【タイ】32階建てビルの外壁塗装中に命綱を切断される事件発生、職人は26階のベランダに避難[10/16] [虎跳★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
32階建てビルの外壁塗装中に命綱を切断される事件発生、職人は26階のベランダに避難
高層ビルの外壁塗装。塗装職人は命綱があるからこそ安心して仕事が出来るのですが、タイ中部ノンタブリ県パーククレットにある32階建てビルを塗装していた職人の命綱が切断されるという事件が2021年10月12日午前11時頃に発生しました。その様子の動画がTikTok(@nice2515)に投稿され、大きな話題になっています。
被害に遭ったミャンマー国籍の塗装職人の男性よると、27階の壁を塗装中に命綱のロープが切断され、動けなくなりました。職人の男性は助けを求めて27階の部屋の窓を叩きましたが、その部屋は留守だっため。ゆっくりと26階まで下がり、改めて助けを求め、ベランダに避難することができたとのこと。
なお職人の男性は、作業中に下を見たときに、21階辺りで誰かが命綱を切断するために手を出していたと話しています。
コンドミニアムの管理者は、この事件をタイ警察パーククレット署に報告。既に警察は、命綱を切断したと思われる人物の手がかりを得ていて、さらなる証拠を見つけるために捜査中です。
タイランドハイパーリンクス
https://www.thaich.net/news/20211016st.htm ビル塗装や窓清掃は稀に惨事が起こるから怖いなあ
>ノンタブリ県パーククレット
チャオップラヤー川が蛇行して繋がって「島」になった所がある事で知られている地域だな
ミャンマー南部のモン族が多く移住して素焼きの焼き物を作っていて
それが名物
タイは玉石混交ながらも焼き物を多く作っている
バンコクでチャオップラヤー西岸をトンブリーと呼ぶが
これは一つの俗説だともいうが、日本語でやや大きめの器を「どんぶり」
と呼ぶのは、朱印船貿易などで入って来たシャムの器が
トンブリーで作られており、それが日本で容器の名前一般に広まったのだともいう
ただし否定する説もある
まあバンコクに隣接したノンタブリー県は農業も盛んだが首都圏の一つとして人口も多く
こうしたビルもどんどん出来ている
だがバンコク周辺は昭和後期の西東京や横浜みたいなもんで、
どうしても不良みたいなのが増えてしまう
元々タイの若い男性は殆どが暴走族紛いではないかと思えるくらい狂暴で無鉄砲な一面がある >>4
隙あらば長文語りするほどタイが好きってことはわかったけど
この事件記事にそこまで雑学話詰め込むほどの隙あったか?w >>6
かろうじて最後のパラグラフは、この事件に関係してるね。 サマセットモームーの世界
バンコクのオリエンタール
ポンペイのタジマハール 切断しようと思って切断できるような材質であることが
そもそもの問題ではないのか 命綱って英語でlife ropeっていうのを初めて知った 切ったやつバカか
命綱の上側の残ったロープが目の前に垂れ下がってるから
犯人はすぐばれるだろwww >>11
俺はてっきり proof of life だとおもってたわ >>14
タイ人、嫉妬が絡むとめちゃくちゃ陰湿だよ。 >>4
何十年も前だが、受験の時にトンブリ王朝というのを暗記したな。
今調べたら、トンブリー王朝となっている。 >>1
21階から手を出して命綱を切断された。被害者は、27階の高さにぶら下がっていた。
どういうこと? ロープをプラプラさせてたら危ないので下端も固定する
砂袋とか吊ったり >>19
気づかずに21階まで下りたら、いきなり命綱がなくなるってことか? 中国人(華人)の多い国家トップ10、1位は米国ではなく
https://zuuonline.com/archives/141745
タイは2位だが人口を考えると1位かも 世界でも最も古い中華街の一つに数えられるヤワラート。タイには、中国からの移民は大昔からいて、タイ最大の中華街ヤワラートは1782年には形成され始めていたとされる。1882-1892年の移民数は約17万人で、1918-1931年がピークの約132万人だった。
当時の華僑は今のように裕福ではなく、港湾の荷役、道路工事や建設現場の労働者が大半だったが、貿易高の増加と勤勉さ、華僑同士の結束力で財をなす者も増えた。その後、第2次世界大戦の勃発やタイ政府の移民政策で多くの華僑が帰化。移民はタイに同化し溶け込んだ。
このため、タイには国籍取得した“華人”が多く、中国国籍のままの“華僑” はそれほど多くない。近隣諸国の華人と違い、タイは中国のアイデンティティーを持たない華人も多い。そして、現在は華人3世や4世がタイのビジネス界、政界などあらゆる場面で活躍をしている。タイの財閥のほとんどは華人が創業者である。
https://www.bangmeshi.com/chinese-history-201508/ こんなことをするのは
パヨク(ゴキブリ在タイ韓国人)
以外には考えられない >>18
まず自分の思い込みをなくしてみよう
生きるコツだぞ。君ならたぶんできる。
さあ、がんばれ >>1
これ殺人未遂でしょ
たぶん有罪なら刑期はね上がるだろう タイ人でも陰湿なことするんやなあ・・・印象かわるわこれ アユッタヤー王朝の最後の王は体が弱く皮膚病に罹っており
大砲の音を聞くだけで鼓膜が破れるから辞めてくれと
タイ西北部のターク県の知事だったシンという軍事に優れた部下に
頼み込むほどだった
そのためビルマ軍にアユッタヤーは包囲を続けられ、ついに城壁を破られて
壊滅してしまった
最後の王は捕えられた後に断食して降伏しないと抗議し、そのまま力尽きた
タイにとって幸いだったのは、その時にビルマ軍が無謀にも清とも戦争状態になっていて
ほぼ叩き潰した心算になっていたタイから撤退してくれたことであった
「ターク県の知事だったシン」氏は「タークシン」と名乗り、
チョンブリー南東のラヨーンに避難していたが、そこで更に南東の
チャンタブリーも制圧した後にアユッタヤーに駆け付けたが、既にアユッタヤーは破壊されていた
そして彼はアユッタヤーからチャオップラヤー川のずっと下流に王朝を建てた
これが、トンブリー王朝であった
アユッタヤー滅亡後に内戦状態になったタイ各地を平定し、また仏教や文学をよく保護した
トンブリーには75mの高さで美しい彫刻と彩色をされたパゴダで有名なワット・アルンがある タークシンは中国の潮州から来た華人であり、アユッタヤー王朝の血を全く引いておらず
そんな自分が王として君臨しているという矛盾、というか陰口を叩かれたりしているうちに発狂してしまった
自分は阿羅漢になったので崇めよと高位の僧に命じて、仏教で修業をした高僧でないのなら崇めることはしないと
僧侶が断ったら鞭で打って多くの人に失望された
王政内での汚職も続いて国内で内乱が発生した
戦争に明け暮れたタークシンを支えていた部下のチャックリー侯爵など複数の部下は、タークシンに
出家を薦めた
そしてチャックリー侯爵は王として即位してラーマ1世と名乗り、トンブリーの対岸のクルンテープ(正式名称は長い)を
首都として、現在に繋がる王朝となった
__
トンブリーも>>1記事のノンタブリーも基本的にはチャオップラヤーの西岸で
ノンタブリーは「トンブリー」のまあ北に隣接する
今はトンブリーは正式にはバンコクの1つの区の名前になっているだけであるが
バンコクのチャオップラヤー西岸全体をトンブリーと呼ぶことは今でも多く、高級住宅街が多いので
やっかまれたりしている
その北のノンタブリーはポメロというかボンタンというかザボンというか「ソム・オー」というか
要するに直径15〜20pもある甘い柑橘類の名産地でもあるのだが
バンコクの隣で都市鉄道も通ったので、今ではバンコク都市圏として発展して
人口も100万人を軽く超える、タイで3〜4番目に都市としての規模が大きな地域である
だがちょっと前までは扱いの困難な人を収容する福祉施設が存在したり、要するに
首都そのものに置きにくい施設もある地域であった タイのミャンマー人は日本の在日的な立ち位置だからしゃーない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています