【哲学】哲学者ミシェル・フーコー「性の歴史」最終巻、ついに出版へ 死後34年[02/07]
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【2月7日 AFP】
今年で死後34年を迎えるフランスの哲学者ミシェル・フーコー(Michel Foucault)が著した
「性の歴史(The History of Sexuality)」シリーズのうち、
未発表だった第4巻「肉体の告白(Confessions of the Flesh)」が今月9日、ついに出版される。
未完のまま残されていた同著では、「同意」をめぐる繊細な問題についても論じられており、
遺著管理者らはフーコーの考えを世に出す機が熟したと判断。
仏出版社ガリマール(Gallimard)から出版される運びとなった。
編集者のフレデリック・グロ(Frederic Gros)氏は、セクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)を告発する
「#MeToo(私も)」運動の高まりを受け「この独創的な大作の出版にふさわしい時が訪れた」と説明した。
フーコーが同書の執筆を開始したのは1980年代初頭。
フーコーはこの時既にAIDS(エイズ、後天性免疫不全症候群)を発症しており、その後1984年6月に亡くなった。
同著ではまず始めに、アレクサンドリアの聖クレメンス(St Clement of Alexandria)や
ヒッポの聖アウグスティヌス(St Augustine of Hippo)といった初期キリスト教会の神学者らが
どのようにセクシュアリティー(性)を扱ってきたかを考察している。
フーコーは通説に反し、初期のキリスト教は異教徒以上に性に関して厳格ではなく、
むしろ異教徒の哲学者らと比べかなり寛大だったと指摘。
「これらの(抑圧的な)原理はどういうわけか異教徒の慣行からキリスト教の思想や慣行へと広がった」とつづっている。
グロ氏によると、フーコーは当初「性の歴史」を6巻に分けて出版するつもりだった。
だが発病により計画を変更。1984年の亡くなる数週間前に第2巻「快楽の活用(The Use of Pleasure)」、
第3巻「自己への配慮(The Care of The Self)」が出版された。(c)AFP
画像:仏哲学者のミシェル・フーコー
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/4/7/700x460/img_47f84fffad19402e6e548c8851a528ac144216.jpg
AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3161404 確か、快楽とかがダメで、ラテン系のイベリア半島で、胸を小さくするための挟んで締め付ける強制器具とか使ってなかったか?
あれはラテン系の人たちには厳しかったろうとは思う、具合悪く成るで >フーコーの考えを世に出す機が熟した
どういうことだろう?
遺稿の管理者は出版をあんなにも頑なに拒んでいたのに… >>1 哲学者の語る性の歴史って、読む気がしないし、関わりたくない。 >>8
ある意味羨ましいぞ 俺は六根清浄とは全く無縁だな 2(5)ch見すぎてクレメンスとかグロ氏ってワードが邪魔して記事よめない… なにこいつ写真めっちゃ偉そうなのにエロい事しか考えてないのか 『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 始めはなんでも寛容
メジャーになれば締め付けを厳しくし
従属させる洗脳状態に置く
どこでもよくあることだよね 『性の歴史』全三巻をとおしてみると、フーコーは性現象
を考察するための三つの極をつねに設定している。すなわ
ち、行為と快楽と欲望の三つである。…
古代ギリシャでは、性の行為とその統御が重視され、中
国では、性の快楽とその強化に関心が集中する。ところが
キリスト教では欲望とその根絶が企てられて、性の行為そ
のものはもっぱら子供作りのためのものであり、快楽は理
論上も実際上も無視される。そして現代では、主眼は
欲望とその達成に置かれ、行為はそれほど重要ではなく、
快楽が何かでさえも解らない状態である。 (「訳者あとがき」より)
フーコー性の歴史3 『自己への配慮』 Le Souci de soi 帯より
プラトンは法律によらない性の自己統御の例として運動選手を挙げている。
フーコーはそれに批判的に言及する。
「プラトンが言及するのは運動競技者の例であって、彼らは競技で勝利を収めたい欲求があるので、
厳しい禁欲の生活法に服して、練習中はずっと女にも若者にも近づかない。ところが欲望という
内面の敵にたいする勝利のほうが、競争相手にたいして収めることができる勝利よりはるかにす
ばらしい(『法律』840、岩波文庫p134)、というわけである。」(邦訳『快楽の活用』p212より)
ちなみに、あとがきで訳者がまとめていたフーコーの性のあり方をめぐった歴史観は以下のような
図式になるだろう。
ギリシア
(自己統御)
/\
/__\
キリスト教 中国
(禁欲) (快楽)
子作り
ギリシア
(行為、自己統御)
/\
キリスト教/ \中国
(禁欲) \ /(快楽)
\/
現代
(欲望○、行為△、快楽×) 《ブルジョア的意識にとっては、悪評(スキャンダル)ということがその意識の
至高権を行使する道具の一つとなる。》
フーコー『狂気の歴史』 邦訳469頁3:3,参考:464頁 基本的に取り締まるとダメ、ってのがフーコーの基本的な考え方だから、
取り締まるから訴えが増える、って流れかな? 哲学って科学?
本能や反射神経について解くなら科学だろうけど >>20
中国は快楽方面にはむしろ抹殺してただろう
性を否定はしていないが
日本とかが変態についてまとめてただけなような ざっくりフーコーの考え方いうと、権力ってのは禁止や抑圧して支配する王様や法王の専有特権と思われがちだけど、
実は寛容に巧妙に語らせたり行わせたりすることを観察し把握することで、対象を認識の網の中に取り込んでいく過程や動きそのものを権力として捉えてみましょう、という考え方。
フーコーはその肝として、書物や教会の懺悔室で語られた性をとらえて、権力の生成過程を歴史的に見ていこうとした、っていう感じ。 エイズのポジ種を哲学的に確信して撒いたというので極めて悪辣。 フーコーって、カルスタ系からは始祖あつかいだが、歴史学プロパー(とりわけ実証学派)からは、
全く評価されていない。
社会学系では評価高いのだが、ルーマンは全く評価していない。ルーマン最晩年の、
末期癌で死を意識して、遠慮がなくなった時の仏誌インタビューでは、資料の引用がでたらめすぎて、
評価のしようがない、とまで言っている。
フーコーの「引用」には問題がある、というのが現在の評価の主流。 国民の下半身を問題視し、一望監視的ネットワークに絡みとる。
人々に下半身を告発させるゲームのはじまりはじまり。 >「これらの(抑圧的な)原理はどういうわけか異教徒の慣行からキリスト教の思想や慣行へと広がった」とつづっている。
これはパウロが悪い。 エマニュエルトッドとかフランスはこの手の社会学方面は強いんだね。
成熟してんだね色んな意味で。 性関連は地味に百科事典が詳しかったりする
中世のまぐわい方とか真面目に分析してたり フーコーか。
ゲイでSM趣味があった。
スキンヘッドでボンテージを着こなした。
ゲイセックスが原因のエイズで死んだ。
彼の性的嗜好やそれに対する社会の抑圧は彼の哲学に影響してる。 何時翻訳がでるんだろ。
やっぱりみすず書房かな。
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