の原には「天の安の河(あめのやすのかわ)」という河が流れていた。天照大御神と、その弟の須佐の男の命(すさのおのみこと)とがこの河を中において談判をしたり、神々が「天の安の河」の河原で、会議を開いたりしている。
九州の地図をみれば、現在でも北九州のほぼ中央に「夜須」という地名がある。この北九州の「夜須」の地名は、『日本書紀』や『万葉集』では「安」の字が当てられている。
筑後川の支流の小石原川は、「夜須川」とも呼ばれる。そして1992年に朝倉市(当時は甘木市といった)を流れる夜須川のすぐ近くから、弥生時代後期の大環濠集落跡として「平塚川添遺跡」が出現した。考古学者の佐原真氏は当時この平塚川添遺跡を「学術的には吉野ケ里に匹敵する遺跡」(朝日新聞)と述べている。
https://ironna.jp/article/4548?p=1
続く) >>366
>ひみかの時代には既に
卑弥呼をヒミカ読みするのは、古田史学の会に特有の風習ww >>384
>紀伊の国には広大な平野はないので畿内説は終了
これは狗奴国のことを言いたいのだと思うが、魏使倭人伝の倭国の地理で
「南」というのは、帯方郡から見て遠い方向という意味
濃尾平野ほか、東海地方には十分なスペースがある
>しかも九州よりも寒冷地だし
>魏志倭人伝に書かれている南国風景と異なる
魏志倭人伝に書かれている南国風景は、会稽東治の東くらいの沖縄・台湾辺りの南国
九州も南国にはあたらないんだよ
これは陳寿の錯誤 >>388
>纏向遺跡は九州で邪馬台国があった頃に
>畿内大和にあった巨大国家の遺跡って認識でOK?
× 九州に邪馬台国があった頃
伊都国も奴国も邪馬台国とは別の国なのは明らか
しかし北部九州でもっとも栄えているのは福岡平野の奴国で
それ以上に栄えている地域・国の遺跡はない
伊都国、奴国を除くと、北部九州には「奴国の3倍以上の邪馬台国」が入る余地はどこにもない >>388
正しくは
纏向遺跡は
畿内大和にあった巨大国家の遺跡で、邪馬台国そのものって認識でOK >>398
曹操の墓から金錯鉄鏡でてるやん。
銅鏡とは、話にならないレベルやん。
魏は、銅鏡より鉄鏡が流行り出したことが、
特徴的。
日田の鉄鏡と曹操の墓の金錯鉄鏡の成分を
同位体測定したら、何かわかるかもしれない。
日田の鉄鏡は、金印と並ぶ
国宝級やと思うよ。鉄鏡以外も金錯されたもの
あるし、まさに、魏志倭人伝の「鏡+采物」の
記述やないかな。 なぜ、魏では、銅鏡が流行り出したか?
洛陽では、銅鏡が作られにくくなった。
これは、三国時代の孫権呉に、関係している。
徐州で、銅は入手できる洛陽だが、
いかんせん白銅鏡やなく銅鏡なら、
錫がいる。
呉の地域は、無錫市で、錫はあっただろうし、
その当時から、雲南の錫は、有名だね。
蜀や呉の支配地域から、
魏が雲南や無錫から錫を運ぶのは、
困難だっただろう。
その結果が、鉄鏡の流行になるのが、
正統王朝の特筆すべきポイント。
魏からの銅鏡、
内行花文鏡とか方格規矩鏡などは、
流通が減少したんやないかな。 >>397
会稽東治の東は、今の蘇州市あたりだろう。
後漢時代は、そのあたりが、会稽で郡治が
置かれていた。 実はデータ不足してましたとか10年後に言ってたりして もう邪馬台国が北九州にあったとか言ってる研究者ほとんどいないだろ
元北九州説派の今のトレンドは卑弥呼は北九州出身説だよ >>392
東海地方の土器が多く出て九州のそれが少なく、大陸性の金属製品が出ないことといい、
纏向は九州の邪馬台国とは交流のない別の文化圏の国の遺跡としか思えないんだよな。
だって倭人伝でも倭国には100カ国あまりあるらしいがこの大陸と交流のあるのは30カ国あまりと書いてる。
畿内に大きな国があっても大陸の人間は当然知らない。 >>381
> コンピュータがロジックを一から考えるわけないだろがwww
そりゃそうだ、そもそもそんなことは言ってないw
> 人間がプログラムを組んだんだよ
他に誰がやるのやら当たり前の話
> 関係ないものを根拠にするというプログラムを組み、
関係ない、という時点で誤りなんだがねw関係ないとどうして言える?ただの主観だろw
本来、現代の事であろうとも、全ての事を考えるのが当然なんですがw
お前さあ、ビッグデータの意味わかってる?
例えばある商品を全く関係なさそうな商品と一緒に買うことが多い事に気づき、それを一緒に並べたら
凄く売れるようになった、とかそういうもんなのよ、だから、真の答えにたどり着けない訳。
大体、お前の話はだから論理的でもなく合理的でもない、最初から答えありきのただの願望と思い込みだけ >>382
> 意味不明
意味不明ならレスするなよw図星で悔しいんだろw
> そもそも、あんたの主張知らんしw
だからそうならレスするなよw
大体、最初に書いたし、お前自身が370確定事項と返答してるし、
そもそもそこの378自体に書いてあるし、知らんとかまったく意味不明な笑えるレスだw
何にしても畿内説が根拠希薄であてにならず、お前がそれを妄信してるバカなのは変わらんw
>知識がないから根拠希薄と思ってるだけだろうけどw
でもそれは言えないんだろ、笑ったよwすでにネットに挙げられてるようなものしか言えないくせになw
あれ全てまともな根拠になりませんよ、邪馬台国という明示できるようなものは一つもなく
どこそこでこういう遺跡、遺物があった、ただそれだけの答えありきの意味のないものばかりだろうになw
だから言えないんだろうw >>394
それについては言うことはあるが、どの道、こちらの主旨はそういう事よりも
これまでの全ての邪馬台国どこ説が極めて曖昧で希薄な根拠でしかないのに、
絶対にここ、みたいなバカばっかりなんでな。持っていき方がムーレベルと大差ない。
もっとも日本の考古学自体が怪しい根拠をもとに憶測に憶測を重ねたもので、
ムーに毛が生えた程度、とも言えるだろうがねw
仮に現行裁判でこんなことやってたら冤罪で死刑になるやつが大量にいるだろうよレベル
全く論理的、合理的、科学的思考ではない。その地域の人は常に自分の地域を支持していて、
結局はほとんど感情で判断してるだけのお笑い説ばかりという >>396
それ忘れるなよw
まああんたの方が触ると危険ぽいけどねw
相手を批判するだけ自説ばかり支持
そして機内の根拠は示さない >>410
「ムー」をバカにすんな!
あれだけの絵空事を一冊にまとめて毎月出せるなんてすごいことなんだぞ。 なぜ九州の片田舎にある宇佐神宮が天皇家の宗廟なのかよく考えてみろ
道鏡事件の時、皇室は伊勢など鼻もひっかけずに宇佐の御神託に従った
宇佐は皇室の本貫の地なんだよ
熊本(球磨)にあったのは狗奴国 邪馬台国の敵対勢力だな
ほんとうに卑弥呼は思わせぶりで魅力抜群ですね
2千年近くたっても男どもを魅了しまくりですね 新井白石が高天原常陸説を唱えるまで、
ごく普通に高天原は葛城の金剛山の高天だと認識されていた。
そこには日本最古の神社高天彦神社があり、
その御神域に径百余歩の塚があり奴婢も埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛だ。
http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_0.png
卑弥呼とは簡単。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津 E孝安 D孝昭
トヨ津 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴) B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴) A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴) (200年頃) @神武
神武東征紀とは実際には女王国であった史実をごまかすための大袈裟な記述であったことがわかる。
ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地が高天原。
ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も死後に高天原の神々になった。 >>408
おまえ、ビッグデータの知ったかしてるが何も分かってないな
簡単な例で説明するとこういうことだ
あるスーパーでビールを買う客は、他にどんな商品を買うことが多いかを
全ての売り上げデータをもとに統計的に出すもの
この統計分析には「ビールを買った客をデータとして特定できている」ことが前提になる
しかし、邪馬台国論争の場合、邪馬台国はどこか特定できていないから
どの出土品との相関関係が強いかを見ることは元から不可能だ
ビッグデータと称してもっともらしく見せてるが、やってることは九州に誘導するためのインチキ
具体的な方法が書かれていないが、おそらく邪馬台国は鉄が多いという前提を作った上でプログラムを組んでいるのだろう
一方、3世紀に九州勢は中国鏡を入手できなくなっていたというデータは使用してないはず
中国鏡の取引において、九州勢が魏に相手にされなかったという致命的な状況は
九州説に否定につながるから意図的に除外しているわけだ >>409
おまえが聞いてきたからレスしたんだアホ
しかも2回もだ(373はアンカーが間違ってるが同じ内容)
おまえが畿内説の根拠が希薄だと思うのはおまえの勝手
だが、専門家は十分だと考えてるから畿内説を支持してる
実際、日本史板の畿内説の本スレには十分過ぎるほど根拠が書かれている
おまえはペラペラな知識しかないから畿内説の根拠の意味も分からずポカーン状態
難しい専門用語が並んでてチンプンカンプン
具体的な指摘がないのは全く分かってない証 まあ科学者でも自説に合わせてデータを選んじゃうからな。
人間は弱いもんだわ。
とはいえ >>1 は少々極端だな。 >>420
> おまえ、ビッグデータの知ったかしてるが何も分かってないな
お前がなw
てか俺と同じことをより面倒に言ってるだけw俺のが簡単で分かりやすいwバカはこれだからw
いずれにしても、それだけ偉そうに語るってことは、邪馬台国どこ説が根拠希薄で詭弁まみれの当てにならない
ことだということは認めるわけだろ、畿内妄信がバカである話に対し何の意味もないw >>421
> おまえが聞いてきたからレスしたんだアホ
はあ?聞いてないよアホwそれに意味不明ならレスするなよは変わらん、ほんと頭悪いなあw
さすが根拠希薄な話を絶対視するだけの事はあるわw 100パーセント九州だろ
福岡平野の地下はどこもかしこも弥生の都市痕跡が出てくる
纒向がいくら広がりがあろうと福岡平野の広がりには勝てんだろ >>423
ビッグデータ統計と称したインチキがばれたから罵るだけだなw
中身空っぽのレスw
負け犬の遠吠えそのものwww
おまえが畿内説を根拠希薄で詭弁まみれだと思うのはお前だの勝手だ
おれは十分だと思ってるし、実際に世の中は畿内説で決着した動きになってる
教科書が書き換わったのはその一例
おまえが世の中から取り残されようと知ったこっちゃない >>424
ただの難癖野郎だな
ほれ、おまえのレスの抜粋だ
「何か言えよw」
「それでいいの?」
この難癖野郎はもう相手にしないから一人で吠えてろ >>426
> ビッグデータ統計と称したインチキがばれたから罵るだけだなw
別にばれてないしw根拠ゼロでアホかとw
むしろ正しいと証明されたのが悔しいからだろw笑うよw
>>427
>ただの難癖野郎だな
それ完全にお前なw難癖付け始めた人w
>「何か言えよw」
それだけ言った覚えはないんだがねw
で、主旨であるどこ説は根拠希薄には何も言えないとw 卑弥呼の勢力が九州から東征したのを、女王の歴史は都合が悪いから歴史改ざん
で男の神武という架空の人物作って神武東征としたのが濃厚
豪快に歴史改ざんするなら最初から近畿大和に天皇一族が生まれてずっと支配と
いうことにすればいいところを、東征の部分はもう当時でも一般レベルで広く
実際の話で定着していて改ざんできなかったと見るのが自然 偽書の日本書紀に記載の無いヒミカを奈良に結びつけたい事の矛盾に気付かない知性
倭国と奈良は支配者と被保護者の関係
周チョウソウ 半島支配 鉄の供給 金印 ヒミカ 倭の5王 水城 イワイ 白村江 サチヤマ
正倉院宝物 すべて 倭国の事象 正倉院の宝物と法隆寺及び仏像は倭国滅亡時の奈良の戦利品 三韓征伐とか絶対に朝鮮人が認めないもんな
広開土王碑で裏取れたのに
偽書扱いするわ 広開土王碑での倭は九州倭国のこと 奈良は無関係 何が言いたいの 知性の人は 九州北部は朝鮮半島と継続的に頻繁に行き来があった
半島の豪族とのつながりや、技術や鉄、道具の輸入があったことを考えると
弥生初期〜中期において九州北部は圧倒的な優位性があったと思う
その九州北部勢力は徐々に東へと勢力を伸ばし、瀬戸内一帯から近畿へと到達
3世紀前半、倭国大乱の結果、卑弥呼が諸国連合の女王となり
その都を九州北部のヤマト国(邪馬台国)とする
ただ遺跡から見るに近畿にはすでに大きな都市が発達しており
卑弥呼の死後、3世紀後半には諸国連合は再編され都を近畿に移すこととなる
てことじゃないか? >>1
ビックデータって自分の都合のいいデータだけ食わせれば、その通りの結果になるんだよなぁ。 >>1
胡散臭い記事だなと思い、ファイルを開くと執筆者が安本美典だった
解散 >>437
何故 (3世紀後半には諸国連合は再編され都を近畿に移すこととなる
てことじゃないか?) と考えるのですか 何か文献でもあったのですか
700年までは倭国で政権が奈良へ移行したのは 教科書にもあるように710年ではいけませんか >>411が批判されると答えられなくてストレスだから触ってくれるなと泣き言を言っていますww
誰にも批判されず、俺が王様状態で好き勝手書けないと嫌なんだってさw >>394やベイズ統計に触れずにビッグデータだからとか言ってる人は
ただの難癖野郎だから無視していいよ
安本美典、99.9%、ベイズ統計で検索すれば、元ネタも調べられるだろww .
神功皇后の実子・応神天皇は先帝死後3年の出生(女系天皇)。
また、物部神社には神武天皇が養子であられた記録あり。」 >>430
>豪快に歴史改ざんするなら最初から近畿大和に天皇一族が生まれてずっと支配と
>いうことにすればいいところを、東征の部分はもう当時でも一般レベルで広く
>実際の話で定着していて改ざんできなかったと見るのが自然
これが九州説のチェリーピッキングの典型
都合の悪いところは改竄された、都合のよいところは改竄できなかったww
本当にご都合のよいことですわねww
私の考えは畿内説の主流ではないけれど、神武の九州からの移入は卑弥呼の共立よりも
数世代(5世代程度)昔と見る
卑弥呼が共立されるときに、九州の血筋に繋がるものとして九州から来た神武の
家系であることが重要だったから、それが卑弥呼のヤマト王権の始祖伝承に
取り入れられたという考え方
まあ、主流の畿内説では、神武の東征は神話扱いだけどね >>443
>神功皇后の実子・応神天皇は先帝死後3年の出生(女系天皇)。
いわゆる春秋年を認めれば、特に問題ない
ヒトの妊娠期間は285日だから、春秋年の半年一年(183日)よりも長い
仲哀9年の仲哀死亡前に妊娠して、仲哀10年(183日)を超えて
仲哀11年に出生で通常の妊娠期間になる
春秋年でOK 春秋年って2倍年暦?
古代の日本には特殊な暦があったってことか
国家ができる前に、しかも文字もないのに誰が暦を管理してた? 占いで、東に吉とでたから移動したんだろ。甘木の奥、ひきの近くに夜明(よあけ)という地名もあるよ >>440
広開土王が倭人に勝ったから、いまレーダー照射で大騒ぎしてる軍艦名に選ばれた。
なのに倭人が半島に進出した事実は認めないw
この矛盾に気付かないのが朝鮮人
そら邪馬台国=ヤマト政権だったら困るわな
何とかして日本の歴史の連続性を分断したがるわ >>448
意味不明なコメント あなたの頭は床屋のために存在しているようです >>448
あなたは大きく勘違いしている 継体以降現天皇家が朝鮮人です
倭国を造ったのはニンポー台湾琉球あたりの南方民族で朝鮮人ではありません >>448
コウカイは倭国に勝利はしていません
倭国の北上の勢いをなんとか押し返そうとしていただけです
碑を読めば解ることです 当時の倭国は武王です
匈奴の一種フヨ族が半島へ南下し高句麗をつくり其の分流が新羅 百済をつくりました >>448
本列島の成立の頃から 南方海上よりの黒潮海流は常に日本列島を巻き込み北上し流れてきた
日本列島に初めて漂着したのは北方から徒歩で来た人々では無く 南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した人々だった 黒潮は休む事無く常に日本へ流れており 漂着する人も三々五々の如く常に日本へ流入し続けた 琉球 九州 四国 本州の順で
北方は21世紀の今も人の生存状況は厳しく 此処を超えて多数が来たとは思えない
南方より漂着した人々は石器時代には黒曜石を産出する地域に集まり米作で生活し1万5千年前頃には人類初の土器を製造し始めた
石器時代は徐々に銅器時代へと移行し始める この時の日本には大阪には銅鐸文明が栄える 銅から鉄へ移行する時 九州北部に鉄を持った天孫降臨族が発生し博多を拠点とし九州を支配下に治め倭国(チクシ)と称する
勿論大陸との外交は重要で周や漢や魏と交流する その間の出来事は ニニギのヨシタケタガギ(場所は福岡市西区) 金印(カンノイトコクオウ)同じくヤマイチ国のシンギワオウ(ヒミカ)場所は福岡県春日市スクオカモト(絹の出土)
倭の五王(都督府を大宰府へ) 岩井天皇の律令制度 サチヤマ白村江の戦いでの敗戦および唐軍の大宰府進駐などがあり700年まで続いた
1年頃今の糸島市で不遇を囲っていた神武兄弟は新天地を求め大阪侵略を思い立つ
勿論神武兄弟以前にも多くの侵略者が行ったがいまだ成功は見なかった
大阪の銅鐸文化圏へ天孫降臨族の不断の圧力が今の岡山県あたりで前哨線となっていた
当然銅鐸圏の東鯷国ナガスネヒコの防御は明石や淡路島で堅かった 為に神武兄弟は鳴門をとおり大阪湾へ突入したが散々に負け神武の兄は死ぬ その後熊野をとおり奈良へ侵入し殺戮の限りを尽くすがその後スジンまでは奈良に逼塞する
250年頃スジンはミマナより奈良へ侵略しジンムの末裔を殺戮する
欠史8代とは朝鮮人スジンが史実を知らなかったことが理由
北陸へ半島より渡来した継体は応神五代の末という触れ込みで奈良政権を奪う 内紛に感けて継体の侵略を許した
奈良政権を奪った簒奪者継体は次に倭国簒奪を狙う モノノベノアラカイへ九州を与え本州は自分がとるとの密約は周知の事実
此の倭国侵略で継体の嘘が露になる 分流の奈良は称号に倭(チクシ)と名乗り倭国の末裔たる事を誇りにしていた しかし継体は半島渡来であり倭国とは何等の関係も無かった
半島の高句麗との戦いの援軍を装い岩井天皇を暗殺したが 九州の肥後の軍勢に追われ倭国奪取は出来なかった
倭国由来の血統の絶えた継体以降は敵地同然の奈良の居心地は悪く 半島由来の多く住む滋賀京都を目指した
700年以後同じく半島由来の藤原一族と共に日本列島の支配者となる
この時テンムが倭国の文書(日本旧記を始めとする)を集め日本書紀に内容を剽窃した >>449
お前の怪しい日本語よりはマシだろうw
わざわざ日本に来てくれたお礼に良い事を教えたるわ。
高句麗の広開土王は中国人やでwww >>441
> >>411が批判されると答えられなくてストレスだから触ってくれるなと泣き言を言っていますww
はあ?むしろ>>411は待ってるんだけどw畿内説などの根拠希薄のどこ説には一貫してまるで触れないというw
言うことは、実質どうでも良い442のような揚げ足取りだけw
答えられないから逃げてるだけの癖になあw 高句麗の広開土王は朝鮮人でも中国人でもなく高句麗人w
今で言えば日本人や満州人やエヴェンキが近いw いや、エヴェンキが扶余の末裔w
百済系であるが故に現在の日本人(特に近畿人とか北九州人とか山口人)もなw
現在の朝鮮人は扶余直系の子孫ではないw 邪馬台国より面白いことが書かれているけど、どこだろう?
人の背丈は三、四尺(72p〜96p)・・・そんな背の低い人たちがいるところはどこだろ?
女王国の東、海を渡って千余里行くと、また国が有り、皆、倭種である。また、侏儒国がその(女王国の)南にある。
女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至 邪馬台国より面白いことが書かれているけど、どこだろう?
人の背丈は三、四尺(72p〜96p)・・・そんな背の低い人たちがいるところはどこだろ?
女王国の東、海を渡って千余里行くと、また国が有り、皆、倭種である。また、侏儒国がその(女王国の)南にある。 人の背丈は三、四尺(72p〜96p)で、女王国を去ること四千余里。また、裸国と黒歯国があり、また、その(女王国の)東南にある。船で一年行くと着く。
女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至 2008年 12808万人 + 5万 △△△△△
2009年 12803万人 − 5万 ▼▼▼▼▼
2010年 12806万人 + 3万 △△△
2011年 12780万人 −26万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2012年 12752万人 −28万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2013年 12730万人 −22万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2014年 12709万人 −21万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/asaloon/1546600138/l50
福島県や宮城県で甲状腺ガンが白血病が激増、原因は不明 。安倍移民党が政権取って何年目だっけ?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1546677645/l50 >>131
続日本紀でも頻繁に韓鍛冶の語が見えるんで
当時の鍛冶技術としても、韓国のが進んでたんだろう
https://kotobank.jp/word/%E9%9F%93%E9%8D%9B%E5%86%B6-467254
文字も暦も鍛冶技術もろくになかった時代の日本が
朝鮮半島全体を何百年も支配してたんだから
まあ、すごい話だよね……本当なら
記紀にある通り、魔法の様に津波を操作してたのかも知れん せやで、島国と馬鹿にしながら
その島国のさらにド田舎の種子島が鉄砲の量産に成功したのに
自国で鉄砲が作れなかった民族がいてるらしいなw
その種子島や >>461 邪馬台国女王国を探るに、逆から考えてみてはどうだろうか?
侏儒国がその(女王国の)南にある。 人の背丈は三、四尺(72p〜96p)で、女王国を去ること四千余里。また、裸国と黒歯国があり、また、その(女王国の)東南にある。船で一年行くと着く。 >>467
確かに事実やで
韓鍛冶が伝来したとされる大化の改新より前の、
纏向遺跡に4世紀の鍛冶跡が発見されているのがwww
米もDNAで完全にバレたし、鉄もそろそろバレそうだなw
おう、頑張って捏造しろよw >>471
>韓鍛冶が伝来したとされる大化の改新
え?
古事記でも、応神天皇の時代に来たってあるよね?
https://kotobank.jp/word/%E9%8D%9B%E5%86%B6%E9%83%A8-45898
>大化前代,刀剣そのほかの鍛造に従事した品部 (ともべ) 。
>朝鮮の進歩した技術を身につけたものから成る
>韓 (から) 鍛冶部と,日本在来の技術による倭 (やまと) 鍛冶部があった。
>大化以後は宮内省鍛冶司 (つかさ) によって,その技術の一部が引継がれた。
>《古事記》応神段に百済より韓鍛の卓素が貢上されたとあり,
>百済系技術者を組織したもので,彼らは各地に居住し
>伴造(とものみやつこ)の韓鍛冶首(おびと)に率いられて
>宮廷工房に上番した。 そうなんだよねぇ、
ただ、その割には文字とか暦とか
ちゃんと教えてくれてる風が無いのが不思議
宗主国が事実上、文盲状態だったのに
よく属国で居てくれたなぁ……って やっぱり技術があっても、魔法が使える方が強いんだろうね 倭国は大陸と交易しており 漢字は漢のときより使用している
半島は覚えきれず21世紀に諦めた 同時に 漢字で書かれた歴史をも捨てた 邪馬台国がどこにあったかなんて
全く興味は無い
ただ天照=卑弥呼なのかどうかは
はっきりさせて欲しい
天照がただの人間って事なら
日本の神様なんてもう怖がること無いしね 現在日本人は魏史を読めるが 朝鮮人には読めない 魏史韓伝 >>473
おしいwww
日本書紀によると纏向遺跡は第11代垂仁天皇が命じて造営された都だ。
第15代応神天皇とは明らかに以前なんよw
古代製鉄も各地で5世紀以前のものが発見されて、朝鮮由来説が崩れてるw
そもそも朝鮮側に製鉄関係の発見が殆んど無いんだわwww
それで楽浪郡→出雲→各地への中国から直接来た説に変わってきてる。 倭人伝のころは半島は未開
五胡十六国時代に中国から知識人が混乱を避けて半島や日本に逃げてきた
半島に技術が広がる可能性もあったけど、新羅になって半島から知識人が逃げた
で、また未開に戻った 鍛冶ならば、五斗長垣内遺跡で、それこそ卑弥呼前・2世紀後半には
始まっているのが分かっているじゃない。
たたら製鉄はまだでも、鍛冶(鉄製品の加工)は、
纏向が本格化する前には、既に確立していた。
それが畿内に流通していたのは、ほぼ確実。 大和朝廷は百済の出先機関、
出雲はきっと朝鮮半島の別の国の出先機関、
そんなところだろう >>483
淡路島の製鉄遺構は瀬戸内海を東進してきた九州勢力のもの
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
中略
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
これで淡路や近江など至近距離に鉄工房があるにも関わらず、畿内の弥生末期〜古墳初頭の遺跡から鉄製品がごく僅かしか出土しない謎が解けた
当時は淡路島や近江を制していた勢力と畿内はまだ別勢力だったというわけだ >>464
20世紀になって日本の植民地になるまで乞食同然で地べたに這いつくばるような
文明のかけらもない国が邪馬台国の時代に一体どんな優れた軍事力を持っていたのかとw >>477
つ隋書
>>481
具体的には垂仁天皇ってのは何世紀ごろの話?
メタな事を言えば、継体天皇以前の歴史は
あまり信用できない訳だしね。
応神天皇から以前は史実性そものが、かなり怪しい。
記紀や続日本紀に韓鍛冶の記述がある以上は
朝鮮の技術者が来たと見るべきだろう。
むしろ、そこで資料を疑う理由は特にないんじゃないかと >>485
有り得え無い。とっくに論破されてる。
何度も繰り返された遷都で、当時価値があった鉄も一緒に移動した。
加えて畿内の酸性土壌が鉄の酸化を促した。よって副葬された鉄製品の発見が極端に少ない。
また纏向遺跡に環豪集落のような防御施設は存在しない。
これは後代の京都や奈良のように、城壁など必要としないほど、
ヤマト政権の影響力が極めて大きかったから。
畿内に軍を駐屯させるよりも、戦闘が想定される辺境(東北・関東・九州・半島)へ
鉄製武器の配備が進められたから
以上の3点が、畿内に鉄製品が出土しない理由となる。
そもそも漁具を持ち出して何が言いたい?奈良に海があると思っているのか?
頭悪すぎて引く >>488
畿内に海がないのに淡路島で漁具を作っていたのは海に縁がある九州の海人の設備だったからだよ
論破されてるのはお前の妄想だw >>488
ついでに言うと、南の狗奴国と戦争していたのに防御施設も武器も持たない畿内は邪馬台国ではないのが確定w >>487
自分の文章の矛盾に気付かないか?
記紀に記載された
応神天皇以前の天皇は史実性が無いと言いながら
韓鍛冶の記載は信じろという。
お前も頭悪すぎて引く 魏志倭人伝には「其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香」とあり、「樟」つまりクスノキが生えているとある
現代では栽培により本州にも生えているクスノキだが、自生の北限地は福岡県北西部の立花山である
よって邪馬台国は九州で確定
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163881
> 天然紀念物調査報告(植物之部)第八輯 六六頁 参照
> 樟 Cinnamomum Camphora Nees. et Ebrm. ハ立花山麓ヨリ山腹ニ亘リ大ナル純林ヲ成シ巨樹多シ、樟原始林トシテ代表的ナルノミナラズ
> 同樹林ノ北限地帶トシテ最モ著シキモノナリ
> 立花山々麓から山腹に亘るクスノキの純林でその原始林として代表的であるばかりでなく、自生北限に属するものとして最も価値の高いものである。
https://kotobank.jp/word/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%B1%B1-93499
> ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
> 立花山 たちばなやま
> 福岡県北西部,新宮町,久山 (ひさやま) 町,福岡市東区の境にある山。標高 367m。山体は花崗岩と古生層から成る。
> 南東斜面の久山町にかけて広がるクスノキの原始林は自生北限地として知られ,特別天然記念物に指定されている。 たたら製鉄が始まるまでは、どちらにせよ原料としての鉄を大陸か半島に頼っていただろうし、
その調達地としての北部九州と出雲が肝になるのは確かだよね。
そういう意味で、畿内では原材料としての鉄材が入手困難で、貴重品だっただろう。
鍛冶をするということは、単に加工するだけでなく、貴重な鉄材をリサイクルすることでもある。
鉄のリサイクルがより重視されたからこその、鉄器出土の限定じゃないかと思う。エコ国家邪馬台国。
あと、重要墳墓の調査が進んでいないからな。
稲部遺跡でも、鉄器はあまり出ていないよ。鉄器工房なのにw
でも、それは単に調査が進んでいないだけ。 >>28
当然、西暦200年頃の国税調査だろうよw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています