【歴史】新説:クレオパトラの没落と火山噴火の意外な関係
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2300年前、アレクサンドリアの町をエウクレイデスとアルキメデスが散策し、
クレオパトラの一族が王座に君臨していた頃、エジプトでは暴動や領土をめぐる争いが絶えなかった。
当時、エジプトを支配していたプトレマイオス朝は、マケドニア人を祖先とするギリシャ系王朝だったため、
民族的緊張が度重なる暴動の一因だったともいわれている。クレオパトラは、そのプトレマイオス朝の最後のファラオであった。
だが、科学誌「Nature Communications」に10月17日付で発表された新たな論文は、
エジプトの騒乱にはもうひとつ別の、意外な要素が働いていたのではないかとしている。
歴史家、統計学者、気候科学者というちょっと変わった組み合わせの研究チームによると、
その要素とは、エジプトから遠く離れた火山の噴火が引き起こした「水文気候学的ショック」なるものであるという。
「実際に歴史を動かすのは、王や皇帝、法王などの偉大な指導者の決断であるという考えがありますが、
この論文によれば、環境の影響も見過ごすことはできないということです」。
論文の共著者で、アイルランドのダブリンにあるトリニティ・カレッジの気候歴史学者フランシス・ルドロー氏はそう語る。
エジプトはナイルの賜物
19世紀後半にナイル川に最初のダムが建設されるまで、エジプトの農業は毎年やってくるモンスーンの雨だけに頼りきっていた。
エチオピア高原に夏の大雨が降ることで、ナイル川の下流に肥沃な土が運ばれ、小麦やその他の農作物を育てるための土地を整えてくれた。
ナイルの氾濫は古代エジプト人にとっては極めて重要な自然現象であり、西暦622年から正確にその記録がつけられてきた。
ルドロー氏の研究チームは、そのナイル川の氾濫がなかった年と、火山の噴火に関連性があることに気づいた。
グリーンランドや南極で採取された氷床コアには、噴火による落下物が含まれていることから、噴火の年代が特定できる。
研究チームの気候モデルを分析すると、噴火によってできた硫黄ガスの雲は、太陽光を宇宙へ跳ね返して地球を冷やすだけでなく、
熱帯モンスーンによる降雨量を時には数年間にわたって減少させていたことがわかる。
紀元前305年からクレオパトラが死んだ紀元前30年まで続いたプトレマイオス朝時代には、まだ体系的な洪水の記録はつけられていなかったが、
古代エジプトの中でも最も豊富に文字記録が残されている時期でもある。王の勅令が刻まれたロゼッタストーンも、この時代のものだ。
また、パピルスに長々と書かれた文は、当時の戦争、暴動、土地移譲、家族同士の諍いなどを伝えている。
そして、これらの記録に記されていた騒乱が、氷床コアに記録が残っている火山の噴火と関係していることを、研究者らは発見した
ルドロー氏によると、この地域では「海岸から数キロ内陸へ入ると、そこはもうほとんどサハラ砂漠で、雨が降りません。
ですから川が十分に氾濫しないと、食糧が不足します。人々は土地を棄て、食べ物を求めて都市部へ移動します。
それが緊張を高め、暴動が起こります。これらは全て、記録をたどることができます」
続く)
ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/101900059/
続き) 続き)
噴火と暴動に相関性
この研究の発案者は、ルドロー氏と米エール大学の歴史学教授ジョー・マニング氏である。
登山家でありロッククライマーでもあるマニング氏は、古気候学に興味を持ち、歴史家や気候専門家を招いて内輪の懇親会を開くようになった。
ある晩、当時やはりエール大学に在籍していたルドロー氏とともに、ワイングラスを片手に火山の話をしていた。
ルドロー氏はコンピューターを開いて、最近採取されたという氷床コアのデータをマニング氏に見せた。
このデータを分析すれば、過去2300年間のうち、大規模な噴火がいつ起こったかをほぼ1年単位で特定できる。
「グラフの山に、やけに見覚えがあると感じました」。
論文の筆頭著者で、プトレマイオス朝の専門家であるマニング氏はそう振り返る。
地球上では過去100年間、大規模な噴火がほとんど起こっていないが、20世紀最大と言われる1991年のピナツボ山噴火と同規模の噴火は、
プトレマイオス朝時代に10年に2〜3回は起こっていた。
マニング氏は、それらの噴火があった年のいくつかが、大きな暴動のあった年と重なっていることに気づいた。
さらに調べを進めていくと、暴動という暴動がほとんど噴火の後に起こっていることがわかった。
時には、噴火から2年目に騒乱がピークに達することもあった。このタイムラグの理由は、
食糧危機に直面した国が短期的に救済措置を取っていたためではないかと研究者は考えている。
例えば、クレオパトラは紀元前46年と44年の噴火の後、貯蔵穀物を解放していた。
面白いことに、研究者は噴火と戦争の勃発との間には関連性を見いだせなかったが、噴火と戦争の終結には相関関係があることがわかった。
クレオパトラの時代より遡ること200年前、エジプトとシリアのセレウコス朝の間でシリア戦争が繰り返されていた頃、
ユーフラテス川のバビロンまで進軍したプトレマイオス3世が突然祖国へ引き返したことがあったと、あるローマの歴史家が書き残している。
別のパピルスによると、その理由は国内での暴動を鎮圧するためだったという。この暴動もまた、2つの大規模な噴火の時期に一致している。
「あれほど成功していた遠征を突然放棄したのはなぜか、説得力のある理由はこれしかないように思います」と、ルドロー氏は言う。
科学者たちは、遠方の噴火がエジプト王朝全体の行動を左右していたというつもりはないと断っているが、
少なくともかなりの影響があった可能性は捨てきれないとしている。
「2年も3年も続けて川の氾濫がなければ、人々は不安になり、パニックに陥ることもあるでしょう」と、マニング氏。
ルドロー氏も、「暴動が起こる理由が、ほかにもあることは十分承知しています。
ただ、ここではほぼ全てのケースで、噴火の後に暴動が起こっていることが体系的に示されました。とても偶然とは思えません」と述べている。
続きはソースで
ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/101900059/ 何を今更。
徳川幕府の終焉は浅間山の噴火が遠因なのと同じじゃないか。
みなもと太郎先生の著書に書いてある。 >>1
エジプト最後のファラオはクレオパトラの息子のプトレマイオス15世だ。 こういうことで新説と言われると、
科学者ってそんなにアホだったの?と思ってしまう。 結局、人間は水を求めて争ってんだよ
日本はどんだけ恵まれてるか自覚した方がいいよ
あと、中国に押さえられないように注意しとけ >>10
それと、着々と世界征服を目指していた、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドのようなバザール系ユダヤ人ね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています