自我がコピーできるとした場合、
元の体に自分という意識があるのか、コピー先にあるのかが
一切不明なので、これだけで自我のコピーは不可能であることの論理的な証明になる。

アバターという映画。
このことを分かっていたのかどうか知らないが、
主人公の自我をクローン原住民に転送したときに元の体をちゃんと無意識状態にしていたのは
理にかなっていてよく出来た設定であった。

意識がどちらにもあった場合、ネットワークで常時シンクロできていればいいが(つまり自我としては1つ)、
もしそれが切れてしまえばその後どちらの体に自分という意識があることになるのか
一切不明だからである。