みんな、真実を正確に表現することが、いかに平和を乱すかを知っている。
だから、みんなで共謀して真実を見ないようにしているのである。
見ても語らないようにしているのである。
特殊日本的幸福論者は、こうした共同幻想に陥るところにこそ、幸福があると確信している。
中島義道『不幸論』


私は、<いま>死ぬとしても一〇年後に死ぬとしても、
一万年後に死ぬとしても、一億年後に死ぬとしても、たいした違いはない。
なぜなら、そのとき、それまでの世界はすべてあとかたもなく消滅してしまっているのだから。
中島義道『明るいニヒリズム』


私はいままで多くの人に傷つけられたが、その誰ひとりからも謝ってもらいたくない。
「心を入れかえて」謝ることが、どんなに難しいことであるか、知っているからである。
中島義道『ひとを愛することができない』


真に自分の言葉を獲得するには、絶対的に他人を経由しなければならない。
他人を理解すること・他人から理解されることの絶望的なまでの難しさを通じて、
つまりいかに言葉を尽くしてもわかり合えないという体験を通じて、
ぼくたちははじめて自分の言葉を発見するのだ。
中島義道『「哲学実技」のすすめ』


あなたは自分を変えなくてもいい。それでいいではないか。
だが、そういうあなたは社会的には排除される。
だから、あなたも社会から離れようではないか。
そのうえで、あなたなりに豊かに生きる道を探そうではないか。
中島義道『孤独について』


かつて辛口の論調で有名であった福田恆存は、ある本の中でグサリと
「人生相談のさい、とくに女性の場合、写真がないとやりにくい。
美人がそうでないかで全然回答が異なるからだ」
というようなことを書いています。福田さんは、本当のことをはっきり言っています。
中島義道『女の好きな10の言葉』


たとえ頭では男がスカートを穿いて悪いことはないと思っていても、
(つまり自分の信念には反していなくとも)不快だと感じてしまうこともある。
それゆえ、美学的不快は倫理的不快に吸収されないのである。
これは差別問題の要を形成する。
中島義道『観念的生活』


「他人の痛みのわかる人になろう」というスローガンに異存はない。
だがこの国では、この標語が「自己の痛みの拡大形態として他人の痛みをわかる」
という図式になりやすいのだ。これは危険な思想である。
中島義道『<対話>のない社会』


われわれは完全に箱の<ウチ>に入っているのではなく、
箱の<ソト>から箱を観察しているのでもない。
箱の<ウチ>に「住みついて」おり、箱を「生きて」おりながら、
たえず直接箱の<ソト>を観察し続けているような独特なねじれた存在者なのです。
中島義道『時間を哲学する』