めんどくさいなぁ

>@箸墓より古いホケノ古墳をなぜ卑弥呼の墓とは言わないのか?

王墓とみなすには小さすぎる
ホケノ山古墳よりも、纏向石塚古墳、東田大塚古墳などの纏向古墳群の方が候補となる

Aホケノも箸墓もなぜ墳丘墓でないのか?

箸中山古墳から段築、葺き石、円筒埴輪を備えた、定式化された前方後円墳となる
ホケノ山も段築、葺き石が確認されたことから、古墳とみなすのが通説
それ以前の葺き石を欠く纏向古墳群の纏向型前方後円墳は弥生墳丘墓とする見方もあったが、
既に纏向型前方後円墳の時代から、広い範囲で纏向型の大墳丘墓が作られていることから、
その時代に古墳時代が始まっていたとする考え方が通説になりつつある

B邪馬台国の本来の国王の墓はどこ?(卑弥呼は共立の女王)

邪馬台国の本来の国王という概念は定義がないので答えようがない
彦姫制を仮定し、大和の彦王(政務王)の墓であれば、
西殿塚→外山茶臼山→メスリ山→行燈山→渋谷向山のいずれかとなる

C倭人伝に記されている南の狗奴国、東の倭人の島、南の侏儒国はどこ?

南の狗奴国は、方角がおそらく間違っている
東海から関東のいずれかの領域だろう
狗奴国の音韻からすると、毛野国が候補として有力

東渡海千里は、隠岐島や佐渡、伊豆諸島などの船で一日で渡航できる範囲の島

侏儒国、裸国、黒歯国は、山海経や淮南子に見られる伝説の国であり、
具体的な比定地を考えるのは意味がない