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◆三島由紀夫の遺訓◆
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/30(日) 11:16:29ID:b7Fw0OZ3
三島由紀夫(本名、平岡公威)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Yukio_Mishima_1931.gif
http://image.rakuten.co.jp/auc-artis/cabinet/s-2540.jpg
http://www.c21-smica.com/blog_century21_nobu/img_1596165_27088893_0.jpg
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PADZ21PEL.jpg
http://image.blog.livedoor.jp/maccy1977/imgs/8/e/8e3b520d.jpg
大正14年(1925年)1月14日、東京都四谷区(新宿区)永住町2に
父・平岡梓(元農林省水産局長)、母・倭文重の長男として誕生。
0358名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/05/26(木) 11:47:28.00ID:rDnBMpUn
(中略)
目ですね。
ぼくは、源泉にはそれがあったはずだと思うのです、ぼくにだって。失っただけですね。
剣道なんかやってますと、(そんなこというほどの資格はぼくにありませんが)“観世音の目”ということ、
いいますね。全体をみなければいけない。相手の目を見たら、負けてしまう。まして、相手の剣尖を見たら
負けてしまう。そうではなくて、“観世音の目”は相手を上から下まで、完全に見てしまう目です。そういう目を
鍛錬し、養成することが、剣道の極意だといわれているのですが、ぼくはそれ、源泉に帰ることだと思います。
それから、ネコ。ネコが寝たあと、クッションならクッションの跡みますと、ネコの寝た形が、ちゃんとできている。
あれが、寝るということ、休むということの本当の形なのですね。人間の寝た跡はそんな形になっていませんよ。
しゃっちょこばってますわね。寝てもまだ、からだがこわばっている。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より
0359名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/05/26(木) 11:51:43.62ID:rDnBMpUn
ネコは寝れば、完全に、ぐにゃあっと、液体のようになってしまう。あれが源泉なのですね。それから、
運動でもそうです。運動で、巧緻性とか、迅速性、いろいろ申しますけれども、運動能力というのは本来、
人間にはすべてあるはずなのが、なくなってしまった。そして、からだをこうやって曲げても、手の指先が足に
つかないようになってしまう。これはもう、源泉から遠ざかってしまっているわけですね。
…ぼくは、自由なものは美だと思うし、自由は源泉のなかにしかないと思うのです。プラトンと同じで、
動くものが、美しい。ぼくは静止したものはきらいですから、美術品なんて、あまり好きではないですね。
動くものが、美しい。“動くもの”というのは、自由ですし、自由は、それは未来にはなくて、源泉のなかに
あるのだ、という感じがする。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より
0360名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/04(土) 20:50:41.91ID:CqV6IopL
肉体の外に人間は出られないということを精神は一度でも自覚したことがあるだろうか、これは私がいつも考えて
きたことであります。なぜなら、われわれは自分の肉体の外へ一ミリも出られない。こんな不合理なことが
あるだろうか。


おれの作品は何万年という時間の持続との間にある一つの持続なんだ。ぼくは空間を意図しないけれども、
時間を意図している。


たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒に
とじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う。(笑)これは私はふざけて言っているんじゃない。
堂々と言っていることである。なぜなら、終戦前の昭和初年における天皇親政というものと、現在いわれている
直接民主主義というものにはほとんど政治概念上の区別がないのです。


空間を形成する日本人というのは諸君のような新しい日本人だ。ところが時間の中に生きている日本人というのは
まだ日本にはいっぱいいるのだよ。(中略)その人間の中にあるものだね、私は日本人のメンタリティの一つの
大きな要素と考えるのだ。

三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘――美と共同体と東大闘争」より
0361名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/04(土) 20:53:08.97ID:CqV6IopL
文化というものは一つの長い時間の集積でもってここにまた自分の中に続いている。外在すると同時に内在する
その中から自分がセレクトするというのが自分の現在一瞬一瞬の行為である。


時代は抹消されても、その時代の中にある原質みたいなものは抹消されないのだよ。


私にとっては、関係性というものと、自己超越性――超時間性といいましたかな、そういうものと初めから私の中で
癒着している。これを切り離すことはできない。初めから癒着しているところで芸術作品ができているから、
別の癒着の形として行動も出てくる。


天皇を天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないからいつまでたつても
殺す殺すといってるだけのことさ。そろだけさ。


言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るか
知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。

三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘――美と共同体と東大闘争」より
0362名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/13(月) 11:23:30.83ID:8dSLZdcn
Q――つぎに東南アジアについてちよつと聞きます。インドも中共との交戦の経験を持つ国ですが、東南アジアと
日本との最大の相違点は、中共の脅威を感じてゐるのと感じてゐない点にあると思ひますが。

三島:中共と国境を接してゐるといふ感じは、とても日本ではわからない。もし日本と中共とのあひだに国境があつて
向かう側に大砲が並んでたら、いまのんびりしてゐる連中でもすこしはきりつとするでせう。まあ海でへだてられて
ゐますからね。もつともいまぢや、海なんてものはたいして役に立たないんだけれど。ただ「見ぬもの清し」でせうな。

三島由紀夫「インドの印象」より
0363名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/13(月) 11:25:16.71ID:8dSLZdcn
Q――日本人が中共をこはがらないのは一種の幻想的な“大平感”なんだらうけれど、日本にさういつた幻想が
あることも、また一つの現実ぢやないでせうか。

三島:たしかにさうですね。幻想(イリュージョン)といへどもなにかの現実的条件によつて保たれてゐる。
ぼく自身は、日本にも中共の脅威はある、と感じてゐます。これは絶対に「事実(ファクト)」です。
しかし、日本人が中共に脅威を感じないといふことは「現実」です。「現実」とはぼくに言はせれば、事実と
イリュージョンとの合金です。「現実」をささへてゐる条件は、いはくいひがたしで、恐らく何万といふ条件が
あるでせう。海もあるし、長い中国との交流の歴史もあるし……。
ものを考へようとするとき、片方の「現実」を「事実」だけでぶちこはさうとしてもダメです。幻想をくだくには
幻想をもつてしなくつちや。ですからもし、ぼくが政治家だつたら……。

Q――「中共はこはくない」といふ幻想は、どうやつてくだきますか?

三島:「中共はこはい」といふファクトではなく幻想をもつてですよ。

三島由紀夫「インドの印象」より
0364名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/13(月) 11:29:31.32ID:8dSLZdcn
Q――寺院も寺院だが、信仰をする人々、つまりレリジョン・イン・アクションはどうでしたか。

三島これはもう……インドでは宗教が生きてゐます。あれだけ宗教がナマナマしく生きてゐる国は見たことが
ありませんね。(中略)

Q――実践を持つてゐる宗教は強いといふことぢやないですか。キリスト教を例にとつても、宗教改革いらい
プロテスタンティズムは、宗教とは人間の頭のなかの問題である、といつてきた。ところが、長い目で見ると
カトリシズムのはうが結局は強かつたといふやうな……。

三島:さうです。現代の人間が、自分の良心の力だけで自己の魂にベルトを締めることができるかどうか。人間は、
目で見えるもの、なにか形のあるものに直面することによつて魂をゆすぶられるんです。だからカトリックの
荘厳な儀式、祭服、音楽、彫刻といつたものは大切です。ヒンズーも同様だが、生きてゐる宗教とはそんなもの
なんですよ。プロテスタンティズムのやうなものは理論としてはりつぱだし、啓蒙主義の時代には役立つたかも
しれないが、いま宗教が復活するとすれば、あんな形では絶対に復活しませんね。人間を苦しめるだけですよ。

三島由紀夫「インドの印象」より
0365名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/13(月) 11:32:33.20ID:8dSLZdcn
Q――日本人のものの考へかたのなかで、絶対に日本以外には通用しないものがある、と感じませんでしたか。

三島:これはインドに限りませんがね。ぼくは外国に行くときは、必ず「ノー」といふ言葉を用意して行くんです。
外国では「ノー」といふのが三分の一秒でも五分の一秒でもおくれたら、あとで自分がえらいめにあふ。
「ノー」といふべきときは必ず「ノー」(大声で)と急いでいはなくちやならん。日本ぢや「ノー」といはなくても、
あとでちやんと始末がつきます。

Q――日本文化をどう思ひましたか。インドは、いはば日本文化の源流ですが。

三島:昔から唐・天竺といはれてゐました。ぼくのいまの小説(豊饒の海)も、唐・天竺的な大きい文化圏の上に
立つたものを書きたいと思つてゐた。ところが唐が「唐くれなゐ」になつちやつたから、ハッハッ。で、いまは
もつぱら天竺を研究してゐます。日本文化の源流を求めりやみんな天竺へ行つてしまひますね。それは、もう、
みんなあすこにあります。

三島由紀夫「インドの印象」より
0366名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/16(木) 12:07:06.37ID:RYzTl98n
私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。共産主義の粛清のほうが
数が多いだけ、始末が悪い。暗殺のほうは少ないから、シーザーの昔から、殺されたのは一人で、六十万人が
一人に暗殺されたなんて話は聞いたことがない。これは虐殺であります。
(中略)
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも
嘘がつける。やはり身辺が危険だと思うと、人間というものは多少は緊張して、(中略)真面目な話をするのです。
人間というものは刀を突きつけられると、よし、おれは死んでもいってやるのだ、「板垣死すとも自由は死せず」
という文句が残る。しかし口だけでいくらいっていても、別に血が出るわけでもない、痛くもないから、お互いに
遠吠えする。民主主義の中には偽善というものがいつもひたひたと地下水のように身をひそめている。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より
0367名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/16(木) 12:07:46.30ID:RYzTl98n
大体政治の本当の顔というのは、人間が全身的にぶつかり合い、相手の立場、相手の思想、相手のあらゆるものを
抹殺するか、あるいは自分が抹殺されるか、人間の決闘の場であります。それが言論を通じて徐々に徐々に
高められてきたのが政治の姿であります。しかしこの言論の底には血がにじんでいる。そして、それを忘れた言論は
すぐ偽善と嘘に堕することは、日本の立派な国会を御覧になれば、よくわかる。
(中略)日本ではこうやって言論が自由自在に生きている。確かに美しい風景ではあるけれども、何か身を
賭けた言論、身体を賭けた言論というものが少ない。自分一人で、一千万人を相手にしても退かないという言論の
力が感じられない。何でも自分一人じゃ弱いと思うから、何万人でデモをやらなければならない。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より
0368名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/16(木) 12:08:33.06ID:RYzTl98n
私が一番好きな話は、多少ファナティックな話になるけれども、満州でロシア軍が入ってきたときに――私はそれを
実際にいた人から聞いたのでありますが――在留邦人が一ヵ所に集められて、いよいよこれから武装解除という
ような形になってしまって、大部分の軍人はおとなしく武器を引き渡そうとした。その時一人の中尉がやにわに
日本刀を抜いて、何万、何十万というロシア軍の中へ一人でワーッといって斬り込んで行って、たちまち
殴り殺されたという話であります。
私は、言論と日本刀というものは同じもので、何千万人相手にしても、俺一人だというのが言論だと思うのです。
一人の人間を大勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて、そういうものを暴力という。つまり一人の
日本刀の言論だ。(中略)そして、日本で言論と称されているものは、あれは暴力。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より
0369名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/16(木) 12:09:22.60ID:RYzTl98n
初めから妥協を考えるような決意というものは本物の決意ではないのです。例えば戦争をしておっても、誰も
妥協を考えてやるのではないのです。勝つことが目的であって、最終目的に対して、十とれるところが八だとか、
八とれるつもりがまあ五だろうというのが妥協であります。初めから五を考えると、二しかとれません。そして
妥協ということは大人の知恵で、全然妥協しない戦いというものはないわけですが、ものの考え方というものは
私は順序があると思う。


民主主義は妥協が原則だといいますが、相対的な理論の闘争の中で、自分がそれをある程度本当に信じて
邁進する人間がいなければ、いまの自民党と社会党みたいなことになっちゃう。そして国会解散期には、あっちに
流れたり、こっちに流れたりという状態になっちゃう。それが一番妥協の醜い形だと私は思います。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より
0370名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/16(木) 12:09:58.41ID:RYzTl98n
ところで私は、暗殺者が必ずあとですぐに自殺するという日本の伝統はやはり武士(さむらい)の道だと思っている。
本当はこれをやらなきゃいけない。(中略)
私は人間というものは全部平等だと思う。(中略)
人間が一対一で決闘する場合には、えらい人も、一市民もない。そこに民主主義の原理があるのだと私は考える。
だから、政治というものはいずれにしろ激突だ。そして激突で一人の人間が一人の人間を許すか、許さないか、
ギリギリ決着のところだ。それが暗殺という形をとったのは不幸なことではあるけれども、その政治原理の中に
そういうものが自ずから含まれている。もしそうでなければ、諸君が選挙の投票場へ行って投ずる一票に何の
意味がありますか。諸君が投ずる一票が一ト粒の砂粒だったら、何になりますか。あれは諸君がたとい無名で
あっても、あるいは社会的な地位がなくても、その一票があなたの全身的な政治的行為であって、その集積が
民主主義をなしている。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より
0371名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/16(木) 12:13:04.12ID:RYzTl98n
(政治家も、)一投票者も、政治的意見において本当に一対一で、人間的に一対一だという考えが含まれなければ、
民主主義は成立しない。だから暗殺というのはアクシデントではあるけれども、民主主義に暗殺はつきものだと
私がいったのは、そこなのです。
ところが、共産主義ないし全体主義というものはそういうことをやらん。彼らは権力を握って、邪魔なやつを
粛清すればいい。全体主義は人を粛清するのに、そんな暗殺のような自分の危ないことはやりません。ニュースを
隠して、秘密警察で守り、その中で一番憎いやつをそっと殺す。犯人もわからなければ、何もわからない。


民主主義というのは非常にペシミスティックな政治思想です。(中略)
民主主義なんて甘いものじゃない。これをどうやって純粋民主主義に近づけるかなんて、いつまでたっても
無駄なんだ。人間は汚れている。汚れている中で相対的にいいものをやろうというのが民主主義なんだ。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より
0372名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/17(金) 11:28:51.75ID:26WSd8ie
アメリカの民主主義はフロンティアなんかの自警団的なものが基盤にある、(中略)どんな政治体制でも歴史的な
基盤があって、徐々に形成されたものであるので、その点では日本の天皇制もまったく同じだと思います。
ですから民主主義が悪いとか、天皇制がいいとか悪いとかいう問題じゃなくて、その国その国の歴史的基盤に
立った政治体制ができていくということは当然だと思います。


国家がなくなって世界政府ができるなんという夢は、非常に情けない、哀れな夢なんです。(中略)資本主義国家も
国家が管理している部分が非常に大きくなっておりますから、実際の国家の時代という点では、国家の管理機能は
むしろ史上最高ぐらいまで達しているのではないか。これが極点に達し、崩れて、超国家ができるかどうか、
そんなことは先のことである。我々はまず国家の中に生きているという存在から問題を考えなければならんと
いうように私は思っております。ですから、国家の時代なればこそ戦争も必ずある。であるから、それに対する
防衛の問題も真剣に考えなければならんと、私はそういうように思っております。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
0373名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/17(金) 11:29:14.20ID:26WSd8ie
共産社会に階級がないというのは全くの迷信であって、これは巨大なビューロクラシーの社会であります。そして
この階級制の蟻のごとき社会にならないために我々の社会が戦わなければならんというふうに私は考えるものですが、
日本の例をとってみますと、日本にどういうふうに階級があるのか、まずそれを伺いたい。たとえばアメリカなどは
民主主義社会とはいいながら、ヨーロッパよりさらに古い、さらに深い階級意識がある国です。というのは、
ヨーロッパを真似して成金が階級をつくったのですね。ですからこれはアングロ・サクソンの文化の伝統ですが、
クラブというのがありますね。みんなメンバーシップオンリーのクラブで、下のクラブの人が上のクラブを
ステイタス・シンボルとして、ステイタス・クライマーが上流のクラブへ入るためにあらゆる算段をするわけです。
(中略)そうすると自分の息子に来るお嫁さんが違ってくるのです。(中略)アメリカにはステイタス・シンボル
というものが非常にたくさんあります。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
0374名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/17(金) 11:29:43.96ID:26WSd8ie
ところが日本ではステイタス・シンボルに当たるものが私は何があるのかと聞きたい。(中略)一つの社会風俗的
現象としてのステイタス・シンボルがあるのか。キャデラックに乗っていたらブルジョアなのか。みんな会社の金で
キャデラックに乗っている、それがブルジョアなのか。あるいはゴルフクラブに入っていたらそれがブルジョアなのか。
ゴルフクラブに入って、あのキャディに、かよわい女性に重いものを背負わせて歩けばそれがブルジョアなのか。
そして日本では社会主義者も共産主義者もみんな軽井沢に別荘を持っている。(中略)私は階級差というものの
甚だしい例をヨーロッパでたくさん見てきた。(中略)
そして富の分配というのは一応マルクス主義の美名になっておりますが、これは別の方法を使ったってできるのだ。
(中略)権力の分配に至っては、共産主義社会のあのおそろしいビューロクラシーと比べると、我々はむしろ
権力の分配の公正な社会に生きていると、私はこう考えております。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
0375名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/17(金) 16:32:26.60ID:26WSd8ie
人間の考えは――全部の人間が同じ考えをするということができれば、本来民主主義なんていうものはこの地上に
成立する余地はないのです。そんなものは要らない。したがって戦争も要らないわけだ。ところがどうしても
人間というものは全部同じ考えを持ち得ない。しかも言語を共有しながら同じ言葉を持ち得ないというところで、
バベルの塔のような神話があるわけだ。これは人間観の根本的な問題です。


大体ソヴィエトへ行った人の話を聞きますと、非常にアメリカ人とよく似ているそうです。アメリカ人は別の方法で
あんなコンフォーミティな人間ができちゃった。誰に聞いても、同じような冷凍食品を食べていますから頭の中は
同じになっちゃう。しかし実に親切で、自分の身の周りのことについては気持よく話してくれる。ただ、国家・
社会の問題になると何もわからないという人間達ですね。それは確かにソヴィエトでもできつつあるでしょう。
けれども、人類全部がそうなることが人類の幸福であるかどうかというと問題はまた残りますし、本人が幸福なら
いいじゃないかということになりますと、これは人間観の相違としか思う他にない。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
0376名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/17(金) 16:34:01.23ID:26WSd8ie
行動には必ずリアクションがある。そのリアクションはどこからくるかというと、自分の敵からくるわけですね。
敵がなければかなわん。(中略)
大体韓国の人達はいろいろな面で反共精神が強いのだけれども、これは実際に自分の親族が殺され、あるいは
自分の親兄弟が共産主義者から酷い目に遇ったりしている。(中略)
インドネシアでは役人の中にも共産党が入っていましたから、こいつらがみんな私腹を肥やしたり、宗教を
弾圧したりして農民に嫌われちゃった。農民も何年か我慢して、いまにあの野郎どもと思っていたから、いざ
共産クーデターを起そうとしたらば、逆に鋤、鍬で殺されちゃったわけだ。この恨みというのはすごいですね。
しかし、私は別に何ら危害を受けたわけではない。ただ敵として私が選んだ。これは私独特のものですね。私は
自分の行動を起すにはどうしても敵がなきゃならんから選んだ。そこで私は何ら矛盾を感じてないわけです。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
0377名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/17(金) 16:35:25.16ID:26WSd8ie
(日本では)惨状に対する異常なヒューマニスティックな同情から革命衝動が起るということは現在ではほとんどない。
(中略)被圧迫者が傍にいるという状況は、インドでホテルの二階で食事をとっていますと、窓から街路には
飢えた乞食がいっぱい見える。かわいそうな佝瘻(くる)病の少年が痩せこけた自分の弟を腕に抱いて、
もう一方の手を伸ばしています。それを見るとこっちは御飯が食べられなくなっちゃうですね。そういう国でこそ
共産革命ないし革命の情熱が涌き起るかというと、インドの共産主義者ってみんな金持ちなんです。なぜかというと、
共産主義の文献を読むにはお金がなければならない。金をかけて大学を出なければ……。みんなオックスフォード、
ケンブリッジへ行くのです。そういう上流階級が主に共産主義者の中心になって、しかも共産主義の知事のいる県は
他の県に米を移出しない。ですからその県に、米があっても、隣の県の飢え死にを放棄する。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
0378名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/17(金) 16:36:33.43ID:26WSd8ie
我々はヒューマニスティックな愛情を何に対して持つか。ニューヨークじゃ、もう人間に同情する人がなく
なっちゃったのでみんな犬に同情している。それがアングロ・サクソン動物愛護協会というものなんです。
これは生活の余裕がなければできないことで、オールビーの「動物園物語」という芝居をご覧になった方は
わかりますが、犬を可愛がって、犬としか対話しない人間が長々と出てきます。人間というのはそういうふうに
なっちゃうものなんですね。愛情と憐れみを何に向って与えようか。その溢れるアフェクションの中からどうやって
社会革新の情熱を呼びさまそうか。人間はこういうものを考える動物だと思います。
ちょっと問題が大きくなりましたが、その中で自我というものは大きくなればなるほど本来今言ったようなものが
溢れているはずなんですが、その溢れる対象に使われない場合には、何かでそれが捩じ曲げられてぶつかって
いくことになるわけですな。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
0379名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/18(土) 11:55:12.09ID:52xFyZvr
天皇と国民を現代的感覚で結びつけようということは小泉信三がやろうとして間違っちゃったことだと思うのですよ。
小泉信三は結局天皇制を民主化しようとしてやり過ぎて週刊誌的天皇制にしちゃったわけですよ。そして結局
国民と天皇との関係を論理的につくらなかったと思うのです。というのは、ディグニティをなくすることによって
国民とつなぐという考えが間違っているということを小泉さんは死ぬまで気がつかなかった。それでアメリカから
変な女を呼んできて皇太子教育させたり、そういうふうな形でやってきたわけです。ですからその考えはまだ
宮内官僚に随分残っているから、当然天皇制というものがそういう形でうまく国民と結ばれるということについては、
私は悲観的ですね。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
0380名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/18(土) 11:56:31.74ID:52xFyZvr
人間は未来ということを考えると、必ず現在というものを犠牲にするか手段化するという不思議な動物だと私は
思います。未来社会がもし理想的な社会になる。その社会のために現在我々が動いているとすれば、我々は
その社会への橋であり、プロセスであり、道具なんですね。(中略)これがあらゆる未来というものに関する
思想の――私は左とか右とかいうのじゃない、未来というものを想定した思想にからむ一つの危険だと思います。
(中略)
私はいわゆる革命家、社会運動家、改良主義者、こんな人達と話します時に自分との一番の違いだと思いますものは、
私は「未来がない」という考えなんです。(中略)もちろん我々は一週間や十日のところは大体未来ということを
考えて暮しておりますが、それはもうすでに現在に繰り込まれた実務的な時間の問題で、私がいっているのは
そういうことではないことはおわかりだと思います。つまり自分の行動のモラルの根拠として、未来を置くのか、
あるいは現在ないし過去を置くのか、ここで人間の行動の様式とモラルが完全に変ってきちゃうのです。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
0381名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/18(土) 11:57:12.18ID:52xFyZvr
世間では進歩的、未来に向って、明るい未来に向って、人類の将来に向って、お手々をつないでというのが
大好きですな。(中略)ですが私はそういうミーハー受けのするスローガンにはいつも疑いの目を向ける。なぜ
私が未来がないかと申しますと、未来ということを考える暇がないほど現在の時点における自分の存在の中に、
連綿たる過去の日本の文化伝統と日本人の長い民族的蓄積とが、太古以来ずっと続いている、その一番ラストに
自分はいるんだ、自分が滅びたらもうお終いなんだ、自分は日本というものの一番の精髄をになってここにいま
立って、そこで自分は終るのだ。そういうことがなければ、ぼくは人間の最終的な誇り、日本人としての最終的な
誇りは持てないと思います。(中略)
文化というものはずっとうしろからつながってきて自分のところで途切れちゃう。そうするとこれから未来へ
つなぐには誰がやるだろうか。それは私より若い人がいるのだし、また自分がおしまいだと思っている若い人が
次々と出てくるからこそ、いつも文化というものはそうやってつながっていくのだ。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
0382名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/18(土) 11:57:57.42ID:52xFyZvr
未来を所有しているのは老人の特徴で、未来を所有しないのが青年の特徴である。(中略)
自分がどうやって死ぬかということは大体五十、六十になってくると先が見えてきちゃう。それを未来を所有する
というのです。青年は未来に対してあらゆる可能性があるように見えるかわりに、未来を何一つ所有しない。
(中略)青年が未来に対して野心を燃やし、幻影を持つのは当然のことであります。ただその場合に、最後に
自分というものが未来のためだけにいま生きて怠けているのではないのだ。明日死んでも十分な生き方をしなきゃ
ならんということが青年らしい考え方だとむしろ思うのです。「葉隠」なんかでも、日々死を心に当てて生きろと
いうことをいっておりますが、朝起きた時に今日死ぬかもしれないという気持だったらば、どれだけ人間は
全身的な表現を毎日繰り返せるかわからない。そういう表現の中にしか人間の生死観も、文化というものの力も
自分を護る決意もないのじゃないか、こんなふうなのが私の未来観であります。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
0383名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/18(土) 11:58:43.49ID:52xFyZvr
言論自由下の社会主義なんていうものを夢見ているとあぶないんだ。(中略)もし美しき社会主義を夢見れば
醜き社会主義にやられてしまうんだ。


私が共産主義を嫌いなのは美名をもって人間をたぶらかすからです。そして私は偽善というものが嫌いなんです。
共産主義は自由な未来に向って人間を唆す毒薬だと思います。


第二次大戦後に(アジアで)民族自決主義がリバイブしたのはあくまでも大東亜戦争の直接の影響だと思います。
それによってアジアの諸民族が自信を持って民族独立の道を歩き出したのだと私は信じて疑いません。


文化というものは結局マルキシズムの階級史観では絶対に解明できない。あらゆる哲学者が文化論、芸術論になると
失敗するのです。


十九世紀の主権国家の理論で私は日本の国家を規定して、その国家を守れといっているのじゃないのです。国家は
さまざまなんです。国家は我々なんです。


私は未来がないのだ。しかし私の背後には長い長い文化伝統があって私で終るのだから、おれの身には指一本
触れさせないぞという覚悟で戦うのです。そして私は勝たなきゃならない。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
0384名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/21(火) 11:38:52.63ID:v4Hbjp4D
今の時代はますます複雑になって、新聞を読んでも、テレビを見ても、真相はつかめない。そういうときに何が
あるかといえば、自分で見にいくほかないんだよ。


ぼくの考えをいうと、「わだつみの像」というのは、ある悲しい記念碑ではあるけれども、どこに根拠があるかと
いうんだ。テメエはインテリだから偉い、大学生がむりやり殺されたんだからかわいそうだ、それじゃ小学校しか
出ていないで兵隊にいって死んだやつはどうなる。「きけわだつみのこえ」なんていうセンチメンタルな本を誰かが
作為的に集めて、平和主義の逆の証明にして、ああいう像をおっ立てた。全学連は、何だかわからないんだけれども、
この野郎、大学の進歩教授と一つ穴のムジナだろうと、ひっくり返しちゃった。(中略)この次ひっくり返すのは、
広島の「過ちは繰り返しませぬから」の原爆碑、あれを爆破すべきだよ。これをぶっこわさなきゃ、日本は
よくならないぞ。
「きけわだつみのこえ」なんていうのは、一つの政治戦略だ。前からぼくは反発していた。

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長――男の盟約」より
0385名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/21(火) 11:39:47.30ID:v4Hbjp4D
三島:いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは
“正しい”という意味なんだから。(笑)


鶴田:ぼくはね、三島さん、民族祖国が基本であるという理(ことわり)ってものがちゃんとあると思うんです。
人間、この理をきちんと守っていけばまちがいない。

三島:そうなんだよ。きちんと自分のコトワリを守っていくことなんだよ。

鶴田:昭和維新ですね、今は。

三島:うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。

鶴田:三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。

三島:ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長――男の盟約」より
0386名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/22(水) 12:35:34.67ID:iuz5AX3g
三島:戦後教育は、死ぬということを教えてないね。客観状勢がどうとかということは、ぼくは必ずしも信じない。
(中略)客観状勢が熟すのを待つというのは、ゲバラがいちばん嫌ったろう。革命の客観的条件というのはないんだ、
それを熟させるのが革命家だ、という考えだろう。それを熟させるのは精神だよ。それがあれば、なにかが
かもしだされてくる。


三島:ぼくは、戦後の人間というのは、新左翼でもなんでも、西洋人になっちゃたんじゃないかと思うな。
西洋人はそんな行動(犬死)はとらないよ。必ずリミットがあるんだ。
けっきょく、人間の生命ほど尊いものはない、という考えだよね。その考えが、どっかで掣肘するんだ。

野坂:だから自分の生命ほど尊いものはないんであって、実際問題としては、人間なんて他人が何百人死のうと、
どういうことはないわけでしょ。彼らは、そういうことがはっきりわかっている人なんですね。

三島:ウン、そうなんだよ。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「剣か花か」より
0387名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/22(水) 12:36:10.91ID:iuz5AX3g
未来を信じないということはだね、つまり自分が終りだということだろう。自分が終りだということは、あとに
続くものを信ずるということなんだ。あとに続くものを信ずるということと、未来を信ずるということは、完全に
反対の思想なんだ。
未来を信ずるという思想は、自分をプロセスと規定するものだよ。高見順がああいう気の毒な一生を送ったのは、
そういうことなんだよ。
ただしね、自分が終りだということは、谷崎潤一郎もそうだったろうな。川端さんもそうなのかもしれない。
人のことをいっちゃ卑怯なら、おれもそうだ。(笑)あとに続くものを信ずるということは、絶対に未来に対して
自分をプロセスと規定しないことだよ。


滑稽だということは、客観的に滑稽ということなんだ。(中略)客観的に滑稽であってもいいと思うんだ。
しかし主観的に滑稽だと思ったら、人間負けだよ、そういうことだけは絶対やっちゃいかんと思う。

三島由紀夫
いいだももとの対談「政治行為の象徴性について」より
0388名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/22(水) 13:49:19.38ID:dJ/bcZmJ
いま石原慎太郎のやってる右巻き放言が三島の劣化コピーって気もしてくるな
石原の方は馬鹿を引っかけて信者として確保程度の効能しか感じないが
0389名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/22(水) 16:16:29.80ID:iuz5AX3g
村上:日本人というのはどうしてこう人がいいのですかね。だまされやすいというのか。

三島:ぼくはだまされやすい云々よりも、言葉が軽視されたということがすべての間違いのもとだというふうに
思うのですけれども、たとえば戦術的にいっても、政治の基本は、言葉で「おれはあした羽田から発つ」というと、
羽田から発たなければならないというのが政治のルールと基本であって、(中略)こっちも「あした首相官邸を
占領する」といったら、その言葉は文学の言葉と本質的に同じ重さを持つべきだ。

村上:武士に二言はないと言う。

三島:それでね。ぼくら小説を書くときはそういう言葉を書くつもりで書いているのだから、そうしたら
やらなければならない。そりゃ死んでもやらなければならない。だから「十一月に死ぬぞ」といったら絶対
死ななければいけない。政治の言葉が文学の言葉と拮抗するのはその一点を措いてないのですよ。ぼくはそう
思うのですね。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より
0390名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/22(水) 16:17:18.49ID:iuz5AX3g
それを全部戦術である、あれはああいって敵をだまかしたのだ、実は死ぬ気はなかったので、ちゃんと戦力は
温存してある、首相官邸をどうせ占領できないことはわかっているが、敵の目をくらますためにそういったのである、
などと言う。これは戦術というものの一番最低の戦術ですね。欺騙行動というのですけれども、ぼくはそれは
もう言葉がばかにされている段階だと思うのです。一度言葉をばかにしたら、あと永遠にこれをばかにしなければ
ならない。


「言霊の幸ふ」というのは、紀貫之が「猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」ですか、「古今集」の序に
ありますね。言葉が現実というものを支配しているのだ、そうして現実の人間感情というのは結局その言葉から
出て来たものでできているのだという、現実に対するアンチテーゼを立てる立て方なんですね。(中略)あの言葉は、
言葉が先であって、現実が先なんだということは一言もいってない。(中略)
しかしぼくが一歩言葉の外に出ればそこじゃ責任は完全にかかってくるという考えですね。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より
0391名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/23(木) 17:42:00.10ID:tha3PioL
村上:祭りというのは天皇が中心になって米を斎き祭るというようなことですか、やはり米を食っていなければ
いけないわけですな。

三島:米は絶対食いますね。日本人はどこまでいっても食いますね。ここでパン食ってますけれど、米はとにかく
どこまでも食いますな。米が一つの象徴になったってぼくは構わないと思う。日本中に水田が全部なくなって、
宮中の陛下がおつくりになる一坪の水田になっちゃった――それでも構わない。

村上:そうすると三角寛さんの山窩の研究に出てくるような米を食わないやつがほんとうの日本人だというあれは
どうお考えですか。

三島:(中略)そういう民衆の中のちょっとした変ったものを見つけて来て、それを拡大する歴史観というのは
いろいろありますよ。八切止夫なんかそんなことばっかりいって暮している。(笑)そんなもの歯牙にかける
必要ないです。文化に関係ないです、そんなもの。そんな人間がいつ文化を創造したですか。いつ文化の高い洗練、
日本語の一番高いものをそんな人間が保証しましたか。山窩が日本語というものを保証しやしない。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より
0392名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/23(木) 17:43:02.26ID:tha3PioL
村上:米をつくるということと、米を斎き祭るということと、言霊の幸ふということが合致するわけですね。

三島:そうですね。

村上:それがほんとうのネーションであるとおっしゃる?

三島:三種の神器とぼくがいうのはそれですけれども、あなたもそれ、お書きになっている。この間、石原慎太郎に
笑われちゃった。小田実と二人で、私をあざ笑っていましたよ。三種の神器だって、三島にも困ったものだ――
石原が笑ったら、小田実が共感の笑いをもって……。(笑)

村上:その点自民党と社会党も近いわけですな。

三島:いや、石原と小田実って、全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな。

村上:ともかく非常にモダンな人が多いから、三種の神器なんていうと驚いちゃうのですね。われわれは心の上では
非常に身近なんだけれども。(笑)

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より
0393名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/23(木) 17:44:19.92ID:tha3PioL
三島:ですからぼくが皇居を守るというのは、一般のやつとちょっと違うのは、宮中三殿守ればいい、宮中三殿の
ことなんですよ。文化というのは、結局それ以外に文化を最終的に守るといったって、「源氏物語絵巻」とか
国立博物館にある文化財とか、文部省の文化財保護委員会の思想とか、そういう思想は戦う思想じゃないのです。
そういう思想は絶対にどんな政治形態ができようが、これからも、大丈夫です。そういう思想は官僚の思想ですね。
ぼくはひょっとすると言論の自由を守るという思想もそっちの方じゃないかと思うのですね。下手をすると、
というのは言論の自由の問題は非常に微妙なんだけれども、文化というものの発達に、言論の自由というものが
ほんとうに栄養分になるかどうか、ときどき疑問に思うのです。(中略)

村上:結局自分が美しいと思う生き方を生きて見せるというほかに手がない。

三島:それ以外に全くないですね。ところがそのチャンスすらなくなっちゃった。(中略)

村上:なかなか腹を切るチャンスもないですし、うまく切れるかどうかむずかしい。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より
0394名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/24(金) 11:34:50.90ID:oC9g+dO8
これしかないという表現を体でもって選ぼうとすればことばだね。最終的に、ことばか身を投げることしかない。
それはもっとつきつめれば焼身自殺だよ。このあいだ、アメリカの国会議事堂で自殺した少年と同じだ。これは
ことばにかけると同じ重さを、からだにかけた行為だと思う。これが表現なんで、それ以外の表現は嘘なんだ。
嘘なんだけども効果はある。
アメリカ大使館の窓から旗を三つぐらい垂らせば世界中に報道され、これはたいへん象徴行為になって効果が
あるんだけれども、根底的に意味はない。意味がないんだけれども、意味があるかのごとくなっている。そして、
全学連は最終的に意味があるかのごときところで満足しているということが表現者として気に入らないんだ。
これは正義運動としての自己冒涜だよ。正義運動を正義運動たらしめる根底的なものは、最終的に自己破壊しかない。
それができないということは、もう一つの表現のところに頼っているんだ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より
0395名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/24(金) 11:36:00.52ID:oC9g+dO8
テロリズムといわれようとなんといわれようとかまわない、ことばを刻むように行為を刻むべきだよ。彼ら
(全学連)はことばを信じないから行為を刻めないじゃないか。もっとも、それを彼らに要求するのは無理かも
しれない。というのは、教育が彼らにことばというものの最終的な意味と重さを教えなかったから。そして
それは日本の文士、へっぽこ小説家どもの責任でもある。だから、彼らはことばの軽さに慣れて、テレビ的行為を
すばらしい政治行為だと思っちゃうんだよ。


(全学連は)ファクトを信じない時代の子で、自分らのやることはファクトだと思っていない。
一定の仕組まれた政治的プログラムのなかの一つのパブリシティだと思っている。パブリシティとファクトとを
厳密に分けなければわれわれの言語信仰は崩れるわけで、そこが気に入らない。全学連は、どこにファクトがあって、
どこがパブリシティなのかぜんぜんわからないでしょう、これはある意味ではいちばん気味が悪いよ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より
0396名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/24(金) 11:37:20.59ID:oC9g+dO8
去年、福田赳夫さんに「自民党は安保と刺しちがえてくださいよ」といったんだけど、これは自民党の歴史的
役割りだと思うんだ。戦後の国際協調主義みたいなものの最終的なもので、これを自民党がやってくれなければ
その後の日本は開けない。


中国人はものを変えることが好きでね、人間を壷の中に入れて首だけ出して育ててみたり、女の足を纏足
(てんそく)にしてみたり、デフォルメーションの趣味があるんだよ。これは伝統的なものだと思うんだ。
中国というのが非常に西洋人に近いと思うのは、自然にたいして人工というのを重んじるところね。中国人の
人間主義というのは非常に人工的なものを尊ぶ主義でしょう。作って、変えたという確信を持つことが権力意識の
獲得ですから。だから意識の変革というのをやりたくてしようがないんだよ。中国文学の専門家には悪いけど、
これは中国人の伝統的な趣味だと思うんだ。


変革といった瞬間にすぐ偽善に陥る、モラルといった瞬間にすぐ偽善が押し寄せてくる、それはほんとに怖いねえ。
全共闘諸君は若いかもしれないけど、若いなりにそういったものが垢として身についているかもしれない、怖いねえ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より
0397名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/25(土) 12:06:56.09ID:HHk/1ewc
(堤氏の父・堤康次郎氏の)家長というもののすご味を感じたな。冷酷なようだけれども、家を守るということは
ああいうことだね。いまのヒューマニズムじゃちょっと割り切れないが、あの当時、そんなヒューマニズムなんて
言っていたら、みんな三国人に取られちゃいますよ。(笑)


ルース・ベネディクトの「菊と刀」という本がありますが、これほど日本を馬鹿にした本はない。しかし
「菊」というのは文化で「刀」が武道という分け方は面白い。戦後は文化国家というので全部「武」に関するものは
抑圧されちゃった。みんな腰抜けを製造するのが文化みたいになっちゃう。もちろん戦争中のように軍人が威張ると、
軍人自体が腐敗して、頽廃していくんです。(中略)
ほくは、学生にアニマルプライドを持てといってるんだ。(中略)「千万人といえども吾往かん」というときに、
千万人のほうに自分を入れちゃうから、吾のほうがなくなっちゃう。(笑)「楯の会」でも百人が群なんじゃないんだ、
一人一人なんだということをしきりにいうんです。

三島由紀夫
堤清二との対談「二・二六将校と全学連学生との断絶」より
0398名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/25(土) 12:08:44.88ID:HHk/1ewc
三島:(二・二六と全学連を)くらべること自体、二・二六の将校への冒涜ですよ。二・二六の栗原中尉というのは、
火薬庫を守るのに将校が不寝番をやるんですが、栗原中尉だけは、いねむりしたところを見たことがない。
なぜだろうというと、従兵が言うには、いつも下着に血がついている、ナイフで突っついていたからというんです。
全学連の指導者はなにをやっていますか。安田講堂の攻防では指導者は前の日にみんな逃げちゃった。人間という
ものはそんなものじゃないんです。やれ世間にがまん出来ないとか、破壊か先だとか、表面的な類似で
二・二六事件をいっしょにすると、冗談言うなというんです。

堤:今の学生には純真さがない。(中略)

三島:人間が悪くなったんだと思いますよ。それは青年の責任でね。大人の教育が悪いという考えは、とても
嫌いなんです。「楯の会」の講義で、「君ら教育が悪いとか社会が悪いとか一言も言うな」とぼくは言うんだ。
(中略)どうして運命を自分で背負わないんですかね。運命はどんな時代だってあるでしょう。背負わない人は
嫌いなんです。

三島由紀夫
堤清二との対談「二・二六将校と全学連学生との断絶」より
0399名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/25(土) 12:14:10.38ID:HHk/1ewc
まあ、私も喜劇の部類で残念ですけれども、悲劇にはなりそうもない。
(中略)
失敗した悲劇役者というのが僕じゃないかしら。一生懸命泣かせようと思って出てきても、みんな大笑いする。


僕は、単細胞のせいかもしれないけれど、革命というものはイデオロギーの問題でもなんでもない、ただ爆弾持って
駈け出すことだと思っているんです。維新というのも、ただ日本刀持って駈け出すことだと思っている。駈けるのには、
百メートルを十六秒以下でなければ駈けるとは言えない。そのためには、ふとっていちゃ絶対だめですよ。
アメリカとベトコンの戦争は、やせたやつがふとったやつを悩ませたというだけの話ですよ。ベトコンはやせて
いるから駈けられる。アメリカ人はあの体していちゃ崖やなんか駈け昇れない。どうして日本のインテリというのは、
ふとるようになっちゃったんでしょう。これは僕は重大問題だと思っているんですよ。つまり肉体と精神との
関係において。

三島由紀夫
石川淳との対談「破裂のために集中する」より
0400名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/27(月) 10:35:34.40ID:9SB0nRHs
戦後のいまの世界を見ていますと、たいていのことはフィクションで片づいちゃう。(中略)思想的な激突を
やる代わりにテレビでもって討論会をやる。そんなふうに、だんだんだんだん影がうすまってくるわけですね。
そしてすべてがフィクションの世界にとけ込んでしまって、どこに生死を賭けた大事があるのかわからなくなってくる。
激突しても、これは本当に死ぬ気があるのかどうか、殺す気があるのか、あるいは殺される気があるのか
わからないところで対決する。それが現代ですね。「葉隠」は、そういうものを非常に嫌うわけですね。
そういうのは芸能に携わる人間のやることであって、(中略)武士というものはそういうものじゃなくて、
本当に死ぬということが武士なんだから、そういう点で、河原乞食なんかいくら軽蔑してもかまわないという
考えですね。現代は全河原乞食、一億河原乞食の時代で、政治家から、経済人から、芸術家から、なにから、
やはり河原乞食だと思うのですね、「葉隠」と較べれば。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より
0401名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/27(月) 10:36:29.22ID:9SB0nRHs
全学連の運動というのはね、方向がどうあれ、根本は実感主義の復活ということだと思うのですね。これは
全学連のみならず、右の学生もそうなのであって、(中略)自分の成長期に、なんら実感にふれないで大人に
なっていったらどうなるだろう、すごい恐怖だと思うのですよ。われわれは、少なくとも空襲という実感が
ありましたね。それから死体がそこらにころがっているという実感がありました。中世の人間は、「方丈記」も
そうですが、そういう実感の中から初めてフィクションも出てきた。
私はインドに去年行きまして、ベナレスで、癩病の乞食がいっぱい並んでいるところを見て、なるほど弱法師と
いうのは、ここから出たんだと思ったのです。そして芸術の根源というのは、ああいうところにあって、ああいう
恐ろしい実感、あのファクトを一生懸命洗練したり、磨き上げたり、抽象化するから芸術が起こるのであって、
現代みたいにファクトがないところで、どうやって芸術をやっていくのかという危機感は、私どももっているわけです。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より
0402名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/27(月) 10:37:25.66ID:9SB0nRHs
たとえば、私は人間関係は、みんな委員会になっちゃったというのです。そしてうそですね。うそでかためれば安全、
謙譲の美徳を発揮すれば安全、安全第一。そして人間関係も、とにかく世論というものをいつも顧慮しながら、
不特定多数の人間の平均的な好みに自分を会わせれば成功だし、会わせれることができなきゃ失敗。これが
現代社会ですよ。
(中略)
現代的コミュニケーション、現代的対人態度というものの中にある毒を清めたいときに、「葉隠」を読めばいいと思う。
「葉隠」をサラリーマンの心得みたいに思うことは、ずいぶん間違いだと思うのです。
ぼくは、もうちょっと人間関係ががたぴししたらいいと思うのです。人間関係全部ががたぴししないから、
集団の衝突になっちゃうのがいまの世の中だと思いますし、いまの近代社会というものの宿命だと思います。
どうも人間関係ががたぴししないで、あまり円滑にすべりすぎるから、一方では衝突が起こるのだろうと思います。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より
0403名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/30(木) 15:57:35.03ID:6tjK0hLE
少なくとも自民党が危ないときになって国民投票をやったとします。そうしてウイかノンかというのを国民に
問うたとします。できることは、安保賛成(ウイ)か安保反対(ノン)かどっちかしかない。安保賛成というのは、
はっきりアメリカですね。安保反対というのはソビエトか中共でしょう。日本人に向かっておまえアメリカをとるか、
ソビエトをとるか中共をとるかといったら、僕はほんとうの日本人だったら態度を保留すると思うんですね。
日本はどこにいるんだ。日本は選びたいんだ、どうやったら選べるんだ。これはウイとノンの本質的意味を
なさんと思うんですよ。
(中略)まだ日本人は日本を選ぶんだという本質的な選択をやれないような状況にいる。これで安保騒動を
とおり越しても、まだやれないんじゃないかという感じがしてしようがない。それで去年の夏、福田赳夫さんと
会ったときに、「自民党は安保条約と刺しちがえて下さいよ」と言ったんですよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0404名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/30(木) 15:58:23.07ID:6tjK0hLE
私が大きなことを言うようですが、私の言う意味は、自民党はやはり歴史的にそういう役割を持っている、
自民党は西欧派だと思うんです。西欧派は西欧派の理念に徹して、そこでもって安保反対勢力と刺しちがえてほしい。
その次に日本か、あるいは日本でないかという選択を迫られるんであるというふうに言ったことがある。いま
右だ左だといいましても、安保賛成が右なのかということは、いえないと思うんです。安保賛成も一種の
西欧派ですよ。安保反対はもちろん外国派です。そうすると国粋派というのは、そのどっちの選択にも最終的には
加担していないですよ。
ですからナショナリズムの問題が日本では非常にむずかしくなりまして、私が思うのに、いま右翼というものが
左翼に対して、ちょっと理論的に弱いところがあるのは、われわれ国粋派というのは、ナショナリズムというものが、
九割まで左翼に取られた。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0405名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/30(木) 15:59:08.58ID:6tjK0hLE
だって米軍基地反対といったって、イデオロギー抜きにすれば、だれだってあまりいい気持ちではない。それから
アメリカは沖縄を出て行け、沖縄は日本のものであったほうがいい、なにを言ったところで、左翼にとってみれば、
どこかで多少ナショナリズムにひっかかっているから広くアピールする。そうして私は、ナショナリズムは
左翼がどうしても取れないもの――九割まで取られちゃったけれども、どうしても取れないもの、それに
しがみつくほかないと信じている。だから天皇と言っているんです。もちろん天皇は尊敬するが、それだけが
理由じゃない。ナショナリズムの最後の拠点をぐっとにぎっていなければ取られちゃいますよ。そうして日本中が
右か左の西欧派(ナショナリズムの仮面をかぶった)になっちゃう。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0406名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/06/30(木) 15:59:57.18ID:6tjK0hLE
林:僕は今の左翼の“ナショナリズム”は発生が外国指令だと思う。いくら彼らに教えても反米はできるが
反ソ、反中共はできない。したがって尊王ということは、彼らにとっては、もってのほかです。いま愛国主義が
彼らに先取りされているようにみえるが、実際は取られていないんだな。われわれ右翼がうっかりしている間に
日本のナショナリズム、愛国主義とアメリカ帝国主義打倒をすり変えてしまったんですよ。

三島:この間も羽田で火炎ビンを投げたのは毛崇拝で、かつ愛国だというんでしょう。あれは明らかにおっしゃった
ような代表的なものですが、(中略)やつらは天皇、天皇といえばのむわけないです。のむわけないから、
やつらから天皇制打倒というのを、もっと引出したいですよ。(中略)
これをもっとやつらから引出さなければならない。やつらのいちばんの弱味を引き出してやるのが、私は手だと
思っているんですがね。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0407名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/01(金) 11:14:00.61ID:QUGdbLGg
三島:いま左翼のあとを追って理論化を急いでもなんにもならん。
私は三派の連中なんか、共闘派の連中と論争してみたけれども、(中略)連中は言葉使いは変だし、訳の
わからんことを言いますが、少なくともポレミッシュですよ。非常に論争にたけています。足をすくうのも平気だし、
こんなことは真似しようと思ったらむだな勉強です。僕は純粋な青年にこんな毒々しい技術を学ばせたくないですね。
もし理論武装といって、そういうことを意味するんならやめてほしい。

林:(中略)左翼学生たちが果たして頭がいいかどうかということには、私は疑問を持つ。彼らの理論は
鵜呑み理論であって、イデオロギー以上には出てこない。

三島:(中略)ただポレミッシュだ。ポレミックが非常にうまい。
林:(中略)訓練され学習させられていますからね。(中略)(右翼は)まず、たった一人の大川周明、たった一人の
北一輝が出ればいいんですよ。(中略)現在の右翼の理論武装のためには、新しい北、大川が出なければならない。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0408名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/01(金) 11:14:48.46ID:QUGdbLGg
三島:もう一つ大事なのは、ユーモアとウイットですね。左翼の連中は小憎らしいけれども、ユーモアが
あるんですよ、ときどき。(中略)右翼の理論というのは、儒教の悪影響だと思うんだけれども、とにかく衿を
正して聞かなければならないような理論ばっかりですね。とにかくユーモアとウイットで相手をこてんぱんに
のすような、おもしろい理論がない。そういう文章がない。
赤尾敏なんかユーモアがあるな。

林:それはちょっと皮肉な意味でね。

三島:あれは若いやつが喜んで聞いてますよ、おもしろいと言って。

林:赤尾さんがアメリカの旗を掲げているのは困る。僕は手紙を出したいくらいだ。あれをはずせば立派な
ものじゃないか。なぜアメリカの星条旗を掲げるんでしょうね。

三島:ある意味では日本の右翼の追いつめられた姿をいちばん正直に露呈しておる。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0409名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/01(金) 11:15:59.78ID:QUGdbLGg
三島:僕は理論なんか根底的に必要じゃないと思うんです。根底的には誠だけでいいんですよ。誠以外になにが
いりますか。

林:その意見に賛成です。右翼にはユーモアはなくとも、誠がある。いちばん安心してつき合える。左翼のやつは
つき合えない。油断ができない。

三島:いちばん根底には誠だと思います。誠があるかないかですよ。
私もいま誠だなんて、きれいなことを言いましたけれども、実態の人間にぶつかってみると、そうもいえないな。
いまの青年でも右だから誠だ、左だから誠でないと思っていると、つい間違えることがある。自分で苦い目に
会ってみなければわからない。これは原則論であって、右翼は最終的には誠だけだ。それをはずしたら右翼じゃない。
左翼は誠がなくてもいいんだというところで左翼だと思うんですが、それだけの建前、もし建前をはずしたら
いろんな人間がいます。左翼もいっぱいいるし、右翼もうじゃうじゃいる。実態に触れると、いまの青年だからと
いっていちがいに純真だといえないでしょう。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0410名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/01(金) 11:16:53.88ID:QUGdbLGg
三島:最近感心したのは、大東塾の靖国神社問題に対する対処の仕方ですね。これには感心している。つまり
靖国の霊を国が神道の祭祀にしたがって顕彰し、弔うべきだというだけのことです。彼の言いたいことは。
それを政治家だとか、いろんな圧力団体がそうさせない。遺族会すらそういう本旨を誤っているという場合に、
だれがその思想をとおすのか。その思想をとおすのに、言論だけでたりるのか。どの政治家のところへお百度詣り
したら、それをとおしてくれるのか。人間がそういうことを考えたら、それをとおす方法といったら、やっぱり
ぶんなぐるほかないでしょう。だからちょっとぶんなぐったでしょう。
政治家をぶんなぐることがいいかどうかわからない。ただ影山(正治)氏の塾の人がやったことは、ある一つの
思想をとおすには、どうしても法的にも、議会政治の上でも、どうしてもとおらない。しかしそれが日本にとって
本質的なものだと考えたら、あの方法しかないんじゃないですか。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0411名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/01(金) 11:19:05.37ID:QUGdbLGg
その方法の良し悪しというよりも、あの方法しかないからやったんでしょう。そういうふうな、どうしても
やらなければならんことで、ほかに方法がないということをやるために右翼団体というものはあるんだと思うし、
塾というものがあると思うんだ。それはその姿勢は守らなければならない。それを捨てたらだめだと思うんですよね。
あの人はその観点からあの事件についてはちゃんとしていると思う。

林:右翼は長い歴史を持ち過ぎて、政治家、財界人と仲良くなり過ぎている傾きがある。政界財界から二歩も
三歩も距離をおいて、いざというときにその尻をひっぱたくのが頭山満、内田良平先生以来の右翼浪人の
生き方だった。対露軟弱論者の伊藤博文はずいぶんおどかされたり、はげまされたりしている。
政界と財界に対して常に一敵国を形成しているという根本態度だけは、僕は右翼人に忘れてもらいたくない。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0412 忍法帖【Lv=1,xxxP】
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2011/07/02(土) 06:08:00.54ID:7awekSGq
a
0413名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/02(土) 10:44:02.27ID:T4T4fAeg
三島:日本人の心のなかには、日本人というのは自分の主義主張のためには体を張るものである、命を最終的に
惜しまないものであるという伝統的なメンタリティーがあるでしょう。そうして新左翼というものはそのすれすれのところへいって、
国民に期待を抱かせたわけです。あのとき(安田城攻防)期待したやつはずいぶんいる。ところがそうでなかった。
これから先右翼に対する期待はそれが残ってる。ほんとうに体を張るやつはどっちかなということを国民は
みていますよ。
私はここで右翼も左翼と同じ体質になって、体を張らないんだということになったら、これは絶対絶望だと
思うんですよ。左翼と違って体を張るんだということが右翼の最終的なもので、それが国民の心というものを
ほんとうにつかむ唯一の方法だと思う。これは言ってやさしいことではありません。軽々に言うべきでは
ないんだけれども、ほんとうにそこしかないんじゃないですか。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0414名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/02(土) 10:45:17.79ID:T4T4fAeg
林:誠と命が右翼だ。左翼はどんなえらそうなことを言っても、それがない。(中略)彼らには戦略があるだけだ。
これはマルクスの生産力説と唯物史観から生まれている。人間というものをまるで認めてない。ちょっとした
不満は人間疎外というし、彼らの人間性回復とは実は動物になりたいということなんで、だから三島君は
“東大を動物園にしてしまえ”と言った――あんな学生動物がたくさんできてきたのだから。(笑)

三島:つまり義のために死ぬというのは人間の特徴で、動物にはない。義のために死なないのは、動物と人間の
境い目がつかないやつ。(中略)

林:(中略)いまの日本の左翼にもレーニン的なところがあり過ぎるんだ。(中略)裁判官が書いていたね。
安田講堂のそばの建物にたてこもった学生は、地方から出てきたばかりで、中央の闘争ぶりを見ろと、だまして
つれて行かれたんだそうですね。そういうことをやるんですよ。右翼ならそういうことはやらんなあ。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0415名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/02(土) 10:46:49.13ID:T4T4fAeg
三島:公明党はちょっと気味が悪いところがあるな。というのは僕は一九七五、六年には、ひょっとすると
連立政権ができるんじゃないかと思っています。(中略)

林:児玉誉士夫さんは、民社と公明党と自民の連立政権をつくれと言っている。

三島:しかしその場合、公明党のいちばんの持参金は自衛隊と警察ですよ。これはほかの野党はだれも持っていない。

林:そんなにたくさん入ってるんですか。

三島:非常なもんですよ、公明党の自衛隊と警察に対する手の打ち方は。十年たてば持参金になる。(中略)

林:武力という実力だな。これは噂だけれども、共産党が公明党になだれ込んでいるのと同じ比率で、右翼も
なだれ込んでるというんだが、ほんとうですか。

三島:そういうことも言いますがね。もう一つの可能性としては、公明党は分裂するでしょうね。

林:革命派と合法派と。
(中略)
共産党は人民戦線などというが、結局独力でやらなければならない。僕はあれは異教だと思ってるよ。マルクス主義は
キリスト教の裏返しだから、日本には土着しない。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0416名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/02(土) 10:48:23.55ID:T4T4fAeg
林:池田大作という人物は聡明な男だから、なにを読んでみても、理路整然と逃げてる。大事なところは少しも
触れない。いま正面から公明党を攻撃しているのはやはり大東塾ですね。

三島:ですから連立政権ができたとき、そういう時代がくれば、ほんとうにそれに対抗する勢力は右翼しかない
でしょう。
(中略)
林:いろんな「文化人」が「潮」にも「赤旗」にも書くでしょう。自民党の出版物に書くと安い。知識階級とは
そんなもんですから、あてにしなくていい。(中略)

三島:辛辣なことだが、そうですね。講演料がたくさん出ているところへ行く。文化人なんというのは頼らない
ほうがいいですよ。
僕は反共というのは、実は嫌いなんですよ。共産主義だろうがなんであろうが外国思想はみんな反対というのが
国粋主義であって、共産党だから反対じゃなくて、日本の純粋性をくもらすものは、共産主義であろうが、
資本主義であろうが、民主主義であろうが、なんでもいかん。だから日本人でいいんです。そのためには右翼と
いわれたって、なにいわれたってそんなことかまわない。そこから出発してほしいと思いますね。

三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
0417名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/04(月) 11:39:16.27ID:BjX55snA
三島:人間がさがして最後に到達するものは根だよ。そうだろ。

石原:いろんな意味での存在の根に対する回帰でしょうね。(中略)

三島:回帰だろう。回帰のなかには自由という問題をこえたものがあるはずだ。ぼくは簡単に言うと、こういう
ことだと思うんだ。つまりわれわれは何かによって規定されているでしょう。これは運命ですね。日本に生まれ
ちゃった。(中略)
自由を守るというのはあくまで二次的問題であって、これは人間の本質的問題ではない。自由を守る、ある政治体制を
守るということは、人間にとって本質的問題でも何でもない。ぼくは、おまえ民主主義を守るために死ぬか、と
言われたら、絶対に死ぬのはいやですよ(中略)われわれはある政治体制を守るために死ぬんじゃない。じゃ何を
守るために死ぬのか。バリューというものを追い詰めていけば、そのために死ねるものというのが、守るべき
最終的な価値になるわけだ。それはこの自由の選択のなかにないとぼくは思うんだね。自由の選択自体のなかにはない。
もっと規定しているもののなかにそれがあるんだ。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
0418名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/04(月) 11:40:41.01ID:BjX55snA
三島:ニーチェの「アモール・ファティ」じゃないけれども、自分の宿命を認めることが、人間にとって、
それしか自由の道はないというのがぼくの考えだ。
(中略)
石原:(中略)しかし宿命というものを忌避しようとすることは、人間にとっての自由です。そこに、神のでない
人間の意志がある。

三島:しかし宿命を忌避する人間は、またその忌避すること自体が運命だろう。そういう人間はそういうふうに
生まれついちゃったんだ、反逆者として。

石原:しかしそれはその人間の一つの存在の表現であって、ぼくはやはり人間の尊厳というのはそこにしか
ないと思うな。

三島:君はずいぶん西洋的だなあ。ぼくはそういう点では、つまり守るべき価値ということを考えるときには、
全部消去法で考えてしまうんだ。つまりこれを守ることが本質的であるか、じゃここまで守るか、ここまで守るかと、
自分で外堀から内堀へだんだん埋めていって考えるんだよ。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
0419名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/04(月) 11:42:28.16ID:BjX55snA
三島:(おれは)最後に守るものは何だろうというと、三種の神器しかなくなっちゃうんだ。

石原:三種の神器って何ですか。

三島:宮中三殿だよ。

石原:またそんなことを言う。

三島:またそんなこと言うなんていうんじゃないんだよ。なぜかというと、君、いま日本はナショナリズムが
どんどん侵食されていて、いまのままでいくとナショナリズムの九割ぐらいまで左翼に取られてしまうよ。

石原:そんなもの取られたっていいんです。三種の神器にいくまでに、三島由紀夫も消去されちゃうもの。



石原:やはりぼくは世界のなかに守るものはぼく自身しかないね。

三島:それは君の自我主義でね、いつか目がさめるでしょうよ。

石原:いや、そんなことはない。

三島:(中略)天皇制という真ん中にかなめがなければ、日本文化というのはどっちへいってしまうかわからない
ですよ。(中略)
ですから(全共闘)三派が直接民主主義なんてことを言うと、(中略)君らの求めるそういう地上にないような
政治形態を天皇に求めればいいじゃないかって言うんですよ。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
0420名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/04(月) 11:43:37.82ID:BjX55snA
三島:伝統の多様性というものを守るためには闘う必要はないんだ。伝統なんかたった一つだけ守ればいいんだ。
絶対守らなきゃあぶないものを守ればいいんだ。守らなきゃたいへんなものを。そうすればほかのものは、
たいていだいじょうぶですよ。
(中略)
アイデンティティーというのは、最終的にアイデンティティーを一つ持っていればいいんだ。言わば指紋だよ。
君とおれとは別の指紋を持っている。ナショナリズムでもなんでもない。指紋が違う。それで文化を守るという
ことは、最終的にアイデンティティーを守ることなんだ。


石原:ぼくはやはり守るものはぼくしかないと思う。

三島: 身を守るということは卑しい思想だよ。
絶対、自己放棄に達しない思想というのは卑しい思想だ。

石原:身を守ることが?……ぼくは違うと思う。
(中略)
三島:だけど君、人間が実際、決死の行動をするには、自分が一番大事にしているものを投げ捨てるという
ことでなきゃ、決死の行動はできないよ。君の行動原理からは決して行動は出てこないよ。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
0421名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/04(月) 11:49:55.11ID:BjX55snA
石原:そんなことはない。守るというのは「在らしめる」ということ。そのためには自ら死ぬ場合もある。
献身、奉仕だってある。自分に対する献身もあるでしょう。

三島:それは自己矛盾じゃアないか。自分に対する奉仕のために自己放棄するなんてばかなやつは世のなかで
聞いたことがない。

石原:いや、そうですよ。はっきりありますよ。他者というのはぼくの内にしかないんだもの。
(中略)ぼくのうちに在るもの、つまり友人があったり、家族があったり、民族があったり、国家があるわけ
でしょう。(中略)

三島:それじゃ君、同じことを言っているじゃないか。つまり君の内部にそういう他者を信じるか、外部に他者を
信じるかの差にすぎないでしょう。

石原:(中略)大体ぼくは人間が他人を信じるなんて信じられないな。

三島:君は絶対、単独行動以外できないでしょう。

石原:そう思います。だから派閥をつくれって言われても人間を信じては派閥なんかつくれない。

三島:絶対の単独行動でどうして政治をやるんですか。
(中略)
もうすでに君は何かの形で(中略)意識しないディボーションをやっているんだ。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
0422名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/05(火) 00:20:45.78ID:RSknjyih
石原:ぼくはときどき言うんだけれども、行きすがるときにいきなりつばをはきかけられて、とがめて顔をふいて
もらってもどうにもならんでしょう。やはりなぐるか、切るかしなければいけない。(中略)

三島:そりゃそうですよ。そのときはやる。

石原:現代の社会には名誉というものがないと思うな。

三島:それを守らなくちゃ名誉はないわけだが、しかしそれは自分を守るということと別じゃないかな。つまり
男を守るんだろう。

石原:結局、自分を守ることじゃないですか。

三島:それは、ある原則を守ることだろう。

石原:男の原理。現代では通用しなくなった男の原理。

三島:男というのは動物ではない、原理ですよ。普通男というと動物だと思っているんだ。女から言うと、男って
ぺニスですからね。あの人、大きいとか、小さいとか、それは女から見た男で、女から見た男を、いまの世間は
大体男だと思っているんだろうがね。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
0423名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/05(火) 00:23:44.24ID:BWcuqVwh
三島:ところが、男というのはまったく原理で、女は原理じゃない、女は存在だからね。男はしょっちゅう原理を
守らなくちゃならないでしょう。その原理というものは、石原さんが言うように自分だとはぼくは思わないですよ。
自分ならそんな辛い思いをして原理を守る必要はない。自分を大事にするんだったら、つばをはきかけられても、
なるたけけんかしないでそっとしておいて、かかわりあいにならないで、そばで人が殺されそうになっても、
警察に調書を取られるのはたいへんだから、そっと見ないで帰りましょうというほうが、よほど生きるのは楽ですよ。
だけどそこで原理を守らなければならないのが男でしょう。


三島:三種の神器です。ぼくは天皇というのをパーソナルにつくっちゅったことが一番いけないと思うんです。
戦後の人間天皇制が一番いかんと思うのは、みんなが天皇をパーソナルな存在にしちゃったからです。
天皇というのはパーソナルじゃないんですよ。(中略)
それで天皇の本質というものが誤られてしまった。だから石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、
天皇制廃止論者をつくっちゃった。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より
0424名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/05(火) 00:38:47.88ID:BWcuqVwh
三島:(小高根二郎の「果樹園」に)戦争中、丹羽文雄が「海戦」を書いたときに、ぼくを非常にかわいがって
くれた先輩の蓮田善明が丹羽を非難攻撃した話が出ている。丹羽という男はいかに頑冥固陋な男か、海戦の最中、
弾が飛んでくるなかでも一生懸命メモをとって海戦の描写をしている。これは報道班員として任務を遂行して
いるわけで、そのために丹羽は名誉の負傷までしている。ところが蓮田は丹羽を非難して、なぜそのときおまえ
弾運びを手伝わないかといっておこっている。(中略)そこにはかなり重要な思想が入っていて、ほんとうに
文学というのは客観主義に徹することができるか、文学者はそういうときにキャメラであるのか、単なる「もの」を
記録する技術者であるのか、あるいは文学とはそういうときにメモをとることをやめて弾を運ぶことであるのか、
という質問を蓮田がしているのじゃないかとぼくは思う。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0425名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/05(火) 00:39:52.95ID:BWcuqVwh
三島:ぼくはそれは丹羽文雄が悪いとは決していってない。丹羽文雄は己れの信奉している文学の観念に
忠実だったと思う。ぼくは丹羽文雄のシンセリティーを微塵も疑わない。
(中略)総力戦というのは人間をあらゆるフィールドにおいて機能化してゆくものですね。大砲を撃つ人は大砲、
報道班員は文章によって記録あるいは報道し、あるいは軍宣伝のために利用される。そういう近代的な総力戦では
丹羽は正しい任務を果たしている。だけど文学というものは絶対そういう機能になり得ないものだということを
信じたい。
そうすると、文学が絶対に機能になり得ないということを証明するためにはどうすればいいかということになると、
そのとき弾を運べばいいじゃないかという結論になっちゃう。いかに邪魔でも、どいてくれといわれても。
(中略)
中村:それは戦時でなくいまの技術社会でもそうだね。

三島:いまおこっている問題なんだ。それは戦争の話と考えていない、いまおこっているものだ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0426名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/05(火) 00:45:26.72ID:BWcuqVwh
三島:ぼくはその問題はそういうふうに現代の問題として考えるのだけれども、文学の機能化ということと
文学と行動との問題はいつもからみ合っているというふうに考える。なぜなら、現代技術社会における行動とは
その九九%までが、自分の機能によって縛られているもので、これは戦時中から「職域奉公」という思想で
はじまっていた。文学にしたって同じなので、(中略)文学文学と言っていればいいかというと、それこそ受身で、
しらずしらずのうちに機能化されてしまっているということが現代なんだと思うな。(中略)平和な時代だと、
実に複雑なヴァリエーションに富んでいて、のんびり芋掘りの話を書いていても、文学好きの実業家の消閑の具に
使われているかもしれないから、うかうかしていられぬわけだ。(中略)文学をこういう「しらずしらず」の
機能化から目ざめさせるには、文学外の行動の必要が起ってくるのじゃないか。その弾運びだけが文学だという
状況が来るかもしれないのではないか。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0427名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/05(火) 00:46:23.99ID:BWcuqVwh
三島:つまり、文学者が、言葉イコール行動、文学イコール行動と信じていることは、しらずしらずの機能化に
からめとられる危険があるので、あるとき自分の機能から絶対に離れたところで「何かのため」という行動を
やってみたらどうだ。(中略)
そこで、自分をそうやって文学からあるとき弾き出す力というものを、文学に本質的に具わった逆説的な
(ある意味で健康な)能力と考えるか、そういう力はもともと文学に存在しないと考えるか、で考えが完全に
二分されると思う。蓮田善明はその前者の考え方をした人だと思うし、僕は狭義の文学というよりも、どうしても
そういう広義の文学というものに魅力を感じる。そしてそれは、どちらがより強く文学を信じているか、という
信仰の形の論争にもなると思います。しかし、現実の例は、それほど高尚な話ではなくて、今起っている文学の
機能化というのは、簡単にいえば中間小説化ですよ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0428名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/05(火) 13:50:36.39ID:BWcuqVwh
三島:汚れてない思想というものはぼくは文学のなかにあるかどうかは疑問で、汚れてない思想というものは、
もしその思想を信奉すると文学を捨てなければならぬかもしれないという危険がいつもある。それが文学と行動との
問題にぶつかってくる。
(中略)
もし技術社会のなかにおける文学の機能ないし技術ということを考えれば、いまのテレビなどに毒されている
大衆が要求し、その大衆が人生の慰めあるいは疲れ休めとして要求する技術的によくできたおもしろい小説で
十分じゃないか。それ以上に現代読者ないし現代社会は何も要求していないと思う。一部の気ちがいじみた青年は
文学に哲学を求めたり文学に思想を求めたりするかもしれないが、社会はそんなものを全然要求していない。
ですからプロレタリア文学時代よりいまの時代のほうが文学が社会から要求されていないという意識は強かる
べきだと思う。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0429名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/05(火) 13:51:50.40ID:BWcuqVwh
三島:ぼくは最近アイラ・レヴィンというアメリカ人の「ローズマリーの赤ちゃん」という大衆小説の飜訳を
読んだ。こんなおもしろい小説を読んだことはない。すごくうまくできている。サスペンスの積み上げから何から
完璧です。しかし何もない。思想もなければ哲学も何も徹底的にない。そのかわり技術の高さは日本の大衆小説を
百倍しても追いつかないくらい技術が高い。そういうものがあるんだね。

中村:やっぱり金になるからみんな勉強するんだね。

三島:ぼくはあの小説を読んで、「群像」なんかに載っている純文学は技術という点において百倍劣ると思ったね。

中村:それは千倍かもしれない。

三島:音楽もアメリカやソ連ではそうなりつつある。アメリカもソ連に非常に似た傾向がある。演奏技術など
非常に高度に達している。技術社会の人間というのは技術を喜んで、ほかのものをべつに喜ばない。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0430名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/09(土) 09:56:38.45ID:oJmbFBkt
三島:僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、
否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。

武田:いや、それだけは言っちゃいけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう。

三島:でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった。

武田:それはやっぱり、強気でいてもらわないと……。

三島:そうかな。おれはいままでそういうことは言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。

武田:いやだろうけど、それは我慢していかないと……。

三島:それじゃ、我慢しないでだよ、たとえば、戦後社会を肯定して、お金をもうけることは非常に素晴らしい
ことだ、これならだれに対しても恥ずかしくない、と言えるかな。

武田:言えないでしょう、それは。

三島由紀夫
武田泰淳との対談「文学は空虚か」より
0431名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/09(土) 09:57:18.22ID:oJmbFBkt
三島:言えないでしょう。そうすると、われわれだってどっちもいけないじゃないの。どうするのよ……。

武田:だから最後まで強気をもつということよ。

三島:強気をもつということは、もう小説を書くことじゃないだろう、そうすれば。文学じゃそれは解決できる
問題じゃない。

武田:だって、小説だって、あの長いもの書くのに、強気でなければ書けないよ。

三島:しかし僕は、それは絶対文学で解決できない問題だと気がついたんだ。まあ頭は遅いけど。
たとえば政治行為というものはね、あるモデレートな段階で満足できるものなら、自分の良心も満足するだろう。
たとえば、デモに参加した、危険を冒して演説会をやった、私は政治行為をやったということで、安心して文学を
やっていられる。私は自分の良心にこれだけ忠実にやったんだぞ、ということで、文学をやる、小説が売れる、
お金が入る、別荘でも建てる、犬でも飼う、ヨットを買う、そんなことほんとうにいやだな。

武田:それは、あなたはいやでしょうね。

三島:ほんとうにいやだな。

武田:だけども、つまり政治行動というものは、ほんとうはそうじゃないからね。

三島由紀夫
武田泰淳との対談「文学は空虚か」より
0432名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/09(土) 09:58:14.75ID:oJmbFBkt
武田:文学をやっていれば、いちおう決定しないですむ、というような風習が日本にある。

三島:あるんだよ。それは日本ばかりじゃない、僕はヨーロッパからきた風習だと思うよ。日本だったら
決定してますよ、明治維新までは。それは、ものを書く人間、詩をつくる人間、それから、少くとも文章を
書く人間は決定してますよ。だけど、いまの日本じゃ、非常にヨーロッパ的になったんです。つまり、ものを
書く人間のやることだから、決定しないですむんだという考えがある。僕はとってもそれがいやなんだよ。
(中略)
僕は、学生が東大で提起した問題というのは、いまだに生きていると思っているけれどもね。つまり、反権力的な
言論をやった先生がね、政府からお金をもらって生きているのはなぜなんだ、ということだよ。簡単なことだよ。
周の粟をくらわず、という人間がぜんぜんいないということだよ。これは根本的批判だよ。
私立大学ならそれはいいよ、だけど官立大学じゃそれは成り立たんじゃないですか。

三島由紀夫
武田泰淳との対談「文学は空虚か」より
0433名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/09(土) 09:59:04.51ID:oJmbFBkt
武田:たとえば、いまヘドロの問題があるでしょう。ヘドロの一番の問題は、われわれが紙を使って生きていると
いうことですね。もし日本文学全集が出なくて、あるいは大新聞があんなに増頁しなかったら、石狩川のヘドロも
大昭和製紙の田子の浦のヘドロも出ないですよね。それを自分が、自分の芸術、あるいは自分の美をうたいあげる
根底は、けっきょくそのヘドロによって支えられているという感覚がないと、無限に批判できますよ、それは。
(中略)画家の使う絵具だって、映画監督の使うフィルムだって、全部ヘドロを出しているんだもの。それを
ふまえないで公害問題を言うと、それこそまた戦後の空虚だね。

三島:またはじまっていると僕は思うんだ。つまり、公害を批判すれば、またそれでいいんだ。(笑)文学と
いうものは、そういうものにいつも反抗してきたはずだろう。ところがいま文学の機能というのは、ほとんど
反抗しないようなところにきちゃって、反抗する力もなくなっちゃったんじゃないの。そういうものはウソだと
いうことを。

三島由紀夫
武田泰淳との対談「文学は空虚か」より
0434名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/12(火) 10:35:09.88ID:kYaIUYdr
言論の自由も左翼の言論の自由と右翼の言論の自由がある。私も小説を書いていますときはさほどに感じない
けれども、文壇というところは、文学賞など審査する場合、私ははっきりいえますが、かりにも思想的偏向で
作品を選んだことはない。たとえそれが、共産党員であろうがなかろうが、自分と政治的意見がかわろうが、
文学作品としてよければいいという立場を通しております。しかしひとたび評論の世界に入ると、なるほど
むずかしいもんだなということを最近痛感したことがあります。
私事ですけれども(中略)「文化防衛論」というのを書きました。つまらんものですが、一所懸命書いたんで
七十枚ほどの長いものになった。そうすると、読売新聞と東京新聞は、それぞれ林房雄さん、林健太郎さんが
文壇時評をやっておられるからいろいろ親切に採り上げてくださる。見ようによっては親切すぎるわけですね。
ところが朝日、毎日は一行も取扱わなかった。黙殺です。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0435名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/12(火) 10:36:35.70ID:kYaIUYdr
三島:もう一つはテレビの場合、ぼくらは実にニュース取材というのは困るんです。うっかり映像を出すと、
映像にウソはつけない。私がカメラの前に立つ、何かをしゃべる。何かをやる、それをフィルムではどうにでも
なるということですね。しまいにちょっとしたコメントリィをつけて「……と三島は意気揚々、過激な言論を
吐いて高笑いをしていた」なんていわれたら、これはもうマンガになっちゃう(笑)
マンガにされるのも悲劇にされるのも、みんな向こう様の自由。ですから言論の自由にしろ、偏向にしろ、
われわれは実に微妙なところで生きているということです。

小汀:ほんとうにそうです。(中略)
無着成恭という寺の坊主の、あんまり日本語のできない人、(笑)それと対等で議論するというんだ。ぼくは
(中略)しゃべる機会がほとんどない。こららにしゃべる機会を司会が与えないようにしているんだ。(中略)
(無着は)発言したら最後、マイクをはなさないんだ。(中略)向こうが七分の土俵を使えて、こちらは三分しか
使えない。そういうたくみな戦術をつかうんだ。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0436名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/12(火) 10:37:22.89ID:kYaIUYdr
三島:タクシーに乗っていたとき、ラジオで無着成恭が子供の質問に答えていたんです。子供が「先生、
スサノオノミコトとか、アマテラスオオミカミの話は本当にあったんですか」ときくと、その無着が「チミ、
それね、ぼくこれからハナスしるけどね。あのスンワ(神話)というのは、ほんとうのハナスと違うの。
ツガ(違)うけれども、あのネ(中略)アマテラスオオミカミ(天照大神)ツウ人がいだの。それがら
スサノオノミコト、ツウ人がいだの。これが悪い人でね、何したがどいうど、まんず、田んぼ荒らして米とれなぐ
したの。(中略)それがら機織りをこわして……(中略)あの岩戸ツウのはどう考えればいいがツウと、あれね、
お墓なんだね。(中略)」(笑)
これじゃ、ぼくは子供が可哀想になっちゃった。(笑)唯物史観の、つまり、やり方を教えて、まず基本的な
生産関係の生産手段の破壊とか、そういうところから教えていって、それがいかにいけないことかと。そして
神話的なことを全部リアリスティックに教えている。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0437名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/12(火) 10:38:03.33ID:kYaIUYdr
子供の雑誌なんかをみていますと、手塚治虫などがやはり神話を書いている。たとえば神武天皇など他民族を
侵略した蛮族の酋長にしている。日本に古代奴隷制なんてないんですが、奴隷たちが苦しめられて鞭で打たれて、
そこで金の鳥が弓の上にとまったりして、それで人民を威嚇して……と、全部そういう話です。
ぼくは大学生が白土三平のマンガを読むのはまだいいと思う。それは唯物論をかじってからマンガを読むんだから
まだいい。あるいはマンガで唯物論をかじるにしてもです。だけど小学生や子供が読むのは、大学生が読むのとは
違うでしょう。これがなんでもないような女の子向きのマンガの中に、支配階級を倒せとか、資本主義はいかんとか、
それがたくみにしみ込むように織りこんである。大人が神経をつかっても、いつのまにか侵入してきているんですよ。
(中略)とにかく厚顔無恥というのが彼らの特質ですね。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0438名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/12(火) 10:38:39.29ID:kYaIUYdr
(全般的に右寄りの人たちは)清らかなものはそっとしておきたいって気持ちがとても強いんだけれども、
清らかのまわりには濁流がうずまいている。われわれが清らかなものをもとうとすると、清らかなものだけ
もっていたら、どんどん押流されてしまう。エロティックというのは清らかなものの中にもあるんだということが
理解できないんですよ、彼らは……。むしろ左翼はそこらはうまいですよ。はじめから民青なんかのサークルでも
男女交際、(中略)きれいな女の子なんかがいっしょに手をつないでくれる。まあフォークダンスやりましょう、
そのうちに女の子のほうがアクティブだと、「こんどのなんとかの反戦デモに参加しない?」というと、
「きみにいわれたら……」ということになるでしょう。みんなエロティックからはいっていますよ。(中略)
これでは(右翼は)チャームという点がむずかしい。ユーモアも笑いもなくてはね。
いかに思想が正しくても欠点は欠点で自覚しなきゃいかんと思います。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0439名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/13(水) 19:58:46.77ID:xHApclQi
核兵器というのは男で、世論というのは女という考えを非常に強くもっているんですよ。
(中略)それをさらに敷衍しますと、こういう世の中にしたのは、どうも核が原因じゃないかと思えるんです。
というのは国家権力でも何でも、権力というのは力ですから、「“力”イコール兵器」で、兵隊の数と強い兵器を
もっている方が強い。当然でしょう。それが世界歴史を支配してきた。いままでは兵器は使えるからこそ
強かったんです。ところが使えない兵器をついつくっちゃったんですね。広島で使ってあんな惨禍を起こして
使えなくしてしまった。使えない兵器というのは、あるいは力というのは恫喝にしか用をなさない。恫喝ないしは
心理的恐怖、ひとつのシンボリックな意味だけが強まってきた。そうなると、片一方の方は使えぬ兵器に対する
ものとして人民戦争理論みたいに、ずっと下の方からしみこんでくるやつが出てくるのは当然ですね。それをみて
被害者意識というのがだんだん勝つ力になってくる。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0440名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/13(水) 19:59:51.38ID:xHApclQi
広島市民には非常に気の毒だけれども、つまり「やられた」ということが、何より強い立場とする人間ができてくる。
そうすると、やられないやつまでも、やられたような顔をする方がトクだというようになるわけです。つまり女が
男にだまされたといって訴えるようなものです。とにかくトクなのは、なぐることじゃなくて、なぐられることだと。
そして痛くなくとも、「あっ、イタタタ!」というほうがいつも強い立場をつくれる。それで全学連がヘルメットの
下に赤チンを綿にしみこませていて、なぐられると赤チンがダラダラと垂れるようになっているという話も
ききますが、それも被害者ぶる者の強さの一例ですね。
被害者という立場に立てば、強いということがわかっちゃっている。なぜなら向こうは力が使えないに決まって
いるんだから。それが世論であり、女の勝利だと思うんですね。女はあくまで「弱い女をどうしてこんなに
いじめるんだ」と、断然反対してくる。すると男はそれ以上、腕力をふるえないから負けちまうわけですね。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0441名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/13(水) 20:00:26.67ID:xHApclQi
(中略)力対力という関係が、戦後の世界ではだんだん薄れてきつつあると思うんですよ。(中略)
われわれの主張は正しいのに、こんなに弱い、武器をもたない学生がやられているじゃないかと、頭から血が
流れているじゃないかと。全学連を非難する人たちも、やっぱりおしゃもじをもって、主婦連じゃないけれども、
弱いわれわれの生活を守るのにはどうすればいいのか、すべて「弱いわれわれ」が前提になっている。これは
世論のいちばん大きな要素で、われわれが世論に迎合するためには、自分が強者、あるいは加害者であったら
たいへんなことになっちゃう。
自衛隊があんなに悪口をいわれるのはもう、自衛隊が力だということがはっきりしているからですね。そして
警察の悪口がいわれるのは、警察が力だということがはっきりしているからですね。力をもっているやつは
かなわない世の中になっちゃっている。これは戦略をよほど考えないと、いまわれわれは左翼の言論を力だと
思って評価したらまちがいで、あれは弱さの力なんですね。それをいちばん象徴しているのは、ぼくは核と
世論というものの関係だと思います。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0442名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/14(木) 11:06:30.57ID:ntBEh9Qb
「ウエストサイド・ストーリィ」というミュージカルがありますが、実に皮肉な歌が出てきます。暴力団の
不良少年どもが、お巡りがやってくると、みんなで被害者意識を訴える歌を歌うんです。われわれは社会的な
病気だ、ソーシャル・ディジーズだ、すべて社会の被害者で、社会の矛盾がわれわれに集中されて、こういう
人間になっちまった、われわれに罪もなければ責任もない、教師が悪い、社会が悪い、政治が悪い、経済が悪いと
いうんです。お巡りは閉口してしっぽを巻いて逃げ出すんです。
ああいう逆手のとり方というのは、日本では一般的になっちゃった。いつも個人が責任をとらないからです。
それは現体制にも責任があるんで、誰も個人が責任をとらなければ、罪を人になすりつけるほかない。そうすると
金嬉老のような殺人犯の罪さえ、誰かに、あいまいモコたるものになすりつけることはできるんですね。これは
人間が、本当に自分個人の責任をとらなくなった時代のあらわれですね。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0443名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/14(木) 11:07:06.52ID:ntBEh9Qb
たとえばわれわれの中に、自立感情というのがあり、(中略)何とか一人立ちしたい、人に頼らずに生きたいという
気持ちがあることは右も左も問わないと思うんです。その気持ちを左に利用されるというのは非常につらいですね。
たとえば米軍基地反対とか、沖縄を返せとか、どこかに訴える力がありますよね。それは右にも共通するからですね。
ぼくはこのあいだアメリカ人にいったんです。ここらが君たちの性根のきめどころだと。安保条約をやめて
双務協定にするとか、そのためには憲法をかえなければならない、そのときには君らの国に基地をくれと
いったんです。(笑)ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ワシントンの四ヶ所でいいから、基地を
ほしいと……。一坪でもいいんです。そのまわりに基地反対デモが押し寄せても、その一坪の中にはいってきたら、
撃っちまえばいいんですからね。そのくらいのことをアメリカは考えなければだめだと。(中略)双務的で
あれば、国民は納得する。納得させるためには、アメリカの広いところで、一坪くらいの土地がなんだ、と
そういったんです。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0444名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/14(木) 11:07:38.46ID:ntBEh9Qb
向こうで基地反対闘争でも起これば大成功です。(笑)こっちもやっているし、向こうでもやっているから、
おあいこですね。
それで解放されますよ、こっちのアメリカの基地は、そのかわりにこっちで責任をもって守ってやる。
もうひとつは自立という問題に関係するんですが、自衛隊がどうもいざというときには、アメリカの指揮で
動くんじゃないかという心配をみんなもっているわけですよ。これは自衛隊によく聞いてみても、最終的な指揮権が
どこにあるかということになると、実にむずかしいですね。(中略)最終指揮権については、いろんなカバーが
あるわけですね。(中略)
私はどうしても日本人の軍隊をもたなければいかん、どんなに外国から要請があっても、条約がない限り動かんと、
あるいはこっちはこっちの判断でやっていく軍隊がなければならん、そうすると、どうすればいいんだということを
いろいろ考えた。どうしても二つに自衛隊を分けて、全くの国土防衛軍と、それから国連協力軍の二つに分ければいい。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0445名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/18(月) 10:33:54.42ID:5v57lLSI
ぼくは陸上自衛隊の九割までは国土防衛軍でいいと思う。そうすれば、その軍隊はどんなことがあっても日本を
まもるため以外は動かないんだから、国民の信頼を得ますよね。
(中略)
ところで自衛隊のことは、ぼくはあんまり細かいところまで知りすぎているんで、物をいいにくくなって
いるんですが、訓練の安全管理の問題を一つとってみても、予算がいろいろ響いている点があると思うんです。
はやい話が自衛隊には、はばかりの紙がないんです。紙の予算がないんです。だからみんな兵隊はPXで鼻紙を
買って、けつをふいているんですよ。
(中略)紙ならいいです。別に命にかかわりはないから。ところがレインジャー訓練のとき、末端の部隊には、
新しいロープが配給にならないんです。そうすると、何度も何度も耐久限度のすぎたやつを使っているところが
あるんですね。ちょっと危ないなと、思ってもやっちゃう。それでロープが切れて、現実に事故が起こっている。
これは予算ということもひとつの問題です。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0446名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/18(月) 10:34:17.83ID:5v57lLSI
こういうことをあまりいっちゃいかんかもしれないけれども、防衛大学の学生なんかに聞きますと、われわれの
軍隊はシビリアン・コントロールの軍隊であると。だから政権がかわれば、それに従うのは当然だと。日本に
共産政権ができれば、われわれは共産軍になるのは当然だという考え方をするのが、かなり多いらしいですね。
そういう考え方は間違いだということを世間はこわいから教える自信がないんです。これは軍隊の重大な問題で、
自衛隊というのは、もともとイデオロギッシュな軍隊であるということを、もっと周知徹底させないと……。
それを世間でたたき、国会でたたき、ぼくにいわせると、イデオロギー的な軍隊であるけれども、名誉の中心は
やはり天皇であるというところで、すこし極端ですが、そこまでいかなければだめだと思うんです。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より
0447名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/18(月) 23:35:37.52ID:5v57lLSI
ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。
ハイムケールすると、十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、いろんなものが、パンドラの箱みたいに、
ワーッと出てくるんです。だから、ぼくはもし誠実というものがあるとすれば、人にどんなに笑われようと、
またどんなに悪口を言われようと、このハイムケールする自己に忠実である以外にないんじゃないか、と思うように
なりました。ぼくのこの気持ちは、思想的立場の違う人、ゼネレーションの違う人にはきっと理解できないんだと
思います。
(中略)
もし白(純粋さ、純白)が観念的なら残酷さも観念的だ。白がザッハリッヒ(客観的、即物的)なら残酷さも
ザッハリッヒだ。ぼくにはその両者は、同一次元のものとしか考えられないんです。それを意地悪な人が見れば、
あいつは苦労を知らん、戦争を知らん、貧乏を知らん、だからそんな甘い見方をするんだ、とこんなふうに
なってしまう。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0448名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/19(火) 20:18:56.04ID:cPSUDHt5
しかし、ぼくだって、ぼくなりに戦争を見ているんですよ。たとえば勤労動員に行って、仲間が艦載機の機関銃に
やられて、魚の血みたいなのがいっぱい吹きだしているのを見たり、まあ多少は知っているんです。そして
「平家物語」ほどではないけれども、人間はすぐに死ぬんだ、死ねばどうなるかということを認識したんです。
これは相対的な問題なんで、おれは死体を百も見たから、三つしか見ないお前より戦争体験が深刻なんだ、とは
言えないし、おれはお前より貧乏だったから、だから偉いんだぞとも言えないはずです。(中略)
殺された側の人間はどうだとか、テロリズムはいけないとか、そういう思考は戦後ずっとつづいてきているし、
ぼくはもう聞き飽きたんです。ロシア革命だってフランス革命だって、貴族はみんな殺されているんですよ。(中略)
二・二六事件で感心するのは、女や子供をひとりもやっていない点ですね。これは立派だと思います。女や子供を
殺すのはキタナイですよね。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0449名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/19(火) 20:20:17.19ID:cPSUDHt5
古林:現在の文壇にはセックス小説、姦通小説が氾濫していますよね。セックスがマイ・ホーム主義的な秩序の破壊、
つまり反体制なものとして各作家の意識にとらえられているわけです。三島さんにも「美徳のよろめき」のような
作品がありますが、しかしこれは背徳の美学の追求であって、セックス描写があるわけではない。(中略)
現体制の頽廃をののしり、新しい社会正義の樹立を目ざす三島さんが、この風潮に無関心であるのは不思議ですね。

三島:(中略)だけど、いまの相対主義的な世界におけるエロティシズムというのは、フリー・セックスでしょう。
なんにも抵抗がない。あんな絶対者にかかわりを持たぬセックスなど、ぼくはエロティシズムとは呼びたくないですね。
ぼくの考えでは、エロティシズムと名がつく以上は、人間が体をはって死に至るまで快楽を追求して、絶対者に
裏側から到達するようなものでなくちゃいけない。だから、もし神がなかったら、神を復活させなければならない。
神の復活がなかったら、エロティシズムは成就しないんですからね。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0450名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/19(火) 20:21:14.04ID:cPSUDHt5
三島:ぼくは吉本隆明の「共同幻想論」を筆者の意図とは逆な意味で非常におもしろく読んだんだけれど、
やっぱり穀物神だからね、天皇というのは。だから個人的な人格というのは二次的な問題で、すべてもとの
天照大神にたちかえってゆくべきなんです。今上天皇はいつでも今上天皇です。つまり、天皇の御子様が次の
天皇になるとかどうかという問題じゃなくて、大嘗会と同時にすべては天照大神と直結しちゃうんです。そういう
非個人的性格というものを天皇から失わせた、小泉信三がそれをやったということが、戦後の天皇制のつくり方に
おいて最大の誤謬だったと思うんです。そんなことをしたから、天皇制がだめになったとぼくは思っているんです。
それはあなたのおっしゃる政治的に利用された絶対君主制=天皇制というものと、ぜんぜん意味が違うんです。
小泉信三はぼくの、つまりインパーソナルな天皇というイメージをめちゃくちゃにしたやつなんです。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0451名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/19(火) 20:22:14.53ID:cPSUDHt5
三島:ぼくは死の問題について彼ら(全共闘)に期待していませんよ。つまり彼らが革命のために死ぬかどうか
という点を、ぼくはずっと注意して見てきたけれど、彼らは革命のためには死なないね。明治維新のときは、
次々に志士たちが死にましたよね。あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、
それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。どんな時代だって、どんな階級に属していたって、
人間は命が惜しいですよ。それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは
思いませんね。だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。維新にしろ、革命にしろ、
その覚悟の見せどころだとぼくは思うんだが、全共闘には、やっぱり生命尊重主義というか、人命の価値が
至上のものだという戦後教育がしみついていますね。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0452名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/19(火) 20:23:38.55ID:cPSUDHt5
古林:マイ・ホーム主義の限界をウーマン・リブで衝き破ろうとする動きもあるのですが、これは……。

三島:バカの骨頂ですね。
女が女であることを否定したら損だということが理解できないんですね。ただバカな女どもですよ。


古林:(戦後は)やはり余生という意識がありますか。

三島:いまだにあります。(中略)天皇陛下バンザイというその遺書の主旨は、いまでもぼくの内部に生きて
いるんです。だから死ぬとき、もう遺書を書く必要はない。(中略)あれを書いたときのぼくは子供だったが、
もう二十にはなっていたんだから、あの時点で十分に自分のすべてを自覚的に注ぎこめたと思うんです。もちろん、
あの時代特有のふんい気、少年らしい気どりやミエ、それから世間体もあったでしょう。ですけど、遺書を
書いちゃったんですからね、自分の意志で。ぼくは、あれから逃れられない。いつでもそう思っています。
だから余生です。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0453名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/20(水) 23:44:41.09ID:elGshaHu
古林:私の場合は海軍のパイロットで――といっても、特攻隊には直接の関係はありませんでしたが、(中略)
最近、いろんな記録やら写真集が出版されるでしょう。あれの巻末によく特攻隊員の名簿なんかが掲載されて
いますね。あそこに知っている名まえがずいぶん出てくるんですよ。(中略)どうしてこの男が死んで、ここに
私が生き残っているんだろうかと、そんなことを考えると、いたたまれない気持ちになります。私が生きているのは
たんなる偶然なんです。あいつがおれのかわりに生きてたとしたら……と、思うたびに、戦後の二十五年は一挙に
空白となって、戦争下の記憶へたちまちショートしてしまうんですね。

三島:その気持ちはよくわかります。ぼくも、だから、たとえば「最後の特攻隊」なんていう映画は、絶対に
観にゆきません。(中略)ぼくはヤクザもの映画なら出かけるけど、「最後の特攻隊」なんてのは観たくない。

古林:私も観たくありませんね。それにウソのような気がするんです。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0454名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/20(水) 23:45:29.94ID:elGshaHu
三島:同時に ぼくがウソだと思ったのは「きけわだつみのこえ」でした。あの遺稿集は、もちろんほんとに
書かれた手記を編集したものでしょう。だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が
示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。戦争末期の青年は、
東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。そこを
突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。それを、
あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。そういう考えは、
ぼくは許せない。〈わだつみの像〉が京都でひっくりかえされたが、ぼくは快哉を叫びましたね。ぼくは一面的な
考え方はどうしても嫌いなんです。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0455名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/22(金) 00:45:10.65ID:tV/xyM7C
三島:防衛大出身の三尉たちと話していましたらね、これは個人的見解でしょうが、彼らは平然として言うんですよ。
われわれはまったく職業的軍人であって、技術者であり、ニュートラルなんだと。だから共産政権ができたって、
軍隊は必要なんだし、そのときは喜んで赤軍になりますって。(中略)

古林:(中略)その連中の理念は旧海軍と似ている点もありますね。(中略)海軍に入ったら、もっと猛烈に
精神教育をやられるだろうと覚悟していたんです。ところが入隊してみたら、軍人勅諭を暗誦できるヤツなんか
一人もいない。(中略)

三島:海軍は昔から文明開化ですものね。

古林:(中略)とにかく徹底的に分業化した技術主義でしたよ。

三島:戦後、山本五十六が英雄になったのは、そういう技術主義的英雄だったからですよ。陸軍の持っていた
暗い精神主義は、アメリカ的理念では理解できないんだよね。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0456名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/22(金) 14:27:01.06ID:tV/xyM7C
三島:どろ臭い、暗い精神主義――ぼくは、それが好きでしようがない。うんとファナティックな、蒙昧主義的な、
そういうものがとても好きなんです。ぼくのディオニソスは、神風連につながり、西南の役につながり、萩の乱
その他、あのへんの暗い蒙昧ともいうべき破滅衝動につながっているんです。
(中略)
少年時代の劣等意識がいまになって過剰期待にふくれあがったって、それは当然なんですよ。それを抑制するのが
インテリだと世間では思っているらしいけれども、ぼくは、それが気にいらないんです。人間はバカですから、
こっちが低くなるとこっちへ足す、あっちが高くなるとこっちを低くする――それがふつうの人間のやることですよ。
たとえば、この机がガタガタすると脚を一本切る。ウワーッ、こっちが低くなったと、そっちの脚を切る。また、
そっちが低くなったと、あっちを切る。こうして机はだんだんに脚がなくなっちゃっう。これが人生じゃないですか。
ぼくはいま、ちょうどその机の脚がなくなっちゃっう段階にきているんです。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0457名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/07/22(金) 14:27:59.78ID:tV/xyM7C
古林:今後の日本文学についてどう考えておられるか、締めくくりの意味で感想を聞かせてください。

三島:ぼくは自分をもうペトロニウス(ローマ皇帝ネロの側近で、「サチュリコン」の作者)みたいなものだと
思っているんです。そして、大げさな話ですが、日本語を知っている人間は、おれのジェネレーションでおしまい
だろうと思うんです。日本の古典のことばが体に入っている人間というのは、もうこれからは出てこないでしょうね。
未来にあるのは、まあ国際主義か、一種の抽象主義ですかね。安部公房なんか、そっちへ行ってるわけですが、
ぼくは行けないんです。それで世界中が、すくなくとも資本主義国では全部が同じ問題をかかえ、言語こそ違え、
まったく同じ精神、同じ生活感情の中でやっていくことになるんでしょうね。そういう時代が来たって、それは
よいですよ。こっちは、もう最後の人間なんだから、どうしようもない。
(中略)ぼくの言いたいことは、「わが友ヒットラー」と「癩王のテラス」でぜんぶ言いつくしましたよ。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
0458名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/08/01(月) 23:09:25.21ID:e34S01pF
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