【中東情勢】シリア・イドリブ県でロシア軍が空爆し民間人15人死亡 [03/05]
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・シリア・イドリブ県でロシア軍が空爆、民間人15人死亡
【AFP=時事】シリア反体制派の最後の拠点となっている北西部イドリブ(Idlib)県で5日、ロシア軍による空爆があり、子ども1人を含む民間人少なくとも15人が死亡した。在英NGOのシリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)が発表した。
同NGOによると、午前0時過ぎに、マーラトミスリン(Maaret Misrin)郊外の国内避難民が集まる場所に空爆が実施された。
負傷者の多くが重体で、死者数は増える恐れがあるという。
空爆が実施された同日には、ロシアの首都モスクワを訪れたトルコのレジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)大統領が、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領とイドリブ県内の状況について協議。
トルコ政府はシリア北西部の反政府組織を支援しており、ここ数週間は戦闘に直接関与するようになっている。
一方ロシア政府が支援するシリア政権軍は昨年12月以降、反体制派のイスラム過激派組織が支配するイドリブ県で攻勢を強めている。女性や子どもを中心に約100万人が、自宅や避難所を追われている。【翻訳編集】 AFPBB News
・At least 15 displaced Syrians killed in Idlib air attack
https://www.aljazeera.com/news/2020/03/15-displaced-syrians-killed-idlib-air-attack-200305104007673.html
(画像)
https://www.aljazeera.com/mritems/imagecache/mbdxxlarge/mritems/Images/2020/3/5/87467575e1674a25b3a8f7a0e7c576c5_18.jpg
https://lpt.c.yimg.jp/im_sigg2rrxuZtWW3ogHfgnhSeDqQ---x900-y587-q90-exp3h-pril/amd/20200305-00000043-jij_afp-000-view.jpg
3/5(木) 23:46配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200305-00000043-jij_afp-int まあアメリカも広島と長崎に原爆を落として数十万単位の民間人を虐殺していてお咎めなしだから多少はね >>5
トルコもNATO加盟国でアメリカが後ろに付いてるからな。 ロシアの利益のために。
土人など見境なく武器の生体実験。 >>8
ロシアに限った話でもないと思うが。
て言うか、実戦での使用経験も無い国産兵器をぶっつけ本番で使おうとする日本も違った方向でヤバい。 北海道あ氏
『ソ連が千島列島方面の侵略を開始した日』
八月十八日はソ連による千島列島方面からの侵略が開始された日です。
正確にはソ連側の侵略行動は十七日から開始されていましたが、占守島への侵略攻撃が開始された日は十八日です。
ソ連軍は十八日午前一時頃に竹田浜から上陸を開始し、
二時過ぎに国端崎の灯台を攻撃し縁上させ、午前三時半には主力部隊が上陸して来ました。
日本側の激しい抵抗に遭い、午前七時頃にようやく上陸を完了させます。
続いて午前七時から午前十時に掛けて次の部隊も上陸しました。
日本側は反撃準備を午前二時過ぎに開始します。
本格的な反撃行動は午前二時半過ぎに開始され、午前五時頃からは激戦が展開されました。 池田隊長率いる戦車第十一連隊、通称士魂部隊も、
武装解除の後に突如襲いかかって来た卑劣極まりない非道のソ連軍を相手に勇敢猛烈なる突撃を何度も敢行しました。
当初は、突然襲来した敵をソ連であると断定できずにいました。
日ソ中立条約の有効期間中でしたのでソ連が侵攻して来る事はなかろうと思っていたのですが、
次第にソ連軍であると認識していきます。
北海道の第五方面軍の司令官は、ユダヤ人救出やキスカ島撤収作戦等で人道的行為に名高い樋口季一郎中将でした。
ソ連軍襲来の報に接した樋口季一郎中将は、「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と指令を出します。
自衛の為の反撃ですので日本側は正当な行動です。 日本は武装解除していた戦車を急いで動くように整備し直して、準備ができた戦車から次々と出撃して行きました。
激戦が展開され、午前七時頃には敵中への突撃を敢行し、四嶺山を奪還します。
その後、男体山山頂をから女体山へ向かい、女体山で危機に陥っていた
第三特殊監視隊を救援すべく、午前八時に猛突撃を敢行します。
この時、池田隊長も戦死しましたが、ソ連にも大きな損害を与えます。
反撃開始当初から停戦を摸索していた日本側は、十四時頃に、十六時に停戦を決定し、
停戦交渉に入ろうと護衛を含めて軍使総勢13名を派遣します。 ところが途中から単独で赴いた長島大尉がソ連軍に拘束されてしまいます。
満州でもソ連軍は同じ事をしましたが、非道な行為です。
混乱の中、三〜四回の停戦交渉が行われて停戦に至りました
もし占守島の勇士達の激闘がなければ、北海道がソ連に略取されていた可能性があります。
不撓不屈の敢闘精神で戦った先人達に感謝です。
尚、当時は夏季だった為、二千人もの民間人が島内に居ました。
北海道に戻って来れた人もいますが、ソ連の爆撃で命を失った人もいます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています