ルスティクスからは、けちなお説教をしたり、
道に精進する人間、善行に精進する人間として
人の眼をみはらせるようなポーズをとらぬこと(を教えられた)。


つまり理性と公共精神という善きものにたいして、
大衆の賞讃とか権力とか富とか快楽への耽溺のごとく本質の異なるものを
いっさい対抗させてはならないのである。
すべてこのようなものは、とつぜん我々を打ち負かし、
道ならぬところへ我々をつれ去ってしまうものなのだ。


顔に怒りの色のあらわれているのは、ひどく自然に反することで、
それがしばしば見られるときには、美は死んで行き、
ついには全く再燃も不可能なほどに消滅してしまう。


「一緒になって大きな声で嘆かぬこと、騒がぬこと」


死とは感覚を通して来る印象や、我々を糸であやつる衝動や、
心の迷いや肉への奉仕などの中止である。


マクシムスからは、(...)克己の精神と確固たる目的を持つこと。
いろいろな場合、たとえば病気の場合でさえも、
きげん良くしていること(を教えられた)。


あたかも砂丘がつぎからつぎへと上にかぶさってきて
前のものを覆い隠してしまうように、人生においても初めのものは
あとからくるものに間もなく覆い隠されてしまうことを考えよ。


エメラルドは、人に褒められなくても、その価値を失わない。


マクシムスからは、克己の精神と確固たる目的を持つこと。
いろいろな場合、たとえば病気の場合でさえも、
きげん良くしていること(を教えられた)


賢者は言った、『静かな一生を送りたいのなら、仕事を減らせ』と。


苦痛は耐ええぬものでも、永遠に続くものでもない。
もし、その限界を忘れず、おまえのほうから、それに余分な想念を付け加えないかぎり。

マルクス・アウレリウス