【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
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邪馬台国の有力な候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった大量の桃の種の年代を測定した結果、
女王・卑弥呼の時代と重なることがわかりました。邪馬台国の謎に迫る新たな資料として注目されます。
纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての大規模な集落跡で、邪馬台国があった場所の有力な候補の1つとされています。
遺跡では、8年前、卑弥呼の宮殿跡との説もある3世紀前半の大型建物跡のそばで、桃の種が2000個以上見つかりました。
この桃の種を、名古屋大学の中村俊夫名誉教授と元徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲さんが、
それぞれ放射性炭素を使った年代測定を行ったところ、
いずれも西暦135年から230年の間のものの可能性が高いことがわかりました。
卑弥呼は中国の歴史書「魏志倭人伝」で、3世紀前半ごろに邪馬台国を治めていたとされ、
今回の結果は卑弥呼の時代と一部、重なっています。また、桃は古くから神聖な果物とされていたことから、
卑弥呼が行った祭しで供えたのではないかという指摘もあるということです。
桜井市纒向学研究センターの寺澤薫所長は、「魏志倭人伝の記述にある卑弥呼の時代と重なり、
纒向遺跡について考えるうえで重要な資料だ」と話しています。
■邪馬台国九州説の研究者「卑弥呼 明確には結びつかず」
邪馬台国が九州にあったとする説を唱える、佐賀女子短期大学の高島忠平名誉教授は、
「参考になる研究成果だが、邪馬台国の所在地や卑弥呼と結びつく明確な材料はなく、
今回の成果で論ずるのは無理があるのではないか」と話しています。
関連ソース画像
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/e/4/e4e19_1509_bbb0e83d_2ee86e0b.jpg
NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180514/k10011438091000.html >>30
「あのコンモリしたものはなにかね?」
「ヤマたい!」 少なくとも名目上は親魏倭王の継承者を主張したんじゃね。
結局大和の王権の完成者あるいは革新者である天武天皇は安東将軍倭国王も親魏倭王も必要とせず
日本国の天皇を自称して大陸と交渉したんじゃないだろうか。 桃を食する姫巫女が135−230年に居て西を正确に向いている館に住んでいた そのまんまやん
九州説のあほ古田はいいかげんアキラメロン それから宮内省のバカはええかげんに「天皇陵」の調査の邪魔をすんな 商売屋的には
さっさと場所を決めて欲しいよな
候補地じゃいまいち宣伝にならん >>17
恐らくこれ
新聞読んでどーせ炭素14だろなあー思ってたらそれだったw
あれ化学科の分析化学の講義じゃ、精度がダメで生物のいた痕跡とかには使えませんねえて
習うんだけど
なんで考古学だとあんなに使われてんの? × ヤマタイ
○ ヤマトゥ
卑弥呼⇒日の巫女⇒天照大御神を演じる係の女性
こんなことは今や、常識の範疇でしょうに >>30
台は「タイ」と読まないよ
「トゥ」に近い発音 卑弥呼は九州の古い豪族だと思うんだよな
畿内は新興の成金貴族が作った人工都市 >>40
どうでもいいかどうかは貴方様が一方的にお決めなさってよろしいことではございません。 炭素14の補正曲線みると、200年代でむっちゃ無理しててワラタ
後漢の滅亡を基準にすりゃいいのに、そうしたくない力を感じる >>37
分野の蓄積だからな。先行研究を踏まえて矛盾なくつなげないかん
精度は5000-10000年以上前ならアリだけど、
たかだか2000年弱前の数十年スパンに当てはめるってのは無理ゲじゃねとも思う
けど、一旦主張しちゃったら合理的な証拠ないと覆せない 九州説は自説に都合の悪い話はみんな捏造にするからなあ。 現在の日本の桃は明治時代に輸入された水蜜桃系(上海水蜜桃など)を品種改良したものがほとんど あのさ、どうして魏志倭人伝ばかりに拘るのだ?
旧唐書には後漢書の奴国が発展して大和朝廷になったと書いてある。
遣隋使とか交易海洋民族とかから大和朝廷のことをしっかり情報収集しているだろう。
魏志倭人伝より情報は確かだと思うがな。
新井白石が悪いのだ。常陸国が発祥地だというのだろう。
奴国の発展系が大和朝廷でいいじゃないか。 2018/03/20
【古墳】「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル [福岡県][03/20]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1521543101/913 当時の桃はスモモなんだっけ?
観賞用か薬用なんだっけ
それが2000粒
樹はあっても使い道ないから経年で貯まったって感じだよね
薬としてもさほど使ってなさそう、何に効くんだろう? イザナキがヒラ坂で
追ってくる醜女に投げつけたな
俺も持っておこう
いや息子にも持たせておこう .
邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。 >名古屋大学の中村俊夫名誉教授と元徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲さんが、
こういう時には権威が必要なんだから、失うものがたくさんある現役の学者に出てきて欲しいところだが… >>27
それはないな
仮に邪馬台国が九州にあるとしたら魏の使者は邪馬台国よりはるかに規模の大きい妻木晩田遺跡や纒向遺跡を完全スルーで一言も残していないうえに九州の小国を倭王にしたということになる
九州のどこよりも規模の大きな遺跡が出てしまった時点で九州説は成り立たない 誇張されいい加減に書かれた魏志倭人伝の内容をすべて信じているバカ
支那はいまだに嘘つき国家だろ。
なんでもオーバーに書くし嘘のオンパレード
地道に遺跡調査していく方がいいだろう 邪馬台国は、和人の「ヤマト」「大和」の発音を
大陸の支那人が聞いてのアテ字だろう。
そのアテ字を現代日本人が読むから「ヤマタイコク」となるからややこしい。
当時の支那人が「邪馬台国」をどう発音してたかに興味がある。
全国にいくつもそこそこ大きな国があるのに、
近畿ヤマト国が日本の代表みたいな顔して支那に行ったかもしれない。
当時は正確に物事を伝える、正確に記録するなんてことなかっただろうし
見栄とハッタリが全ての支那の書物を信じるのはどうかと思う。 >>59
福岡の弥生銀座のほうがそれらより遥かに規模が大きいからその反論は成り立たない >>62
それのどこが妻木晩田遺跡や纒向遺跡よりも大きいって?
大体福岡にある時点で論外だろ 中国でも桃は「邪気」を祓う神性な食べ物
なので卑弥呼が儀式に使っても不思議はない。
桃太郎が鬼退治をする話が生まれたのは、桃に邪気をはらう効果があるため。 >>62
奈良や京都は、掘ると遺跡だらけなんで
遺跡が見つかっても工事が進まなくなるからそのまま埋めちゃうんだぞ >>21
素直に考えて、西都原だと思う
だから日向三代がいたと言われる場所になったんだろう >>65
弥生時代の鉄器の出土の数
九州:畿内で100:1くらいだぞ
あるなら掘れよ 畿内説が日々考古学的物証を積み重ねているのに対して
それに対しヒステリーを起こすだけの九州説
まぁ九州説を真剣に推してる学者なんてほとんどいないから無理もないけど九州説に必要なのは畿内説にケチをつけることではなく
九州説内で統一して比定し、考古学的発見を積み重ねることでしょう >>65
奈良はそうと兵庫人でも思うけど、九州も同じ状態らしいぞ。知らんかったけど。 >>75
畿内推しの人には残念だろうけど、魏志倭人伝に記載された倭国の文物の出土状況をビッグデータ解析した結果、
邪馬台国は99.9%以上の確率で福岡だって結論が出ちゃってるんだよね
https://ironna.jp/article/4548?p=7
◆邪馬台国が、福岡県にあった確率
広島大学名誉教授であった川越哲志氏のまとめた本に、『弥生時代鉄器総覧』(広島大学文学部考古学研究室、2000年刊)がある。
弥生時代の鉄器の出土地名表をまとめたものである。鉄器についての、膨大なデータが整理されている。
『魏志倭人伝』には、倭人は、「鉄鏃(てつぞく)」を用いる、などとある。『弥生時代鉄器総覧』の鉄器出土地名表を見ると、
福岡県には49ページ割かれている。これに対し、奈良県には1ページも割かれていない。
「邪馬台国=奈良県存在説」を説く人々には、この愕然とするほどの圧倒的な違いが目に入らないのだろうか。
例えば、弥生時代の鉄鏃の出土数をみれば、図5のようになる。『魏志倭人伝』に記されている事物(鎧・絹・勾玉など)で、
遺跡・遺物を残し得るものはすべて、出土数において福岡県が奈良県を圧倒している。
https://ironna.jp/file/d4c399889c0b962f241b7957292bbe0d.jpg
図5のような分布を示すいくつかのデータから、邪馬台国が福岡県にあった確率や、奈良県にあった確率を計算によって求めることができる。
県ごとの確率は、表1のようになる。
https://ironna.jp/file/b918d0f424991e886db129418cce67d2.jpg
これについて詳しくは、拙著『邪馬台国は99.9%福岡県にあった』(勉誠出版、2015年刊)を、ご参照いただきたい。
この確率計算にあたってご指導、ご協力をいただいた現代を代表する統計学者、松原望氏(東京大学名誉教授、聖学院大学教授)は述べている。
「統計学者が『鉄の鏃』の各県出土データを見ると、もう邪馬台国についての結論は出ています」 鉄が九州説最後の砦らしいですが淡路と彦根で製鉄所跡地が発掘されたそうです >>77
東大の名誉教授の学説をお前ごときが否定できませんw
畿内厨残念w >>78
淡路の鉄工房は九州の影響下だってさw
この分だと畿内の勢力も九州の傘下だろうなw
畿内厨残念w
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 >>83
妄想乙
畿内厨は現実に負けすぎて妄想の世界へ逃げ込んでしまったようですw >>76
何で福岡なのか。
そもそも九州説が大加速したのは吉野ヶ里遺跡だろ。 https://www.youtube.com/watch?v=eEAkOh3lsY0
考古学に携わる人が5000人いるうち九州説を唱えてるのは片手で数える程度だとw
ここに出てる九州説の学者も若いころ九州説論者が全くいないので教授に言われて嫌々始めた言ってるぞw >>120
九州にはなんであんなに神聖なところが多いんだろうな。俺は纏向畿内説を支持してるけどそれは不思議に思う。東征と関係あんのかな 東征自体は全くの作り話に過ぎないから東征のお話を作った後に神聖とされる場所を九州各地に指定していったんだろうな
倭人伝に出てくる奴国は2万戸というかなり大きい国でおそらく九州北部ということを考えても漢委奴国王の奴国と同一だろう
そのうえ畿内との間にはさらに投馬国5万戸という奴国を上回る規模の国がある
こんな大国2国をスルーして九州から畿内に国を移すとか国替えの命令でも受けない限り無理だからな 当時の中国が日本全土を把握してたなんて無理だろ。
日本内でさえまだ未開の地がいっぱいあったのに。
邪馬台国は九州地域の統一王朝だろ。そのころヤマト圏には別の王朝が出来つつあった
ってとこだと思うよ。c炭素の年代測定は誤差ありすぎであてに出来ない。 九州説にしがみついているアホはもういい加減にセイヨ >>86
https://ironna.jp/article/4548?p=6
箱式石棺の分布
宮崎公立大学の教授であった「邪馬台国=九州説」の考古学者、奥野正男氏は述べている。
「いわゆる『倭国の大乱』の終結を、二世紀末とする通説にしたがうと、九州北部では、この大乱を転換期として、墓制が甕棺から箱式石棺に移行している。
つまり、この箱式石棺(これに土壙墓、石蓋土壙墓などがともなう)を主流とする墓制こそ、邪馬台国がもし畿内にあったとしても、確実にその支配下にあったとみられる
九州北部の国々の墓制である」(『邪馬台国発掘』 PHP研究所、1989年刊)
「邪馬台国=畿内説」の考古学者、白石太一郎氏(大阪府立近つ飛鳥博物館長)も述べる。
「二世紀後半から三世紀、すなわち弥生後期になると、支石墓はみられなくなり、北九州でもしだいに甕棺が姿を消し、かわって箱式石棺、土壙墓、
石蓋土壙墓、木棺墓が普遍化する」(「墓と墓地」、『三世紀の遺跡と遺物』 学生社、1981年刊所収)
このように、邪馬台国時代の九州での墓制は、甕棺の次の箱式石棺の時代であった。そのことは、邪馬台国「九州説」の学者も「畿内説」の学者も、 ともに認めている。
最近、茨城大学名誉教授の考古学者、茂木雅博氏の大著『箱式石棺(付・全国箱式石棺集成表)』(同成社、2015年刊)が、刊行された。
『箱式石棺』の本により、九州本島で、箱式石棺の出土数の多い「市と町」を示せば、図4のようになる。朝倉市がトップである。
https://ironna.jp/file/886f3d9474aad798c3d88c42befb738c.jpg
また、箱式石棺の分布の様子を、地図上に示せば、地図5のようになる。箱式石棺は、朝倉市を中心として、分布しているようにみえる。
https://ironna.jp/file/ffdad4ae37096d6f05a3e4b2dea1647a.jpg
なお、『魏志倭人伝』は、倭人の墓制について「棺あって、槨(かく)なし」と記す。箱式石棺であれば「棺あって、槨なし」に合致する。
奈良県の纒向遺跡のなかのホケノ山古墳は木槨があり、『魏志倭人伝』の記事に合わない。
ホケノ山古墳よりも、時代的に後とみられる箸墓古墳も、竪穴式石室(石槨)」の時代のものとみられ、『魏志倭人伝』記述の墓制の時代よりも、後のものとみられる。 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫
卑弥呼の墓=箸墓古墳
男弟=崇神天皇
邪馬台国=磯城瑞籬宮=纏向遺跡
投馬国=出雲
狗奴国=毛野国
卑弥呼の時代、静岡あたりまでは連合国の勢力圏だったのはわかってるから九州北部から東海地方一帯までが連合国の版図になるな 三種の神器は三国統一をしたの王の証
九州邪馬台国 鏡
出雲 剣
糸魚川 玉 >>96
そんな大国が狗奴国一国にやられて魏に助けを求めるわけないじゃん
畿内説は根本が破綻してるな >>96
それと、君のその妄想が正しければ対狗奴国の最前線は東海東部から関東西部あたりになるはずだが、
そのあたりからは当時の武器の出土数が少ないのはどう説明するんだい?
逆に前線を遠く離れているはずの九州北部が一番武器の出土が多いんだけどw >>98
やられてなんてどこに書いてあるんだ?
飛躍しすぎだろ
時代が下って大和朝廷成立後でも蝦夷討伐は征夷大将軍を任命するほどの国家の一大事だぞ >>99
歴史に記されてる限り遡っても大和朝廷に従わない勢力は北に北に追いやられていくこと自体は史実なんだから、その流れは始まってると考えるのが自然だからな
高尾山古墳をみても卑弥呼の時代、すでに静岡県辺りまでは連合国の安定的勢力圏だったことはわかる
境界がその北とすると、やはり関東になるかなという考えだよ
毛人55国=狗奴国=毛野国ってね >>101-102
必死に話を逸してるとこ悪いんだけど、武器が出土しないのはどう説明してくれんの? >>103
武器が出土しないってなんの妄想を話してるんだ? 原材料は海外から輸入していたわけで、その加工工場が北九州に置かれることは自然なことだから当たり前っちゃ当たり前
北九州で作って各地に運ばれたと
国産砂鉄からの製鉄技術が確立してからは出雲が増えたね
いずれにしろ原材料を入手しやすいところに工場ができる、決して前線付近に工場ができるわけではない 俺は邪馬台国は北部九州で大和朝廷は近畿説だと思ってる
卑弥呼が死んで北部九州と南部九州の争いが激しくなって北部九州が衰退するのと同時に大和朝廷が九州北部から逃げた人と合わせて大きくなったんじゃないかと思う
当時は直接船が乗り入れられる場所に交易で人が集まったんじゃないかな >>108
工場のあるところに製品が固まるのは当たり前な https://dotup.org/uploda/dotup.org1546397.jpg
これを見ても同じ弥生時代の間でも時代の経過によって鉄器を必要とする地域が西から東へ移っていくのがわかるだろ .
邪馬台国の所在地は、宮崎県の西都原(さいとばる)で決まり。 当時は近い距離なら歩いて移動したかもしれないけど道も整備されてなくて山賊とか出たと思うし警察もいない自衛する世界なら大量に荷物を運べる船が鉄でも食べ物でも運ぶための手段だったと思う
船なら視界も陸地より良いから陸運よりも安全じゃないかな
なんか拠点から拠点へ荷物を積んだ船が行きかう姿を想像すると胸熱だわ >>113
山賊でるなら、普通に海賊もでるとおもうぞ。 >>111
鉄器は、西から東へだが、
時を同じく「北九州発祥」の横穴墓群も
西から東へ移動。
水町遺跡をみたことがあるが、
横穴墓と記載されるから、墓と認識する。
しかし、よくよく実際みてみれば、
横穴と横穴を仕切る土塁の両側面にも、
小さな横穴がある。
墓にしては、そんな場所に埋めるもかと
思う。コの字型としたら、
すべての側面に、穴があり、6〜7箇所にも
なるからなあ。
そのタイプが、隣同士で、何基もある。
つまりは、たたら製鉄後だな。
だから東へと鉄器拡大とあうわけだな。
横穴墓は、元来装飾品や人骨がでにくい
質素な墓ともいわれているのは、
用途が、たたら製鉄だからかな。その
後から
鉄器や鏃まで、九州は、でている。 桃の種の年代も必要かもしれないが、
ここ数年、分析法が確立され、
有意義な結果も見られる
「錫同位体測定」も抑えるべきでは?
数本論文でているが、
八咫鏡や神獣鏡などは、青銅鏡。
鉛同位体もされた論文あるが、
産地が多い鉛は、青銅鏡の産地特定は、
難しい。
しかし、錫は、朝鮮半島には、ない。
中国は、無錫市。昔は有錫市として、呼ばれていたが、取りすぎてなくなった。
あとは、2000年前からある
雲南省の錫鉱山。
日本は、鹿児島県錫山、大分県傾山、
高千穂祖母山(神話の里)が、
古来より知られた場所。
雲南省の錫と日本の錫には、同位体の
変動が、見られる。
いずれ日本の銅鏡の錫を同位体測定したら、
日本産か中国産かは、わかると思う。 >>110
東海と関東の境で戦争やってたのに生産された武器は工場に置きっぱなしで
最も需要のあった前線にはなぜか送られませんでした、と?
やっぱり畿内説論者の言うことは根本から破綻してるねw >>111
いや全然
単に弥生中期まで関東には鉄器文明が及んでなかったとしか見えないが
当時の鉄は朝鮮半島からの輸入品だから無理もない 平地と違って海なら遠くに海賊が見えたらすぐに逃げれる
重要な積み荷は当時最速の船を使って護衛の兵士もいたはずなので海賊にはやられない 平地と違って海なら遠くに海賊が見えたらすぐに逃げれる
重要な積み荷は当時最速の船を使って護衛の兵士もいたはずなので海賊にはやられない このザマみたらもう掘ってもたいしたもん見つからんのだろうな。桃の種で深読みするしかねーんだから。 >>120
北九州より船にて、運ぶとしたら瀬戸内海とおるから、逃げれない。
狭間をとおるから、やられやすい。
実際、後に村上水軍がでてくるから、
海賊には、格好の場所。 卑弥呼の名前の「卑」は、高貴な名前だったんだなあ。最初は、卑金属を扱うからと思って
「卑」とつけたと思ったが、やはり、系図をたどると、高貴なとこに、たどりつく。
さらには、橿原市の遺跡でも九州各遺跡でも、呉をベースにした画文鏡などが、出土するのも
繋がっているなあ。 邪馬台国の「邪」も発音自体、xie.ya.ye.などの発音で、意味が変わるし、発音でみれば、方角を表しているんやないかな。 >>122
だから九州より東に鉄器が少ないんだね
瀬戸内海から東は文化の発達も遅くなるよね >>127
畿内に倭国があれば、魏志倭人伝の通り、
海の民、入れ墨などの表記から、もっと海運
などの発展があったと思う。しかし、淡路島には、鉄鏃などの武器や船用の鉄器は出ず、鉄製の釣り針みたいなものしかでない。
入れ墨は、素潜りするため、潜むサメなどを
威嚇するためだし。 >>128
そうなるとますます邪馬台国が畿内にあるのは難しいかも
邪馬台国は戦争もしてたから当時最先端の武器は沢山使っていたはずだから当然 鉄製の矢じりなんかも沢山使っていたはずだね
出土分布とかあるのかな? 神獣鏡が、国産とした場合、
畿内説では、何処の銅山、何処の錫山を
使用したと説明するんだろ?
奈良近くには、錫山ない。
古事記でも
イシコリドメが、鏡をつくるが、国産
錫山ない箇所で、権威の象徴の
銅鏡がつくれないとなると、矛盾が生じないかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています