・「人殺しが日常」だった16世紀ヨーロッパ…権力者は何を奪い合っていたのか?:倉山満(憲政史研究家)

憲政史研究家の倉山満氏は、今こそ日本は16世紀オランダの法学者、フーゴー・グロティウスの思想に学ぶべきと提唱する。
教皇、皇帝、国王、貴族という一握りの特権階級が支配者だった時代のヨーロッパは「人殺し」に明け暮れており、「戦争」とは異なる、単なる殺し合いの日々を続けていた、と倉山氏は自著『ウェストファリア体制』にて語っている。
そんな状況において「戦争にも掟(ルール)がある」という英知を著す信じ難い学者がグロティウスだったのだ。彼の思想はのちにウェストファリア体制として実り、国際法の原型となる。
そんなグロティウスが生まれた時代の「殺し合いが日常」だったヨーロッパの情勢について触れた一節を倉山氏の著書より紹介する。
※本稿は倉山満著『ウェストファリア体制 天才グロティウスに学ぶ「人殺し」と平和の法 』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです

「殺し合い」の合間にあった束の間の平和
フーゴー・グロティウスは1583年生まれ、約440年前の人です。
この年、日本では賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いが行われました。羽柴秀吉が柴田勝家を破り、織田信長の後継者の地位を確固としました。長く続いた戦国時代が、終わりを告げようとしている頃です。
日本の戦国時代は、割と平和です。平和が日常で、合戦は非日常です。今の国際社会で紛争が絶えませんが、日本や欧米は何十年も戦火に巻き込まれていません。日本の戦国時代も同じようなもので、慢性的に戦いが続いている地域はあるけれども、全体的には平和が日常なのです。
一方、ヨーロッパでは慢性的な戦争が続いていました。グロティウスが生まれた頃のヨーロッパは、戦争が日常です。裏を返せば、平和が非日常です。より正確に言えば、「戦争」なんて立派なものではなく、ただの殺し合いです。殺し合いの合間に、束の間の平和があるのです。
西ヨーロッパは1945年を最後に、戦火に巻き込まれたことはありません。この地域で平和が続いた、史上最長記録を更新中です。欧米の国々は、自分たちの国の外で毎年のように戦いを繰り広げていますが、自分の国は安泰です。ヨーロッパの歴史を見ても、戦乱か圧制が日常なのです。
しかし、この数百年かけて「平和が日常」の地域になりました。その起源をたどれば、グロティウスに行きつきます。

スペインのハプスブルク家の所領地に生まれたグロティウス
グロティウスはネーデルラントのホラント州デルフトに生まれました。つまりは、オランダです。しかしその当時、まだオランダという国はありません。
本当はネーデルラントと呼ばなければいけないのでしょうが、混乱すると困るので、本稿ではオランダで通します。
オランダは、しばしば「ベネルクス(Benelux)」で一括りにされます。ベルギー(Kingdom of Belgium)、オランダ(Kingdom of the Netherlands)、ルクセンブルク(Grand Duchy of Luxembourg)です。
現在のベネルクス三国の領域に加え、フランス北東部のはずれの地域を含む所は、「ネーデルランデン」と呼ばれていました。オランダ語で「低地地方」を意味する語の複数形です。
ネーデルランデンはドイツ地方にありながら、スペイン・ハプスブルク家の所領でした。
ネーデルランデンの北部が独立をめざし、単数形で「ネーデルラント」を名乗ります。ネーデルラントは1588年に事実上独立し、1648年、ウェストファリア条約が締結されたときに正式に独立します。
オランダ連邦共和国です。ちなみに、ネーデルランデンの南部はスペイン・ハプスブルク家の領地として残ります。一旦、1815年にオランダに併合され、ベルギーとして独立するのは1831年です。

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2019年11月18日 | Web Voice
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