他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 17
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友だちの欠点をあげつらう人々がある。それによって何の得るところもない。
私は常に敵の功績に注意を払い、それによって利益を得た。
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最悪の日に生まれたものには悪い日も快いであろう。
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この放棄と捕捉、逃避と追求の中に、実際一そう高い摂理が見られるように思う。
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人という人は苦しむものだが、時には幸福な人もいないでもなかったということを、
万巻の書を紐解いて合点しろというのか。(ファウスト)
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最高の幸福の瞬間にも極度な逆境の瞬間にも、私達は芸術家を必要とする。
ゲーテ ★
理解していないものは、所有しているとは言えない。
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人間は、彼の制約されない努力が限界を定めないうちは幸福になれない。
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しばしば言い慣らわされている色々の格言も、
後世になって与えられるのとは全く別な意味を持っていた。
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人生の行路の秘密を明らかにしてはならないし、明らかにすることはできない。
そこには、すべての旅人が必ずつまずくところのつまずきの石がある。
しかし、詩人がその石のあるところを暗示する。
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雷雨の来る前、やがて長い間一掃されてしまうほこりが最後に猛烈にまきあがる。
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人間だけが不可能なことをなし得る。
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人の霊は水にも似たるかな。空より来たり、空へ昇る。
再びくだっては大地にもどり、永久に変わりてやまず。
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皆それぞれが自己の内部で完成されよ。
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有能なものは、まちがっていても、毎日毎日、家から家へ働きを及ぼす。
有能なものが、本物であったら、あらゆる時代を越えて働きを及ぼす。
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人間は見ることをやめないためにのみ、夢みるのだと、私は思う。
いつか内部の光がわれわれの中から輝き出て、
それでもう他の光はいらなくなるようなことがあるかもしれない。
ゲーテ ★
ああぼくの知ることは、誰でも知り得るのだ。ーぼくの心(ハート)はぼくだけが持っている。
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芸術の品位は音楽においておそらく最も高貴に現れている。
それは、音楽には取り除かれねばならないような素材がないからである。
音楽は全く形式と内容だけで、その表現する一切のものを高め、気高くする。
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人間は、生来のものであるばかりでなく、獲得されたものでもある。
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若いよい頭脳が、他の人々によって既に認められた真理を認めると、
それによって独創性を失うもののように思うなら、
それは凡そ誤りの最も愚劣なものである。
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神聖な真剣さだけが生活を永遠にする。
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王様であろうと百姓であろうと、己の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。
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恋愛と情熱とは消え去ることがあっても、好意は永久に勝利を告げるだろう。
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フランス語は、書かれたラテン語からではなく、話されたラテン語から生じた。
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独創的な人々に:某氏はいう。
「わしはどの派にも属さない。わしが競うに足るような大家は生きていない。
といって、わしは故人から学ぶほど、おろかものでもない。」
この意味を、正しく理解すると、「わしはお手製のばかものだ」ということになる。
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お前が誰とつき合っているか、言ってみよ。
そしたら、お前が何者であるか、言ってやる。
お前が何に従事しているかを知ったら、お前が何になれるかがわかる。
ゲーテ ★
真理は人に属し、誤りは時代に属する。
それゆえ、並はずれた人について、次のように言われる。
「時代の弊風が彼のあやまちをひき起こした。
しかし彼の精神力がそれを離脱させ、光栄を得させた」と。
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人間は自分に似た人とだけ、共に暮らすことができる。
が、そういう人とも共に暮らすことはできない。
なぜなら人間は、自分に似た人間のいることに、長い間我慢することができないから。
★
目が太陽のごときものでなかったら、どうして私達は光を見ることができよう。
私達の中に神自体の力が生きていなかったら、
どうして神々しいものが私達をうっとりとさせることができよう。
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道理にかなったことをしようと心がけたことがないJばかりに、
全然あやまちを犯すことのない人がある。
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美は、隠れた自然の法の現れである。
自然の法則は、美によって現れなかったら、永久に隠れたままでいるだろう。
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自然観察ではいつも全てと同様に個を注意しなければならない。
何ものも内になく、何ものも外にない。内にあるものは外にもあるのだから。
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古典的なものは健康であり、ロマン的なものは病的である。
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生きてかつ愛さなければならない。命も愛も終わりがある。
運命の女神よ、この両者の糸を同時に切ってください。
★
真理と誤りが同一の源泉から発するのは、不思議であるが、確かである。
それゆえ、誤りをぞんざいにしてはならぬことが多い。
それは同時に真理に傷をつけるからである。
ゲーテ ★
条理のたたぬことが具体化されているのを見るほど、
恐ろしいことは人間にとって起こり得ない。
★
物事を凡帳面にとらないような美しい妻が欲しい。
だが、どうしたら私の工合を一番よくすることができるか、
よく心得ている妻が欲しい。
★
風に飛ばされた葉はしばしば鳥のように見える。
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嫉むものは弱点をあわれまず、虚言をなすものは、
誠と信を望み得ず。これを肝に銘じ、断じて惑わされるな。
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悪趣味な者に技術が結びつくと、これより恐ろしい芸術の敵はない。
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すぐにやらねばならぬこともたくさんありますが、
節度を保ち、不自由に耐えねば、手に入れることのできないものもあります。
徳です。徳とは縁続きの愛も同様です。
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前進する行動においては、個々の何が賞賛に値するか、非難に値するか、
重大であるか、徴小であるか、は問題でない。
全体においてどんな方向を取ったか、それから結局個人自身にとって、
身近な同時代にとって、どんな結果が生じたか、
そのため未来にとって何が望めるかが、問題である。
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真理より偉大なものはありません。最小の真理でさえ偉大です。
私は近ごろ次のような考えに思い当りました。
たとい有害な真理でも、有害なのはほんの一時であって、
やがては、常に有用な、しかも大いに有用な他の真理に達するのです。
その逆に、有用な誤りは、有用なのはほんの一時であって、
いっそう有害な他の誤りに人を釣りこむものですから、有害です。
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地上の子の最高の幸福は人格である。
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彼女の愛は、完全になるためには、全く没我的にならなければならないことが、
彼女にははっきりした。実際ある瞬間には彼女はもうこの高さに達したように思った。
彼女はただ友の幸福を願い、もし彼が幸福であることを知りさえすれば、
彼を断念することができると思った。
ゲーテ ★
老人は人間の最大の人権の一つを失う。老人は対等なものからもはや批判されない。
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役に立たぬ人とは誰か。命令することも、服従することもできない者。
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誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、
強く孤独を感じるときはない。
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自分に属するものから脱することはできない。たといそれを投げ棄てようと。
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「私の絵をかいではいけません。絵の具は健康に害があります。」
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人間が真理の中に住み且つ行為することを、神様が目ざしていたのだったら、
神様は世界の作り方を変えねばならなかっただろう。
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予めおもんばかれば、簡単であるが、後になっておもんばかれば、複雑になる。
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苦しみが残していったものを味わえ!苦難も過ぎてしまえば甘美だ。
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自分の知っていることは自慢し、
知らないことに対しては高慢にかまえる者が少なくない。
ゲーテ ★
人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。
多く知るにつれ、次第に疑いが生じて来るものです。
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外国語を知らないものは、自分の国語についても何も知らない。
★
鳥を見よ!木から木へ飛びせわしく木の実をついばみあさる。
鳥に問え。きっとぺちゃぺちゃと、口はばったいことを言うだろう。
高い自然のおごそかな秘密をついばむのだ、と。
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最も恵まれた天才も決して成功しないだろう。
自然と本能だけで、非凡なものへ飛躍することは。
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自分の好きなように世界を知るがいい!世界は常に昼の側と夜の側を持っている。
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自然研究の与えてくれる喜びにまさるものはない。
自然の秘密の深さは測り知れない。
しかし、私達人間には、次第に進んで自然をうかがうことが、許され、恵まれている。
そして自然は結局測り知り難いという点が私達にとって永遠の魅力を持つのだ。
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天国に一人でいたら、これより大きな苦痛はあるまい。
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私の著作と生活との意味と意義は純粋な人間性の勝利である。
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人間が、かつてできたことを今でもできると考えるのは、きわめて自然である。
未だかつてできなかったことを、できると思う人があるのは、
いかにもおかしいが、珍しいことではない。
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合一しているものを二分し、二分されているものを合一させる、
それこそ、自然の生命であり、私達の生活している世界の永遠の吸気と呼気である。
ゲーテ ★
理論的意味での絶対なものについて、私は敢えて語ろうと思わない。
しかし、現象の中に絶対なものを認めて、
それから常に目を放さぬ人は非常に大きな利益をうけるだろうと、
主張することはできる。
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すべて慰めが卑しむべきもので、絶望が義務だというような場合があります。
英雄を描くことを知っていた高貴なギリシャ人(ホメロス)は、
苦痛な衝動を受けている人物を泣かせることを決していといませんでした。
格言の中でさえ彼は「一夜多き人は善良なり」と言っています。
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空はどこに行っても青いということを知るために、世界を回ってみる必要はない。
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人が私たちのところに来るのでは、その人を知ることはできない。
人がどうであるかを知るためには、私たちはその人のところへ行かなくてはならない。
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自由でないのに、自分は自由だと思っているものほど奴隷になっているものはない。
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女の流す涙が多かろうが、少なかろうが、
それで海の水かさが増すわけではありません。
でも、幾千人の女のなかでもひとりでも救われるというのは悪くはありません。
幾千人の男のなかに実のある人がひとりでもいるというのは、まんざらでもありません。
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見上げた男!彼を私はよく知っている。
彼は先ず妻を殴っておいて、妻の髪をすいてやる。
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しかし、だれが他人に対する自分の優越を
時おり露骨な仕方で主張しないほど教養を積んでいるでしょう。
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性癖に打ちかつことはむずかしい。
これに習慣が次第に加わって来て、根をおろすと、もう始末におえなくなる。
ゲーテ ★
棺を見て私が衝撃を受けるとでも、思いますか。
働きのある人は、不死の信仰を胸裏から奪い去られることはありません。
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すぐれたものを認めないことこそ、即ち野蛮だ。
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知るに値せぬものや、知り得ぬものに携わることによって、
学問は非常に阻止される。
★
沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ。
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ユーモアは天才の一要素である。
しかし、それが勝ち過ぎると、天才の代用品に過ぎなくなる。
それは芸術の下落を伴い、ついには芸術を破壊し、滅ぼしてしまう。
★
空気と光と友人の愛。これだけ残っていれば、気を落とすことはない。
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世界歴史の中に生きるものは瞬間を標準とすべきであろうか。
時代を透察し、時代に働きかけるもののみが、語り、且つ詩を作るに値する。
★
「大衆に逆らおうとするのはだれか。」私は彼らに逆らわない。
彼らの行くにまかせる。大衆は漂い、働き、ぐらつき、
ぶんぶんうなるが、結局は一つになる。
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結婚生活は一切の文化の初めであり、頂上である。
それは乱暴者を穏やかにする。また高い教養のあるものにとっては、
その温情を証明する最上の機会である。
結婚生活は解消し得ないものでなければならない
。結婚生活は多くの幸福をもたらすもので、
それに対しては、個々の不幸なんか、すべてものの数でもない。
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適切な真理を言うのに二通りの道がある。
民衆にはいつも公然と、王公にはいつも秘密に言うものだ。
ゲーテ ★
発明とはいったい何か。求められたものの結末。
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大きな必然は人間を高め、小さな必然は人間を低くする。
★
無秩序を忍ぶよりは、むしろ不正を犯したい。
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人は言う、芸術家よ、自然を研究せよと。
しかし、ありふれたものから気高いものを、
形を成さないものから美しいものを展開させることは、小さいことではない。
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死後の生の確信は私にあっては、活動の観念の中から生じて来る。な、
せというに、もし私が終生休みなく活動するとしたら、
今の存在の形式が私の精神をもはや持続できなくなった場合、
自然は私に存在の他の形式を指定する義務があるからである。
★
昨日が曇りなく公明であったら、今日は力強く自由に働け。
そうすれば明日にも希望が持てる。明日も同様に幸福であれと。
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かの一は、永遠に一であろう。多に分かれても、一。永遠に唯一のもの。
一の中に多を見いだせ。多を一のように感ぜよ。
そうすれば、芸術の初めと終わりが得られる。
★
いつも同じ花ばかりなので、
花よりほかの何かをお送りすることができたら、と思います。
しかし、それは愛についてと同じことで愛もまた単調なものです。
★
槌でもって壁を叩き、その都度くぎの頭を
間違えずに叩いていると思っている者が少なくない。
ゲーテ ★
思考する人間の最も素晴らしい幸福は、
究めうるものを究めた上で、究め得ぬものを心静かに称えることである。
★
仮説は、建築する前に設けられ、建物が出来上がると取り払われる足場である。
足場は作業する人になくてはならない。
ただ、作業する人は足場を建物だと思ってはならない。
★
「君は不死を信じているね。その理由をあげることができるかい?」
できるとも。その主たる理由は、私達は不死という考えを欠かすことができぬ点に存する。
★
「言え、どうしたらスズメを追い払えるかを」と園丁が言った。
「それに、毛虫や、さらにカプト虫の族や、モグラや、
ノミトビヨロイ虫や、貰バチや、ウジ虫ゃ、これら悪魔の子を?」
「そのままにしておけ。そうすれば、たがいに食いつくし合う。」
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天才も不滅ではないということほど、凡人にとって慰めになることはない。
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大小を問わず、性格とは、
人間が自分のできると感じたことを首尾一貫させることである。
★
どんな場合にも口論なんぞする気になるな。
賢い人でも無知な者と争うと、無知に陥ってしまう。
★
一切の生活、一切の活動、一切の技術に先だって、手のわざがこなければならない。
それはただ制限によってのみ得られる。一つのことを正しく知り且つ実行することは、
百通りのことを半ばにやるより、官向い教養を与えるものである。
★
愚か者と賢い人は同様に害がない。
半分愚かな者と半分賢い者とだけが、最も危険である。
★
鳥獣はその器官によって教えられる。
人間は器官を訓練し、支配する。
ゲーテ ★
適切な答えは愛らしいキスのようだ。
★
不正なことが不正な方法で除かれるよりは、
不正が行われているほうがまだいい。
★
支配したり服従したりしないで、それでいて何者かであり得る人だけが、
本当に幸福であり、偉大なのだ。
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軍備をととのえながら防御を予定する状態に、
いかなる国家も堪え得るものではない。
★
文学は、人間が堕落するにつれて堕落する。
★
古人が既に持っていた不充分な真理を探し出して、
それをより以上に進めることは、学問において、きわめて功多いものである。
★
私のあやまちを隠すものは、私の主人である。たとえそれが私のしもべでも。
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幾何学を知らぬもの、幾何学に疎いものは哲学者の門に入るを許さずということばは、
賢者になるためには数学者でなければならぬ、などということを意味しはしない。
★
すべての法律は老人と男によってつくられている。
若い人と女は例外を欲し、老いた人は規則を欲する。
★
それぞれが自分の戸の前を掃除せよ。
そうすれば、町のどの区域も清潔だ。
それぞれ自分の課題を果たせ、そうすれば、市会は無事だ。
ゲーテ ★
想像力は芸術によってのみ、特に詩によって制御される。
趣味のない想像力より恐ろしいものはない。
★
仕事の圧迫は心にとって極めてありがたいものだ。
その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。
仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。
そんな人はどんなに美しい天分も厭(いと)わしく感じる。
★
完成するためには能力のほかに何よりも機会が必要である。
★
もちろん、世の中に出ながら、孤独で通そうというのは、
常軌を逸した行為だと思われる。
★
ふとんの長さに従ってからだを伸ばさぬ者は、足がむき出しになる。
★
世の中のものはなんでも我慢できる。
幸福な日の連続だけは我慢できない。
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常識は人類の護り神である。
★
詩的作品は、測りきれなければきれないほど、
理知でっかみがたければがたいほど、よりよい。
★
水車屋は、自分の水車を回転さすためだけに、
小麦ははえると思っている。
★
大衆に仕える者は、あわれむべき奴だ。
彼は散々苦労したあげく、だれからも感謝されない。
ゲーテ ★
人間は、宗教的である間だけ、文学と芸術において生産的である。
★
ランプの燃えるところには、油のしみがあり、
ロウソクの燃えるところには、燃えさしがある。
ひとり天の光は清く輝いて汚点をとどめない。
★
素材はだれの前にでもころがっている。
内容を見いだすのは、それに働きかけようとする者だけだ。
形式はたいていの者にとって一つの秘密だ。
★
反対者たちは、彼らの意見を繰返しておいて、
私達の意見を顧みなければ、私達を否定できると思っている。
★
人間は行きたいほうへ行くがよい。人間はしたいことをするがよい。
しかし人間は、自然が描く道へ、必ずまた戻ってくるに違いない。
★
自分を満足さすことは全くまれである。
それだけ、他の人を満足させたということは、一段とうれしいことである。
★
支配することは容易に学び得られる。治めることは学び難い。
★
何物も生み出すことのできぬ人にとってのみ、何物も存在しないのだ。
★
始終自分を他の人と同列に置こうとばかりしなかったら、
人々は互いにもっとよく知り合うだろう。
★
しかし、私達人間には、次第に進んで自然をうかがうことが、許され、恵まれている。
そして自然は結局測り知り難いという点が私達にとって永遠の魅力を持つのだ。
その魅力のため、私達は繰返し自然にひきつけられ、
繰返し新たな観察と発見とを試みるのである。
ゲーテ ★
優れた人でありながら、即席やおざなりには何ひとつできない人がいるものだ。
そんな人はその性質からして、そのつど対象に静かに深く没入せずにいられない。
そういう才能の人は、さしあたり我々の欲しいものが
めったに得られないのでじれったくなる。
しかし、最高のものはこうした方法でのみ作られるのだ。
★
ものを考える人間の最大の幸福は、探究できることは探究し終え、
探究しがたいことは静かに敬愛するということである。
★
世の中のいざこざの因(もと)になるのは、
奸策や悪意よりも、むしろ誤解や怠慢だね。
★
精神の悩みを癒すには知力では役に立たない。
理性もあまり効果がない。断固たる「実行」のみが一切を癒す。
★
酒は人の心を喜ばす。そして喜びは、すべての徳の母だ。
★
我々はみな酔わねばならぬ!若い頃というのは酒がなくとも陶酔の時。
老いて酔えば再び若返る。それほどそれは素晴らしい徳。
毎日の生活の憂さは憂さを生む。その憂さ晴らしをしてくれるのが、
このぶどうの酒だ。
★
謙虚であることをわきまえている人は、最高のことを企てることができる。
★
興味の無くなるところ、記憶もまた無くなる。
★
思慮深い人は、決して敵を侮らない。
★
自由と存在は、日々それを新たに勝ち取る者のみが、受けるに値する。
ゲーテ ★
成就の扉の、開(あ)いているのを見た時は、己達はかえって驚いて立ち止まる。
★
人生は彩(いろど)られた影の上にある!
★
検閲を用い、要求するのは権力者であり、
言論の自由を求めるのは身分の低い人たちである。
★
人間はどんな荒唐無稽な話でも、
聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。
そして、それがすでにしっかり根を下ろしてしまう。
だから、これを削ったり抹殺したりすると、とんでもない目にあう。
★
希望は不幸な人間の第二の魂である。
★
人間の最大の価値は、人間が外界の事情にできるだけ左右されずに、
それをできるだけ左右するところにある。
★
一つの才能を持って、一つの才能のために生まれた者は、
その中に彼の最も美しい生存を見出す。
★
愚者と賢者はともに害がない。半端な愚者と半端な賢者が、いちばん危険なのである。
★
幸福な瞬間の思い出を呼び返すものは、一つとして無意識ではあり得ない
ゲーテ ★
「死ね、そして成れ!」
──このことをお前がまだ体得しないあいだは、
お前はただ暗い地上の陰気な客にすぎないのだ。
★
溌剌(はつらつ)と前進してゆく人物は享楽に満足せず、彼らは知識を求める。
★
自ら創造し得るもの以外には何ら正当な判断を下し得ないものである。
★
人間らしく幸せにするため、愛は気高い二人を寄せ添わせる。
しかし、神のような歓びを与えるには愛は貴重な三人組をつくる。
★
心をよみがえらせる泉は、自分の胸中から湧いてこねば、
心身をよみがえらせることはできない。
★
すべて移ろい行くものは、永遠なるものの比喩にすぎず。
★
みずから勇敢に戦った者にして初めて英雄をほめたたえるだろう。
暑さ寒さに苦しんだものでなければ、人間の価値なんかわかりようがない。
★
人間こそ、人間にとって最も興味あるものであり、
おそらくはまた人間だけが人間に興味を感じさせるものであろう。
★
どんな読者を私は望むか。
私をも自分をも世界をも忘れて、本の中にのみ生きる無私虚心な読者を。
★
「よく見ると、およそ哲学というものは、常識をわかりにくい言葉で表したものに過ぎない」
ゲーテ ★
大学は生活に充分生き生きと働きかけないと言って人々は不平を言う。
しかし、それは大学に関係したことではなく、
学問の取扱い方全体に関係することである。
★
星のように急がず、しかし休まず、人はみなおのが負いめのまわりをめぐれ!
★
誠実に君の時間を利用せよ!何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな。
★
すべては等しく、すべては等しくない。
すべては有益であり、かつ有害である。
すべては語ると同時に無言であり、理性的であると同時に非理性的である。
人が個々の事がらについて表白することはしばしば相矛盾する。
★
それによってすべてを知るが、結局かんじんなことが何もわからないような本がある。
★
「明瞭さとは明暗の適当な配置である」ハーマン。傾聴!
★
月桂冠というものは、どこで御覧になっても、幸福よりも、苦悩のしるしです。
★
愛人の欠点を美徳と思わないほどの者は、愛しているとは言えない。
★
無知な正直者がしばしば最も巧妙な食わせ者の手くだを見抜く。
★
ある女が情熱的に愛されるのを見ている別の女は、
表面上しぶしぶ(しかし内心いそいそと)親友の役を引き受ける。
愛されている友達にかわって、自分がそおっと成り上がる、それも悪くない…
というひそかな思いをほとんど無意識にいだくからである。
ゲーテ ★
真の情愛が、若造をたちまち一人前の男にたたきあげるのだ。
★
私はこれまでの生涯、自分がどんなふうに愛されたいか、理想をいだいてきました。
そして、その成就をいつも妄想に求めたのですが、無駄でした。
★
われわれは知っている物しか目に入らない。
★
才能は孤独のうちに育ち、人格は社会の荒波の中で最適に形成される。
★
常にによい目的を見失わずに努力を続ける限り、最後には必ず救われる。
★
男は頭でこそ、家事のうまい女を嫁に…と探すが、
心では、空想では、別の魅力にあこがれているものだ。
★
行為の最中にも思考の余地がある。
★
経験したことは理解した、と思い込んでいる人がたくさんいる。
★
はるかな世界と、広い生活を、長い年々の誠実な努力で、絶えず究め、
絶えず探り、完了することはないが、しばしばまとめ、
最も古いものを忠実に保持し、快く新しいものをとらえ、
心は朗らかに、目的は清く、それで、一段と進歩する。
★
愛は支配しない、愛は育てる。
ゲーテ ★
ふたりの愛を深くするには ふたりを遠く引き離しさえすればよい。
★
涙とともにパンを食べたことのある者でなければ、人生の本当の味はわからない。
★
人間は利己的でなければならないほど、利己的な人間に隷属させられている。
★
死とは成熟した自然であり、哲学とは成熟した理性である。
★
どんなことにも、絶望するより希望を持つほうがよい。
可能なものの限界を測ることは誰にもできないのだから。
★
自分をひとかどの者に見せたくて、それが明るみに出ることがなければ、
誰だって人様を認めるわけがない。相手が沢山であろうと、一人であろうと。
★
蚕は糸を紡(つむ)ぐにつれ、だんだん死に近づいてゆくが、
それでも糸を紡がずにはいられないのだ。
★
偉大なことをなしとげるには、若くなくてはいけない。
★
自然は絶えず我々と語るが、その秘密を打ち明けはしない。
我々は常に自然に働きかけるが、それを支配する何の力もない。
★
どんなつまらない雑草でも花でも、懐かしい日記の一片となり得るのである。
ゲーテ ★
人間が本当に悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味を持たなくなる。
★
誠実さと信念だけが人間を価値あるものにする。
★
生活をもてあそぶものは、決して正しい者になれない。
★
虹だって十五分続いたら、人はもう見向かない。
★
愛する人の欠点を愛することのできない者は、真に愛しているとは言えない。
★
女は決して自分の自然な姿を見せない。
なぜならば女は、自然から生みつけられたままでもきっと人から好かれるものだ、
といういうふうに考えることのできる男ほどのうぬぼれがないからである。
ゲーテ ★
外国語を知らない者は、自国語についても無知である。
★
人間は、努力をする限り、迷うものだ。
★
楽しく生きていきたいなら、与えるための袋と、受け取るために袋を持って行け。
★
自信を持つと、他人の信頼も得る。
★
人が旅するのは到着するためではなく、旅行するためである。
★
幸福は世にあるものだ。しかし我々はそれを知らない。
いや、知ってはいるが、それを尊重することを知らないのだ。
★
才能は一人で培(つちか)われ、性格は世の荒波にもまれて作られる。
★
自由に呼吸することは、人生を孤独にしない。
★
行動する者はつねに没良心である。省察する者以外、誰も良心がない。
ゲーテ ★
身分不相応の生活をするものは馬脚を現す。
★
誤りは人間しかない。人間におけるひとつの真実は、
誤りを犯し、自分や他人や当事者への正しい関係を見出し得ないことである。
★
人間は、たがいにぶつかりあいながら、水に浮んでいる壺である。
★
気分がどうのこうのと言って、なんになりますか。
ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。
★
誤謬は真理に対して、睡眠が覚醒に対するような関係にある。
誤謬から目覚めて人がよみがえったように、再び真理に向かうのを見た。
★
今後どんなに奇妙に運命が私を導くかを、とにかく忘れて私は生きたい。
★
フランス人が礼儀と称するものは、典雅(てんが)にまでやわらげられた高慢である。
★
生涯の終着点を生涯の出発点と結びつけることができれば、
最も幸せな人といわねばならない。
★
信仰は、見えざるものへの愛、不可能なもの、ありそうにないものへの信頼である。
★
二つの平和な暴力がある。法律と礼儀作法がそれである。
ゲーテ ★
現在は魅力ある女神なり
★
なんでも知らないことが必要で、知っていることは役に立たない。
★
目的が近づけば近づくほど、困難も増す。
★
僕はどんな時でも自分の好む時に、
現世という牢獄を去ることが出来るという自由感を持っているのさ。
★
功ばかりでなく誠実さが人格を保ってくれるのです。
★
本当の自由な心とは「認める」ということである
★
中途半端にやる習慣を脱し、全体の中に、善いものの中に
、美しいものの中に、決然と生きることを心がけよう。
★
どこか遠くへ行きたいとあこがれ、あわただしく飛び立とうとしているようだが、
きみ自身にも他人にも誠実であれば、せまい巷(ちまた)もさながら自由の別天地だ。
★
およそ完全に矛盾したことは、
愚者にも賢者にも等しく神秘的に聞えますからね。
あなた、学芸の道は、昔も今もおんなじだ。
ゲーテ ★
キリスト教は計画的な政治革命であったが、
それに失敗してからは道義的なものになった。
★
同じ経験を繰り返して話をする人に言えることだが、
彼らは経験すべきことの半分も自分が経験していないことを、
いつまでもわかっていない。
★
人はほとんど知らないときにのみ知っている。
知識(が増える)とともに、疑惑が強まる。
★
たいていの人間は大部分の時間を、生きんがために働いて費す。
そして、わずかばかり残された自由はというと、
それがかえって恐ろしくて、それから逃れるためにありとあらゆる手段を尽くす。
★
人が流行と称するものは、瞬間的な伝統である。
そしてあらゆる伝統は、流行と同列になろうとする一種の必然性を備えている。
★
天上への途はとざされている。
眩そうに上を見て、雲の上に自分に似たものがあるなどと空想するのは
馬鹿もののすることだ。(ファウスト)
★
白樺の幹や枝にはもう春が息づいているし、樅(もみ)にさえ春の気配がある。
どうして我々のからだにも春が働きかけてこないことがあろうか。(ファウスト)
★
涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない。
ゲーテ ★
長いこと忘れていた戦慄が己を捉える。人間の一切の苦しみが己を捉える。(ファウスト)
★
人に欺かれるのではない、自分で己を欺くのである。
★
人間というものは望んで得たものをしっかりと握ってはいないで、
愚かにももっといいものが欲しいと憧れ、
一番すばらしい幸福にもすぐ慣れっこになってしまうのです。(メガイラ)
★
大層ぽっちゃりしているね。
東洋人なら高い値をつけそうなやつだ。(メフィストーフェレス)
★
悪い便りは、どんな美しい使者をも醜く見せるというのに、
お前は一番醜い女のくせに、好んで悪いたよりばかりを
持ってきたがるのだ。(ファウスト)
★
保身が利己主義の鉄則だ。感恩も思慕も、義務も体面もないのだ。
悪徳の勘定書が一杯になると、隣家の火事で自分も
焼き殺されるということを考えないのだ。(皇帝)
★
人間を堕落に導くもっとも大きな悪魔は、自分自身を嫌う心である。
★
全く君方の演説は、下手に光っていて内容は空疎
、秋の枯葉の間を吹きわたる湿った風のように気持の悪いものだ。(ファウスト)
ゲーテ ★
この一大事業が完成するには、
幾千の手を指図する一つの精神があれば足りる。(ファウスト)
★
不可能を欲する人間を私は愛する。(マントー)
★
おん身、不死にして天上に在りて、三つの名称、三つの姿を具え給う者よ。
地上にてはディアーナ、天上にてはルーナ、
地下にてはヘカテーと呼ばるる神よ。(アナクサゴラス)
★
人格を保とうとなら、手柄だけでは足りません、
忠誠ということがなければ。(パンタリス)
★
立法者にしろ、革命家にしろ、
平等と自由を同時に約束する者は、空想家か、さもなくば詐欺師だ。
★
もう何年も前にびくびくもので西も東もわからぬ新入生としてここを訪れて、
髭の先生方を信用して奴らのおしゃべりを有難がった所だが。
(奴らは古い本を手にして知ってる事や
知っていても自分で信じてない事を言って僕を騙し、お互いの生活を台無し)
★
神様、お裁きください。この身はあなたにお任せ致しております。(グレートヒェン)
★
私らも根っからの馬鹿ではなかったから、少しは悪いことも時にはやったものだ。
ところが今では世の中がまるで逆になって、
獲物が何一つ、しっかりと捕まえられない。
(成り上り者(第一部・ワルプルギスの夜より))
★
幽霊に足が無いということは、とうの昔に証明済みのことではないか。
しかるにお前らが我々人間並みに踊っておるとは
全くもって怪しからん。(尻に霊を見る人第一部・ワルプルギスの夜より)
★
反逆皇帝が出てきたということは、余の利益になる。
今にして初めて余は、余こそ皇帝だということを感ずる。(皇帝)
ゲーテ ★
およそ哲学というものは、常識をわかりにくいことばで表現したものにすぎない。
★
好いたお方を探しに来た土地だ、
化け物さえありがたいのですね。(メフィストーフェレス)
★
あらゆる理論は灰色で、緑なのは生命の黄金の樹だ。(メフィストーフェレス)
★
猿にも富籤(とみくじ)が買えたなら、
猿もわが身を仕合せと思うだろうが。(メフィストーフェレス)
★
法律や制度というものは、永遠の病気の様に遺伝して、
ずるずるべったりに親から子、子から孫へと伝えられ、
国から国へとおもむろに移り動いていく。(メフィストーフェレス)
★
ファウスト「君は一体何者なのだ?」、
メフィストーフェレス「常に悪を欲し、常に善をなす、あの力の一部です。」
★
わたしの言葉は耳に聞こえなくても、胸の内には響くはずです。
姿をいろいろと変えて、怖ろしい力を揮うのがわたしです。(憂い)
★
いのちというものは血の中に動いてるのだが、
その血が最も活発な動きを見せるのが青年ではありませんか。(得業士)
★
私があやまつと、だれでも気づく。うそをつくと、だれも気づかない。
ゲーテ ★
ライプツィヒは良いところだ。小パリと呼ばれるもむべなるかな。
ここに住んでいると洗練されるからねぇ。(フロッシュ)
★
人間という、この世の小さな神さまは、昔からずっと同じ性質で、
天地創造の日以来、奇妙なことをやり続けています。(メフィストーフェレス)
★
己は神々似ておらぬ、成程よくわかった。
塵の中にうごめき、塵を喰って生きていて、人の足に踏まれて埋め殺される蛆虫、
己が似ているのはその蛆虫なのだ。(ファウスト)
★
マシだということは、まず大抵はうぬぼれと短慮ということなのですよ。(ファウスト)
★
過ぎ去ったのと、何もないのとは、全く同じではないか。(メフィストーフェレス)
★
おこがましくも博士だのと名乗って、もうかれこれ十年間も
弟子どもの鼻面を縦横無尽に引き回してはきたものの、、、
さて、とっくり分かったのが、人間、何も知ることは出来ぬということだとは。(ファウスト)
★
さようでございますな。技芸の道は長く、人生は短し、で。(ワーグネル)
★
正直のところを申さば、これほどの美人があろうか。
こういう美人が出てきたのでは、どれほど弁舌が冴えていても、
どうにも形容の言葉がない。(天文博士)
★
この国が危難の中から危難の中へと生み落した、自由の精神と限りない勇気を持ち、
自らの血潮を流すことを厭わない人々に―抑えがたい神聖な志操を
持って戦うすべての人々に戦勝を得させよう。(エウポリオーン)
★
ここはまあなんたる牢獄だ。
自分も退屈し、学生たちをも退屈させる。(メフィストーフェレス)
ゲーテ ★
ねえ、不正なものは、どんなに立派なものにしろ身のためにならないんですよ。
これは聖母様にお供えしてしまおう。
そうすれば天国の蜜が頂戴できるんだから。(グレートヒェンの母)
★
時よ止まれ、汝は余りにも美しい!(ファウスト)
★
ローマ帝国なんか気にすることはないということを、毎朝神に感謝しろよ。
己も自分が皇帝や宰相なんかでなくって、
本当によかったと考えているんだ。(ブランダー)
★
よろしい、底の底を究めてみようか。
君のいわゆる虚無の中に万有が見出されるだろう。(ファウスト)
★
悪魔は年寄りだ、歳をとったら悪魔の言うこともわかるでしょう。(メフィストーフェレス)
★
望んでいたものを手に入れたと思い込んでいるときほど、願望から遠く離れていることはない。
★
この小さなおてんば娘を引っ張っていって、手籠めにしてやろう。
自分の楽しみ、喜びのために、あばれるこの娘を抱き締めて、
いやがる口に接吻してやるのだ。
そうしてぼくの力と心意気を見せてやるのだ。(エウポリオーン)
★
永遠に生きて働く生成するものが、愛のやさしい柵でお前たちの周囲を包み、
揺らめく仮象となって漂うものを、
お前たちは渝(かわ)ることなき理念で繋ぎとめるのだ。(主)
★
ひとりの人を愛する心は、どんな人をも憎むことができません。
★
最高なことは、一切の事実は既に理論であるということを理解することであろう。
空の青い色は色学の原則をわれわれに示している。
現象の背後にものを求めようとするな。現象そのものが学理なのだ。
ゲーテ ★
どんな賢明なことでも既に考えられている。
それをもう一度考えてみる必要があるだけだ。
★
不正なことが、不正な方法で除かれるよりは、
不正が行われている方がまだいい。
★
処世のおきて:気持ちの良い生活を作ろうと思ったら、
済んだことをくよくよせぬこと、滅多なことに腹を立てぬこと、
いつも現在を楽しむこと、
とりわけ、人を憎まぬこと、未来を神にまかせること。
★
「完全は天ののっとるところ、完全なものを望むのは、人ののっとるところ。」
★
最上のこと:もはや愛しもせねば、迷いもせぬ者は、埋葬してもらうがいい。
★
あせることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。
前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔を作る。
★
山と谷を越え、迷いに迷いをかさねたのち、再び広野に出るが、
そこはまたあまりに広すぎて、いくばくもなくまた新たに迷路と山を求める。
★
批評に対して自分を防衛することはできない。
これを物ともせず行動すべきである。
そうすれば、次第に批評も気にならなくなる。
★
賢い人々は常に最上の百科全書である。
★
何かを非難するには、私は年をとり過ぎている。
だが、何かをなすだけの若さは、いつでも持っている。
ゲーテ ★
本で読んだ真理も、われわれはあとで自身で考え出さねばなりません。
頭のはちの中は種子がいっぱいはいっていますが、
それにたいして感情が初めて培養土と培養ばちの役をするのです。
★
なんじが終わりえないことが、なんじを偉大にする。
★
頭がすべてだと考えている人間の哀れさよ!
★
鉄の忍耐、石の辛抱。
★
虹だって十五分も続いたら、人はもう見むかない。
★
何事につけても、希望するのは絶望するのより良い。
★
すべての階級を通じて、一段と気高い人は誰か。
どんな長所を持っていても、常に心の平衡を失わぬ人。
★
人が実際の値打以上に思い上がること、
実際の値打以下に自分を評価すること、共に、大きな誤りである。
★
仕事の圧迫は心にとってきわめてありがたいものだ。
その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。
仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。
そんな人はどんなに美しい天分もいとわしく感じる。
★
利己的でない好意的な行いが、最も高い最も美しい利子を生み出す。
ゲーテ ★
三千年の歴史から学ぶことを知らぬ者は、知ることもなく、やみのなかにいよ、
その日その日を生きるとも。
★
博学はまだ判断ではない。
★
集会:ある大きな集会からある時、静かな学者が帰宅した。
「いかがでした?」と尋ねるとー
「あれが本だったら、わしは読まないだろう」と彼は答えた。
★
キリスト教は、政治的革命を企てたが、失敗したので、
のちに道徳的なものになった。
★
この世の、すべてのものは、泡沫にすぎない。
★
誉めれば間違いだし、謗ればなお悪い。君がそのことをよく理解していない時には。
★
これですべての片がついたね。私はお前のもの、お前は私のもの。
私たちはこんな風に結ばれ合った。これが最も望ましい状態だ。(ファウスト)
★
国王であれ、農民であれ、家庭に平和を見いだせる者が、最も幸せである。
★
自由だと勘違いしている者より悲惨な奴隷にされる者はいない。
ゲーテ ★
人口が増えて、皆それぞれに生活を楽しみ、それのみか教養を身につけ、学問をする、
結構なことに違いないが――結局謀反人を養い育てるだけのことではないか。(ファウスト)
★
起て、学徒よ。誓って退転せず、塵の世の胸を暁天の光に浴せしめよ。(ファウスト)
★
人間の声を聞くと、忽ち胸糞が悪くなる。
神々になろうと一生懸命だが、
いつになっても一箇所で足踏みをしているという哀れな代物だ。(ネーレウス)
★
物事に拘泥せぬ心から出た善行は、大きく実るものでございます。(ファウスト)
★
神様というのは、信ずる人次第だ。
だから神様は、ああもたびたび嘲りの対象になった。
★
試練は年齢と共に高まる。
★
太陽が照れば塵も輝く。
ゲーテ ★
人類ですって?そんなものは抽象名詞です。
昔から存在していたのは人間だけです。
将来も存在するのは人間だけでしょう。
★
奇妙な身振りをして、人は浮き身をやつす。
何かになろうという人はなく、みんなもう何かになったつもりでいる。
★
今日と明日の間には長い期間が横たわっている。
君がまだ元気なうちに早く処理することを学べ。
★
人間のあやまちこそ人間をほんとうに愛すべきものにする。
★
気分がどうのこうのと言って、なんになりますか。
ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。
・・・きょうできないようなら、あすもだめです。
一日だってむだに過ごしてはいけません。
★
人が苦悩の中に黙している時、私の悩みのほどを言う力を、
神様は私に与えてくださった。
★
われわれはだれにも汚れた生活境遇を望むべきではない。
しかし、偶然それに落ち込んだものにとっては、
汚れた生活も、性格と、人のなし得る極限との試金石である。
★
社会が死刑を命じる権利を放棄すれば、すぐにまた自衛が登場する。
血の復讐がドアをノックする。
★
人が君の議論を認めない場合も、忍耐を失うな(コーランから)
★
若者よ、精神と感覚ののびるうちに、心せよ、
芸術の神は君の道づれにはなるが、君を導くことはできないことを。
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砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。
★
君という人間は君の行為自体の中に宿っている。
君の行為こそ君なのだ。もうそれ以外のところに君はない!
★
探しているものは、たった一輪のバラやほんの少しの水の中にも見つかるはずだ。
★
僕の命を救ったのは、他でもない。このささやかなほほ笑みだったんだ。
★
やはりお前は、お前の生命を投げ出させるものによってしか生き得ないのだ。
死を拒否する者は、生命をも拒否する。
★
人類が最後にかかるのは、希望という病気である。
★
おとなは、だれも、はじめは子供だった。
しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。
★
人間はね、急行列車で走りまわっているけれど、
何を探しているのか自分でもわかっていない。
★
人間であるとは、まさに責任を持つことだ。
自分には関係がないような悲惨を前にして、恥を知ることだ。
★
ぼくがこれほど、あなたに執着しているのは、
たぶんあなたを、自分で勝手につくりあげているからだ。
サン・テグジュペリ ★
生きながらえるためには、服従すべきであり、
存在しつづけるためには、戦うべきである。
★
計画のない目標は、ただの願い事にすぎない。
★
もし誰かが、何百万もの星のなかのたったひとつの星にしかない一本の花を
愛していたなら、そのたくさんの星をながめるだけで、その人は幸せになれる。
★
歩みだけが重要である。
歩みこそ、持続するものであって、目的地ではないからである。
★
真実の愛は無限です。与えれば与えるほど大きくなる。
★
一滴の水が、どうして己を大河と知るであろうか?
だが大河は流れているのだ。
樹木を作る細胞の一つ一つが、どうして己を樹木と知るであろうか?
だが、樹木は伸び広がっているのだ。
★
どこにでも好きな方に歩いていける。ぼくは自由だ…
だが、この自由はほろ苦かった。
世界と自分が、どれだけつながっていないかを思い知らされた。
★
真の意味でぼくを豊かにしてくれたのは、ぼくが受け取ったものより
多くのものを与えた場合だけだった、ということを認めなければなりません。
★
征服とは、おまえの内部に、おまえを通して、おまえ自身を築きあげることである。
★
人間は自分がすでに自分のうちにいだいている世界にしか気づかぬものである。
サン・テグジュペリ ★
僕にあっては飛行機は自分を創り上げる手段だ。
農夫が鋤(すき)を用いて田畑を耕すように、
僕は飛行機を用いて自分を耕すのだ。
★
手に入れたものによってと同様、失ったことを惜しむもの、
手に入れたいと望むもの、喪失を嘆くものによっても、
導かれ、授乳され、成長させられる。
★
労働の一部は身を養いますが、他の一部は人間を築きあげるのです。
★
みんなぼくを信頼してくれているのだ。
もし歩かないとしたら、ぼくはならず者だ。
★
人間は固い水晶に穴を穿(うが)ちながら、ゆっくりとすすんでゆく。
★
人は、障害に向き合った時、自らを発見する。
★
私が疑うことのできぬ唯一の勝利は、種子の力の中に宿る勝利だ。
黒い大地の中に蒔かれた種子は、すでにして勝者だ。
しかし、小麦に宿るその勝利に立ち会うためには、時の流れが必要なのだ。
★
少年は生活に直面することを恐れない。
嫉妬、裁判、人生の悲しさ、これらがすべて苦にならない。
★
大地を耕す事を通じて農夫は少しずつ自然のあらゆる秘密を引き出す。
その鍬によって掘り出した真実は普遍的です。
サン・テグジュペリ ★
船を造りたかったら、人に木を集めてくるように促したり、
作業や任務を割り振ることをせず、はてしなく続く広大な海を慕うことを教えよ。
★
生命力のあるものは、生きるために、創造するために、
自らの法律を生活するために、あらゆるものをけちらかすものなのだ。
それは防ぎようのないことだ。
★
他人の心を発見することで、人は豊かになる。
★
星が空で光っているのは、
皆がいつか、自分の星を見つけて帰ってくるためなのかなぁ。
★
愛とはなによりもまず、沈黙のなかで耳を傾けることである。
★
他人を裁くより自分を裁く方がずっと難しい。
★
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
肝心なことは、目には見えないんだよ。
★
真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。
★
完全に孤立した人間は存在しない。
★
でも、人に感心されることが、なんで、そうおもしろいの?
サン・テグジュペリ ★
ものごとの意味は、それ自身に内在するのではなく、
ものごとに対する我々の姿勢のなかにある。
★
機械は人間を偉大なる自然の問題から分離させないであろう。
むしろさらに深刻な問題で人間を悩ませることであろう。
★
人間たちはもう時間がなくなりすぎて、
ほんとうには、なにも知ることができないでいる。
なにもかもできあがった品を、店で買う。
でも友だちを売ってる店なんてないから、人間たちにはもう友だちがいない。
★
人間は充実を求めているのであって、幸福を求めているのではない。
★
本当の贅沢というものは、たったひとつしかない。
それは人間関係に恵まれることだ。
★
ぼくたちは、たとえどんな小さなものであろうと、
自分の役割を自覚したときにだけ、幸福になれる。
★
利害を越えた究極の目的を人と共有する時、
初めて心のままに生きることができる。
★
本当の愛は、もはや何一つ報酬を望まないところに始まるのだ。
★
愛とは、互いに見つめ合うことではない。ふたりが同じ方向を見つめることである。
★
いったん出来事のうずの中に身をおいてしまえば、
人はおびえないものだ。人を不安にさせるのは、未知のことだけだ。
サン・テグジュペリ ★
愛と所有の陶酔とを混同してはならない。所有の陶酔は最悪の苦しみを伴う。
人々は愛に苦しめられるのだと思っているが、
そうではなく、その反対のものである所有欲に苦しめられるのである。
★
これほどたくさんの星があっても、夜明けの香り高い一杯の
コーヒーをぼくたちに用意してくれるのは、この地球だけだ。
★
人間は、障害にむきあったときに、自らを発見するのだ。
★
わかるだろうか・・・人生には解決なんてないのだ。
ただ、進んでいくエネルギーがあるばかりだ。
そういうエネルギーをつくりださねばならない。解決はそのあとでくる。
★
事件の渦中に入ってしまうと、人間はもはやそれを怖れはしない。
★
人に好かれるには、同情しさえすればいい。
でも、ぼくはめったに同情しないし、同情しても隠すことにしている。
★
あなた自身を与えれば、与えた以上のものを受け取るだろう。
★
真理とは発見するのではない。創造するのだ。
★
ほかの人たちが成功したことなら、自分もきっと成功できるはずだ。
★
心を高揚させる勝利もあれば、堕落させる勝利もある。
心を打ちひしぐ敗北もあれば、目覚めさせる敗北もある。
サン・テグジュペリ ★
努めなければならないのは、自分を完成させることだ。
★
地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。
★
ひとりの人間の死とともに、未知の世界がひとつ失われる。
★
完璧がついに達成されるのは、何も加えるものがなくなった時ではなく、
何も削るものがなくなった時である。
★
不思議なことが多すぎると、それに逆らおうなんて気がしないものだ。
★
人間であることは、自分の意志をそこに据えながら
世界の建設に参加しているのだと感ずることである。
★
雷雨や、濃霧や、雪などが、ときどききみに難儀をさせるかもしれないが、
そんなとききみは、自分以前にこれに出会った人たちのことを思い出すのだ、
そして自分に言ってきかせるのだ、他人がやりとげたことは、自分にも必ずできるはずだと。
★
生命の歓喜が、ぼくにとっては、この香り高くて熱いひと口、
この牛乳とコーヒーと小麦粉の混合物に、集中されているのであった。
それを通じて人は、平和な牧場とも、異国風な耕地とも、収穫とも合体し、
それを通じて人は、全地球とも合体するのであった。
サン・テグジュペリ ★
61ひとは一度なにかを選び取ってしまいさえすれば、
自分の人生の偶発性に満ち足りて、それを愛することができる。
偶然は愛のようにひとを束縛する。
★
人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。
★
長い年月、人は肩を並べて同じ道を行くけれど、
てんでに持前の沈黙の中に閉じこもったり、
よしまた話はしあっても、それがなんの感激もない言葉だったりする。
ところがいったん危険に直面する、するとたちまち、人はおたがいにしっかりと肩を組みあう。
★
人は発見する。おたがいに発見する。おたがいにある一つの共同体の一員だと。
他人の心を発見することによって、人は自らを豊富にする。
人はなごやかに笑いながら、おたがいに顔を見あう。
そのとき、人は似ている、海の広大なのに驚く解放された囚人に。
★
何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対になりえない。
旧友をつくることは不可能だ。何ものも、あの多くの共通の思い出、
ともに生きてきたあのおびただしい困難な時間、
あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の貴さにはおよばない。
★
物質上の財宝だけを追うて働くことは、われとわが牢獄を築くことになる。
人はそこへ孤独の自分を閉じこめる結果になる、
生きるに値する何ものをも購うことのできない灰の銭をいだいて。
★
未来とは、あなたが予知しようとするものではなく、自分で可能にするものだ。
★
あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、
そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ。
★
心の中に一輪の花を持っている。
この世の中に花はたくさんあるけれど、自分が大事にするたったひとつの花がある。
サン・テグジュペリ ★
自分の内側を見てみても、ぼくは自分以外のものと出会ったことがない。
★
救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ。
★
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ。
★
純粋論理学は精神の破滅です。
★
砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。
★
技術学校の劣等生でも、自然やそこに行われる法則についてなら、
デカルトやパスカル以上のことを知っている。
だがはたして、彼に、あの二人と同じほどの精神力があるだろうか?
★
今日では、種族全体に活を入れるために、
少量の血を流すなどいうことはなくなっている。
飛行機と爆弾とでなされるようになってから、
戦争は、一種血まみれな外科手術でしかなくなってしまった。
★
つまり、ぼくらは解放されたいのだ。
つるはしをひと打ち打ちこむ者は、自分のそのつるはしのひと打ちに、
一つの意味があることを知りたく願う。
しかも徒刑囚を侮辱する徒刑囚のつるはしのひと打ちは、
探検者を偉大ならしむる探検者のつるはしのひと打ちとは、全然別のもの。
★
人は彼らに教育は与えるが、修養は与えない、
教養の意味を、もっぱら公式を鵜呑みにすることだと
信ずるような厄介な意見が行われることになる。
★
なぜ憎みあうのか?ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ、
同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、
各種の文化が対立することはいいことかもしれないが、
これがおたがいに憎みあうにいたっては言語道断だ。
サン・テグジュペリ ★
たとえ、どんなにそれが小さかろうと、
ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、
そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、
なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。
★
おたがいにコンクリートの壁で作った隠れ家の中にひそんで、
仕方なしに毎晩毎晩編隊を送っては、相手の心臓部を爆撃し、
その生命の根源を破壊し、その生産と流通を不随ならしめる。
勝利は最後に腐るほうの側にある。
しかも双方とも、たいていは同時に腐ってしまうのだ。
★
戦争はぼくらを欺く。憎悪は、競争の昂揚に、何ものをも加えはしない。
★
イデオロギーを論じあってみたところで、何になるだろう?
すべては、立証しうるかもしれないが、またすべては反証しうるのだ。
しかもこの種の論争は、人間の幸福を絶望に導くだけだ。
それに人間は、いたるところぼくらの周囲で、同じ欲求を見せているのだ。
★
人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。
人間であるということは、自分に関係がないと思われるような
不幸な出来事に対して忸怩たることだ。
人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。
人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、
世界の建設に加担していると感じることだ。」
★
現代技術のあまりにも急速な進歩に恐れをいだく人々は、
目的と手段を混同しているようにぼくには思われる。
単に物質上の財宝をのみ希求している者に、
何一つ生活に値するものをつかみえないのは事実だが、
機械はそれ自身がけっして目的ではない。
★
人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。だが未知も、
それに向って挑みかかる者にとってはすでに未知ではない、
ことに人が未知をかくも聡明な慎重さで観察する場合なおのこと。
★
もとより人間を、左翼の人と右翼の人、せむしと非せむし、
ファシストとデモクラートに、区別することはできよう。
しかも、このような区別は、非難しがたいものなのだ。
★
ただ、本然というものは、諸君も知られるとおり、
世界を単純化するものであって、けっして混沌を創造するものではない。
本然というのは、全世界に共通なものを引き出す言葉なのだ。
サン・テグジュペリ ★
戦争を拒まない一人に、
戦争の災害を思い知らせたかったら、彼を野蛮人扱いしてはいけない。
彼を批判するに先立って、まず彼を理解しようと試みるべきだ。
★
理屈はどんなことでも証明する。
世界に起る不幸を、せむしたちのせいだとかたづける男にも理屈はあるのだ。
ぼくらがもし、せむしに対して宣戦したとしたら、
ぼくらはやがて、彼らに対して激昂する理由を見いだすだろう、
つまりぼくらは、せむしたちの罪悪に復讐して戦うわけだ。
★
生きる、ということは徐々に生まれることである。
★
愛と所有の陶酔とを混同してはならない。所有の陶酔は最悪の苦しみを伴う。
★
僕がこんなに、あのバラのことが気になるのは、
バラが僕のことを愛してくれたからじゃない。
僕が、バラのことをたくさん世話したからなんだ。
★
僕ら人間について、大地が万巻の書より多くを教える。
理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。
★
君が自分でなじみになったものに対して、
君はずっと責任があるんだからね。君は君のバラに対して責任があるんだよ……。
★
君が君のバラのために失った時間こそが、
君のバラをかけがえのないものにしているんだよ。
サン・テグジュペリ ★
生命というものは、その時々の状態によって説明されるものではない。
その歩みによって説明されるものだ。
★
人を愛することの本質は、互いに相手を見ることではなく、
共に同じ方向を見る中にあるのだ。
★
家や星や砂漠や、そういったものに美しさを与えるのは、
何か目に見えないものだ。
★
重要なのは自分の生きるよすがとなったものが、
どこかに残っているということだ。さまざまな慣習でもいい。
家族の祝いごとでもいい。思い出を秘めた家でもいい。
重要なのは還ることをめざして生きるということだ。
★
犠牲とは、お前をなにものからも切断することなく、
逆にお前を富ますものだ。
★
人にとって最も必要なことは、ついに「存在する」ことであり、
存在の豊かさの内に死ぬなら、獲得とか所有とかは問題になるはずがない。
★
問題はただ一つ、効果があるかどうかだ。
★
あなたがバラのために時間をかけた分だけ、
バラはあなたにとって大切なものとなる。
サン・テグジュペリ ★
さあ、いつまでもぐずぐずしないで。
いらいらするから。行くって決めたのなら、もう行って。
★
彼女はぼくをいい匂いでつつみ、明るくしてくれたんだ。
ぼくはぜったい逃げてはいけなかったんだ!
彼女の下手な駆け引きの裏にある優しさを見抜くべきだったんだ。
でも、ぼくは彼女を愛するには若すぎた。
★
ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。
だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。
★
相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪におちいらせるようなことを
言ったりする権利は、誰にもないのです。
大切なことは、相手をどう思うかではなく、相手が自分自身のことを、
どう思っているかなのです。相手の人間としての尊厳を傷つけることは、
犯罪だということをわきまえておきましょう。
★
人がそれを見つめて、大聖堂を思い描いた瞬間、石はただの石ではなくなる。
★
きみが夕方の四時に来るなら、ぼくは三時から嬉しくなってくる。
そこから時間が進めば進むほど、どんどん嬉しくなってくる。
そうしてとうとう四時になるともう、そわそわしたり、
どきどきしたり。こうして、幸福の味を知るんだよ。
★
置いていかなければならない宝物を持っていることを、天に感謝したい。
★
あんたはこのことを忘れちゃいけない。
めんどうみた相手には、いつまでも責任があるんだ。
★
一度犯した失敗は今後もう起こりにくいので、
この先、失敗する可能性はひとつ減ったことになる。
★
知性にしても、判断力にしても、創造者ではない。
サン・テグジュペリ ★
秩序とは、生命の結果であって、その原因ではない。
秩序とは、ある強力なる都市のしるしではあるが、その起源ではない。
★
この子が綺麗なのは、心の中に薔薇を一輪持ってるからだ。
★
子どもたちは、ぼろきれのお人形に時間を費やす。
だからそのお人形はとっても大事なものになる。
それで、とりあげられると泣くんだね・・・
★
過去とは成就された全体、
かつて未来としてあったものを乗り越えた全体であろう。
★
努めなければならないのは、自分を完成することだ。
試みなければならないのは、山野の間にぽつりぽつりと
光っているあの灯火たちと心を通じあうことだ。
★
私は私自身の証人である。
サン・テグジュペリ ★
自信というものは、いわば雪の様に音もなく、
幾時の間にか積った様なものでなければ駄目だ。
そういう自信は、昔から言う様に、お臍の辺りに出来る、頭には出来ない。
頭は、いつも疑っている方がよい。
難かしい事だが、そういうのが一番健康で望ましい状態なのである。
★
「あいつは、ああいう奴さ」という。甚だ厭な言葉である。
だが、人を理解しようとして、その人の行動や心理を、どんなに分析してみた所が、
最後につき当る壁は、「あいつは、ああいう奴さ」という同じ言葉であるから妙である。
★
ただ「葦」であるには「考え」がありすぎ、ただ考えるには「葦」であり過ぎる。
僕という存在は、僕という観念を超え、又、その逆でもある。
★
「あわれ」とは、歎きの言葉である。
何かに感動すれば、誰でも、ああ、はれ、と歎声を発する。
この言葉が、どんなに精錬されて、歌語の形を取ろうとも、
その発生に遡って得られる、歎きの声という、その普遍的な意味は失われる訳がない。
★
美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、
妙な言い方をする様だが、普通一般に考えられているよりも
実は遙かに美しくもなく愉快でもないものである。
★
思い出のない処に故郷はない。
確乎たる環境が齎す確乎たる印象の数々が、
つもりつもって作りあげた強い思い出を持った人でなければ、
故郷という言葉の孕む健康な感動はわからないのであろう。
そういうものは私の何処を捜しても見つからない。
★
青年は観察されることをきらう。観察されていると知るや、すぐ仮面をかぶる。
その点で、青年ほど気難かしく、誇り高いものはない。
青年は困難なものと戦うのが最も好きだ。
★
幾時の間にか、誰も古典と呼んで疑わぬものとなった、
豊かな表現力を持った傑作は、理解者、認識者の行う一種の冒険、
実証的関係を踏み超えて来る、無私な全的な共感に出会う機会を待っているものだ。
★
問いがそのまま答えになるほど執拗に問う人もあり、
問う能力がないから答えを持っている人もあるのだ。
解決を欲しがる精神が、奴隷根性の一変種であるのが大体普通なのである。
★
映画を見に出かける人々には、
酒場や踊場に行く人々と全く同じ基本的な念願がある。
自分では織れなくなった夢を織って貰いに行くのだ。
小林秀雄 ★
自然は、美や真理を提供してくれるモデルではない。
自然とは貧乏人にこたえる冬の事だ。
こたえない人は、恐らく人間の一部を廃業したのだろう。
★
2+2=4とは清潔な抽象である。
これを抽象と形容するも愚かしい程最も清潔な抽象である。
この清潔な抽象の上に組立てられた建築であればこそ、
科学というものは、飽くまでも実証を目指す事が出来るのだし、又事実実証的なのである。
★
詩を失ったリアリズムとは、無私な観察というものの過信による文体の喪失である。
独特の文体を持たぬ作家の観察という様なものが一体何んだろう。
そんなものを誰も文学から期待しやしない。
★
あらゆる思想は実生活から生れる。
しかし生れ育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、
凡そ思想というものに何んの力があるか。
大作家が現実の私生活に於いて死に、仮構された作家の顔に於いて更生するのはその時だ。
★
批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。
批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!
★
人間は自分の姿というものが漸次よく見えて来るにつれて、
自己をあまり語らない様になって来る。
これを一般に人間が成熟して来ると言うのである。
★
疑いを挑発しない解決という様なものが、この世にありようがない。
★
「人間喜劇」を書こうとしたバルザックの眼に、恐らく最も驚くべきものと
見えた事は、人の世が各々異った無限なる外貌をもって、
あるがままであるという事であったのだ。
彼には、あらゆるものが神秘であるという事と、
あらゆるものが明瞭であるという事は二つの事ではないのである
★
僕等は近代にいて近代の超克ということを言うのだけれど、
どういう時代でも時代の一流の人物は皆なその時代を超克しようとする処に、
生き甲斐を発見している事は、確かな事と思える。
★
どんな天才作家も、自分一人の手で
時代精神とか社会思想とかいうものを創り出す事は出来ない。
どんなつまらぬ思想でも、作家はこれを全く新しく発明したり発見したりするものではない。
彼は既に人々のうちに生きている思想を、作品に実現し明瞭化するだけである。
小林秀雄 ★
実生活の自然な傾向は行為せずに眺める事を禁じている。
作家の眼は、この禁制を破る。
作家は、観照の世界という全く不自然な心的態度のうちに棲むものだ。
この世界に居ると、実生活は、狂態で充満していると見えるのが当り前な事なのである。
★
死を目標とした生しか、私達には与えられていない。
その事が納得出来た者には、よく生きる事は、よく死ぬ事だろう。
★
私は、沢山売れる本は読みません。
沢山売れる本を決して軽蔑しているわけではないのでして、
私は本は勉強以外には読まぬ覚悟をしているだけです。
遊びたい時には外の事をして遊びます。
およそ、本を読むなどというとぼけた、愚劣な遊びは御免なのであります。
★
芸術を愛する人々は、美というものを定義しようとも証明しようともしない、
愛してさえいれば、そんな必要がないからではなく、
愛していることが美の定義も証明も不可能だとはっきり教えてくれるからである。
★
現実の苦がい経験を嘗めた人に、小説が軽薄に見えても仕方がない。
ただ問題は次の一事だ。生ま生しい経験を、生ま生しいままに貯えるには
一種の術が要る、というよりも一種の稀有の資質が要る。
★
議論が、全く正しいという事の為には、
一つの言葉は明瞭に一つの概念を表すという頗るたわいもない仮定が必要だ。
★
西洋模倣の行詰りと言うが、模倣が行詰るというのもおかしな事で、
模倣の果てには真の理解が現れざるを得ない。
そして相手を征服するのに相手を真に理解し尽すという武器より強い武器はない。
これは文化の発達の定法であって、
わが国の文化は、明治以降この定法通りに進んで来た。
★
ドストエフスキイの発明した人間の自由に関する思想は、
彼のかけ替えのない体験の質によって保証された現実性によって、
その効力を発揮するが、ある集団の各人に平均的な自由主義という思想は、
頭数が増えるだけが頼みである。
★
水掛論なるものが一体、両方に正しい理窟があるものじゃない、
中途までしかものを考えない内に議論を始める処から起る現象である。
★
友と共感する為に何かを捨てる必要はない様に、
芸術作品に対しても、人々は自己流にしか共感しない。
芸術作品は、各人の自己を目覚めさせる事によって、人の和を作り出す。
小林秀雄 ★
真似は尋常な行為である。
子供は、理解する前に、まず真似をしなければ、大人にはなれないし、
私達の生活の大部分は人真似で成り立っている。
真似をするには、他人の存在が必要であるのみならず、他人への信頼が必要である。
★
人間は、憎悪し拒絶するものの為には苦しまない。
本当の苦しみは愛するものからやってくる。
★
君が口にする社会不安という言葉さえ、
君のみじめな生活を隠す様に働いていると思った事はないか。
君の生活が混乱している様に君の精神は混乱しているか。
★
善良な不平家というのがいちばん嫌いだ。いちばん救われないような印象を常に受ける。
★
考えるとは、合理的に考える事だ。
どうしてそんな馬鹿気た事が言いたいかというと、
現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、
どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思えるからだ。
★
一体自分を語るのと他人を語るのと、どちらが難しい事であろうか。
いずれにしても、人間は、決して追い付けないもう一人の人間を追う様に見える。
★
ドストエフスキイは矛盾のなかにじっと坐って円熟して行った人であり、
トルストイは合理的と信ずる道を果てまで歩かねば気の済まなかった人だ。
★
見る事と生きる事との丁度中間に、いつも精神を保持する事、
どちらの側に精神が屈服しても、批評というものはない。
これは理智の上の仕事というより、寧ろ意志の仕事である。
★
「自分の嗜好に従って人を評するのは容易な事だ」と、人は言う。
然し、尺度に従って人を評する事も等しく苦もない業である。
常に生き生きとした嗜好を有し、
常に溌剌たる尺度を持つという事だけが容易ではないのである。
★
社会のあらゆる表現は決して捕らえる事の出来ぬ錯乱の証左である。
だがこの証左を悟る精神はまた愚劣に満ちている
小林秀雄 ★
私達は、皆、人間の顔には、非常に興味を持っている。
生活上の必要から、興味を持たざるを得ないから、
人の顔の表情に関しては特に鋭敏にもなっている。
私達は、皆、凡庸なものであろうが、肖像画家の眼を持っている。
★
死はいつも向うから歩いて来る。俺達は彼に会いに出掛けるかも知れないが、
邂逅の場所は断じて明かされてはいないのだ。
★
考えるという事と書くという事は二つの事実を指してはいないのである、
言葉という技術を飛びこして何か考えるなどとは狂気の沙汰である。
★
重要な事は、人々は、人々のそれぞれの生活に
即した現実を見ているに過ぎないという事、
人々は各自の職業習性を離れて決して現実を眺める事は出来ぬという事である。
★
実生活を離れて思想はない。
しかし、実生活に犠牲を要求しないような思想は、動物の頭に宿っているだけである。
社会的秩序とは実生活が、思想に払った犠牲にほかならぬ。
その現実性の濃淡は、払った犠牲の深浅に比例する。伝統という言葉が成立するのもそこである。
★
ヘーゲルは歴史上の一人物に過ぎず、
歴史がヘーゲルのシステムのなかにあるのではない
★
僕がドストエフスキーをとうとうダメにしたのは、
キリスト教がわからなかったからなんです。どうしてもわかりません。
★
自分の本当の姿が見附けたかったら、
自分というものを一切見失うまで、自己解析をつづける事。
中途で止めるなら、初めからしない方が有益である。
途中で見附ける自分の姿はみんな影に過ぎない。
★
有効に行動する為に予見すること、これが知性の目的である。
★
老醜という言葉は様々な生物にいえるが、
大木には当てはまらぬ。大木は老いていよいよ美しい。
小林秀雄 ★
誑かされるのが生きる事ではない。生きる事が誑かされる事なのだ。
この瓜二つに見える言葉は、俺には全く異なった音を伝える様だ。
★
人生を解釈する上に非常に便利な思想というものは、その便利さで身を滅ぼす。
便利さが新たな努力を麻痺させるからだ。
★
百五十年も前に、ナポレオン法典は、各人の思想発表の自由を規定したのである。
めいめいが好き勝手な事を主張する自由を認めた上で、
皆が協力して秩序ある社会を作ろうとは、
また何んという困難極まる理想を人間は抱いたものか。
★
あゝ夏よ去れ心明かすな棲みつかぬ季節よ失せ行け切れぎれに惑ふわれかな
★
姿は似せがたく、意は似せ易し。
言葉は、先ず似せ易い意があって、生れたのではない。
誰が悲しみを先ず理解してから泣くだろう。先ず動作としての言葉が現れたのである。
動作は各人に固有なものであり、似せ難い絶対的な姿を持っている。
★
表現以前にある個性という様なものは、全くの空想である。
芸術家は、材料と取り組み、己れを空しくしてある形を作り上げてみて、
はじめて己れの個性という様なものが、出来上がった形に現れるのを悟るものです。
その現れたものが最初にあったのではない。
★
テレビを享楽しようと、ミサイルを呪おうと、
私達は、機械を利用する事を止めるわけにはいかない。
機械の利用享楽がすっかり身についた御蔭で、機械をモデルにして
物を考えるという詰まらぬ習慣も、すっかり身についた。
御蔭で、これは現代の堂々たる風潮となった。
★
思想史とは社会の個人に対する戦勝史に他ならぬ。
……「犬は何故しっぽを振るのかね」「しっぽは犬を振れないからさ」。
この一笑話は深刻である。
★
生きた人が死んで了った人について、
その無気なしの想像力をはたく。だから歴史がある。
★
観察された或る事実が、動かし難い無二の現実性を帯びる為には、
観察者のその時一回限りの感動というものに、
その事実が言わば染色されていなければならない。
小林秀雄 ★
出来上った知を貰う事が、学ぶ事ではなし、
出来上った知を与える事が教える事でもなかろう。
質問する意志が、疑う意志が第一なのだ。
★
どちらを選ぶか、その理由が考えられぬからこそ、人は選ぶのである。
そこまで人は追い詰められねばならぬ。
★
小説の面白さは、他人の生活を生きてみたいという、実に通俗な人情に、
その源を置いている。小説が発達するにつれて、
いろいろ小説の高級な面白がり方も発達するが、
どんなに高級な面白がり方も、この低級な面白がり方を消し去る事は出来ないのである。
★
人間精神は言葉によってのみ壮大に発展出来るのだが、
この事実は精神が永遠に言葉の桎梏の下にあることも語るものだ。
★
文字という至便な表現方法を知らずに、いかに長い間人間は人間であったか、
優美や繊細の無言の表現を続けて来たか
★
小説とは、今日も依然として小人の説の織りなすドラマであって、
私小説とか社会小説とか言ってみたところで、
外面的な曖昧な区別たるを免れない。
本質的に考えれば、登場人物が一人であるか、多数であるかの区別しかないのである。
★
一般に若い頃に旺盛だった読書熱というものを、
年をとっても持ちつづけている人はまことに少い。
本を読む暇がなくなったという見易いことには誰でも気が付くが、
本というものを進んで求めなくなって了った自分の心には、
なかなか気付がかぬ。又、気が付き度がらぬ。
★
批評するとは自己を語る事である、他人の作品をダシに使って自己を語る事である。
★
俺はよく考える。俺達は皆めいめいの生ま生ましい経験の頂に
奇怪に不器用な言葉を持っているものではないのだろうか、と。
ただそういう言葉は当然交換価値に乏しいから手もなく置き忘れられているに過ぎない。
★
思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、
ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある。
小林秀雄 ★
人間が種族保存上、有効に行動し生活する為に、
自然は、人間に、知性という道具を与えたのは確からしいが、
己れの謎を解いて貰う為に与えたとは到底考えられぬ事である。
★
神経質で、敏感で、いつも自分がいい子になりたいと思っている奴は、
時とすると実によく相手の心持ちを見抜くものだ。
然し、自分に関係のない事柄、つまり、どっちにしたって
自分はいい子になってられるという場合には、恐ろしく鈍感になるものだ。
★
変わり者はエゴイストではない。社会の通念と変った言動を持つだけだ。
世人がこれを許すのは、教養や観念によってではない、附き合いによってである。
附き合ってみて、世人は知るのだ。自己に忠実に生きている人間を軽蔑する理由は何処にあるか、と。
★
困難は現実の同義語であり、現実は努力の同義語である。
★
何故に人間の捕えた理想は空しいのか。それは単なる人間精神上の戯れだからだ。
何故に人間を捕えた理想は現実的なのか。自然の理法は常に人間精神より沈著だからだ。
だが、誰が知ろう、お前の理想は捕えた理想か、捕えられた理想か。
★
現在が語り難い様に過去は語り難い、殊に精神のうちの出来事は。
今飛び去っているものは捉え難いし、
既に飛び去って了ったものは形を変えて今飛び去っている。
★
直情だけでは、直情の歌を作るに足りぬ。
天真と見える万葉の歌が、どんなに巧妙な鋭敏な言葉の使い方から生まれているかは、
現代の歌人が、絶えず驚きを新たにしている処である。
★
モネの印象は、烈しく、粗ら粗らしく、何か性急な劇的なものさえ感じられる。
それは自然の印象というより、自然から光を掠奪して逃げる人の様だ。
可憐な睡蓮が、この狂気の男に別れを告げている。
★
先ず何を置いても、全く謙遜に、無私に驚嘆する事。
そういう身の処し方が、ゴッホの様な絶えず成長を止めぬ強い個性には、
結局己れを失わぬ最上の道だったのである。
★
電車に乗って前に腰掛けた人間達の顔を見渡してみたまえ。
如何に壮大なる愚劣を発見する事か。
兵隊も紳士も番頭も、神様から戴いた顔をどうしようもなく
肩の上で動かしている光景は、如何にすばらしく無惨な事か。
小林秀雄 ★
人間とは何かという問いは、自分とは何かという問いと離す事ができない。
★
ともかくも俺は生きのびた。そうだともかくもだ。
ともかくもなどとなんとうまい言葉を人間は発明しただろう。
★
歴史を鏡と呼ぶ発想は、鏡の発明とともに古いように想像される。
歴史の鏡に映る見ず知らずの幾多の人間達に、
己れの姿を観ずる事が出来なければ、どうして歴史が、私達に親しかろう。
★
エンペドクレスは、永年の思索の結果、
肉体は滅びても精神は滅びないという結論に到達し、噴火口に身を投じた。
狂人の愚行と笑えるほどしっかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはいないのである。
★
必然性というものは図式ではない。僕の身に否応なく降りかかってくる、そのものです。
僕はそれをいつもそれを受入れる。どうにもならんものとして受入れる。
受入れたその中で、どう処するべきか工夫する。その工夫が自由です。
★
現在というものを理解する事は、誰にもいつの時代にも大変難しいのである。
歴史が、どんなに秩序整然たる時代のあった事を語ってくれようとも、
そのままを信じて、これを現代と比べるのはよくない事だ。
その時代の人々は又その時代の難しい現在を持っていたのである。
★
幾人にでも分配の可能な、社会的思想という匿名思想には、
無論、個性という質がないわけであるから、その効力は量によって定まる他はない。
★
吾々にとって幸福なことか不幸なことか知らないが、
世に一つとして簡単に片付く問題はない。
★
笑いの裡には常に防衛と不安とがある。微笑は何んの武器をももっていない。
微笑する人には、何んの不安もない。そこではただ生命の花が開くだけだ。
★
人間は憎み合う事によっても協力する
小林秀雄 ★
美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです。
★
同じ理論を抱いているというので親友だと思い込む、
実はただひとりでものを言うのが不安だからに過ぎぬとは気が附かぬ。
★
凡そものが解るという程不可思議な事実はない。
解るという事には無数の階段があるのである。
人生が退屈だとはボードレールもいうし、会社員も言うのである。
★
互いに己れを主張し、攻撃と防禦の気を伺っている様な思想は、
権力のかぶった仮面に過ぎないからであります。
これらの思想は各々の陣営の中に住んでいるので、人間の精神の裡にあるのではない。
★
己れを実現する為の、最も現実的な保証なり根拠なりを、
原子爆弾の数の上に置いている、さようなものを思想と呼ぶのは滑稽である。
この思想としての内的根拠を全く欠き、一方、物質のシステムの明瞭性も
全く欠いた怪物に、世人は、イデオロギイなどというえらそうな名を付けました。
★
学者とはずい分長い間、書物に書いてある知識くらいは皆空で覚えていた人だったでしょう。
書物は、記憶の不確かな処を確かめる用しかしなかったでしょう。
★
詩は言うまでもないが、散文にしても物語だった。
読まれたのではない、語られたのです。
本は、歌われたり語られたりしなければその真価を現す事は出来なかったのです。
★
凡そ究極的な問題は、直覚によって掴む他はないもので、
直覚の率直な表現が、屡々逆説と見えるという事は、ニイチェの作でいつも経験する事です。
真の逆説とは言わば認識に於ける極めて率直な決断なので、
ひねって逆を言ってみるという様な事てはない。
★
現代の批評病は、いろいろな症状を現しているが、
根本のところは、物に対するこの心の手ごたえを失っている事から来ている様に思われます。
何かを批評している積りであるが、その何かが実はないのである。
★
ベルグソンが、晩年の或る著述の中で、これからの世にも大芸術家、
大科学者が生まれるかも知れないが、大政治家というものは、もう生まれまい、
と言っております。つまり政治は、現在既に大政治家など
いよいよ必要としない傾向を辿っているというのです。
小林秀雄 ★
個人の独創により、普遍的人間性を表現しようとする十九世紀理想主義の
権化たる点において、ベエトオヴェンは、文学の世界で言うなら
ゲエテやバルザックに比すべき稀有な芸術家だった…
★
天下を整理する技術が、大根を作る技術より高級であるなどという道理は
ないのでありますが、やはり整理家は、無意味な優越感に取りつかれるらしい。
交通巡査でさえそうかも知れぬ。
★
自分の経験した直観が悟性的判断を越えているからと言って、
この経験を軽んずる理由にはならぬという態度です。
★
私は、美術や音楽に関する本を読むことも結構であろうが、
それよりも、何も考えずに、沢山見たり聴いたりする事が第一だ、
と何時も答えています。
★
今日の知識人達にとって、己れの頭脳によって
理解出来ない声は、みんな調子が外れているのです。
その点で、彼等は根底的な反省を欠いている、といっていいでしょう。
★
近代科学の本質は計量を目指すが、精神の本質は計量を許さぬところにある。
★
極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。
絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。
頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。
★
ソヴェトには言論の自由はないであろうが、沈黙の自由ならある筈だ。
言葉のしゃれではない。黙らされた人間は、必ず沈黙によって自己を現すものであり、
この力は必ずしも言論の力に劣るものではありませぬ。
★
文字のなかった時代の教養人とは、無論、何でも頭で覚えていた人だ。
そしてこれを上手にしゃべった人だ。
そういう教養人の態度が、文字ができ、書物が書かれると、
急に変わってくるという様なことは考えられぬ。
★
浪漫主義が流行させた、独創とか個性とかいう言葉は濫用されています。
濫用しているうちに、知らず知らず、芸術作品の個性という意味が下落する。
下落して単なる個人個人の相違という意味と混同されます。
小林秀雄 ★
もし芸術作品の個性という事が言いたいのなら、
それは個人として生まれたが故に、
背負わなければならなかった制約が征服された結果を指さねばならぬ。
★
批評文の作者はいつも、ある命題が心に浮ぶと同時に、
その反対命題が心に浮ぶくらい鋭敏でなくてはならぬ。
★
人生の謎は、齢をとればとる程深まるものだ、とは何んと真実な思想であろうか。
★
心に疑惑の火を絶たぬこと、これが心に皺がよらない肝腎な条件に思えた。
★
人の心は問題の解決をいつも追っているかも知れぬが、
矛盾の解決によって問題を解決しようとは必ずしも希ってはいない。
生活意欲というものは寧ろ問題を矛盾したまま
会得しようと希っているし、事実それを日々実行している。
★
誰も彼もが他人の言葉には横を向いている。
迂闊だからではない、他人から加えられた意見を、
そのまま土台とした意見を捨てきれないからだ、
土台とした為に無意味なほど頑固になった意見を捨てきれないからだ。
誰も彼もがお互に警戒し合っている、騙されまいとしては騙し合っている。
★
ニューズの氾濫は人々に疲れやすい神経的昂奮を齎すばかりではない。
人々に戦争を悪く冷静に模倣する術も教えるのだ。
戦争に関する僕等の直覚力や想像力を、
この異常な人間経験に対する僕等の率直な理解を麻痺させて了う。
★
室町時代という、現世の無常と信仰の永遠とを
聊かも疑はなかったあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心している。
それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆どそれを信じているから。
★
科学主義というものは一と口で言えば、
問題を解決する事を知って問題を提出する事を知らぬ一面的な批評主義だ。
★
誰も、己れの心を、自分の感じ方でしか感じはしないし、
己れの語り方でしか語れはしない。
小林秀雄 ★
人間の生活を一番よく知っている人が一番立派な文学作家なのだ。
私はもう、それを信じて疑わない。他はみんな附けたりだ。
それでなくて何が文学というものが面白かろう。
文学だと思って読まなければ面白くないような文学は私はもういらない。
★
キリストの一生ほど、彼〔ドストエフスキー〕に強い疑いを起させたものはなかった。
人から来た疑いは解く事も出来よう。だが神から来た疑いを解く事は出来ぬ。
★
ベルグソンは若いころにこういうことを言ってます。
問題を出すということが一番大事なことだ。
うまく出す。問題をうまく出せば即ちそれが答えだと。
この考え方はたいへんおもしろいと思いましたね。
★
諦観は悪い事かもしれないが、諦観に生きる人々は厳存する。
宿命観はいけないかも知れないが、宿命観を強いられる精神の苦痛は厳存する。
★
美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。
★
生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。
★
保守派は、現実の習慣のうちに安んじて眠っている。
進歩派は、理論のうちに夢みている。
眠っているものと、夢みているものとは、幾らでもいるが、覚めている人は少い。
★
終戦の翌年、母が死んだ。母の死は、非常に私の心にこたえた。
それに比べると、戦争という大事件は、言わば、私の肉体を右往左往させただけで、
私の精神を少しも動かさなかった様に思う。
★
言葉の故郷は肉体だ。
僕等の叫びや涙や笑いが、僕等の最初の言葉である事を疑う者はあるまい。
だが、言葉は拡散する。厄介な肉体の衣を脱いで、軽々と拡散する。
もう再び肉体を得ないのだとしたら、一体何処まで飛び去ればいいのだろうか。
詩人とは、その事に気附いた人間だ。
★
左翼だとか右翼だとか、みんなあれイデオロギーですよ。
あんなもんに「私」なんてありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。
どうしてああ徒党を組むんですか。
小林秀雄 ★
才能の鍛錬が、才能の玩弄に落ちない事は、先ず稀有だと言っていい。
★
凡そ物の真相とは、人間が追求するが発見は出来ない或るものの様にも考えられるし、
発見はするが追求は出来ない或るもののようにも考えられる。
恐らくどちらも本当であろう。
★
人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、
この世を捨てようと希う事は出来ない。
世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である。
★
俺を支えているものは俺自身ではなく、ただ俺の過去なのかもしれない。
俺には何んの希望もないのだから。
だけど、俺が俺の過去を労ろうとすればするほど、それは俺には赤の他人に見えて来る。
★
理想に捕えられ、のたれ死にまで
連れて行かれたトルストイは、理想の恐ろしさをよく知っていた。
彼の定義に従えば、理想とは達する事の出来ぬものだ、
達せられるかも知れぬ様な理想は、理想と呼ぶ様な価値はないのである。
★
愛読書を持っていて、これを溺読するという事は、なかなか馬鹿にならない事で、
広く浅く読書して得られないものが、
深く狭い読書から得られるというのが、通則なのであります。
★
近代の歴史思想というものは、思想界に於ける産業革命の
如きものではあるまいかと、私はいつも思っている。
私達は、歴史に悩んでいるよりも、
寧ろ歴史工場の夥しい生産品に苦しめられているのではなかろうか。
★
真理の名の下に、どうあっても人々を説得したい、
肯じない者は殺してもいい、場合によっては自分が殺されてもいい。
ああ、何たる狂人どもか。
そこに、孔子の中庸という思想の発想の根拠があった様に、私には思われる。
★
人の有るが儘の心は、まことに脆弱なものであるという、
疑いようのない事実の、しっかりした容認のないところに、
正しい生活も正しい学問も成り立たぬという、
彼〔宣長〕の固い信念、そこに大事がある。
★
私達は皆めいめい自己流に生きている、そうであるより他はない、
これは実に厄介な困難な事である。
小林秀雄『政治と文学』 共感する
小林秀雄 ★
日本の歴史が今こんな形になって皆が大変心配している。
そういう時、果たして日本は正義の戦いをしているかという様な考えを抱く者は
歴史について何事も知らぬ人であります。
歴史を審判する歴史から離れた正義とは一体何ですか。空想の生んだ鬼であります。
★
極めて柔軟な精神は屡々懐疑的な精神と間違えられる。
極めて懐疑的な心は屡々無関心と誤られる。
これらには共通した消極的な類似があるからだ。
★
私は客観的な尺度などちっとも欲しかない。客観が欲しいのだ。
★
歌とは、敗北を覚悟の上でのこの世の定め事への抗言に他ならぬ。
★
古典は単に私達の眼前に在るのではない。歴史のぎりぎりの結論として在るのだ。
★
悲劇の反省など誰にも不可能です。悲劇は心の痛手を残していくだけだ。
痛手からものを言おうと願う者は詩人である。
そして詩人が、どんなに沢山の、どんなに当たり前な人間の心に
住んでいるかを知るのには、必ずしも専門詩人たるを要しないでしょう。
★
例えば、物忘れがひどくなったのが呆けた事なら、呆けた事など大した事ではあるまい。
詰まらない事を、あんまり覚え過ぎたから、いっそさっぱりしているようなものだ。
呆けたという特色は、そんなものではない。棺桶に確実に片足をつっ込んだという実感です。
★
古典とは、私達が、回顧の情をもって近づく生きて考えた優れた人間の姿なのであって、
分析によって限定する過去の一思想の歴史的構造ではない。
従って、古典とは、理解されるものというより、むしろ直覚されるものだ。
小林秀雄『「論語」(評論)』 共感する
小林秀雄 ★
あらかじめ売ることを考えて、新築する料簡は、千三ツ屋のそれに似ている。
★
作の真髄を会得する感覚を養うなら、幼少からじかに一流品に接するに如くはない。
★
肉眼と心眼があるかぎり、レンズの目は邪魔だと私は心得る。
★
けれどもこの世に、もし平和というものがあるならば、
季節のものだけしかない食膳の上にあるのではないかと、このごろしきりに思うのである。
★
非が常に他人にあって、みじんも自分になければ、経験が経験にならない。
★
ビニールレザーはビニールのくせに、革にみせかけた新建材である。その心根がいやしい。
★
金を貰ったくせに、貰わぬ昔のままでいたい、またいられると思うのは心得違いである。
★
本もののつむじ曲りは、自分がつむじ曲りであることを常に残念に思い、
かつ恥ずかしく思うものである。
★
むかし映画は大作でもないものを大作と言ったから、すこし大作のときは困って超大作、
もうすこし大作のときは超弩級と言って言葉の信用をおとした。
★
何の目的も学問もないものが、海外に遊んでも得るところはない。大仕掛けな「はとバス」に
乗ったようなもので、故に私は海外に旅しない。
★
ひとの懐を勘定して羨むのはいやしむべきことだが、人は本来いやしい存在である。
★
わが情報はいくらあっても肝心なことは書かない。
それをかいつまんで言うのがジャーナリストの務めなのに、言ったためしがない。
★
ある種の動物が全地球を覆うほどふえたためしはない。ふえればそのふえたことによって滅びる。
山本夏彦(コラムニスト。雑誌「室内」主宰) ★
世間には笑われておぼえることが山ほどあるのである。
★
この言葉を聞くと前の言葉はうそだと分る。それなら今の言葉もいずれはうそになる可能性がある。
★
政治家が国を誤るのは俗受けをねらってパフォーマンスをやる時に多い。
★
歳は勝手にとったのだ、白髪は知恵のしるしではない、老人のバカほどバカなものはないと
私は金言のありたけを並べるが、その誘惑にたえかねるのだろう、老人は教えたがる。
★
カメラマンはスキャンダルの主を追って三日三晩寝ずの番をして
首尾よく盗みどりに成功すると自慢である。
こんなことが男子一生の仕事かと、ためしに言ってみてもけげんな顔をするだけである。
★
毎日出勤途中見るビルたちは、全く無計画無秩序に建てたもので、見るにたえないが、
あれも自分の内奥を具体化したものだと笑うよりほかないのである。
★
禽獣の親は仔が一人前になるまでは実によく面倒をみるが、
一人前になるとあかの他人である、それが自然で孝は自然ではない、教育なのである。
★
先方からおしかけてくるものにロクなものはない。
★
こげ臭い菓子をつくる家の菓子は、いつもこげ臭い。
★
我々は大ぜいが言うことを、共に言う存在である。
この世の中は、自分で考える力のあるひと握りの人と、
自分では考える力がなくて、すべて他人に考えてもらう大ぜいの人から成っている。
山本夏彦 ★
有名な作家の、有名な作品を読むのも似たようなものだ。そんなに面白い作品なら、
作者が生きていようといまいと関係なく面白いはずである。作品は作者から独立すると、
作者は思いたいから思う。作品は不朽で、死後も遺ると思いたいから思う。ごく稀に死んで
からも売れる作品があるからそう思うのは無理もないが、作者は死ぬと同時に読者を失う。
★
読者も共に老いただろう。六十七十を越え、亡くなった人もあるだろう。
健康でも、もう本は買わないだろう。読まないだろう。
作者は長生きすると、読者がこの世からいなくなるのを見ることがある。
★
仕事らしい仕事がなくて、給料が世間並なら割がいいと、もし若者が思うなら間違いである。
終日仕事がないことが、どんなにつらいことか知らないのである。
人生、同業組合の職員になるなかれと、このとき私はながめて思ったのである。
★
原則として、大ぜいが異口同音にいうことなら、信じなくていいことだと私は思っている。
★
そのころのことを知るものがいないのをいいことに、私は若いとき貧乏した、苦労したと妻子や
他人に自慢したらおかしい。誰がおかしがるのでもない。私がおかしがる。
★
縁台は個人のものであり、横丁のものであった。これを町内という。今は地域社会という。
コミュニティの訳語だろうが、地域社会なんていっているかぎりよい町内はできないだろう。
★
寄せては返す波の音は自然の繰返しだから、慣れれば何でもなくなる。
山本夏彦 ★
まねっ子の方が売れて、元祖のほうが売れないとは神も仏もないが、
神と仏は住々ないものである。
★
ひとりで旅してひとりで暮らしたら、鴎外漱石の時代とたいした違いはないのではないか。
★
男はその精神の内部によって目立つことは許されても、
衣装のような外部によって目立つことは許されないと、
むかしものの本で読んでもっともだと思って以来、私は風俗には従うことにしている。
★
手巻きと称して手で巻いて棒状のままを、ぬっと鼻先につきつける。
なぜ切らないかと問うと、包丁の金けがうつるからだと小癪なことを言う。
ついこの間まで包丁をいれていたではないか。そのころは金けはうつらなかったのか。
★
私はただ自分の金なら惜しんで、他人の金なら
湯水のように使う私たちの料簡に深甚な興味をもつだけである。
★
有能は何をしでかすか分らない。
山本夏彦 ★
私はしばしばひとを当人と他人に分ける。
そしてこの世はその当人にみちみちたところだと見わたす。
イギリス人は自分の国の小学生に、わがイギリスが世界中に植民地を持ったのは、
南アフリカでは首長に懇望されたからであり、エジプトでは王の苦しい財政を助けるためであり、
インドではインド人の幸福を願ったためであると教えているという。
あまりのことに中国人も日本人も笑うが、その中国人は尖閣列島から
石油が出ると聞くと、すぐこの島々は中国領だと言いだす。
わが外務官僚はこのとき直ちに駁して尖閣列島は沖縄に属し沖縄はわが国に属すと言った。
日本の利益を代表する弁論である。ところがわが国の大新聞は中国に遠慮して、
その日もあくる日も沈黙して、十何日が何十日かたってから、ようやくわが国の領土だと社説で駁した。
山本夏彦 ★
あなた四十にもなって、ほんとうに男がほしくないの?と辻元清美に迫ったのは瀬戸内寂聴で
(「婦人公論」九月二十二日号)、辻元は言葉をにごしていた。
瀬戸内は辻元が袋だたきにされているのを見かねて、
話なら聞いてやるからいつでもおいでと言ってくれたので来たのである。
瀬戸内はその昔デビューした当時、女であることを売り物にしたといじめられた。
女にも当然性欲があること男と同じである。一人ならず何人とでも恋愛すると昂然といったのだろう。
再起できないまでにたたかれたのによく耐え、婦人の支持を得て次第に人気作家になった。
むかし身分ある老女に、女はいつまで女かと問うたら
桐の火桶を火箸でゆるりとかき回しながら、灰になるまでと答えたという。
平林たい子が亭主に逃げられたとき慰める女だちの手をふり切って、
この年でもう一度男ができると思うかと悲痛な声で叫んだと聞いた。
山本夏彦 ★
わが選挙権は税金(初め十五円のち三円)以上納めた成年男子にしかなかった。
税金と選挙権とは関係ない。成人したら自動的に選挙権あるべしち騒いで
制限選挙を撤廃し普通にせよと大正末年にめでたく成功したのはいいが、
婦人参政権を忘れていた。婦人もそんなものほしがらなかった。
かりに制限選挙のとき有権者は八百万人しかいなかったとせよ。それだけで沢山だ。
凡そ人間は汚濁ばかりの集団だとしても、稀には国益第一のものもいる。
良心あるものもまじっているに違いない。貧乏人代表がいないと仰有るならその代表何百人かをまぜるがいい。
ただ有権者が二倍になれば腐敗は十倍になる。
だから制限選挙でいいのだ、ギリシャ人は一定の税金を納め、
いったん緩急あれば武器をとってポリスを守る意志と能力のある壮丁にしか選挙権を与えなかった。
老いれば選挙権は失う。これが制限選挙の模範である。
山本夏彦 ★
日清日露の戦役まで侵略戦争だと支那人が言うのは勝手だが、日本人が言うのは不自然である。
それなら当人ではない。他人である。
当人というものは自分の利益とみれば沖縄県石垣の尖閣諸島でさえ自国領だと言いはるものである。
それが健康な個人であり国家である。わが家であり、わが社である。
故にと健康というものはイヤなものである。
けれどもおお、個人も法人も国家も健康でなければならないのである。
わが国のごとく他人が言いはることを先回りして言って良心的だと思う国家は、
怪しいかな他国に侮られるのである。
山本夏彦 ★
芸人の代表は力士だと私は見ている。
相撲とりは、幕下から十両、さらに関取と日の出の勢いで出世するから、贔屓が何十人もつくのである。
勝ち相撲のあとは座敷がかかる、着かえてかけつけ大杯をぐっと呑みほす、
祝儀を頂いてから次から次へと座敷をつとめる。最後の座敷には芸者が待っている。
関取は芸者に買われるのである。
芸者はいやな客の機嫌気褄をとって、そのうさ晴らしに役者買いをするのである。
橘屋のいろなら買いたいという旦那がつくのである。
大阪では白粉ちんこ、砂ちんこ、扇子ちんこといった。
役者買いは歌舞伎役者が第一、二の次は関取、噺家、講釈師はげてもの買いだといった
山本夏彦 ★
戦後といっても昭和三十年代までは戦前と同じである。
すべて石油によって変わったと思えば早分かりである。
三井三池の大ストライキ(昭和三十四年)は石炭が石油に変わったということで、
石炭は高いが石油はただ同然で、その石油を採用することによってわが高度成長は成ったのである。
したがって三井三池の血を血で洗うストライキは無益だったのである。
失業者の救済策だけ講じればよかったのである。このときマスコミが果した役割を思い出してみるといい。
一大決戦みたいなことを書き、負けるに決まった戦さを勝った勝ったと書くこと戦時中のようだった。
山本夏彦 ★
新聞は常に野党的である。これは旧幕臣で才あるものが新聞をおこしたから自然である。
新聞の反体制の根は遠くここにある。反政府でなければ「御用新聞」と同業にも読者にも見放された。
徳富蘇峰の国民新聞は日露戦争でわが国はすでに弾薬も兵糧も尽きている。この講和条約は渡りに舟であるから
結べと書いて、勝った勝ったと浮かれている読者の激昂にあって焼打ちされた。
社員は畳を盾に抜刀して応戦したと伝えられる。当時一流の新聞は徳富と同じ情報を得ていた。
講和やむなしと思いながら暴徒を恐れて徳富を見殺しにした。
国民新聞は御用新聞と言われて部数は激減して他は激増した。
新聞ははじめ薩長の藩閥政治反対の論陣を張った。薩長政府が去って政党政治に移ると、
今度は政党の汚職を連日あばいて政治家を「財閥の走狗、利権の亡者」と糾弾した。
それをまにうけた青年将校が浜口(雄幸)を犬養(毅)を倒すと、
テロはいけないがその憂国の至情は諒とするとかばって、軍部独裁への端を開いた。
汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである。
山本夏彦 ★
五・一五、二・二六両事件の青年将校は、まじめと正義の権化だった。
話せばわかるまあ坐れと犬養毅は言ったが、問答は無用だ撃てと命じてなお正義だった。
まじめということはよいことだと思われているが、実は悪いことなのだ。
まじめと正義は仲良だ、したがって正義も悪いことなのだ。人は何より金を欲すつというが、
実はもっと正義を欲する。大好きな正義!正義は潔白の仲間だ、そして潔白は残念なのだ。
山本夏彦 ★
来世は男に生まれたいかと女に問うと、戦前はみんな男に生まれたいと答えた。
「人生婦人の身となることなかれ、百年の苦楽他人(夫)による」と唐代の詩人はうたったから、
千何百年も前からそうだったのだろう。女はソンで男はトクだと思っていたが、戦後は反対になった。
来世も女に生まれたいと答える女がふえたが、今は十人中九人までは再び女に生まれたいと答える。
どうしてと聞いても「どうしても」と言って要領を得ない。
稀代の美男に生まれて慕いよる娘を人妻を、片はしから犯したらさぞよかろうと言っても、
やはり女のほうがいいと笑って承知しない。
まれに一年間だけなら男に生まれてもよいがそれ以上はいや、もとの女に返りたいという娘がある。
これはまだ男を知らぬ女だ。男を知った女に問うと男は哀れだからと言う。
たいてい年増で、どこが哀れだと問つめてもそれ以上は答えない。
山本夏彦 ★
自分がその席に坐ったら必ずとるワイロを、坐れなかったばっかりに鋭く追及するのが正義か、
さすがに食傷してこのごろは読んでもうわの空になった。そしたらあろうことか検察官の頭株が汚職した。
そもそも検察を正義のかたまりだと思うのは迷信ではないのか。外務官僚その他と友でないのか。
★
痛烈というのは自分のことは棚にあげ、他を論難攻撃することである。
辻元清美女史は鈴木宗男議員を追いつめて、痛烈だったという。
(中略)今度は自分の政策秘書の給金の猫ババが露呈して、弁明も出来なかったという。
痛烈の正体をこれほど短時間に見ながら、なお人は痛烈が大好きなのである。
★
今はノンポリばかりである。新聞記事をファイルしておけと命じても脱落が多い、
朱でしるしをつけたところが貼ってないと言ったら、
この仕事はぼくには向きません向く人にやらせてください、ぼくには他の仕事を。
これまた言うべき言葉の用意がないので黙って、あるなら教えてくれ。ただしごくごく手短に
★
電通世界一に便乗して群小代理店も、
運搬以外の仕事がないのに電通が一流になったので自分も一流になったと誤解する。
それは幹部がむかし賤業だったのをかくすために誤ったプライドを植えつけた結果である。
教育しなおすことが出来ないことは電車内で行儀の悪い子を教育することが出来ないことに似ている
山本夏彦 ★
人の患いは好んで人の師となるに在りとシナの賢人が言っている。
人生教師になるなかれと私は教師の口もとを見て思うことがしばしばある。
★
旧幕のころは〜遣米使節木村摂津守、村垣淡路守の日誌をのちに読んで知った。
異人に伍してよく自己を失わず摂津守のごときは頭のてっぺんから足のつまさきまで貴人だと、
かの地の新聞に書かれた。「草の葉」の詩人ホイットマンは日本使節をたたえる詩を書いた。
★
論より証拠というのは昔のことで、今は証拠より論の時代だとは何度も言った。
論じれば証拠なんかどうにでもなる。
★
「今も昔もマッチポンプ」煙があがる、火がないはずがないと記者は必ず言う。
然り煙があがる、たとい自分がつけた火でも。
★
一流だろうが二流だろうがサラ金はサラ金で、
銀行がこれに貸すならその一味であることを白状するようなものである。
★
鹿を追う猟師山を見ずといって、税史は税だけを追って他を見ない。
山本夏彦 ★
大正デモクラシーというのはブルーカラーを低く見た時代で、
商人をバカにしてホワイトカラーを高くみた。
これは今も続いている。そろばんの動きを教えないのがいい学校だなんてその極みである。
★
社員でさえ読まない本 社史
★
駅のそばの丸井はもとは月賦屋といわれてさげすまれていた。
中野の店の二階の天井は昭和二十年代にぬけおちた。朽ちていたのである。
それがクレジットと称して一躍恥ずべきものでなくなった。ネーミングにはこれだけの力がある。
★
オカネ ガ アリマスというコラムを書いたことがある。
わが国の教育は維新で零落した士族の失地回復運動で、
東大さえ出ていれば十人の、百人の、千人の支配者になれると士族の子弟は一家をあげて、
東大をめざすこと今日の如くだった。武士は金銭を賤しむ風がある。
したがって金銭の教育をしない。
★
ノンポリがふえて日の丸と君が代騒ぎは来年は減るだろうと私は思わない。
あれは天皇制打倒の最後の砦である。死守するだろう。
死守したからといって公立学校ではクビにできない。それを承知の上での死守である。
山本夏彦 ★
「神州清潔の民」という言葉なら、私は子供のときから知っていた。
してみれば西洋人は不潔の民なのかとけげんに思った。
戦国乱世のころわが国に布教に来たフロイス以下の宣教師は、
日本人の入浴好きに驚き、街路に塵ひとつとどめないのに驚き、
皆々巧みに箸をつかって食事するのに驚いた。
★
ロケーションをしてだれに監督させるか、それにいくら払ったらいいか見当がつかないから、
いっさいを電通または博報堂にまかせる。三千万円のCFならそれなりの見積がでる。
コピーライターだのスタイルストだの髪結いだのはこの見積のなかにもぐりこんだから、
大金がとれるようになったのである。
★
味の素や三越のような大スポンサーには食わせる飲ませる握らせるサービスをして引き合ったのは
金額が大きいのと手数料の大半が外交のものになって、
会社にはっぽっちりしか納めないですんだからで、これを大外交といった。
それなら大外交は金持かというと、飲む打つ買うのごろつきで堅気ではなかった。
★
昭和三十年までの広告界は戦前とほぼ同じだった。今では日本一の大読売新聞だが、
当時は広告がなくて無断掲載や再掲載をすることしばしばだった。
無断掲載というのは朝日または毎日に出した広告を黙って読売にのせるのである。
空白のまま出すわけにはいかないから許可なくして載せるから無断掲載という
山本夏彦 ★
多く雑誌を出していれば松下グループの広告だけで毎月一億や二億にはなる。
テレビラジオならもっと莫大になる。それを総引き揚げするぞと言われたら松下の批評はできなくなる。
私は浅薄な正義は嫌いだが、こんな脅迫に屈するのはもっと嫌いだから今これを書く気になったのである。
★
花森安治は耳で聞いて分かる言葉を使え、全部ひら仮名で書いてみて、そのままで分かる言葉を使え。
いい文章を暗記せよ。写せ。英和辞典に出ている言葉は日本語だと思うなと叱咤したという。
そっくりそのまま新聞記事の批評である。テレビのコピーの批評である。
★
日本人はいつからニセ日本人になったか、私は怪しんで少年のころからじっと見守っていた。
昭和初年から日本の知識人はわが国を、この国と書くようになった。
この国あの国と書けば書き手とわが国の間に距離が生じる、ははあ自分は西洋人のつもりなんだな。
★
人はいつまで無実か(露見するまで)と私は書いた事がある。我ながら気に入っている。
外務省の何とか室長は長いこと室長のままでいて、新聞にその名を書かれなかった。
ひとたび逮捕されると実名をかかれたが、予算が余ると一本何万円もするワインを買って消化したという。
★
朝日新聞は重信房子を評して、いまだに革命ごっこの幻想を抱き続けて、ヒロインの役を演じているが哀れだと書いた。
この半世紀社会主義を支持した危険な火遊びに終止符を打って
商業主義の権化である正体をあらわしたが、若くして洗脳された思想は去らない。
なお外務省、文部省その他の省庁に新聞社のデスクにその申し子はいる。
水に落ちた犬を打てと故人は言っている。
山本夏彦 ★
新聞は、ことに朝日新聞は終始社会主義の味方だった。日教組を手なずけたのは大成功だった。
入試試験は朝日から出るぞとおどして部数をふやした。国鉄民営化にも反対した。
★
動労は国民に見放されたのになお千葉動労だけでもゼネストはできる、全国の動労に千葉動労の同志がいる、
その一人が一本ずつ犬くぎを抜けば、即ちゼネストだと豪語したが、
さすがに民心は離れたと見たのだろう新聞は全く書かなくなった。
報道がなければその言は存在しない。
★
新聞は近く日教組を見捨てる。その兆しはすでに投書欄にあらわれているとはいつぞや書いた。
日の丸君が代騒ぎは天皇制打倒の最後の砦だから組合は死守し新聞は味方したのである。
★
社会主義革命は成就すると同志を殺す。スターリンはラデック、ブハーリン、トロツキイを殺した。
永田洋子は革命が成就しないうちに同志を一人一人殺した。
★
戦後アメリカ一辺倒になった与党に新聞は反対して、ソ連中国にべったりになって、
国民に独立の気概を失わせた。社会主義には正義がある、資本主義にはない。
若者は正義に魅せられる。労働組合は悉く左傾した。
ソ連と中国が一枚岩の間はよかったが、不仲になるとわが社会主義も分裂した。
山本夏彦 ★
60年安保のたぐいはわが国の独立運動ではなかった。ソ連または中国の属国になって、
宗主国から首相に任命されて、にこにこして組閣する写真を見たような気がする、
どうしてこんな事になったか。日本人のすべては日米戦争なんかのぞんでいなかったからだ、
あの時我らはすでに「ニセ毛唐」だったのだ。
★
キャンペーンと称して正義と良心を読者に強い、賛成して共に言うならよし、
なお言わないと読者は読者を村八分にした。書き手と読み手はぐるなのである。
★
私が正義をほとんど憎むのは、自分のことを棚にあげて初めて正義だからである。
戦前は修身が説かれた。戦後は修身は追放された。けれども新聞の「天声人語」のたぐいは、
自分が決して実行しない正義を説いて好評を博した。
★
天が下に新しきことなしと古人は言った。この世の中にニュースはないと私は言う。
江戸の町人は浮世のことは笑うよりほかないと、世間を「茶」にした。
天下国家を論じるのをヤボとした。私も町人のまねをして天下国家を論じない
★
日本は独立国ではない、米国の属国だと言うとまじめ人間は驚く。
五十年来独立国だとわが国自身にあざむかれ、信じてきた事を覆されたのが何より不快なのである。
★
ソ連とアメリカ、北朝鮮と韓国、イデオロギイの違う国同士の間に話しあいはできないと言うと、
男は承知しても女はしない。だから婦人に選挙権を与えたのは誤りだと言うと立腹する。
山本夏彦 ★
工場や機械があればそれをかたに銀行は金を貸す。
プランには影も形もないから戦前の銀行は出版には全く貸さなかった。当然である。
戦後貸すようになったのは銀行の堕落だとは前に言った。出版と印刷(製本も)の違いを、
ひと口で言うと右の通りである。何事ごとも複雑に考えないほうがいい。
★
マスコミが印刷製本を一段下に見るのは奇怪だと、私は昔から不承知でこの世の中で
全く論じられないものの一つに印刷業と印刷術があると書いた。
(中略)出版と印刷の違いを、ひと口で言うと印刷には工場がある、機械がある、
出版には何もない。机と電話とプランがありさえすば〜出版たちどころに成る。
★
旧幕のころ三代目澤村田之助が脱疽を患ったのを手術して名高いヘボン博士は、
本当はヘップバーンHepburnであるが、耳にはへボーン、さらにはヘボンと聞える。
ヘボン式ローマ字はいまだにヘボンのままである。
★
黒岩涙香の四男菊郎は明治四十三年生まれ、昭和四十年代までの父兄は明治生まれがまだいた。
それが大正生まれになり、昭和生まれになる過程を履歴書で見た。
★
親の職業はもう参考にならないことはこのとき知った。質屋の娘だと聴いて、
質屋なら人情の機微をいくらか知るだろうと思ったら案に相違した。
娘を大学へやるほどの親だから商売のことを知らしめない。これは提灯屋のときも同じだった。
大学で提灯屋なんてかっこいいと珍しがられて自慢である。
★
学研は小学館のまねして戦後デビューした。小学館が書店売りなら学研は学校売りで
小学校の先生にまとめて買ってもらって成功した。私が学研の名を知ったのは
免状を出したことによってである。戦中戦後の免状は見られたものではなかった。
あれには本来大判の局紙が用いられた。それでこそ権威があった。
山本夏彦 ★
配給のキリンビールのラベルが墨一色になったのを見て、この戦争も終わりだなと思ったことは以前書いた。
★
「文章は経国の大業、不朽の盛時」という言葉がある。このごろ絶えて言わなくなったが、昔はよく言った。
文章は不滅であとまで残るというほどのことだから、恥ずかしくて言わなくなったのである。
文章は俗論に反することを述べるものだといえばお分かりだろう。
★
唐突だが戦前は職業婦人といった。どういうわけか電話の交換手は明治の昔から娘だった。
百貨店の売子、銀行の窓口嬢、昭和になってからはバス・ガールがあった。
いずれも志願者が多く、それをいいことに薄給だった。ただ高給をとったのは派出看護婦で、
一等二等三等があって、一等は昭和初年住み込みで三円五十銭とった。
専門職だから上膳据膳で家事は一切しなかった。のちに内田百閧ェ陸軍士官学校、
海軍機関学校さらに法政大学の教授をしながら高利貸と手を切れなかったのは
不思議でならなかったが(略)
山本夏彦 ★
新時代の堕落は、旧時代の堕落に負うところが多い。
★
犬猫でさえ人類よりましである。第一彼らは銭を持たない、従って売淫しない、戦争しない。
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空腹と空腹感は、本来別物だそうだ。
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青少年のくせに、何らかの反逆と革新の気概がなく、テレビにうつつをぬかすなら、フヌケである。
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新薬の出現によって、百年このかた人は死ななくなった。ほんとは死ぬべき人が、生きてこの世を歩いている。
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経験すれば人は利口になるというのは、迷信ではないのか。人は経験によって何かを増したろうか。
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マジメ人間というものは、自分のことは棚にあげ、正論を吐くものである。
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禁じられた遊びを遊んだことのない子は、動物としての感覚を欠く。
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人は分って自分に不都合なことなら、断じて分ろうとしないものだ。
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八百屋が若い衆を社員、おかみさんを専務と、本気で呼んだらおかしかろう。
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実社会は互いに矛盾し、複雑を極めている。それは他人を見るより自分を見れば分る。
自己の内奥をのぞいてみれば、良心的だの純潔だのと言える道理がない。
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人はついに自ら見て、自ら考える存在ではないのか、ないのであると、自問自答して、
私は信じまいと欲して、信じざるを得なくて、あきらめかけているのである。
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何ごとによらず、この目下大流行のものならうろんである。
山本夏彦 ★
俗に自分のことは他人の目で見よというが、いくら他人になっても、他人もまた人である。
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居ながら見られるのは便利だが、病人じゃあるまいし、映画や芝居くらい見物に出かけてはどうか。
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自動車にもとづいた未来の都市計画案は、私には荒涼たる無人の廃墟に見えます。
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その末端にあるカーをクーラーをテレビを享楽して、てっぺんの原爆だけ許すまじと
歌っても、そうは問屋がおろさぬと言ったことがある。
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いくら世の中が変わっても、遊びは自分の金でするものである。
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我々は世間が許す涙しか流さない。世間が許す笑いしか笑わない。
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人前で立派なことを言う人なら、たいていうそつきである。
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印刷された言葉なら、まずたいていは眉つばだと、一度は疑ってかかるがいい。
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この世は問答無用の些事から成っている。
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歌は自らうたわれることを欲するのに、うたえば二重三重に金をとって、
なお不足で五十年にのばすとは図々しい。
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その使いわけが面倒だというなら、かのフランスを見よ、
国語を大切にすること、わが国の比ではないと、事ごとに感服するふりなんぞしないがいい。
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あれほど惜しんだ命、また魂とはついに何か。
山本夏彦 ★
大げさに言えば、このまずはめでたいの、まずはのなかに、千万無量の思いがこもっている
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「春秋に義戦なし」と古人は言ったが、この世の中にニュースはないと、ながめて私は
楽しまないのである。
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その席にすわらなかった、あるいはすわれなかったばかりに吐く正論を、私は謹聴しない。
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おめず臆せず自分の見たところを言うものは、ばかでなければ勇気あるものである。
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書評は多く八百長だから、まにうけるとびっくりすることがある。
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明治末年以来、ずいぶん利の全盛時代が続いたから今度は義が争われる番かもしれない。
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青少年の美的センスが堕落するということは、当代のセンスそのものが堕落するということである。
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むかしは軍と官が言うことを禁じたが、今は誰が禁じるのでもない、
あたりをうかがってみずから禁じるのである。
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むかし映画は大作でもないものを大作と言ったから、すこし大作のときは困って超大作、
もうすこし大作のときは超弩級と言って言葉の信用をおとした。
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社員は制裁をうけるどころかエリート中のエリートである。
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原爆許すまじという。何という空虚な題目だろう。
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自分の職業の「分」を守って、他の仕事に手を出さないのは、昔はいいことだったが、
今はそうでなくなった。
山本夏彦 ★
事故を未然に防ぐ親切から作ったと、この悪意は親切を装うほどの悪意である。
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女たちは男たちの上品が、口さきだけなのを知っている。
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何の目的も学問もないものが、海外に遊んでも得るところはない。大仕掛けな「はとバス」に
乗ったようなもので、故に私は海外に旅しない。
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生れるのが自然なら死ぬのもまた自然なのに、こんなに死ににくくなった時代はない。
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一流だろうが二流だろうがサラ金は、サラ金で、
銀行がこれに貸すならその一味であることを白状するようなものである。
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小なりといえども自動販売機は工業デザインの粋で、それが人の味覚を左右するとは
たぶん発明者の考えなかったことだろうが、大げさにいえばまあ文化の危機である。
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男と女の交際ままならない時代に、遊郭を一大社交場にしたのはすぐれた知恵であり文化である。
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字句はひかえ目のほうがショックはそれらしく伝わる。
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三十年も同じことをしていれば、すこしはうまくなるだろう。
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男の子なら端午の節句、女の子なら雛の節句にまとめて祝うのはいい習慣である。
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鹿を追う猟師山を見ずといって、税史は税だけを追って他を見ない。
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煙があがる、火がないはずがないと記者は必ず言う。然り煙があがる、たとい自分がつけた火でも。
山本夏彦 ★
論より証拠というのは昔のことで、今は証拠より論の時代だとは何度も言った。
論じれば証拠なんかどうにでもなる。
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社員がかけつけるのは見舞のためではない。払わぬ理由をさがすためである。
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いくらいいと言われてもキチガイじゃあるまいし、
新聞に求められて原稿料をもらってその紙上に新聞の悪口を書けるものではない。
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ひとの懐を勘定して羨むのはいやしむべきことだが、人は本来いやしい存在である。
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社会主義国にせよ資本主義国にせよ修身のない国はないのに、ひとりわが国にはない。
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新聞が八つざきと言えば同じく言い、冤罪だと言えば同じく言うのは別人ではない。
全く同一の人物で最低の者どもだが、この世は最低の者どもの天下である。
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情報の時代というのは情報があり余って、並のひとなら途方にくれる時代ではなかろうか。
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わが情報はいくらあっても肝心なことは書かない。それをかいつまんで言うのが
ジャーナリストの務めなのに、言ったためしがない。
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凡百のなぜを承知した上でのなぜが真のなぜなのである。
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一日の苦労は一日で足りるのである。一日が充実していればそれだけでいいのである。
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前にも言ったと思うが、何より自分の国を陰に陽に悪くいう教科書ならよくないにきまっている。
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才能は天賦だというと絶望するものがあるから、才能は根気だとか努力だとかいって慰めるのである。
山本夏彦 ★
私たちが預金をそのままにしておくのは、稼業にはげんだほうがもし成功すればなまじな
利殖よりはるか有利だからである。それにまっ当だからである。
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父母が生きているかぎり子と孫は歓迎されるが死んだらされない。
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今年の魚が毒なら昨年の魚も毒だろう来年の魚も毒に違いない、魚食うべしいくらでもと
私が書いたら婦人たちはとびかかろうとしたが、そのうちそっぽを向くようになった。
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ことに正義は自分にあって相手にないと思うと居丈高になる。
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反対した幹部はいまその不明を恥じているかというと、
やめさせられはしたものの関連会社に天下って平気の平左である。
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日経新聞のような一流新聞が家庭婦人にまでマネーゲームをすすめるとは狂ったかと
書いたら、なにあれはもともと株屋の新聞だよといわれた。
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銀行が高利貸と区別されるのはモラルであるという点だけである。
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つい戦前まで人前で脚を出し尻を出すくらいなら死ぬと言っていた女たちが、今は胸を出し脚を開く。
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本も雑誌も誰も頼まないのに作っているのである。返されても仕方がないのである。
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何より日本人は金持だ。しかもまったく無防備だ。
これを襲わないでだれを襲うのかと一朝彼らが目ざめたらことである。
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男女を問わず人は衆をたのめば何でもする、何でも言う。一人では何もできない。
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今の栄耀栄華は「一炊の夢」だと知っているせいかもしれない。
山本夏彦 ★
自分のよく知ることを全く知らない人に知らせることを、難なく出来ると思う人は絶対に出来ない人である。
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世間には笑われておぼえることが山ほどあるのである。
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いまの私たちの老後の諸問題は昔はみな孝が始末していたものである。
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狼に育てられた子供に似て言葉はあとから教えても身につかない。
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短くする発想がないのはけげんである。長いばかりが能ではないぞ。
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とらぬ狸の皮算用と承知の上で皮算用をして、見物も期待したふりをしてよくもまあ倦きも倦かれもしないものだ。
「「金」でなければメダルじゃない」より
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不良銀行をつぶしたらそれが波及して優良までつぶれる、つぶれたら大衆の預金はふいになる、
それを守るために銀行を助けるのだと、大蔵省はこのごに及んでもなお預金者に恩を着せるのである。
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政治家が国を誤るのは俗受けをねらってパフォーマンスをやる時に多い。
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横文字や片カナ語がいけないのはこれが全盛をきわめると、他がことごとく死にたえるからである。
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見ない相手にかいつまんで話して聞かせ、共に興ずるには多少の訓練がいる。
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自分には大事な宝物かもしれないが他人の目にはただのお多福である。
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古人が隠蔽したのはするだけのわけがあったのである。
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コクがあるのにキレがあるなんて怪しい日本語を一ビール会社がひろめるのは恐れを知らない仕業である。
山本夏彦 ★
新しい本は古い本を読むのを邪魔するために出る、
読むべき本があるとすればそれは古典で、十冊か二十冊である。
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再販問題で本も雑誌も売れなくなる、文化の危機だと騒いでいるが、こんなものなくなって何の危機か。
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戦前は金さえあればどんなお洒落でもできると貧乏人は思ったが、
それがとんだまちがいだということが、うそかまことか一億総中流になって分った。
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「とかくこの世はダメとムダ」と私は見ているものだからこんなこと位で怒りはしない。浮世の
ことは笑うよりほかないと笑うだけである。
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あらゆる不祥事にかかわらず銀行は平気である。
預金の利息をただ同然にしたからそのぶんまるごと利益になった。
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祖国というのは「言葉」だとシオランは言っている。
私は理解を得る手がかりがなくてほとんど途方にくれている。
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真の馬鹿はいかなる弁舌をもってしても説得することはできない。
孔子さまもただ上知と下愚は移らずと仰有った。
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禽獣の親は仔が一人前になるまでは実によく面倒をみるが、一人前になるとあかの他人である、
それが自然で孝は自然ではない、教育なのである。
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天が下に新しきものなしと洋の東西を問わず賢人は言っている。
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金銭というものは清く正しいものではない。邪悪な暗いものだから株屋はあっていい。
ただそれには相応の差別があるべきだ。
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ベレエ帽をかぶってアンカットのフランス語の詩集を携えて、
マイカーに婦女子を誘いいれて次々と殺した大久保清じゃあるまいし、
もしそれをかぶれば詩人にみえるなら詩人はベレエ帽をかぶらない。
山本夏彦 ★
我々はある国に生れたのではない、ある国語のなかに生れたのだ、祖国とは国語だ、国語
以外の何ものでもないというシオランの言葉を私は固く信じるものである。
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タダは客と芸人とドラマを限りなく堕落させる。
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漱石崇拝に抗して退屈が予想される長編を読むことがいかに苦痛かを書くのは勇気のいることである。敵は幾万である。
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私は全くの死語は用いない、半死半生ではあるが、いま使えば息ふき返す言葉なら勇んで
用いる。抵抗である。言葉は五百年千年の歴史あるものは過去を背負っている。
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かいつまんで言え、かいつまんで。
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(破滅が来るまで)ひとはその日まで枕を高くして寝ている存在であることロスやニューヨークの市民に異ならない。
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私は文語文に返れといっているのではない。そんなことはできはしない。ただ文語にあって
口語にないものは何々ぞと数えたのである。漢字と漢語は自然に減る。ただ半死半生の
言葉、今なら蘇生させることができる言葉をなぜ蘇生させないかと言っているのである。
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マイコンのたぐいは操作すれども理解はせずで、子供ばかりでなく、大人も野蛮人に返ったのである。
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本を読むことは死んだ人と話をすることで、私は本によって大ぜいではないが、何人かの故人を知った。
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俗に猫に小判というが、三歳の童子は猫に似て、小判をありがたく思わない。
小判より声をかけてくれる人、かまってくれる人のほうを喜ぶ。
そして人の知能は多く三歳を越えないと、知能を調べる学者は言っている。
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誤解を恐れないでいえば、犬と子供と女はよく似た存在である。それならどうして男も似た存在でないことがあろう。
山本夏彦 ★
我々は大ぜいが言うことを、共に言う存在である。
この世の中は、自分で考える力のあるひと握りの人と、
自分では考える力がなくて、すべて他人に考えてもらう大ぜいの人から成っている。
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人気さえあれば天から降ってくる芸人の十万円と、
堅気の月給十万円は、同じ十万円ではあっても、全く別ものである。
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所詮この世は生きている人の世の中である。
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わが家にピアノがあって、隣家になくて、はじめて豊かなのである。
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記事はまじめくさって、たわけたことを書く。
広告は割引いて読むからいいが、記事は額面通り読むからいけないのである。
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戦前は陸海空の強制によって、書かざるを得なかったというが、今はだれの強制によるのだろう。
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男は十年二十年働いて、保険金のご厄介にならないのに、
半年や一年しか働かない娘たちが、むやみにほしがるのは怪しい情熱である。
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だから私はそば屋でそばを食べて、そのつど受取をもらう屈辱に、私たちは値いすると思うのである。
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老人が老人らしく見えないのは、たいてい衣装のためで、
内部より外部のせいだとわかったのはめでたいが、さりとて男が今さら和服を着るわけにはいかない。
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運を天にまかせたといえば聞こえがいいが、実は私たちは他の哺乳類と共に理解しないのである。
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原則として、大ぜいが異口同音にいうことなら、信じなくていいことだと私は思っている。
山本夏彦 ★
用もないのに人は遠くへ行かない。
パリの住民でエッフェル塔へのぼったことのないひとはいくらでもいる。
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私自身がすすめられてもしないだろうことを、すすめても仕方がない。
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町で「合鍵三分でつくります」という看板を見る。
あれを見ると「四分目には泥棒にはいります」と言いたくなると笑った建築家がいた。
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物くれる人はよい人だと古人は言っている。
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以前は私たちの胸の中には、堪忍袋という袋があって、それには緒がついていて、めったに
切れなかったが、このごろはすぐ切れるようになったという。
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寄せては返す波の音は自然の繰返しだから、慣れれば何でもなくなる。
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自分の国の言語を、文章を、こんなに軽んじる国民は珍しい。世界中どこにもない。
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本というものは、自分で買うものである。いくら良書でも、読めと与えられたら、薬くさくなる。
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昨今の本はたいていこのリズムに欠くから、読むに難渋する。
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給金は現金正貨で支払われるから、堅気の会社員とその妻子は、今でも手形を知らない。
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治まる御代という言葉があるが、治まる御代というのは、
だれも憲法のことなど口にしない御代のことである。
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私がここで言いたいのは、わが税制は税をとりたいばかりに、
何百年何千年来のモラルを破壊したということです。
たとえば、借りたものを返さないかぎり利益は生じない、倹約は徳だというがごときモラルをこわしました。
山本夏彦