【邪馬台国九州説】は「99・9%」福岡県にあった!ビッグデータが解いた「卑弥呼の墓」の謎
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■『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』、日本神話、考古学資料などを、総合的に統計学的手法で分析すれば、99.9%の確率で、邪馬台国は福岡県にあったことが言える。
■和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」
白鳥庫吉(1865〜1942年)は、明治期の東京帝国大学(現在の東京大学)を代表する東洋史学者であった。白鳥は1910年に発表した論文「倭女王卑弥呼考」のなかで、『魏志倭人伝』の「卑弥呼(ひみこ)」に関する記事内容と、『古事記』『日本書紀』の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に関する記事内容とを比較している。そして、この二つの記事内容について「その状態の酷似すること、何人もこれを否認するあたわざるべし」と述べている。
白鳥庫吉の見解を受け継ぎ、それを「邪馬台国東遷説」という形で大きく発展させたのは、東京大学の哲学者・和辻哲郎(1889〜1960年)であった。和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」は『日本古代文化』(岩波書店、1920年刊)のなかに見える。「邪馬台国東遷説」というのは、邪馬台国は九州に存在し、のちにその勢力を受け継ぐものが東遷して「大和朝廷(やまとちょうてい)」になったとする説である。
和辻哲郎氏(1889−1960年)
和辻哲郎や、その説を受け継ぐ人たちの「邪馬台国東遷説」の要点をまとめれば、次のようになる。
(1) 卑弥呼のことが神話化し、伝承化したものが天照大御神である。
(2) 九州にあった邪馬台国が、本州の大和に移動した。神武天皇の東征伝承は、その間の事情を伝えるものとみられる。
和辻哲郎は述べる。『古事記』『日本書紀』の伝える「神武東征」の物語の「国家を統一する力が九州から来た」という中核は、否定しがたい伝説に基づくものであろう、と。
(3) 九州から大和へ移動した時期は、3世紀の後半から、西暦300年前後にかけてのころであろう。
■年代論的根拠
和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」にはその後、年代的根拠がさらに詳しく与えられるようになってきている。
(中略)
■天照大御神のいた場所
「卑弥呼=天照大御神」とすれば、天照大御神のいた場所が、邪馬台国であることになる。邪馬台国についての手掛かりを『古事記』『日本書紀』のなかに、たどることができることになる。
『古事記』『日本書紀』は天照大御神のいた場所を「高天の原(たかまのはら)」と記す。「高天の原」は、どこだろう。
いま『古事記』の上巻、いわゆる神話の巻を取り上げる。『古事記』上巻には「筑紫(つくし)」「日向(ひむか)」「胸形(むなかた)」など、現実的に場所の特定できる地名が現れる。その地名の統計をとる。
その結果を図示すれば、図3のようになる。圧倒的に多いのが、「九州地方」と「山陰地方」の地名である。『古事記』の主要なテーマは「九州地方」の勢力と、大国主(おおくにぬし)の命(みよ)が治める出雲を中心とする「山陰地方」の勢力との対立図式といえる。いわゆる「出雲の国譲(くにゆず)り」伝承が中心的なテーマといえる。「高天の原」と重なり合うのは、この「九州地方」、特に北九州地方である。
http://tawayama.net/wp-content/uploads/7f0beb52698951740bca688fe0647a4c.jpg
■「平塚川添遺跡」の出現
『古事記』『日本書紀』によれば、高天の原には「天の安の河(あめのやすのかわ)」という河が流れていた。天照大御神と、その弟の須佐の男の命(すさのおのみこと)とがこの河を中において談判をしたり、神々が「天の安の河」の河原で、会議を開いたりしている。
九州の地図をみれば、現在でも北九州のほぼ中央に「夜須」という地名がある。この北九州の「夜須」の地名は、『日本書紀』や『万葉集』では「安」の字が当てられている。
筑後川の支流の小石原川は、「夜須川」とも呼ばれる。そして1992年に朝倉市(当時は甘木市といった)を流れる夜須川のすぐ近くから、弥生時代後期の大環濠集落跡として「平塚川添遺跡」が出現した。考古学者の佐原真氏は当時この平塚川添遺跡を「学術的には吉野ケ里に匹敵する遺跡」(朝日新聞)と述べている。
https://ironna.jp/article/4548?p=1
続く) >>297
邪馬台(国)にしても卑弥呼にしてもそれらの名前を構成している漢字には何の意味もない
これは当時の国の名前とその女王の名前それぞれの音を当時のチャイナの漢字の発音に基づいて漢字で写しただけだ
つまり「卑弥呼」という漢字で写された「ヒミコ」という音は本来は当時のやまとことばの音なので
その意味するところは「日巫女」(太陽の神のお告げを伝える巫女つまり呪術師または 預言者)あるいは「日御子」(太陽の御子)という名前(あるいは役職名)だろう >>7
原型の最古級の鏡も九州なんだよなぁ
勢力を拡大しつつ神武東征の後近畿に落ち着いた、大昔から「当たり前」の話だ
近畿のバカとアホ学者が戦後に引っ掻き回したのが全ての罪
奈良からどこに「東征」したんだよ間抜けが
地名からしてより古いのは近畿<<<<九州、京都なんて大和言葉でもねえしな。地名にきっちり痕跡残ってるのが面白い
せいぜい縄文人の巣食ってた野蛮な土地だよ近畿は 実際にデータ解析をやってる技術屋だけど、
・どんな「ビッグデータ」と、どんな統計的手法を使ったのか
・そのデータ/手法選択は何故正しいのか ← ここ重要
最低限説明すべきだろうな するってーと日本の中心は・・・
福岡で始まって奈良にいって京都にいって鎌倉にいって京都に戻ってちょっと滋賀な時があったけど概ね京都で最後に東京になったわけかな? >>292
福岡市西区山門です まへらばです 首都はヨシタケタカギです ニニギの墓所です >>282
現天皇家とは関係はありません 倭国の墳墓です >>262
逆です 糸島から奈良へ侵入した勢力が征服者としてふるさとの地名を奈良にあてはめました
一例 糸島の 二見が浦 に対して 伊勢二見が浦 と必ず伊勢を付けます 分家ですから 福岡(紀元前〜700年)で始まって奈良(710年〜)にいって京都(794年〜)にいって鎌倉(1192年〜)にいって
京都に戻ってちょっと滋賀な時があったけど概ね京都で最後に東京(1868年〜)になったわけかな? これは九州北部それも朝倉とかあの辺りだわ
今まで畿内の信者に騙されてた マジレスすると奈良の纏向遺跡は総面積300ha。後代の藤原京より大きい。
広すぎて未調査区域が9割残ってる国内最大の弥生末期遺跡。
最初期の巨大古墳である箸墓古墳が有名。鉄剣どころか運河が発見された。
ちなみに吉野ヶ里遺跡は40ha
九州説が学会で主流になるには、纏向以上の遺跡が発見されない限り永久に不可能。 倭国の最終地は太宰府です 白村江の敗戦後倭国の領土や建物の簒奪が奈良により始まりました >>306 何も知らないようだね 歴代天皇は代替わりの際には必ず勅使を宇佐に送る。今年も必ず送るだろう。
逆に、伊勢は明治天皇以前の1000年間皇族は足を踏み入れてない。
>>311
畿内派って法隆寺移築も認めないのだろうか
九州派でも畿内派でもない建築専門家が証明したことなのに 倭国滅亡後 倭国の歴史も奈良により簒奪される
故に自らの祖先でもない宇佐にも参拝する いわばポーズです
継体以降朝鮮人となった天皇家です
倭国とは無関係 観世音寺を解体し法隆寺移築をしましたが 同時にタリシホコを写した仏像をも持っていきました
しかし チャイナ系の顔をした像を飾らず布で巻き納戸へ押し込め 発見されたのは明治時代になってからです
朝鮮人と顔が明らかに違います 奈良が倭国の歴史を簒奪した資料が日本書紀です 最初古事記をつくりましたが 倭国臭が気に入らず
お蔵入りで其の後日本書紀をつくりました 古事記は偶然平安時代に発見されるまで存在を隠蔽されていました
日本書紀があまりにおかしいので中国や半島の資料ととつごうさせる必要性は重要です
日本書紀の編纂思考は奈良政権の権力簒奪の正当性を嘘とごまかしで述べたものです 事実より多数決でなにが真実かを追求するとかおそろしいな >>317
その「事実」の認識が人によって異なるからな
多数決の方がある程度信用できる 多数決は群盲を連想する
新しい歴史教科書をつくる会の目標は敗戦後の自虐史観の是正にあったと思う
しかし思想根底は皇国史観でもあったようだ
皇国史観の過ちが敗戦であり 羹に懲りて吹く膾が自虐史観では是正の方向性も疑わしいもので皇国史観の範囲内に留まるだけだ
紀元前から700年まで九州倭国が日本列島の代表政権であり
700年以降がジンムが開いた奈良政権となった
倭国での事象は周へのチョウソウ 金印 ヒミカ 倭国の五王 イワイ
タリシホコ 白村江の敗戦サチヤマ など
正しい歴史を知る努力を先にすべきが この会と思う
西部は皇国史観から逃れること得なかったと思う そのころ蛮族の地関東は蝦夷が人肉を食い血をすすっていた。 旧唐書と新唐書を比較すればわかること。
わざわざ神武以来の歴代を書くということはその時に初めて知った、つまり・・・
旧イラク政権を倒し新イラク政府を認めたのと同じ事。
倭国と日本国は別ってこと。
でも倭国は漢以来の正統王朝が認めてきたから唐もそれに倣う必要があるだけ。 >>34
しっかりとした根拠はあるのか?
無いならだだの妄想
朝鮮人みたいな妄言野郎ってことだな 日本書紀の中で一書とある部分 ここは倭国の歴史よからの引用 九州王朝が存在していて、後世に大和朝廷が九州王朝の歴史を剽窃したと
しつこく言ってるやつは頭おかしいし、基本的な知識もない
日本列島への渡来は南西諸島からの漂着がメインとか、旧石器時代に稲作をやってたとか言ってるし
いったいどこの国で教育を受けた人間なんだろうか
日本語では使わないフォントで書いてることも多い >>324 東遷は国史たる記紀に明確に記述されているんだが
>>325
紀元前660年はまだ縄文時代
C14で弥生時代の始まりが遡ったとしても、弥生時代前期で国はできていない
記紀が正しいと言いたいなら、天皇が神の子孫だということも含めて正しいと証明するのが先
考古学との矛盾も説明が必要 ご指摘の通り記紀の読み方には注意が必要 中国の歴史に伍して日本の古さに箔をつけようとして
意図的に捏造した部分があるのはたしか。 初期の天皇の寿命が150歳とか欠史八代とかで古く見せかけている。
しかし、アマテラスが卑弥呼とすると、それから5代後の神武が東遷して王朝を樹立し古墳時代が始まった事と
卑弥呼の没年及び考古学的知見はよく一致する。つまり、記紀の年代は鵜呑みには出来ないが
プロットは正しいという読み方をすべき。
宇佐神宮の主神をアマテラス=卑弥呼と言えない理由はそうなると記紀の年代詐称がバレてしまうからで
天皇家自身は真実をちゃんと知っているだろうね。
>天皇家自身は真実をちゃんと知っているだろうね。
知らないだろうね
自分の家のことなんて4代以上遡れば憶測の塊にすぎないから
天皇家も例外じゃない 学会じゃあ九州説は既に見向きもされていない。
いま注目を集めているのは、日本書紀に記された纏向珠城宮と造営を命じた第11代垂仁天皇が実在したこと。
両方とも実在が疑問視されてたが、纏向遺跡の発掘で日本書紀の記述は正しかった事になる。
つまり3世紀の奈良にはヤマト政権が存在したことになる。 たとえ100%だろうと、反証データが見つかれば0%になるんだろ?
その確率算出に意味はあるの? >>329
>しかし、アマテラスが卑弥呼とすると、それから5代後の神武が東遷して王朝を樹立し古墳時代が始まった事と
>卑弥呼の没年及び考古学的知見はよく一致する
卑弥呼が死んだ3世紀中頃から5代後に古墳時代が始まるって、何年頃になるんだ?
1代20年としたら100年後で4世紀中頃
1代30年としたら150年後で西暦400年頃
神話が正しいという前提だから、このトンデモ年代に加えて、欠史八代も実在ということにするんだろう?
崇神天皇は6世紀の人物ということになるwww
>プロットは正しいという読み方をすべき。
記紀を勝手に改竄して、自分の妄想ストーリーに合う部分を根拠もなく正しいと言い張ってるだけだろ? 天皇の平均在位は13.6年だよ 13.6x5+242=310年 卑弥呼が没する10年前にニニギが宇佐から日向に
下ったとしたら4世紀初頭の古墳時代の始まりと神武即位がピタリと一致する >古墳時代の始まりと神武即位がピタリと一致する
そりゃピタリと一致するように13.6という数字を出したんだから当たり前だろw >>336
ああ、そういうことか
ただの当てはめごっこか バカめ 13.6年は史上実在が確認されている天皇の平均在位年だよ それは知らなかったわw
で、調べてみたら17世紀以降一気に在位年数増えてるのなw
つまり近代になって在位年数平均が上がったのに、それをもって4世紀の天皇在位年数に当てはめる意味って何w ショウトクタイシは紙幣から消えた 嘘がばれて恥ずかしかったのだろう
本家倭国のタリシホコの時日本列島はほぼ支配下にあった
折角継体が裏切りでイワイを暗殺したが その直後倭国に抑えられた >>331
纏向珠城宮と垂仁天皇の実在性に関する遺物って、何か発見されているの?
古墳群のどれかが、垂仁天皇陵なの? ああそうだね、5世紀から8世紀までの記録に残っている天皇の平均在位年は10.88年だから
卑弥呼没年 242年+10.88年x5 = 296.4年
まあ4世紀初頭といって間違いは無いね(´・ω・`) >>339
そこを気にするならば、一応>>1のリンク先も読んでみたら?
そっちは、近代に在位年数が長くなる傾向も考慮に入れて、
奈良時代までの平均在位11年で計算してるよ。
雄略天皇=倭王武説のところまで一致するらしいよ。 ビッグデータはただのデータ。
そこから導き出すAIやアルゴリズムやパラメーターが福岡スペシャルバージョン 昔の中国人が一般名詞と固有名詞を味噌糞一緒にしなければ
歴史がもっと分かりやすかったはず。
卑弥呼?どこの誰のことだよ?日本語でおk
…って当時、何で言わなかったのかと。 >>333
その纏向遺跡に対する九州側からの反証データが勝負にならない。
吉野ヶ里は環豪集落、対する纏向は吉野ヶ里の7.5倍もある都市。
推定される権力、経済圏、人口、軍事、その全てが
弥生レベルを遥かに超えた古墳時代の幕開けを告げる都市。それが纏向遺跡。
残念ながら、九州に纏向遺跡と比肩出来る規模の都市は存在しない。
日本書紀に記された未確認の都が、巨大遺跡という目に見える現物で発見された時点で九州説は終わった。
畿内を疑問視していた考古学者ですら、九州説からヤマト政権と邪馬台国の並立説に転向してる。
もう一度言う。九州説は終わった。 邪馬台国の女王の名前→卑弥呼→(倭)姫命
狗奴国の男王の名前→卑弥弓呼→姫木命、姫木菊池彦
…だと思う。時代は崇神天皇前後のこと。で、狗奴国→菊の国。 今、ピコーンって閃いたんだが、もしかしてカグツチって菊池じゃない?
火の神、カグツチはスサノオが切ったと記紀に書いてあるね。
…という筋だと、理屈的にはアマテラスが卑弥呼になってしまうわけだがw あ、間違った。
カグツチを切ったのはイザナギだたw まず古事記や日本書紀が捏造書なので、何の意味もない。 帥升は名前だとしたらチョンじゃないの?
北九州に渡って勢力をほこってたチョンてことでしょ?
そいつらがキチガイみたいにいつももめるから畿内へ移動したんじゃないの? 中国からのルートが畿内に入ることは無理がある
普通に考えて
朝鮮半島の西側から出航したからには九州だろう
畿内に行くなら朝鮮半島の東側から出航するはずだ >>354
だから狗邪韓国から渡海してるだろうに
現在の金海市
そこから対馬、壱岐島経由でで糸島に向かう
郡使が常駐するところ
邪馬台国つまり大和には金印を渡すためと紛争処理のために2回来た記録があるだけ 卑弥呼を想像すると
やはり南国のイメージ
当時やはり暖かい九州南部に大小の国が栄えた
美味しい果物と野菜
宮崎平野しか考えられない >>341
逆に聞くが、奈良県桜井市の纏向から実在が疑われていた「未確認」の都市が、日本書紀の記載通りに纏向から発見された。
発掘された場所と書かれていた場所が、纏向で完全に一致している。
誰も知らなかった「未確認」の都市が、なぜ日本書紀通りに発見されるのか?
疑問視するのは勝手だが、あえて否定する根拠が無い。
日本書紀は確かに神武天皇の様な神話的な記載もあるが、
纏向遺跡発見で、後代の天皇については一気に信憑性が増した。
日本書紀の記載通りに、纏向に都市が存在したのに、
それを造った垂仁天皇を否定するのは、矛盾しているし都合が良すぎる。
仮に存在しないと主張するなら垂仁天皇だけではなく纏向遺跡の成立という
2つの大問題を否定するだけの証拠が求められる。
存在を否定する研究者もいるが、じゃあ誰が造ったのか?
という問いに誰一人答えられないのが現状だ。 【邪馬台国九州説】 「99・9%」福岡県にあった!!!
畿内説サポどうすんの?これw しかし99.9%ってw
機内な人には致命的な数字だよなw 古代史のド素人が99.9%と勝手にほざいてるだけだしw >>353
ナンという苗字が中国沿岸部に存在します
トイチは五島列島に存在する苗字です 何れも銀印を貰いました ひみかの時代には既に訓読みが混在しています
当たり前のことですが トンカラリン近辺で発掘された変形頭蓋骨は謎すぐる
古代日本のなかでも異質な文明の産物だろあれは >>364
> 古代史のド素人が99.9%と勝手にほざいてるだけだしw
ビッグデータとか見せてその手の専門家にとって予想外の結果が出ると
メンツを潰されたと思った専門家たちは最初はみんなそういうんだよw
専門外の指摘や説や門外漢がその手の専門家やプロに勝利することはままある。
恐竜の絶滅の天体衝突説は古生物学者が言ったわけじゃないし、ポアンカレ予想は物理学的アプローチでとかれた。
将棋や囲碁のプロがまるで門外漢のグーグルの作ったAIに負けたのもその一環と言っていいだろう。
君らは想定外の結果を予想する事ができないからね。そもそも機内説初めとしと邪馬台国どこ説自体が
極めて曖昧で弱い根拠に基づくものだ、日本のどっかにあった可能性は高いだろうが、どこか、に
ついては憶測、想像の域をほとんど出ない。それなのにまるで確定事項のように語るのがおかしいんだよw >>368
で、そのビックデータとやらが、卑弥呼の時代だけではない弥生時代全体の、しかも2002年の鉄器出土状況データなんだけど。
この数字で福岡99.9%とか、 素人目にもアホじゃないかと思うよ。あんた信じてるの?てか、元ネタ読んだの? >>368
確定事項のように語ってるのは99.9%とほざいてるやつじゃないのか?w
ちなみにビッグデータとか称してるデータには弥生時代を通しての鉄の出土量がある
紀元前に九州で鉄が多いから3世紀の邪馬台国は九州だというトンデモ論理だ
一方、3世紀に九州勢は中国鏡を入手できなくなっていたというデータは使用してないはず
中国鏡の取引において、九州勢が魏に相手にされなかったという致命的な状況は
九州説に否定につながるから意図的に除外していることになる
インプットデータを恣意的に選び、自分に都合のいい論理を当てはめれば、アウトプットは自由自在
これが99.9%とやらの実態だよ >>369
> で、そのビックデータとやらが、卑弥呼の時代だけではない弥生時代全体の、しかも2002年の鉄器出土状況データなんだけど。
関係ないねwビッグデータで調べた結果、そうなった、というだけのことかもしれんし、
そもそも、それはこの記事で記載されてないだけでそれだけしか調べてないとは限らないしね
> この数字で福岡99.9%とか、 素人目にもアホじゃないかと思うよ。
いやはや、囲碁も数学者もやる前には素人目でもあり得ない、と言ってたろうよw
>あんた信じてるの?てか、元ネタ読んだの?
さあね、ただ少なくとも、あんな不確かな、希薄な根拠のみで間違いなく機内、とかいう馬鹿よりは信用できるねw
邪馬台国は日本のどこか、であってもかなりの確率で機内ではない。それがどこか、までは知らんがね。でも
人間の偏った感覚よりは、ビッグデータによる公平な感覚で見た九州説の方が僅かに高い可能性はあるだろうねw >>370
> 確定事項のように語ってるのは99.9%とほざいてるやつじゃないのか?w
それは機械的判断による数値を言っただけであって、発表した本人が確定とかそう言ってるわけじゃないからw >>368
あとさあ、そういう難癖を並べる前に、邪馬台国どこ説自体の根拠の希薄さについて何か言えよw
あれを確定的に信じてるとか頭おかしいし、恥ずかしいレベルじゃないのかね?
どうせ逃げるんだろうなあ >>371
つまり、あなたは、最近400年のデータベースから、日本人は丁髷結って着物を着てると考えちゃうわけね。
現代の日本人を考えるならば、現在の統計を見ないと正しい姿は見えない。3世紀前半という限定的な時代の話をするならば、その時期のデータ扱わないと、正しい姿は見えてこない。弥生時代何百年あるんだよ。 >>374
> つまり、あなたは、最近400年のデータベースから、日本人は丁髷結って着物を着てると考えちゃうわけね。
いいえ?話を全然読まない日本語の理解できない人だなあ、としか分かりませんねw
ま、出鱈目やめちゃくちゃ言う人に対し言うことは大量にあるが、そもそも俺が判断してるわけじゃなく、
ビッグデータによるAI的な判断でやることが条件であって。君の言うグーグルの昨日まで囲碁のルールも
知らなかった素人が囲碁のプロに勝てると考えちゃうのねといった、アホ丸出しの意見などどうでも良いですよw >>375
そのロジックを考えてるのは人間
紀元前の鉄の出土量さえも邪馬台国の根拠にするというトンデモロジックだ >>376
> 紀元前の鉄の出土量さえも邪馬台国の根拠にするというトンデモロジックだ
いやいや、全ての事を判断材料にするのが当然でしょw
名称や地名が似てるとかだってトンデモと言えばトンデモですよw
そもそもトンデモ扱いされてる奴が一番トンデモ言いたがる、貴方のようにねw
それにしても、根拠希薄などこ説を妄信してる人間の言うセリフとも思えないねw
それが通るならなおのこと畿内説絶対はあり得ないわけでね。逃げてるだけの事はあるなと >>376
あとさ、別にこの話に難癖つけたところでこちらの主張である、畿内説が根拠希薄であてにならん、
というのは何ら変わりはありませんよ?それでいいの?それなら結構ですけどねw (´・ω・)ポアンカレ予想は物理学者が解いたわけではなく、ガチの天才数学者が幾何学的手法を用いただけじゃ...
地球外知的生命体の存在する確率の数式も、昔と情報が更新された今では全然違う結果(とてつもなく低くなった)になるし >>379
> (´・ω・)ポアンカレ予想は物理学者が解いたわけではなく
物理学者が解いたとは言ってない
以下ウィキより
>多くの数学者が位相幾何学(トポロジー)の観点から挑戦する中、
>微分幾何学や物理学的アプローチで解決したことで知られる。
>ほとんどの数学者がトポロジーを使ってポアンカレ予想を解こうとしており、聴講した数学者たちもほとんどが
>トポロジーの専門家であったため、微分幾何学を使ったペレルマンの解説を聞いた時、「まず、>ポアンカレ
>を解かれたことに落胆し、それがトポロジーではなく(トポロジーの研究者にとっては古い数学と思われていた
>微分幾何学を使って解かれたことに落胆し、そして、その解説がまったく理解できないことに落胆した」という
>なお、ペレルマンの証明には熱量・エントロピーなどの物理的な用語が登場する。
>その才能は当時の友人アレクサンドル・ガラバノフ曰く「もし国際物理オリンピックに出場していれば、
>そちらでも満点(金メダル)を取っていたに違いありません」 >>377
コンピュータがロジックを一から考えるわけないだろがwww
人間がプログラムを組んだんだよ
関係ないものを根拠にするというプログラムを組み、
重要なものを根拠にしないようにインプットデータから除外した
そうやって99.9%というアウトプットを作り出した >>378
意味不明
そもそも、あんたの主張知らんしw
知識がないから根拠希薄と思ってるだけだろうけどw 紀伊の国には広大な平野はないので畿内説は終了
しかも九州よりも寒冷地だし
魏志倭人伝に書かれている南国風景と異なる >>270
>博多に比定されている奴国から吉備も出雲もすっ飛ばして畿内に飛ぶわけが無いw
すっ飛ばしてないよ
奴国の辺りから水行二十日の投馬国ってのが出雲だ
そこからさらに水行10日で丹波
そこから南に陸行一月で大和・邪馬台国だよ
ちょうど頃合いだろ >>361
なるほど、ありがとう。
誤解しないで欲しいんだけど、別に反論したくて>>341書いたわけじゃないからね。
割と純粋に知りたかっただけ。
住居跡が少ないのは、守山の伊勢遺跡にもあるように、
「祈りの場」「政の場」が「生活の場」と分離し始めているあらわれなのかな。 >>307
>一例 糸島の 二見が浦 に対して 伊勢二見が浦 と必ず伊勢を付けます 分家ですから
糸島の二見ヶ浦は戦国時代が終わって黒田が来てから、伊勢のマネッコで名前を付けただけだぞww 纏向遺跡は九州で邪馬台国があった頃に
畿内大和にあった巨大国家の遺跡って認識でOK? >>312
勅使は天皇じゃないぞw
伊勢神宮には天皇に近い血筋の(元)内親王が斎宮をつとめている
次は黒田清子さんだな >>313
>畿内派って法隆寺移築も認めないのだろうか
認めないよ
年代が合わないし、移築する理由がない >>329
>しかし、アマテラスが卑弥呼とすると、それから5代後の神武が東遷して王朝を樹立し古墳時代が始まった事と
それ、ただの想像+トンデモ
神武は崇神天皇の5代くらい前で、卑弥呼は崇神とほぼ同年代 >>386
穀物倉庫と祭祀場を兼ねていたとされているが、恐らく祭祀の貢ぎ物という名目の税の物資集積地と市場が合わさったものだと考えている
東海の土器が多いのは、海産物や塩を運び入れたものだろう
ちなみに唐古鍵遺跡は初期は開拓のための今で言う農協みたいなもの
後期は鏡の製作工房として使われた >>363
>しかし99.9%ってw
>機内な人には致命的な数字だよなw
それ、前に九州説の人と議論したことがあるんだが、
鉄の出土量に対してベイズ統計で99.9%という数字が計算されたという体になっている
しかし、ベイズ統計を行うためには、ゴールドスタンダードをもとに産出したtrue positiveと
false positiveの値がないと計算できない
この場合は、「鉄の出土地点に卑弥呼の都がある確率」と
「鉄が出土しない地点に卑弥呼の都がある確率」が『前もって分かっている』必要がある
この二つの確率が決まっていなければ、ベイズ統計はできない
なのに、安本美典氏はベイズ統計で99.9%という確率になったと広言している訳だ
おそらくは、ゴールドスタンダードなしに
「鉄の出土地点に卑弥呼の都がある確率」と
「鉄が出土しない地点に卑弥呼の都がある確率」とを『恣意的に決め』て、
その上でベイズ統計もどきの計算を機械的に行っただけだろう
この『恣意的に決め』るところでどんな確率にするかで、『どんな結果でも作れる』んだよ
こんな古いネタでスレ立てをしたしじみ氏には猛省を促したい
いい加減にして欲しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています