明日とは、実は今日という一日の中にある。


「明日は」「明日は」と言いながら、今日という「一日」をむだにすごしたら、
その人は「明日」もまた空しくすごすにちがいありません。


人間と人間のつながりは、程度の差はあっても、誤解の上に成立しているものです。
お互いに自分でもわからぬ謎をもって生きている以上、
当然のことだと言っていいでしょう。
善意の誤解の上に、恋愛や友情は成立すると言っていいと思います。


未完成の自覚を持って、絶えず努力してゆくところに青春がある。
たとい若くても、自己満足におちいっているなら、その人は老人に等しい。


読書の目的は、要するに自分の原点を発見するという事に尽きる。


孤独はそれを求めたり、感じたりしているときよりも、
むしろ予期しないときに来るものだ。
例えば明確に断言する、決断する、そういう時ふと自分に奈落を感じる場合があろう。


恋愛にも日曜日がなければならない。
それが辛うじて永続させる方法であり、つまり「忘却」の逆用である。


結婚生活を末永く導いてゆくものは、
普通の意味での恋愛でもなく、また情痴の世界でもなく、
それらを経た後に来る慈悲人間のあるがままの姿への愛情であろう。

亀井勝一郎