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2020/08/23(日) 23:52:03.89ID:CAP_USER性差別のない21世紀をみんなで実現するために、フェミニズム研究者の清水晶子先生を講師に迎えて、改めてその歴史や意義を正しく学ぼうという本連載。第五弾は、Black Lives Matter(BLM)をより深く理解することにも通じる、フェミニズムにおけるインターセクショナリティについて。
(中略)
「足し算」でも「交差点」でもない!?
インターセクショナリティ=交差性という言葉から、それぞれ個別の2種類の差別がたまたま交わっている、というようなイメージを持たれるかもしれません。人種差別という道路と女性差別という道路があって、交差点には両方の差別に関係する黒人女性がいる、というように。でもこれは少し誤解を招きます。バラバラの二種類の差別を両方経験する人がいる、という話でありません。性差別、人種差別だけでなく、階級、貧富、障がいやセクシュアリティといったマイノリティ属性のチェックボックスに、たくさんチェックがついている人はより差別されていますね、ということを言うために「インターセクショナリティ」を考えるのではないのです。
前述のクレンショーも「インターセクショナリティは足し算の問題と考えられがちだが、2つの差別の合計ではない」とはっきり指摘しています。たとえば、黒人女性は、黒人として差別され、それに加えて女性としても差別されるのではなく、黒人女性としての差別を経験するのです。これがインターセクショナルな経験です。
つまりインターセクショナリティは、差別を均一化し、簡略化することの危険性を指摘する言葉でもあります。同じ女性同士、あるいは同じ黒人同士ではあっても、差別の経験がまったくちがうことがあるのだ、という認識を前提に、私たちの社会が構造として何を中心に置き、何を軽視したり後回しにしたりしているかを考えることが、インターセクショナルな視点を持つ出発点となるのです。
ワタシの経験≠女性の経験ではない。
フェミニズムは本来「女性は結婚して子どもを持つのが当たり前でしょ」というようなマジョリティの考え方に異を唱えたところから出発したはずなのに、マジョリティに近い立場にいる人ほど、自分の経験をどの女性にもあてはまる経験と思い込んでしまうワナにはまりがちです。
ですから、マジョリティに近い人ほど、「私の女性としての経験は、あなたの経験とはちがうかもしれない」という前提を受け入れるところから始める必要があります。「同じ女性同士だからわかりあえるはず」ではなく、「私とあなたは同じ女性であってもちがうし、あなたの経験を私はよくわからない」ということを確認しあって、そのちがいの背景にある差別や抑圧の構造への理解を深めていくことが大切なのです。そうやってさまざまな差別や抑圧が互いにどう関わっているのかを念頭におきながら、その中での性差別がどう機能しているかを改めて考えていきましょう、というのがインターセクショナルなフェミニズムだ、と言えます。
インターセクショナルな視点を持つことで、フェミニズムはより繊細に、より枠を広げて豊かなものになります。人種、民族、宗教、文化、セクシュアリティなどにおいてマイノリティの立場にある人たちがマジョリティである人たちとはちがう経験をしていることを心にとめることは、差別の働きを理解して差別をなくす第一歩であると同時に、たとえば女性としての生き方や存在を考える上で、より豊かで多様な可能性を開いてくれることでもあります。
2020年8月15日
https://www.vogue.co.jp/change/article/feminism-lesson-vol5