【話題】学術言語としての日本語 日本語での学術書が占める地位が変わってきている[08/23]
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<学術書が売れない状況は悪化傾向にあるが、その要因は出版事情の厳しさだけではない。もう一つの大きな問題は、日本語での学術書が占める地位が変わってきていることだが、そうであれば日本語の学術書はもう必要ではないのだろうか>
出版事情厳しき折にお引き受けいただきありがたい、というのは、学術書における担当編集者や出版社への謝辞の定番的な表現である。この表現はかなり古くからあり、厳しくない時代が直近だといつにあったのか、そもそもそんな時代はなかったのではないかという疑問は禁じ得ない。しかし、学術書を出しても売れず、出版助成を得ない限りは製作費用も回収できない状況が、改善されるどころか悪化傾向にあることは確かなのであろう。
背景にはさまざまな要因が存在するようだが、大きく分けると二つの問題に帰着するように思われる。
第一には、本を読む人や支払う金額が減っていることである。少子高齢化を伴った人口減少と、電子媒体の急激な発展や普及の挟み撃ちに遭って、印刷された本が流通する日本語の出版市場は縮小している。出版科学研究所のデータによれば、ピーク時の一九九六年に一兆一〇〇〇億円ほどあった書籍の推定販売額は、二〇一七年には七一五二億円になったという(同研究所の二〇一八年一月二五日発表。時事通信電子版記事による)。電子書籍の市場拡大は紙書籍の市場縮小に及ばず、雑誌の凋落が出版社をさらに苦しめている。
学術書の場合、このような金額に表れる一般書とは定価設定や売れ方が全く異なっており、書籍の市場縮小から直接的に打撃を受けているとはいえないかもしれない。しかし、岩波書店、講談社、中央公論新社など、一般書を扱う出版社から学術書が刊行されることも少なくない日本の出版事情を考えると、間接的な影響はやはり無視できない。
第二の、そして本稿でとくに考えてみたい要因としては、日本語での学術書が占める地位が変わってきていることである。もともと、書籍という形態で研究業績を公表する傾向は、人文社会系において強く、自然科学系において乏しかった。本になるような大きな研究成果が、いきなり書き下ろされることは珍しい。論文としていくつかの部分や原型が公表され、それに対する評価などを踏まえて書籍へとまとめていくのが通例である。原型となる論文を、自然科学系では英語で書くのに対して、人文社会系では日本語で書くことが多かったために、そのまま日本語の学術書にするという流れがあったのだと考えられる。
ところが現在、人文社会系におけるこのような流れは急激に変化している。大きな理由は、日本の学術の国際化という掛け声の下、研究業績を英語で公表すべきであるという主張が強まっていることである。関連して、英語で先鋭的な研究成果をどれだけ公表できるかが研究者の評価を決めるのであって、総説的な要素をそれに付け加えた日本語書籍を出版する意義は乏しいという意見も力を得ている。もちろん、日本語の学術書が無駄だという強い議論は稀だが、時間や労力に限界を抱える個々の研究者が、それを割いて取り組むべきこととしての優先順位は残念ながら低く抑えざるを得ない、という雰囲気は確実に強まっているように思われる(この問題を扱った注目すべき見解として、曽我謙悟「『現代日本の官僚制』のあとがきのあとがき」『UP』第五三五号、二〇一七年)。
続きはソースで
https://www.newsweekjapan.jp/stories/assets_c/2018/08/asteion88_machidori_180823-thumb-720xauto.jpg
ニューズウィーク日本版
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2018/08/post-10830.php 電子本化とその時代
自動翻訳とその時代
AIくんが内外のどの本や文献に何がどう書かれているか瞬時に答えてくれる
AIくんがおまえらレベルの研究なら何語の1本1冊にでも2秒で書き上げてくれる
AIくんがおまえらレベルの研究なら研究そのものを2秒で行い完了する 日本語でしか論文書けないクズ学者は生きてる価値無し 泉鏡花への江戸戯作文学の影響を考察した論文も横文字で書かなきゃ駄目かね? 紙媒体の費用の問題ですな。
つまり紙媒体の「本」に対する「思い入れ」という軛に関する対応をどうすべきであるかという問題。
まあ小生はいつも図書館から借りているので偉そうなことは言えない。 日本の場合は書く能力がそもそもないんだろ
自分の印税のために講義を受講した学生に買わせる幼稚な本を用意するのがせいぜいなんだろ 概念を輸入してせっかく日本語化しても
いっしょにワイワイ騒げる仲間が減ってきた
もう英語でいいんじゃね?概念をドンドン輸入し膨らみ続け学術標準言語になってるし
と 自然科学系の場合はインパクトファクターのある雑誌に投稿しないと評価されない。
日本国の雑誌はインパクトファクター0だから。
0はいくら積み重ねても0
即ち、日本国の論文をいくら書いても全く実績にならない。
究極のグローバル 人文社会系の「学者」の多くが、うさん臭い政治活動家だということがバレてきたから、
そういう人たちの論文自体読む価値があるのか疑わしい。
ていうか、人文社会系の「学者」は論文なんか書いてるの? >>9
大学の研究者の評価もインパクトファクターだし。 自然科学系は30年も前から英語で論文書かないと評価されなかった。 そりゃ親方日の丸でジャブジャブ公金ロンダリングやってるようなエセ研究者が
世界で認められるわけ無かろwww
当たり前だボケ
中世ジャップはそのまま衰退してくたばっとけ。 それより問題になってるのは論文が電子化されて、一流の雑誌そのものが売れない事では? 英文学の奴らが日本語で論文を書くのは驚く。
教育学関係も日本語ばかり。
どちらも世界には通用しないから。 国文学はいいだろ
メリケンは知りたきゃ日本語学んでこいっていう分野だろうし >>2
日本語で書いていけない理由はないよ。
そもそも英語で書こうが載らないなら意味はない。 >>16
馬鹿は現実を知らない自分が理解できないから、自分の知ってる世界が全てだと思う。
で、大恥をかくのだが、学者研究者の世界では悪口は本人には言わないから伝わらない。 まさに「英語化は愚民化」だな。この本の予言が当たったね。日本語は知的言語ではなくなり、現地語化すると。 日本語は動詞が最後だし無駄に印象表現が多いから物事を記述するには向いてない
結論や要点は最低限の不完全な情報だから補足が必要になるのが当たり前なんだけど
思考が動詞が最後の日本語ベースだと結論を補足する習慣が無く早とちり、誤解を生みやすいので会話も不向き
様式美はあるけど機能美は皆無なのが日本語だと思う
言語は英語に統一でいいよ 日本語だろうが英語だろうが中身が全てだと思うけど。
まあ凡庸な内容なら英語で書いたほうが幅広く読んで貰えるってだけでさ。 >>8
偉大な先人たちに続くことは出来なかったってことだよね。
国が縮小してるから仕方がないけどなんか寂しいもんだ。 今の日本はなにもかも凋落傾向にあるような感じでつまらんな
かつては教育立国とかいってたのに科学の面でも坂道を転げるように凋落しているのかな >>21
保守の奴らがやたら英語批判するが学術の現実を知らなすぎ >>27
ラテン語を蹴ってフランス語で書いた人物もいたろ >>2
> 論文なんて英語で書くもんだろ
自然科学(とその応用)系つまり理工医薬農系以外の人文科学系や社会科学系の研究者の書く論文のほとんどは日本語で書かれている
だからそれらの分野だと、日本の中では碩学なんて言われて威張っていても海外では全くの無名研究者で向うの大学院生にも及ばないことは普通にある
また自然科学系でも工学系とかだと国内学会の論文誌に日本語でオリジナル論文を発表しているケースはさほど珍しくない 日本史学とか国文学は英語で論文書いても仕方ないからほとんどが日本語
あとは法学系でも法哲学とか比較法みたいな分野でなければ多くが日本語 論文と学術書と専門外研究者や院生向けの「教科書」、
このあたり違いをわかってないレスがいっぱい書き込まれるんだろうな。既にあるし 日本なんて大学所属研究者の待遇をどんどん悪化させている国なのに、
彼らに何を期待しているんだか。 英語の勉強してる暇あったら研究に費やすか家族サービスでもしてた方がいいわ 文学、史学はともかく、政治学とか経営学、法学は英語のほうが絶対いいと思う
この辺は日本が弱すぎる すべての元凶は文科省
天下り、貧困調査、裏口入学…
こんなの氷山の一角 今こそカタカナ語を廃して日本語を作るべきだ。せめて日本語くらいは守り通そう。 生物学医学分野だと論文はもとよりほぼ100%英語で書かれるもので
和文の本はたとい学術書といえども
研究初心者や専門外の人が概観するための教科書という位置づけだけど
正直、出版社の怠慢もあると思う
電子書籍でも出すようにして、一冊丸ごとではなく章ごとの購入とか
期間限定の購読権の購入とかできるようにすれば、
大学図書館からハードコピー取るより便利と思う人はいっぱいいるはずなのに
自分の儲けにできるお金がコピー機に吸い取られている
ちなみに日経サイエンスなんかは個々の記事を購入できるし
論文も論文ごとの購入、あるいは数日間の購読権の購入が普通にできる 理系なら日本語論文を書くこともあるが
たいていの場合、業績にはカウントしない。 俺も感じていた。
日本の学術書は現代の物よりも昔の物の方が圧倒的に読みやすい。
それは出版に当てって文章とか構成を懇切丁寧に説明しているからだ。
現代の文はそれがない。衰退していなと10年ほど前から感じていた。 これ地味なようでいて大事なことだと思う。
科学技術発展のためには翻訳業が大切だ。 >>37
日本語だと専門家が読む専門書が無い気がする。
入門的専門書はある。その次のレベルがなくて,
最新に近いとなると,学術誌の特集号とかになる。 >>22
お前は日本語の使い方をわかっていないだけ
だいたい英語は不規則変化が多すぎる欠陥言語
世界中で自然科学系の教科書を自国語で出せる国がどれだけあるか知ってるか?
多くの国じゃ「仕方なく」英語の教科書を使ってるんだよ >>24
「デフレ不景気を止めて資本主義のまともな回転を復活させろ」で済むんだがな
やればいいことは分かっているのにやろうとしない
逆にやっちゃいけない消費税増税はやる
挙句は「国際化が足りないからだ!英語必修化!」ときたもんだw
>>42
ラテン語やドイツ語も動詞が最後に来るよな
SVOの方が少数派なんだから 中国は表音で英語をやってもダメだ、表意にしないと漢字の意味がないというのに気づいて
ちゃんと単語を表意化するようになった
明治時代の日本だね
現代日本は・・・とりあえずカタカナ語使ったやつは定規でしばくのがいいと思いますね
まずは役人どもからなw >一般書を扱う出版社から学術書が刊行されることも少なくない日本の出版事情を考えると、間接的な影響はやはり無視できない。
って日本の出版社が前提なんだから、学術書も英語じゃ売れるわけないから理系文系問わず日本語に決まってるわけで
単にウェブに押されて学術書の出版が減ってるってんならともかく記事が出鱈目すぎるな >>47
まあその分翻訳が各自でできるようになりつつあるから
(AI的に)そういうの利用していく感じかね
ただ翻訳業って本当のプロがいてくれたほうが本来はいいんだけどね 学術書どころか技術書もそうだね
コンピュータ関連など翻訳されている間に仕様が変わってしまうし 英語は、欠陥言語だから、高度な日本語は翻訳不可能だよ。
日米混血で、アメリカで高等教育を受けた、京都大学の望月新一教授
でさえ、英語に訳せないと書いている。
そもそも、日本文化を表現する英単語は、全てといって良いぐらい偏見と侮蔑的
意味を含んでいる。 なんでもかんでも エビデンスエビデンス
言うから文系は困ったよね このスレにいるようなバカどもが日本語の価値を下げてるのだろう。 ヨーロッパの都市が住みやすいとか、英語で論文を書かないと意味がないとか
アホかと。
そんなに良いならとっくの昔に日本人が大挙して、欧米に移住したり
英語が公用語になってるよ。
ローマ字で表記した人名は、日本語に戻せないんだぜ。
そんな欠陥言語は日本人には、要らないんだよ。 読みたい東京大学出版だとか名古屋大学出版、ミネルヴァ書房とかで買ってよみたい本はあるんですけど、
なにせ高いんですよ。お金がない。県立図書館で借りて読むしかない。 そもそも理系の学生は忙しい、文系は暇ってのがおかしい
海外なら文系でも大量の課題図書だされて、
一週間に何冊も本読まないといけない 英語が優れてる、日本語が優れていないとかいう問題ではなく、
英語が世界で一番使われているからなんだよね。
多くの人に情報を提供したいとなると、
英語で提供するのが一番効率が良いんだよ。 グローバル化が進んできて、
多くのことが国内だけで完結出来なくなんだよね。 もう日本語もいらないってことだよなw
アメリカ51番目の州にしてもらって米語を公用語にすれば一番効率いい
んだろ?
日本語の文学なんて歴史がどうだろうと一切価値無い
そういうことだろうがw 英語教育に力を入れ始めればそりゃ英語が重用されるだろ アホじゃないか
これから日本語は 隆盛するんだよ
日本語圏は 3億〜5億になるのに
文化の無い言語ならいざ知らず 明治期に日本が工業化に成功したのは日本語の教科書が出回ったから。 アメリカ人もイギリス人も母国語で論文を書き、本を書き、啓蒙書を書く。
それで産業界も大衆も母国語で書かれた研究成果を読んで、支援する。
日本人が英語で日本の民衆の目につかない外国語の論文や書籍を書いていても、
それはどこか遠い国の話で日本の産業界にも民衆にもあまり関係が無い。
かつて仏教のお経を輸入して、漢語で音読みしてそのまま唱えるやり方で
葬式をしたりしているわけだが、普通の人にはそれは魔術の言葉でしかなくて、
意味も思想も哲学も何も伝わりはしない。何かありがたいことが書かれ述べられて
いるらしいが、BGMと替わりはしない。ブッダの教えは漢文音読みのお経からでは
耳で聞いても伝わる割合は薄いのだ。 >産業界にも民衆にもあまり関係が無い。
書く話すはともかく、英語読めないでは技術系企業で使いものにならないぞ >>46
バイオ(笑)とかライフサイエンス(笑)とかの馬鹿が多い分野ほど日本語訳を考えずにカタカナ語を多用する印象があるわ
反対に数物系はちゃんと日本語で表現しようとする最低限の努力はする 翻訳家は裏切者、ってイタリアの諺があります。翻訳した時点で元の言葉が持っていた意味が
変質してしまうことを表しているらしいのですが、カタカナ語はそのリスクを減らすメリットがあります。
例えばコンプライアンス→法令順守って本当に正しいのでしょうか? 小中学校や初学者向けに日本語の本は必要ではある。
学術書や論文のレベルでは、少なくとも理系では、
英語で書かれたものが質でも量でも
圧倒しており、そこに割り込めないようでは
話にならない。
科学あるいは科学に近いとされるものはすべて同じだろう。 印欧言語は構造的に論理ミスをしやすい言語。
量子力学はまさにその言語構造から来るミスをしてる。
日本語は非論理的と言われてるが印欧語に比べればそんなことはない。 社会学や人文学で論文になるような新しい発見なんてそうはないだろうからな 科目で一番最初に触れるのは日本語の教科書がいいな
じゃないと用語や定義の習得にコストがかかりすぎる >>70もう少し詳しく
>印欧言語は構造的に論理ミスをしやすい言語。
>量子力学はまさにその言語構造から来るミスをしてる。 日本語って筆が乗ってとか憑依したりして、往々にしてロジックが甘くなるから、
英語で書くのがいいよ。googleのcitationで評価される世界だし >>33
その通り。
どうせ人工知能が発達すると、日本語で書こうがAIが何語にでも翻訳できるようになる。
日本語しか話せず英語が分からん名古屋の爺さんが、素粒子物理学の分野でノーベル物理学賞を受賞したしな。
自然科学の分野でも英語はいらんよ。 >>75
発表、講演、懇親などが苦手と読めない書けないは別問題だぞ。
英語を読めない書けない物理学者はいない。 AI翻訳が発達すれば論文翻訳の料金も安くなりそうだし
日本語中心の研究者が増えてもいい気がするね
非英語圏の研究者がコミュニティに参加できるのも良い >>76
> 発表、講演、懇親などが苦手と読めない書けないは別問題だぞ。
> 英語を読めない書けない物理学者はいない。
それは事実だが、学部でも大学院でも学習段階において母国語の教科書が十分にあるか否かは非常に大きな違いだ
人間は生まれてから長い時間をかけて母国語によって基本から順次より高度な概念を学びそれら概念を用いた思考を身に着け
その過程で脳の思考や概念の認識を司る部分の神経回路網もその母国語による思考・認識に特化した形で発達するからね
明治時代に日本が急速な近代化に成功した大きな原因は、日本の場合は他のアジア諸国やアフリカ・南米とは異なり西洋の植民地にならずに済んでいたので、
支配階級の言語が西洋語に強制されず庶民が使う母国語である日本語のままで近代化を必要とする時期を迎え、その近代化の明治時代に
欧米から輸入した学問諸分野の情報を意味を汲んで和製漢語に意訳して後の時代を担う世代の学生が西欧の諸学問を日本語によって学べるように準備できたからだ
幼い時から慣れ親しんだ母国語で学問を学べることは大きくなってから外国語を学んでそれで学問を学ぶよりもずっと効率が良い
更に言えば、幼い時から慣れ親しんだ母国語は後付けの西欧語によるよりもオリジナルな概念を生み出しそれを使った思考をするのがずっと容易だから
西欧から輸入した諸学問でも西欧の丸写しで留まることなく、日本オリジナルなアイデアを生み出し成果を出すことが比較的早い時期から可能であった
母国語で学問を学べるということは本当に重要なことだよ
もちろん学問の多く(特に数学や物理学や生命科学に代表される理学系の諸分野)は人種や文化に依存せず人類社会全体に普遍的なものであるので、
最終的には世界の中での競争に勝って生き残らねばならないから現代ならば英語を相応に使いこなせるようになる必要があるが
そのレベルが求められるのはプロの研究者(とそれを志す予備軍としての大学院後半)であって、学部レベルにおいて母国語による学習が可能か否かは
学習の効率や学習の深さの面からは大きな違いを生む >>78
>76で否定したのは>75の「英語は要らんよ」だ。
学部レベルがおおよそ日本語で学べることの重要性は別に否定しない。
そのことと、研究者に英語の読み書きが必須であることは、別に排他じゃない。 英語遣いの日本トップ層が英米トップ層とタメ張れるかと言うと厳しい
能力100のうち英語習得で40を使った残りの60で、能力100の英米人と物理化学生物分野で競争とか、はじめから不利なレース
しかも新発見は最初に英語文献で発表させられるから、科学成果も、英米が丸取りになる
そんな言語支配からくりを見抜いて、自国語での近代化教育に踏み切って成功したのが、明治日本 アップルのジョブズもバイブルとして読んだ「弓と禅」、だが日本の書籍ではなく
ドイツ人のドイツ語による日本体験の回想録 すそ野を広げるには、日本語の学術書が大事。
>>69
専門外の分野を読む時は、日本語の学術書から入るのが楽だよ。 シスコのルーターの説明書が全部英語なのを見て「あかん 俺向いてないわ」
って会社辞めた俺がココにいる >>76
20年くらい前だとその筋の重鎮でも英語がてんでダメな人結構多かったがなぁ
特にロシア人 日本という市場だけで考えるな。
日本語の本を売りたいなら、世界に日本語を普及させろ。
世界に日本語教室を増やせ。
日本語を学びたい外国人を助成せよ。
一定レベルの日本語能力を認めたら、留学しにきてもらえ。 接点があったの2、3人だからあまり参考にならないが
25年くらい前の中国人留学生は日本語話してたな。旧帝理系。
英語も日本語以上に話せてトライリンガル。
昔は日本の旧帝で博士取れば帰国したらポストに就けたらしい。 言語は思考そのものだから、日本人は動詞が最後、
つまり結論を先延ばしにして、なるべく
直接的な表現を避け、穏便に済ませる文化。
狭い島国だからこうなった?
欧米のような合理的で直接的な表現が善しと
されるなら日本語は不向きだし、日本語で育った人は
そもそもそういう思考が苦手。
大陸で他国と地続きだと、常に直接的な表現で
相手を言い負かす必要があったのかなと。 英語勉強したけど俺の頭の限界を感じた。英語の本1冊読む時間で日本語の本100冊は読める。 スレッドの趣旨から外れますが、私(老理論科学者)の所感。日本語と英語には思考するうえで特徴があります。物事を思考するとき無意識に言語を用いています。
私は、日本語と同様に英語を用いて考えることができますが、英語に比べて、日本語が母国語であるせいでもありもりますが、それ以上に日本語は思考しやすい。思った通りに言葉で表現できるからです(表現の幅が広い)。
私の論文のほとんどは英語で書きました(そうでないと多くの人に読んでもらえないから)。直接英語で書く場合が多いのですが、日本語で書いた論文を英語に翻訳すると“言いたいこと”のいくらかは割愛するか脚注をつけることになります。
一般に英語で書かれた論文は事実と結論などが(あいまいさがすくなく)端的に記されるためわかりやすい利点があります。
という理由で、読者が専門家あるいはそれを目指す人は英語の書籍を読むべきです(わかりやすい)。しかし、専門外の人のため、多くの分野の日本語の啓蒙書の出版を期待したいです。
もちろん日本語の専門書も歓迎、母国語で専門書を読めることは素晴らしいことです(“専門”を表現できる言語は世界的に数は非常に少ない)。 研究する上での日本語はともかく、日常や仕事上での日本語は人をだましたりややこしい表現ではぐらかしたりすることが
容易にできてしまうのがね。
使う人の良心で上手く使えることはあっても、人を騙すことに使うのが簡単な言語は厳しい。
しかも、馴染みのある表現で分かりやすく書かれることほど評価が悪く、あるいは誰も評価せず、逆にまったく馴染みが無いような
単語が散りばめられたような内容ほど良いと思われる傾向すらある。
正直他の言語はしらないが、日本語は誠実な感じがしないというのが率直な感覚だね。 心の中では全く謝る気はないが、畏まった表現と態度だけでいろんな場面を切り抜けられるのは日本語と日本人だけだろ
表現の幅がかえって逆手に取られてしまっているとしか思えない >>75
益川は小林のおかげ
単独じゃ絶対無理だった >>10
文化系の訳のわからない道徳的説教好きはなんとかしてほしい。
あれがないだけでマシになると思う。 >>7
線形代数や微積分の教科書が、まさにそれだな。
毎年ゴミのような中身の、名もない業績もないクズの書いた糞本が大量に出てる。 >>56
図書館学遠かったり、図書館に読みたい本がなかなか入らない場合はどうすればいいか。
Amazon中古、ヤフオク、カウル頼り。
貯金できないです。 理系の本は学者のオナニー本が多い。そもそも読んでもらうために書いてない。 >>10
お前が知らないだけでゴマンと書いてる
理系の人たちはハゲタカジャーナルに投稿して水増しですか?www ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています