【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★6
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1536582943/ >>875
文献を改竄して大宰府だとか言い張ってるおまえが言うなw
そもそも距離が正しいか、方角が正しいか、文献だけからは決められない
中立が正しい姿勢
他の史料との整合性や考古資料から判断しなければならない
現在は考古資料が充実してきており、方角が誤りと考えた方が妥当となっている
九州だとすると物証との矛盾が多く現実的には不可能といっていい >>846
方角も距離も違うから伊都国も奴国も比定が間違ってるんじゃないの? >>846
>北部九州までの萬七百里
10700 x 0.435 = 4654.5km
どこから来たんだ?w >>878
モンゴル帝国の自己満足地図なんて一言も言ってないよ。
当時の中国人の地理観と書いたんだ。
モンゴル帝国と魏では時代が違い過ぎるだろう。
なんでもかんでもごちゃにするな。 >>882
じゃあ釜山→対馬→壱岐は西だなw
畿内説はレベル低すぎねえかオイw >>879
魏書・韓伝も嫁
「方可四千里有」とかw 仮に大宰府の下が卑弥呼の都だとしても
その後延々と2000年間土地利用してるから絶対何も出てこない ID:j/T7wKYIが典型的な九州説だな
ペラペラな知識しかないけどオレ様が正しいと自惚れてる
ペラペラな知識しかないから矛盾だらけの間抜け主張をしてる自覚がない 鏡とかだっけ?
中国の歴史学者からもあれ中国製ちゃうて否定されてるけど わざわざ一大率を置いて監察させているのだから伊都国周辺すなわち九州北部から
離れたところに邪馬台国があったということだろう その時代、日本中で川伝いに町や国が存在してるからね
物証として曹叡時代の魏の品が見つかれば最有力なんだけど >>889
三角縁神獣鏡という銅鏡なw
魏書では100枚貰ったと書いてあるんだけど日本中で500枚以上見つかっとるw
しかも近畿地区ばっかw >>890
一大率は「女王国より以北に置いている」な 神功皇后にあたる存在は卑弥呼としてもおかしくない年代と事績で記紀もそれを匂わせてるけど、なんといっても百済が送った七支刀の存在が実在の大きな信憑性を感じさせる
陵墓は奈良に比定されているけどこれは築造が五世紀以後とされている
これが畿内ヤマト王権とは別の存在だったことを匂わせているが、九州にもそれと思わせる陵墓が無いのが残念なところだな
だからこそ卑弥呼も神功皇后も謎の存在であるわけだ
全体観としては三世紀半ばから四世紀にかけて九州倭国が畿内勢力と連合して三韓征伐を企図したような流れを感じる
補佐した武内宿禰はヤマト側の王の可能性が高い
三韓征伐は九州倭国とヤマト王権を結ぶ要素となり、そのために邪馬台国の卑弥呼として魏に朝貢した理由となる
逆にいうと自国に攻められにくい倭国が何度も魏に朝貢したメリットはそこにあったのではと思う >>892
それ30年以上の前の見解
30年間で学問は進歩してるんだよ
昔は神獣鏡は呉の鏡とされていたが、三角縁神獣鏡は長江より北の地域で作られた鏡にルーツがあることがわかってきた
成分分析で中国北部の鏡と一致した
デザインから製作された順序を鏡の種類ごとに分類できるようになった
古墳への副葬も早いもので3世紀後半
洛陽で発見されたので中国に存在していたことは確認された(ただし出土ではない)
で、今は中国製か国産か、どちらともいえる状況
仮に国産だとしても畿内説として何の問題ものない
畿内勢が魏の年号を知りえる立場にあったことや、鏡の製作技術が九州を飛び越えて畿内に伝えられたことなど
もし邪馬台国が九州だとしたら、なぜ畿内で三角縁神獣鏡を製作できるようになったか説明ができない >>893
「以北」は邪馬台国は南の記述と整合性を持たせているだけ
方角が正しいかは不明
ちなみに、一大率は刺史のごとくと書かれている
刺史とは地方の役人を意味する
魏使あるいは陳寿の認識では、一大率は倭国の首都、つまり邪馬台国から遠くに置かれていることになる
もし一大率が邪馬台国から近ければ、一大率は司隷校尉のごとしと書かれていなければおかしい
水行二十日、水行十日陸行一月の記述と合わせて考えれば、一大率は遠くにあったと考える方が現実的 なぜ女王国を大宰府と比定したのか?
あまりにも見つからないから。
なぜ大和朝廷はあえて女王国の土地に大宰府政庁を立てたのか?
春秋時代の呉の末裔である事や長らく中国の属国であったという、天皇家にとって不都合な事実を隠滅したかった。
しかしそうした歴史捏造に嫌気のさした天武天皇は、かつての女王国の歴史を記紀にしのばせて保存した。
金印は天智天皇の墓の中? >>896
いや陳寿の文書は根拠なく崩さない方がいい。
韓伝と倭人伝にだけ共通した書き方がされている。
中国の属国だからな。 >>897
すげー妄想
こうやって九州説は作られていく 三韓征伐から白村江にかけての時代はそのまま卑弥呼の時代から古墳時代の末期までを含んでいる
攻めいって退却するまでの時期はそのままヤマト王権の成り立ちとリンクする需要なポイントだと思う
言い換えれば九州の衰退と畿内の権力の増大へと繋がる時代
朝鮮に攻めて百済や任那と同化しやがて衰退した軍の主力が卑弥呼率いる九州倭国の勢力と考えるとすんなり納得できる部分がある 神功皇后はないだろ
夫がいて子供産みまくって腹ボテでも自ら陣頭指揮に立つとか
引き籠りで侍女にも顔を見せない卑弥呼の正反対のだよ >>895
その北側は、鄂州ではないの?
あそこは、長江流域だから、
やはり神獣鏡が、ベースだよね。
当時の最先端製鏡場所。
当時は、青銅鏡は、マーケット存在したみたいだから、有数の匠がいたんだろうな。
市と書かれた銘文もあるし。
鋳造とデザイン(粘土から陶器を作り、鋳型をつくる)は、別々やからね。
重要なのは、鋳造やろね。
銅と錫の割合間違えたら、割れやすい。
その鄂州あたりまで行き、
ヘッドハンティングしたかもね。
で、会稽から長江上りますから、
会稽にいた
曹操の曾祖父に、
接点はうまれますね。
高官やから、
倭人に滞留する印を与え、
倭人は、
神獣鏡を持ち帰ったり、匠を
つれてきたかもね。
やけ、黄巾の乱の前(公孫氏や帯方郡ができるまでの不安定時期)は、割と
日本全体
呉鏡が、入っていたかもね。
魏志倭人伝は、倭種と言っているように、
太伯の子孫として、鬼道を用いた
祭祀は、倭種といわれたとこは、
あったんでしょ。 鄂州銅鏡という、
出土した鄂州の鏡を調べた
ものがある。それによれば、
神獣鏡の型制変化や規律変化は、
明確にみえる。
《鄂州铜镜》に、
よると後漢時期から神獣鏡は、
開始されている。
その時期から、
天王日月画纹带神兽镜までの間の
33面の神獣鏡の中で、
28面の神獣鏡の鈕を分析すると
三国時代の大きく扁平な鈕は、まだ作れて
いなかった。
これからも、後漢か三国時代かは、
見分けがつきやすい。
鈕が大きくなれば、鋳造は、難易度あがる。
鄂州で出土する漢、
三国六朝時代の銅鏡は、
それほど、鋳造は、難しくないと
思われる。
神獣鏡は、直径が小さく、
裏側の紋飾の配置は、
ぎっしりしており、立体的な彫刻の
隙間がそれほどなく、立体的な彫刻の
高さがそれほどないのも、鋳造難易度を
下げている。
直径が14cmを超えるものは、少なく、この
ような中小型銅鏡は、鋳造時の銅の流体が、
凝固し、収縮する際もスムーズである。
そのため神獣鏡は、一般技術の匠で、
大量生産された。
鄂州の沢山の神獣鏡によれば、
技術難易度も分けることができ、
分析できる。 近畿なんてその時代はまだアイヌが支配してたでしょ
九州じゃないと韓国のウリナラの過去の栄光がーと同じになっちゃうよ? 文献を精緻に分析したら見つかった
でもココでは畿内説のヤジが煩いから発表はしないでおこう
ヒント
陳寿が書いていないといけないのに書かれなかった○○
当然みんなは書かれてないと認識していたが
実は陳寿は普通に書いていた
奴国の南でクナの北の範囲ね 遺跡がゴロゴロ出てくるのは近畿なんだからもうほぼ決まりだと思うが 弥生・古墳時代の仿製鏡の鉛同位体比の研究
1.鉛同位体比から観測される事実
(1)「舶載」三角縁神獣鏡は鉛同位体比図の上で狭い範囲(B-1)に集中し、
特定の系統の原料が使われていることを示す。
(2)日本出土の魏の紀年鏡は、平成6年出土の青龍三年銘方格規矩四神鏡を含めて、
すべてB-1に入る。つまり、「舶載」三角縁神獣鏡と同じ系統の原料で
作られていると考えられる。
(3)日本出土の呉の紀年鏡は魏の紀年鏡とは別の領域(B-2)に集まる。
これは中国出土の呉の紀年鏡と同じ系統の原料である。
(4)「仿製」三角縁神獣鏡は「舶載」三角縁神獣鏡と近接するが、明らかに
異なる領域(B-3)に分布する。
(5)三角縁神獣鏡以外の古墳出土仿製鏡の大部分はB-1、B-2、B-3にまたがって
分布し、さらに少数は弥生時代の前漢鏡タイプの鉛を含む。
つまり、一定の原料で作られていない。
2.三角縁神獣鏡に関する諸説との整合性
(1)魏鏡説は、全般的に鉛同位体比の結果と整合性がよい。
(2)日本列島製作説は、一定の材料が中国から輸入され、その材料だけを使って
「舶載」三角縁神獣鏡が作られたとすると説明がつく。
(3)渡来呉人製作説は、(2)のヴァリエーションの一つで、その場合、呉の工人は
呉の紀年鏡の材料ではなく、日本列島に輸入されていた一定の材料を使って
作ったと考える必要がある。
科研費 研究成果報告書概要
研究代表者 馬淵 久夫
1995年完了 >>905
>文献を精緻に分析したら見つかった
「精緻に分析したら」とか、「解読できた」とか言い出したらもうトンデモ
史書ってのは読んだ人に内容が伝わるように書いてあるし、そうでなければ用をなさない
>でもココでは畿内説のヤジが煩いから発表はしないでおこう
で、これを言い出したら根拠なしってことw
もう、恥をかくだけだから自分の巣にお帰り >>909
お前が史書を知らないだけ。
日本だって日本書記でかなり影響を受けているだろ。
だから畿内説は文○呼ばわりされるんだよ。 >>911
>お前が史書を知らないだけ。
「俺様だけが解読して知ってる、でも内容はヒ・ミ・ツ」ってかww
まあ、厨二病全開だな! ガンバレ!ww でも、まだ非識字者って言葉は使えないんだな
伏字にした分は評価する >>910
>古い鏡をリサイクルしてる可能性は?
それが、
(5)三角縁神獣鏡以外の古墳出土仿製鏡の大部分はB-1、B-2、B-3にまたがって
分布し、さらに少数は弥生時代の前漢鏡タイプの鉛を含む。
つまり、一定の原料で作られていない。
ということだろう
鉛同位体比から見ると、三角縁神獣鏡の舶載鏡、仿製鏡の判別は
意味があることになる 三角縁神獣鏡の、舶載鏡と判定されていたものと仿製鏡とされていたものと、
鋳型の傷と見られる同じ傷が見られるため舶載鏡とされていたものも仿製鏡、
という話題があったけれど、そのときに示されていた同じ傷を持つ鏡の文様が
明らかに異なるものだったんだよな
文様が違うなら、違う鋳型じゃないのかと思うんだが、その辺はどうなんだろう? それぞれ畿内説だろうが九州説だろうが恥ずかしい説だろうがオリジナル説を言おうぜ
俺はとっておきの誰も知らないスペシャルだから最後に発表するよ
「二重三重だろうが!」とここで指摘されたのが新説につながった畿内教ありがとうな 本当に厨二病だなw
いまさらの新説がトンデモじゃなかったら逆にびっくりだ
現実には既に畿内纏向遺跡で決着済み 倭人伝を精査するうちに一つ疑問が出たが
倭人伝・・・使大倭監之
ここで言う大倭とは何だろうな 厳密にいえば決着とか決定とか無い全ては仮定だ
永久不変の決着とか決定があるとしたら数学の定理くらいだな
だから美しいんだよ 別にどこでもいいよ
桃くらい邪馬台国以外の奴らだって食うだろうし >>917
> 現実には既に畿内纏向遺跡で決着済み
いくらなんでもその言い回しはペテン確定してるからもうやめたほうがいいと思うよ>>150 >>920
そだな。
霧島、国分の上野原遺跡では、
弥生中期から後期の時代のももの種が
見つかっているしね。
7500年前から、儀式、祀りがあった
場所もでてるから、倭人は、
モモが好きだったんだな。 >>921
>いくらなんでもその言い回しはペテン確定してるからもうやめたほうがいいと思うよ
どこがどうペテン師なのか、具体的に指摘してくれ
まあ、もう少し丁寧に書けば
現実には既に、研究者のほぼ一致した見解として、畿内纏向遺跡で決着済み
大体1980年代に森岡編年(1984)が示されて以降、新たな九州説支持の
研究者はいなくなっている >>923
>現実には既に、研究者のほぼ一致した見解として、畿内纏向遺跡で決着済み
決着してないじゃん >>150
それも奈良方面の研究者が反対(懐疑否定)してるし >>923
爺さんの気持ちは分かるけど、畿内説を支持せざるを得ない連中の気持ちも考えろ。
【村八分】奈良県天理市の自治会のトンデモ「よそ者差別」 25年前に移住しながら電柱やゴミ捨て場を使わせず★3
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1537968831/ >>924
>それも奈良方面の研究者が反対(懐疑否定)してるし
具体的に誰?
巻向学は畿内説じゃないとか言うなよww 巻向学って説とは違うのかな
吉野ケ里学とか唐古学とかそういう感じ? >>918
大倭といえば、普通は大和だよね
そっからどう九州説につなげるんだ 巻向学とか出来たのか?!
>>918
ヒント 将軍と大将軍の違い >>924
横レスだけど畿内説支持の学者の例を挙げとくよ
あと、どの墓を卑弥呼の墓と考えているかは研究者によってばらばら
箸墓否定の学者=畿内説否定の学者に見せかけようと印象操作しているが、トンチンカンすぎる
寺澤薫、石野博信、白石太一郎、森岡秀人、広瀬和雄、
岡村秀典、福永伸哉、西川寿勝、森下章司、下垣仁志
都出比呂志、辰巳和弘、一瀬和夫、河上邦彦、車崎正彦
春成秀爾、松木武彦、上野祥史、岸本直文、仁藤敦史
西谷正、柳田康雄、磯田道史、渡邊義浩、武末純一、東潮 何説とか結果前提じゃなく純粋に文章の問題なんだよ
一大卒とか女王とか邪馬台国とかクニとか王とかじゃなくてどうして大倭なんだろうな >>932
大倭を大和と読むと、邪馬台と大倭とは別物となってしまう。
しかも邪馬台国の下で使われているように解釈される。
よって九州王朝説が暴れる
↓ >>924
補足
吉村武彦氏が懐疑的と書いているが、本人自ら畿内説に傾いているとテレビ番組で発言していた
NHKの知恵泉だったかな
懐疑的というと中立より否定のニュアンスがあるが、本人の発言はどちらかというと畿内説肯定だな >>930
>関川尚功(橿原考研) 若井敏明
だけってこと?
よく関川先生の名前が出るけれど、関川先生は断定的なことは
まだ言わないようにって言ってるだけだよ?
よく関川先生が否定してるっていうので出てくるのは、
九州説の旗頭、安本美典氏主催の「邪馬台国の会」での講演で
リップサービスしてきたときのもの
それから若井敏明氏は、一応博士号は持っているけれど、
ポジションは非常勤講師のみで研究者を職業としているというよりは、
安本氏と同様に「九州説で一般向けの本を書く人」と思えばいい
でも結局若井氏の論拠は、記紀に景行天皇から神宮皇后にかけての
九州制圧が書いてあるから、それまでは倭国と大和朝廷は別、というもの
比定地も筑紫平野の山門
九州説の中でも、それほど人気のない山門推しだよ
そして、生まれは奈良県だけど奈良で発掘等の研究活動をしている訳ではない
で、研究者で畿内説を否定している人は誰? 陳寿の参考にした資料が大倭と書いてあったのでそのまま書き写した。
あるいは土地の有力者というような使い方が三国志のほかの部分にあれば倭人の有力者でいいのでは。 >>936
大が付く場合はその上は無いと思っていい。
大倭は倭王が誰であろうと規定の職務を務める官公庁みたいなものでしょう。 >>932
邪馬台国とか卑弥呼みたいな漢字をあててた中国が
あの時代に大倭という表現を使うのは確かに違和感がある
もう少しあとの時代で使用しているのは間違いないけど
大唐とか大清のように国に対して使用するのとは違う使い方かな 投馬国と邪馬台国の戸数だけ、有ではなく可が使われてるねえ。
当時はまだ小さな国だったんじゃないかな? 3世紀半ばの話だろ?
大和王朝がどうたら言ってる人はテレビの視すぎじゃないかな?
馬もいないし手紙すら届くかどうかもわからない時代に列島統一なんか出来る訳ないだろ。
近所の小国が集まって自治区が出来る程度だったというのが妥当だよ。 >>940
>3世紀半ばの話だろ?
だがな、弥生時代後期・土器で言えば第V様式の頃が、現在の編年で1世紀半ばからとなっている
その時点で、畿内第V様式土器は「大和+河内〜環大阪湾」という相当に広い範囲で統一されている
この時点で既に近所の小国が集まって、というレベルを超えた政治的統合が進んでいるんだよ
このレベルにいち早く達したのが畿内、それに続いて丹波、吉備、出雲が広域の政治体制に進むし、
そうした各勢力が、守山の伊勢遺跡に集まっていたと考えられるようになっている
3世紀には政治・祭祀の共同体が現れても何も不思議はない
それだと九州説が成立する余地がなくなるから嫌がってる人がいるだけでさ ID:znVSU73Cさん、逃げないで!
みんな待ってるから答えてよ
お気に入りだからなのか、何度も貼ってたリストのアップデートもお願い >>940
3世紀半ばに列島統一って誰が言ってるの?
レス番号でいいから示してよ >>941
京都、滋賀、奈良が主体だとすると渡来勢力による政権樹立が濃厚になりそうだけどなあ。
中国と地続きなだけあって半島人には一日の長があるし、迅速に移動できる馬も持ってる。
百済か新羅かわからんが。 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼
「大和+河内〜環大阪湾」これが邪馬台国とした場合
卑弥呼の擁立前に
大和河内環大阪湾の広い範囲で歴年相争う状態であった
としないといけないのだが >>945
倭国大乱が80年ほど続いてたというが、その痕跡って河内あたりであるかな? 大倭はオオチクシと読みます
倭国が奈良政権へ与えた称号です
他には若倭もあります
奈良は九州倭国の後押しを受けて奈良盆地で周囲の東鯷国銅鐸文明圏に囲まれ生活していました
倭国の後押しがなければ早々と滅ぼされていたでしょう >>941
九州説が成立しないからというより逆だと思う
日本の歴史を矮小化させたいから九州説
井上光貞のようなバリバリの左翼が歴史矮小化の一環で九州説をおしてたんだよ >>931
よりにもよって考古学者ばかりだな
しかも低学歴仲間内西寄り小物揃い
東大出身ゼロ
やり直し
だいたいこの面々で
>>923 > 研究者のほぼ一致した見解として、畿内纏向遺跡で決着済み
とかトンチンカンなことを言うなよ恥さらし >>934
それは畿内説押しの希望的観測ってやつで吉村は決めかねてるんだろ
で九州説の牙城と言われてきた東大の古代史学者の見解はどうなんだ?
>>935
これも希望的観測だな >>948
100年頃今の糸島市で不遇を囲っていた神武兄弟は新天地を求め大阪侵略を思い立つ
勿論神武兄弟以前にも多くの侵略者が行ったがまだ成功は見なかった
大阪の銅鐸文化圏へ天孫降臨族の不断の圧力が今の岡山県あたりで前哨線となっていた
当然銅鐸圏の東鯷国ナガスネヒコの防御は明石や淡路島で堅かった 為に神武兄弟は鳴門をとおり大阪湾へ突入したが散々に負け神武の兄は死ぬ その後熊野をとおり奈良へ侵入し殺戮の限りを尽くすがその後スジンまでは奈良に逼塞する >>951
>で九州説の牙城と言われてきた東大の古代史学者の見解はどうなんだ?
それを出すべきなのはおまえの方だろ
東大出身で弥生時代、古墳時代の専門家に誰がいて、それぞれどういう見解か自分でまとめればいい >>955
オレは知らないから尋ねてるし
バランスのとれたリストを作って欲しいんだが >>945
>大和河内環大阪湾の広い範囲で歴年相争う状態であった
>としないといけないのだが
なんかいちいち話がずれていくのは、認知バイアスでもあるのか?
倭国乱なんだから、歴年相争う状態なのは倭国であって、
邪馬台国(大和+河内〜環大阪湾)ではない
ひどく争って消耗した地域もあれば、比較的静穏だった地域も倭国内にはあるだろう
争いによる消耗が激しい地域は国力を落とし、争いの渦中を免れた地域が相対的に浮上する
そうして争いを止めようとなったときに、比較優位の最大勢力にみんなで乗るという談合が
成立したのが卑弥呼の共立だったと考えれば何も疑問はない >>954
でも纒向なんか見てるとさあ、そんな時代だったとは思えないぐらい平和なんだよな。
祭祀形式の話もそうだけど当時の人が勢力圏を広げようと頑張った理由がわからない。
九州北部の小国同士の衝突程度しか想像がつかないよ。 >>949
>日本の歴史を矮小化させたいから九州説
まあ、それは言えてるよな
畿内ヤマト王権と邪馬台国を分断することで、日本の歴史の始まりがその分遅くなるし、
邪馬台国を九州限定とすれば、日本の始まりがそれだけ小国になる
そして、文化も後ろ盾の権威も、半島・大陸から来たと言いたがる訳だ >>950
>東大出身ゼロ
>やり直し
相変わらずのとんちんかん野郎だな
では、東大出身の大物の研究者で畿内纏向説に反対している人は、
どこかにいるのかな?
研究者だって人間だし、野心も功名心もある
7:3くらいで九州説にも分があるという状況なら、
逆張りで九州説を唱える研究者も出てくるのがある意味当然
科学論争に勝てば名声の総取りになるからね
それなのに、査読付専門誌にコンスタントに論文を発表する本職の研究者で、
九州説を打ち出す者が過去20年一人もいないのは、どうしてだと思う?
もう、九州説の成り立つ時空は、この現実世界にはないんだよ >>957
知らないのに文句つけてんのか?
要するに九州説に不利で、気に入らないからイチャモンと白状したようなもの >>952
>この見解はどうなんだ?バイアスのかかった畿内説のみなさん
この人の個人ブログに書かれた感想が何だって?
この人が、東大出の小物じゃない大物の専門家だとでも?
この方個人には含むところはないけれど、ご本人の自己紹介はこんなのだよ?
「自己紹介
野鳥や樹木などの自然観察が好きな、宇治市在住のコピーライターです。」 >>962
じゃ東大出身の大物の研究者で畿内纏向説賛成者って誰? >>961
そうじゃなくて地方政権が各地にあったが、たまたま九州邪馬台国が記録に残っていたという話じゃないかと。
最終的に各政権とも大和王朝で統一する事に同意したと。 >>957
>バランスのとれたリストを作って欲しいんだが
汚い言葉は使いたくないんだけど、あえて言う
バカか?
既に現役の研究者で九州説を指示しているものはなく、
事実上決着済みになっているんだから、どうやっても
「バランスの取れたリスト」なんて作れるはずがない
てんびんの、九州説の側の皿に乗る人が、現役の研究者では一人もいない
決着済みの問題に地元や専門のフィールドでもないのに、
横から嘴を挟む暇な研究者はいないよ >>964
余裕失ってるな
>>952と>>950は別々の話しだろ
大丈夫か >>966
>最終的に各政権とも大和王朝で統一する事に同意したと。
時系列をきちんと考えてくれ
各地方政権が、ヤマトの祭祀王を担いで前方後円墳祭祀という新しい墳墓祭祀を作って
葬送と代替わりの祭事を統一することに同意したのが「卑弥呼の共立」
卑弥呼が魏に遣使をして、記録に残されるのはその後だから、
邪馬台国は九州ローカルというのは成り立つ余地がない >>968
でも、ここで個人ブログを紹介しても無意味だろう?
>>968のID:znVSU73Cが個人ブログに「これこれこういう理由で九州説が
正しいに決まってるんだ」って書いたら、九州説が成立するのか?
そんな訳はないだろ? >>962
> もう、九州説の成り立つ時空は、この現実世界にはないんだよ
>>967
> 既に現役の研究者で九州説を指示しているものはなく、
> てんびんの、九州説の側の皿に乗る人が、現役の研究者では一人もいない
> 決着済みの問題に
まさにウリナラファンタジー
キミが知らないだけじゃ? 今このスレで、九州説でがんばってるのは、znVSU73C一人だけなのか? >>970
>>952は畿内説論者の感想(反論)を聞きたいだけなんだが >>971
そもそも畿内説側の主張は「九州説を唱えてる学者はほとんどいない」だろ
反論したければ、おまえが九州説の学者を出してくればいいだけだ
いないと主張してる側に要求することではない 邪馬台国は当時の中国人の認識の中に存在する『幻の王国」でいいんじゃね。
実際には伊勢神宮の様な祭祀の場とその巫女だったか、
理解できないので中国知識人流に解釈した。
その結果が親魏倭「王」であり鏡等の贈り物だった。
じゃダメかな。 >>975
いないとどうして断定できるんだ?
それにいまごろ「ほとんど(いない)」って付け加えるなよ
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