【統計学】高校数学での統計学必修化は間違っている まったく異なる原理を持つ「数学」と「統計学」[03/05]
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2022年度から施行される新指導要領の案が公開され、高校の数学教育に携わる人々に激震が走っている。
最も衝撃的なのは、統計学が数学B(高校2年、理文共通)において事実上必修化され、
その割を食ってベクトルが数学C(高校3年、理系のみ)にはね飛ばされる、という変更点だ。
数学Bで必修化される統計学とは、「仮説検定」や「区間推定」などの「統計的推定」と呼ばれる方法論である。
これは小学校や中学校の統計の授業では学ばない、統計学の核心といって良い部分だ。
これまで普通は大学に入ってから学ぶものだった。
これについて、批判点は二つある。第一は、ベクトルが理系のみの学習で良いのか、という点。
第二は、統計学を数学で必修化するのは正しいか、という点。
筆者の意見では、第二の点は大問題であり、その意味で第一の点にも批判的とならざるを得ない。
■数学は「演繹的」、統計学は「帰納的」
ベクトルというのは、2次元や3次元の数を扱う代数の方法論だ。
確かに、経済学でもベクトルは必須の道具であるから、文系も学習したほうがいいという意見には同意できる。
しかし、ベクトルの計算自体は、そんなに難しいものではなく、
大学生になってから教わっても障壁が大きいわけではない。
むしろ、文系の高校生が数学という抽象的分野の中で教わるより、大学の経済学において、
経済現象という具体的なモデルをもって教わるほうがイメージよく理解できるように思える。
だから、文系にとってもっと有益な分野があるなら、ベクトルを排除しても仕方ないが、
統計学にはその価値はない。なぜなら、統計学は決して数学ではないからだ。
数学は「演繹(えんえき)的」な理論である。
これは、仮定から結論を、数理論理(「かつ」「または」「ならば」「でない」「すべて」「存在する」から展開される論理)だけで導く学問である。
だから、数学で証明された法則(定理)は常に正しい(真である)。
たとえ話で言えば、「すべてのカラスは黒い」を前提として、「だから、このカラスは黒い」を導くのが「演繹」である。
かたや、統計学は「帰納的」な理論である。
これは、観測された現象から「たぶんこうだろう」という推論を導く技術だ。
言い換えると、経験的な推論を行う理論である。
カラスのたとえで言えば、「これまで見たカラスは黒かった」を前提として、
「だからきっと、カラスというのはみんな黒いのだろう」という推論を行うのが「帰納」である。
したがって、統計学の結論では間違い(偽であること)が必然的に起きる。
このように数学と統計学は全く異なる性質の論理なのである。
続きはソースで
関連ソース画像
http://img.chess443.net/S2010/upload/2018022700003_1.jpg
WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト
http://webronza.asahi.com/science/articles/2018022700003.html/ >>359
だから分析しやすいの。
ポイントの加算方法の勘どころを知っておけば汎用的に分析も出来る。
例えばEXCELだけで延々手作りの分析ロジックをソラで書いてやってきた人には良い道具だよ。 いまいまの使いどころの話と、数学的な純粋性の話を並べる人は、そもそもものを考えてないんじゃないかと思う。 暗記科目になるだけだな。卒業半年で全て忘れるだろう。 >>364
ガッコで、お勉強するだけが数学なのかな?
大学や社会で使う技術は違うよね? そりゃそうだわな
統計学はどのようにすれば有意な統計がとれるかからスタートして
得た統計の数字から何をどう抽出していくかという「判断」の学問だから
数学一般とは確かに違う
統計はいわゆる「応用数学」なんだよ 理屈を教科書の文書で学んで、例題をこなし、自分なりの応用をするのが日本の義務教育の定例会だよね。
それが出来ない人がなんで上から目線で一分野の学を批評してるの? なんでどっちかなんだ?両方やらせればいいじゃないか。 言葉遊びが大好きだよなアカヒ
紛らわしいってなら教科名を変えればええだけやし
数学と統計学が似てようが異なろうが
必要な学問には違いないのだから 統計学なら、其れこそトランプをシャッフルして任意の枚数引いて、その合計が期待値とどれだけぶれるかを実験的に学べば良いのでは無かろうか。 確率が一様分布であると思い込むのが教授クラスまでミスリードしている時点で
統計学の負の面が故意に情報操作する道具になっている。
>>364
そうとは限らんよ、
進路次第で役に立つ場合はある。
だから俺は、必須ではなく選択にすればいいと思ってる。
二次方程式の解の公式だって、
文系なら卒業したら忘れちまうし、それで全然構わんと思う。
>>1は文系にもベクトルを無差別に?ご冗談でしょw
>>304
>もしかして統計学を真面目にやろうとしたら実はベクトルが
行列できないと駄目 共分散すら扱えないからなぁ
必然的に多変数は扱えなくなる >>1
朝日新聞なんてこんな駄文を平気で載せる程度の知的レベル ゆとりを作って、
日本を滅ぼすのが新聞のやくめ。
邪魔をするな。 勉強せんと自分らが受けた模試で出てくる偏差値の意味も分からんぞ 宝くじの当たる確率は、無視していい確率
買うのが馬鹿らしくなるよ >>380
でも1枚だけ売れてそれが1等だったらどうするのかな? 微分っていったい何なんだよ。接線の傾きってけっきょく何を表しているんだ? >>382
グラフってあるじゃん。
方程式を使って座標を割り当てて平面上にXがいくつのときの答えをYの座標に書き込んでいくやつ。
微分は、任意のXのときのYの変化率を求めるための方法だよ。
例えば、〇 という円形の図形があるとして、右上だったら右下がりのカーブになっている。右下なら
右上がり、左上は右上がり、左下は右下がりとなる。これは図形の形状解析をするときにも使えるし、
時系列に何かの変化率を表したグラフなら、ここは上がってる、下がってる変化なしってのが判る。
これを使うと、現実的なところだと、グラフを解析してその先の傾向を調べることができる。すなわち、
この記事で書いてある統計予測にも使えるわけ。
学術的なところだと、例えば通信の世界だと、電波や電気の波形でものを伝えるから、微分を利用
して正しく通信ができる条件を探ったり、新しい効率的なプロトコル(電波の通信方式)を開発できたり
する。そういう学問の積み重ねと、細かい部品作ってる素材や回路設計の技術の積み重ねでいまの
携帯は成り立ってるわけで。
ちなみに俺のチンコは右曲がりなんだけど、右曲がりだから性格悪いとかはないと思うよ。 大学の理系の教養課程で必修でやらされるのが、微分積分と線形代数学
大学の経済学部で経済学のための数学としてやらされるのも、微分積分と線形代数学
そして経済学部の上級レベルでさらに必要になるのが確率統計 >>382 変化率のことだよ
時間あたりの移動距離とか、距離当りのガソリン消費とか なんかわかる
入院したり授業殆ど聞かなくなったりで代数幾何は毎回赤点だったけど
確率統計だけはスラスラできてクラスで2位だったわ
いつも上位だった奴等が悪戦苦闘してるのが謎だった 変化率って言われても平均変化率という概念もあるからね。微分って結局なに? これ書いたやつ本物の馬鹿だな
日本の駄目さは統計学に基づいた合理的判断ができないことだぞ 統計ってセクシーなの?
ーーーーーーーー
GoogleのChief Economist である Hal Varian 氏が
2009年のNew York Times の記事で
「今後 10 年間で最もセクシーな仕事は統計学者である」と発表しました。
I keep saying that the sexy job in the next 10 years will be statisticians. And I’m not kidding.
今後 10 年間で最もセクシーな仕事は、統計学者であると常にみんなに広めている。冗談抜きでね…
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茂木健一郎
ベイズ推定って、なんでこんなに「セクシー」じゃないんだろう。量子統計はセクシーなんだけど。通常の統計的アプローチって、砂をかむような思いがする。
量子統計には、ダイナミクスの裏付けがある。ベイズ推定にはそれがない
ベイズ統計はセクシーじゃない。アホな理論や。統計で唯一セクシーなのは、量子統計や!
結局、統計的描像に、データ処理の方便以上の意味を見いだせないから、学会に来ても、ほとんどの人と話すことがないんだよな。
ベイズとか真顔でいうひとたちと、話すことは別にない。1997年から、本質的には何も変わっていない。
ベイズは単なる道具であり、物事の本質に関係ない!
認知神経科学まわりでもそうだが、ベイズや統計モデル一般は、本当につまらん。セクシーではない。
しかし、コンピュータの能力の発達とともに、とにかくがしがし書けば何かできるという思考停止がすっかり主流になった。リュックの言語分野でも同じらしい。
ところで、統計をどのように読むか、どのように解釈してはいけないのか、ということについて、
学校教育の中でもっと教えるべきなのでしょう。もっとも、そのような教育哲学の中にある健全な懐疑主義は、国が教科書の内容を「検定」するという世界観と整合的ではありません。
たとえある経験が統計的な意味では有意なものではなかったとしても、大切なのはその人がその経験をしたということである。
例えば予知夢は統計的に有意ではないが、予知夢を見たと信じた人の心はそれにとらわれ、変わる。つまりこれは個別性の問題である。統計は個別性は扱えない。
ディープ・ラーニングを含め、統計的な学習則は、便利だが空虚な洞窟だと私は考える。 >>389
茂木なんて馬鹿にそんなに文字使うのが無駄 中学受験の算数は図形問題と文章題
図形問題 幾何学の資質
文章題 数的処理や統計学の資質
理系の数学ができるというタイプは、空間認識能力が高くて図形問題はスラスラできて
勉強時間が少なくて済んだというのが多く、余った時間を文章題の繰り返し演習に多く
費やして文章題に対応して中学受験クリアというタイプは統計のほうには対応しにくい
中学受験の時に図形問題よりも文章題のほうが好きで得意で繰り返し勉強しなくても
スラスラできていったというタイプが統計向き 「数学的帰納法」という間違った用語を訂正すべきってこと? @2004年11月にに近畿財務局が、兵庫県伊丹市の不動産会社に売却した約2000uの国有地(金額不明)から売却後に地中からコンクリート片やヒ素などが確認された。
会社は契約を破棄し賠償を求めて提訴。国側が11年2月に約2100万円の損害賠償を支払った。
A2007年5月に近畿財務局が、滋賀県の不動産会社に約30億円で売却した大津市のJR湖西線唐崎駅前の土地(約3万u)から、環境基準を大幅に上る有害物質が検出された。
翌年11月に財務局は契約を破棄し、工事費などの賠償に応じたものの、賠償金額は明らかにしていない。
(西宮市と大津市の土地は今も売却できていない。)
B2010年3月に近畿財務局が豊中市に約14億2300万円で売却した土地(約9500u)からも廃棄物が見つかった。
国土交通省と内閣府から補助金計約14億円が出て、市は実質的に2300万円で買った。
その後のヒ素や鉛の土壌汚染も判明。近畿財務局側が土で覆う費用として約2300万円を支払う。これで実質0円で豊中市は土地を得たことになる。
C新関西国際空港株式会社が豊中市に7億7700万円で売却した給食センター用地(約7200ku)の土地からも、後になってアスベストなどを含む多数のガレキが埋まっていた。
見積もられた撤去費用14億3000万円。
D、近畿財務局が森友学園と最初にとりまとめた契約は
1.7年から10年めどに森友学園は時価約9億円で買い取る。
2.それまで賃料は2730万円/年。
なので、8770kuの土地を仮に最短7年として、
2730万円×7年+9億円=合計10億9110万円で収得することになる。
◇◇◇◇◇◇◇
で、@からDを比べると
@は売却価格が分からないので除外
AのJR湖西線唐崎駅前は、売値約1億円/u。坪当たりだと約3万3百円
B野田中央公園は、売値約14億98百万円/ku。坪当たりだと約45万4千円。
Cの給食センターは、売値約10万8千円/u。坪当たりだと約3万27百円
Dの森友学園は、売値約12万4千円/uの売値。坪当たり約3万75百円。
Bの全額値引きされる前の野田中央公園の坪当たり単価約45万4千円と、Dの森友学園の坪当たり単価約3万75百円だけを並べると、森友は10分の1以下の安値で、成る程『ソンタク』されているようにも見える。
しかし、Bの野田中央公園を外し、ACDだけで比べると、
JR湖西線唐崎駅前は坪当たり約3万3百円。
給食センターは坪当たり約3万27百円
森友学園は坪当たり約3万75百円。
大体三万円台だ!!
つまり、売れない国有地の相場は約三万円台。
なのに、野田中央公園だけが突出している!!
なんと12倍!!!
最初から地面の下に廃棄物が埋まっているのを知りながら、野田中央公園への約14億円補助金目当てで、わざとべらぼうに高い土地評価額を設定していたとも考えられるではないか!?
つまり、補助金不正受給はじめ、当時の民主党支援者らを含む何らかの大がかりな不正があったと考えられる。
マジックには例えば大袈裟な動きでもって右手に観衆の注意を引き付けて、その間に左手でタネを仕込む。
日本は米国によって焼夷弾や原爆という人道を無視した形で無差別に大量虐殺された。
その負い目のある米国は、東京裁判で南京大虐殺をでっち上げた。
そして中国は新疆ウイグルやチベット、自民族の法輪功の弾圧や天安門事件では大量に殺戮した負い目から未だに南京大虐殺を自国民に吹き込む。
韓国はベトナムでの殺戮やレイプへの批判をかわすためにも慰安婦をでっち上げる。
自分たちの犯罪を隠蔽するため、あろうことか自分たちの行いを、被害者のせいにする。
後ろめたいからだ。
衆議院予算委員会 足立議員 野田中央公園で検索 >>387
瞬間の変化率だな(納得しないだろうけど) 計算できる可能な範囲の自然数で成り立つ式が
全ての自然数で成り立つと推定することは帰納法じゃないの? 数学用語に限らないけどしばしば不適切な用語が定着してしまうと
変えるのが難しくなるってやつ。数学的帰納法とか有理数とか行列式とか、、 セクシーという文言を使うから批判されるのであって、魅惑的、という風に文章を
とらえれば意味が通じそうではある
量子統計は魅惑的ではある
宇宙の深層にせまるものだから
ベイズ統計は18世紀に発見のベイズの定理に由来する
これは証拠をもとに推論していく、いわばシャーロックホームズの推理の手法と
同じ
計算機のおかげで、これをビッグデータを元に、高速で行うことが可能となった
手法が魅惑的かといわれると、微妙ではあるが役に立つのは事実 ベイズ統計は経験則そのものというイメージ
茂木は経験則とか興味なさそうだもんな >>382
極限は想像上のもので現実には存在
しない 実は探偵シャーロックホームズやポアロの推論の手法は、現代科学の手法そのもの
現代科学とはデータを集め、データに基づき理論的に推論し、実験で確かめるのが普通のやり方
ベイズ推論は、ビッグデータに基づき人間に代わって推論しようとする新しい手法の基礎
いずれに人間ができないことを機械が推論す流ようになり人間を凌駕する
その力をわれわれはどう評価すべきだろう >>401
なんでそう思うの?
評価は人がつけるものだろ。
機械が人と同じ生活を体験するなら兎も角、そうじゃなきゃ人の評価を肩代わりすふことなんてないはずだよ。
機械に知性が宿る可能性があるのはそう。
でもベイズ推定からの話でどうということはない。
評価手法が人格に置き換わったら大変だよ。
ピタゴラス教団だってそこまで盲目的じゃない。
何を考えてそんなこと書いたのかな?
評価すべきはいまの君の視点だよ。 統計を理解する人が増えると新聞社の記事がいい加減なことバレるからな 統計を必修化したら入試問題つくるの大変そうだよね。
演繹的に解く問題は数3レベルになると思うし。 >>経済現象という具体的なモデル
これは誤り。
確率・統計・論理 は表裏一体で一般的な規則や解法を組み立てるもの。
経済という具体的な現象ありきの確率統計には論理の学習が完全になくなる。
いまは義務教育でも行列や集合扱うだろ。義務教育も否定すんのかよって話。
何故集合を学ぶのか、という話だ。集合がどこにも行きつかなくなる。 確率統計は必修にした方がいいよ
ガチャやって乱数が偏るとか言ってるアホ見ると頭が痛くなる 国営ギャンブルや宝くじはやるべきじゃないとは教えられない そもそも役立たずの童貞ばかり育てる数学がいらない
少子化も日本の技術が遅れてるのも理系のせいだからな 数1、基礎解析、代数幾何、微分積分とずっと5だった俺様が、唯一3だったのが確率統計だった。
>>406
あなたにとって義務教育は歴史を超越した普遍的な神か? >>412
神様のことは知らんけど、数学の体系は歴史問わず「ある」ものだと思うよ。
最初は数学の世界の中で、汎用的な規則を目指して作られた、n次元の幾何学や非ユークリッド幾何学なんかも後追いでいろんな学問の中に登場して、普遍的で応用が利くものとされている。
論理も統計も同じだよ。
義務教育は、学問の中で確立されたものを体系的に扱うんだから、繋がらない一部で閉じた理屈で終わるのはもったいない。
義務教育でやったことの応用を、選択でもいいから高校で広げられるようなカリキュラムがいいんじゃないのかな。 人の世で生きるなら数学なんかより文学でもやった方がマシ。 数学的帰納法という用語が間違っているとするなら、
なぜこんな間違った名前が作られ、数学の世界で定着してしまい、
誰も問題にしなくなってしまったのだろうか?
科学というのは誤りを訂正するから科学たりうるんじゃないだろうか? >>417
演繹も帰納も数学の一分野でもある論理学で応用と、有効な条件を扱っているよ。
帰納法も演繹も使い方によりけりであやまることもあるのは当たり前。
でも手放しで、数学のパターンの一つである「数学的帰納法」が誤りっていうことはない。 帰納(きのう、英: Induction、希: επαγωγ?(エパゴーゲー))とは、個別的・特殊的な事例から
一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法のこと。
演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない。
なお数学的帰納法・構造的帰納法・整礎帰納法・完全帰納法・累積帰納法・超限帰納法などの帰納法は、名前と違い帰納ではなく演繹である。
次々と命題の正しさが"伝播"されていき、任意の自然数に対して命題が証明されていく様子が帰納のように見えるためこのような名前がつけられたにすぎない。 「ランダム」を「恣意的」と訳すのは正しいのかって問題みたいに
ややこしい、わかりにくい、入門者泣かせの用語法になってしまっているね。 基本的な統計のトリックについて教えればいい。それは1時間もあれば充分。 モンティホール問題、
シンプソンのパラドクス
ペテルスブルクのパラドクス
擬似相関
擬似乱数
こういう系かな? モンティホール問題とか、それなりに受け入れ態勢が無い人が聞かされたら
完全拒絶モードになりかねないネタじゃないかと。 >>1
ベクトルがないと、物理できないだろ。
ベクトルなくすなんて愚の骨頂。
統計よりベクトルだろ。
まあ学校教育なんか何も期待してないけど。 >>425
そこは大した問題じゃない
ある程度の概念がわかってればいいわけだし。
今までもベクトルや微積未習の時点で物理の授業が始まってたし
化学でも電気陰性度のところで極性ベクトルが出てきたり
対数未習の時点でpH計算が出てきたりと
他科目の進度の関係で未習範囲が出てくるなんてざらにあった 統計学は物理学的な側面があるから
数値のとり方が結果をすごく変えてしまう
それは複雜系的な面である
数学はまだ素直な一面があって
結論的だけど逆に神秘性があって
人を惹き付ける力となっている 自然科学は全事象を観察・観測できるわけじゃないから
一部の具体的なサンプルから全体の法則を推理するんだよね?
サンプルで観察・観測されたことから得られた結果がその範囲で真でも、
それが自然の全事象に渡って絶対に真であるとはかぎらない。
自然の斉一性が最初っから保証されているのでもなければ。 ぶっちゃけ、大学の数が多すぎる。
要らねえんだよ、F欄とか。 氷河期世代より前は、
高校で「確率・統計」としてやってるけどな。 俺はベクトルの意味をずっと勘違いしていた
矢印の事だと思ってた >>431
歴史における近現代史と一緒で
多くの場合、最後の最後に出てくるから実際には軽視されてたんじゃね? >>424
実際に番組と同じシチュエーション
作ってやらせれば面白いんどけどな 株やFXやる人は統計学をやっておいたほうがいいような気もする >>434
試しにエクセルでシミュレーションしたら、
本当にその通りになって納得せざるを得なかった。 統計やるよりもっと早くからベクトルやったほうがいい
というか理系は線形代数をやれ
統計は要らんなあ モンティ・ホール問題は、理系においてさえ
その学の専門家がいかに信用ならないかを露呈させてくれた
社会科学的に極めて興味深い事件であった。 >>14 >>18 >>124 >>145
ベクトルって、2次元ベクトルや3次元ベクトルといった、
図形でしかないと思ってないか?
統計だって、コンピュータで大量のデータを処理するなら、
ベクトルや行列(複数のデータの並び)を駆使してるんだが。
図形としてのベクトルは減らしてもいいと思うが、
ベクトル自体をなくしたらいかん。
統計をちゃんと学ぶには、ベクトルも必要。
>>112 >>152 に同意。 確率は人間の直感が働きにくいっていう話やな
確率統計は間違いに気づきにくいから悪用されやすい >>329
そういう意味で要らないというなら、
因数分解より、置換積分じゃないかなあ。
因数分解は、割と単純なルールで応用がきくけど、
積分は結局いろんなパターンを暗記して解くしかない。
あれこそ、数値解でいいんじゃないの? あと、三角関数のいろんな公式も、
全部、試験問題と一緒に載せておけばいい。
数学の試験問題は、最後のページに公式集を載せればいい。 >>447
名大の入試では数学の試験のときに公式集が配布される >>445
直感もなにも、数学の専門的な訓練を受けた人々たけっこう間違えたんだよね。
中にはいくつかの業績で高名な数学者も含まれていた。 まあ、確率の基本は数え上げだからなぁ。
演繹でカバーする仕組みを入れたから数学っぽく扱ってもらえるだけで。
>>425
>>1は文系にやらせろと言わんばかりなんだが
統計学の認知はひどい、
たとえばアニメの人気投票だ、海外などで世界一人気(好み)なアニメは何か
それは人気ではなく「認知」=知っているという投票になっている。
KPOPが日本で宣伝ばかりして認知度を強引に上げた結果、認知度アップ=人気だと
摩り替えた技術にすぎない。
お前らは騙されている。
知らないものにどうやって投票するのか?
内容を知っている前提で投票しなければ、まったく知らないそれに投票されることはありえない。
統計学を上手に使い、好き、好きではないという2択で中間(わからない)設問を作らず、
好きではないがほとんどだから、嫌いだと誘導する技術のようなものだ。
統計学を安易に導入すると、それらの底辺となる認知分布が全て一様で全員しっているような
前提で統計を取ってそれが答えだと押し付けている、故意に誘導するマスゴミの数字操作にすぎない。
モンティ・ホール問題って知ってる?
俺は有名な問題と知らずに一目見て即答し間違えた。
凡人だったので。
答えを見て、間違ってると知った後で紙に書いて考えたらすぐ分かった。
凡人でも、凡人なりに頭はいいからな。
ところがその俺みたいな凡人を下回るバカなのに、
大先生と言われる人間が多数居た事に驚いた。
この問題はある番組で出題されたが、
ある女の天才が瞬時に正解を出した。
ところが、視聴していた大量の大先生とやらが、
まるで5chの低脳住人みたいに瞬時に正解した天才を批判し続けたらしい。
「違ってるぞバ〜カ」みたいにね。
そこまで言うなら多少は慎重になるだろ、ちょっと紙に書いて考えれば分かるんだから。
でもそれもせずにわめいた大先生が大量に居たのだった。
小島を大先生と呼ぶ者は少いと思うが、
小島はこの問題に対しどういう反応をするのだろう?したのだろう?
とふと思い浮かべた。
中学の時、将棋好きの仲間と話している時、こういう話が出た。
「囲碁は有限の組み合わせしかないが将棋は無限だ。」
しばらく考えて俺は「いや、有限だ、勝負がつくかいつか千日手になる。」
するとそこに居た仲間は全員俺をアホバカみたいに。
心の中では俺がこいつらを全員バカにしていたがw
>>380
宝くじはよく当たるよ、1割りを超える当選確率だ。
考えるべきは期待値だろ。大昔計算したら40%位だったな。
しかしあれはよくできている。
当選確率を上げ→よく当たる
最高賞金を上げ→高額当選する
しかも
前後賞→連番購入が有利(実際には違う)
10枚買う→必ず1枚当たる
っと巧みに心理を突いて連番での大量購入を誘う。
心理学だよなw
宝くじの事を考えたら、
ふと、サンクトペテルブルクのパラドックスを思い出した。
この問題を見た時、
単純に期待値だけで判断してはいけないということがよく分かり記憶に残っている
あるゲインができる確率も加味して判断しなければいけないということ。
その後これが役立ったことは無いが感心した思い出としてずっと憶えている。
そういや、あと、レニングラードをサンクトペテルブルクに戻した時にも思い出したな。
自然現象の探索も帰納的なんだけどなぁ
帰納的=要らないもの ってわけじゃないんだよなぁ
>>53
シュワルツは高校のどっかで積分形が出て来て暗記させられた。
バカみたいなカリキュラムだ。
ベクトルを教えて次に直交関数系やフーリエを教えてからだろあんなもん。
入門書と統計ソフトで訳もわからずに、
検定してたな。
データ型と目的のフローに沿って
手法選んでポチっとな。
こんなんで生物学科卒業してしまった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています