出雲拠点の大国主が九州を支配した痕跡がある
これは鉄の輸入権と関わりがあるとみられ、大国主が最高神として祀られた朝倉の大己貴神社の成り立ちなどがその根拠となる

しかし安本九州説などでも見られるように出土状況や各地の伝承を辿るとこの朝倉地域は卑弥呼すなわち天照大神の旧支配地とも見られることからこれを東遷説の1つの要素として考察することができる

すなわち記紀の国譲りの実態とは、元々一時的に九州を連合支配した天照大神=天孫族の地を大国主の出雲勢力が奪い、天照勢力はその代替地として当時の辺境地と見られた畿内に移住させられたという可能性だ
これは東遷というより左遷に近いもので記紀の表現とは真逆の主張となる

だがこの考証だと分断された天孫の残存九州勢力と畿内勢力がその後連係を取り吉備や東海勢力の援助を得て覇権を回復し古墳時代に移行することや、筑後朝倉地域と奈良の古地名が一致を見せることとも符号する

三輪山祭祀の創始年代が三世紀後半から突如始まることや、原初の大倭神社が大国主と天照大神を合同祭祀していたことなども根拠となり得る
地域伝統性が祭祀の根幹の筈なのに畿内の天照信仰が新規で行われたことはこれらの考察によって説明できる