【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★6
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邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1536582943/ >>740
馬鹿が自己都合で古文書を改竄するっておまえじゃん
ブーメラン野郎 何だよ逃げたってどういうこと?
畿内説は弥生時代の人口分布を知らないのか
大阪の人口が多いから昔から多いはずだ!とか
そんなレベルだからまず自分でググれって言ったんだよ
弥生時代の人口分布知らないなら自分で調べて会話しよう
犬の調教じゃないんだから >>745
負け犬調教しなあかんの?
お断りします 〉〉746
畿内説が弥生時代の人口分布を知らないで
一戸5人とか7人とか小学生の算数振りかざして乱入してきたのは誰かな
知識には段階があり全く何も知らない人には調教するように知識を叩き込まないといかんからな
俺もめんどくさいんだよ
「弥生時代 人口分布」これをコピペして検索にペーストするだけなんだが、調べたか? >>728
>東は倭種
例えばこれ
原文は「女王國東『渡海千餘里』、復有國。皆倭種。」だ
九州と本州の間の関門海峡は幅600メートルしかないから、どうやっても渡海千余里にはならない
だから『渡海千餘里』を省いた引用をする
チェリーピッカーだよなぁww
そして魏略逸文では、これに対応する部分は倭人上の冒頭にあって、
倭在帯方東南大海中 依山島爲國 度海千里復有國 皆倭種
となっている
これだけ読めば、対馬、壱岐へ渡海千里した先(もちろん対馬や壱岐)も皆倭種、倭人で
あると素直に読める
倭種・倭人の国が倭国なのだから渡海千里の先も「皆」倭種というのは、
そこが別の国だという意味にはそもそもならない
あと、九州説は畿内を別の倭種にしたがるけれど、魏志倭人伝には「別」の字はない
旧唐書を頼りに畿内を日本という別の国という論にしたがるが、その前の隋書の時点で
大和を訪れた裴世清の報告をもとに「其地勢東高西下都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」と
はっきり書かれている
大和が倭國であり、すなわち魏志の謂うところの謂うところの邪馬臺なんだよ
なんの疑問もない >>732
>当時の人間が日本地図を見ることが出来るはずもなく、
>「統一=日本統一」と考えるのは無理がある。
日本地図を見ることができなくても、縄文の昔から黒曜石や翡翠、干し貝などが
広域流通していて、その交易圏は実態を持った観念として認識されているだろう
ものだけが移動するはずもなく、それらを運ぶ人々の往来もあった
その、交易その他のつきあいのある範囲で、共同体として葬送祭祀を統一するというのは
広域での争いを避ける知恵として非常に高度なものだと思う
その葬送祭祀用の土器が卑弥呼よりも前の時代に、畿内様式のものが北部九州最大の奴国に
入っているのに、「遠くに別の勢力があってもいいけど」というのは成り立たない >>735
>邪馬台国関係過去スレを遡れ
>あと日本史板の邪馬台国過去スレも
自分の発言なら、いつ頃かぐらいは言えるだろう?
それすら言えないなら、聞きかじりなんだろうなwwww >>733
その佐賀大名誉教授という方は、
高島忠平・「佐賀女子短期大学」名誉教授ではありませんか? >>738がカスなのは置いといて、北部九州最大国が奴国二萬餘戸な時点で、
投馬国五萬餘戸も邪馬台国七萬餘戸も、九州には容れられる場所がないんだよね
筑後平野は十分な広さがあると言い出す人もいるけど、筑後川下流は氾濫原で
土木技術が未熟な弥生時代には田圃が作れないし、今より有明海が広くて
土地面積自体も今より狭い 〉〉749
まず己(畿内説)の解釈が納得いかないから倭人伝の記述は間違いでは話にならないと言っておく
関門海峡600m渡海なら門司と下関の弥生時代の港や航路を否定側が出とさないとな
弥生時代の津(港の集落)は限定されるだろ、測量してたわけじゃないんだから
九州東側の人々が集う港(例えば宇佐とか)から東を指す、それが1000里
それを九州東海岸から離れた伊都国で情報収集したんだから精確性はこんなもんでしょ
そもそも伊都国在住で奴国より遠くはよく解らんと書いてるしな
それと「別の倭種」ではなく「倭種」、倭の一種類を指す言葉だろ
皆倭種の「皆」まで使ってるのに別とは何ぞや
皆倭種なら皆同じ倭の種類ですという事だろ
例えば
鳥の一種が雀
雀は鳥とは別種か? >>740
>石器時代は徐々に銅器時代へと移行し始める
いっぱい書いてくれているけれど、ヨーロッパ文明史のような、
石器時代⇒青銅器時代⇒鉄器時代という推移は、日本(倭国)では見られない
日本には、青銅器と鉄器がほぼ同時に入ってきたため、鉄器が実用器具に、
青銅器が祭具に、と使い分けされるようになる
土中では青銅器の方が鉄器より残りやすいので弥生時代は青銅器時代のようなイメージがあるが
青銅器だけで鉄器のない弥生文化などはない >>741
>奈良は700年からでいいじゃないか 欲張るな
奈良時代は710年の平城京遷都からだけれど、倭の五王の倭王武が雄略天皇なのは鉄板だし
卑弥呼の昔から倭国の盟主は畿内の皇統だよ
>朝鮮人天皇制不要論がどんだけ怖いのか
基本的に九州説は不敬で、日本sageのパヨクのメンタリティだよな >九州最大国が奴国二萬餘戸な時点で、
>投馬国五萬餘戸も邪馬台国七萬餘戸も、九州には容れられる場所がないんだよね
九州説には色々解釈があるが
俺は奴国二万が福岡平野で筑紫平野の残り5万で邪馬台国7万と見積もってるんだが
投馬5万は宮崎な
熊本の菊池彦も数万いただろうが敵対してて数は書かれてないな >>745
>畿内説は弥生時代の人口分布を知らないのか
そんな捨て台詞で逃げてないで具体的なソースを貼ってぐうの音も言わさなきゃいいんだよ
地域別人口の超長期的推移
http://www2.ttcn.ne.jp/ honkawa/7240.html
地域別人口規模の順位の変遷
http://www2.ttcn.ne.jp/ honkawa/7242.html (NGワード避けでスペースが入れてある)
鬼頭宏(2000)「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)」
「弥生時代から奈良・平安初期にかけて
畿内、畿内周辺、山陽、山陰、四国の5地域が揃ってシェアを拡大し、
そのうち畿内周辺は全国1になっている。この5地域は平安前期には、
やはり揃って地位を低下させている。
ある時期、これら地域がひとつのまとまりとして他地域を凌駕する人口扶養力を
養えたことが日本の古代国家の成立の背景となったと捉えることができる。」 >>754
>皆倭種なら皆同じ倭の種類ですという事だろ
つまり、畿内も九州もみんな同じ倭人で同じ倭国の一員ってことだ
畿内説のいう「東海・近畿から九州まで」の一体の倭国そのものだな
>九州東側の人々が集う港(例えば宇佐とか)から東を指す、それが1000里
その場合は「水行」千里になるんだ
水行と渡海は使い分けられていて意味が異なる
海岸航行で、何かあったらすぐに陸に上がれる比較的安全な海の航海が「水行」
大海に漕ぎ出して何かあったら死ぬ、自衰頼みをするしかない命懸けの航海が「渡海」
こういう基本も押さえずに、適当なことをいうのが九州説のデフォ >>757
>俺は奴国二万が福岡平野で筑紫平野の残り5万で邪馬台国7万と見積もってるんだ
奴国の二万を、邪馬台国七万にもう一度数えるのは二重帳簿詐欺だよ
>投馬5万は宮崎な
投馬国が邪馬台国より南になるのは、自女王國以北、其戸數道里可得略載、に反するので不可 可五萬餘戸、可七萬餘戸だよ。
有五萬餘戸、有七萬餘戸じゃないよ。 計其道里 當在會稽東治之東
これは狗奴国の位置。
会稽、東冶の海岸線をそのまま東に移動すると? >>758
いい資料だね
どの地域も扇状地や湿地を干拓し米生産の飛躍的増大を見せた地域だ
開墾、用水路建設、土木事業の技術力を共有させた結果と見ることが出来る
米経済論の俺の意見としては >奴国の二万を、邪馬台国七万にもう一度数えるのは二重帳簿詐欺だよ
奴国は女王に含まれる北限なんだから仕方ないだろ
邪馬台国7万の都市なんて存在しない
筑紫平野と福岡平野で7万
邪馬台国と投馬国はクニの連合体
>投馬国が邪馬台国より南になるのは、自女王國以北、其戸數道里可得略載、に反するので不可
まとめて小国が書いてある其餘旁國って筑紫平野の傍らの小国という事だよ
帯方郡から南に水行20日の宮崎投馬国に「旁」は使ってないでしょ >>764
ヨコだけど
>筑紫平野の傍らの小国
それでも合計7万戸にするのか
それじゃ二重では済まず、三重帳簿詐欺だわ >畿内説のいう「東海・近畿から九州まで」の一体の倭国そのものだな
自分の中だけでそう思ってていいよ
九州北部はクニ同士殺しあったり連合したり色々だから
>海の航海が「水行」 命懸けの航海が「渡海」
なるほど、でも畿内説は嘘平気でつくからなあ、信用していいの? 〉〉765
今の俺の解釈
学問だからこれを絶対不変とは思ってないし
何か見つかったり感心する解釈があればどんどん変わる
投馬はズモは感心しないし笑えるから変わらないだけで 魏志倭人伝に出てくる大国と思われる国は
・奴国
・投馬国
・邪馬台国
・狗奴国
古事記に出てくる九州四面は
・筑紫国(白日別)
・豊国(豊日別)
・肥国(建日向日豊久士比泥別)
・熊曽国(建日別)
対応がありそうな気もするが 何の謂れもない所を掘ってみて、
仮に大きな遺跡が出てきても、
それは邪馬台国の王都ではない。
だから纏向も平原も王都でははない。
邪馬台国の都、女王が住んだ場所は式内・明神大社になっている。
だから発掘はできない。
崇神=4世紀前半として、それ以前の式内・明神大社、
つまり3世紀の卑弥呼やトヨの時代、またはそれ以前の式内・明神大社が、
日本の一カ所に複数集中している。
葛城である。
高天彦神社、高鴨神社、葛城御歳神社、長柄神社などなど。
邪馬台国の王都は葛城なのだ。
だから神武は葛城に来たのだ。
邪馬台国の都は掘らなくても分かるのだ。
卑弥呼とはヒメ。
後に出雲の象徴「蹈鞴」と「五十鈴」を付け足され、
姫蹈鞴五十鈴媛と呼ばれる女性だ。
この女王が初代皇后にされたのは7世紀だ。
径百余歩で周囲に奴婢が埋葬された塚が日本最古の高天彦神社境内にある。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
https://goo.gl/maps/7jiejpcXjSA2
場所は高天原最有力地、御所市高天である。 >>117
隋大業三年(607),
小野妹子は、隋を訪れた、
次の年の三月に、長安についた。
隋の炀帝は、すぐに文林郎、鸿胪卿、裴世清を筆頭に、
代表团一行13人を訪問させ、
小野妹子も同伴させた。
同年4月に、裴世清は、筑紫についた。
6月15日難波につき、
8月3日奈良についた。
これみたら、約120日かかって、筑紫から
奈良に行ってるよ。 まだ不完全だけど魏志倭人伝をよーーーーーーく読み返してみた。
やはり畿内はまーーーーーーったく関係無いという結果でした。
畿内どころか九州からは一歩も出ません。
女王国はちゃんと帯方郡から12000里の位置に在ります。
よってそれを示した後に出てくる水行〜〜日とか陸行〜〜は無視して構わない。
狗奴国はまだ解読中。。。 >>770
三月に長安について四月には筑紫についているのか >>772
609年でしたね。
609年4月やね。
難波で50日滞留しとるんやなあ。 >>771
初心者さんが文献だけ読んで九州だと思うのはごく普通のこと
実際いろんなアンケートでは一般人の6割か7割は九州だと思ってるし
考古資料に接する機会のある専門家は99%畿内説だけどね >>770
7世紀に入ってもしばらくは九州倭国と畿内政権による朝貢が重複してる。
7世紀後半に畿内政権の身勝手な国家統一政策に対し、天武天皇率いる各地の豪族がクーデターを起こす(壬申の乱)
天武天皇は律令制の確立と正しい歴史を文書で認識させるために記紀の作成を指示した。
だから記紀は微妙に真実が書かれてるんだよ。 >>774
文盲で専門家って不幸だろうねえw
学者もどきがいくら読んでも理解できないよw
陳寿をなめすぎw >>775
なるほどね。
一部訂正しました。
裴世清は、当時、
ずば抜けた外交官として、煬帝より、
選出され、小野妹子とともに、
日本へ行くことになった。
訪日使団は、13名、山東省から
朝鮮半島に着き、対馬、壱岐を通りながら、
筑紫に上陸。装飾船30隻で、歓迎。
AD609年4月筑紫を皮切りに、
6月15日難波到着。
高麗館という名前の官舎に投宿。
そこで、50日過ごし、8月3日
奈良に入り、8月13日に、接見。
秦国によったから?
45日から75日ぐらいの幅は
あるが、それくらいかけて、筑紫から
難波まで行ってるな。 50日滞在したら、8月3日に
間に合わないとおもうが、
数日のちがいだけど。 >>769
箸墓古墳は日本書紀では別格の扱い。
「昼は人が作り、夜は神が作った」
皇女の墓でこんな神秘的な記述をされる墓はない。天皇の墓でもこれほどの扱いはない。
つまり、謂れがないどころか、一番、謂れがある場所。
また纏向の建物は伊勢神宮型と出雲大社型の建物の併存。
国譲り神話、統一王権成立を思わせる。
初期大和朝廷で相当重要な場所であることがうかがえる。
その場所が、桃の種の分析で卑弥呼の時代と重なることが確実になったということ。
その意味は大きい。
今のところ葛城にも九州にもそこまでの場所はない。
(葛城には天皇の古墳はあるが、大きい遺跡はない) 畿内説では、投馬国は、出雲(いづも、「ずも」じゃない)、但馬、丹波、津母(丹後半島先端)などが候補。
これらの位置関係は、魏志倭人伝の邪馬台国(大和国)までの行程の記述に合う可能性が高い。
また、上記の地域は古墳や出土物の状況から、邪馬台国に匹敵するような王権、豪族があったことがうかがえる。
よって、魏志倭人伝の行程の記述も、安全、補給の確保のため、邪馬台国の同盟国を経由して邪馬台国へ行く道を
示している可能性がある。 >>779
>つまり、謂れがないどころか、一番、謂れがある場所。
なんで一皇女が女王なんだよ。
モモソ媛の記述は卑弥呼を思わせるようにわざと特筆したのだ。
同じくアマテラスも弟があり独身、これも卑弥呼を思わせるように特筆した。
卑弥呼を隠して神功を強引に卑弥呼時代に当てはめてる記紀は真の卑弥呼を隠してるわけだ。
崇神4世紀前半、それより100年近く前の女王は誰がいるんだ。
父が事代主「神」、兄が鴨「王」、
神と王がいた家系のヒメしかいない。
姫蹈鞴五十鈴媛だ。
アホは失せろ。 >>779
>葛城には天皇の古墳はあるが、大きい遺跡はない
4世紀以前の式内・名神大社が集中、纏向(磯城)ごときの比ではない。
御神域は発掘できない。
おまえはアホなのか。 >>781
纏向遺跡の年代が卑弥呼の時代に一致したというのが、
この桃の種の年代分析の記事だ。
ずれているのは、おまえの方。
簡単にアホなんて言葉使うな馬鹿が。 >>783
>纏向遺跡の年代が卑弥呼の時代に一致
だから何なんだ、そんなことは当たり前。
纏向の謂れは物部しかない。
物部3代、ウマシマジ、ヒコユキ、イズモシコオは、
申食国政太夫(おすくにもまつりごおもうすまえつきみ)、
今で言えば総理か官房長官。
しかし彼らは「王」ではない。
王は鴨王こと天日方奇日方の系譜。
居住地は葛城だ。
おまえも「馬鹿が」なんて言ってるくせに偉そうに言うな馬鹿。 × 申食国政太夫(おすくにもまつりごおもうすまえつきみ)、
○ 申食国政太夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)、 但馬も丹波も音読みしたらタンバ
元は同じ国なのかね >>719 >>774
【邪馬台国纒向】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…吉村武彦
否定…関川尚功(橿原考研) 若井敏明
【卑弥呼箸墓】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…白石太一郎 歴博西本豊弘 奈良県立橿原考古学研究所
否定…石野博信 寺澤薫
(>>150のコピペ) >>770
スレ違いだが裴世清は聖徳太子に会ったのかな。 大スクープ!
卑弥呼がいた頃に奈良にも人が居た事が判明した! 欠史八代時代の畿内は葛城王権で
葛城王権内の有力豪族物部氏が纏向の主催者という事かな >>764
>奴国は女王に含まれる北限なんだから仕方ないだろ
北限っていうのがそもそもおかしい
普通は後漢書の「倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也」を誤読して
南限というものだが、北限ってどこから来たんだ?
まあ、勝手な思い込みだろうが
>奴国は女王に含まれる
奴国は女王国連合の一員だが、邪馬台国の内側ではない
これも勝手な思い込み
>邪馬台国7万の都市なんて存在しない
7万の都市が存在しないのは同意
邪馬台国七万は、国がある程度の範囲を持つ段階に達していることを示している
そして、魏志倭人伝でこの段階に達している倭国内の大国が3つあって
奴国 二万 福岡平野(〜もしかしたら筑後平野も)
投馬国 五万 丹波以西の日本海側(四隅突出墓を共通に使う範囲)
邪馬台国 七万 大和+河内〜環大阪湾(畿内第V様式土器を共通に使う範囲)
と記されているわけだ
>筑紫平野と福岡平野で7万
筑紫平野と福岡平野で2万だろう
奴国首長一族の筑紫君磐井の墓が筑後平野側の八女にあるから、
そっちも奴国と見ることには十分な蓋然性がある
>邪馬台国と投馬国はクニの連合体
奴国も当然そうだよ
吉竹高木遺跡の早良平野の国も奴国の中に数えられている
だから、奴国2万戸を邪馬台国の戸数に紛れ込ませるのは二重帳簿詐欺 >>764
>まとめて小国が書いてある其餘旁國って筑紫平野の傍らの小国という事だよ
突っ込みどころしかないな
筑紫平野の傍らに小国なんてないよ
それにそこまで近かったら、戸数道里も分かるだろ?
>帯方郡から南に水行20日の宮崎投馬国に「旁」は使ってないでしょ
帯方郡から南に行ったら、東シナ海しかない
倭人在帶方「東南」大海之中と矛盾するし、
旅程の途中で移動の起点が振り出しに戻ることも、
旅程を里程と日程の二通りで二重に書くことも大陸の史書では一例もない
あったとしても注釈が入らない限りはそうは読めない
つまり、水行の起点を帯方郡にするのはでたらめ読み >>776
>文○で専門家って不幸だろうねえw
ポリコレ棒を振り回す気はないけれど、「文○」を平気で使う人は
まともな議論ができない人だと思う >>755
日本国内で見つかった最も古い鉄器は
縄文時代晩期の九州の田遺跡の住居址から出土した板状鉄斧だろ
稲作と鉄の伝来が同じなんだろう 卑弥呼の影響範囲は意外にも狭いぞ。
文盲は水行20日で圏外に飛び出すように仕掛けがしてある。
つまり畿内説は全員失格。
中国の史書はお前らの想像以上に正確だぞ。 >>792
>欠史八代時代の畿内は葛城王権で
>葛城王権内の有力豪族物部氏が纏向の主催者という事かな
違う違う、物部は桜井(磯城)の纏向遺跡。
葛城は鴨氏。
豪族というか、崇神の頃まで彼らの王権があった。
神武はその王権への入り婿。
神武の義理兄が日本書記での鴨王(かものきみ かものおおきみ)こと天日方奇日方。
その父は事代主神、えべっさんだ。
日本では一度だけクーデターがあった。
それは崇神の時代。
山陰出雲に出雲国造が置かれ、出雲の神宝が奪われ、慰霊・鎮魂のために大神神社が建てられた。
大物主の怨霊がよほど怖かったのか崇神は手元にあった鏡を放逐、
その鏡は行き所がなく、今だ伊勢神宮境内を20年に一度、式年遷宮という形で彷徨う。
明治天皇になるまで皇室が伊勢神宮を参拝しなかったのはそれが理由。 自女王國以北 其戸數道里可得略載
女王国の北は道順など書ける、つまり伊都国奴国不弥国まで
其餘旁國遠絶 不可得詳
筑紫平野の女王国の傍の国は遠くて書けない、鳥栖とか基山町とかあの辺だ
次有 次有奴國 此女王境界所盡
傍が尽きるところが奴国、女王国以北の境界が奴国という事
これらが邪馬台国と言ってるんだよ
女王国+傍国「奴国含む」
奴国までが境界とあるから伊都国の扱いは一大卒置いて巡回
こんな簡単な事なぜわからないかな
河内とかぜんぜん関係ないからな 南至邪馬台国までが帯方郡からの行程と地理
それ以降は邪馬台国内部の説明だ 俺は太宰府に一票。
ただ、見つかったとしても金印は既に盗掘されてるか、統一政権が出来たときに没収されてるかもしれない。
漢委奴国王の金印は没収されないように埋めて隠してたのかもね。 畿内説は文書読解力ゼロというより勝手に書き換えて読んでるもんな。
これ歴史捏造事件じゃないの?
公費横領とか? >>797
>水行20日で圏外に飛び出すように仕掛けがしてある。
圏外というのが、九州だけを考えているから飛び出すだけで
倭国のくくりで考えればまったく問題ない
一日20キロ弱の水行で、最大でも400キロだから若狭湾まで届かないよ
短里は捏造w >>799
>自女王國以北 其戸數道里可得略載
>女王国の北は道順など書ける、つまり伊都国奴国不弥国まで
投馬国も戸数(五万余戸)道里(南至 水行20日)が略載されてるから
女王国以北の国
>其餘旁國遠絶 不可得詳
>筑紫平野の女王国の傍の国は遠くて書けない、鳥栖とか基山町とかあの辺だ
この遠絶は、大陸から見て倭国が遠絶ということで、
邪馬台国からの距離がどうこうということではない
次有斯馬國は、邪馬台国の次の国だが、それも其餘旁國のくくりに入れられている
>次有 次有奴國 此女王境界所盡
>傍が尽きるところが奴国、女王国以北の境界が奴国という事
尽きるところは傍ではなく、女王国連合
陳寿の倭人伝の記述は北から南へ、だから、対馬から順に南へ行って
次有○奴國が一番南になる
後漢書では、これを光武帝に朝貢した倭奴国と同一だと誤読して、
これを倭國之極南界也としている
一番北だと思っている辺り、おおまちがいいもいいとこ 「文○」と書くなと何度言えば
非識字者という言葉があるが、九州説の連中は軒並み機能的非識字者だな >>805
>短里は捏造w
そういうオマエは単細胞w 投馬国も戸数(五万余戸)道里(南至 水行20日)が略載されてるから
女王国以北の国
それだと邪馬台国も同じ扱いの略載だから邪馬台国は女王国の北の国となるけどな
畿内説では女王国とは別に邪馬台国があるのか、不思議だなぁ >>807
> 後漢書では、…と誤読して、…
出ました畿内説得意の伝家の宝刀=捏造
憲法9条の解釈は、内閣の閣議決定のほうで、かってに行ったことである。
安倍内閣のほうで、憲法9条が原因で、専守防衛で敵地攻撃禁止、
ミサイル禁止・長距離爆撃機禁止・空母禁止・原子力潜水艦禁止・核兵器禁止、
とかってに決めているだけのことだ。
ようするに朝鮮人の安倍首相には、日本国民を守るという意思が皆無である
ということだ。安倍は、自分自身の仕事を完全に放棄している。
日本国憲法にはアメリカ合衆国憲法と完全に同一に、国民を守ることが
政府の義務だと書かれてある。これが近代憲法の最重要事項であるからだ。
【 日 本 国 憲 法 】
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
もちろん国連が制定した日本国憲法は、日本国民の人権を守っているのであって、
国民を守るのにあたってこれは駄目だあれは駄目だなどと規制はいっさいしていない。
安倍内閣のようなことでは、日本国民の自由や生命を守ることは不可能で、
これは国民を守ることが目的の日本国憲法に完全に反することだ。
国際法で、自衛権は国民の基本的人権である。自分で自分を守ること、
すなわち民主主義政府が国民の自由や生命を守ることを自衛という。
国民の貴重な生命や自由を守るための方法で、国民が選んだ民主主義政府に
制限などは、あり得ない。人類共通の常識である。
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
南は狗奴、服従していないから邪馬台国外
ここまで奴国から狗奴国境までが邪馬台国の範囲説明
ここまで明瞭に倭人伝は説明してくれてる
筑紫平野から筑後平野辺りにしか考えられんだろ 畿内説は京大閥が煩いだけの印象
九州いがいの以外の大学の人もだいたい九州説だろなあろなあてみてるよ
まあこういうニュースはなんでか現役の教員が少ないということから、いろいろと察せられるだろうが >>815
>筑紫平野から筑後平野辺りにしか考えられんだろ
先入観でカチカチに凝り固まってるな
そんな狭い範囲なら戸数で完全にアウト、近過ぎて合計60日の行程と矛盾 >>815
普通に考えて史書のような重要文書を書く人がデタラメ書くわけないよね。
国もきっちり30国あるし。
あとこれは推測だけど一支国を一大国と表現してるよね。
そして後に一大率と出てくる。
文字の違いは上部の「十」で中国お得意の10倍ルールが使われてるとみた。
つまり数値は10倍の値で書かれているぞと。 合計60日の行程と矛盾
呆れた、まだ倭人伝を旅行日誌と思ってるのか
それじゃ奴国から畿内までの旅行を古跡や資料付けて説明してみなよ >>820
>呆れた、まだ倭人伝を旅行日誌と思ってるのか
誰がそんなこと言ってる?
倭人は里の概念がないから距離も日数で表していて、邪馬台国まで合計60日かかる距離だという意味だ >>822
聞いたことはあるが、九州にしたいがために作った与太話に興味なし 九州説の人、邪馬台国を九州の中で見つけたいならこの図のグレーの部分と纒向型前方後円墳のあるところは外しといてよ
そこは畿内連合の傘下の国になるからさ
https://i.imgur.com/63f11W7.jpg >>823
当時の中国における常識なんだけど、知らないんだねw
あくまでも推測だから構わないけど、魏書では他にも使われている手法だからね。
>>824
卑弥呼のいない時代の他国の話は論外。
〜3世紀半ばで語ろうぜ。 >>825
卑弥呼だけなら庄内期のところだけ外せばいい
だが266年の遣使が台与と考えるのが妥当で布留期も含めるのが現実的だとは思うがね
外すのは庄内期だけでもいいが、その場合、266年までの短期間で倭国のトップが変わったことを
合理的に説明できるのが条件になるが
さらにその国も女王だったという、ありえなくらいの偶然が重なることも必要になる >>825
里の誇張は国の比定地から確認済み
日数は別ソースであり10倍の根拠なし
文献改ざんして九州だと言い張っても史実にはならない >>827
確かに戸数と道里は情報を得られ詳細に書けたとあるよね。
これは戸数と里数以外は不正確だとして読みかえしてみなよ。 正史に書かれた南を勝手に東の間違いだとか言ってるバカは桃の種でもしゃぶってろ。
東に行っても12000里じゃ奈良まで届かないからな。 畿内説が魏の使節の纏向までの旅程を説明して九州説を納得させるしかないな
出雲から奈良盆地に徒歩で歩くのは大変だ
普通は瀬戸内海航路で畿内に行きそうなんだが 生きてるうちに結論が出てほしいと思う気持ちと、出てしまうとがっかりする人たちが
少なからずいるんだろうなと案ずる気持ちの間で揺れ動いてる
特に九州人としては >>809
>ごめん、何て書けばいい?
>>808にもあるように「非識字者」が基本 >>810
>そういうオマエは単細胞w
私個人は単細胞でもなんでもいいんだけど、
「短里は捏造」には具体的な反論はないんだね? >>811
>それだと邪馬台国も同じ扱いの略載だから邪馬台国は女王国の北の国となるけどな
>畿内説では女王国とは別に邪馬台国があるのか、不思議だなぁ
魏志倭人伝では、女王国の意味合いに揺れがあって、
基本的には、卑弥呼の共立に参加した範囲・女王国連合(≒倭国ー一部の国)
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚之。常治伊都國
の2ヶ所だけ女王国=邪馬台国(=女王の都するところの地名)になっている
そして、戸数道里略載に関しては、邪馬台国も当然入るよ
以上と未満の使い分けのときに「以 もって」はそれを含むって習っただろ?
まあ、そんなに厳密には書いていないけれど女王国以北に女王国(ここでは
邪馬台国)が含まれるのは何の問題もない >>812
>出ました畿内説得意の伝家の宝刀=捏造
短里の捏造や、東夷伝は10倍ルール、とかいうのと違って、
ちゃんと根拠は示してあるだろ?
捏造は、九州説の得意技
それを畿内説のことと言い募るのは、ミラーリングという詭弁使いの初歩の技法w >>815
>筑紫平野から筑後平野辺りにしか考えられんだろ
その範囲でどうやったら、水行20日+10日、陸行1月が入るんだ?
投馬国はどこ?
根拠もなく書けばいいってもんじゃない >>817
>九州いがいの以外の大学の人もだいたい九州説だろなあろなあてみてるよ
はい、これがまた真っ赤なウソ
ウソじゃないなら、ソースを出してごらん
研究者はもう20年位前から、みんな、畿内説が常識だと思ってるよ >>824
九州説はこういう物証を無視しないと成り立たないんだよな
平地だと熊本は一応空白だけど
あとは鹿児島しか残ってない >>820
>それじゃ奴国から畿内までの旅行を古跡や資料付けて説明してみなよ
福岡付近から、出雲まで水行20日
ただし出雲の場所が決めがたく、
出雲大社や西谷墳墓群がある出雲平野か、
熊野大社や出雲国府が置かれた松江平野か、
あるいは妻木晩田遺跡のある大山付近か、いずれかが候補
そこから丹波へ行くまでが水行10日
丹波の上陸地点は、網野銚子山古墳のある網野町か、神明山古墳のある丹後町竹野の竹野川河口付近
地名からすると記紀に丹波竹野媛(開化天皇妃)があることから竹野が有力、地形的には離湖という潟湖がある網野かな、とも思う
どちらに上陸したとしてもそこから陸行で京丹後市役所のある峰山付近を通って丹後半島を横断
横断したところが籠神社のある与謝野町、そこから野田川沿いに遡っていくと蛭子山古墳がある
福知山付近を通って、山陰本線に近いルートで亀岡まで来ると、丹波国一ノ宮の出雲大神宮がある
亀岡から桂川沿いに京都盆地に入り、巨椋池を経て木津川を遡り平城山を越えて奈良盆地に入って纏向ってルートでいいだろう
水行20日 福岡から出雲平野までが約300キロ 妻木晩田遺跡辺りまでだと370キロ
水行10日 妻木晩田遺跡から竹野までが約150キロ
陸行1月 竹野から纏向までが170キロくらい
水行が一日に20キロ弱とすると
300〜370キロで、16〜18日くらいになる
150キロで、7〜8日
10日単位で丸めれば、そのまま20日と10日になる
陸行は、見積もりにくいが、170キロを30日で歩くと単純計算で
1日あたり5.6キロになる
もう少し早く着いてもよいと思うが、丹波から大和まで歩いて一月というのは
それほど突飛でもない >>822
>10倍ルールって知らないの?
知ってるww
九州説しか信じていない捏造の勝手ルールだよw >>825
>魏書では他にも使われている手法だからね。
それ、原典の原文で示してね >>831
でも金印は南九州から出てくる可能性もあるよ。
女王国は南の狗奴国に滅ぼされたとすれば。 >>825
>卑弥呼のいない時代の他国の話は論外。
>〜3世紀半ばで語ろうぜ。
他国ではなく倭国の話だし、>>824は3世紀の土器の分布だよ
まさに卑弥呼の居る時代の、卑弥呼の国の勢力図だね
ただ、それぞれの首長同士の個人的つながりが基本の祭祀同盟だから
面的な広がりではなく、祭祀同盟に参加している首長の傘下の土地だけが、
網掛けされている 涙目で叫んでる畿内信者の声は過ぎ去って行く夏の蝉の声w
さて、女王国が九州の何処なのかについて語っておくれ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています