他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16
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このごろは、ベタベタ自分の子供の自慢をする若い男がふえて来たが、
かういふのはどうも不潔でやりきれない。
アメリカ人の風習の影響だらうが、誰にでも、
やたらむしやうに自分の子供の写真を見せたがる。
かういふ男を見ると、私は、こいつは何だつて男性の威厳を自ら失つて、
人間生活に首までドップリひたつてやがるのか、と思つて腹立たしくなる。
「自分の子供が可愛い」などといふ感情はワイセツな感情であつて、
人に示すべきものではないらしい。
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三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、
より多くについて知っているとはいえないのが、人生の面白味です。
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男といふものは、もし相手の女が、彼の肉体だけを求めてゐたのだとわかると、
一等自尊心を鼓舞されて、大得意になるといふ妙なケダモノであります。。
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目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福は存在しない。
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何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思うんだ。
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天才というものは源泉の感情だ。そこまで堀り当てた人が天才だ。
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崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。
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日本人は絶対、民主主義を守るために死なん。
ぼくはアメリカ人にも言うんだけど、
「日本人は民主主義のために死なないよ」と前から言っている。
今後もそうだろうと思う。
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事件に直面して、直面しながら、理解することは困難である。
理解は概ね後から来て、そのときの感動を解析し、
さらに演繹して、自分にむかつて説明しようとする。
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そんなに、「どうせ私なんぞ」式外交ばかりやらないで、たまにはゴテてみたらどうだらう。
さうすることによつて、自分の何ほどかの力が確認されるといふものであります。
三島由紀夫 ★
政治的スローガンとか、思想とか、
さういふ痛くも痒くもないものには、人間は喜んで普遍性と共有性を認めます。
毒にも薬にもならない古くさい建築や美術品は、
やすやすと人類共有の文化的遺産になります。
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打算のない愛情とよく言ひますが、打算のないことを証明するものは、
打算を証明するものと同様に、「お金」の他にはありません。
打算があつてこそ「打算のない行為」もあるのですから、
いちばん純粋な「打算のない行為」は打算の中にしかありえないわけです。
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自分の顔と折合いをつけながら、だんだんに年をとってゆくのは賢明な方法である。
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国家がなくなって世界政府ができるなんという夢は、非常に情けない、哀れな夢なんです。
…資本主義国家も国家が管理している部分が非常に大きくなっておりますから、
実際の国家の時代という点では、国家の管理機能はむしろ
史上最高ぐらいまで達しているのではないか。
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音楽の美は、その一瞬の短さにおいて生命に似ている。
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この世には最高の瞬間といふものがある。
この世における精神と自然との和解、精神と自然との交合の瞬間だ。
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私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。
共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、
殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける。
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あらゆる忠義によるラジカルな行動を認めなければ、
天皇制の本質を逸すると僕は言っているわけです。
場合によっては共産革命だって、もし錦旗革命だったら
天皇は認めなければならないでしょうね。天皇制の本質なのかもしれませんよ。
それをよく知らないで、右翼だとかファッショだといってバカにしきって
戦後共産党がやっていたのは共産党がバカだといいたいね。
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どんな政治体制でも歴史的な基盤があって、徐々に形成されたものであるので、
その点では日本の天皇制もまったく同じだと思います。
ですから民主主義が悪いとか、天皇制がいいとか悪いとかいう問題じゃなくて、
その国その国の歴史的基盤に立った政治体制ができていくということは当然だと思います。
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私は、言論と日本刀というものは同じもので、
何千万人相手にしても、俺一人だというのが言論だと思うのです。
一人の人間を大勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて、
そういうものを暴力という。つまり一人の日本刀の言論だ。
三島由紀夫 ★
人間の心は、眼や表情にもあらわれるが、
後姿にはっきりあらわれることを忘れてはならぬ。
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幸福とは微笑のようなものだ。
微笑は微笑しようと思っても出来るものではない。
泉のように自然に、静かに湧いてくるものである。
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割り切りとは、魂の弱さである。
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夫婦の間に、あるいは両親と子どもの間に、
肉親だから何ごとでも自由に語れると思ったら間違いだ。
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多忙であることによって、
自分は何か仕事をしたという錯覚を抱くことが出来る。
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人は後姿について全く無意識だ。
そして何げなくそこに全自己をあらわすものだ。後姿は悲しいものだ。
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歳月は慈悲を生ず。
亀井勝一郎(文芸評論家) ★
自殺とは人間的能力のへの窮極の確信なのである。
ある意味で野心であり、虚栄ですらあるかもしれません。
けっして自己放棄ではありません。
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繊細な感受性とは、ニュアンスへの鋭敏さともいえるだろう。
日本語でいうなら陰翳(いんえい)への愛だ。
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善事は罪悪感を抱きながらせねばならない。
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伝説には民衆の愛憎と夢が託されている。
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結婚とは青春の過失であるとある作家は言ったが、過失であって結構なのである。
お互いにしまったと思いつつ、「お互いに、しまったわね」などと
ニヤニヤ笑いながら、さし向いで言うようになったらしめたもので、
それが夫婦愛というものだ。
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(河上徹太郎の「批評の悦び」を読んで)あまりに批評家という言葉にとらわれすぎている。
僕は自分が批評家とよばれようとよばれまいと大して意に介さない。
もう少しゆとりある一個の人間であればいい。
徹底した客観などというものは認められないのである。
政治のみならず、文学においてさえ客観の姿ほどあいまいなものはない。
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小林秀雄は江戸の職人である。小林秀雄は栄養料理の名手である。
只 この料理が必ずしも吾々の美観をまんぞくさせぬ。
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いくつになっても、こっぴどく自分をやっつけてくれる先輩を持つことは、
悔しいけれど、人生の幸福である。
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井伏鱒二、太宰治等の作家に長く交わり、
ともすれば生硬になりがちな批評家の批評筋肉といったものを、
柔らかくもんで貰ったことも記しておきたい。
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愛情がこもっていて無口な人こそ、人生の伴侶としてふさわしい。
亀井勝一郎 ★
私の感情としてあった中国人侮辱感は、
その半面にヨーロッパ人やアメリカ人への劣等感を伴っていた。
今度の戦争で無条件降伏するよりもずっと以前に、
我々は「ヨーロッパ近代」に無条件降伏してきたのではなかったか。
それで私の対米英戦争肯定の気持の中には、
この劣等感に対する反発のあったことにも気づくのである。
少なくともそれが私の民族主義のひとつの根拠になっていたのだ。
しかし戦争責任の根本は中国侵略の肯定である。
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私自身は中国を旅したこともなく、中国人と交わることもなかったが、
しかも心中では、いわれなき蔑視あるいは軽侮の感情をもち、
この国と戦わねばならね悲しみを身にしみて感ずるようなことはなかったのである。
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ここ(薬師寺)へ来て初めて仏像の美しさがわかります。
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私はその(文芸批評家の)間にあって、自分の凡庸さがわかり甚だ困惑してきた。
それだけに刺激されるところ多く、勉強になった。
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死そのものよりも、死についての想像の方が、遥かに我々を恐怖させる。
亀井勝一郎 ★
女性が弱いというのは嘘である。
世の中に何が強いと言って、無神経な事ほど強いことはない。
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絶望は人生に必ずつきまとうものだ。
絶望しないような人間はある意味でたよりない人だといえる。
なぜなら小さな自己に満足し、なんらの努力も考えごともしない人に、
絶望は起こりえないからだ。
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人生は無限に深い。我々の知らないどれほどの多くの真理が、美が、
あるいは人間が、隠れているかわからない。それを放棄してはならぬ。
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徒党というものは一面からいえば孤独に耐え得ざる精神の休憩所だ。
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理想の夫、理想の妻を得ようとするから失望するのだ。
凡夫と凡婦が結婚するのである。
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教養の真のあらわれは、その人の「はにかみ」にある。
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青年時代に一番大切なことは、いつまでたっても解決できないような
途方にくれるような難題を、自己の前に設定することではなかろうか。
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私は年をとるにつれて、幸福の反対を不幸だとは思わなくなった。
幸福の反対は怠惰というものではなかろうか。
亀井勝一郎 ★
明日とは、実は今日という一日の中にある。
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「明日は」「明日は」と言いながら、今日という「一日」をむだにすごしたら、
その人は「明日」もまた空しくすごすにちがいありません。
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人間と人間のつながりは、程度の差はあっても、誤解の上に成立しているものです。
お互いに自分でもわからぬ謎をもって生きている以上、
当然のことだと言っていいでしょう。
善意の誤解の上に、恋愛や友情は成立すると言っていいと思います。
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未完成の自覚を持って、絶えず努力してゆくところに青春がある。
たとい若くても、自己満足におちいっているなら、その人は老人に等しい。
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読書の目的は、要するに自分の原点を発見するという事に尽きる。
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孤独はそれを求めたり、感じたりしているときよりも、
むしろ予期しないときに来るものだ。
例えば明確に断言する、決断する、そういう時ふと自分に奈落を感じる場合があろう。
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恋愛にも日曜日がなければならない。
それが辛うじて永続させる方法であり、つまり「忘却」の逆用である。
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結婚生活を末永く導いてゆくものは、
普通の意味での恋愛でもなく、また情痴の世界でもなく、
それらを経た後に来る慈悲人間のあるがままの姿への愛情であろう。
亀井勝一郎 賢いものが反発をすることの50倍愚か者は反発をする。
親切な人や聡明さを持ち合わせた人間はこれを知らなければならない。 自分の身を守る公示をすることは別にいい。
ある会社で誤解のある言動をした為に、その人たちと切るようにするのは構わないんだと思いますけど 賢いもの、親切なものに反発する愚か者の浅はかさを、
聡明な人たちに託し、お互い理解していくべきだ。