>>508
>応神天皇が誉田御廟山古墳で即位390年であることは百済王との兼ね合いからも明らか

これが明らかじゃないんだって!
自分が正しいって凝り固まってないで、もうちょっとフラットに物事見てごらん

百済王との兼ね合いってのは三国史記じゃないのか?
それ12世紀の二次情報

誉田御廟山古墳が古墳の被葬者が応神天皇ってのも疑問符が付いてる

高城修三の紀年解読での応神推定即位年は368年
おもしろそう紀の住吉十楽は応神即位年に422年を取る

>ならば崇神まで遡ること5世代だがすべて父子継承とは言いがたく、
>新唐書の神功は開化の曾孫の記述、または各豪族の系譜からも4世代が妥当であろう。

これも「父子継承とは言いがたく」というのは感想
新唐書は記紀の情報準拠の二次情報だから、新唐書を記紀の否定に使うのは筋違い

>ならば崇神が3世紀初頭の卑弥呼の男弟なら、応神から遡る4世代が約200年になる。
>一世代間50年。

卑弥呼を3世紀初頭とするのは、確定事項ではない
卑弥呼の実在が確認できるのは景初三年、239年以降
3世紀初頭と239年では40年、一世代半ずれることになる

>記紀のとおり応神から崇神まで5世代としても一世代間40年。

記紀の通りなら
崇神、垂仁、景行、ヤマトタケル、仲哀、応神だから世代数で6代目代目になる

結構>>508がいいかげんだって分かるだろ?