畿内説が拒絶反応する旧唐書には重要な事実が書かれているね。

[倭国条]
九州倭国の朝貢は漢〜唐まで記録がある。
ただし631年の唐への朝貢で最後。
(遠いから無理をして朝貢しなくても良いと言われる)
帰りに着いてきた唐の使者と倭国の王子が揉めた模様。
以降は新羅を通じて連絡をとりあった。
[日本条]
その後畿内日本人が唐に朝貢に来た。
ここで倭国と日本は合併したと報告している。
受け応えが誠実でないので疑われる。
(倭国人とは様子が違う)
以降、日本人は継続的に朝貢している。
まともな人も来たが、居座って帰らない人もいた。

よって7世紀あたりでようやく畿内大和政権が機能し始めたと考えられるが、壬申の乱など、苦労は絶えない。
全国を統一出来たのは天武天皇が無難な形で記紀を作成したおかげか?
(天武は魏志倭人伝を読んでいた)