他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16
★
我々が不意にある事柄について問われた場合に思いつく最初の意見は、
一般に我々の意見ではなく、我々の階級・地位・素性につきもののきまり文句にすぎない。
★
人間が神の失敗作にすぎないのか、それとも神が人間の失敗作にすぎないのか。
★
ある程度までのところ、所有が人間をいっそう独立的に自由にするが、
一段と進むと所有が主人となり、所有者が奴隷となる。
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男たちは、自分の職業がほかのいかなる職業よりも大切だと信ずるか、
自分で思いこませる以外に、その職業を持ちこたえることはまず出来ない。
★
社会主義は老いぼれきった専制主義の空想的な弟で、
これを継承しようとしているのである。
★
ものの始めを探すことで、人間は蟹になる。
歴史家は後ろ向きにものを見る。ついには後ろ向きに信ずるようになる。
★
「文化国家」とは、近代的観念にすぎない。
一方は他方を食っていき、他方は一方の犠牲において繁栄する。
文化のすべて偉大な時代は、政治的には没落の時期である。
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真の思想家が何よりもあこがれるのは閑暇であるのに、
凡な学者がそれを回避するのは、閑暇をどうして始末するかを
知らないからである。その折りに彼を慰める者は書物である。
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才能が一つ多いほうが、才能が一つ少ないよりもより危険である。
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多くの人間は、その記憶があまりにもよいという唯一の理由から思索者になれない。
ニーチェ ★
自分の意見を隠すか、さもなければ、その意見の陰に自分を隠すか、
そのいずれかがよい。
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人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。
自己欺瞞なしで永遠の愛を誓うものは、愛情の見せかけを永遠に約束するものだ。
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忘れっぽい人は幸いである。というのは、彼らは自らの失敗からさえ、
「より良きものを得る」からである。
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忘れっぽい人々は幸いである。
彼らは自分の愚行をも「綺麗さっぱり」忘れてしまうからだ。
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同情を表示するのは軽蔑のしるしと感じられる。
同情が示されると、直ちに相手の怖れの対象でないことがはっきりするからである。
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芸術こそ至上である!それは生きることを可能にする偉大なもの。
生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。
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多く考える人は党員には向かない。
というのは党派などを突き抜けて考えてしまうからである。
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人々は、真実を聞くことを拒む。
それは、自分たちの幻想が壊れていくことを拒むからだ。
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混沌を内に秘めた人こそ躍動する星を生み出すことができる。
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問題に立ち向かうときは、飲み込まれないよう注意が必要だ。
奈落の底ばかり見つめていてはいつか自分も吸い込まれてしまう。
ニーチェ ★
表にはさながら悪意のごとく振舞う、気位の高い慈愛もある。
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男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。
男が女を愛するのは、それがもっとも危険な遊びであるからだ。
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知識のある者は、敵を愛するだけでなく友を憎むこともできる。
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愛には狂気がつきもの。だが、狂気にもまた、つねになんらかの理由がある。
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アンチテーゼは好んで誤謬が真理に忍び込んでいくときに通る狭い門に他ならない。
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キリスト教道徳は奴隷の道徳、弱者の道徳である。
生の拡大を妨げ、本能の発揮を抑え、人間を萎縮させ、退化させる道徳である。
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復仇は、みずから呼んで「刑罰」となす。
それは、一つの虚言をもって良心のやましくないことをよそおうものだ。
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音楽の良さを理解できなければ踊っている人たちはみな正気に見えないはずだ。
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結婚とは一つのものを創造しようとする意志だ。
その一つのものは、それをつくる二つのもの以上のものだ。
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世界は深い。昼が考えたより深い。
ニーチェ ★
極端な行動は虚栄、普通の行動は習慣、
卑劣な行動は恐怖に帰されるならば、過失を犯すことはまずなかろう。
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結婚は、愛という多くの短い愚行を終わらせる。一つの長い愚行として。
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自己の思想を氷の上へ置くことを心得ていない人は、
論争の熱の中へ身を投じてはいけない。
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現存在の最大の生産性と最大の享楽とを、
収穫するための秘密は、危機に生きるということである。
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たいていの男は、誰も自分の妻をさらってくれないことを嘆く。
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愛の中には、つねにいくぶんかの狂気がある。
しかし狂気の中にはつねにまた、いくぶんかの理性がある。
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貞潔は、ある人においては徳であるが、多くの者においてはほとんど悪徳である。
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常に称賛を要求するような神の存在を私は信じることができない。
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天国には興味深い人たちが一人もいない。
ニーチェ ★
狂気はどこにあるか。それを汝らに植え付けねばならぬのだが。
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勇気は笑いたいのだ……。
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私を破滅させないものが、私を強くする。
★
恐らくは、今日のもので未来を持つものは他に何もないとしても、
やはり我々の笑いこそはなお未来を持つのだ!
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嵐を捲き起こすものは、最も静かな言葉である。鳩の足で来る思想が世界を左右する。
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人間は汚れた流れである。それを受け入れて、
しかも不潔にならないためには、我々は大海にならなければならない。
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孤独な人間は、たまたま出会った者に、すぐ握手を求めるようになる。
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血と格言を持って書くものは、読まれることを望まず、暗誦されることを欲する。
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虚栄心の強い者は抜きん出たいと思うよりも、
自己が秀でていると思ったがゆえに、
自己欺瞞や自己謀略のいかなる手段も嫌うことがない。
★
自ら敵に躍り込んで行くのは、臆病の証拠である。
ニーチェ ★
賞賛の中には、非難の中よりも、より多くの鉄面皮がある。
★
善とは何か。人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのものである。
★
君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
私は言う「善戦のためには万物を犠牲にする」と。
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人間は深淵に架けられた一本の綱である。
渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
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人間だけがこの世で苦しむため、笑いを発明するほかなかったのだ。
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人間は、もはや誇りを持って生きることができないときには、誇らしげに死ぬべきである。
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人間は恋をしている時には、他のいかなる時よりも、じっとよく耐える。
つまり、すべてのことを甘受するのである。
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私を破壊するに至らないすべてのことが、私をさらに強くする。
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「なぜ生きるか」を知っている者は、
ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。
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いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、まず立ちあがり、
歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。
その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ。
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到達された自由のしるしは何か?もはや自分自身に対して恥じないこと。
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成熟とは、子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味をふたたび見出したことである。
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目的を忘れることは、愚かな人間にもっともありがちなことだ。
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経験は、経験に対する欲望のように消えることはない。
私たちは経験を積む間は、自らを探求しようとしてはいけない。
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若者を確実に堕落させる方法がある。
違う思想を持つ者よりも同じ思想を持つ者を尊重するように指導することである。
ニーチェ ★
私はあなたに助言する。
友よ、人を懲らしめたいという強い衝動を持つ者を信用するな!
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人々はあなたの美徳によってあなたを罰し、あなたの過ちによってあなたを許す。
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悪とは何か?弱さから生じるすべてのものだ。
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忘却はよりよき前進を生む。
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孤独な者よ、君は創造者の道を行く。
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人は自分の認識を他人に伝えると、もはやその認識を前ほどには愛さなくなる。
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心の中に未来にふさわしいビジョンを描け。
そして、自分を過去の末裔であるという迷信を忘れるんだ。
あの未来の生を思い巡らせば、工夫し、発明すべきものが限りなくある。
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樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、
それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし実際には種なのだ。
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一切の書かれたもののうち、私はただ、その人がその血をもって
書かれたもののみを愛する。血をもって書け。
君は、血が精神であることを知るだろう。
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人は何を笑いの対象にするかで、その人の人格がわかる。
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いったん選んだ道に関して頑張る人は多い。目標に関してそうする人は少ない。
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およそこの世の中で、怒りという激情ほど、
男性の精カを急速に消耗させるものはない。
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君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ。
ニーチェ ★
人は常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある。
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愛せなければ通過せよ。
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われわれに関する他人の悪評は、しばしば本当は我々に当てられているのではなく、
まったく別の理由から出る腹立ちや不機嫌の表明なのである。
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孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私はもっともよく知っている。
孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかったのだ。
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復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である。
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どちらも相手を通して、自分個人の目標を何か達成しようと
するような夫婦関係はうまくいく。例えば妻が夫によって有名になろうとし、
夫が妻を通して愛されようとするような場合である。
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この世に音楽がなかったら、
人生はきっと誤解することばかりになってしまうだろう。
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善にも強ければ、悪にも強いというのがいちばん強力な性格である。
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昼の光に夜の闇の深さが分かるものか。
ニーチェ ★
自分自身と友人に対しては、いつも誠実であれ。敵に対しては、勇気を持て。
敗者に対しては、寛容さを持て。その他あらゆる場合については、常に礼儀を保て。
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愛が恐れているのは、愛の破滅よりも、むしろ、愛の変化である。
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男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。
そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ。
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孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。いずれにせよ、人格が磨かれる。
★
愛の終わりはいつも善悪を越えたところで起こる。
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結婚するときはこう自問せよ。
「年をとってもこの相手と会話ができるだろうか」
そのほかは年月がたてばいずれ変化することだ。
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考え過ぎたことはすべて問題になる。
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人が意見に反対するときはだいたいその伝え方が気に食わないときである。
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職業は生活の背景である。
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喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。
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あなたの嘘に動揺なんてしない。
これからあなたを信じることができないことが悲しいだけ。
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辛いことこそがあなたを強くする。
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不幸な結婚とは、愛の欠如がもたらすものではなく友情の欠如がまねくもの。
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人は衝動と葛藤の渦中にある。衝動に身を任せれば、
しばしば孤独と恐怖を味わうからだ。
だが、自分自身の名誉ほど高くつくものはない。
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一度も踊らなかった日は失われた一日と考えるべき。
一度も笑われなかった真実は偽りのものだと思った方がいい。
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私には私のやり方があるようにあなたにもあなたの方法がある。
この世に唯一の方法など存在しない。
ニーチェ ★
繊細な魂は、誰かが自分に感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。
粗野な魂は、自分が誰かに感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。
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本当の世界は想像よりもはるかに小さい。
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いい手本を示そうとする者は、自分の徳に微量の馬鹿げたところを添えなくてはならぬ。
すると人は見習って、同時にその模範を眼下に見下ろす、これが人々の好むところである。
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汝の敵には嫌うべき敵を選び、軽蔑すべき敵を決して選ぶな。
汝は汝の敵について誇りを感じなければならない。
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悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。
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独創的――何か新しいものを初めて観察することではなく、
古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが
見逃されていたものを、新しいもののように観察することが、
真に独創的な頭脳の証拠である。
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世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。
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汝が平和を求めるならば、それは新しい戦いの準備としての、
それでなければならない。永い平和よりも短い平和を求めよ。
★
生きる意味を見出した者は、たいていのことは耐えられる。
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あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、
現在でも奴隷と自由人に分かれる。
自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。
ニーチェ ★
孤独のなかでは、人がそのなかへ持ち込んだものが成長する。
★
苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
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多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。
他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、
むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ。
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愛または憎しみと共演しないとき、女は凡庸な役者だ。
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我々一人ひとりの気が狂うことは稀である。
しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。
★
悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものではなく、
われわれ自身の享楽を目的とする。
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静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。
だが、それこそ、考えるということではないか!
★
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
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一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、
いつも間違っているということを知っている。
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高く登ろうと思うなら、自分の脚(あし)を使うことだ。
高い所へは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない。
★
毎日少なくとも一回、何か小さなことを断念しなければ、
毎日は下手に使われ、翌日も駄目になるおそれがある。
★
我々のうちで最も勇気のある者でさえ、
自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは、まれなことだ。
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轢(ひ)かれる危険が最も多いのは、ちょうど一つの車を避けた時である。
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私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
私が諸君に勧めるのは遠き者に対する愛である。
★
愛されたいという要求は、自惚れの最たるものである。
ニーチェ ★
生きるとは何のことか――生きるとは、
死にかけているようなものを絶えず自分から突き放していくことである。
★
話題に窮したときに、自分の友人の秘密を暴露しない者は稀である。
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消化ということには、健康上一種の怠惰が必要である。
およそ体験を消化するにもやはり同じ事だ。
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真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての真実の疑いから始まる。
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不当に非難することより不当に称賛してしまうことの方が、良心の呵責を呼び起こす。
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過小評価するより過大評価する方が、判断力の欠如を完璧に暴露してしまう。
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人生は常に頂上に近づくほど困難が増してくる。寒さは厳しくなり責任は重くなる。
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夢想家は自分自身に嘘をつくが、嘘つきは他人にだけ嘘をつく。
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すべての知識の拡大は、無意識を意識化することから生じる。
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足下を掘れ、そこに泉あり。
★
たくさんのことを生半可に知っているよりは、何も知らないほうがよい。
★
よい評判を得るために自己を犠牲にしなかった人が何人いるだろう?
ニーチェ ★
過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。
★
われわれは、批評せずには生きていられないが、
自分の批評を批評せずとも生きていられる。
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あなたにとってもっとも人間的なこと。
それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。
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この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、
危険に生きることである。
★
怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。
長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。
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夫婦生活は長い会話である。
★
われわれが広々とした自然にこれほど焦がれるのは、
自然がわれわれに関してなんら意見をもっていないからである。
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真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
★
一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、
今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを
与えることができないだろうかと、考えることである。
ニーチェ ★
世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。
★
人は賞讃し、あるいは、けなす事ができるが、永久に理解しない。
★
いつも大きすぎる課題を負わされてきたために、
才能が実際よりも乏しく見える人が少なくない。
★
半可通は全知よりも圧倒的勝利を博する。
それは物事を実際よりも単純に理解し、
そのために彼の意見の方が分かりやすい説得力のあるものとなる。
★
過去に存在したものたちを救済し、
いっさいの「そうであった」を「わたしはそう欲した」に創り変えること。
これこそはじめて救済の名に値する。
意志、それが解放し、喜びをもたらすものの名前だ。
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深夜の明るみがわたしをつつんでいた。孤独がそのほとりにうずくまっていた。
死の静寂も、喉を鳴らしている。わたしの最悪の女友達が。
★
見るがいい。月は正体を現して、蒼ざめてかかっている。
あけぼのの真紅の光の前に。はやくもあの灼熱する太陽がやってくる。
大地への太陽の愛が。無邪気さと創造の欲望が。
★
偉大なことをしとげるのは困難だ。
しかし、より難しいのは、偉大なことを命令することだ。
★
傷つけられた虚栄心はあらゆる悲劇の母ではないだろうか。
反対に、誇りが傷つけられた場合には、
おそらく誇りよりももっとよいものが生まれるであろう。
ニーチェ ★
刑罰とは、復讐が自分自身に与えた名前である。
★
大胆に自分自身を信じるがよい。おまえたち自身とおまえたちの内臓を信じるがよい。
自分自身を信じないものの言葉は、つねに嘘になる。
★
弱者が強者に仕えるのは、自分のほうは、さらに弱い者の主に
なろうとする弱者の意志があるからなのだ。
支配する喜びは、捨てることができないのだ。
★
およそ生あるものの見いだされるところに、わたしは力への意志も見いだした。
服従して仕える意志のなかにも、わたしは主人であろうとする意志を見いだしたのだ。
★
いっさいの命令には試みと冒険が含まれているとわたしには思えた。
生あるものが命令するときには、いつも自分自身を賭けているのだ。
★
あたりを見まわすと、わたしの道連れは、ただ時だけであった。
★
生の一切は、趣味と味覚をめぐる争いなのだ。
★
善と悪において創造者とならざるを得ないものは、
まず破壊者となって、もろもろの価値を砕かざるを得ない。
したがって、最高の悪は最高の善の一端である。
そして最高の善とは創造的なものなのである。
★
われわれがよりよく楽しむことを学び得るなら、
他人に苦痛を与えようとする気持ちなどは、きれいさっぱり捨て去ってしまえるだろう。
他人の苦痛になることを考え出すこともなくなるだろう。
★
共に生きることは難しい。それは沈黙していることが難しいからなのである。
ニーチェ ★
人間が復讐心から開放されること。
これがわたしにとって最高の希望、長い嵐のあとにかかる虹である。
★
いつも自分自身をいたわることの多い者は、
その多いいたわりのために病弱になる。
われわれを過酷ならしめるものを讃えよう。
★
愛は孤独の極みにあるものにとっての危険だ。
★
神はひとつの臆測である。だが、この臆測が持つあらゆる苦痛を
飲み干したとき、生き延びるものはいるのだろうか。
★
最高の徳は通常性を離れた稀有のもの、不要のものであり、
柔らかい輝きを帯びている。それは贈り与える徳である。
★
いつまでも忠実な弟子でいるのは、師に報いる道ではない。
なぜ君たちはわたしの花冠をむしりとろうとしないのだ。
★
君たちはわたしを敬う。
しかし、君たちの崇拝がくつがえる日が来ないとは限らないのだ。
そのとき倒れるわたしの像の下敷きにならないように気をつけよ。
★
おのれの正義について多くを語るすべての人間を信用するな。
★
正義はわたしにこう語っている。人間は平等ではないと。
ニーチェ ★
わたしは光だ。ああ、わたしは夜でありたい。光に包まれていることがわたしの孤独だ。
★
人間が生きるすべての場所で服従という言葉が使われているのをわたしは聞いた。
すべての生あるものは、服従するのである。
自分自身に服従することができない者は、他者から命令されるということである。
これが生あるものの天性なのだ。
★
地球は皮膚を持っている。
そしてその皮膚はさまざまな病気を持っている。その病気のひとつが人間である。
★
私の真理は怖ろしい。
というのは、いままでは嘘が真理と呼ばれてきたのだから。
あらゆる価値の価値転倒、これが私の方式だ。
★
人は女を深いと思う──なぜか?女の場合、
底まで行けないからだ。女は浅くさえもないのだ。
★
戦争を非難していえば、戦争は勝者を愚かにし、敗者を邪悪にする。
戦争を弁解していえば、さきに述べた二つの作用のいずれの場合でも
野蛮にさせ、それによってより自然的にならしめる。
★
女のもとへ赴こうとするならば鞭を忘れるな!
★
道徳的理想の勝利は、ほかのいずれの勝利と同じく、「非道徳的」手段によって、
つまり暴力・虚言・誹謗・不正によって得られる。
★
高さがいるから階級が必要なのであり、
階段とそれを登っていく人たちの矛盾が必要なのだ!
人生は登ろうとする。登りながら自己を克服しようとするのである。
★
科学者が天才視されないのは、単なる理性の児戯にすぎないからだ。
ニーチェ ★
私は人間ではない。私はダイナマイトである。
・・・私は宗教的な人と接触した後では手を洗わずにはすませない。
★
女にはあまりにも長い間、暴君と奴隷とが隠されていた。
女に友情を営む能力の無いゆえんであって、女の知っているのは恋愛だけだ。
★
幸福とは何か。
権力が成長しつつあるという感情、抵抗が克服されるという感情である。
★
いちばん危険な党員とは、その人間が脱党したら
党派全体が瓦解するような人である。だから最良の党員である。
★
人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか。
★
勇気──攻撃する勇気は最善の殺戮者だ。死をも殺戮する。
★
霊魂は肉体が衰え、いまわしくなり、飢えることを欲した。
こうして肉体と地から脱れようと思った。
哀れ、その霊魂こそ痩せ、いまわしくなり、飢えたのだ。
★
国家におけるいっさいは虚偽である。
かむことを好む者は、ぬすみたる歯をもってかむ。
彼の腸すらにせものである。
★
最高の賢者たちよ、君たちの危険、
言い換えれば善と悪との終末は川から来るのではない。
あの意志そのものに潜んでいるのだ。
常に生み続けていく、尽きることのない生の意志に。
★
心から愛しているのは生だけだ。
そして生を憎むときこそ、生をもっとも強く愛している。
ニーチェ ★
贈ることのなかにあるわたしの幸福は、贈ることで死んだ。
わたしの徳は、ありあまって自分自身に倦んだ。
与え続けるものの危険は、羞恥を失うことだ。
★
乞食──乞食は一掃すべきである。けだし何か恵むのもしゃくにさわるし、
何もやらないのも、しゃくにさわるから。
★
悲観をその基盤とし、不幸と悲哀を善とするこの道徳。
この善悪の価値表は、速やかに破り捨てなければならない。
★
自ら敵の間へ躍り込んでいくのは、臆病の証拠であるかもしれない。
★
南国の勤勉は営利欲ではなく、他人に絶えず必要とされるからである。
食わんがためだけなら勤勉は不必要である。北国のそれは、その反対である。
★
他の人に懺悔してしまうと、当人は自己の罪は忘れるが、
たいてい相手の人はそれを忘れない。
★
恋愛から結ばれるいわゆる恋愛結婚は、
誤謬をその父とし、必要をその母とする。
★
私はキリスト教に対するこの永遠の弾劾を壁という壁、
壁さえあればどこでも書き付けたい。
私は盲目でも読める文字を持っている。私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。
★
すべての悦びは永遠を求める。深い、深い永遠を欲する。
(中略)わたしはおまえを愛しているのだ、永遠よ。
★
いっさいの真理から追放されたいという願い。
ニーチェ ★
同情は厚顔である。
★
神の同情にせよ、人間の同情にせよ、同情は恥知らずである。
助けようとしないことは、助けようとすぐに
駆け寄って来る徳よりも、高貴でありうるのだ。
★
正しく与えることは、正しく受け取るよりも、難しい。
★
手のひら大の根底。その上に人は立つことができる。
真の良心的な知識の世界には、大小の区別はない。
★
絶望している者の顔を見れば、誰しも陽気になるものだ。
誰しも、自分は絶望している者に話しかけるくらいの
元気はある、と思うものなのだ。
★
あなたがたの能力以上のことを望むな。
能力以上のことを望む者たちには、邪悪な欺瞞がやどる。
★
自己を愛し、それゆえに自己を軽蔑しているのだ。
かれは愛することの大きい者であり、
したがって軽蔑することの大きい者である。
★
このヨーロッパというところは、どこの中年の奥さんよりも疑いぶかい。
★
神をもっとも多く愛し、もっとも多く所有していた者が、
いまは神をもっとも多く失ってしまったのだ。
ニーチェ ★
あなたがたは、わたしから見れば、まだ悩み足りない。
それはあなたがたが、あなたがた自身を悩んではいるが、
人間を悩んだことはないからだ。
★
おまえたちは、かつて、快楽にたいして然り!と言ったことがあるか。
そう言ったことがあるなら、おまえはいっさいの
苦痛にたいしても然り!を言ったことになる。
すべてのことは、鎖によって、糸によって、愛によって繋ぎあわされているのだ。
★
きみが高みに登れば登るほど、妬みの目は、遠ざかる君を小さく見る。
飛び抜けて高く駆け上がる者は、もっとも憎まれる者なのだ。
★
なにからの自由なのかは些細なことだ。
重要なのは、なにを目指すための自由なのかということだ。
★
君は君の友のために、自分をどんなに美しく装っても、やり過ぎということはない。
なぜなら、君は友にとって、高すぎる目標を目指すための
憧れの熱意であるべきだからだ。
★
君たちが私の死に接して、そのために大地への愛をいよいよ深めていくように、
そういうふうにわたし自身は死にたいと思う。
そしてわたしは再び大地の一部となって、
わたしを生んだこの母の中で安静を得たいと思う。
★
死ぬときにも、そこにはなお君たちの精神と君たちの徳とが
燃え輝いていなければならぬ。大地を包む夕映えのように。
そうでなければ君たちの死は失敗ということになる。
★
女にとっては男はひとつの手段であり、目的はつねに子供である。
男にとって女はなんであろう?真の男は二つのことを欲する。
危険と遊戯を。それゆえ男は女を欲するのだ。
★
わたしの真なる友よ。
きみはきみのくだらない隣人にとって、良心の呵責なのだ。
かれらはきみの隣人としての値打ちがないと自覚しているから、
きみを憎み、血を吸いたがるのだ。
★
眠りに敬意と羞恥心を持て。
(中略)よく眠るためには、あらゆる徳を持たねばならぬ。
ニーチェ ★
安らかに眠っているがいい。いまわたしはおまえと別れる。
時がめぐったのだ。黎明と黎明のあいだにひとつの新しい真実がわたしを訪れたのだ。
★
両者はほんのわずかばかり事情が違っていれば、
あい寄って愛撫を交わしたかもしれないのだ。
犬と孤独者とは。なぜなら、お互いに孤独だからだ。
★
大きい魂たちには、いまなお自由な生活が開かれている。
まことに、所有する事の少ない者は、他から所有される事も少ない。
少ない所有に安んじている貧しさを讃えよう。
★
わたしはおのれの最高の希望を失った高貴な人たちを知っている。
そのとき、彼らはあらゆる高い希望への誹謗者となった。
★
きみはこう言うべきなのだ。
「わたしの魂の痛みと楽しみをなすもの、さらにわたしの内臓の飢えでもあるもの、
それは言い表し難く、名付け難いものである」と。
馴れ馴れしく説明されるには、きみの徳は高すぎるものであって欲しい。
★
大きい愛は、愛されることを求めない。愛されること以上のことを求める。
★
値段のつけられたものは、すべて価値に乏しいものである。
★
君たちに名誉を与えるのは、
君たちがどこから来たのかではなくて、どこへゆくかで決まらねばならぬ。
君たち自身を超えてかなたをめざす意志と足とが、君たちの新たな名誉であれ。
★
世界は尻を持っていて、人間に似ている。
世界も多くの汚物を生み出す、そこまでは正しいが、
だからと言って世界そのものは、決して巨大な汚物ではない。
★
いつも待っている他に能のないものをも、わたしは哀れなものと呼ぶ。
ニーチェ ★
飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、
まず、立つこと、走ること、よじのぼること、踊ることを学ばなければならない。
最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない。
★
高貴な魂はどんなものをも無償で得ようとは思わない。ことに生を。
賎民は無償で生きようとする。
★
世界における多くのものが悪臭を放っている。
この事実のうちに、知恵が潜んでいる。
吐き気が翼を創り出し、泉を求める力を生む。
★
勝利という薄明かりの酔い心地のなかで目のくらまなかった者がいるだろうか。
★
おまえは偉大に向かうおまえの道を行かねばならぬ。
おまえの背後にもう道がないということが、
いま、おまえに最善の勇気を与えねばならぬ。
★
人間の社会はひとつの試みである。そうわたしは教える。
長期にわたるひとつの求め。そして人間の社会は命令する者を求めているのだ。
★
自分を抑制して通り過ぎるほうが、
より多くの勇気の例証であることが、しばしばである。
いっそうおのれに値する敵と戦うために、おのれを蓄えておくのである。
★
君たちは、憎むべき敵だけを持つべきで、軽蔑すべき敵を持つべきではない。
君たちは君たちの敵を誇ることができなければならない。
★
君たちの道を行け。他の大勢には、勝手に彼らの道を行かせるがいい。
★
かれらがほんとうに、いちばん望んでいることは、ただ一つだ、
だれからもいじめられたくないということ。
それでかれらは先取りして、だれにも親切にする。
だが、それは臆病ということなのだ。たとえ徳と言われていても。
ニーチェ ★
かれらにとって、徳とは、謙遜ならしめ、温順ならしめるものである。
そういう徳によってかれらは狼を犬にし、人間そのものを人間の最善の家畜にした。
しかし、それがすなわち凡庸というものだ、たとえそれが中庸と言われていても。
★
おまえたちの意欲するままに行え。しかしまず、意欲できる人間になれ。
おまえたちの隣人をおまえたち自身のように愛するがいい。
しかしまず、自分自身を愛するものになれ。
★
うしろへの道、それは永劫に続いている。
それから前をさして延びている道、それは別の永劫に通じている。
★
この瞬間をみよ、と私は言葉をつづけた。
この瞬間という門から、ひとつの長い永劫の道がうしろに向かって走っている。
すなわち、われわれのうしろにはひとつの永劫があるのだ。
★
人が根底から愛するのは、ただ自分の子供と事業だけなのだ。
★
おまえ自身の血管のなかに、腐って泡を立てている沼の血が
流れているのではないか。だからおまえは醜くカエルの鳴き声をあげ、
誹謗ばかりしているのだ。
★
肉欲。自由な心情にとっては、無垢で純粋なもの、
地上における花園の幸福、すべての未来がいまに寄せるあふれるばかりの感謝。
★
善良な人間と自称するものたちが、もっとも有毒な蝿だった。
かれらは何の責任感もなく刺し、何の責任感もなく嘘をつく。
★
人はおのれみずからを愛することを学ばねばならない、すこやかな愛で。
おのれがおのれ自身であることに耐え、よそをさまよい歩くことがないためにである。
★
おまえ、ひとりきりの人間よ、おまえは多くの人間のあいだにはいって、
そこでいっそう見捨てられた者になった。
ニーチェ ★
わたしの最大の危険は常に、いたわること、あわれむことにあった。
しかも人間というものは常に、いたわられ、あわれまれることを欲しているのだ。
★
人間たちのあいだにまじって生きていると、人間というものを見失う。
すべての人間には、あまりに多くの背景がある。
★
支配には二種類がある。一つは、支配欲につき動かされた支配だ。
もう一つは、誰からも支配されたくないために行う支配だ。
★
思い込んでしまうと、ささいな変化が大きな苦しみとなる。
多くの悩みは、程度の差に気づかない人々の不平不満なのである。
★
希望があったとしても、自分の中に光や灼熱を体験していないならば、
それが希望だとはわからない。希望の何をも見ることも聞くこともできない。
★
精神が高く、健康に育っていくほど、
その人はあまり突飛的な笑いや下品な高笑いをしなくなるものだ。
★
日に十回自分の周囲の人々に冷たい言葉を浴びせているならば、
今日からは日に十回は周囲の人々を喜ばせるようにしようではないか。
★
内面は外面に通じ、外面は内面に通じ、いっさいがつながっている。
どこにも基本的な形など存在しない。
★
道徳的な行為そのものが道徳的だと決めつけることなどできないのだ。
道徳は、その行為だけでは本物かどうかはなかなか判断できない。
ニーチェ ★
何事も明日からの毎日に活用し、
自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、
この人生を最高に旅することになるのだ。
★
「いずれにしても、くじけず、たくましく、
果敢に挑戦を続けていけば、自分の一芸がわかってくるはずだ」
★
都市の雑踏の中にいても、静寂の中であろうとも、
力強くありながらも穏やかでいれば、ずっと安心でいられるというものだ。
★
ことさらに極端な行為、おおげさな態度をする人には虚栄心がある。
細かい事柄にとらわれる人は、内実は恐怖心を抱いている。
★
みずからの手でなしたこと、自分がすでに克服し終えた事柄に
ついてだけ、淡々と語るべきである。
★
物事はいかようにも解釈できる。
良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。
いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。
★
会食の際の料理は、なぜいつも多量であり、多様な種類が並べられるのだろうか。
それは、力の印象であり、名誉、威厳、優位性、勢力の印象だ。
★
死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。
いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
★
人々の気持ちの動きにまどわされて、
何が重要であるかをまちがって判断しないようにしよう。
★
「そんなことも、食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。
しかも、いつもずっと多くだ。
目覚めたとき、新しい力が漲る別の自分になっているだろう」
ニーチェ ★
多くの人は、その案や意見が述べられたときの調子とか言い方、
言った人の性格や雰囲気に対して反発の気分があるから、反対するのだ。
★
「その自分の「なぜ」さえはっきりつかめていれば、あとはもう簡単だ。
どのようにやるのかなんてすぐにわかってくる。
わざわざ他人の真似をして時間をつぶすこともない」
★
好奇心は、自分の能力を発火させるためにはたいせつだが、
世界のすべてを見聞できるほど人生は長くは続かない。
★
「自分のどんな行為も、他の行為や考え、決断などの誘因になっている、
もしくは、大きな影響を与えている。
その行為がまったく何にも影響を及ぼしていないことはない」
★
彼はその高い感性をみずからの努力でずっと維持し続けてきて今に至っているのだ。
★
その賞賛は、他の人々がすでにつくりあげたリングの中で
きみが立派な成績を出したことに対する拍手だ。
★
今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま
くり返してもかまわないという生き方をしてみよ。
★
喜びをわたしたちは、本当に喜ぶべきことを喜んでいるだろうか。
他人の不幸や災厄を喜んではいないだろうか。
復讐心や軽蔑心や差別の心を満足させる喜びになってはいないだろうか。
★
自分だけは特別に注目されたいという欲望。
だが、注目されるという目的は果たされない。
なぜなら、他の人みんなが自分の観客だとそれぞれに思っているからだ。
★
成熟とは、子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味を再び見出したことである。
★
死後に生まれる人もいる。
★
すべての知識の拡大は、無意識を意識化することから生じる。
★
静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。
★
脱皮できない蛇は滅びる。
その意見を取り替えていくことを妨げられた精神たちも同様だ。
それは精神ではなくなる。
ニーチェ ★
女はどういう男を最も憎むのか。鉄が磁石に言ったことがある。
「私がお前をもっとも憎むのは、お前が私を引きながらも、
ぐっと引きよせて離さぬほどには強く引かないからだ」と。
★
およそこの世の中で、怒りという激情ほど、
男性の精カをあれっと思うほど急速に消耗させるものはない。
★
真の男のなかにはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
★
神は死んだ。
★
悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、われわれ自身の享楽を目的とする。
★
所有欲は、休みさえ与えてはくれない。
内面の豊かさ、精神の幸福、気高い理想、といった人間として
たいせつなものは無視されるようになる。
★
内面は外面に通じ、外面は内面に通じ、いっさいがつながっている。
どこにも基本的な形など存在しない。
★
仕事によって心と人格が鍛錬され、
彼は世間を遥かに超えた者になっているからだ。
★
本当に自由な人がスマートですっきりした印象を与えるのは、
実際に彼の精神と心のあり方が、スマートになっているからなのだ。
★
時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。
嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ。
★
「自分についてごまかしたり、自分に?をついたりしてやりすごすべきではない。
自分に対してはいつも誠実であり、よく知っておくべきだ」
ニーチェ ★
本当の世界は想像よりも遥かに小さい。
★
繊細な魂は、誰かが自分に感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。
★
真の友は、両方の手でつかまえておけ。
★
真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての“真実”の疑いから始まる。
★
習慣となった清潔観念は潔癖さを呼び、
生きていくうえで幸福になる要素や契機を自然にわが身に引きつけるようになるのだ。
★
純粋に能動的な愛から行われるときには、
「〜のために」という言葉も考えも出てくることはない。
★
共に苦しむのではない。共に喜ぶのだ。そうすれば、友人がつくれる。
しかし嫉妬とうぬぼれは、友人をなくしてしまうからご注意を。
★
その事について何も知らないから。
それが世にありふれているように見えるから。
すでにその事実が起こってしまっているから。
★
正義は支払い能力のない者を大目に見のがすことをもって終わる。
…正義のこの自己止揚、それがどんな美名で呼ばれているかを
知っているか…いわく恩恵。それはいうまでもなく、最も強大な特権である。
ニーチェ ★
武装平和とは、自国と隣国を信用せず、
半ば憎悪、半ば恐怖から武器を放棄しかねる意向上の平和である。
★
ただ、愛だけが導く。
愛だけが、曲がったものを直し、修復し、調整し、立ち上がらせる。
★
相手を、自分も敬重している。
相手を愛しているのは当然だが、
しかしその度合いは自分を愛するほどではない。
★
豊かな物を探すことではなく、自分を豊かにすること。
これこそが自分の能力を高める最高の方法であり、
人生を豊かに生きていくことなのだ。
★
「自己表現とは自分の力を表すことでもある。
その方法を大きく分けると、次の三つになる。
贈る。あざける。破壊する」
★
これまで自分が真実に愛したものは何であったか?
自分の魂を高みに上げたものが何であったか?何が自分の心を満たし喜ばせたか?
★
仕事にたずさわることは、わたしたちを悪から遠ざける。
くだらない妄想を抱くことを忘れさせる。
そして、こころよい疲れと報酬まで与えてくれる。
★
二人以上で、一緒にいて、同じ体験をし、共に感動し、
泣き笑いしながら同じ時間を共に生きていくのは、とても素晴らしいことだ。
★
自分を正当化するために攻撃するときもある。
これは、個人においても、また国家においてもそうだ。
ニーチェ ★
哲学者とは何か?
つねに尋常でない事物を経験し、見聞し、
猜疑(さいぎ)し、希望し、夢見る人間だ。
★
本をめくることばかりしている学者は、
ついにはものを考える能力をまったく喪失する。本をめくらないときには考えない。
★
ある巨匠の作品を演奏するピアニストが、その巨匠を忘れさせて、
まるで自分の生涯の物語を語っているとか、
まさに何か体験しているふうに見えたとき、最もうまく弾いたことになろう。
★
宗教は間接的にも直接的にも、教義としても比喩としても、
いまだかつて一つの真理も含んだことはない。
というのは、どんな宗教も不安と欲求から生まれたものであるからだ。
★
日常生活で、人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。
神様が嘘をつくことを禁じたからではない。
それは第一に、嘘をつかない方が気楽だからである。
★
よい格言は、時の歯がたつには堅すぎる。
そして、いかなる時代にも栄養のたしになるが、幾千年の歳月にも食いつくされはしない。
★
私はお前たちに超人を教える。人間は超克さるべき何物かである。
お前たちは人間を超克すべく何ごとをなしたか?超人は大地の意義である。
★
善とはなにか…人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とはなにか…弱さから生ずるすべてのものである。
★
正義とは、ほぼ同等の力の状態を前提とする報償との交換だ。
ニーチェ ★
犠牲行為によって計画される道徳は、半野蛮的階級の道徳である。
★
論争に応ずる場合には、
双方にとっていちばん不愉快なやり口は、立腹して黙っていることである。
というのは、攻撃者側は、一般的に沈黙を軽蔑のしるしと考えるからである。
★
心が恐れを抱き、おじけづいたときに、
自分から自然と破滅や敗北の道を選ぶようになってしまうのだ。
★
誰かを喜ばせることは、自分をも喜びでいっぱいにする。
どんなに小さな事柄でも人を喜ばせることができると、
わたしたちの両手も心も喜びでいっぱいになるのだ。
★
できるだけ幸福に生きよう。そのためにも、とりあえず今は楽しもう。
素直に笑い、この瞬間を全身で楽しんでおこう。
★
美しく生活できるように工夫をこらす。
雑多でめちゃくちゃな空間の中で暮らさなければならなくなるからだ。
生活の諸々の事柄や人間関係を自分の好きなようにデザインしてよいのだ。
★
今のこの一日に、自分が何をどのように行うかがこの日々の歴史の一頁分になるのだ。
★
自分を本当に愛するためには、
まず自分の力だけを使って何かに取り組まなければならない。
自分の足で高みを目指して歩かなければならない。
★
ふつうの生活に必ずしも必要でないもの、過剰なものに
どうしても魅了されてしまうのは、実は贅沢こそ人間の魂が
最も好んで泳ぐ水そのものだからだ。
★
自分を批判していくこと、人の批判を聞いていくことは、
自分の脱皮をうながすことにもなるのだ。
さらなる新しい自分になるために。
ニーチェ ★
この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。
だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。
そして、いつも群衆と一緒につるんで、
ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。
★
重いしがらみを捨てて身軽にならなければ、高くへと飛翔できないからだ。
★
勝利した者はもれなく、偶然などというものを信じていない。
たとえ彼が、謙遜の気持ちから偶然性を口にするにしてもだ。
★
本当に相手を滅ぼしてしまっていいのか。
そのことによって、敵がおまえの中で
永遠のものになってしまわないかどうかよく考えてみたのか。
★
平等という概念語を好んで使う人は、二つの欲望のどちらかを隠し持っている。
他の人々を自分のレベルまで引き下げようという欲望。
自分と他の人々を高いレベルまで引き上げようという欲望。
★
変身をとげ続けなければ、そのつど高度になっていかなければ、充分には生きていけない。
★
人から信じてもらいたければ、行動で示すしかない。
しかも、のっぴきならない状況での真摯な行動のみが、人の信に訴えるのだ。
★
自分を少しもないがしろにすることなく、しっかりと愛さなければ。
とにかく自分をだいじにしなければ。
★
では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。
こうすれば、楽しみながら計画を実現していける。
★
長所に見えるものであろうとも、その根源がどこから来ているのか、よく見る必要がある。
ニーチェ ★
もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。
喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。
恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。
★
友人とたくさん話そう。いろんなことを話そう。それはたんなるお喋りではない。
友人と話すことで、自分が何をどう考えているかがはっきりと見えてくる。
★
いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。
★
きみの理想を超え、それ以上の憧れの地もさらに遠くへ達する力をきみは秘めている。
★
親しくなれば相手の私事に立ち入ってもかまわないと
考えているような種類の人間とは、決してつきあわないことだ。
★
物に対しても人に対しても同じだ。
今までのものとはちがうと言って端から撥ねつけていては愛せない。
★
批判は風だ。?には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。
だから批判は、どんどん聞いたほうがいい。
★
すべて、初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。
★
風景の中にあるしっかりと安定した線が、人間の内面に落ち着きや充足、
安堵や深い信頼というものを与えてくれるからだ。
ニーチェ ★
善を責むるは朋友の道なり
(善を行うように強くすすめるのは友としての道である)
★
顧みて他を言う
(返答に窮して,本題とは別の事に話題をそらしてごまかす)
★
地を易うれば皆然り
(人の言動に違いがあるのは立場に違いがあるからで、立場を変えれば同じになる)
★
敵国外患無き者は国恒に亡ぶ
(敵国もなく外国との関係にも心配事のない国は、国民全体に緊張感がなくなり必ず滅亡する)
★
如し予をして富まんと欲せしむれば、十万を辞して万を受けんこと、是れ富まんと欲すると為さんや
(もし私の力で国を興したければ、十万鍾の俸禄を約束するべきです。
私はそれを辞退して、一万鍾を受けましょう。
これでは私のことを、冨貴を願っている、とは言えないはずです)
★
飢えたる者は食を為し易し
(空腹の者はなんでもおいしく食べられるように,悪政に苦しめられていた人は
ささやかな仁政でもとても喜ぶこと。飢えては食を択ばず)
★
夫婦別あり
(夫婦間にも、礼儀や遠慮が必要である)
★
大人に説くには、則ち之を軽んぜよ
(偉い人を説得するにはまず相手を呑んでかかれ)
★
恒産なきものは恒心なし
(一定の財産や定まった職業がなければ、定まった正しい心を持つことができない。
物質面(生活)での安定がないと、精神面(心)が不安定になる)
★
人恒の言あり。みな曰く、天下国家と。天下の本は国にあり。国の本は家にあり。家の本は身にあり
(人々は口を開けば、「天下国家」と言う。だが、天下の根本は国にあり、
国の根本は家にあり、家の根本は自分自身にある、
天下国家を真に思うなら、もっと身近なわが身を修めよ)
孟子 ★
親に親しむは仁なり、長を敬するは義なり、他は無し、之を天下に逹するなり
(親に親しむのは仁の精神である(他者への愛)。
兄を敬うのは義の精神である(他者との秩序感覚)。
なんということはない。小さい頃にあった心を広げて天下に及ぼせばよいのだ)
★
富を欲するか。恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて、義と背け
(恥に耐え、命の限りに全力を尽くせ。旧友との交際を絶ち、義理に背け。もし富を得たいのならば)
★
人の患いは好んで人の師となるにあり
(人の患いは、偉くもないのに自分から好んで人の師となろうとしたがることである)
★
居は気を移す
(人は地位で気性が変わる)
★
人必ず自ら侮りて然る後に人これを侮る
(自分で自分を尊重せず、軽々しい言動をしたり、
修養を怠ったりしていると、必ず人からも侮られるようになる)
★
自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん
(自ら省みて良心に恥じなければ、(敵が)千万人いようとも恐れることなく向かっていく)
★
天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず
(天の与える好機は地理的な有利さに及ばず、地理的有利さも人心の一致には及ばない)
★
天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓やし、其の身を空乏し、行ひ其の為すところに払乱せしむ。心を動かし、性を忍び、その能はざる所を曾益せしむる所以なり
(天が人に大任を授けようとするときは、必ずまずその人の身心を苦しめ、窮乏の境遇におき、何を行ってもすべて失敗をさせて、わざわざその人を鍛えるものなのである。つまり、不運は天の試練として受け止めるべきものなのである)
孟子 ★
真実は君の顔に書いてあるし、声にもあらわれる。
恋人同士が目を見るだけで、あらゆることが分かり合えるのと同じく、
やがて分かることなのだ。
★
人間にふさわしい態度は、死に対して無関心であるのでもなく、
烈しい気持ちをいだくのでもなく、侮蔑するのでもなく、
自然の働きの一つとしてこれを待つことである。
★
己を律するためには、次のように考えるといい。
お前は老人だ。これ以上、理性を奴隷の境遇におくな。
身勝手な衝動に操られるままにしておくな。
また、現在与えられているものに不満を抱いたり、未来に不安を抱くことを許すな。
★
そんな目に逢うのも当然のことだろう。
君は今日善い人間になるよりも、明日なろうっていうのだから。
★
幸福は、その人が真の仕事をするところに存在する。
★
人は、ちっぽけな夢などでは満たされない、大いなる存在である。
★
幸福な人生──それは内なる魂の力のおかげである。
★
人生は闘争にして、また過客の仮の宿なり。
★
我々の人生は、我々の思考によってつくられる。
★
太陽が雨の役目を果たそうとするだろうか。
彼らはそれぞれ異なっていながら、同一の目的に向かって協力してはいないだろうか。
マルクス・アウレリウス ★
「私は君に対して率直に振る舞うことにした」
こんなことを言う人間は、なんと腐った卑しい人間であることか。
いったい何がしたいのか。口に出して言うべきことではない。
★
せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。
恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。
自分を大事にする時など、もうないのだ。人の一生は短い。
★
苦しみは、苦しむ者がその限界を知っていて、その恐怖に想像を加えなければ、
堪えられないこともなく、また永続するものでもない。
★
人間的なことがいかにはかなく、くだらなく、
かつ昨日の小敵が今日のミイラあるいは灰になることを思え。
★
名声の後には忘却あるのみ。
★
君について、誠実でないとか、善い人間でないとか、
そういったことを嘘を伴わずに言える権利を誰にも与えてはならない。
★
なによりもまず、いらいらするな。
なぜならすべては宇宙の自然に従っているのだ。
★
最も完全なる復仇は、侵略者の真似をせざることなり。
★
この世においては汝の肉体が力尽きぬのに、
魂が先に力尽きるのは恥ずべきことではないか。
マルクス・アウレリウス ★
怖れるべきは死ではない。真に生きていないことをこそ怖れよ。
★
エピクテートスがいったように
「君は一つの死体をかついでいる小さな魂にすぎない」
★
つねに、そしてできることならあらゆる場合において、
自分の思念に物理学、倫理学、論理学の原理を適用してみること。
★
死とは感覚を通して来る印象や、我々を糸であやつる衝動や、
心の迷いや肉への奉仕などの中止である。
★
大きな夢をみよう。大きな夢だけが人の心を動かす。
★
もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、
単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。
そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。
人生において貴重がられるものはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない。
★
ランプの光は、それが消えるまでは輝き、その明るさを失わない。
それなのに君の内なる真理と正義と節制とは、
君よりも先に消えてなくなってしまうのであろうか。
★
今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、
つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。
曰く「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である」
★
君の全生涯を心に思い浮べて気持をかき乱すな。
どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。
それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。
「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。
マルクス・アウレリウス ★
たとえばカルミッソス、それからまたアウグストゥス、
ハードリアーヌスとアントーニーヌス。
すべてすみやかに色あせて伝説化し、たちまちまったき忘却に埋没されてしまう。
しかも私はこのことを、この世で驚くばかりに光輝を放った人びとについていっているのだ。
★
我々の人生は、思考が形づくる通りのものである。
★
人生とは自らの想いを実現することである。
★
賽が投げられた自分の運命に自分自身を適応させよ。
運命の女神が、共に生きるように定めた仲間を愛せよ。
★
自分の扱っていないものを求めて悩むのは止めて
同じくらい熱心な気持ちで、自分のすでに扱っているものを楽しもうではないか。
自分の最上の所有物を取り上げて、もしそれがなかったら、
どんなに懸命に探し求めていたことか、考えてみることだ。
★
不可能事を追い求めるのは狂気の沙汰である。
ところが悪人がこのようなことをしないのは不可能なのである。
★
君の覚えた小さな技術をいつくしみ、その中にやすらえ。
★
何よりも次の二つの真理を記憶せよ──まず第一に、
外界は君の魂に触れることはできず、常に揺るぎなく外部に立つものであるから、
君の内面の平和は君の想像からのみ生じるということ、
そして第二に、君が今、目の前に見ているものは、
たちまち変化して、もはや存在しなくなるということだ。
★
世界とは永遠の変移であり、人生とは迷妄である。
★
何かが起こって落ち込んだら、痛みの原因はその起こった事ではなく、
それにかけていた期待である。そしてこの期待は、いつでも自分で取り消せる。
マルクス・アウレリウス ★
過去も未来も自分を押しつぶすことはできない。
自分を押しつぶせるのは現在だけだ。
その現在ですら、もし適当に分割すれば、取るに足らぬものとなる。
★
君の重荷となるのは未来でもなく、過去でもなく、つねに現在である。
★
自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、
この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう。
★
他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。
★
幸運をもたらす富や順境は素直に受け入れよ。
ただし、それを手放すときは渋るべからず。
★
隣人の語ること、行うこと、考えることに気をかけない者は、
どれだけ多くの利益を受けることだろうか。
★
ひどく悩んだり、我慢ならぬと思ったとき、
人生は束の間であり、いつかは誰でも葬り去られることを思え。
★
善事をなして悪く言われるのは、王者らしいことだ。
★
何かをするとき、いやいやながらするな、無思慮にするな、心に逆らってするな。
マルクス・アウレリウス ★
怒りの結果は、怒りの原因よりはるかに重大である。
★
人間はお互い同士のために創られた。
ゆえに彼らを教えるか、さもなくば耐え忍べ。
★
君が怒って破裂したところで、
彼らは少しも遠慮せずに同じことをやりつづけるであろう。
★
未来を思い煩うな。
必要あらば、現在役立ちうる知性の剣にて、十分に未来に立ち向かわん。
★
人の一生は短い。
君の人生はもうほとんど終わりに近づいているのに、
君は自分に尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中に置くことをしているのだ。
★
いかなる自然も芸術に劣らず。芸術の仕事は全て自然の物事を真似ることなり。
★
もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。
★
遠からず君はあらゆるものを忘れ、
遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうであろう。
★
君の精神は、君の平生の思いと同じようになるであろう。
なぜならば、魂は思想の色に染められるからである。
★
競技場では、競技相手の攻撃を好意をもって避ける。
人生という競技場でも、共に競技をしている人たちを
大目に見てあげようではないか。
人を疑ったり憎んだりせずに避けることは可能なのだから。
マルクス・アウレリウス ★
各々の物はそれが創られた目的に向かって惹かれる。
惹かれるものの中に、各々の目的がある。目的のある所に各々の利益と善がある。
★
幸福な生活をするのに必要なものはほとんどない。
それはあなた自身の中、心の持ちようにある。
★
今の瞬間だけに生きよ!
★
空中に投げられた石にとって、
落ちるのが悪いことではないし、昇るのが良いことでもない。
★
自分に欠けているものよりも、
自分がすでに持っているものについて思いをめぐらせ。
★
他人の過ちが気に障る時は、即座に自らを反省し、
自分も同じような過ちを犯していないか考えてみるといい。
★
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。
不可避のものが君の上にかかっている。
生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。
★
存在するものは、変化のためのみに存在することを忘れるな。
★
人に善くしてやったとき、それ以上の何を君は望むのか。
君が自己の自然にしたがって行動したということだけで充分ではないか。
★
君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることが出来るのである。
実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる
平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。
マルクス・アウレリウス ★
ここで生きていくのなら、もう慣れている。
よそに行って生きるのも、君の望み通りにできる。
死ぬとすれば、使命を終えただけのことだ。
他には何もない。だから勇気を出せ。
★
ある事をなした為に不正である場合のみならず、
ある事をなさぬ為に不正である場合も少なくない。
★
大きな夢を見よう。大きな夢だけが人の心を動かす。
★
おまえの心を明るく楽しくしようと思うならば、共に暮らす人びとの長所を思え。
★
もし君にできるのならば、(悪いことをした人間を)改心させよ。
もしできないならば、かかる場合のためにこそ
寛大というものが君に与えられているのだ、ということを思い起こせ。
★
物言わぬ先から、人の言おうとすることを、
顔つきから読み取れなければならない。
★
みせかけの微笑を見せたり、心に仮面をかぶったりしない、真心のこもった、
裸のままの親切には、人は決して抵抗できないものだ。
もしこちらがあくまで親切を続ければ、
たとえ良心のひとかけらもない人間でも、必ず受け入れてくれるだろう。
★
なにか、悲しくなりそうなことに出会ったときは、つねに自分にこう言いきかせよ。
これは不幸ではない、これに高貴に耐えることが幸福なのだと。
★
他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自らに問うてみよ。
「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」
…「ありえない」と答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな。
★
あなたを支配するのは、出来事ではない。
その出来事に対するあなたの見方が支配するのだ。
マルクス・アウレリウス ★
人生を建設するには一つ一つの行動からやっていかなくてはならない。
★
人間の生の営みはすべて、今にある。
過去はすでに為されたものであり、未来は不確かなものだから。
★
人生のあらゆることを、それが最後だと思って行いなさい。
★
人間の真の価値は、何を目指すかによって判断される。
★
不死の神々と我々に喜ばしきことを与え給え!
★
もし君が同時に継母と実母とを持っているとしたら、
君は前者に仕えるはずであろうが、しかし君が絶えずもどって行くのは
実母のもとであろう。宮廷と哲学は君にとってちょうどこのような関係にある。
★
君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、
君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。
★
善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて
善い人間になったらどうだ。
★
あらゆる行動に際して一歩ごとに立止まり、自ら問うてみよ。
「死ねばこれができなくなるという理由で死が恐るべきものとなるだろうか」と。
マルクス・アウレリウス ★
哲学が君をつくりあげようとしたその通りの人間であり続けるように努力せよ。
神々を畏れ、人々を助けよ。人生は短い。
地上生活の唯一の収穫は、敬虔な態度と社会を益する行動である。
★
死は誕生と同様に自然の神秘である。
同じ元素の結合、その元素への〔分解〕であって、恥ずべきものでは全然ない。
★
君が宮廷生活の不平をこぼすのをこれ以上誰も聞かされることのないように、
また君自身も君のこぼすのを聞かされることのないようにせよ。
★
今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとく
あらゆることをおこない、話し、考えること。
★
山の鼠と家の鼠。前者の恐怖と狼狽。
★
君の全生涯を心に思い浮べて気持をかき乱すな。
どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。
それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。
「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。
★
祖父ウェールスからは、清廉と温和(を教えられた)。
★
もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、
単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。
そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。
人生において貴重がられるものはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない。
マルクス・アウレリウス ★
元老院において、またあらゆる人びとにたいして、
整然と、判然と話すこと。健全な言葉づかいをすること。
★
たとえば睡気、暑気、食欲不振。
以上のいずれかのために不機嫌になった場合には、
自分にこういいきかせるがよい。私は苦痛に降参しているのだ、と。
★
事物はそれ自体いかなるものであるか、
その素材、原因、目的に分析してみるべきである。
★
君は理性を持っているのか?「持っている」それならなぜそれを使わないのか。
もしそれがその分を果しているならば、そのうえ何を望むのか。
★
他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うてみる習慣を持て。
「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。
ただし、まず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。
★
悪をなす者はみずからにも悪をなす。
★
我々が死によって失うものは、時間のわずかな一部、現在の一瞬のみ。
★
巣箱の利益にならざることは、蜜蜂の利益にもなり得ず。
マルクス・アウレリウス ★
幸福はどこにあるのか?名誉を愛する人は、他人の行為の中にあると考える。
快楽を愛する人は、自分の感情の中にあると考える。
悟った人は、自分の行動の中にあると考える。
★
そんなことより、疫病と人間の避けられぬ運命である死について、考えるべきではないか?
★
死は感覚の休息、衝動の糸の切断、心の満足、
または非常招集中の休止、肉への奉仕の解放にすぎない。
★
幸福は、その人が真の仕事をするところに存す。
★
忍耐は正義の一種である。
★
良い人間のあり方を論じるのはもう終わりにして、
そろそろ良い人間になったらどうだ。
★
罪を犯す者は自分自身にたいして罪を犯すのである。
不正な者は、自分を悪者にするのであるから、自分にたいして不正なのである。
★
かつて私はどこにおきざりにされようとも幸運な人間であった。
「幸運な」とは自分自身にいい分け前を与えてやった人間のこと、
いい分け前とはよい魂の傾向、よい衝動、よい行為のことである。
★
ソクラテスはこういうのをつねとしていた。
「どんな理性的動物(をあなたがたはお望みか)?健全な?それともよこしまな?」
「健全な」
「ではなぜそれを追い求めないのかね」
「私たちはもうそれを持っていますから」
「ではなぜ戦ったりいい争ったりするのだろう」。
★
宇宙の自然の善しとすることの遂行と完成とを、
あたかも自己の健康を見るような眼で見よ。
したがってたとえいささか不快に思われることでも、
起こってくることはなんでも歓迎せよ。
マルクス・アウレリウス ★
つねに、そしてできることならあらゆる場合において、
自分の思念に物理学、倫理学、論理学の原理を適用してみること。
★
無花果の樹が無花果の実をつけるのを驚いたら恥ずかしいことであるように、
宇宙がその本来結ぶべき実を結ぶのを驚くのも恥ずかしいことである。
同様に医者や舵取りが患者に熱のあるのや逆風の吹くのを驚くのも恥ずかしいことである。
★
「物事に対して腹を立てるのは無益なことだ。
なぜなら物事のほうではそんなことにおかまいなしなのだから」
★
何かをするときいやいやながらするな、利己的な気持からするな、
無思慮にするな、心にさからってするな。
君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉やおこないをつつしめ。
★
君は理性を持っているのか?「持っている」それならなぜそれを使わないのか。
もしそれがその分を果しているならば、そのうえ何を望むのか。
★
君が宮廷生活の不平をこぼすのをこれ以上誰も聞かされることのないように、
また君自身も君のこぼすのを聞かされることのないようにせよ。
★
今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとく
あらゆることをおこない、話し、考えること。
★
事物はそれ自体いかなるものであるか、
その素材、原因、目的に分析してみるべきである。
★
肉体もまたがっしりかまえているべきであって、
動作においても姿勢においても歪められていてはならない。
★
一緒になって大きな声で嘆かぬこと、騒がぬこと。
マルクス・アウレリウス ★
ルスティクスからは、けちなお説教をしたり、
道に精進する人間、善行に精進する人間として
人の眼をみはらせるようなポーズをとらぬこと(を教えられた)。
★
つまり理性と公共精神という善きものにたいして、
大衆の賞讃とか権力とか富とか快楽への耽溺のごとく本質の異なるものを
いっさい対抗させてはならないのである。
すべてこのようなものは、とつぜん我々を打ち負かし、
道ならぬところへ我々をつれ去ってしまうものなのだ。
★
顔に怒りの色のあらわれているのは、ひどく自然に反することで、
それがしばしば見られるときには、美は死んで行き、
ついには全く再燃も不可能なほどに消滅してしまう。
★
「一緒になって大きな声で嘆かぬこと、騒がぬこと」
★
死とは感覚を通して来る印象や、我々を糸であやつる衝動や、
心の迷いや肉への奉仕などの中止である。
★
マクシムスからは、(...)克己の精神と確固たる目的を持つこと。
いろいろな場合、たとえば病気の場合でさえも、
きげん良くしていること(を教えられた)。
★
あたかも砂丘がつぎからつぎへと上にかぶさってきて
前のものを覆い隠してしまうように、人生においても初めのものは
あとからくるものに間もなく覆い隠されてしまうことを考えよ。
★
エメラルドは、人に褒められなくても、その価値を失わない。
★
マクシムスからは、克己の精神と確固たる目的を持つこと。
いろいろな場合、たとえば病気の場合でさえも、
きげん良くしていること(を教えられた)
★
賢者は言った、『静かな一生を送りたいのなら、仕事を減らせ』と。
★
苦痛は耐ええぬものでも、永遠に続くものでもない。
もし、その限界を忘れず、おまえのほうから、それに余分な想念を付け加えないかぎり。
マルクス・アウレリウス ★
自分一人の判断には自信がない分、世間の判断に頼りきろうとするのは通常である。
だがこの場合の世間とは、自分が普段接している人たち、
つまり所属する党派や宗派、教会、階級を意味しているにすぎない。
★
尊厳の感覚。それは幸福の根幹をなしており、
これと対立するものは、一時的な場合を別にすれば、
彼らにとっては欲求の対象とはなりえないほどである。
★
彼(ベンサム)が見落としているのは、厳密な意味での人間本性の道徳的部分だけではない。
彼は他のあらゆる理想的目的をそれ自体として追求することを
人間本性に関する事実としてほとんど認識していない。
★
高貴な人物がその高貴さによってつねに幸福であるかは疑問の余地があるかもしれないが、
その高貴さが他の人々をより幸福にし、
それによって世界は全体としてはかりしれない利益を得ているのである。
★
社会に監視される人は、いつも自分の本性に
従わないようにしているので、やがて従うべき本性をもたなくなる。
人間としての能力は萎縮し、衰えていく。
強い望みや自然な喜びはもてなくなり、たいていは自分のものだといえる意見や感情をもたなくなる。
これが人間性の望ましい状態だろうか。
★
社会の初期の頃は、人の活力が強すぎて、人々を訓練し管理する社会の能力を超えていた部分があった。
しかし今では、社会は個性をほぼ押さえつけられるようになっている。
そして人間性を脅かすものは、個人の衝動と好みの過剰ではなく、不足になった。
★
数学の真理には特異な性格があり、論拠は全て一方の側だけにある。
反対意見はなく、反対意見への論駁もない。
★
人間の能力は知覚、判断力、違いを見分ける感覚、思考力のいずれも、
道徳感情すらも、選択を行うことによって鍛えられる。
それが慣習だからといって行動する人は選択を行わない。
最善のものを見分ける力も、最善のものを望む力もつかない。
★
ある人の欲求と感情が他人より強く多様だというのは、
その人が人間性の素材を豊富にもっているということである。
衝動が強いとは、活力があるということの言い換えにすぎない。
ジョン・スチュアート・ミル(イギリスの哲学者) ★
人は疑わしくなくなった点については考えなくなるものだが、
これは人間の誤りのうち半分の原因になるほど致命的な欠陥である。
"決着がついた問題は深い眠りにつく"とある論者が語っており、まさに至言である。
★
物事について自分の側しか知らない人は、そのことについてほとんど知らない。
★
慣習であるからといって、これをなすという人は、何らの選択をも行わない人である。
★
自分の胸に「いま、幸せか?」とたずねたら、途端に幸福ではなくなってしまう。
★
改革の精神は必ずしも自由の精神ではない。
なぜならば、改革の精神は、改革を欲しない民衆に対して
それを強制しようとするかも知れないからである。
★
人間性は樹木のようなものだ。
指定された仕事を機械的に正確にやらされるわけではなく、
あらゆる方向に伸び拡がらなければならない。
★
人間というものは、幼いときから労せずして得た栄誉を持っていると、
成長するにつれて必ずそれを自慢したくなるものである。
★
死後に残す人々の運命を、自分自身の運命と感じ得る能力が欠如している者ほど、
また利己的にのみ生きてきた利他の喜びを実感した経験のない者ほど、
老年に至って自分自身の快楽がゼロに近づくに及んで
いよいよ利己的な形における生命の存続を妄執するものである。
★
真理はつねに迫害に打ち勝つという格言は、実際、あのほほえましい虚偽にすぎない。
つまり、人から人へと口真似されて、ついには決まり文句になるが、
あらゆる経験によって反駁されるあの虚偽である。
歴史は、真理が迫害によって踏みにじられた実例に満ちている。
★
国家の価値は、結局国家を組織する人民の価値である。
ジョン・スチュアート・ミル ★
人間の自由を奪うものは、悪法よりも暴君よりも、実に社会の習慣である。
★
人生の色々な楽しみは、通りすがりに味わえば、人生を楽しくしてくれるが、
一旦それを人生の目的とすると、とたんに物足りなくなる。
★
人生の楽しみではなく、喜びを求めていこう。
★
真実の中には、個人的な経験を経て初めて本当の意味が理解できるものも多い。
★
人間の運命の大きな改善は、彼らの考え方の根本的な構成に
大きな変化が生じない限り、絶対に不可能である。
★
道を示す自由、これが天才の要求できるすべてである。
★
主流の意見は、自分でものごとを判断する能力が
それほど優れているわけではない人に対して、圧倒的な影響力をもっている。
★
個人の幸福に最大の関心を持っているのは本人である。
社会が一人の個人にもつ関心はごくわずかでしかないし、まったく間接的なものでしかない。
そして自分の感情や状況を理解するという点では、
普通の人であれば誰でも、他人とは比較にならないほど豊富な手段をもっている。
★
人は誰でも社会の保護を受けている以上、ある原則を守る義務を負うことが不可欠になる。
第一に、互いに他人の利益を損なわないこと。
第二に、社会かそれを構成する個人を危害と干渉から守るために、
公平性の原則のもとで各人が決められた労働と犠牲を負担することである。
★
習慣であるが故にこれをなすという人は、何らの選択をも行なわない。
★
悪人が自分の目的を遂げるのに、善人が袖手傍観していてくれるほど好都合なことはないのです。
★
力によって他人にその道を強要することは、
他の人たちすべての発展および自由と合致しないばかりでなく、優れた当の本人を堕落させる。
ジョン・スチュアート・ミル ★
どんなに正しい意見でも、十分に、たびたび、そして大胆に議論されることがないならば、
人はそれを生きた真理としてではなく、死んだドグマ[教条]として抱いているにすぎない。
★
思想の自由は、ただ単に、あるいは主として、偉大な思想家を生み出すために必要なだけではない。
普通の人間を可能なかぎり精神的に成長させる、そのためにも必要である。
いや、むしろ、そのためにこそ必要なのである。
★
古代の偉大な雄弁家キケロが残した記録によれば、
彼はつねに論敵の主張を、自分の主張以上にとはいえないまでも、
それと同じくらい熱心に研究したのだそうだ。
★
意見の違いがありうる問題の場合、
真理は、対立し衝突し合う二つの意見をあれこれ考え合わせることによってもたらされる。
自然科学の分野でさえ、同一の事実について、
つねにまた違った説明を加えることが可能なのである。
★
自分の頭で考えず、世間にあわせているだけの人の正しい意見よりも、
ちゃんと研究し準備をして、自分の頭で考え抜いた人の間違った意見のほうが、
真理への貢献度は大きい。
★
真理に備わる本当の強みは、つぎの点にある。
すなわち、ある意見が真理であるならば、それは一度、二度、あるいは何度も
消滅させられるかもしれないが、いくつかの時代を経るうちに、
それを再発見してくれる人間がたいてい現れる。
★
真理は、ただ真理というだけで、間違った意見にはない固有の力が備わり、
地下牢や処刑台に打ち勝つ、などというのは根拠のない感傷にすぎない。
ひとびとは真理よりも間違った意見を熱狂的に支持することもある。
★
再発見された真理のいくつかは、幸運な事情に恵まれて、迫害をまぬがれ、大きな勢力となる。
そして、そうなった後は、いかなる抑圧の企てにも耐えられる。
★
深刻な論争が、あの問題でもこの問題でも、つぎつぎに終結していくのは、
意見がひとつにまとまっていく流れの必然的な現象なのだ。
ジョン・スチュアート・ミル ★
涵養された精神は、自然の事物、芸術作品、詩的創作、歴史上の事件、
人類の過去から現在に至るまでの足跡や未来の展望など、
周囲のあらゆるものに尽きることのない興味の源泉を見出す。
★
利己心に次いで、人生を満足のいかないものにする重要な要因は、精神的涵養が不足していることである。
★
簡単にわかるようなものでない問題については、
一般に流布している意見がしばしば正しいけれども、
それが真理の全体であることはめったに、というか、絶対にない。
あくまでも真理の一部分にすぎない。
★
数学と物理以外の領域で、およそ知識の名に値するものは、
人が反対論者と論争をするときに働かせるのと同じような思考のプロセスを経ていなければならない。
それは人から強制されたものでもよいし、自分で見つけたものでもよい。
★
簡素な生活のすばらしさ。
人工的な社会の束縛と偽善が、人間を無気力にし、堕落させること。
この思想は、ルソーが主張して以後、教養のあるひとびとの心からけっして消し去ることのできないものとなった。
★
真理を見よと迫って、われわれの目を開かせようとする人は、
逆に、われわれに見えている真理が見えていなかったりする。
人間のことを冷静に判断する人なら、そんなことについても、憤慨すべきものとは思わないだろう。
★
たとえば夕日に照らされた雲の美しさに感動したとしよう。
その感動は、雲が水蒸気でできていることと、
大気中の水蒸気のあらゆる法則に支配されることを理解する妨げにはならないはずだ。
ジョン・スチュアート・ミル ★
ことさら言うまでもないが、秩序とか安定をうたう政党と、進歩とか革新をうたう政党は、
どちらも健全な政治のために必要な要素である。
★
功利性の理論が無神論として激しく非難されることを聞くのは珍しいことではない。
★
スウェーデンの有名な化学者ベリマンについて、
彼は多くの発見をしたが、彼の最大の発見はシェーレを発見したことであった。
同様にジェイムズ・ミルについても、人間の進歩についての彼の最大の貢献は、
彼が研究仲間と後継者として教育した彼の息子であったと言うことができるであろう。
★
こんなやり方は行きすぎだと思われるかも知れない。
そう言えなくもないが、それは、子供の間違いに腹を立てたことだけだと思う。
生徒というものは、できないことを要求されて初めて力の限りを尽くすのだから。
★
「理論」の正しい意味も知らず、しかもそれを現実と対立するもののように扱うとは、
おそるべき無知をさらけ出したのだと私は思い知らされたのである。
ジョン・スチュアート・ミル ★
人は30歳にして、自分を馬鹿者ではないかと思う。
40歳にして自覚し、計画を練り直す。
50歳にして不名誉な遅延に怒り、さらなる決意を新たにする。
★
富は向こうからやってくることがあるが、知恵はこちらから近づかねばならぬ。
★
家柄自慢をする者は負債ばかりをこしらえる。
★
時間を失って初めて時間に気がつく。
★
浪費された時間は単なる生存にすぎない。使用された時間のみが生活である。
★
無神論者も夜になると、神に対して半信半疑になる。
★
あらゆる人間は、自分以外の人はすべて死ぬと思っている。
★
自然は回転するが、人間は前進する。
エドワード・ヤング(アメリカの旧約聖書学者) ★
地位が低いからといって卑下する必要はない。
卑下すべきは、地位が低くて能力のないことである。
★
貧しいからといって、恥じる必要はない。
恥ずべきは、貧しくて志がないことである。
★
死を迎えるからといって悲しむ必要はない。
悲しむべきは、死んだあとに、この世に役立つものを残さないことである。
★
年老いたからといって嘆く必要はない。
嘆くべきは、年老いて目的もなく生きていることである。
呂坤(中国・明代の儒者・哲学者) ★
本当の絆とは何なのか。
それは、生きていくために、食べていくために力を合わせて働くこと。
★
右肩上がりの時代は、もうとっくに終わりました。
これからは生活を悪戯に膨張させるのではなく、
生活の質を高めていくこと。それが成熟した社会のあるべき姿です。
★
より強いとされる者がより弱いとされる者に、
かぎりなく弱いとおもわれざるをえない者に、
深くケアされるということが、ケアの場面ではつねに起こるのである。
★
現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。
私たちは、意のままにならないもの、どうしようもないもの、
じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をなくしはじめた。
★
1つ1つはだれもがもっているものであるにしても、
それらの組み合わせにひとりひとり独自のものがあるのだ。
★
(若者たちは)バブルが崩壊して以降、一度も右肩上がりの社会というのを体験したことがない。
「明日は今日よりきっと良くなる」という幻想も共有していない。
鷲田清一(哲学者) ★
わが子が熱を出してもすぐに帰ることができる。
停電になっても徒歩で帰ることができる距離に暮らすことが普通ではないか。
若い人たちに新しいサイズ感が生まれつつあることに希望を抱く。
★
グローバル経済。ずっぽりと組み込まれて、いわゆる国民経済が成り立たなくなっている。
経済というのは「経世済民」を略した言葉で、世を治めて民の苦しみを救うという意味だ。
ところが、企業は株主利益を最優先にしたグローバルな市場で
熾烈な競争を強いられ、最大の関心は自社防衛、生き残りになった。
★
僕はこれまで「限界哲学」をやってきたところがあり、
こういう場面で(「折々のことば」で)哲学をやりたいという気持ちがある。
ぴかぴかっとしたものを探し回っています。
★
昔から、すごい言葉は手で写す癖があるんです。
★
ファッションは行動のスタイルである。だからそのプロセス自体が問題になる。
★
一つのアイディアを制度として定着させようとするとき、
一つの発見を医療の現場で活かそうとするとき、
さらには一人の画家の仕事をまとめ展覧会を開こうとするとき、
法律や経理、調達や広報といった別のプロフェッショナルたちと
しっかり組まなくてはなりません。
鷲田清一(哲学者) ★
別のプロの、自分とは異なった視線、異なった関心をそれとして理解しようとせず、
自分の専門領域の、内輪の符丁で相手を抑え込もうとする人は、
そもそも専門家として失格なのです。
★
上空を旋回する報道のヘリコプターの轟音に、
救出を求める人の声が聞こえないと憤る人もいれば、
「だれかが見守ってくれている」と感じる人もいるでしょう。
人の思いというものはこのように、立っている場所でずいぶん異なります。
★
哲学者というのは、言葉で世界に拮抗したいという人間の強い意思というか、
あるいは最後の牙城かもしれないけれど、そういう危うさを一番よく知ってるし、
それが嘘か誠かもわからないものと知りながら、
そこの立脚点で現実と戦おうという、その確信だけはある。
★
リーダーシップとおなじくらい、
優れたフォロワーシップというものが重要になってきます。
自分たちが選んだリーダーの指示に従うが、みずからもつねに全体を見やりながら、
リーダーが見逃していること、見落としていることがないかというふうに
リーダーをケアしつつ付き従ってゆく、そういうフォロワーシップです。
★
(真に強い集団とは)日々それぞれの持ち場でおのれの務めを果たしながら、
公共的な課題が持ち上がれば、だれもがときにリーダーに推され、
ときにメンバーの一員、そうワン・オブ・ゼムになって行動する、
そういう主役交代のすぐにできる、しなりのある集団です。
★
成熟というのは、未熟さを守ること。
★
教養とは「何が大事で何が大事でないか」という価値判断、
「絶対いる」「あったらいい」「端的になくていい」「絶対あってはならない」
というのを即断せずに持続させるのに必要な「知性の体力」である。
★
プロとしての自分たちの思いとはうんと隔たったところで
ものを感じている患者さんやその家族の思いに、
十分な想像力をはたらかせられない医療スタッフは、プロとして失格なのです。
鷲田清一(哲学者) 中島 義道は、日本の哲学者、作家。元電気通信大学教授。
マスコミ曰く「戦う哲学者」。
専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。
著書:『明るいニヒリズム』『<対話>のない社会』『生きてるだけでなぜ悪い?』
『哲学者とは何か』『後悔と自責の哲学』
★
あなたは駄目人間なんです。それはもう一生変わらないんです。
突如、明日からもてはじめることもないでしょうし、
明日から頭がクルクル動くようにもならないでしょう。
永遠にもてないまま、無能なまま、そしてそのまま死んでいくことでしょう。
中島義道『ぐれる!』
★
「いま」という時間は、物理学には登場してきません。
なぜなら、いつもいつも「いま」だからです。
同じように、「私」も「永遠」も「無」も、物理学が立ち入ることの
できない領域に位置する現象、すなわち自然現象ではないことがわかります。
中島義道『「死」を哲学する』
★
いじめられ続けている生徒、仲間から軽蔑され続けている男、
世間から嘲笑され続けている女も絶対的に不幸ではない。
こうした人々は、冷たい仕打ちを受け続けることにより、
人間の醜さ・愚かさ・ずるさを徹底的に肌で学ぶことができる。
中島義道『哲学の教科書』
★
AとBという選択肢を前にして私がAを自由に選択したという記号化は、
けっしてその時の自由な行為の再現を意味するものではない。
それは、むしろAを選択したことに関して私に責任が課されるということから
さかのぼって意味づけられることなのだ。
中島義道『時間論』
★
道徳的センスとは、常に善いことをしようと身構えているセンスではない。
自己批判に余念がなく、たえず自分の行為を点検し後悔するセンスでもない。
そうではないのだ。それは、善とは何か、悪とは何かという問いを
割り切ろうとしないセンスである。
中島義道『悪について』
★
過酷なことは承知のうえだが、
現に差別で苦しんでいる人もまた差別する感情から完全に解放されてはいない。
そして差別と全力で戦っている人、差別という残酷な現象に
怒りをぶつける人や涙を流す人のうちに、
生々しいほど「高みから見下ろす」傾向が潜んでいるのだ。
中島義道『差別感情の哲学』
★
他人に注意する者は、それが正しい要求であると信じていればいるほど、
覚悟しなければならない。自分はいまたいそう傲慢な行為に出ているのだから、
無傷で相手を動かすことができるというおめでたい期待などしてはならないこと、を。
中島義道『カイン』 ★
世の中の誰ともうまくやって行けない人は、むしろ「才能」なのだから、
それを伸ばすべきではないか。普遍的に人間が嫌いなら、
懸命に一人で生活できるように努力すればいい。
それだけのことである。こうした生き方が別段劣っているわけではない。
中島義道『人生に生きる価値はない』
★
私自身のそしてさまざまなタイプの人間嫌いを観察してきた結果、
組織の中で人間嫌いが(比較的)許されるのは、次の場合である。
(1)仕事ができること。(2)勤勉であること。(3)誠実であること。
中島義道『「人間嫌い」のルール』
★
長く充実した人生を送るには、定型的な摩擦のないラクな生き方を破壊する必要がある。
夜寝床の中で「ああ今日も何ごともなく過ぎた」というだけの人生はつまらないものである。
その積み重ねは記憶を減退させ、過去を消失させ、人生をあっという間に終わらせることであろう。
中島義道『生きにくい…』
★
われわれは「言われる」ことにもっと馴れなければならない。
「言われた」こと自体にではなく「言われた」内容に向けて反論することを学ばねばならない。
しかし、このことこそ、教育現場では小学校以来まったく教えられていないことなのである。
中島義道『うるさい日本の私』
★
カントはゆったりとなんの疑いも迷いもなく独りなのだ。
独りで本当に満足しているのである。全然寂しくないのである。
人間は独りで生きることができるものである。
それを疑う人は、まだ本当の不幸が何たるかを知らない人である。
中島義道『カントの人間学』
★
他人を好きになることは他人を嫌いになることと表裏一体の関係にあるのです。
ひとを好きになれ、しかしけっしてひとを嫌うなというのは、
食べてもいいがけっして排泄してはならないというように、土台無理な話。
中島義道『ひとを<嫌う>ということ』
★
幸福は、盲目であること、怠惰であること、狭量であること、
傲慢であることによって成立している。それが私の基本的考えである。
中島義道『不幸論』
★
表現者を批判する場合の九割が、じつはただ「不快だ」と言いたいのである。
そして、そのうちのさらに九割が、
さまざまなかたちの(誤解を含めた)羨望や嫉妬に基づいている。
有名人には、私ごとき人間に対する羨望も嫉妬もまったくないから、
私は彼らに会うとくつろげるのだ。
中島義道『エゴイスト入門』
★
最近の若者は(男子も女子も)すらっとした体形で、清潔で、
ファッショナブルな服装をしていて、素直で、礼儀正しい。
このすべては私の趣味に適っているのだが、人間としてほぼ絶望的に面白みがない。
中島義道『観念的生活』 ★
カミュに「優しい無関心」という言葉があるが、
これを言い換えると他人になるべく期待しないこと。
そして、他人からもなるべく期待されないようにすること。
そうすると、人間関係で「悩む」ことは激減する。
中島義道『生きてるだけでなぜ悪い?』
★
私は他人によって励まされることがほとんどない。
励まそうという意志はわかるのですが、それは
「いまから嘘八百を並べるけれど、それもあなたを思ってのこと、
私と一緒にひとまず幻想に陥りなさい」という作戦の表明にほかならない。
中島義道『私の嫌いな10の人びと』
★
過去はまったくの無である。宇宙の果てまでも過去はまったく存在しない。
これが実相である。だが、人間はこのような世界像を抱くことが耐え難いのだ。
だから、実在としては「ない」ものを観念として「ある」と
巧みに言いかえて切り抜けようと企んだのである。
中島義道『明るいニヒリズム』
★
人が喜んでいると、なんとなく心は沈んで暗くなり、
人が悲しんでいると不思議に心は明るく晴れ晴れとしてくるのだ。
まさに人間のクズであるが、この通りなのだから仕方ない。
私はこれがすばらしいと言いたいわけではなく、多数派に勧めたいわけでもない。
中島義道『狂人三歩手前』
★
「自分は弱いから」という理由をもってくることは、哲学の死だ。
あなたは強いからアレもコレも許されないが、
自分は弱いから何でも許される、というずるく汚い態度につながる。
いったんこの論理を振り回しはじめたら、もう思考は堕落の坂をころがってゆくだけだ。
中島義道『「哲学実技」のすすめ』
★
人間嫌いな人とはじつは自分が嫌いな人なのである。
他人との関係にある自分が嫌いなのだ。
中島義道『孤独について』
★
考えない人間は、どの時代にもどの地域にもいる。
彼らは、「考えない」という唯一の武器をもって、恐ろしいほど逞しく生きているのである。
中島義道『観念的生活』
★
天才たちの成功話や不遇話はもういいじゃないか。
それらは、平凡なきみが、仕事を始めるうえでなんの役にも立たない。
平凡なきみが、きみに与えられた仕事を続けてゆくうえでなんの役にも立たない。
中島義道『働くことがイヤな人のための本』
★
大原則として、他人の人生に過度の期待をかけてはならないと思う。
勝手に相手に期待して、その期待がかなわないとき、
「こんなはずではなかった」と相手を責めるのが卑劣な弱者というものである。
中島義道『「人間嫌い」のルール』 ★
あえて「驚く」訓練をすること。
子供のように、いや別の天体からはじめて地球に
やって来た宇宙人のような目で周囲を眺めること。
あるいは、明日処刑される死刑囚のような気持ちで周囲世界を眺めること。
世界は突如光を放ち、汲み尽くせないほどの豊かさに輝くことであろう。
中島義道『生きにくい…』
★
なんで世界はこんなに矛盾と理不尽と悪に満ちているのだろうと思うと、心は癒されるのだ。
どんなに懸命に生きても、みな死んでしまい、
人類はやがて滅びてしまう、と実感すると心は平静になるのだ。
中島義道『人生、しょせん気晴らし』
★
結局は、アイツもコイツも馬鹿ばかり、そしてそう言う自分がいちばんの馬鹿と結論は決まっている。
これはあまりにも真実なので、ヒドク傷ついてしまう。
こうして、真に人間好きな人は、パーティーに行っても人間嫌いが増すだけなのです。
中島義道『人生を<半分>降りる』
★
本当の鍵は他者の重みをしっかりとらえることなのだ。
他者は自分の拡大形態ではないこと、それは自分と異質な存在者であること。
よって、他者を理解すること、他者によって理解されることは、
本来絶望的に困難であることをしっかり認識すべきなのである。
中島義道『<対話>のない社会』
★
ニーチェは偶然と運命とのあいだの揺れを止めようとする。
つまり、われわれの眼には偶然に見えるさまざまな事象の背後に
「何か意志的なもの」があって、それがすべてを動かしていることを認めるのではなく、
すべてがまさに偶然であることをそのまま認めよということ。
中島義道『後悔と自責の哲学』
★
匿名のまま、自分は安全なところにいて、
ありとあらゆる有名人を、犯罪被疑者を、定式通り裁くことは、
最も頭の悪い人間にもたやすくできることである。
しかも、彼らのほとんどは、それを「軽い気持ちで」実践している。
中島義道『善人ほど悪い奴はいない』
★
意志とは「思う」こととは別のことなのです。
嘘だと思うなら、いま「立ち上がろう」と思ってください。思ったでしょう。
でもあなたはただ「思った」だけで立ち上がっておりませんね。
では、今度は立ち上がってください。立ち上がりましたね。
中島義道『哲学の教科書』
★
膨大な数の若者が十五歳で、二〇歳で、三〇歳ですでに人生に敗れているのです。
成功者は「そんなこと乗り切らなくちゃ!若いんだから、人生長いんだから」とのたまう。
しかし、あなたが成功したのもかなりの部分運だったんじゃありませんか?
中島義道『私の嫌いな10の言葉』 ★
愛する者は愛される者が自分を支配するような王宮をみずから造りあげた。
そして、その中に主人としての相手と奴隷としての自分を配置した。
だから、じつは愛する者こそが主人なのである。
愛される者は主人というかたちをした奴隷なのである。
中島義道『ひとを愛することができない』
★
怒れない人は、まず単純に怒りを表出することから訓練しなければなりません。
その怒りが「正しく」なくてもいいのです。だれの賛同を得られなくてもいいのです。
そうした単純な表出に慣れてきてはじめて、しだいに効果的な怒りの表出の仕方が身につく。
中島義道『怒る技術』
★
哲学が世の中で危険視されることも、哲学者が世の中で嫌われることもよくわかります。
世の中の九九・九九パーセントの人が、何よりも幸福を求めて生きているのに、
哲学者はそのさなかに「それは違う」という爆弾を投ずるからです。
中島義道『後悔と自責の哲学』
★
いじめが起こると「自分がされたらどんなにつらいか考えなさい」
というお説教ばかり聞こえる。そうではないのだ。
自分がつらくない些細なことでも他人はつらいかもしれないのである。
自分とは感受性がまったく異なっているかもしれないのである。
中島義道『<対話>のない社会』
★
一つだけ自信を持って言えることがある。「とにかく死んではならない」ということだ。
正確な理由はわからない。しかし、とにかく死んではならないんだ。
きみは生きる理由が見いだせないと言った。でも、死んではならない。
きみは生きているのが辛いと言った。でも、死んではならない。
中島義道『カイン』
★
男神話(男根主義)は、男の体内深くに根を下ろしている。
そして興味ぶかいことに、弱い男ほど最後の砦として「男」を手放したくないのです。
あらゆる点で女に負ける男でも、いやそういう男であるからこそ、
「男」という点にしがみつき、「おれは男だ」という幻想に耽っていたい。
中島義道『ぐれる!』
★
「滑稽」は「深刻」と対立する概念ではなく、「苦しみ」とも対立する概念ではない。
この三概念は同じベクトルをもっている。
つまり、あらゆる深刻な苦しみは、
――多少正確にものごとを見る能力さえあれば、ただちにわかることであるが――
いくぶん滑稽である。
中島義道『日本人を<半分>降りる』
★
私はいないかもしれない!過去は存在しないかもしれない!
この世はすべて夢かもしれない!
デカルトはこうした懐疑の嵐に吹き飛ばされそうになり、「我思う」にしがみついた。
ヒュームは「私」さえ存在しないと覚った。
ニーチェは嵐にまともに向き合い狂気に陥った。
中島義道『哲学者とは何か』 ★
すべてが起こるべくして起こったこと、それには何の意図もないこと、
そして、すべての人は死んでしまい、すべてのものは滅んでしまうこと、
このことにも何の意味もないこと、
このことを四六時中考えていると、暗黒を突き抜けて不思議に明るい気持ちになってくる。
中島義道『観念的生活』
★
ある人を殺したいほど憎いのだったら、
ただちに殺人を実行するのではなく、自分の憎しみと正確に向き合うこと。
その憎しみがどういう構造をしており、どういう原因によって成立し、
殺すことによってどんな効果を及ぼすことになるか、時間をかけて冷静に観察すること。
中島義道『怒る技術』
★
私がイヤなのは、わかる努力をしようともしない人のところへ、
なぜわかっている人が降りていかなくてはいけないのかということです。
無知な私にわかるように学者や専門家は話すべきだ
――こうした要求を出す人が当然のようにのさばっている状況がある。
中島義道『人生、しょせん気晴らし』
★
「何でも質問しなさい」という言葉がじつは大ウソであることを
子どもたちは次第に全身で見抜いてゆく。そして、子どもたちは知らず知らずのうちに、
むしろ「語らないほうが得」であることを学んでゆくのである。
中島義道『うるさい日本の私』
★
おびただしい人々が芸術家に憧れるのは、私の考えでは、
好きなことができるということのほかに、まさに社会を軽蔑しながら
その社会から尊敬されるという生き方を選べるからなんだ。
社会に対する特権的な復讐が許されているということだね。
中島義道『働くことがイヤな人のための本』
★
私たちが生きるということは、他人に迷惑をかけて生きるということであり、
とすると「ひとに迷惑をかけるな」と命ずることは
「生きるな、死ね!」と命令するようなもの。
中島義道『私の嫌いな10の人びと』
★
本当に『嘔吐』は何度読んでも泣きたくなるほどすばらしい作品です。
「現在だけしか存在しない」こと、
過去は「自分の思想(<こころ>)の中にさえも存在しない」こと、
この驚くべき発見を日常的な場面でえぐるように描写することにかけて、
サルトルの右に出る者はいない。
中島義道『哲学の教科書』
★
私は確信するが、孤独とはたいそう贅沢な境遇である。
孤独な時間、われわれは存分に自分を鍛えることができる。
孤独を「紛らす」のではなく、孤独によってずっしりと与えられた時間を
額面どおり受けとめて、豪勢に使うことができる。
中島義道『孤独について』 ★
みんな、真実を正確に表現することが、いかに平和を乱すかを知っている。
だから、みんなで共謀して真実を見ないようにしているのである。
見ても語らないようにしているのである。
特殊日本的幸福論者は、こうした共同幻想に陥るところにこそ、幸福があると確信している。
中島義道『不幸論』
★
私は、<いま>死ぬとしても一〇年後に死ぬとしても、
一万年後に死ぬとしても、一億年後に死ぬとしても、たいした違いはない。
なぜなら、そのとき、それまでの世界はすべてあとかたもなく消滅してしまっているのだから。
中島義道『明るいニヒリズム』
★
私はいままで多くの人に傷つけられたが、その誰ひとりからも謝ってもらいたくない。
「心を入れかえて」謝ることが、どんなに難しいことであるか、知っているからである。
中島義道『ひとを愛することができない』
★
真に自分の言葉を獲得するには、絶対的に他人を経由しなければならない。
他人を理解すること・他人から理解されることの絶望的なまでの難しさを通じて、
つまりいかに言葉を尽くしてもわかり合えないという体験を通じて、
ぼくたちははじめて自分の言葉を発見するのだ。
中島義道『「哲学実技」のすすめ』
★
あなたは自分を変えなくてもいい。それでいいではないか。
だが、そういうあなたは社会的には排除される。
だから、あなたも社会から離れようではないか。
そのうえで、あなたなりに豊かに生きる道を探そうではないか。
中島義道『孤独について』
★
かつて辛口の論調で有名であった福田恆存は、ある本の中でグサリと
「人生相談のさい、とくに女性の場合、写真がないとやりにくい。
美人がそうでないかで全然回答が異なるからだ」
というようなことを書いています。福田さんは、本当のことをはっきり言っています。
中島義道『女の好きな10の言葉』
★
たとえ頭では男がスカートを穿いて悪いことはないと思っていても、
(つまり自分の信念には反していなくとも)不快だと感じてしまうこともある。
それゆえ、美学的不快は倫理的不快に吸収されないのである。
これは差別問題の要を形成する。
中島義道『観念的生活』
★
「他人の痛みのわかる人になろう」というスローガンに異存はない。
だがこの国では、この標語が「自己の痛みの拡大形態として他人の痛みをわかる」
という図式になりやすいのだ。これは危険な思想である。
中島義道『<対話>のない社会』
★
われわれは完全に箱の<ウチ>に入っているのではなく、
箱の<ソト>から箱を観察しているのでもない。
箱の<ウチ>に「住みついて」おり、箱を「生きて」おりながら、
たえず直接箱の<ソト>を観察し続けているような独特なねじれた存在者なのです。
中島義道『時間を哲学する』 ★
きみが自分を「才能のない人間」と決めることはそういう自分を選ぶことであり、
自分を「もてない男(女)」と決めることはそういう自分を選ぶことである。
中島義道
★
自分も相手も傷つかない何らかの解決を見いだす、そんなきれいごとはなかなかないのです。
相手も自分も傷ついて、どうにか難局から這い出すほかはない。
中島義道『怒る技術』
★
モラリストとは自分が人間の愚かさ醜さから一歩も抜け出てはいないと自覚した者である。
モラリストの笑いはすべて「苦笑」である。
人間の愚かさ醜さを笑うことが直ちに自己の愚かさ醜さを笑うことなのであるから。
中島義道『哲学者とは何か』
★
他人を蹴落としたり、手練手管で自分だけ出世したり、二枚舌を使って騙したり……
この程度の不純や醜さは、まあ大したことはないと思っているよ。
ぼくがいちばんいらだつのは、むしろ自分の中のエゴイズムを直視しようとしない人々だ。
中島義道『「哲学実技」のすすめ』
★
「優しさ」や「思いやり」のみ強調する差別論は空想的であり欺瞞的である。
人間の偉大さは、悪に塗れていても善を希求するところにあり、
他人を騙し、傷つけ、利用し、破滅させても、
「優しさ」や「思いやり」から決定的に逃れられないところにある。
中島義道『差別感情の哲学』
★
全世界がまるごと見えることはない。
そのつど特定の区切られた光景が、私には見えるのであり、
いま眼前の世界が見えるためには、この視野の背後に全世界が控えており、
その残りの全世界が背後に後退し見えないことによって、
この視野が見えるものとして現われているのです。
中島義道『「私」の秘密』
★
自殺すべき理由がないように、自殺しないで生きるべき理由もないんだよ。
「いかに生きるべきか」に関して、
いやさらに「はたして生きるべきか」に関してさえ、いかなる理由も挙げることはできない。
中島義道『生きるのも死ぬのもイヤなきみへ』
★
小学校や中学校では、給食もみんな一緒、掃除もみんな一緒、
運動会もみんな一緒、遠足もみんな一緒、学芸会もみんな一緒、
そしてもちろん勉強もみんな一緒。みんな一緒をこれほどまでに
強要されなかったなら、私はどんなに救われたことであろう。
中島義道『人生に生きる価値はない』 ★
われわれは、過去との関係で現在を捉えるという図式にどっぷり漬かっている。
過去世界の相貌と現在世界との相貌とはまるで違うのに、
それが同一の世界であるかのようにみなしている。
この強引な同一視こそあらゆる「認識」の基本である。
中島義道『時間と自由』
★
書くことは他人を巻き込んで自分に向かって語ること、
他人の目を通して自分に対して語りかけること、他人に納得させようとするかのような
外見を保ちながら、つまり普遍的問題であるかのようなトリックを駆使しながら、
じつは自分自身だけに語りかけることである。
中島義道『カイン』
★
それにしても、わが国ではどうしてみんな
これほど「明るい」人や「明るい」雰囲気が好きなのでしょう。
「暗い」人は、それだけでもう人間失格のような扱いを受ける。
それこそ、自然ではないと思います。
中島義道『人生を<半分>降りる』
★
けっして生きている「だけ」ですばらしいことはない。
このことは、生命がこの世で最も尊いものだという思想(私はそう思わないのですが)を
たとえ承認したとしても、承服しがたい。なぜなら、「最も大切」というのと
「それだけでいい」というのとは意味が違うからです。
中島義道『私の嫌いな10の言葉』
★
「優しい」人の行為は無償ではない。
優しさを向ける相手に「見返り=自分に対する優しさ」を期待する。
そして、見返りのないとき、その人を憎むのである。
中島義道『うるさい日本の私』
★
私はカウンセラーでもなく、精神科の医者でもなく、神父でもないのだ。
私はだれも救えないのである。私は「生きる意味」が皆目わからない人間である。
自分が途方に暮れているのに、ひとを教え諭すことなどできるわけがない。
中島義道『狂人三歩手前』
★
「私は」という叫び声を大事にしなくちゃいけないわけです。
みんなと同じ考えや感受性は、哲学をつぶしていくわけですよね。
百人のうち九十九人がBGMを望んでいても、「私は聴きたくありません」と言うことが大切なんです。
中島義道『人生を<半分>降りる』
★
いかに心の内で叫ぼうとも、意志とは行為を引き起こす現実の力と
みなされているのですから、それが具体的な行為を結果として産み出さないかぎり、
意志とはみなされないのです。言い換えますと、
意志とは内的な心理作用よりもずっと観察可能な行為の外形に結びついている。
中島義道『哲学の教科書』
★
われわれはとくに重要な決断をするとき、
状況にまったく左右されない自由意志があったと想定したくなりますが、
それは「あとから」のこしらえものであって、
事実そのときそのような自由意志が作動していたかどうかはけっしてわからない。
中島義道『後悔と自責の哲学』 ★
私が数を背景にした集団行動を嫌う理由は、
集団行動は原理的に醜いから、原理的に不正だから、原理的に悪だからである。
それは一時的な戦術であるにせよ、自分たちは完全に正しいという姿勢をとる。
相手は完全にまちがっているという単純な二元論を演技する。
中島義道『日本人を<半分>降りる』
★
私の敬愛する森茉莉さんは
「相手の気持ちを考えないって、なんと楽しいのだろうか」と吐露している。
こうした発言はまことに健全です。
中島義道『私の嫌いな10の言葉』
★
人生は恐ろしく不平等であり、恐ろしくアンフェアだ。
そのうえ、いわゆる「偶然」がいたるところで
われわれを待ち構えていて、われわれの計画をぶち壊す。
それでもわれわれは生きている限り、選択しなければならず、
しかもその結果に責任を負わねばならないんだ。
中島義道『真理のための闘争』
★
大森が哲学者として偉かったのは――変な言い方だが――本当に驚いていたからだ。
眼球も視神経も大脳も物質にすぎない。なのに「見える」とは驚くべきことではないか?
大脳の中に「意志」など発見できない。
だが、私が腕を上げることができるとは何とグロテスクなことか?
中島義道『哲学者とは何か』
★
わかったようなことを言う大人(私が一番嫌いな人種)は、
よく「自分をよく見つめなさい」とのたまいますが、
「はい」と答えながらも、私はよくよく考えてみると全然(内的に)
自分を「見つめて」いないことがわかる。
私はただいろいろ思いをめぐらせているだけです。
中島義道『「私」の秘密』
★
「なぜこうしたのか?なぜああしなかったのか?」と頭が痺れるほど考えに考える。
そして、結局はわからないのだけれど、「わからない」ことをあらためて
確認することによって気持ちは落ち着き、生きていく気力が湧くのだ。
中島義道『人生に生きる価値はない』
★
考えない者の強さ、考えることができない者の強さ、
しかもそれでヨシとしている者の強さ、
「俺、バカだから」と居直る者の強さは、筋金入りの強さである。
まさにニーチェの語るごとく
「悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪に勝る害悪はない」。
中島義道『エゴイスト入門』 ★
幸福を求め賢明に能率的に苦労なしに生きると、時間は短く貧しくなる。
だが、死を見つめ不幸にまみれ苦しさを背負って生きると、
時間は長く豊かになるのである。これこそ人生の妙味ではなかろうか。
中島義道『生きにくい…』
★
生きているかぎりわれわれは常に現在という時間にいるように、
生きているかぎりわれわれは常に自由なのである。
自由とは生きている実感そのものである。
生きているとは、まだ決着がつかない状況のうちにいるということであり、
取り返しがつく状況のうちにいるということである。
中島義道『時間と自由』
★
突如怒鳴り出せ、だれかれ構わず罵倒しろと言いたいのではない。
まずは、不当な処遇を受けたときは、その怒りを正確に言葉で伝える訓練をすることだ。
そして、自分に対するいかなる非難や批判をも聞く態度を身につけることだ。
中島義道『「哲学実技」のすすめ』
★
「いい子」などという鎧を脱ぎ捨ててしまおう。
それは、その非常な重量できみを苦しませ、
きみから生きていく活力を奪う張本人であることを認めよう。
シャツ一枚になって、思いきり深呼吸してみよう。
どうだ。気持ちがいいのではないかなあ。それが、きみなんだ。
中島義道『カイン』
★
それにしても私が驚愕するのは、
多くの人が自分を痛めつけた人に向かって謝ってほしいと要求することである。
心から出た謝意でなければ虚しいはずなのに、
そして要求された謝意は憎悪にくるまれたものであることは承知しているはずなのに。
中島義道『ひとを愛することができない』
★
多くの大人が最近の若者は「自分のことだけしか考えない」と非難するけれど、そうではない。
彼らは他者の目を無性に恐れており、他者の承認を求めている。
互いにジコチューをきびしく監視し合っている。
他人のジコチューを告発する分だけ自分のジコチューも抑えつけている。
中島義道『不幸論』
★
私に向かって「おまえのためを思って言ってるんだぞ」と言う人よ!
「おまえが気に入らない」と言ってほしい。
「ただただ、おまえが気に入らないんだ」と言えばいいものを、
毒素を幾重にもオブラートで包み、あくまでも善人を貫き通そうとする。
中島義道『私の嫌いな10の言葉』
★
否定というのは、言葉を知っているからこそできる行為です。
否定できるからこそ、人間は見えないものも認識できるのです。
しかし犬や猫は起こっている出来事にしか反応できません。
色を判断するとき、犬は「これは黄色だ」と認識できても「赤ではない」とはしない。
中島義道『生きにくい…』 ★
過去の出来事が起こったその場所に位置しますと、
空間的な距離はゼロになりますから、時間的距離だけが純粋なかたちで浮かびあがってくる。
それはなぜか言いようのない感銘を与える。
そして、われわれは「過去はどこへ行ったのだ?」と自然に問いかけたくなるのです。
中島義道『時間を哲学する』
★
欠点こそかけがえのない「その人」をつくっている。
そして、欠点の反対側に長所があるのではなく、欠点とはそのまま長所になりうるものです。
こうした意味で欠点を欠点だと知っていること、欠点に悩むことはすばらしいことなのです。
中島義道『哲学の教科書』
★
普通人の感受性からずれていることは、大変な苦しみであるけれども、
その人が苦しんでいるからといって、
苦しんでいない普通人より人間として偉いわけではないんだ。
中島義道『働くことがイヤな人のための本』
★
壇上では「個性を伸ばせ」と言いながら、壇を降りるともう個人の言葉を聞かない。
こういうからだに染み付いたダブルバインド、口先だけの欧米中心こそ、
虫唾が走るほど厭なものです。
中島義道『「うるさい日本」を哲学する』
★
魔女裁判で賛美歌を歌いながら「魔女」に薪を投じた人々、
ヒトラー政権下で歓喜に酔いしれてユダヤ人絶滅演説を聞いた人々、
彼らは極悪人ではなかった。むしろ驚くほど普通の人であった。
つまり、「自己批判精神」と「繊細な精神」を徹底的に欠いた「善良な市民」であった。
中島義道『差別感情の哲学』
★
ぼくたちが「ほんとうのこと」ばかり語ることができないのはなぜか?
他人を傷つけたくないから。つまり、自分を守りたいからだ。
このメカニズムをしっかり自覚していれば、それだけでかなりのものだ、とぼくは思う。
多くの人は、これさえ見ようとしないからね。
中島義道『「哲学実技」のすすめ』
★
期待には影のように憎しみがつきまとう。
期待する者は期待に応えなかった相手を憎み、期待された者も期待に応えられない場合、
期待する相手を憎むという憎しみの網目がはじめから潜在的に張られているのですから。
中島義道『ひとを<嫌う>ということ』
★
書くことはぼくにとって復讐だ。
ぼくを痛めつけてきた親や姉妹や教師や善良な市民に対する、
そしてもっと根源的にはこうして勝手に生まれさせられ
すぐに死んでいかねばならないぼくの運命に対する復讐だ。
しかも、この復讐はたいそう虚しい復讐だ。
中島義道『カイン』 ★
強者は敵から逃げない。敵が強ければ強いほど、敵をしっかり見定める。
敵との対決こそが人生の醍醐味だからだ。
だが、弱者はあらゆる敵から逃げる。そして、敵のいない世界を望むのである。
中島義道『善人ほど悪い奴はいない』
★
私が知っているのは他人の死であり、他人の不在である。
それを、自分の死に間違って適用して、恐れているのである。
他人の不在は長さを持つ。恋人にとって、相手の不在が一日か一年かは大きな違いである。
なぜなら、不在はそれを数える人がいるからである。
中島義道『観念的生活』
★
ひとからひどい目に遭ったら、
「しかたない」とか「まあいいや」と思うことをやめること。
そして、自分の中にうごめく不快感から身を振りほどいて脱出しようとせずに、
そこになるべく長く留まるようにすること。
「みんな私が悪いんだ」とけっして思わないようにすること。
中島義道『怒る技術』
★
どんな思想をもってもいいのですが、当人がその思想を
どれだけ自分の固有の感受性に基づいて考え抜き鍛え抜いているかが決め手となる。
つまり、その労力に手を抜いている人は嫌いなのです。
中島義道『私の嫌いな10の人びと』
★
国民の多くに覇気がなく、夥しい精神病予備軍を抱え、
女たちは子供を産みたがらず、人口は減少の一途をたどり……だがみんな豊かで、
優しく、知的で、なかなか住みやすい国がしばらく地上に存続するであろう。
そして、いつかそれも滅びる。それでいいのではないかと思う。
中島義道『どうせ死んでしまう…』
★
カントが最も恐れていたもの、それは時間の容赦のない進行だったのかもしれない。
時間の進行を止めることはできない。しかし、時間を計画的に支配することはできる。
時間を徹底的に支配することが、残りの人生をできるだけ長引かせることなのだ。
中島義道『カントの人間学』
★
私が一番よくないと考える社会は「努力すれば、これだけできます」というものです。
努力すれば社長になれる社会は、逆に言えば常に頑張っていないといけないですから、
そこに生きる人々にとっては非常に厳しい社会になります。
中島義道『生きてるだけでなぜ悪い?』
★
書くというやくざな営みをしながら、
世間一般の幸福を追求するなどというのは虫がよすぎる。
書くことによってほんの一握りの賛同者と
膨大な批判者・無関心者が生まれることは必至のことである。
それを丸ごと呑み込むとき、人は書き続けるようになる。
中島義道『孤独について』 ★
むしろ、私は世の評論家や教師は、若い人々に
「他人の痛みや気持ちをわかる難しさ」を教えるべきだと思っております。
そこから、自然に他人に干渉しない、
他人を異質なものとして尊重するという態度が養われるからです。
中島義道『哲学の教科書』
★
われわれが「語る」ことを取りもどすには、
あえて他人を「察する」ことをやめなければならない。
「察する」ことに鈍感にならなければならない。
そして、その分だけ「語る」ことに鋭敏に勤勉にならなければならない。
そこまでしなければ駄目なのだ。
中島義道『うるさい日本の私』
★
「差別する自分」を頭から断罪する前に、
「差別したい自分」と「差別したくない自分」とのせめぎ合いを正確に測定することが必要であろう。
自分は眼の前のこの人を哀れんでいるのではないか?
もう充分哀れんだから、早く消えてもらいたいのではないか?
中島義道『差別感情の哲学』
★
現在と過去との二元論を採用したいのです。
現在と過去との決定的差異を見据えることが時間論のすべてだと言いたい。
では、未来とは何か。それは、私の考えでは「まだない」のではなく、
じつはありとあらゆる意味で「ない」、つまり完全な無なのです。
中島義道『時間を哲学する』
★
私は自分が若いころの元気な日本が嫌いなので、
現代のいささかしょぼんとした祖国は捨てたものではないと思っている。
むしろ、元気であったからこそ、国民が一丸となって一流国へ向けて
邁進していたからこそ、繊細さに欠けた下品な国であったように思う。
中島義道『どうせ死んでしまう…』
★
「明日死ぬとしたら」という条件を付けて
「何をすべきでないか」を考えてゆきますと、おもしろいことに
この世の偉大なことは背景に退き、個人的な些細なことが前景に広がってきます。
中島義道『人生を<半分>降りる』
★
他人に対して――たとえわが子に対してであっても――「情けない」という言葉を
発することが許されるほど完璧な人は、この世には一人もいないと私は思っています。
中島義道『私の嫌いな10の人びと』
★
人間は、誠実に生きていくなら、少なからず他人とぶつかるはずであり、
その場合、他人に怒りをぶつけねばならないこともあり、
他人を攻撃しなければならないこともあるのだ。
他人の怒りを浴びねばならず、攻撃を身に受けねばならないこともあるのだ。
中島義道『人生に生きる価値はない』 ★
私はアルバイト以外に一般企業で働いたことは1回もありませんが、
すごくわがままなので、どこの企業でも勤まらないでしょう。
私が日本社会で特に嫌いなのは、
会社というものが家族のように丸抱え式になっていることです。
中島義道『』
★
きみは他人と対立することが怖い。
だから、自分を押し殺してまでも他人に合わせようとする。自分が傷つかないように。
しかし、それは誠実ではない。ただの自己防衛であり、ずるい功利的な演技だ。
つまり、自己中心的なんだ。それを知っているから、きみはそうすることでさらに悩むのだ。
中島義道『カイン』
★
自分がこんなにひどい目に遭っているのはなぜなのか。
自分がこんなに生きにくいのはなぜなのか。自分が少し前に勝手に生まれさせられて、
たちまち死ななければならないのはなぜなのか。
大森によれば、その答えはないのである。
世界とはそういうものなのであり、ただそれだけなのだ。
中島義道『不幸論』
★
問題なのは、正しい解答が一つしかないことである。
多くの場合、「優しさ」を強調する人はその絶対基準を自分のうちにもち、
それで他人を断罪するという暴力を平気で行いがちである。
中島義道『カントの人間学』
★
自己嫌悪とは(どんなかたちにせよ)他人から嫌われることを恐れるあまり、
みずからに「嫌い」を向けて身を保っている形態ですから、
それを溶解させるには他人の生身の「嫌い」を
自分のうちにあらためて豊かに取り込むしかない。
中島義道『ひとを<嫌う>ということ』
★
無意味に生きて、その挙げ句いつか無意味に死ぬだけだ。
そして、不思議なことにこれほど無意味な人生なのに、
死ぬことは冷や汗の出るほど恐ろしいのだ。
それは、広大な暗黒の宇宙の中で全くの無に帰すること、
そして、二度と生き返らず世界の終焉まで無であり続けることなのだから。
中島義道『異文化夫婦』
★
平均的日本人は、サービスを提供する人から奴隷のように仕えられたいのであり、
言葉を尽くしておだてられたいのであり、もちあげられたいのであり、
……つまりむやみやたらに甘えたいのであり、
好意的なサインをたえず発してもらって安心していたいのだ。
中島義道『日本人を<半分>降りる』 ★
偏食の強い人には一つの宝が与えられる。
それは、一見不寛容の極致にいながら、自分がこれほど微妙かつ理不尽に
マジョリティからずれていることを痛感するがゆえに、
他人の微妙かつ理不尽なマジョリティからのずれを理解する寛容さを
養うことができるということである。
中島義道『偏食的生き方のすすめ』
★
われわれは、ある人が自分に災いを及ぼしたゆえに憎むこともある。
だが、恐ろしいことに、自分にいかなる実害を加えなくともある人を憎むのである。
(Xが私を傷つけたからではなく)「私がXを傷つけたからXが嫌いだ」と心情を吐露する人物をドストエフスキーは描いている。
中島義道『哲学者とは何か』
★
「いじめ」とは日本人の美徳に反するものではなく、
正反対に「優しさ」や「思いやり」や「耐えること」という
日本人の美徳それ自体がつくりだしたものなのである。
中島義道『うるさい日本の私』
★
私の体験から言えることは、
いかなる失敗も、その目標の火が消えないかぎり、きみは耐えられる。
最終的にはその目標を実現しなくてもいいんだ。完全に失敗してもいいんだ。
だが、そうした運動を通じて、きみはたぶん辛いけれど充実した人生を味わえると思うよ。
中島義道『働くことがイヤな人のための本』
★
「温かい家庭」を築くことを人生の課題のように考えている人がいますが、
そしてそれが達成できないと人生の敗北者のように考える人がいますが、
そんなことはない。そうしたい人はそうしてかまわないのですが、
結婚生活に失敗しても、一生結婚しなくとも、それでいいのではないか。
中島義道『ぐれる!』
★
あなたの孤独は、あなた自身が選びとったものだということを認めなさい。
そして、その(表面的な)不幸を利用し尽くしなさい。
それは、とても「よい」状況になりうることを信じなさい。心からこう言いたい。
中島義道『孤独について』
★
月は小さく見える。
でも、小さく見えるのは小さいからです。五円玉と同じ大きさです、と言ってはいけないんですね。
なぜ見たままを、月の大きさと言ってはいけないかと言いますと、
物差しを当てる測り方をわれわれは正しい大きさだと学んでしまったからです。
中島義道『たまたま地上にぼくは生まれた』
★
どんな善人も悪である。
この思想の背景としてキリスト教の「原罪」の思想が認められるが、
カントの「根本悪」ははるかに人間的である。
人間は、みずからより完全になろうと刻苦精励し、
他人の幸福を望み他人に親切にすればするほど、必然的に悪に陥る。
中島義道『悪について』 ★
どんなに激しく悩んでも、どんなに真剣に思索しても、
どんなに大量の本を読んでも、哲学の扉が開かれるわけではない。
その扉は、厳密で抽象的な概念によってのみ世界を知りうる、
と心の底から確信した人にのみ開かれる。そして、こうした人は驚くほど少ない。
中島義道『人生、しょせん気晴らし』
★
私の場合、死に対する恐怖とは、
まったくの無になるのが恐ろしいというストレートな感じというより、
ずっと無であったのに、一瞬間だけ存在して、また永遠に無になる、という
途方もなく残酷な「あり方」に対する虚しさです。
中島義道『「死」を哲学する』
★
私が道徳的に善いとされていることに従うのは、
大多数が善いと思っていることに自分の行為を合わせたほうが、
生きるのに便利だから、社会から排斥されないから、
つまり快だからであり、それ以上の意味はない。
中島義道『生きるのも死ぬのもイヤなきみへ』
★
私は彼の痛みを和らげようと努力する。
それは、彼の痛みが「わかる」からだが、私が「わかる」のは彼の痛み自体ではない。
私はいかに努力しても彼の痛み自体を知りえない。
だが、知りえないというかたちで、彼の痛み自体の存在を認めているのである。
中島義道『カントの自我論』
★
人間が存在している意味はまったくないこと、
同じように、私が生まれた意味もまったくないこと。
だから、私の人生にも何の意味もないこと。
真正のニヒリズムとは、こうした事実を誤魔化さずにひたすら直視することである。
中島義道『観念的生活』
★
よくよく考えてみると、自分の考えより
他人の考えや他人の欲望に影響されているのではないでしょうか。
他人の欲望から自由になることは重要なことで、
そのためには本当の自分の欲望を知らないといけません。
中島義道『生きてるだけでなぜ悪い?』
★
哲学的センスのある人は、難解な哲学書をはじめて読んでも比較的スッと頭に入る。
一字一句の意味が明晰にわかるというより、
何がそこで問題になっているのかが痛いようによくわかる。
なぜなら、そこに書かれていることは、
いつかどこかで自分がすでに考えたことばかりだから
中島義道『哲学の道場』 ★
馬鹿で鈍感な善人たちは「正しいことを言っただけなのに、殴られた」とか
「冷静に注意したのに、怒鳴られた」と身体を震わせますが、
あなたが正しいと思っていたからこそ殴られたのであり、冷静沈着だからこそ怒鳴られたのです。
なんでこんな簡単なことがわからないのでしょうか。
中島義道『怒る技術』
★
社会において居心地のいい善人たちは
おうおうにして自分たちが「正しい」と信じている。
それももちろん愚かであるが、とはいえ、
彼らは間違っていて自分たちこそ正しいのだと胸をそらした瞬間に、
人間嫌いも彼らと愚かさを共有することになる。
中島義道『「人間嫌い」のルール』
★
たとえどんなによいことでも、
人々の言葉が一律になってしまったら、用心しなければならないと思う。
そのことを、われわれは歴史からうんざりするほど学んできたはずである。
中島義道『醜い日本の私』 ★
何も決定しないことを決定し、優柔不断でいることを決意し、
成り行きまかせにするということでは断固としており、
変心しやすいという点では頑固であり、全力を挙げて無能であろうとする。
(1930年代の宥和政策を非難して述べた言葉)
★
勇気はまさに人間に必要な第一の特質である。
これが備われば、他の特質も自然に備わるからだ。
★
事前にあわてふためいて、あとは悠然と構えている方が、
事前に悠然と構えていて、事が起こった時に慌てふためくよりも、利口な場合がある。
★
自分の職務に踏みとどまって、義務を果たす為に頑張り通す覚悟だ。
★
恐れおののいている間はまだ災いは本格的ではない。
勇敢に立ち向かうべき時は、いよいよ手の下しようがなくなった時だ。
★
あらゆる困難を克服して勝利を得るのだ。
勝利なくして、われわれの生存はあり得ないからだ。
1940年5月3日、独ソ同盟が勢力を伸ばしていた時期に、
新内閣を結成したチャーチルが下院で行った演説の一部。
★
いらぬ取り越し苦労をするよりも、
前もって考えたり計画するほうが大事だ。
★
たとえ生死の境にあって、気持ちが極度に張りつめている時でさえも、
他人の人生を思いやり、人類を支配する法則とは何であるかを
考えてみるとすれば、必ず何らかの報酬が返ってくる。
★
私が義務感と信念に基づいて行動している限り、
いくら悪口を言われようと何とも無い。
チャーチル ★
悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、
楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす。
★
第二次大戦中の、イギリス首相・ウィンストン=チャーチル卿の演説より。
「断じて屈服するな!断じて屈服してはならぬ!
断じて、断じて、断じて……事の大小を問わず、
内容の如何を問わず……己が名誉に賭けての、信念と良識以外には、
如何なるものにも屈服するな!!」
★
そうだよ私は酔っ払ってるよ。
しかし朝には私は酔いは覚めてシラフになるが、君は朝になっても不細工だ。
★
成功とは、意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである。
★
私は楽観主義者である。
それ以外のものは
どれも役に立ちそうもないからだ。
★
ごくふつうの人々、偶然の発言、またささいなできごとなどのほうが、
困ったときに聞くりっぱな人たちのよく考えられた荘重な助言よりも
大きな力でもって、われわれの人生をつくることがよくあるものである。
★
In War: Resolution,
In Defeat: Defiance,
In Victory: Magnanimity
In Peace: Good Will.
戦争には果断さを
敗北には抵抗を
勝利には寛大さを
平和には賢明さを
★
冗談は極めて真面目なものだ。
現実の重圧に負けぬもの、それは「笑い」だ。
チャーチル ★
うしろをふり向く必要はない。あなたの前には、いくらでも道があるのだから。
★
もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
★
思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。
それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
★
むかし景気のよかったものは、復古を主張し、
いま景気のよいものは、現状維持を主張し、
まだ景気のよくないものは、革新を主張する。
★
人類というものは寂しいものではない。
楽天的なものだ。生命は進歩するものだから。
魯迅 ★
政治――主義主張の争いという美名のもとに正体を隠している利害関係の衝突。私益のために国事を運営すること。
★
意志のあるところに「否」あり。
★
忍耐――美徳に見せかけた小さな絶望。
★
専門家――あなたの知らないことにはやたら詳しくて、あなたの知っていることは何も知らない人のこと。
★
陰口──対象に見られる危険の無い時、彼についてありのままを話すこと。
★
議論――他の人の思い違いをますます強固なものにする方法。
★
礼儀──文句なく是認(ぜにん)される偽善。
★
博学──学問に励む人によく見られる一種の無知。
★
恋愛――患者を結婚させるか、あるいはこの病気を招いた環境から引き移すことによって治すことができる一時的精神異常。
★
保守主義者──現下の悪弊に心酔したる政治家のことで、新たな悪弊をもって従来の悪弊にとって代えんと欲する自由主義者の向こうを張る。
アンブローズ・ビアス ★
放蕩者──快楽を追求するのも結構だが、あまり熱心に求めたので、不幸にもそれに追いついた人間。
★
悪人――人類の進歩に最も重要な要素。
★
称讃──他人が自分自身に類似していることを礼儀正しく認めること。
★
成功──人がその仲間に対して犯す、ただ一つの許し難い罪。
★
気晴らし――一般的な疲労を癒す、特殊な失意。
★
宗教──「希望」と「恐怖」を両親とし、「無知」に対して「不可知なもの」の本質を説明する娘。
★
暴動──悪気などぜんぜん無い見物人が、軍人たちのために催す庶民的な催し物。
★
偏見──明白な支えの手段を持たない気まぐれな意見。
★
アマチュア――己の趣味を技量と、野心を能力と混同している世間の厄介者。
★
希望──欲望と期待とが丸められて一つになったもの。
アンブローズ・ビアス ★
労働──AがBのために資産をつくるプロセスの一つ。
★
世界で最も影響力のある生き物は、雨に濡れて震えている犬である。
★
忍耐――それによって凡人が不名誉な成功を収めるくだらない美徳。
★
平和──国際関係における、戦争と戦争の合間の、だまし合いの期間。
★
不幸に耐えられないのは不幸だ。
★
行為によりて記憶を、好機によりて思慮深さを、正確によりて高尚さを、労苦によりて制御を、恐れによりて敬虔を、富みによりて友愛を、言葉によりて説得を、沈黙によりて礼儀を、智恵によりて正義を、勇敢によりて勇気を、行動によりて権力を、名声によりて権威を得べし。
★
怠惰に見える人間がいるのは、彼がやや禁欲的な傾向をもっているに過ぎない。
★
企てはゆっくり落ち着いて。いったんやり出したら熱心に。
★
一人の人間の心の中には、虎、豚、ろば、そしてナイチンゲールが住んでいる。人間の性格の持つ多面性は、彼らの等しからざる働きによるものである。
★
家庭――最後の頼みの綱として訪れる場所。24時間営業中。
アンブローズ・ビアス ★
無宗教──世界中の偉大な信仰の中で、一番重要な信仰。
★
日記――自分の生活の中で、自分自身に対して赤面せずに物語ることのできる部分についての日々の記録。
★
退屈な人間──聞いてもらいたい時に話をする人間。
★
正義――忠誠・税金・個人的奉仕に対する報酬として、一国の政府が市民に売りつける品質の落ちた商品。
★
流行──人々が嘲笑しながらも服従する専制君主。
★
平和――二つの戦争の時期の間に介在する、だまし合いの時期。
★
格言――歯の弱い者にも噛めるように、骨を抜き取った人生の知恵。
★
相談せよ。あなたが既に決めた道を他者に認めてもらうために。
★
法律家──法律の網をくぐる技術に熟練している者。
★
冷笑家──視力に欠陥があるため、ものごとのあるべき姿ではなく、あるがままを見てしまうヘソまがり。
アンブローズ・ビアス ★
幽霊──内なる恐怖が外に現れた、目に見えるしるし。
★
財産──どんな物質的なものでもよい、それになにも特別の価値がなくとも、それを甲が所持していて、乙が欲しがっても渡すまいとするたぐいのもの。なんでもあれ、
一人の所有欲を満足させ、他の全ての人の所有欲を失望させるもの。人が矢も盾もたまらず奪い、後はいつまでも放っておくもの。
★
批評家──自分に機嫌をとる者が誰もいないところから、自分は気難しい人間だと自負している連中。
★
反省──昨日の事物と自分の関係をとらえ、再び遭遇することのない危険を避けること。
★
会話──二流以下の連中が、お互いに自分の頭脳の中身を陳列し合う共進会。ただし、誰も彼も自分の商品を並べ立てるのに忙しく、隣人が並べてみせる商品を眺める余裕など、全然ないのが普通。
★
世間──不特定多数の個人。
★
ART(芸術)──RAT(ネズミ)の組み合わせ文字から一字を動かしたもの。
★
人間──自分で考えている自分の姿に有頂天に見入っていて、明白な自分のあるべき姿を見落としてしまう動物。
★
苦痛──友人の繁栄に曝(さら)されることによって罹(かか)る病気。
★
結婚──共同生活体のひとつの場合で、ひとりの主人とひとりの主婦と、二人の奴隷から成り、それでいて全部合わせても二人にしかならない状態あるいは境遇。
アンブローズ・ビアス ★
歯医者──おまえの口に金属を入れ、おまえのポケットから硬貨を引き出す男。
★
ばからしさとは、持論とは明らかに一貫性のない発言、あるいは信条のことだ。
★
金銭──邪魔にならない財産。手放すとき以外、何の利益ももたらさない。
★
野心──生きているうちは敵から罵言され、死後は味方から冷笑されたいといった、抑え切れないような激しい欲望。
★
経験──これまで我々が奉じてきた愚行が、あらずもがなの古なじみである、と分かるようにしてくれた英知。
★
機会──失望をつかみたければ、これが好機。
★
歴史──たいていは悪党である支配者と、たいていは愚か者である兵士によって引き起こされる、主として取るに足らぬ出来事に関する、たいていは嘘の記述。
★
幸福──他人の不幸を眺めることから生じる快適な感覚。
★
卑屈──富とか権力を前にして執るところの好ましい習慣的な心の態度。
★
へつらい者──右手を向けてと言われ、その通りにすると、後ろから足蹴にされることがないように、腹這いになったまま、偉い人に近づこうとする人間。
アンブローズ・ビアス ★
自制──先行する偏愛の道楽である。
★
知り合い──相手が貧乏だとか無名であった場合には、顔見知りくらいだと言われ、金持ちだったり、有名だったりする場合には、親密な人間だ、と言われる友人関係をいう。
★
隣人――われわれのほうでは、命令のあるように、己を愛するようにしているのに、あらゆる手を尽くして、その命令に背かせようとする者。
★
愛国者──政治家には馬鹿みたいにだまされ、征服者には手もなく利用される人間。
★
想像──事実がしまいこんである倉庫で、詩人と嘘つきの双方で共有するもの。
★
うわさ──人の評判を抹殺しようとする暗殺者たちが好んで用いる武器。
★
黄昏時、老齢──すでに犯すだけの冒険心が持てなくなっている悪徳を悪しざまに言うことによって、いまだ失わずに持っている悪徳を棒引きしようとする人生の一時期。
★
教育──それぞれ理解力に欠けていることを、賢者に対しては赤裸々にし、愚者に対しては隠匿して見せないようにすること。
★
発言──できの良くない頭の中身を陳列し合う法。お互いに、自分の商品の配列に夢中で、隣人の陳列した商品を、眺める余裕が持てずにいる。
★
エゴイストとは、他人のエゴイズムのことを、少しも考慮しない人のことである。
アンブローズ・ビアス ★
女性──普通「男」の近くに住む、順応性の少ない動物。
★
人の読書で分かるのが学びと育ち。何が笑いを誘うかで、その人の未来を卜(ぼく)す。読むなかれ、笑うなかれ。
★
野党──政治において、政府与党の足を切断することによって、乱暴狼藉の限りを尽くさせぬようにしている政党。
★
人生──肉体を貯蔵して腐敗しないようにする精神的な漬け水。我々は、この漬け水がなくなりはしないかと思いながら生きている。けれども、たとえそれがなくなっても、惜しまれるものではない。
★
口──男の場合は魂の出入り口、女の場合は心の出口。
★
反乱──失敗に終わった革命。
★
不運──決して取り逃がすことのない種族の運。
アンブローズ・ビアス ★
外国人の歴史家ならば、日本という国と日本人をどう評価するだろう。
持てる力を活かせないでいるうちに衰えてしまった民族、と評するのではないだろうか。
★
真の保守主義者とは、新しい物に反対なのではなく、
「新しいものに対する無条件の支持」という「無知」に加担したくないだけなのだ。
★
年齢が頑固にするのではない。成功が、頑固にする。
そして成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、
成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。
★
自由は誰もが欲する。
だが、この自由なるもの、それを駆使して生きるとなると意外と大変で、
すべての人がその緊張に耐えていけると考える方が非現実的なのではないか
★
信仰だけでは信仰さえも守りきれないのが、人間世界の現実である。
戦争とは、諸々の難題を一気に解決しようとした時に、
人間の頭の中に浮かび上がってくる考えである。
★
優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
★
(チェーザレ・ボルジアとレオナルド・ダビンチについて)
彼らは、自己の感覚に合わないものは、そして自己が必要しないものは絶対に受け入れない。
この自己を絶対視する精神は、完全な自由に通ずる。
★
現実主義者が憎まれるのは、
彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動することによって、
理想主義が、(中略)理想を実現するには最も不適当であるという事実を
白日のもとにさらしてしまうからなのです。
★
人種差別は、宗教上の理由からでもイデオロギーでもなく、
ただ単に生活上の不都合から生まれる
★
おしゃれしてくれてありがとう、とは、ニクイ台詞だ。
深い関係になった男女の、それもこの関係がまだはじまったばかりの時期にしか使えない。
塩野七生 ★
女に対して常に成功を収める男の武器は、美貌でもなく教育程度でもなく、
ましてや社会的地位や経済力ではまったく、なくただただ言葉のつかいようにある。
★
敬意を払われることなく育った人には、
敬意を払われることによって得られる実用面でのプラス・アルファ、
つまり波及効果の重要性が理解できないのである。
故に、誠心誠意でやっていればわかってもらえる、と思いこんでしまう。
★
100%の満足を持つなんて、自然ではない。
天地創造主の神様だって幾分かの不満足は持ったに違いない。
本当の仕事とは、こんな具合で少々の不満足を内包してこそ、実のあるものになるのだと思う。
★
他者に良く思われたい心と、他者に良く思われなくても
やりとげなくてはならない想いの関係を、考えてみてほしい。
野心も虚栄心も、マイナス面にのみ目を向けずに、積極的な面にも注目することによって。
★
国家の指導者たる者、国民を女と考えるべきなのだ。
女は苦労がいやなのではない。
きみには苦労をかけるね、の一言だけでふるい立つのが、女というものである。
★
日本人に違和感を感じるのは「信じすぎ」だと言うこと。
民主主義も万全ではない。それなのに民主主義は絶対的な善で
それに任せればすべて上手く行くと思っている。
★
情報は、その重要性を理解する人々には必ず伝わる。
★
「手段」をつめることなしに口にする「目的」は、空証文以外の何ものでもない。
★
この一線は守ろうとする一念で戦場に臨むと、その一線までも守れなくなる場合が多い。
★
三十代とは、男にとって動揺がサマになる最後の年代なのではあるまいか。
塩野七生 ★
優れた武将は、主戦力をいかに有効に使うかで、戦闘の結果が決まることを知っている。
その主戦力を有効に使うには、非主戦力の存在が不可欠であることも知っている。
★
正直に本心を吐露すること自体は悪くない。
だがそれをしてよいかよくないか、してよい相手かそうでないか、の違いは厳として存在する
★
優しい若者を、私は若者だと思わない。
立居振舞いの優しさを言っているのではない。心の優しさとでもいうものである。
若者が、優しく有れる筈はない。
全ての事が可能だと思っている年頃は、高慢で不遜で有る方が似つかわしい。
★
文化を共有しない外国との交渉は、相手側が思わず苦笑して、
ヤラレタネ、と思った時からスタートすべきなのである
★
はじめに立てた計画を着実に実行するだけならば、特別な才能は必要ではない。
だが、予定していなかった事態に直面させられた時、
それを十二分に活用するには、特別に優れた能力を必要とする。
★
すべての面で苛酷な現実の中でも精神のバランスを失わないで生きていくのは、
苛酷な現実とは離れた自分一人の世界をつくり出せるかどうかにかかってくる。
★
世間には、他人の業績を、半分誉め半分けなすことを
モットーにしているのではないかと思う人がいる。
この種の人は、この奇妙のバランスをとることで、責任を回避しているのだ。
言い換えれば、勇気のない人である。
★
国内に不安をもつ支配者は常に、対外関係を確かなものにしようと努める。
★
いかに巧妙に考案された戦略戦術でも、
それを実施する人間の性格に合っていなければ成功には結びつかない。
人はみな、自分自身の肌合いに最も自然であることを最も巧みにやれるのである。
★
盛者必衰は、歴史の理である。
現代に至るまで、一例も例外をみなかった、歴史の理である。それを防ぐ道はない。
人智によって可能なのは、ただ、衰退の速度をなるべくゆるやかにし、
なるべく先にのばすことだけである。
塩野七生 ★
僕は悪人も堕落した者も我慢できる。
だが、自分たちが正しいと単純に信じきっている馬鹿者だけは我慢できない。
★
戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。
戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、
醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。
★
(西郷隆盛について)存在そのものがその人物の存在理由の
最たるものになるタイプの場合は、肉体的条件は、大きな意味をもってくる。
存在感なるものが、まず肉体を土台にしてかもしだされるからである。
★
天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。
誰もが見ていながらも重要性に気がつかなかった旧事実に、気づく人のことである。
★
危機を打開するには、何をどうやるか、よりも、
何をどう一貫してやりつづけるか、のほうが重要です。
★
指導的な立場に就いた者ならば、遅かれ早かれ、
人々の嫉妬と疑いと中傷を浴びないではすまなくなる。
★
ジーパンの似合う男が必ずしもタキシードも似合うとは限らないが、
タキシードの似合う男は、絶対にジーパンも似合う
★
ヨーロッパ三千年の歴史に想いをめぐらせてほしい。
そうすれば、日本の将来は、彼らが三千年を費やしてつちかってきた西欧の論理、
つまり力とはイコール軍事力という論理以外のところにしかないことを痛感するだろう。
★
キリスト教がその後も長きにわたって勢力をもちつづけているのは、
いつまでたっても人間世界から悲惨と絶望を追放することができないからでもある。
★
平和主義者にまかせておくには、平和は重要すぎる。
塩野七生 ★
人は、仕事ができるだけでは、できる、と認めはしても心酔まではしない。
★
外国語という「道具」を手にする前に習得しておくべきことは次の三つ。
第一は哲学や歴史に代表される一般教養を学ぶ事で育成される人格の形成。
第二は、自らの言に責任を持つ習慣。第三は、完璧な母国語の習得。
★
あらゆることに気を配りながら、私は自分の時が来るのを待っている。
★
英語に限らず外国語とは、第一に意思疎通、
第二に、相手側の文化文明を理解するための手段ないし道具にすぎない。
★
男たちよ!女には、頭のできのいかんにかかわらず
あなたがたと同じ種類の「見識」を二十四時間中の二十四時間求めてはいけないのです。
八時間ぐらいが限度だと思っていたほうが無難なのです。
★
何ごとであれ改革とは、効果が見えてくるまでには長い期間を要するものだから、
その間の人々の同意を維持しつづけていくための対策を忘れるわけにはいかないのだ。
★
哲人政治家だが、これは「ない」ほうがよい。
何故なら、哲学とは知と善の追求だが、
政治とは知と善と、善と悪とのバランスをとることにある。
プラトンが言ったからといって、すべてをよしとする必要はない。
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それまで世の中を支配してきた宗教的良心とか道徳、倫理などから全く自由な男。
その目的遂行に際しては、合理性、現実的有効性への判断だけで行動できる男。
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人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない
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学ぶとは、特別に秀でた人から学ぶとはかぎらない。
誰にでも機会を提供しているのが、歴史というものなのである
塩野七生 ★
信仰という行為が多くの善男善女にとっての大切なことである以上、
他者の信ずる神の存在を許容するという考え方は、
他者の存在も許容するという考えと表裏関係にあるということである。
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女は、いかに自分の才能を認め活用してくれようが、女のためには絶対死なない。
塩野七生 ★
すべての日がそれぞれの贈り物をもっている。
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人生を愉しむのは明日からにしようだって?それでは、遅すぎる。
愉しむのは今日からであるべきだ。
いや、より賢明な生き方は、昨日からすでに人生を愉しんでいる人の生き方ですよ。
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過ぎ去った日々を楽しめる人は、人生を二倍楽しんでいる。
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明日の生活はあまりに遠い先にある。今日を生きよ。
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人生とはただ生きる事ではなく元気でいることである。
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「明日は生きるだろう」と君は言う。
いつも「明日は」「明日は」と君は言う。
ならば言ってくれポストゥムスよ。その「明日」とやらは、いつ来るんだ。
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水晶の器を、こわしはしないかと気にしているうちは、こわすね。
用心深すぎる手と、不注意な手は、おんなじなのだ。
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自分が欲していないことを欲しているように見せる。
それが、ほしいものを手に入れる技術だ。
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もし栄光が死後に来るものなら、私は急がないことにする。
マルティアリス(ローマ帝国の詩人) ★
教える事は二度習う事である。
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正義は常に目標でなければならないが、必ずしも出発点である必要はない。
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相談するときには過去を、享楽するときには現在を、
何かするときには未来を思うがよい。
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私は知恵を貨幣に鋳造したい。
つまり、知恵を鋳造して、覚えやすく、伝えやすい箴言と格言とことわざとにしたい。
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どうして?どこへ?なぜ?いかに?これらの質問が哲学の全てである。
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子供には批評よりも手本が必要である。
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行動するときには規則に従い、裁くときには例外を斟酌せねばならない。
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自分の言ったことを決して取り消さない人は、真理よりおのれを愛する人間である。
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思いやりとは情熱の休息だ。
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自分自身の道理で己を説き伏せることはできても、
人は相手の道理でしか相手を説き伏せられない。
ジョセフ・ジュベール(『パンセ』『随想録』著者) ★
世の中で成功を勝ちとるには、人から愛される徳とともに、
人を恐れさせる欠点も必要である。
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天才が立派な仕事を開始し、労働がその仕事を完成させる。
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生まれつき善良であることは、幸運であり、大きな財産である。
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趣味は魂の文学的良心である。
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才気は多くの無用な思想を持つことにあり、
良識は必要な知識をよく身につけることにある。
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人の不幸はほとんど反省によってのみ生まれる。
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肉体は、われわれの存在が野営している仮の小屋である。
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世襲の気高さは、我々の祖先たちが立派にやり遂げたから、
我々も立派にやり遂げられるだろう、という仮定によるものだ。
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論争や討論の目的は勝利であってはならず、改革でなければならない。
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妻の忍耐ほど彼女の名誉となるものはなく、
夫の忍耐ほど妻の名誉とならないものはない。
ジョセフ・ジュベール ★
教えることは二度学ぶことである。
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自分の意見を引っ込めない者は、真実を愛する以上に我が身を愛する人間である。
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心が激している時には人は誤って愛する。
本当に愛するには落ち着いて愛さなければならない。
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その女性がもし男であったならきっと友達に選んだろう、
と思われるような女でなければ妻に選んではいけない。
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時は一切のものをゆっくりと破壊する。
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パリを去るのはつまらない。友達と別れなければならないから。
といって故郷を去るのも辛い。自分と別れなければならないから。
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学識なくして空想を持つ者は、翼を持つが足を持っていない。
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何ら欠点を見せない人間は、愚者か偽善者である。警戒せねばならない。
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諸君が貧しいならば、徳によって名をあげるがよい、
諸君が富裕であるならば、慈善によって名をあげるがよい。
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目的は必ずしも達成されるために立てられるものではなく、
照準点の役目をするために立てられるものである。
ジョセフ・ジュベール