【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★6
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邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1536582943/ 卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を侮辱したい朝鮮人韓国人だ 現れては
纏向=邪馬台国の結論を主張
↓
説明求めたら九州説を非難
↓
消える
このパターン飽きたから
偶然の発見で帯方郡から纏向までの距離がわかったんでしょ
結論だけで終わるのではなく
那とか投馬とか桃種とか毛野とか方角とか距離とかあるでしょう
説なら整合性持って説明してよ >>383
偶然なんかじゃないよ
陳寿はちゃんと根拠があって書いてるんだよ >これ、偶然じゃない気がする
>>383に
>偶然なんかじゃないよ
とレスする>>396
>>396の日本語理解力を歌川秀麿笊負えないwww
卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を侮辱したい朝鮮人韓国人だ
>>357
>台は臺の代用字
この事が性根に入ったことは喜ばしい >>397
外国人の方ですか
日本語難しいですよねー >>401
なかなか教養の低いユーモアのわからない方ですね
アンタ
アンタはアラビア語の二人称代名詞です。
意外なところで日本とアラブ諸国がつながってるんですよ
日本語が難しいのはこのスレ読んでいても感じますよ
みんな下手糞な日本語で書き込んでますからw >>402
じゃあ、その教養の高いユーモアというのを解説してよw
てか、アンタも勢いで書いて自分が間違えたの気づいてるんだろ >>403
どこが
と昼間から酔ってるオッサンに突っ込んで観る
卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を侮辱したい朝鮮人韓国人だ
@少なくとも5世紀には日本の中心は畿内にあった
A弥生時代の前期〜中期は九州が先進地域だった
@とAに異論がある人は両説ともにほとんどいない
結局、記紀に書かれているように、
権力が九州から畿内に移行したと推定する人は多い(異論も多い)
畿内説と九州説の対立って、
結局この移行時期が卑弥呼の時代より前か(畿内説)、後か(九州説)ってところに集約できるんじゃない?
個人的には畿内の銅鐸文明の滅亡期から、
畿内説を押してるけど
卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を侮辱したい朝鮮人韓国人だ
>>406
日本列島を代表する政権は紀元前から700年までは倭国 太宰府が最後の首都
700年以降が奈良 朝鮮人継体の子孫 邪馬台国が大和朝廷へとつながっていく
と仮定すれば小学生でも日本の歴史が
理解できるってことなのかな
ものごとは分かりやすことが肝要 >>409朝鮮韓国人テロリスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
先導罪・内乱罪、 公安に通報した
卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無い
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を貶めて侮辱したい朝鮮人韓国人だ
男狭穂塚はのちに改築されたないか?
どうも西都原が臭い 春日大社は以外に歴史が浅い
710年って卑弥呼から何百年経ってんだよ
弥生時代から奈良の卑弥呼が日本を統治してたんならもっと早く作れよ 古代ローマ帝国が衰退に向かっていく時代
日本は原始人の国だった
邪馬台国の卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族の
危険なカルト信仰だからだ。
キリスト教ではカルトの偶像崇拝・個人崇拝は
禁止されている。オウムと同じことで、個人崇拝
の教祖が少し変更しただけでたいへんな事態と
なるからだ。
「邪馬台国が、 」 など日本で言い出すヤカラは、
日本を貶めて侮辱したい朝鮮人韓国人である。
>>408
そんなオカルティックな説はどうでもいいわ
天智以前と以降で王朝が違うという考えもあるが、
それでも8世紀まで九州が中心だったなんてありえないから
邪馬台国の卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族の
危険なカルト信仰だからだ。
キリスト教ではカルトの偶像崇拝・個人崇拝は
禁止されている。オウムと同じことで、個人崇拝
の教祖が少し変更しただけでたいへんな事態と
なるからだ。
「邪馬台国が、 」 など日本で言い出すヤカラは、
日本を貶めて侮辱したい朝鮮人韓国人である。
【邪馬台国纒向】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…吉村武彦
否定…関川尚功(橿原考研) 若井敏明
【卑弥呼箸墓】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…白石太一郎 歴博西本豊弘 奈良県立橿原考古学研究所
否定…石野博信 寺澤薫
(= >>150) >>414
とんでもない 世界最古の工業製品土器をつくったのは日本列島人 15000年前
縄文文明と言います >>419
自分の頭で考えない思考停止の気の毒な人です ソース症候群病です >>422
このような人は東大の先生が言えば喜んでトンスルを飲む人です 九州王朝説の信者は基本的に文献のみを根拠にしてるが読み方が恣意的すぎる
自分に都合のいい記述のみを抽出し、都合が悪い部分はガン無視
その典型が旧唐書の倭と日本が別種という部分のみを引用すること
考古資料は見事に無視している
無視というより知識がない 近畿王朝説の信者は
自分に都合のいい記述のみを抽出し、都合が悪い部分はガン無視
その典型が旧唐書の倭と日本が別種という部分のみを引用すること
考古資料は見事に無視している
無視というより知識がない 近畿王朝説の信者は
自分に都合のいい記述のみを抽出し、都合が悪い部分はガン無視
考古資料は見事に無視している
無視というより知識がない 馬鹿
旧唐書も読めない畿内説の人 旧唐書でわかる700年政権交代
700年以降が朝鮮人継体の子孫が政権を掌握しました >>427
西日本とは疎縁であった事がわかりました。 荒らしてばかりの九州説、
卑弥呼がいた場所(遺跡)はどこだ。
答えてみろ。 【邪馬台国纒向】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…吉村武彦
否定…関川尚功(橿原考研) 若井敏明
【卑弥呼箸墓】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…白石太一郎 歴博西本豊弘 奈良県立橿原考古学研究所
否定…石野博信 寺澤薫
(= >>150 >>419) このスレは長く続いてるね
確か中国の地図では長いこと
日本列島は九州が上で南北になってるよね
だから倭人伝の記述どうり奈良だよ 畿内説って何の説得力も無いね
発狂して罵倒してるだけだし
嘘でも纏向に卑弥呼がいたことにすれば真実はどうでもいいんでしょ
違う? >>434
あの地図は13世紀頃にモンゴル帝国が書いた戦略地図の複写だよ。
方位や距離はなく重要度を示した地図。
これは日本にも保管してある。 >>434
その古代中国人の地理観が重要なポイントなんですよね。
九州説には都合が悪すぎるので、意図的に無視されています。 .
邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。 〉〉438
それでいいからもう出てくるなよ
同じコピペ何度も何度も
西都原は荒らし要員か? >>420
土人、 オマエは年代も日本語も全部、間違っている ウザイから、半島へ帰れ 女シャーマンの卑弥呼の国なんて、それは朝鮮半島のことだ。
大規模灌漑農法の水田耕作を行っていた古代文明国の日本に持ち込むな!
寒冷で作物耕作には適さなかった朝鮮半島で
水田稲作を始められたのは、日韓併合後に
日本帝国が朝鮮半島で開墾を行って、
日本国内で品種改良の進んだ稲を植えてから
後のことだった。
日本国内でさえ、稲の品種改良が進んで
やっと東北で水田稲作を始められたのは
江戸時代以後だった。それでも冷害に
襲われ、東北では不作と飢饉が継続していた。
中国江南地方において何千年もの歴史を持つ
中国揚子江文明が栄えていたが、大規模灌漑農法
と品種改良の進めたもとはベトナムやタイのあたりで
野生で自生していた熱帯植物である稲の耕作によって
大人口となっていたわけだ。中国江南地方、すなわち
揚子江下流域というのは緯度でいってもかなり南だ。
中国上海のある場所、ちょうど日本の九州南中部の
あたりになる。日本列島の場合、海に面しているので
西日本の黒潮の来る太平洋岸においてのみ、
江南地方とほぼ同レベルな激しく温暖な気候になる。 >>441
>激しく温暖な
日本語が苦手なようですね
半島へお帰りください >>423
日本にトンスルはありません
早く半島へお帰りください
父祖の地沿海州のほうがいいかも知れませんね >>442朝鮮韓国人テロリスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
先導罪・内乱罪、 公安に通報している
オロチ族、またはオロチョン族のことだ
オロチ族は、現在でもシベリア極東のアムール川北方に生息している
ツングース系の原始採集狩猟民のことだ
もちろん朝鮮半島も、現在でも危険なカルト信仰の多い
シャーマン崇拝の原始信仰の土地だ
オロチと発音するツングース言語は、日本語では蛇ヘビを
意味するようになっている。ヘビを神として崇拝していたという、
典型的なシャーマン信仰。シュワルツネッガーの「コナン・ザ・グレート」
という映画にも、ヘビ使いのシャーマンが出て来る。
これもよくある例で卑弥呼は、このヘビを飼いならして
使っていたヘビ使い。ヘビは幼虫のうちから、
歯を抜いて育てていると人間にもなつくようだ
ヤマタノオロチ を退治した、という有名な伝説が
日本に存在するが、原始狩猟民のオロチ族を
8部族ほど、成敗したという意味になる
シャーマン信仰ではないのがヤマトだ、ということを
暗示している伝説である >>445朝鮮韓国人テロリスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
先導罪・内乱罪、 公安に通報している
>>429朝鮮韓国人テロリスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
先導罪・内乱罪、 公安に通報している
>>406
>結局この移行時期が卑弥呼の時代より前か(畿内説)、後か(九州説)ってところに集約できるんじゃない?
今はなき東遷説スレからの引用
「東遷の時期の範囲を不明にすれば
畿内説だって九州説だって東遷説の一種になってしまう
つまり、東遷した時期をある特定の時期の範囲の中に設定する説が「東遷説」なのであり
遅すぎるとありきたりの九州説になってしまい
早すぎるとごくふつうの畿内説になってしまう」
で、今の標準編年では、古墳時代の始まりが邪馬台国時代に重なるのが明確になったから、
この「早すぎる東遷説=ごく普通の畿内説」が正解ってことで、研究者はコンセンサスができてる
だから、九州説をいまだにやってる情弱は、編年は信じないって言い続けてるんだよなw >>449朝鮮韓国人テロリスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
先導罪・内乱罪、 公安に通報している
邪馬台国の卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族の
危険なカルト信仰だからだ。
キリスト教では、カルトの偶像崇拝・個人崇拝は
禁止されている。オウムと同じことで、個人崇拝
の教祖が少し変更しただけで、たいへんな事態と
なるからだ。
「邪馬台国が、 」 などを日本で言い出すヤカラは、
日本を貶めて侮辱したい朝鮮人韓国人である。
>>427
>纏向で桃の種が出ました
こういう恣意的な切り取りをするのが九州説の典型
纏向というそれまでに集落のなかった未利用地に最初から計画的に
祭祀都市を作った巨大遺跡があります
そこで古墳時代に直結する前方後円墳が定式化された、古墳時代始まりの地でもあります
定式化された前方後円墳の前の纏向型前方後円墳の最初期の纏向石塚古墳から、
列島最大の墳丘墓は纏向に作り続けられます
纏向の辻地区で、弥生末期で最大級の建物が検出され、その建物と軸線を
合わせたそれまでに例のない計画的な建物群が認められ、それが柵列で囲まれています
その建物群の近くに弥生時代最大規模の祭祀土坑があり、供献土器と共に
「桃の種が出土しています」
纏向遺跡では他の弥生遺跡と比べて、非常に高い比率で他地域からの搬入時が見られ
多くの地域から人が集まる都市だったことが分かります
別に桃の種は王都である根拠ではないんだけどね >>410
相変わらず態度が悪いなぁ
お里が知れるぞw
畿内説としての主張はこれだけでいい
文献史学では決められないのは明らか
あとは考古学的出土物、遺跡や遺構から考えていくことになる
古墳時代には日本列島の広い範囲で前方後円墳を作るという合意が為されており、
それが事実上倭国の範囲そのものと見なせる
そして古墳時代の全期間を通じて各時期の最大の古墳は畿内に作られ続け、畿内に
前方後円墳体制の盟主があることは明白
ここまでは、「ごく一部の九州説(九州王朝説:古田史学の一派)」以外は認めること
邪馬台国論争は、邪馬台国の絶対年代が古墳時代に入っているかどうかに焦点がある
そして、学究畑では編年研究の成果から3世紀初頭には前方後円墳体制が成立していたと
考えられるようになっている
これが全てだよ
既に決着済み ID:MNucF3VBは口汚く罵るいつものあいつとは違うような気がする
あいつは知識が乏しく、とくに考古知識は皆無
それに文章を書くとき句点を使わない
人にレスするときもアンカーを使わない >纏向というそれまでに集落のなかった未利用地に最初から計画的に
>祭祀都市を作った巨大遺跡があります
倭人伝に
>其國本亦以男子為王 住七八十年
邪馬台国は卑弥呼の前70〜80年男王の時代がある
『三国史記』新羅本紀に173年 - 倭の女王卑弥呼が新羅に使者を派遣したとある
170年代初頭が卑弥呼擁立の年代と仮定して
その70〜80年前に男王の邪馬台国が成立してたんだが
西暦90年から100年位になるな、どうなってるんだ?
纏向の歴史を説明してくれないか >>455
奈良の天皇陸って軒並み4世紀だよね。
九州からの東征以前は渡来人が多くてまともに住める場所じゃなかったんじゃないかな。
唐古鍵だって夜逃げしたような遺跡じゃん?
九州勢が東海勢力と伊勢経由で奈良に入って渡来人を北に押し上げたとすれば、纒向は前線基地だったのかもよ。
俺の場合は東征説だからこう推測するね。 >>455
>西暦90年から100年位になるな、どうなってるんだ?
>纏向の歴史を説明してくれないか
ヤマト国=纏向ではないし
倭国=ヤマト国ではない
それだけのことだよ
ヤマト国=邪馬台国七万戸の範囲は「大和+河内〜環大阪湾」の畿内第V様式土器が
共通して出土する範囲
そのヤマト国の祭祀王が倭国の統一祭祀王として共立され、新しい王都が新天地の纒向に
計画都市の形で新築された
纒向建設前の大和の首都は唐子・鍵遺跡でいいだろう
卑弥呼の前の男王時代の途中までは、倭国内の北部九州の首長だった時期もあると思う
帥升は九州の首長だと思うよ
だが、倭国乱以降、九州に首長は倭国を代表する立場にない >>294
隋書倭国伝で倭国の大きさを「其國境東西五月行南北三月行各至於海」としている
この南北をどうとるかによるけど、
仮に九州南部〜白河関あたりとしてその 2/9 が二十日とすれば
九州を飛び出るほどの距離ではない >>456
>奈良の天皇陸って軒並み4世紀だよね。
それが既に古い編年観
崇神天皇が纒向遺跡と同時代で3世紀だよ
神武天皇は系譜研究からは崇神天皇の5世代前 九州と畿内を実際に旅してみると分かるよ。
古墳時代の墓の規模が全然違う。
あれが地方と中央の違いを端的に表してる。 >卑弥呼の前の男王時代の途中までは、倭国内の北部九州の首長だった時期もあると思う
なんだこれは
思うだけじゃ論にならんだろ
九州北部の首長だった時期があると「思う」なら
なんでそう思ったかきちんと述べないとわからん
それに説明が足りん
西暦90〜100年頃に九州北部の首長が畿内邪馬台国の唐子・鍵遺跡
でヤマト国の倭国の統一祭祀王になったというのか? 方格規矩鏡が、でるところは、
魏や後漢に関連ある地域だよね? 後漢時代がメインだろうな
魏の時代になると数はかなり減る >>458
仮に放射読みをしても邪馬台国は九州を飛び出ちゃうね >>465
さらに南へ水行十日陸行一月をまっすぐやってしまうと飛び出るね
陸行は九州を横断かなあ 畿内説が拒絶反応する旧唐書には重要な事実が書かれているね。
[倭国条]
九州倭国の朝貢は漢〜唐まで記録がある。
ただし631年の唐への朝貢で最後。
(遠いから無理をして朝貢しなくても良いと言われる)
帰りに着いてきた唐の使者と倭国の王子が揉めた模様。
以降は新羅を通じて連絡をとりあった。
[日本条]
その後畿内日本人が唐に朝貢に来た。
ここで倭国と日本は合併したと報告している。
受け応えが誠実でないので疑われる。
(倭国人とは様子が違う)
以降、日本人は継続的に朝貢している。
まともな人も来たが、居座って帰らない人もいた。
よって7世紀あたりでようやく畿内大和政権が機能し始めたと考えられるが、壬申の乱など、苦労は絶えない。
全国を統一出来たのは天武天皇が無難な形で記紀を作成したおかげか?
(天武は魏志倭人伝を読んでいた) >>462
>西暦90〜100年頃に九州北部の首長が畿内邪馬台国の唐子・鍵遺跡
>でヤマト国の倭国の統一祭祀王になったというのか?
駄々を捏ねてるだけだろ?
めんどくさいな
後漢書に倭国王帥升等と書いてあるから、とりあえず帥升は倭王として扱うが、
北宋版『通典』に倭面土國王とあるのに従えば、漢委奴國王と同じで
倭国内の面土国の王であって、倭国全体の王ではないとも取れる
倭の奴国の王は倭国の中の地域首長で奴国(福岡平野)の王、
倭の面土国のの王は倭国の中の地域首長で面土国(米多郷)の王
どちらも北部九州の地域首長
縄文以来、日本列島では各地の特産品を交易により広域流通させていた
神津島の黒曜石しかり、関東の貝塚で作った干し貝しかり、糸魚川の翡翠しかり
そして一時期、北部九州が出していた特産品が大陸由来の青銅器で、その頃には
稀少品として北部九州に一定の優位性があった
それが、後漢末の混乱、公孫氏の自立により舶来の青銅器が手に入らなくなって、
北部九州の優位性は失われ、決定的に没落する
その後、列島内の談合により、大和の祭祀王が統一祭祀王として共立され、
新しい都が計画都市として纒向に建設される
大陸側からすれば朝貢記録があり金印も出しているから、西暦57年の漢委奴國王も
107年の帥升も「王あり」と書かれるけれど、それが倭国全体の王だったかは疑問 >>466
>陸行は九州を横断かなあ
九州を横断なら、東行だよね?
そんな簡単に東にしてよいなら、最初から東で畿内に向かった方が簡単じゃないかね?
まあ、日本海航路を東へ水行して最後、丹後若狭湾辺りから陸行して大和に向かうと
逆に最後の旅程は南向きになるけれど >>468
畿内がいくら頑張っても祭祀では統一出来ず、ねじ伏せる力もなくグダグダな時代が続いただけ。
天武天皇が忘れ去られていた神武東征説を復活させ文書化したことでようやく落ち着いたって感じだよ。 まずは倭国大乱の痕跡を探せばよい。
2世紀頃の同年代の戦闘の痕跡がどの範囲に見られるかで倭国の範囲は検討が付く。
そして邪馬台国のあった地域なら3世紀末まで狗奴国と争った痕跡があるはずだ。
簡単だろ? しかし、道路も整備されていなく地図もない時代にまともな靴もない中よく島根だとか岡山だとかから移動したものだよな 卑弥呼女王がシャーマンだと 誰が決めたの?
土着の人間は 裏が無いから素直に太陽信仰していたのよ。
呪詛とか占いは 渡来人が持ち込んだもの。 邪馬台国の頃に
八咫烏さんが日本におられたらしいから
聞けばよいと思うよ?
通り魔に殺された被害者を 敗者とは言わない。
同じルールで 同じ土俵で戦って
敗れたなら 敗者でしょう。
無抵抗に近いものを一方的に成敗して 勝者・・・?
日本語って 奇妙だなとしみじみ思わせる
邪馬台国論争。
海洋国家の邪馬台国が
奈良や京都へ遷都するわけが無い。 纏向は瀬戸内海洋集団・物部の遺跡。
10代崇神のお母さんも物部。
纏向にヒミコはいない、ヒミコがいたのは葛城。 >>459
>崇神天皇が纒向遺跡と同時代で3世紀だよ
崇神が3世紀は無理、4世紀初〜前半。
纏向古墳群は崇神以前の物部の墓。 神武が大和に来た時、すでに神と王がいた。
事代主神と鴨王だ。
これは日本書記に明記されている。
神武は4世紀前半の崇神の6世代前、つまりヒミコの時代だ。
ヒミコとは事代主神の娘であり鴨王の妹であるヒメだ。
後の時代、ヒメに「蹈鞴」と「五十鈴」を付け加え、
記紀で姫蹈鞴五十鈴媛となった。
彼女が住んだのは葛城である。纏向ではない。
ヒメの墓は鴨族の聖地、高天原の日本最古の神社の境内にある。
径百余歩の塚の周囲に、魏志の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛だ。
https://goo.gl/maps/JPUsgagd94t >>472
>しかし、道路も整備されていなく地図もない時代にまともな靴もない中よく島根だとか
>岡山だとかから移動したものだよな
出雲と大和の間には土器の出土から見て往来が確立されているわけだから、
そのルートに乗って、大和まで来ただけだと思うよ
そして、北部九州から出雲は、大国主がタキリヒメに妻問いした日本海沿岸の海路だろう >>477
>崇神が3世紀は無理、4世紀初〜前半。
それが思い込み
纒向が卑弥呼の宮室で、その近くに磯城瑞籬宮を置いて
国を治めるのを佐けた男弟が崇神天皇 それはね、入れ替わり立ち替わり九州説を盲信している人が来て、
「専門家の研究を全て信じない、オレ様の考えが正しい」って言い張って荒らし回るからだよ 畿内説が正しいという説明はかなり出てきた。
念のため九州説を検証しようじゃないか。
女王ヒミコがいたのは、九州説では具体的にどこだと言うのか。
(天皇家の血筋らしいので、倭人伝の漢字は使わない) その前に畿内説では
大和河内環大阪湾が邪馬台国で纏向は計画都市で唐古が大和の首都云々言ってるんだが
卑弥呼は何処にいたんだ? 旧唐書を読めば倭国と奈良日本はべつものと明確に解るが 奈良派は日本列島の歴史全部が
奈良から始まると火病を起こす
紀元前から700年までが倭国が日本列島の代表 奈良は700年以降の代表
倭国では金印 ヒミカ 倭五王 タリシホコ 白村の戦い 岩井 サチヤマ などの事跡 >>484
>大和河内環大阪湾が邪馬台国で纏向は計画都市で唐古が大和の首都云々言ってるんだが
>卑弥呼は何処にいたんだ?
日本語が読めない人かな?
纒向が共立された統一祭祀王卑弥呼のために新たに建設された計画都市なんだから、
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼は纒向にいることになる
そして、辻地区の居館跡の近くの大型祭祀土坑(複数)が、祭祀の場所だろう 纏向は卑弥呼の時代に卑弥呼のために新たに建設された都市なんだな
それまで邪馬台国の男王や卑弥呼はどこにいたんだ? >>485
>旧唐書を読めば倭国と奈良日本はべつものと明確に解る
この>>485のような誤読チェリーピッカーが典型的な九州説
旧唐書の前の隋書で、裴世清が大和の倭国まで訪ねているのは無視かい?
隋書には「則魏志所謂邪馬臺者也」とはっきり書いてあるし
旧唐書はその前にまとめられた唐会要を引き写しているだけ
唐会要の「倭国伝」には
「則天時。自言其國近日所出。故號日本國。蓋惡其名不雅而改之。
大歷十二年。遣大使朝楫寧副使總達來朝貢。
開成四年正月。遣使薛原朝常嗣等來朝貢。」
とはっきり書かれていて、武則天の長安四年の粟田真人を執節使とした遣唐使の時に
倭国が改号して日本国と号するようになった訳だ
粟田真人を九州倭国(筑紫倭国)の人間とは言わないよな?
704年までの倭国は、大和朝廷そのものだよ
そして開成四年(839年)の遣唐使も倭国伝に書かれている
この時の大使の名前が唐会要で薛原朝常嗣、続日本後紀で藤原朝臣常嗣と
固有名詞まで一致しており平安朝の藤原氏であることが確認できる
唐会要では倭国伝が99巻、日本国伝が100巻だから紛れはないよ
畿内の王朝が倭国の王朝そのものなのは大陸の史書からも明らかなんだよ
700年まで続く九州倭国(筑紫倭国)などというのは、噴飯物のトンデモ以外の何ものでもない 【邪馬台国纒向】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…吉村武彦
否定…関川尚功(橿原考研) 若井敏明
【卑弥呼箸墓】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…白石太一郎 歴博西本豊弘 奈良県立橿原考古学研究所
否定…石野博信 寺澤薫
(以上 >>150)
よくワカンナーイんだから
このくらいのバランスで理解しとけばいいんじゃね
ただ率直に言って肯定説はマスゴミ押しだからちょっと引く ヒミコ(ヒメ、後にヒメ踏鞴五十鈴)の墓は高天原最有力の地にある日本最古の神社境内にある。
径百余歩、周りに奴婢が埋められている。
埋められた奴婢とは土蜘蛛。
https://goo.gl/maps/2PZFbjAVo762
ヒミコ(ヒメ、後にヒメ踏鞴五十鈴)の時代、この地で土蜘蛛を退治した男が日向から来た神武。 >>480
思い込みでではなくて最有力の行燈山が布留1式=4世紀初頭から前半。
崇神=3世紀などとはお前の思い込み。 >>487
>纏向は卑弥呼の時代に卑弥呼のために新たに建設された都市なんだな
瀬戸内海洋集団物部の遺跡。
>それまで邪馬台国の男王や卑弥呼はどこにいたんだ?
葛城だよ。
纏向にヒミコなんているわけない。
3世紀後半あたりまで葛城。
事代主神や鴨王(オオキミ)こと天日方奇日方がいた葛城。
神武という男は王ではない(※ここ重要)
やがて実権が纏向に移る。
それが箸墓になる。
そして生まれたのが崇神。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています