【歴史学】歴史における「天下統一」とは何を指しているのか?
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昨今、歴史の教科書からの用語の削減が話題となっています。
報じられたリストには、「上杉謙信」や「武田信玄」などの戦国武将の名前もありました。
人物や出来事を多く知ることはまぎれもなく歴史学習の基盤ですが、
用語がどんな意味や背景・つながりを持つのかへの理解も重要。短い授業時間でこれらを両立しなければなりません。
単語の数が減るとして、「代わりにどんな文章や図表を充実させるのか」
「結局大学入試では難しい単語が問われるじゃないか」など、教科書1冊でもさまざまな方面に問題があります。
より広い目線での議論が必要といえるでしょう。
さて、そんな歴史の授業で習うことの中に「天下統一」があります。
「豊臣秀吉は天下統一を成し遂げた」とよく言いますが、そもそも「天下統一」とは何を指すのでしょうか?
「日本全国を平定した」とするなら、同じように全国を平定し、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、
なぜ「天下を統一した」と言われないのでしょうか。
誰でも知っている「天下統一」という単語にも、膨大な背景や考え方があります。
一体何をすれば「天下統一」となるのか。今回はその一部をご紹介します。
1. 統一ってどういうこと?
単純化のため、「天下」が「当時の日本全国」を指すことは前提としておきます。すると、残る問題は「統一」です。
まずは「統一」を辞書で引くと、以下の項目が見つかりました。
『とういつ【統一】 (引用元:大辞林 第三版)
・(1)多くのものを一定の組織あるものにまとめあげること。また、そのまとまり。
「全体の意見を−する」 「色調の−をはかる」 「 −を欠く」
・(2)分立していたものを、1つにまとめ支配すること。 「天下を−する」』
(2)にちょうど「天下を統一する」という例文があります。
これに従えば、単にまとめるだけでなく、「支配」できなければならないわけです。
さらに「支配」を引いてみましょう。
『しはい【支配】 (引用元:大辞林 第三版)
・一 (1)ある地域・組織を自分の勢力下に置き、治めること。 「近隣諸国を−した」
「系列会社を−する」 「 −者」
・(2)あるものの意志・命令・運動などが、他の人間や物事を規定し束縛すること。
「運命を−する」 「感情に−される」 「機械に−される」
・二 仕事の配分をしたり、部下を監督し、指図して仕事をさせること。
「宇治のおとど、成佐が弟子どもに−して、一日に三尺地蔵菩薩の像を図絵し/著聞 13」 〔 二 が原義〕』
日本全国というのは「ある地域」といえますから、一の(1)が今探している「支配」に該当しそうです。
「勢力とは」と掘り下げることもできますが、ひとまず「自分より下の立場に置く」とニュアンスで理解しておき、
ここまで紹介した辞書の言葉を合体すると、天下統一とは「分立していた日本全国を、1つにまとめ、
勢力下に置き治めること」となります。
しかし最初に書いたように、鎌倉幕府も全国の武家を支配下に置きました。
それが「天下統一」と呼ばれないのは、なぜでしょうか?
ここで紹介する1つの考え方は、秀吉による「天下統一」は、
武家・公家・寺社の3つの勢力全てを支配した点が特徴的だというものです。
一般に教科書に書かれる天下統一は、1590年に全ての武将を従えたことによる全国統一を指しています。
しかし、秀吉は各地の戦国武将の征伐と同時並行的に、従えた戦国武将が影響を及ぼす地域の公家や寺社勢力にも、
次に紹介するようなさまざまな支配政策を実施していました。
続きはソースで
関連ソース画像
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1712/20/qk_tenka-1.jpg
http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1712/20/qk_tenka-2.jpg
関連スレ
【日本史】歴史の教科書から「坂本龍馬」が消える? 東大教授に聞く「歴史にロマンはいらない?」
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1510771520/
ねとらぼ
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1712/20/news009.htm >>6
歴史的に見ると、通貨発行権はさほど重要ではない
こと日本で。外圧で流通する外貨や銀貨の方が多いんじゃないか? >>1
ラーメンチェーン店を全都道府県に出店することだろ >武家・公家・寺社の3つの勢力全てを支配した点
↑だというなら、もっと前に、天皇が統一していたことになるのだが。 >>10
>信長の野望に対抗してできた
>初期だけ神だったゲーム
真田昌幸をきつつき戦法に回した時の成功確率は最高! >まずは「統一」を辞書で引くと、
この記事より夏休みの自由研究の方がまし 辞書のくだりがうざい
全国が群雄割拠の状態から統一したからじゃん
鎌倉は源平合戦だろ 秀吉も関白になったぐらいだから天皇の由来も知ってたでしょ。朝鮮出兵もやったぐらい
だから三韓征伐の知識もあったんじゃね。とすれば天下という意味も国譲りも理解してた
と思うけどな。まあ日本に統一されたのは秀吉からだと思うぞ。 長らく続いた永田町の私利私欲、民を苦しめる群雄割拠の乱、その不安定な政治を野望をもって復活した安倍晋三が平定 やがて全国統一を果たした
安倍将軍誕生までの戦国バージョン >>8
初めて食った時は店員が割りスープを忘れたのかと思った 武士ってのがただの警察権力だったころの平安末期は
警視庁と茨城県警と千葉県警が衝突したり
千葉県警の長官が新皇を名乗ったりとか
神奈川県警が関東に各県警の頭領になって
関西の警察権力と衝突したり程度だったが
室町以降の警察が警察権力以外のちからも握りだして県知事が空位だったり
有名無実化して行政が空中分解した日本を再び統一したのじゃ意味が違う 難しい問題だな
秀吉以前も各地の有力者は朝廷の権威を認めていたわけで
既に日本は朝廷のもとに統一されていたわけだから
国体が分裂していたのは南北朝時代くらいだろう >武家・公家・寺社の3つの勢力全てを支配した点が特徴的だというものです。
これは隘路逃れの論理として秀逸だ。 鎌倉幕府は執権に簒奪されたし、足利幕府も衰退しすぎだったなぁ。 政権の樹立。
中央政権の意志を全国の及ぼす。
収税、法律、戦時動員、新政策…。
その力だと思います! 中央集権国家として中央政府の政策に地方が逆らえない状態になることだろ。
それ以前の鎌倉幕府や室町幕府は地方を支配していないなんちゃって政府だから。 そもそも「天下」の範囲ってどこまでだ?
中国・朝鮮はおろか、スペイン、ポルトガル制圧なんて夢のまた夢なのに
「天下」とかおこがましいぞ。日本統一とか国内統一って呼ぶなら別だが・・ 人間にとって認知できる範囲が全て
観測可能宇宙と一緒でしょ
島国の日本人にとって日本列島が全てだったということ 判官贔屓という言葉すら知らないバカが歴史を得意げに語る様ほど見ていて笑える物はないな >>28
天の治むるところ、すなわち天皇の威光の及ぶ(べき)範囲だね
つまりもとを正すと、イザナミがなんかぐちゃぐちゃかき混ぜて作ったところ マジどうでもええわ。
羽柴秀吉は比較的低い身分から身を起こして天下統一したから、
出世物語の終着点としての「天下統一」が強調されとるだけやろ。 日本の戦国時代が無かったら、それこそ世界はピンク人連中の天下だっただろうw
シャムに山田長政が行くことも無かったしな >>36
いや大義が違う
織田があるいは豊臣伸して来た時、既にバラバラの状態であって、バラバラにしたのは彼らではない
だから天下統一が大義足りえる
頼朝は源平の勢力争いの当事者であって、どっちが勝つかだけの問題だ
極論「お前が戦わなければ統一されるよ」という言い方もできる
だから天下統一を大義にはできない、悪を倒せと平家打倒を大義にするのである
(戦国時代は、信長が、秀吉が死んだところで天下は統一されない)
足利も同じ
自分で火をつけてひっくり返しただけ
自分で火をつけた奴が「天下統一」を大義に出来るわけがない >>28
「天下」を日本限定にしないと「天下一」が日本統合のキーワードとして働かない。
豊臣政権下で「天下一」を決める催しが業種ごとに行われていて、「何でも天下一は偉い!」
という価値観の流布があった。
これも日本統合した者の仕事。戦の世を終わらせる手続き。 >>18
確かに織豊期には「天下一統」という言葉だった
大河ドラマ「真田丸」では正しく使われていた 北海道は含まれません。
誰が住んでいたんだろうねw >>38
源頼朝の場合は関東武士団ルールによる統治の象徴君主と言った方が適当では?
平家は従来の荘園システムに乗っかった公家統治の変態過程だし、奥州藤原氏という独立勢力?も駆逐しているし。
承久の乱までは鎌倉政権も安定度不足な訳で、1185年だけに焦点当てるのはどうも好かんわ。
足利政権に到っては南北朝やら内部抗争連続だし、法華一向宗という新興仏教勢力が伸びたりだから、統一政権と言うには脆弱すぎる。
朝廷-公家に寺社勢力の完全制圧を目論んだ点で日本史上織豊政権が別扱いすべきなのは妥当だと思うわ。
無論統治システムを確立した徳川政権が優秀である事ももっと言及されるべき。
せめて日本史は政治経済文化の三カテゴリで別々の年表組まないと、いつまで経っても暗記科目でしかないわな。 秀吉は天下統一していない、ということにしたいのかな・・ >>45
日本の史学研究に経済入れたら今の歴史学者さんたちは
駆逐されるしか無いのよ。
考古学に科学をいれて色々ひっくり返ったのと同じよ
うに,史学に計量指標を入れたら好き勝手なことが言え
なくなる。
「しかし,彼の心のなかでは」「本心では」などと身
勝手忖度で延命図る史学者ばかりになる。 天下とは天が覆ってる下、天とは万物の神
つまり神が見守る日本のみが天下ということ >>10
デザイナーがボードSLG関係者だったからな
ボードSLG「戦国大名」のPC版って所だった >>1
天下統一 とは、 自ら 天上びと となることを言う。
天下統一とは、 天上と 天下と 両方を支配下 におさめることを言う。
すなわち、 秀吉自身が 神となることを言う
まさに、 カルト の世界だね
秀吉は、 カルトの 教祖と いったところだ、
これが、 「天下統一」 な、
戦国時代というのは本当にバラバラだったからなあ。統一という言葉がしっくりくる。
源平の戦いは二つの勢力が争って一方を滅亡させたわけだから統一ではない。 >>5
鎌倉幕府は頼朝を錦の御旗にはしたが、どちらかといえば東の農本主義の平家政権 >>45
信長の、政教分離は世界史上に稀に見る偉業だしね 全ての勢力を従わせて、戦争をする事を禁じたなら、天下統一だろ
なんで今さら訳わからん事を言うのか? 記者は小学生か? >>13
そうだよ
ていうか、朝廷の支配の及ぶ範囲が日本 カオス状態が解消されるからだろう。
諸藩・各大名を粒子と考えればよい。 >>67
平安末期はそこまで混沌とした時代ではなかったんだが
無政府というよりは勢力分離による勢力争いに過ぎない
当時の戦争はある種の儀式的なもので統治機能が失われていた訳ではない
その後、鎌倉時代になって結局公家勢力と武家勢力が並立するという状況になった
本格的に無政府状態になったのは室町時代末期 ×全国に地頭を置く
○東日本に地頭を置く。
源頼朝は東日本にしか支配下を置けなかった。
全国を支配下に置いたのは承久の乱からかもしれませんね。 世界征服したら天下統一。モンゴル帝国ですらそれを成し得ていない。 室町あたりはちょっと前だから資料がたくさん残ってて、戦国時代をリアルに感じたため、注目が集まり、天下統一という言葉がしっくり来たんじゃない?
征夷大将軍は皆天下統一者でいいと思うよ。 >>78
は?坂上田村麻呂らも含むんかね?
そして、信長と秀吉は除外か?
さらには考えようによっては木曽義仲やら徳川綱重まで含まれるぞ! 源頼朝政権は何が革新的かといえば
朝廷の支配から離れた政権を樹立したことにあるんだよ
平氏から源氏に実権が移っただけでは単に平安時代がそのまま続いて朝廷ボディガード止まりの評価
義経は何をトチ狂ったのか源家政権樹立目前にして朝廷に寝返ったクソ野郎 >>50
数字で見たら甲斐の虎(笑)なんかド田舎のクソザコナメクジになっちまうからなあ
肥沃で交通の便がよく人口も多い東海を制した織豊が天下取りへ一番乗りしたのは当たり前に見えてしまう 土人!
改憲だ改憲だいってるそれは、全部が違法だ。憲法97条に書いてあるように、
世界の人類には、ありえないことだから。
□ 【日本国憲法第九十七条】 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、
□ 人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、
□ これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、
□ 侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
日本政府には、憲法99条にしたがって、日本国民の権利を擁護する義務があり
日本政府には外敵と戦う義務がある。安倍や自民党らの改憲は、この日本国憲法に
従わず、自らの義務を放棄している。きわめて反日だ。
□ 【日本国憲法第九十九条】 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、
□ 裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
憲法99条からいっても、安倍や日本の議会が言ってる改憲をすると
日本国民の権利が弱められ、日本政府には外的と戦う根拠が消滅する
ことになるが。
アメリカ軍は国民の自由のために戦う。日本の自衛隊は、いったい何のために
戦うのだ。改憲では、自衛隊員は永久に戦えない。
間違えるな。
アメリカの白人が、アメリカ合衆国憲法を制定した。
アメリカ合衆国憲法と日本国憲法は、同一だ。
護憲派=保守派
護憲派=共和党
国民の自由や人権を保守することを、保守主義という。
https://www.youtube.com/watch?v=t39QLfL4pu4
https://www.youtube.com/watch?v=4K1q9Ntcr5g
日本人は、日本語も読めない。
□ 【日本国憲法第九条】 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を
□ 誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
□ 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
□ 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
□ 国の交戦権は、これを認めない。
読んでわからないのか憲法9条に書いてあることは『紛争を解決する手段としては戦争を放棄する』
『9条2項、前項の目的を達するために、すなわち紛争については平和に解決するために、
紛争中の戦力や交戦権は認めない』ということだけだ。紛争という日本語は平和的に解決する
余地がまだ残っている状態を意味し、平和的に解決できる余地が無くなっていたら
それは戦争という日本語になる。9条は紛争状態だけについて書いてあるが。
首相等が言っている9条に自衛隊のことを書き込むということは、日本国は紛争中に
戦争を仕掛ける危険国だという意味になる。これでは、日本は戦争を始める根拠も消滅し、
日本に核ミサイルを打ち込まれる原因となる。 私たちは今日ここに、天下を取りに来ました。でもそれは、アイドル界の天下でもなく、芸能界の天下でもありません。 >>65
信長は別に政教分離なんてたいそうなことやってないよ
比叡山焼き討ちはそこまでの規模でもなかったようだし、過去に細川政元もやってる
一向衆との抗争も、全国のいろんな大名がやっていることで、
信長の場合は、飛躍的に勢力拡大に成功したので、抗争の規模も巨大化したということ
要するに宗教団体と利害関係が衝突しただけの話
長島の一向一揆との戦いが激しかったのは、
信長にとって勢力の基盤だった濃尾という肥沃な二国の安定が脅かされるので、
絶対に妥協できなかったからだろう
そもそも政教分離って西洋的な考えで、中世の日本に当てはめるのも無理がある 最初の全国に影響を及ぼす武家政権である鎌倉幕府は関東政権の性格が強く、西日本への影響は限定的だった。
歴史よく知らない人は武家政権を一緒にする傾向があるけど、実際のところ、頼朝は朝廷とは独立した武家の自治政権を
関東に作るだけのつもりだったんだろう。要は征夷大将軍の拡大解釈程度だった。朝廷にはにらみを効かせるが、過度に
介入はしないし、近畿地方はその後もずっと朝廷の影響下だった。それが足利の時代辺りになると、徐々に全国政権の
性格を持ち、織豊、徳川辺りで武力だけではなく政治経済まで武士が担うようになった、というのが実際のところ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています