【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★6
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邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1536582943/ 邪馬壱の誤記の可能性含めて帝大学者の質の悪さは酷すぎる
相沢含めてアマチュアに先行され権威でそれを黙殺するゴミ屑だらけ
何でこうなったのか… >>317
九州説が考古学者に否定されてるからそうやって誹謗中傷してるだけ 徐福も伝説視して黙殺せず民俗の範疇も真摯に捉えていかないからね
合戦図屏風も「嘘八百」の烙印と黙殺してきてここ2、30年で手の平返して研究しだす始末
たかだか130年程度の歴史しかない「帝大権威主観主義」から脱却すべきだよ歴史学系は 太宰府あたり掘りまくって神武の居城の「竺紫城址」が発掘される可能性もある
福岡はいろいろと深刻なレベルでキーを握ってるよな
沖ノ島も表層だけでなく掘り返すと何が出てくるやら たとえば延岡の南方は古墳時代の古墳ばかり注目されてるけどそれは日本書紀を意識してるからなんだろな。
それらの下に弥生時代の遺跡が埋もれてるらしいが記紀を重んじて放置されてるっぽい。
畿内だと飛鳥の石舞台の下にも色々埋まってんのにこれも同様だろ。
考古学者がバカにされるのは当たり前。 考古学者に否定されてる九州説はわかったから
どの考古学者が九州説の何を否定しているのか書いてくれないかね 創価の特徴っつったら、やっぱ朝鮮部落沖縄繋がりによる暴力団や空手や少林寺との連携
部落差別朝鮮差別は憲法違反とか言うけど、当事者が政教一致
しかも似非部落多数
あと、顔面整形人造美人美男の癖に結婚差別とかほざく
物投げて惚けたりテロすんなよ 卑弥呼が桃の種を占いに使ったとか言い出す学者のいる畿内説信者への質問
?邪馬台国を畿内のどこに比定する?
@箸墓より古いホケノ古墳をなぜ卑弥呼の墓とは言わないのか?
Aホケノも箸墓もなぜ墳丘墓でないのか?
B邪馬台国の本来の国王の墓はどこ?(卑弥呼は共立の女王)
C倭人伝に記されている南の狗奴国、東の倭人の島、南の侏儒国はどこ?
D纏向出土の土器の多くが東海や伊勢のものである理由は?
E倭人伝で九州の情景しか紹介されていない理由は?
F最新の素材だった鉄の製品の出土が異常に少ない理由は?
G旧唐書で倭国と日本国が別種として登場する理由は?
H中国への朝貢が150年も途切れた理由は? >>326
「権威ある」学者がばかなんだよ
隋書の「天皇の姓は阿毎」は嘘と断定して魏志倭人伝の「邪馬壱国」は死んでも盲信する
邪馬壱国信じるなら天皇が秘匿してるであろう「阿毎姓」も信じような腐れ学者達よ >>330
奈良人の誇る最古の物が最古じゃないんだよねほんと
誇る物がなさすぎてサイコなんだろう 疑問を投げかけても無駄
畿内説を説明する能力が無い自称畿内説だから
思想信条で九州説を叩けばいいとしいている数名のバカ
そこには議論の入る余地はない
「そうは思わない」「考えられない」
こういう返しで終了するから無駄だよ
レスも見返してみれば説を述べてないのがわかる 邪馬台国は卑弥呼の一代限りのシャーマン国家で近畿は現代に続く官僚国家の始まりの成り立ちで全く別物だろ。 おまえら! 桃だろ!
それだったら、LCC格安便の関空ピーチのことだ!
こんなヘンなこと、言い出したのは、また朝鮮韓国人だ。
関空ピーチ格安便で ソウル観光に行ったのがそんなに楽しかったのか、
だったらもう日本に戻って来なくてよいよ いや戻って来るな すくなくとも 桃 なんて、我が国の歴史文化と関係の無いことだ
桃園だとか、桃いうのは古来、中国文化によく出て来る、
中国で珍重される植物だからな 関係、無い、ない >>334
そうだよ。 シャーマンなんて、原始信仰は我が国のその時代に該当してない。
シャーマニズムは、ようするにアフリカやアマゾン奥地とか、の土人の信仰だからな。
韓国は、現在においても、カルトの国だから、
朝鮮半島にあったのが、邪馬台国だったらよく理解出来るよ。
我が国においては、仏教やキリスト教のような文字文明に介在される信仰
以外は関係が無い、無い、ない。 >>332
>332ニュースソース検討中@自治議論スレ2018/09/23(日) 01:58:48.07ID:j6qqdU+H
>>>330
>奈良人の誇る最古の物が最古じゃないんだよねほんと
>誇る物がなさすぎてサイコなんだろう
コイツ、朝鮮人でないの
ウザイワ、しかし
卑弥呼の時代だったら、
畿内はもうすでに古墳時代だよ
畿内の奈良だとかなら、誇るべき古墳群があるじゃね
古墳こそ、明らかに証明できる文明の痕跡だからね 畿内で稲作やってたのは、大規模灌漑工事技術を持っていた
中国江南人だろ。 弥生人は、あきらかに原始的な縄文人と異なる。
ただし、土蜘蛛と忌み嫌われていた縄文人は、アイヌが絶滅していったように
日本列島ではもうすでに絶滅したからな
シャーマンだとか、それは東アジア極東の、ツングース系採集狩猟民に
特徴的なものだ。 卑弥呼のような、とくに女シャーマンだとか、な。 >>319
「台与」と書けば「イヨ」よ読むんだ。
ヒロミの嫁さん
「イヨはまだ16だから」のイヨ
台、怡、飴 この三つの漢字の音読みは全てイだ。
筑前(筑紫の先)の国の怡土(イト)の郡(こほり)の「怡イ」は「台」の
もう一つの音読みが「イ」だから「怡」も「イ」と読む。
《唐韻》與之切《集韻》《韻會》盈之切《正韻》延知切,音怡。
《爾雅·釋詁》台,我也。《又》予也。《書·禹貢》祇台コ先。《湯誓》非台小子,敢行稱亂。
ただしこれは当用漢字制定で「臺」を公文書、教科書に使っては逝けないとなってからの話。
余談だが播磨国明石の郡(こほり)に「和坂」と書いて「かにがさか」という地名があるんだ、本当はね。
だけど知らないから「わさか」って読むんだよ、可笑しいなサッチャン。
秦の昭王が、趙国の恵文王が持っていた宝石「和氏の壁」を十五の城塞都市とを交換しろと言って来た時
藺相如が璧を全うして帰ってきた「完璧」の故事。この「和氏」の読み方が「クヮシ、カシ」。
【和】は現代標準中国語でもhe(35陽平)、he(51去声)huo(35陽平)、huo(51去声)、hu(35陽平)と
五通りの発音が有る「多音多義字」だよ。heはヘーではなくてイぐらいのくちの開け方で
喉の奥の方を広げながらホーと発音する。 >>336
吾輩は今年の夏の暑さで「汗カブレ」になったけど
飛ぶ鳥の明日香時代、奈良時代は中国カブレの時代
単に「花(万葉仮名で波奈と書くが)」と云えば
桜ではなく梅がデフォルト=既定値。
奈良には「李」と書いて「からもも」と読む町名がある。 纏向は10代崇神天皇の時だよ
卑弥呼は6代孝安天皇の妻だからこの時代は御所市の室あたりにいたんだよ。 >畿内の奈良だとかなら、誇るべき古墳群があるじゃね
>古墳こそ、明らかに証明できる文明の痕跡だからね
出ました関西人の誇るべき畿内説 >>330
>>333
おまいらこのスレの最初から最後まで読んでないだろ
>C倭人伝に記されている南の狗奴国
紀伊半島南部「熊野」が狗奴国 >>341
オマエ、五毛か
そもそも畿内で大規模灌漑農法の水田稲作やってたのは、
中国江南人。
中国にカブレたりしない
いうまでもなく、その時代は唐王朝だ
唐王朝は、トルコ系・トルキスタン
ようするに、コレが コンスタンティノープルを首都とする
東ローマ帝国なんだ
ギリシャ・ローマ文明 カブレだったのが、
平城京の奈良時代だ >>343
>出ました関西人の誇るべき畿内説
関西人は「じゃね」なんていう言葉遣いをしない。
関東人に擬態する場合無きにしも非ずだがw 中国で盛んだった道教(鬼道)では、
祭祀に大量の桃を盛る。
もし卑弥呼は鬼道で人を惑わすとの
魏志倭人伝の記載から類推すると
卑弥呼は道教の祭祀を催し
大量の桃を祭祀に持っていただろうから
大量の種が出たということは
そこで卑弥呼が祭祀を行っていたという裏付けになる
だから畿内説に決定的証拠が出たということになる。
でも、中国では道教と鬼道とおなじでも 倭国では
鬼道が道教でなかったとした桃の種なんか邪馬台国
近畿説の証拠拠にもなんにもならない。 >>339
シミが出来やすい日本人は縄文人の遺伝子を継承している。
遺伝子解析でシミに関するDNAは某大手化粧品会社が
解析済みだ。 >>345
唐王朝時代に豊葦原の瑞穂の国で水田耕作を初めただと
笑わせるな
ギリシャ・ローマ文明 カブレwwwww
アラブ圏ではアレキサンドル大王をイスカンダルと読んでいる。
アレキサンドルのアレがアラビア語の定冠詞ALアルだと誤解したアラブ人が
イかエかはっきりしない駅サンダルをイクサンダル、更にクとサの語順を間違えて
イスカンダルになった。
イとエが方言によって交替するのは日本語でもある。
英語の挽肉を表わすmincedが関東ではメンチ
関西ではミンチという風にVariation、Variantが生じている。 >>350
オマエ、日本人でない ヘンだな 公安に通報した >>325
「竺紫」という表記が有るのか。
中国人の言語学者でも漢字の発音は
唐代後半には清音濁音の区別を失ったので
それ以前の清濁の区別は日本に伝わった漢字の音読みを重視しているのが現状だ。 実際、 奈良法隆寺の五重塔のような 高い建物は、
中国には無かったからね
その当時の中国にあったのは、高くて二階建てまでだ
李白の漢詩に出て来る紅鶴楼というのは、見渡せるような高台
にあった、二階建ての屋上が物見台のようになっていた。
もうすでに、日本文明のほうが中国文明よりも先進だった
まあシルクロードを通って、ローマ文明が伝播していたわけだ >>353
そだね、シルクロードの東の終点は日本の大和の国=平城宮だからね >>314
>むしろ、無理して出せば間違う危険を伴う。
無理しないと出せない時点で、説として成立していない
九州説なんて実際にはないってことだな
どんな史料にも、史料の限界が存在する
つまり、全てが正しいとみなす時点で、誤謬が入り込んでいる
その上で、様々に論点で最も矛盾,齟齬が少ない説が妥当だと判断される
九州説の畿内説批判には、全て畿内説の立場からの解答がしてある
九州説が畿内説からの批判に耐えられない以上、畿内説の方が妥当だと判断されることになる >>340
>台、怡、飴 この三つの漢字の音読みは全てイだ。
これを繰り返し書いてる人がいるけれど、台は臺の代用字
そして、臺にイの読みはないんだから、台の読みをいくら言っても無意味だろうに >>352
>「竺紫」という表記が有るのか。
「竺紫」は古事記にある表記
イザナギの禊
到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐此三字以音原而、禊祓也
天孫降臨
天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣
磐井の乱
此御世、竺紫君石井、不從天皇之命而、多无禮
一方で、神代記の国産み、神武東征、仲哀,応神記では「筑紫」表記になってる
まあ、単に筑の略字かもしれないけれど >>333
>そこには議論の入る余地はない
>「そうは思わない」「考えられない」
>こういう返しで終了するから無駄だよ
それに対して、「具体的な根拠」をもって反論すればいいのに、
それができないのが九州説なんだよ
既に九州説はオワコン めんどくさいなぁ
>@箸墓より古いホケノ古墳をなぜ卑弥呼の墓とは言わないのか?
王墓とみなすには小さすぎる
ホケノ山古墳よりも、纏向石塚古墳、東田大塚古墳などの纏向古墳群の方が候補となる
Aホケノも箸墓もなぜ墳丘墓でないのか?
箸中山古墳から段築、葺き石、円筒埴輪を備えた、定式化された前方後円墳となる
ホケノ山も段築、葺き石が確認されたことから、古墳とみなすのが通説
それ以前の葺き石を欠く纏向古墳群の纏向型前方後円墳は弥生墳丘墓とする見方もあったが、
既に纏向型前方後円墳の時代から、広い範囲で纏向型の大墳丘墓が作られていることから、
その時代に古墳時代が始まっていたとする考え方が通説になりつつある
B邪馬台国の本来の国王の墓はどこ?(卑弥呼は共立の女王)
邪馬台国の本来の国王という概念は定義がないので答えようがない
彦姫制を仮定し、大和の彦王(政務王)の墓であれば、
西殿塚→外山茶臼山→メスリ山→行燈山→渋谷向山のいずれかとなる
C倭人伝に記されている南の狗奴国、東の倭人の島、南の侏儒国はどこ?
南の狗奴国は、方角がおそらく間違っている
東海から関東のいずれかの領域だろう
狗奴国の音韻からすると、毛野国が候補として有力
東渡海千里は、隠岐島や佐渡、伊豆諸島などの船で一日で渡航できる範囲の島
侏儒国、裸国、黒歯国は、山海経や淮南子に見られる伝説の国であり、
具体的な比定地を考えるのは意味がない >>359
九州における史書と関連する出土品。
防柵、墳丘墓、弥生人の人骨、祭祀用土器、鉄器、稲作用の痕跡、絹を紡ぐ為の紡錘車、鋳型、宮殿、青珠、、、、、etc
たまたま掘り当てた吉野ヶ里だけでも相当数出てる。
しかも縄文〜弥生〜古墳時代までの連続性有り。
長崎や有明海で行われる鐘楼船の記述があるから使者は吉野ヶ里を見た可能性もある。
奈良は? D纏向出土の土器の多くが東海や伊勢のものである理由は?
単純には、伊勢・東海が近いからだろう
搬入土器と呼ばれるものは基本的に飯炊き甕であり、野営時の炊事道具
当時の旅行は、道中の集落で食料その他を補給してもらいながら進むものだから
伊勢・東海に泊まれば、場合によりそこで飯炊き甕ももらって纏向に向かうことになる
E倭人伝で九州の情景しか紹介されていない理由は?
九州の情景「しか」というのは間違い
其山有丹など九州にはない文物も記されている
また有獮猴、黒雉は、九州にもおらず、倭国が南方であるという観念から
挿入されたものと考えるしかない
F最新の素材だった鉄の製品の出土が異常に少ない理由は?
弥生時代に鉄がないと思う方がおかしい
ヤマト国の範囲の淡路島の五斗長垣内遺跡は弥生時代最大の製鉄遺跡
G旧唐書で倭国と日本国が別種として登場する理由は?
別種は、同族という意味
旧唐書のネタ元である唐会要には、大和朝廷の遣唐使が日本への改号を申出たという記事が
倭人条にある
H中国への朝貢が150年も途切れた理由は?
それはむしろ、大陸側の混乱が大きいのでは?
南北朝時代は、大陸に統一王朝がない 献上品に含まれている高密度絹織物「縑」は弥生絹ではない。
高密度絹織物は弥生時代の九州には存在せず、奈良県下池山古墳(布留1式古段階:3世紀末)が
初出であり、景初の遣使が献上した班布がこれであると推定(布目1999)されている。
九州の弥生絹は織り密度の低い粗製品で、弥生中期の発見例が多いが、弥生後期には衰退している。
弥生末期はわずかな発見例のみで、品質的にも低く、織り密度も低下している。
一方で、古墳時代の絹生産は伝統的な撚り糸を用いながらも弥生九州と比較にならない高密度の
織布を行っている点で、技術的系譜が連続していない。
九州と畿内の絹生産は中国製青銅鏡の様相と酷似した推移を示していると言えよう。
「縑」に特徴的な、経糸と緯糸に併糸を加える技術で織られた大麻製織布が弥生中期の唐古鍵で発見されており、弥生時代における布の織り密度としては記録的に高い値を示している。(21・23次概報)
正始四年に倭の献上した絳青縑は赤色部分をベニバナで染色された「縑」であり、当時の纒向遺跡でベニバナの栽培乃至染色が行われていた状況(金原2013,2015)と一致する。茜染を意味する「蒨絳」の
語彙が別途使用されているため、単独の「絳」deep redはベニバナ染と解されるからである。
以上から、3世紀前半以前の畿内で絹織物製造の画期的技術変革があったと思われる。
九州説にとって不利な条件と言える。 >>360
@>王墓とみなすには小さすぎる
何基準?
A>葺き石、円筒埴輪を備え
なぜ突如として形式が変わった?
>古墳時代が始まっていた
古墳時代=大和朝廷時代だとすれば紀元前からの連続性が見られないよね?
並べられる?
C>東渡海千里は、隠岐島や佐渡、伊豆諸島などの
それって奈良の東か?
侏儒国は種子島でほぼ内定してるよね。
小人の人骨も出てるし。
ついでに文字化けしてるけど0番目の邪馬台国はどこに比定する?は纏向でいいのか? 日本列島の成立の頃から 南方海上よりの黒潮海流は常に日本列島を巻き込み北上し流れてきた
日本列島に初めて漂着したのは北方から徒歩で来た人々では無く 南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した人々だった 黒潮は休む事無く常に日本へ流れており
漂着する人も三々五々の如く常に日本へ流入し続けた 琉球 九州 四国 本州の順で
北方は21世紀の今も人の生存状況は厳しく 此処を超えて多数が来たとは思えない
南方より漂着した人々は石器時代には黒曜石を産出する地域に集まり米作で生活し1万5千年前頃には人類初の土器を製造し始めた
石器時代は徐々に銅器時代へと移行し始める この時の日本には大阪には銅鐸文明が栄える 銅から鉄へ移行する時 九州北部に鉄を持った天孫降臨族は発生し
博多を拠点とし九州を支配下に治め倭国(チクシ)と称する
勿論大陸との外交は重要で周や漢や魏と交流する その間の出来事は 金印(カンノイトコクオウ)同じくヤマイチ国のシンギワオウ(ヒミカ)場所は福岡県春日市スクオカモト(絹の出土)
倭の五王(都督府を大宰府へ) 岩井天皇の律令制度 サチヤマ白村の戦いでの敗戦などがあり700年まで続いた
100年頃今の糸島市で不遇を囲っていた神武兄弟は新天地を求め大阪侵略を思い立つ
勿論神武兄弟以前にも多くの侵略者が行ったがまだ成功は見なかった
大阪の銅鐸文化圏へ天孫降臨族の不断の圧力が今の岡山県あたりで前哨線となっていた
当然銅鐸圏の東鯷国ナガスネヒコの防御は明石や淡路島で堅かった 為に神武兄弟は鳴門をとおり大阪湾へ突入したが散々に負け神武の兄は死ぬ その後熊野をとおり
奈良へ侵入し殺戮の限りを尽くすがその後スジンまでは奈良に逼塞する
北陸へ半島より渡来した継体は応神五代の末という触れ込みで奈良政権を奪う 本来であれば神武の正統は大勢存在したが内紛に感けて継体の侵略を許した
奈良政権を奪った簒奪者継体は次に倭国簒奪を狙う モノノベノアラカイへ九州を与え本州は自分がとるとの密約は周知の事実
此の倭国侵略で継体の嘘が露になる 分流の奈良は称号に倭(チクシ)と名乗り倭国の末裔たる事を誇りにしていた しかし継体は半島渡来であり倭国とは何等の関係も無かった
半島の高句麗との戦いの援軍を装い岩井天皇を暗殺したが 九州の肥後の軍勢に追われ倭国奪取は出来なかった
倭国由来の血統の絶えた継体以降は敵地同然の奈良の居心地は悪く 半島由来の多く住む滋賀京都を目指した
700年以後同じく半島由来の藤原一族と共に日本列島の支配者となる
この時テンムが倭国の文書(日本旧記を始めとする)を集め日本書紀に内容を剽窃した >>363
九州の否定ではなく、畿内の実績で答えなきゃまた叩かれるぞ。
畿内で絹を生産した痕跡は?
交易で買ってきたものじゃないの? 畿内説では南と東を間違えたと考えることで始まっているが、狗奴韓国〜対馬〜壱岐の間はなぜ南のまま?
急に間違えた理由は? >>366
>九州の否定ではなく、畿内の実績で答えなきゃまた叩かれるぞ。
そもそもが、九州説が九州説の論拠なしに、畿内説の否定ばかり書いているから、
その九州説のいう畿内説批判の矛盾点をいちいち説明してるだけなんだよ
つまり、畿内説の妥当性を述べているだけなのに、そこに難癖をつけている人がいるってだけ >>368
いや>>361で具体事例を挙げたんだから奈良も挙げろよと。
形あるものが実績だ。 >>368
妄想や理屈を並べるのが考古学か?
語尾にニダと付けておけ。 掘りもしない箸墓を卑弥呼の墓と比定してる時点で
畿内説も大概だなぁと思います 今起きた
>>358
>まあ、単に筑の略字かもしれないけれど
「天竺」は印度の別表記だわ
天竺木綿何ていうのは日本語に定着している。
司馬遷の史記では、インドを「身毒シンドゥ」と書いてる。
日本語のハ行子音がhになったのは江戸時代になってから。
だから元のヒンドゥという言葉が日本人にはインドと聞こえた。
火をシと発音するのは江戸っ子の特徴で
北京あたりの中国人も福建人がゴーヒャンと発音する香辛料「五香」を
ウーシャンと発音するのと共通する特徴。
江戸時代の初めにポルトガル宣教師が作った日本語辞書の
「日葡辞書」でハヒフヘホの綴りはfa fi fu fe foになってる。
講談社の学術文庫の一冊として入ってるが田舎の本屋には並んでない。
ロドリゲス著「日本語文典=日本語文法」のローマ字綴りも同じ。
日本語文典は岩波文庫で出版されている。 陳寿も驚いてるやろうなぁ
行き方も書いて、そのものズバリの地名まで書いてるのに
なんでわからへんねん!って 畿内説は「説」=「主張」でしかない。
史書に沿って具体例を挙げることの出来る九州説は九州「論」の領域だ。
実証を含む証明に至るまでのプロセスを定型化して初めて「学」となる。
日本には考古学なんて存在しないんだよ。
自称考古学者という生活保護不正受給者がわんさか居るが、こんなの放置してていいのか? >>357
だから宋版の魏志倭人伝は誤字がイッパイあると云うんだ
わかったかな
邪馬壹国表記も間違い。 複数の文献を比較して間違いやデフォルメを見つける作業が、
魏志倭人伝一本しかないんでたいへんだ ってか無理だ 自己の妄想にそぐわない古文書を改竄する馬鹿が殆どの日本 邪馬台国は、台湾。
台が同じ漢字だろ
台湾は、当時は 呉 の領土の沖。
魏 は、台湾までは、領土でなかったので、
遠回りして台湾へ行く必要があった。
台湾は、高砂族だとか、原始人の部族が明治の日本領になった後にもいた。
これが、卑弥呼のシャーマニズムだ。 >>373
ローマ帝国は漢字表記すると中国では、大秦だった。
秦の始皇帝の、秦。
中国を統一した秦 は、ローマ帝国の子会社の
ようなものだったわけだ。 キリスト教は、ローマ帝国で布教を始めると、またたく間に
ローマ全土へ広まっていった。
キリスト教は、中国では景教だった。
中国ではキリスト教の経典も、仏教の経典と同じく漢字文。
日本では、仏教と思われていても、それはキリスト教の経典だった。
日本の古墳時代に、卑弥呼のシャーマニズムなんてあり得ない。
原始信仰は、原始人のものだから。 興味深く拝見しました。
帯方郡から邪馬台国まで12000里(約900km)。
帯方郡(ソウル付近)から奈良纏向まで、直線距離で約900km。
これ、偶然じゃない気がする。
GPSも碌な地図もない時代に、どうやって測ったのか。
「周髀算經」などのやり方でできるのか。おもしろい。
>これ、偶然じゃない気がする。
纏向=卑弥呼の結論ありきは分かったから
その偶然で投馬国の説明してみ >>339
天理教の教祖は農民出身だが女シャーマンで
神の言葉を取り継いだ >>386
俺もそう思った。
魏志の倭人伝が最初の記録ではなく、冒頭はそれより以前の記録の引用。
邪馬台国を知らなかった頃のね。
朝貢から邪馬台国の話を聞いて改めて直接邪馬台国を訪問してきたのではないかと。
となると対馬から南に水行10日陸行1月の場所が邪馬台国となる。 ID:GYdk9frK
説明求めてるだけなのに支離滅裂って
その偶然が凄い大発見かもしれないじゃないかw
詳しく那国と投馬も説明してみろ ただ、>>389だと対馬から九州に渡ることを水行と記述していることになるんだよな。。。 >>378 魏志倭人伝は邪馬臺国九州教という宗教の経典ではないから
魏志倭人伝を引用したと見られる他の文献と比較して内容を考察する。
人文系ではUrtextkritik原典批判が重要だ。 卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を侮辱したい朝鮮人韓国人だ 現れては
纏向=邪馬台国の結論を主張
↓
説明求めたら九州説を非難
↓
消える
このパターン飽きたから
偶然の発見で帯方郡から纏向までの距離がわかったんでしょ
結論だけで終わるのではなく
那とか投馬とか桃種とか毛野とか方角とか距離とかあるでしょう
説なら整合性持って説明してよ >>383
偶然なんかじゃないよ
陳寿はちゃんと根拠があって書いてるんだよ >これ、偶然じゃない気がする
>>383に
>偶然なんかじゃないよ
とレスする>>396
>>396の日本語理解力を歌川秀麿笊負えないwww
卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を侮辱したい朝鮮人韓国人だ
>>357
>台は臺の代用字
この事が性根に入ったことは喜ばしい >>397
外国人の方ですか
日本語難しいですよねー >>401
なかなか教養の低いユーモアのわからない方ですね
アンタ
アンタはアラビア語の二人称代名詞です。
意外なところで日本とアラブ諸国がつながってるんですよ
日本語が難しいのはこのスレ読んでいても感じますよ
みんな下手糞な日本語で書き込んでますからw >>402
じゃあ、その教養の高いユーモアというのを解説してよw
てか、アンタも勢いで書いて自分が間違えたの気づいてるんだろ >>403
どこが
と昼間から酔ってるオッサンに突っ込んで観る
卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を侮辱したい朝鮮人韓国人だ
@少なくとも5世紀には日本の中心は畿内にあった
A弥生時代の前期〜中期は九州が先進地域だった
@とAに異論がある人は両説ともにほとんどいない
結局、記紀に書かれているように、
権力が九州から畿内に移行したと推定する人は多い(異論も多い)
畿内説と九州説の対立って、
結局この移行時期が卑弥呼の時代より前か(畿内説)、後か(九州説)ってところに集約できるんじゃない?
個人的には畿内の銅鐸文明の滅亡期から、
畿内説を押してるけど
卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を侮辱したい朝鮮人韓国人だ
>>406
日本列島を代表する政権は紀元前から700年までは倭国 太宰府が最後の首都
700年以降が奈良 朝鮮人継体の子孫 邪馬台国が大和朝廷へとつながっていく
と仮定すれば小学生でも日本の歴史が
理解できるってことなのかな
ものごとは分かりやすことが肝要 >>409朝鮮韓国人テロリスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
先導罪・内乱罪、 公安に通報した
卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無い
シャーマニズムというのは、未開原始部族
の信仰だからだ。
「邪馬台国が、」 など日本で言い出すヤカラは
日本を貶めて侮辱したい朝鮮人韓国人だ
男狭穂塚はのちに改築されたないか?
どうも西都原が臭い 春日大社は以外に歴史が浅い
710年って卑弥呼から何百年経ってんだよ
弥生時代から奈良の卑弥呼が日本を統治してたんならもっと早く作れよ 古代ローマ帝国が衰退に向かっていく時代
日本は原始人の国だった
邪馬台国の卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族の
危険なカルト信仰だからだ。
キリスト教ではカルトの偶像崇拝・個人崇拝は
禁止されている。オウムと同じことで、個人崇拝
の教祖が少し変更しただけでたいへんな事態と
なるからだ。
「邪馬台国が、 」 など日本で言い出すヤカラは、
日本を貶めて侮辱したい朝鮮人韓国人である。
>>408
そんなオカルティックな説はどうでもいいわ
天智以前と以降で王朝が違うという考えもあるが、
それでも8世紀まで九州が中心だったなんてありえないから
邪馬台国の卑弥呼なんて、シャーマンと我が国は
全く何の関係も無いぞ
シャーマニズムというのは、未開原始部族の
危険なカルト信仰だからだ。
キリスト教ではカルトの偶像崇拝・個人崇拝は
禁止されている。オウムと同じことで、個人崇拝
の教祖が少し変更しただけでたいへんな事態と
なるからだ。
「邪馬台国が、 」 など日本で言い出すヤカラは、
日本を貶めて侮辱したい朝鮮人韓国人である。
【邪馬台国纒向】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…吉村武彦
否定…関川尚功(橿原考研) 若井敏明
【卑弥呼箸墓】
肯定…サンケイ新聞 岡本健一(元毎日新聞) 桜井市纒向学研究センター
懐疑…白石太一郎 歴博西本豊弘 奈良県立橿原考古学研究所
否定…石野博信 寺澤薫
(= >>150) >>414
とんでもない 世界最古の工業製品土器をつくったのは日本列島人 15000年前
縄文文明と言います ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています