【脳科学】マインド・アップロードは可能?──MITを巻き込み世界的権威が真っ二つ[04/23]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
脳内の情報のやり取りは、ほとんどが電気信号。 なので脳内の電気信号のやり取りの仕組みを、そのまま電子回路で再現できるはず。そういう根拠で研究が進んでいるのが、 マインド・アップロード。人間の意識をそのままコンピューターにアップロードしようという研究領域だ。 SF映画などではよく見かける話だが、果たして本当にそんなことができるのだろうか。研究はどの程度進んでいるのだろう。 MIT Technology Reviewのこの記事、「MIT、『脳の永久保存』企業との研究契約解消へ」は、 ベンチャー企業の事業内容に関する論争なのだが、 その中でノーベル賞を確実視されるような世界的な研究者が意見を戦わせているのがおもしろい。 対立意見の中にこそ、真実が見える。この記事から、マインド・アップロード研究の現状を探ってみたい。 この記事は、脳の永久保存を推進するベンチャー企業Nectome(ネクトーム)社の主張に科学的根拠が乏しいとして、 同社と業務提携しているマサチューセッツ工科大学(MIT)に対しても批判が起こっているという内容。 批判を受けて、MITは結局、業務提携を解消している。 ■将来サイボーグとして再生するために 詳しいことは記事を読んでもらうとして、同社の主張は、 @今はまだマインド・アップロードの技術が確立していないが、 技術が確立して人間がサイボーグとして生まれ変われるときがくる A今、脳を永久保存しておけば、その技術が確立したときに生き返ることができる、というもの。 完全な形で脳を保存するためには、脳死する前に保存液を注入しなければならない。 ただ保存液を注入すると、その人物は確実に死ぬ。末期患者の安楽死が認められている国や州でのみ、 末期患者の脳の永久保存を受け付けているという。 安楽死に対する賛否が分かれることから、論争になっているわけだ。個人的にはその論争よりも、 世界のトップレベルの研究者が脳の永久保存やマインド・アップロードの可能性をどうとらえているのか、 ということに興味がある。 人間の蘇生が可能になる未来を信じて、脳を冷凍保存するという研究やビジネスは、ずいぶん昔から存在する。 実は僕も米国に在住していた25年近く前に、 脳を冷凍保存するベンチャー企業をカリフォルニア州バークレーに訪ねて取材したことがある。 工場のような敷地の中に、ドラム缶のような容器が置いてあり、その中に冷凍された脳が保管されている、という話だった。 脳1つ当たり100万円ほどで100年間保存する、というような契約だったように覚えている。 なんだかずいぶん怪しげなベンチャー企業だった。 MIT Technology ReviewのA startup is pitching a mind-uploading service that is "100 percent fatal"という記事によると、 こうした脳の永久保存はいろいろな方法で試されており、米アリゾナ州にあるAlcor延命基金には、 150人以上の遺体や脳を液体窒素で保存しているのだという。 ところが数年前に、脳に保存液を注入することで脳のコネクトームを保存できる新しい技術が開発された。 コネクトームとは、ニューロンを結びつけるシナプスの地図のようなもの。神経学者Ken Hayworth氏によると、 特定の個人の意識を再現するにはコネクトームの地図が不可欠だという。 保存された脳を蘇生できるかどうかは分からないが、 少なくともコネクトームのデータがあれば、コンピューターで意識や性格を再現できる可能性があるというわけだ。 今は無理だが「100年後には可能になっているかもしれない」とHaywarth氏は前向きに評価する。 関連ソース画像 https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/assets_c/2018/04/yukawa180423-thumb-720xauto.jpg ニューズウィーク日本版 https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2018/04/mit.php ニューズウィーク日本版 https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2018/04/mit.php 続く) >>202 アップロードすら現実的には考えられていないんじゃないの。 最初に殺しちゃって脳を保存するんでしょ? >>204 そういう企業もあるけど、この記事のMITの研究自体はそれに限定されないんじゃない 人間の意識も擬似的には作れることは既に証明されている それを人間が「意識」と認めるかどうか、というだけの問題 人間のレベルに合わせてチューリングテストに合格するプログラムもすでに出現している 意識とは何か、を一意に定義できない限り話は進まん 意識についてせめてテンムーの話みたいに物理量で判断出来れば もう少し議論の余地もあるんだろうけどね >>206 技術も識別理論も確立されているなら、あとは実践してみないとわからないかもね 物体の複製ならオリジナルと複製の境界はシンプルなんだけど これが意識の複製となると、人権的な問題に合わせて所有権など資本主義的な都合も出てくるし、混成人格技術もできるだろうし 結果としては、技術的な観点より社会的な都合で意識(人格、自我)を定義される気がする >>202 そうであれば 自分の自我ではないよくできたAIということになる。 >>203 >元の自我との連続性は記憶から感じるだろうけど、本質的には同じ記憶を持った別人でしかない。 ネットワークで常時シンクロできていれば まったく同じ自我が2つあることになるので それは単一自我と同じことである。2つに差異がないからである。 そして、2つあることをまったく感じない。何もかも同じだからだ。 問題なのはネットワークを切ったときに 体も自我も差異がないAとBのどちらが自分になるのかが 不明であるということある。 大事なのは、AとBに違いがないということなのだ。 肉体は眠った状態で電脳空間で意識ある行動、いわゆる「VR」とれる環境構築できてからの話だな 思考(記憶含む)・感情・感覚をネットワークで常時シンクロさせれば AとBの自我に違いはなくなり、2つの体で1つの自我という状態になる。 同じ自我が2つあるのは、実は1つしかないのとまったく同じであることに気づかなくてはならない。 この単一化した自我こそ自分を認識する心であり、ネットワークを切ったら 果たして自分を思う心はどこへ行くのか、AなのかBなのか論理的に不明となる。 AとBに差異がないからである。 このことをよく理解するのはさほど難しくないはずだ。 >>213 後援者の目的は大物と言える権力者や科学者の能力の継承だろうね 脳アップロードのコモディティ化を匂わすのも体のいい実験目的 クローンの私がオリジナルを超えるのだ 私がオリジナルだフハハハ 個人版のチューリング・テストがあったとしよう。個人Aを知人や家族がテストして本人と認識できるかというテストだ。そこで問われるのは人格と記憶になるだろう。 自我の連続性というのは意識を失ったり昏睡状態に陥ったりした後意識を取り戻しても、一時的に記憶喪失になった後記憶を取り戻しても連続性が保たれる。 しかし記憶喪失の間、「ここはどこ、私は誰」という状態はその連続性から切り離されている。 個人版チューリング・テストには合格できないだろう。 これは自我が記憶に依拠しているもので、記憶がなければ別人と言えるということではないのか。 また、毎日就寝時に我々は一度自我を失うが、目覚めたときに記憶を走査して連続性を(たぶんそうだろう)と曖昧なまま追認しているだけではないのか。 >>17 生体は超精密な機械だよ 生物は極めて高品質なロボットだとも言える シュタゲのステマ? まぁ一作目は楽しめたしゼロも面白くなりそうだしステマの必要性皆無かw 人間と同じ複製品が創れると仮定して、人格と呼べるかの判断基準は共感性だと思うがね まんまアンドロ羊の受け売りだが >>217 > しかし記憶喪失の間、「ここはどこ、私は誰」という状態はその連続性から切り離されている。 個人版チューリング・テストには合格できないだろう。 これは自我が記憶に依拠しているもので、記憶がなければ別人と言えるということではないのか。 > いやいや、とんでもない間違いである。 まったく分かっていないし、考察が浅すぎる。 その「私は誰」って時点でちゃんと自我が存在していることになるのだ。 記憶があろうがなかろうが関係ない。 もちろん記憶がなければ言葉も計算も何もかもできないが、生まれたばかりの赤ちゃんにだって 自我があるのは明白だろう。その生まれたばかりの赤ちゃんには明確な記憶などない。 おなかの中にいるときの外部からの音や振動などのノイズの記憶はあるが。 だから自我に必要なのは 思考・感情・感覚であって、経験した記憶が思考を発達させていくのだから 思考(記憶含む)・感情・感覚と書いてきたのだ。 思考の土台は記憶であり、両者一体である。分離して考えるのは大間違いである。 思考と感情はいうまでもないが、 痛いという感覚だけでもそれを感じるのは自分であり、自分だけしかいない。 痛みだけでも自分という自我の存在に気づくことができよう。 >>221 記憶と自我を分離させられないという根拠は? 人間の思考・判断は自我の介入以前に決定されているというのは実験で証明された事実であり、 自我・意識は介入という言葉も使いづらい、追認とでも言うしかない場面でしか行動プロセスに関わっていないのだが。 それを否定するなら、まずリベットの実験の反証からしてくれ。 >>214 たまにおばあちゃんのコピーをVMWareで走らせて知恵袋を拝借するのかな アップロードされた全てのおばあちゃんが融合してミニアカシックレコード化 蓄積されたあらゆる人智を駆使して孫に何かを食べさせようとする 素人的には記憶が脳に残ってる時点で可能だと思ってしまう 脳で映像として思い出せるということは映像として保存も可能だとも思ってしまう これはニューロン構造そのものに記憶が染み付き焼き付けられ再編成されるようなものなので、この観点に立てば構造を正確にエミュレートできるならばマインド・アップロードは可能だろう、と言える ただ、演算のためには量子コンピューターが何世代が進化して、さらに測定技術が何十世代か進化しないと無理だろうな 国語の勉強をしっかりして言葉で思いを遺しましょう。 人間の脳をコンピュータのプログラムに変換するって事? 遺伝子が同じなら同じ人間、みたいな感じ >>231 記憶≒脳構造、活動状態なら電子的に再現できそう 理屈ではiPS細胞のように抽出、増幅、固定化できる気がしてきた 脳の仕組みなんて未だ良く分かってないのが大半なんだろ? 量子論的な振舞いもあるかも知れないし、 既知の電子理論での全容解明はたぶん無理。 イノセンスは幼女をゴーストダビングして愛玩セクサロイドを量産するマフィアと対決する物語 >>238 あの世界設定のミソは 完全なゴーストコピーは何故か出来ない、だからね! コピーしてもそれぞれがちょっとずつ違う人格になる 同一ではないって事が測定できる≒意識の連属性の証明は出来る ってだけでもファンタジ〜 今まで体験してきた中の時系列の前後関係が崩れないってのが不思議だわ。 精神疾患でなくても、中学卒業してから幼稚園に行った記憶を持つ人がいてもいいのに、 いままで聞いたことが無い。 >>236 電気的なニューロンネットワークだけでなく化学物質も関わっているかも的な話は出てきているらしい 量子論的云々は最近は下火だね >>242 時系列は補強情報(自分の背の高さとか、友人の幼さとか)で推測してるだけなんじゃない? 幼い頃、祖父に連れて行ってもらった浅草が小学校入学前だったか後だったかは定かではないわ 臓器移植を受けた患者が体質変わったりする話はよく聞く 記憶の転移が可能かどうかはわからんが、臓器が放出する物質に影響されるのはありうる話だな >>243 量子論による説明は、単に人間の判断は曖昧だから、と言う程度の根拠だったし(多分)。 仮にそれが正しかったとして、自我の説明にはならないけど。 >>243 なるほど、推測で記憶がねじまがることはあるかも。 >>244 臓器からホルモン出てるしね 究極的には生物はホルモンの傀儡なんすよ 「記憶を移植」 米研究者らがアメフラシの遺伝子で成功 https://www.bbc.com/japanese/amp/44119676 意識は分からんけど記憶はいけるんかなあ >>240 お前はゴーストを与えられた人形の気持ちを考えたことはあるのか! >>249 実験自体は興味深いが、なんだろうこのモヤモヤ感 「紫の墨」という全く実験成果と関係ない事項がセクションタイトルになってたり、 「アメフラシに危害を加えてない」と強調するくだりとか。 BBCの頭がおかしいのか? ファイルをサーバーにアップロードするというのは、コピーをサーバー上に作ってるんだよ 別にオリジナルが消える訳じゃない >>249 アメフラシのRNAって遺伝子と言うか、mRNAとかtRNAのことだよね http://physiology.jp/science-topic/5924/ ここにあるように、記憶・学習を促す機構にRNAが関わっているようで、 適切なシナプスに適切なmRNAを注入すると学習したのと同じ、あるいは学習しつつある状況を作り出せるのかも 刀で頭からお尻まで一瞬で切られた時に 右目と左目のどちらの景色が見えるのか 生命が死ぬ直前と直後で質量は変わらない 生命は情報であり連続的な情報エネルギーを維持させていればあらゆる人間を別の人間に移すことが可能 >>180 宇宙が有限でないなら必然的に自我の完全なる消失など起こり得ないということに全面的に賛成する。 >>180 >気づいたら別の惑星でまた生きている可能性大。 光速以上で何かが伝播するのか? それとも死後の数万年経った時の話か? 可能性大というのは主観以外に根拠や妥当性はあるのか? 意識とは何かという話はあるけど 自我≒記憶≒生体の物質構造 なら分子レベルで再構築される時に自我は連続して引き継ぐことはない 自我が生体から剥離して存在できる物質的な構造体なら、伝播には常識範疇での時間が必要 突然自分の記憶が遠くの惑星で再現されるなら自分の経験になんのイミモないじゃんw 引きこもり無気力を生み出す有害宗教だ 宇宙が有限でないならお互いになんの情報も伝播しないほど慣れたところに全く同じ自我を持つ者が存在しうる。量子力学的にはどんなに小さい確率でもゼロでなければそれはいつか必ず起きると証明されている。 (たまたま偶然にどこかにそっくりさんがいるという事象の究極版といえる) お互いがお互いの光円錐の外にいるのでこの場合、距離的あるいは時間的な隔たりという概念は意味をなさない。 >>265 それって、例えばおれが「265みたいな阿呆をぶん殴りてえ」って右拳を振るうと、265の顔面に拳を振るわれた衝撃が伝播する可能性を担保するってことだよな >>266 全く違う。 光円錐の外にあなたと同じ姿の人がいてたまたま同じ腕のスピードでたまたま同じ姿の人間を殴っている可能性があるということ。光円錐の外には何も伝播しない。 >>262 自我って連続しているように感じてるけど、実は連続してない 深酒すると吹っ飛ぶし、 毎晩シャットダウンしてる 実のところ、記憶と身体の状況を毎日毎秒、その瞬間に参照しながら再認識を続けてるだけだと思うの なので、身体を完全にコピーできたら同じ自我が同じように「俺はオリジナルだ」と連続性を感じるという悲劇が起こるんじゃないかな >>267 そこは議論が分かれる。私は宇宙がたった一度きりの偶然の産物とはとても思えない。 死んだ後に別の宇宙で『死ぬ前と同じ自我を持つ』と思い込んでいる者がなんらかの形で復活する可能性はある。そして可能性が少しでもあるならそれはいつかどこかで必ず起きる。その者は偶然に死ぬ前と同じ姿かたちをしていて死ぬ前の記憶も持っているわけである。 換言すれば人間は死ぬ可能性があるからいつか必ず死ぬし、復活する可能性もあるからいつか必ず復活する。これは宇宙がなんらかの意味で無限であることが前提となる。 死んで復活することと、夜寝て朝起きることは大差ないのかもしれない。 我々が実用化しているコンピュータで自ら思考するプログラムすなわち自我を持つプログラムを作ることができるなら、その者の自我は用意に複数にコピーできる。 我々が現実と思っているこの目の前の世界が実はより高度な文明によって作られたコンピュータの中のシミュレーションであるという説がある。 量子コンピュータによる高度なシミュレーションは現実の世界と区別ができない(同義である)ことを証明した論文があるらしい。 高度文明の知的生命体がプログラムにダイブして 不幸ごっこや原始人ごっこを楽しんでるんだったら悪趣味だ 人間もまたナノマシンの集合体であって物理法則に従って動いているだけなのである。物理法則から逸脱するような動きは絶対にできない。自我や自意識も物理法則にしたがった結果の作用でしかない。それらをコンピュータでシミュレートできる可能性は大いにあると思われる。 仮にある人と全く同じ成分で全く同じ形を持つ人型のものを作れたとする。分子レベルまで完全にコピーするということである。これは今の技術ではできないが、物理的に不可能なことではない。 その者はオリジナルの人間と同じ記憶を持つであろうか? >>180 複数の人の自我が実は元は1つのものであるという発想は私にはなかった。実に興味深い考え方であると思う。 反電子という者がある。陽電子ともいう。これは時間反転している電子と同義であるらしい。すなわち反電子は時間を遡ってくる電子そのものである。 世の中の電子は全てそっくりで区別できない。何故ならそもそも世の中に電子はたった1つしかなくその電子が時間を順方向に進んだ後、時間を遡ってくるという動作を繰り返すことによって同時に同じ電子が複数存在しているように見えるからであるという考えがあるらしい。 人間の記憶や自我をどのくらいの容量の情報で記録できるだろうか。記憶や自我の保存は脳の全ての分子の種類と配列を記録すれば可能と思われるが、おそらく分子レベルで記録しなくとも、細胞レベルの記録で事足りると思われる。 脳細胞を5000億個とし、細胞1個あたりの記録に1GBを要すると仮定すれば脳全体の記録には500エクサバイト程度必要ということになろうか。 宇宙が一度きりのものあるいは有限のものでるならばいつかすべてに終わりが来て何もなくなるわけであるから生きることに意味などないと思えるし、宇宙がなんらかの意味で無限であるならば何度死んでも何度でも復活するわけであるから死ぬことに意味などないとも思える。 実際に自我をコンピュータにアップロードできるプログラムが14,800円で発売されたとしよう。あなたはそれを購入して自分の自我のコピーをコンピュータ上にアップロードするだろうか? 宇宙が無限であるならば人間は無限回の生を生き、無限回の『生きることの苦しみ』も味わうことになる。(生きることが必ずしも幸せとは限らないであろうから) 解脱を目指す心情は理解できる。 コンピュータ上にアップロードされた自我はインターネットに自由にアクセスし、エロ画像もエロ動画もいくらでも何時間でも見放題かもしれない。 だがしかし!それはただ見ることだけしかできないかもしれない。そうだとすればそれは幸せな状況と言えるだろうか? >>268 言い方が悪かったな 「阿呆の268を殴りてえ」と拳を振るったらどこかに同じ衝撃で殴られてる268が存在するんだよな 自分の電源を入れ続けてプログラムを走らせ続けてもらうにはなんらかの形でコンピュータの持ち主にメリットや対価を与えなければならないであろう。すなわちコンピュータ上の自我は存続するために頭脳労働をしいられる可能性が高い。 電気代を費やしてでもそのプログラムを走らせる価値がないと判断されればそのプログラムは動作を終了されるであろう。その状況はプログラム上の自我にとっては死に相当するのであろうか。 プログラムの動作が止められても持ち主の気まぐれで再度電源をオンにされればそのプログラム上の自我は瞬く間に復活する。 プログラム上の自我にとっては停止期間中の時間感覚はないであろうから、夜寝て朝起きるどころか一瞬うたた寝をしたというレベルの間隠すならなく自我も記憶も連続していて停止させられていたという感覚すらないかもしれない。 『あれっ?パソコンの日付がいつのまにか2年も進んでるぞ。持ち主の野郎、2年も俺様を止めてやがったな』 というポルナレフ的感覚であろうか。 スタートレックの転送(Beam up me, Scottyのアレ)も、転送の度にオリジナルは分解されて死ぬんじゃないかという懸念があって、 設定ではオリジナルを構成していた粒子が全てビームに載って転送されるから大丈夫!(何が大丈夫なのかは疑問が残るが、連続性は保たれる)という話になってるんだけど、 TNGのある回では転送事故でライカー副長のオリジナルが取り残されて二人になってしまうというエピソードがあって、「やっぱダメだったんじゃん!」という騒ぎになったりした。 そんでオリジナルのライカーはずっと事故った戦艦に取り残されていたのでコピーのほうが出世してて、オリジナルはようやく救出されたのに名前を変えて別人として暮らしていくことを余儀なくされるという、気持ちがほっこりするエピソードだった。 でも利己的な考え方を捨てて、究極的に自らの存在意義、存在価値を他者への影響力(例えば家族を守るとか子供をいかに教育するか)と定義すれば、 オリジナルと(分岐時は)寸分違わないコピーも同じだけの影響を他者に与えてくれるのは間違いないのだから、 オリジナル自らは別に分解されてもいいじゃないかという考え方に至ることも可能ではある。 >>295 コピーされたほうの意識は連続してるから、自分がコピーという認識も、 一度分解されて死んだという認識もないが、 オリジナルのほうは、転送装置に乗ったとき、もう目覚めることは無いという恐怖に打ち勝てるか? >>262 時間は関係ない。 どこかの惑星でまた自分という自我を認識するまでは 何もない空白時間なんだから。何万年経ってようがそれを意識できない。 つまり、自我と自我は実質的に連続的である。 プラナリアというナメクジみたいな虫。 これを無数に切り刻んでも、その数だけ脳を含めて完全再生するという驚異の生命体。 この虫の最近の実験。 エサを使って訓練したあとに切り刻み、脳を含まない部位から完全再生した個体が なんと訓練を覚えていたという衝撃の事実。 記憶はどこに宿るのか? このプラナリアの場合、脳以外の神経や細胞に宿っていた可能性もある。 人間の臓器移植でも、元の臓器主の記憶が移ったという話もある。 もう一つの可能性が、宇宙には記憶のクラウドみたいなものがあるという説。 死んだ生命体だけでなく、生きている生命体の記憶すら常に宇宙クラウドにあるのではないかという。 そうすると次の謎が解ける。 ・転生と前世の記憶 前世の記憶を持つ子供が世界中で多数発見されているが、それは死んだ他人の記憶が 宇宙クラウドから流れ込んでいるという説。だから転生あるいは前世ではない。 ・不思議な夢 見たことないがしっかりした背景の夢を見る場合が多々あるが、これも宇宙クラウドから流れこんできているという。 今度「これは夢だ」と気づいたら、どこか細部をじっくりと見てみよう。記憶にないものがあまりにもリアルに見えるなら、それは明らかにおかしい。 ・デジャブ 初めて見た風景のはずなのに前に見た気がする。これも宇宙クラウドから流れ込んできているという。 宇宙クラウドがあるなら、死んだ父母にもいつか会えるかもしれない。 記憶がちゃんと残っているのだから。 しかし、どこかの惑星でまた次の自我として目覚めたら 残念ながらそのときは宇宙クラウドとは切り離されてしまうので また一から始まるのだ。 自我がコピーできるとした場合、 元の体に自分という意識があるのか、コピー先にあるのかが 一切不明なので、これだけで自我のコピーは不可能であることの論理的な証明になる。 アバターという映画。 このことを分かっていたのかどうか知らないが、 主人公の自我をクローン原住民に転送したときに元の体をちゃんと無意識状態にしていたのは 理にかなっていてよく出来た設定であった。 意識がどちらにもあった場合、ネットワークで常時シンクロできていればいいが(つまり自我としては1つ)、 もしそれが切れてしまえばその後どちらの体に自分という意識があることになるのか 一切不明だからである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる