涵養された精神は、自然の事物、芸術作品、詩的創作、歴史上の事件、
人類の過去から現在に至るまでの足跡や未来の展望など、
周囲のあらゆるものに尽きることのない興味の源泉を見出す。


利己心に次いで、人生を満足のいかないものにする重要な要因は、精神的涵養が不足していることである。


簡単にわかるようなものでない問題については、
一般に流布している意見がしばしば正しいけれども、
それが真理の全体であることはめったに、というか、絶対にない。
あくまでも真理の一部分にすぎない。


数学と物理以外の領域で、およそ知識の名に値するものは、
人が反対論者と論争をするときに働かせるのと同じような思考のプロセスを経ていなければならない。
それは人から強制されたものでもよいし、自分で見つけたものでもよい。


簡素な生活のすばらしさ。
人工的な社会の束縛と偽善が、人間を無気力にし、堕落させること。
この思想は、ルソーが主張して以後、教養のあるひとびとの心からけっして消し去ることのできないものとなった。


真理を見よと迫って、われわれの目を開かせようとする人は、
逆に、われわれに見えている真理が見えていなかったりする。
人間のことを冷静に判断する人なら、そんなことについても、憤慨すべきものとは思わないだろう。


たとえば夕日に照らされた雲の美しさに感動したとしよう。
その感動は、雲が水蒸気でできていることと、
大気中の水蒸気のあらゆる法則に支配されることを理解する妨げにはならないはずだ。

ジョン・スチュアート・ミル